張良に授けるエピソードや、韓信が漢の大将軍となって 兵を調練する場面に、同じく五大兵書の一つ「司馬法」 しばじようしょ を著した司馬穰苴の話をうまく組み合わせて、物語をよ り味わい深くしています。私はこういう描き方で、現代 風にテンポよくまとめていけば面白くなるのではないか と考えました。 物語は、劉邦がライバルの項羽を倒したところで終わ らせました。項羽あっての劉邦ですし、皇帝になってか らの劉邦は、猜疑心のとりこになって、功労者まで疑う ようになっています。そこで劉邦の最期までは描かず、 漢楚の合戦物語として完結させました。
それなら 勝てる ほうてんかい 四方に展開してる かんぐ人 漢軍には目を くれるな めざすは 劉邦のみだ もの みなの者 今の報告を 聞いたであろう 劉邦は士気を たか 高めるために 危険覚悟で まえ 前に出てきたと リは、つ 見える劉邦を 守るは三十万余 : ・ われせんぐん それなら我ら全軍で ふつかれば勝てる はっ まんへい 余はニ十万の兵を 引き連れて劉邦の 本陣に突っこむ 諸将は残る三十万を 引き連れ余の とつにう 突入を邪魔しようと するものを蹴散らせ
今の夢は なんだ : しようわん あかふく 赤い服の少年が 七十ニ発なぐられ にらりん ながら日輪を 持ち去った : とい、つことは あれは劉邦カ あか 赤は劉邦の はたじるし リルうはうてんか 劉邦が天下を あんじ 取るという暗示か 待てよ : りうはうあいしよう 劉邦は愛妾に 体のホクロを 数えさせたことがあり その数が七十ニあり きらすう おおよう一 吉数だと大喜び したという話を 聞いたことがある つらた かそ かす そうかこれが 天の啓示ならば わしがどう あがいても無理だ 天がわしを見放した とい、つことド ~ ー 233 ー
項羽と劉邦 あ」か 項羽と劉邦の話は、紀元前九〇年代完成した司馬遷の 『史記』にくわしく記されています。以来、波瀾にとん だ一一人の戦いをめぐる物語を、多くの作家が書いてきま 『三国志』が完結した時、編集部から次の企画として「項 羽と劉邦」はどうかと提案されましたが、正直いって、 もう書きつくされているのではないかと思い、乗り気で はありませんでした。ところが、江一尸時代に書かれた『漢 楚軍談』が明治時代に出版されていると聞き、そのコピ ーを見て心が動きました。 たとえば、中国の五大兵書の一つ「一一一略」を黄石公が
項羽と劉邦 472 一 2 ー 54 0 COMICS 254
きもら その気持は 、つれしいか んの わしは考えを あらためた わしは江東に兵を挙げ八千の・′ ~ 」 子弟を引き連れて西進した その結果がこのありさまだ これを江東の遺族が おも 恨んでいないと思うか おう 恨ますに王にしてくれる といっても恥ずかしくて こちらがいさげだ わたしはひたすら / ( 3 、 だいおう 大王さまを待っており わん とお ました念じた通り だいおう 大王さまがいらっしゃい ましたこれこそ てんめい 天命だと思いまする だいおう 大王さま勝敗は兵家の 常にございます かっせん 劉邦とて雎水の合戦で よまん 三十余万の死者を出し ましたしかしそんな ことを気にせす今日の 勢力となりました だいおう いまの大王さまはあの時の リうは、つおな 劉邦と同じでこざいます 大事のまえに小さなことに こだわりなされますな そなたのいうことも わからぬわけではない たかもう決心したのだ せんじよう 武将らしく戦場で 散ろうとな えっ ー 254 ー
リノ・、 叮ゅうほ、つひっし 劉邦も必死に なって逃げ 楚軍はここぞと ( 追撃をはじめた 一里五里 十里 : ー 68 ー
げき 冫英楚激突 たよにつ りゅうはうぜんめん 劉邦が前面に 出てきていると ゼんごさゆう 前後左右を 固めている兵は まんよ 三十万余と おし 思われまする
ノ - 豊 だいおう 大王に おく 遅れをとるな てきじん 敵陣を蹴散らせ リうは、つ 劉邦を 討ち取れ 大王さま あとは我らが 引き受けまする 早く逃げて くださいませ はや おう われ
夜を待って ここを抜け出し だいおう 大王さまに 報告しよう はなしちが = = ロカ違、つ子、 劉邦は決戦を よゅう・しゃ′、しやく 前に余裕綽々だ 抜ぬ怪 けし 出だま せれ だいおう 大王さまに 報告だ うむ