第鬥、。 かんおう 漢王さまに 治めていただき と、つご・さい ました はいこう 沛公さまが さいしよかんらうはい 最初に関中に入られ 乱第をせずらの ために思いやりのある はうつく 法を作ってくださり かた ましたそのお方が かんらゆう 漢中におもむき ニ度とお会いできぬ のかと思うと : えっ しし これでニ度と 会えぬと いう訳ではない その日を くびなが ・首を長くして 待っており まする おお たじっかっ わしは他日必す かんよう かんらう 漢中より咸陽に もどってる その日までみな かすよう 家業にはげみ 体を大事に いたせ 0 0 こうおうほうりつ 項王の法律は きび はなはだ厳しい 少しでも見送れば どのような罪に 問われるかもしれぬ 早々に立ち去れ ー 131 ー
まえまえ 前々から 家族のことは心を 痛めておりました だいおうそくい しかし大王が即位された たはう ばかりで多忙をきわめて いますゆえそのような してき 私的なことを いい出せなかった のでございます いま諸侯がみな こ・ふは 故郷の父母の かえ もとに帰るのを見て かぞくあ それがしも家族に会いたい きもらたか 気持が高ぶった のでございます ふむう 大王 かんおう 漢王をこのまま故郷に かえ 帰らせてはなりませぬ ひとほうはい まず人を豊沛に かんおうふは つかわして漢王の父母 妻子をここに連れて ひとじら きて人質とするのです そうしておいてから かんおうかんらルう 漢王を漢中に やるのがよろしかろう と思いまする 人 t ム 質ム のム う っ だいおう 大王はすでに天下に りルうは、つ かんおう 劉邦どのを漢王として ち はしよく しルせん 巴蜀の地の主と宣せ られました それなのに依然として あしど ここに足止めをする しんてんか ならば信を天下に 失うことになりまする ぜん てんか ー 124 ー
わが君が一番乗りで かんらう 関中にお入りになった のですから咸陽の地を どうり 得られるのが道理 項羽をこらしめれば こううかいおうやくそく 項羽も懐王の約束を 宀寸り・ま 6 ーレよ、つ とお その通りじゃ それがしに さきて そ′、ん・っやく 楚軍攻略の先手を めい お命じくだされ 必ずや項羽の首を 取って参ります このままでは ち お は させん 左遷の地で老い果て どふるさとやま ニ度と故郷の山や かわみ Ⅱを見ることが できなくなりまする きみ はい ばんの 0 うむ余も恩賞は おも ひどいと思う こうつう よりによって交通も させん 容易ではない左遷の はう 地に封じるとは はうじゃくよじん あまりに傍若無人だ いく , へいリよくかす 戦が兵力の数だけで ないことを見せてやる ち おんー 1 う お待ちくだされ へんびかん第う わが君が辺鄙な漢中の 王になられましたが かんらう 空しく関中で死すより どれだけ素晴らしい ことでございま ーしよ、つ かんら市うおう 漢中の王に なったことが 素晴らしい ことだと ーをーし はしよくかんよう 巴蜀は咸陽から させん 見れば確かに左遷の地 しかしここは やまやまつら けわ 険しい山々が連なり がいてきはい 外敵が入って これませぬ
川ル をらハ ・うり ( ・ンヨ、をノ 何を案じられまする さいしよかんようはい 最初に成陽に入った りゅうはうリようろういはう 劉邦が兵糧財宝のある所を 知ってございましよう りルうはう 劉邦を呼んで聞けば よろしゅうございます しー内へいたら 将兵達はここに てんかとあっ 天下の富が集まって いると思っている おんし 4 すく 恩賞を少なくすれば わら 余をけちと笑うで あろう何かよい 手だてはない、 すぐ劉邦を ここへ呼べ そうであったな りうはう 劉邦ならば を、いはう まだ財宝の ありかを 知っているかも しれぬぞ
母ばに 迎子し 乙つし 0 コ 0 フ はい長い間 ◇・父母妻子にも 会っておらず 第やこうこう 親孝行の一つも したいと 思いまする 、ふ - む、つ こ・ようかえ 故郷に帰って 父母を迎えんとする ことは人の子の おやおも とうせん 親を思う当然の 気持である めめっそうも だがそれがそちの 本心ではあるまい はう その方だけ ひとりのこ 一人残れと申した さっそくなに′一と ので早速何事か たくらんだのであろう ー 123 ー
- まい一何イ、とい、ん - は きよか まだどの王にも許可を あた どくだんせんこう 与えておらぬのに独断専行 であると罪に問い - 行かず そむ といえば王命に背く つみ 罪とするつもりの しつむん 質問でございます しつもん あの質問には おそ それほど恐ろしい 意味があったのか のう張良ここに 長くいればこのような ことはたびたび越こ いっときはや ろう一時も早く しルっぱっ 出発したいのだが ようす この様子ではそう簡単に し物つばっ 出発させてくれまい どうすればよい なが わが君の ご威光が てんルうみら 天佑を導いたのでマ》 ご 0 いましよ、つ 余はそんなこと かんが 考えも しなかったぞ らようりよう かんたん : い靆、 羽軍の重臣 項伺陳が払らに 好意をもっておりまする そうだん このニ名と相談し こうおう すみやかに項王から しつばつめい 出発の命を引き 出し - ましよ、つ きみ わが君はすぐに出発 じルんび できる準備だけは しておいてください わかった 4 しルっぱっ
ン第毳←をま 事情がどうであろうと やくそぐやくそ ( 約束は約束じゃ こうしようぐんやくそくどお 項将軍に約束通り せよと伝えい はい、一う しかし沛公が かんらルうおう 関中王になっても てんかおさ 天下は治まりませぬ また魯公が 王になっても沛公は 阻止する力は 持っておりませぬ らから くどいぞ では どうしても はいこうかんらゆうおう 沛公を関中王に せよと 1 の当@ ・一うはく 項伯は 懷王の紹を 受けることか できないまま かえ 引き返した 生 .
~ 登 3 心 : ふ ? 蟲壑蕣物 リ疆うはうさんとう 劉邦山東にいる時 いろこの 財をむさほり色を好む かんら疆うはい だが関中に入りては尾を ざいよっと いましめ財物を取ること ふじよおか なく婦女を犯すことなく はう じんしんあんど 法を三章として人心を安堵 しんたみ させたそれゆえ秦の民は りうはうかんらル今おう 喜んで服し劉邦が関中の王 にならぬことを恨むなり 、いかかん第うはい 陛下関中に入りて ぜんせい 善政を施すを聞かず ただ殺戮を見る 子嬰を殺し皇をり あはう当う 阿房宮を焼きて民の じんばうおお 人望を大いに失えり しんあく・よう レ」うしう これ秦の悪業を踏襲 するものなり 4 らた いまこれを改めねば りゅうほう 劉邦ひと唱えせしめば しょこうひび 諸侯は響くがごとくに応じて みすかつよ 強きを期せずして自ら強く み系か 勝ちを期せずして自ら勝ち てんかせい りうは・つ 天下の勢劉邦になびくこと ひ み 火を見るよりあきらかなり ふく うしな たみ 4 ! んじっさんどう 劉邦近日棧道を焼き リし 陛下をしてその東に かえ 帰ることを疑わせず しんけいび ルたん 三秦の警備を油断させる のらかんれルろ ごときは後に関中の地を 奪らんとの計なり てんかせい これ天下の勢を てんか よく知り天下の機を しの ふせ・ 知る者の布石なり あえて陛下のために これをいう しんおう しようかん 章邯ら三秦王を 別の役に任じ知勇の えら しんまも 士を選んで三秦を守らせ りルうはう さらに劉邦が一族は とど お膝もとに留めおき をん健い 善政を施されれば へいかてんかばんじゃくかた 陛下の天下盤石の固き ことあらん らルう 1
・ 0 40 このまま 大軍をいつまでも らうとん 駐屯させていれば かんようたみ 咸陽の民はそれだけ 苦しむことになりまする できることならば 領土の決まった しょ・」うそうそう 諸侯は早々に国に かえ かんようたみ 帰らせ咸陽の民の 負を軽くしてやる べきだと思いまする そうじゃのう いつまでも かんようたみ 咸陽の民だけ 苦しませている わけにはいかぬ トン 5- ℃ 25C 0030 「し C : 0 しぞ 五日以内に りようどかえ 領土に帰るよう 」伝えよ 1 ははっ リうはう ただ劉邦だけは とくべつにんむ 特別な任務がある かんようのこ ゆえ成陽に残る べしと下知せよ ー 120 ー
0 亠一望を 2 一 ) イ 2 ああ いろんなことを いってくる ものだ すい分と あるのう 1 イ 0 これは ンどなたが書いた ものかな どれどれ ああ わいいん これは淮陰の 韓信というものが じようそ - っ 上奏したものだ か おとこ この男 いえびんはう 家が貧乏なため いや みんな卑しんでいたのだが はんぞう 范増さまがその才を むりやり 見こんで無理矢理 こうおうすいせん 項王に推薦した もの 者じゃ じんよっ どのような人物で ござる ー 180 ー