-0 【ココ 1 ロロ屋に を : ~ いト , ご申 おう ちんべい 陳平 なんじゃ かんよう いまこの咸陽には なんまん 何十万という兵士が らルう A - ・ん 駐屯いたして おりまする これら兵士の しよくりよう 食糧はすべて しんじんみんめんどう 秦の人民が面倒を 見なければなり ませぬ 国家は財を 治めるをもって 先となすと 申します
漸Ⅳバリ らが赧陣も らようきかん 長期間になりまするが おんしよっ 恩賞もいまだ 賜っておりませぬ ふへいふまん しようへい 将兵の不平不満の声も しだい 次第に高まり きもら ふるさと 故郷を慕う気持が つのり士気の低下も はなはだしく一部では はんらんきざ 反乱の兆しさえ見せ はじめており まする たか した み なるほど そのことか ふうらよう こうした風潮が じよ 4 ひろ これ以上広まるのは 危険にございます じたい 軍師はこの事態を はうさくのぞ いかなる方策で臨み どう静めれば よいとお考えで ございます かんわ わしもそのことに まえまえ ついては前々から 気にしておった ト 6 ろしい 今からわしが はおうそうじよっ 覇王に奏上 い」挈、、つ 0
豎を 厂「 懐王より やを 詔をいただき まするよう お願い申し あげまする ょにつ ・一うしよう′、ん 項将軍が かんらゆうおう 関中王を せん 宣すると
1 ミ三一 また「行かず」と 答えればこれは 王命にたてつくことに なりまする 劃邦がどう答えても み物 4 さっ 罪に問われ誅殺 できまする こた 亜父が そういたせと 申すのなら そういたそう こた え王 リ物うはう 劉邦だけは 甘く見ては なりませぬぞ 生かしておいては 必ずや大王の 敵となりまするぞ わかった わかった はんぞう 范増は り疆うはう 劉邦のことと なると目の色が 変わってくるのだ からのう わ・ : - なに あんな男に何が できるというのだ まあ余の身を 案じていって いることだ とお い、つ通り・に してやろう あん 2 ー 107 ー
かんらう 関中こそ古来より都を建てる地 けんなんさんが 四方を険難な山河に囲まれた ようがい しう 要害の地昔周はこれを しん もって興り秦はここに おいて覇をとなえました だいおう なのにどうして大王は 子供の歌を信じてこの興王の地 ( ) 第 ) ド、 をお棄てになりまする われ 一つは我らは わんかんたたか 都を遷すのは 三年間戦いつづけて こ当ようかえ ひさ 歌を聞いたからではない 久しく故郷に帰っておらぬ かんらゆっやまおお ちゃんとした ニつに関中は山多く 理由があるからだ 平地が少なく景色が よくない てんうたくだ 天が歌を下されたのが ぐうせん 決して偶然でない こころてん 余の心が天意にかなって いるとい、つことだ ・ 1 おう た 、じ 1 ら てんかきみ だいおう 大王が天下の君で あることは しよう 4 っ だれ 誰もが承知して おりまする いなか なぜ田舎にひきこもるを えいが 栄華となされまする そちこそ かんよう なせ咸陽にこだわる てんかきみ みなが余を天下の君 みと と認めるならば みやこかま どこに都を構え ようと同じではないか だいおう はんぞう 大王は范増さまが ほうじよう しゆっぱっ 彭城に出発するにあたり ことば いい残された言葉をもう わす お忘れにございまするか かんよう は《・たも せったい 絶対に咸陽を離れ給うな 申されたでは ありませぬか に土 6. れ′ . ー 199 ー
諸侯は へんじ よき返事を 待たれるが よろしく わがもう お願い申し あげまする
そちもか それがしも しようか 蕭何さまと 同じ意見で ございます ょにつ 三つの利と 三つの害だと わが君が漢中に 行かれるに三つの 利がございます かんよう 咸陽にとどまれば 三つの害が ございます / ノ きみかんら疆う はしよくみらけわ 巴蜀は道が険しく かんたんで そう簡単に出入り できませぬそれゆえ 咸陽の人には氿らの 動きがわかりませぬ これが一の利 やまやまかわ また険しい山々や川を りよう じんばらようれん 利用して人馬を調練でき てんか まするとなれば天下を と・、やま うかがう時山を越え かわわた 日を渡ることが 容易になりまする だい これが第ニの利 おこ 兵を興して東に向かう時 ふるさと 兵隊みな故郷を かえ めざして帰ることになり らからかぎたたか 力の限り戦うこと 十倍これ三の利で ございます むむつ かんよう では咸陽に いると三つの 害があるとは ばい リ 0 し
では さようで , まするカ しか 張良がそれがしの くるのを 知らなカ 、ます ご・さし そちは 良に知らせ 、ったのか 、ったので だまれ それが よせ囁良はま王を 効らねは よらぬのだ
田第田 らようリよう 張良の′ 申しあげ まする 張良さまの 使いが見え ました はっ これへ おう 見せい らようリよう 張良さまより しよかん 書簡を あすかって 参りました
リようは・・か 陵墓の中に 納められていると おさ 思いまするに ー」・一うていはう 始皇帝崩じて後 けんせつ 陵墓の建設に ばくだい きんぎんつい 莫大な金銀を費やし 残った財宝はその 陵墓の中にすべて 納められて ございます おさ のら ならば それを掘り出して しようへい あた 将兵に与えれば もんだい 問題は解決 するのう ヨえス はかなか はおうしこうてい 覇王始皇帝の墓の中に せいゼん あるのは生前の 身のまわりを飾った もの、はかり イ、いほう 財宝などは納まって おりませぬ み そのような 「 ) ざいませぬ おさ 始皇帝の墓は 八百里四方 たか 高さ五十尺 はせ、、 せいくう 宝石をもって星空を すいぎ人なが 水銀を流して リくせんたいかい 百川大海をつくり そとばこ かん 棺を入れる外箱は きん ! ん 金銀でめぐらせ まえびやくはうつら その前に百宝が連なって おりまする 六国より し確うしう ざいはう 収集された財宝は すべて埋められて ろうぐ人し いるよし老軍師は こんきょざいはう 何を根拠に財宝なしと いってそれがしを嘘つき 呼ばわりなされます