ウッと音がして、コートに火がついた。黄色い炎があがり、油煙が 「じゃあ、ひとりでやろう」 たちの・ほる。プレットは袖をつかんで、コートを大きく振り回し ブレットはくるっと背中を向けた。 た。その突然の動きにひきつけられたように、ゲルは・フレットに向「待て」と言 い、ダヴァはプレットに近づいた。「あんたは生命の かってきた。・フレットは火のついたコートをゲルに放り投げ、横に恩人た。ひとりで行かせるわけにはいかねえ。だが、もしうまくい とびすさった。 かなかったら : : : 思ったとおりにならなかったらーー」 「とにかく、やってみようよ」 ゲルは激しい動きを見せた。ドスンと歩道に落下した。燃えるコ ふたりは脇道に入り、速足で進んだ。次の角で、・フレットは指さ ートは見事に命中したのた。ゲルは歩道を這って、下水溝にもぐっ た。汚い水が・フレットにもはねかかる。眼のすみで・フレットは、ダした。 ヴァが燃えるコートをガソリンの流れこんた下水溝に放りこなのを「あそこにある ! 」 見とめた。炎は二十フィ ートもはねあがった。炎の中心でゲルは身走って十字路を横切り、ガソリン・スタンドに近づいた。事務所 体を丸め、のたうっていた。気の狂ったようになったゲルがぶつかのドアをあけようとしたが、鍵がかかっている。蹴っとばして、鍵 ると、セダンは震動し、黒い煙がもくもくと上昇した。耐えがたいのまわりの木もろともドアをふっとばした。中をのそきこむ。 悪臭が・フレットの鼻孔を襲った。彼はせきこみながら、あとじさっ 「だめだ」彼は叫んた。「隣のビルを見てくれ。ぼくは裏を調べ た。車の前部から炎が噴きたし、塗装が溶けて燃えた。タイヤが破るー 裂する。ゲルは最後に大きくのたうっと、倒れ、溶けたゴムのよう広い道を横断し、ドアを叩き壊して、かんなくずに埋まった床を な黒いものと化してけいれんしていたが、やがて静かになった。 ながめる。その床はドアから十フィ ] トばかりでおわっていた。・フ レットは穴の縁に近づき、中を見おろした。斜め下、四十フィ ばかり離れたところに、ガソリン・スタンドのポン。フにつながった 「奴らはこの町の地下、あらゆるところにトンネルを掘ったんだ。 電線や水道管、コンクリート、鋼鉄、泥ーーーなんでも切断し、あと五万ガロンほどの地下貯蔵タンクがあった。ガソリンの注入管はタ ンクから六フィートほどの長さで切断されている。ゾレットの位置 には蜘蛛の巣みたいなャワな支えと殻のような壁たけを残した。も からでは、その端に詰め物がしてあるかどうかはわからなかった。 っとも、必要なところへは、電気も水も供給できるようだがねーー」 「もういいよ」ダヴァが言った。「おれは逃げだせりやそれでい 暗い洞窟の奥の方に四角い光があらわれた。ダヴァが戸口に立っ んだ」 て、ブレットを見ている。 「やらなくちゃならんことがあるんだよ、ダヴァ。あんたの手助け「こっちだ、ダヴァ ! 」 ブレットはロー。フをほどき、端に輪をつくった。目測で距離をは が必要だ」 「だめだ」 かり、輪を投げた。タンクの上部にぶつかり、大きな突起物にひっ に 6
「シ 1 ツ」・フレットが言った。「ゲルに気づかれる」 階段をおりていくふとっちょの足音がこ聞えた。 「浮気女なんか大に喰われちまえ」ふとっちょはびしやりと言う。 「はやくしろ」 「さあ、帰ってくれ。さもないと、支配人を呼ぶぞ」 ・フレットは会計係に言った。係の女は空ろな眼をして虚空を見て 「わかんないのかい ? 」・フレットが太った男をじっと見つめて言っ いた。音楽がやんだ。照明がまたたいて、消えた。闇の中、・フレッ た。「あいつらはみんな人形なんたよ。ゴーレムた。本当の人間じトは茶色い液体がそびえるのを ゃないんだ」 走った。階段を駆けおりる。ふとっちょは街角を曲がるところだ 「誰が人間じゃないって ? 」 った。ブレットはロをあけ、呼びかけようとしーー身体をこわばら 「テー・フルについてる奴、フロアにいる奴、みんな偽者なんだ。あせた。近くのドアから半透明の泥水がとびだし、彼の眼前で塔のよ んたにだってわかるはずだーーー」 うにそびえ立ったのだ。プレットはロを少しあけ、腕を前にのばし 「よくわかったよ、あんたは医者に行ったほうがいい」ふとっちょ て、眼を見開き、少し前かがみに立った。ゲルはそそり立ってい は椅子をひくと、立ちあがった。「君がここにいるなら、わたしはる。その表面を波うたせーー待った。ゼラ = ウムのような刺激的な よそで食事をする」 匂いがする。 「待て ! 」 一分がすぎた。プレットの頬がかゆくなる。まばたきをしたい、 ・フレットも立ちあがり、ふとっちょの腕をつかんだ。 くるっと向きをかえ走りだしたいという誘惑と必死に戦った。真昼 「手をはなしたまえ の太陽が、物音ひとっしない往来に、よどんたようなショーウイン ふとっちょはドアに向かった。・フレットもあとを追う。会計で・フ ドウにカッと照りつけている。 レットはふいに振り返った。茶色い液が震えつつ やがてゲルは形を崩し、平らになると、あっという間に流れ去っ 「見ろ ! 」 た。プレットはうしろによろめいて、壁によりかかり、ホーツと息 ふとっちょの腕を引っぱった を吐きだした。 「なにを見るんだ ? 」 通りの向こう側に、キャン。フ用品を飾ったショ ーウインドウがあ ゲルよ、よ、つこ 0 った。携帯ストーヴやプーツ、ライフルもある。通りを横ぎり、ド 「そこにいたんだ、ゲルが」 アのノ。フをまわした。鍵がかかっている。彼は左右を見渡した。誰 ふと 0 ちょは札をたたきつけるように置くと、急いでその場をはもいない。掛金のそばのガラスを割り、手をのばして、掛金をはす なれた。プレットは十ドル札をや 0 と捜したし、釣り銭で待たされした。中に入ると、シャベルやナイロン・ロープ、さやのついたナ イフ、水筒などをざっと調べた。望遠照尺のついたウインチ = スタ 「待ってくれ ! 」彼は叫んだ。 1 連発ライフルを念入りに見る。それを棚に戻し、二十二口径のリ に 6
う側にびっしりと並んだ、くすんだ服を着た人々は、ロを動かしな「すまない」と言った。周囲を見まわして、「来てくれ、この人が がら、行列が通過していくのをじっと見つめている。しわくちゃの 誰もこっちを見ていなかった。数フィート離れたところの男がい 服を着、パナマ帽をあみだにかぶった男が、楊子で歯をつついてい る。その男には、なんとなく違和感があった。見物人の背後の店々ちばん近いのだが、しらん顔で立っている。 には、おかしなところはないようだ。薄ぎたないレンガ。店にそぐ「病気らしいんだ」・フレットはその男の腕をひいた。「倒れちゃっ たんだよ」 わないガラスと酸化アルミニウム。埃だらけのショーウインドウ。 乱雑な展示。〈本日かぎりーー・・大安売り〉と書いた掲示。 男の眼は渋々と・フレットの方を向いた。 プレット 「おれには関係ねえよ」と、つぶやく。 の左には誰もいない歩道が続いている。右には群衆がひ 「手をかしてくれんのか ? 」 しめきあって歓声をあげている。。ハトンガールのうしろから、青い 制服の警官隊がやって来た。ビラが往来にばらまかれる。ブレット「酔っぱらってるんだろう・せ」 は右側の男の方を向いた。 ・フレットの背後で、つきさすようなささやき声がした。 「おい、急げ ! 小路に入るんだ : 「失礼、この町の名前はなんていうんですか ? 」 ・フレットは振り返った。三十歳ぐらいの痩せこけた男が、・フレッ 男は・フレットを無視した。プレットは男の肩を叩いて、 トがさっき出てきたのと同じような小路の入口に立っていた。赤い この町は何ていうんだ ? 」 男は帽子をとり、頭上で大きくふりまわしてから、高く放りなげ頭髪は薄くなり、汗で鼻の下が光っている。男は大きな襟の、汗の た。帽子は群衆の上をとんでいって、見えなくなった。あの帽子、しみがっき、よれよれになった薄黄色のシャツを着ていた。暗緑色 どうやって回収するのだろう、とプレットはちらっと考えた。彼のの半ズボンをはき、柔かい革の・フーツをはいていたが、すり傷たら けで汚れており、よれよれになったはきロは、くるぶしのところで 知ってる人たちは帽子を放り投げたりはしないのだ : だらりと垂れさがっていた。 「ここの名前を教えてくれませんかね」 男は・フレットに合図をして、小路にひっこんた。 男の腕をとり、ひつばりながら・フレットは言った。男はグルッと 「こっちた」 ・フレットの方を向き、倒れかかってきた。重い。プレットは一、二 ブレットは男の方へ歩きながら、 歩うしろへさがる。男は背筋をつつばったまま倒れた。腕を動か 「この人は : : : 」 し、眼とロはひらいたままだ。 「ウーム、ウーム、ウーム。アウウ「来るんだ、マヌケ ! 」 「アアアアー」男は言った。 男は・フレットの腕をとると、暗い小道の奥へと引っぱった。 ウ、ジャアアアー ・フレットはそれにさからって、 ブレットはあわてて男にかがみこみ、
/ 力だな ! 」ブレット 「誰もあんたを殺すなんて言っちゃいない。く 「たいした役には立たんかもしれないが、まあ、なにかの足し は語気も鋭く言った。「あんたに見せたいものがある ! 」 にはなるだろう。じゃあ、・ほくは降りるよ」 彼は男の襟をつかみ、立ちあがらせると、歩道を横ぎり、裂け目 ふとっちょはプレットがロープをにぎり、縁から身をのりだすの をくぐった。ふとっちょはびくっと立ちどまった。あとしさる をじっと見つめた。・フレットは、ひとにぎりの濡れた髪がはげ頭に 「これは何だ ? ここはいっこ、 へばりついたその顔を見あけた。男が持ち場を離れないという保証 あわてて逃げだそうとする。 はなかったが、もはや実行しかなかった。 「あんたに言いたかったのはこれだよ。あんたの住んでるこの町は「忘れるなよ」プレットは言った。「やつらがっかまえてるのは、 : ゴーレムじゃ ごらんのとおり、中はうつろなんた。本物はひとっとしてあり本物の人間なんだそ、あんたや・ほくと同じ人間た : やしない あんたと・ほく以外はね。それから、もうひとりいる。 ない。ぼくたちは彼に借りがあるんだ」 ダヴァという男だ。・ほくは彼といっしょにレストランにいた。そこ ふとっちょの手は震えていた。彼は・フレットを見つめ、唇をなめ にゲルが来て、彼は逃けようとした。ゲルが彼をつかまえ、彼はい た。。フレットは降りはじめた。 ま : : この下にいる」 くだるのは楽だった。穴のざらざらした表面が足がかりになる。 「おれはひとり・ほっちじゃないそ」ふとっちょは言った。「友達が 1 ートま」 いる。所属しているクラ・フがある。仕事仲間がいる。保険だってか腐った角材がっきだしている。その下からは、直径二フィ の・ほろぼろになったコンクリート けてある。このごろ、イエスについて考えることが多くなったーーー」 のパイプが顔をみせている。床に あいた開口部から十フィ ートばかり下った。頭上には、ふとっちょ 言葉をきり、くるっと回れ右をして、戸口に向かった。・フレット は跳躍して彼をつかまえた。コートをつかむと、破けた。ふとっちの大きな身体が壁の裂け口を背景にして影になって見えている。 よは警官ゴーレムにつまずき、手と膝を床についた。・フレットは仁穴はえぐられたようになっていた。ブレットは手だけを使って降 りていった。ロ 1 プが底まで届いていなかったら、このロープを伝 王立ちになり、 ってもとに戻るのは、ひどくやっかいなことになるはずだった。 「立て、ばか野郎 ! あんたの手助けがいるんだ。・ほくを手伝うん ート下方に、黒く静まりかえった水面が見える。彼の足 だ」男をひきずりおこした。「あんたは、ロープのそばに立ってり がふれて表面から落ちる石のかけらで、あばたのような波紋ができ ゃいいんだ。ダヴァは気を失っているかもしれない。そのときは、 彼をひきあげてくれ。誰かがー・ーーっまり、ゲルどもが来たら、合図る。 」プレットはロ笛を吹い ロープにリズミカルな震動が伝わってきた。・フレットは手を通し をするんだ。ロ笛を : : : こんなふうに てみせた。「・ほくがヤ・ハイことになったら、適当にやってくれ。こてそれを感じとった。のこぎりを使っているような感じ : れを : : : 」プレットは銃を渡しかけて、やめ、狩猟ナイフを手渡し彼は落ちた。張力を失ったロープもろとも、深さ三フィートの油 こ 0 ロ 0
うもーーー」 ると、手早くメモをとり、すばやく去っていった。 「最初の日にここで奴らを見たんだ」赤毛は言 0 た。「ちょっぴり「無駄なことするなよ」男は勝ち誇「たようにプレットを見た。 「なんで〈あれ〉って呼んだのか、だと ? 」 だが運が良かった。ゲルがどんなふうにやるかがわかったからだ。 男は立ちあがり、手をのばして、緑の制服のボタンをはすした。 大きな連中だった。奴らが出ていくと、おれはここに入ってきて、 同じようにやろうとした。うまくいった。おれはゴーレムのやり方ウ = イトレスはちょっと前かがみにつっ立ったまま動かない。・フラ ウスの前がはたけて、白くて丸々とした胸があらわになった 「いったい何の話なんだい ? 」・フレットが言った。「あの娘に説い首がない。 「人形だよ」赤毛が言った。「あやつり人形、ゴーレムさ」 てこようーーー・」 「あいっとはロをきくんじゃねえ。ぜんぶおしやかになっちまう。 ・フレットは娘をじっと見つめた。こめかみのあたりでカなくカー ためになるか、ゲルがやって来るかだ。どっちだかよくわからん。 ルした巻毛。歯の間から見えている舌の先端。丸々とした頬の赤い とにかく、あれが食事をもってきたら、喰えばいいんだ」 毛細血管。そして、なめらかなカー・フを描く白い肌 : 「なんで〈あれ〉なんて呼ぶんだね ? 」 「これがいちばん手つとりばやくわかると思ってね」赤毛が言っ 「おや」男は不思議そうにプレットを見て、「いま見せてやるよ」 こ 0 「乳首はなめらかだ」 食べ物の匂いがする。つばがわいてきた。もう二十四時間もなに 制服のボタンをかけ、また肋骨の下を押した。娘は直立すると、 も口にしていないのだ。 「気をつけろ、それが肝心た。動くときは静かに。そして姿をあま髪に手をやった。 り見せぬこと。そうすりや領主のような生活ができる。喰い物はま「あんたのような人はも 0 と上等な場所にお出人りなさ「ているん たろうからね」 亠 , いがここにや そんざいにそう言うと去っていった。 赤い頬の娘があらわれた。肩腕に盆をのせ、もう一方の手に皿と 「おれはアワラウオン・ダヴァ」赤毛が言った。 カツ。フを持っている。 ヘイル」 「おれは・フレット・ 「遅かったな」 プレットはサンドウィッチをパクリとやった。 赤毛が言った。娘は鼻をならし、なにか言おうと口をひらいた。 赤毛は指を一本つきだし、肋骨の下をつついた。娘はロをあけたま「その服もそうだが」と、ダヴァは言「て、「おかしなしゃべりか たをするな。どこから来たんだ ? 」 ま、凍りついたように動かなくなった。 「ジェファースン」 ・フレットは腰をうかして、 「すいません、お嬢さん。こいっ頭がおかしいんです。ほんとにど「聞いたこともねえ。おれはウ = イヴリイからだ。どうや「てここ
つきなんだ。ウ ィールや火の河だってでたらめさ。あんたのいうべキンをとって、額をぬぐった。ナ。フキンを床に捨て、外にでる。ス 1 ッケースのことは忘れていた。街角にくると、彼は曲がった。人 ンゴクとおんなした。おれたちのグラットとあんたのパミだかカギ だかも同じだーーー」ダヴァの頭が。ヒンとあがった。「なんだ ? 」気のないショーウインドウの前を歩いていくーー家庭用パーマ機。 「なにも聞こえないよ」 サングラス。爪みがき。日焼けローション。紙箱。リポン。。フラス ダヴァは立ちあがった。くるっとドアの方を向く。・フレットも腰チックおもちゃ。さまざまな色の化繊の服。民間療法の薬。ポ。ヒ、 レコード。グリーティング・カード : をうかした。戸口に茶色いものがそびえたっていた。ガラスのよう に透明で、その表面は波だっていた。ダヴァはくるっと向きをか 次の角でプレットは立ちどまった。物音のしない通りを見わた の壁に え、。フレットのそばをすりぬけて、裏口へ突進した。ブレットは凍す。動くものはなにもない。・フレットは灰色のコンクリート りついたように動けなかった。茶色いものは流れたーーー水銀のようあいた窓に近づいた。背のびをして、埃のこびりついた窓ガラスか にすばやく流れ、ダヴァをとらえて、包みこんた。ほんの一瞬たら中をのそき見る。洋服屋の人台、衣紋掛け、自転車、表紙のつい 、、、、ゲルに包みこまれたダヴァが足をばたばたさせながら、さかさていない古雑誌を合本にしたものなどがいつばいつまった部屋だっ まになるのが見えた。やがて、濁った波は床を這ってドアに向か 、扉をはねのけると、消えた。ダヴァもいなくなっていた。 ・フレットは壁にそってドアに近づいた。ドアはかたく、ビクとも ・フレットは根がはえたみたいに動けなかった。じっと戸口を見つ動かなかった。隣のドアのほうが簡単にあきそうだ。変色した真鍮 ままぎ めている。陽の光が埃だらけの床にさしこんでいる。幡木にそってのノ・フをまわしてみる。それから、一歩さがって、ドアを蹴った。 茶色い鼠が走った。静かだった。・フレットはゲルが消えた裏のドアうつろな音がして、ドアが脇の柱もろとも内側に倒れた。。フレット に近づいてみた。ちょっとためらい、それから、ドアを押しあけはじっと入口を見つめた。レンガの破片が乾いた音をたてて落ち る。プレットは中に踏みこんた。穴の底の黒い水がキラッと光っ 大きな穴が口をあけていた。広さは何エーカーもあり、その内側た。 に小さな穴が無数にあいていた。上下水道や電線の断面が見えて いる。ずっと下方で黒い水たまりがきらりと光った。数フ ィートは彼のまわりには、ビルの高い壁が影絵になってそびえていた。闇 のなか、窓ガラスが青い光をうっして並んでいる。斜めにさしこむ なれた細長いリノリウムの上で、ウェイトレスが徴動もせずに立っ ていた。その足元に、深い穴が口をひらいている。床のその部分陽光のなかで、埃の粒子が踊っている。頭上高くの屋根は・ほんやり は、鼠にかみ切られたかのようにギザギザになっていた。ダヴァのと見えているだけだ。そして、足元には深淵が口をひらいている。 気配すら感じられなかった。 ・フレットの足元の床から、真鍮の鉄棒が一インチばかり突きだし とプレットは思っ ・フレットは食堂へ戻った。大きく息を吸い、テープルから紙ナプている。ここにロ 1 プをしばりつければいし こ 0
視線をあげた。 ーを持ってきてくれます。さて、失礼たが : : : 」 「ごいっしよしてもいいですか ? 」プレットは言った。「ちょっと「ほくの言ってるのは茶色いやつのことなんた。泥水みたいなやっ お話がしたいのです」 ですよ。秩序が乱れるとやって来るやつのことです」 ふとっちょは眠をパチクリさせ、椅子を示した。腰をおろすと、 太った男は神経質そうに、 プレットはテープルに身をのりだして、 「さあ、もう帰ってくたさい」 「間違っているかもしれなしカ : 、、・ほくはあなたは本物たと思う」 「ほくがここを混乱させると、ゲルが来ます。あなたはそれを恐れ ふとっちょはまたパチクリやって、 ているんですか ? 」 「なんのことです ? 」 「さあ、さあ。落ち着いて、興奮することはないんですから」 びしやりと言った。かん高い、短気そうな声だった。 「べつに大層なことをしようってんじゃない。あんたと話がしたい 「あなたは他の連中とはちがう。あなたとは話ができる。あなたもだけなんだ。あんた、ここにどのくらいの間いるんだね ? 」 よそからこの町に来たんでしょ 「騒ぎは好きしゃない」 ふとっちょは自分のよれよれの服を見おろして、 「いっからここにいるんだね ? 」 「わたしは : : : アー : 今日、ちょっといそがしくて、服を着がえ 「十分ほど前からさ。ここに坐っただけた。まだ食事をすませちゃ る時間がなかったんですよ。忙しい人間なんです。で、あなたの用いないんだよ。さあ、自分のテープルに戻ってくれ」 件は何です ? 」 ふとっちょは・フレットを用心深く見つめた。汗がはげ頭に光って きゅっと口を結び、・フレットを注意深く見た。 「・ほくはこの町、はじめてなんです」ブレットが言った。「ここじ「この町にいっからいるのかって聞いたんだよ。どうなんだ ? ゃいったい何が起こっているのかと , ーー」 こから来たんだ ? 」 「なら、ガイド・ブックをお買いなさい。 ショーや映画のリスト 「わたしはここで生まれたんだ。どこから来た、だと ? それはど ういう質問だね ? コウノトリがわたしをどこから運んできたのか 「そういう意味しゃないんです。ここにいる人形どものことです。答えろというのかね」 それから、例のゲル 「ここで生まれたのか」 「人形たあ、何のことです ? ジェルフ 「そのとおりだ」 ジェロ ? ゼリーは嫌し ですか ? 」 「この町の名前は ? 」 「わたしをからかっているのか、君は ? 」 「ゼリーは大好きです。・ほくの言うのはーー」 「なら、ウ = イターにたのみなさいよ。お好みの香料をきかせたゼ ふとっちょは怒りはじめた。声が高くなる。 5
無数にあいているが、装飾はなく、滑らかすぎてよじの・ほることは地元チームが入場してきたときのようだと・フレットは思った。楽隊 ートほどあるたろう、とプレットはっ できない。高さは二十フィ の楽器の音も聞こえる。金管楽器のかん高い音。打楽器のドンド た。もしなにかで壁に刻み目をいれられたら ン、ガチャガチャ。前方に小路の出口が見えた。旗が並ぶ陽光のふ 前方に門が見えた。両脇に灰色の柱が建っている。プレットは門 りそそぐ通りがある。人々の背中が見え、その頭ごしに、リズミカ に近づいた。スーツケースを地面におろす。ハンカチで額をぬぐっ ルに上下する行列が見てとれた。ほ・ほ同じ高さの軍帽や三角旗の列 た。壁の中には舗装された通りと建物が見えた。通りに面したそのが通りすぎていく。高い二本の柱の間に細長い幕を張り渡したもの 家々はたいして大きくない。一階か二階建てだろうが、その背後のが視界に入った。赤い字がちらっと見える ビルは塔のようにそびえたっていた。人の姿は見えす、音も聞こえ : ・わが党のために , ず、暑い真昼の空気が重くよどんでいるだけだ。・フレットはバッグ をとりあげると、門をくぐった。 ・フレットは灰色の背中を見せる群集にそろそろと近づいていっ それから一時間、彼はひと気のない歩道を歩きまわった。褐色砂 た。黄色い上衣を着た一団がトルコ帽の房を揺らしながら行進して 岩の家の正面、なにも飾ってないショーウインドウ、カーテンのさきた。小さな子供が通りにとびだし、行列にくつついてびよんびよ がったガラスのドア、あちこちに点在する雑草が生い繁り、荒れはんとびはねた。楽器は金切り声をあげ、ぜいぜいと息を切らすよう てた空地ーーーそこに自分の足音がむなしく響くのを聞いた。十字路な音をたてた。プレットは前にいる男を軽く叩いた。 で立ちどまる。ひと気のない道を見はるかした。ときどき、遠くで 「いったい何のお祭りです二 : : ? 」 音がした。かすかな警笛のような、小さな鐘の音のような、蹄の轟自分の声すら聞こえない。男は・フレットを無視した。・フレットは きのような音。 群衆のうしろを歩いて、行列のよく見える場所、人垣の薄くなって のつべらぼうの壁にはさまれた暗い峡谷のような小道にぶつかっ いる場所を捜した。前の方にはあまり人がいないようであった。群 た。その入口に立って、遠いざわめきに耳をすました。葬式にあっ衆のはすれにきた彼はさらに数ャード進み、縁石のところに立っ まった群衆のような音た。・フレットは小路に入りこんた。 た。黄色い上衣の連中はいま通りすぎるところで、そのうしろか ら、サテンのゾラウスに黒い・フーツ、白い毛の帽子をかぶった、丸 小路は数ャードまっすぐ進み、それから蛇のようにくねくねと続 いていた。小路を進むにつれ、群衆のざわめきは次第に大きくなっ丸とした股の娘たちが、音もなく、無表情にやって来た。・フレット ていった。いまでは歓声のひとつひとつを聞きわけることができから五十フィートのところまで近づくと、娘たちは突然、脚を高く る。彼は歩調をはやめた。はやく誰かと話がしたい。 あげ、ヒップを揺すり、 いばって歩きはじめた。きらきら輝く・ハト 突然、声はーーー・何百人もの声だ、と彼は思ったーー大きなどよめンを高く放りあげ、うけとめ、くるくる回し、また放りあげ : ・ き、ウワアアアーと長くひきのばされた大音響となった。試合場に ブレットは首をのばして、テレビ・カメラを捜した。通りの向こ
ざまな格好で立っていたり、ころがっていたりする。黒い服を着た「意味 ? 」・フレットは言い、かぶりをふり、通りを歩きはじめた。 ゴーレムが、雷文模様のついた石造りのゴチック建築の玄関にころ「意味なんてありやしないよ。ごらんのとおり、たたそれだけさ」 がっていた。 プレットはキャデラックに乗りこみ、ラジオをつけた。 「今度の日曜、教会はがら空きだろうな」 「 : : : 誰か聞いてますか ? 」悲しそうな声がスピーカーから聞こえ こ 0 茶色いレンガ造りのアパート の前で彼は立ちどまった。持ち手の 「こちらトウイン・スパイアズのアプ・ガロリアン。残ってい いなくなったホースがひからびた芝生に水をまきちらしている。プるのはぼくひとりのようなんです。誰か聞いてますか ? 」 レットはドアに近づき、耳をすませてから、中に入った。部屋の ブレットはチューニングを回した。 奥、揺り椅子に微動もせすに女性が坐っている。巻毛が皺ひとつな「 : ・ : ・誤まった質問に答えてきたのです : : : 〈究極の真実〉を捜し い額にはらりとかかっていた。一瞬、表情がその顔にうかんたようましよう。いま、不可思議なことが起こっています。しかし、いか に見えた。・フレットは一歩ふみだした。 なる人間がなぜと訊ねることができましようや ? 交響曲にわれわ 「こわがらないで。さあ、いっしょに行きましよう。・ーー」 れが求める : : : 」 立ちどまる。窓の日よけが。 ( タバタと揺れて、ゴーレムの顔に影 さらにチュ ーニングを回す。 をおとしたたけだったのだ。ゴーレムにはうっすらと埃がつもって 「 : : : カンサス・シティ。わたしたちは五人と残っておりません。 いる。プレットはきびすを返し、また頭をふった。 みんな死んだのです ! 死体が累々と折り重なっております。しか 「みんなそうだ」と言った。「みんな紙から切り抜かれた写真みたし、おかしなことに、 : ホッター博士は解剖をおこない いになっちまった。ゲルが死んたら、人形どもも死んでしまった」 さらに回す。 「なぜだ ? 」と、ダヴァ。 「どういう意味なんた、これは ? 」 「 : : ••O O 、 O O 、 0 00 こちらホリツ。フ・クウェイト。 O O 、 O 《最新刊》 ロン先生の虫眼鏡 ある時は炎天下の大根畑にしやがみこんでジガバチがアオムシ 光瀬 苙日を捕える瞬間を眺め、ある時は海に潜りガンギェイと対面する など、自然の息吹きを愛する著者がえがくュニークな博物誌ー マガジン連載 / ¥九八〇 早川書房 9
つかせて、胃のあたりをなでていた。 「わかったよ」プレットが言った。「ここはあんたの町だ。この偽 「警察を呼ぶそ ! 」 物の町がな。すべてはあんたのためにでっちあげられているわけ 2 「なんの警察だい ? 」・フレ ' トは腕をふりまわした。「見なよ、車だ。あんたが来ると、すべてが本物のように動きはしめる。あんた だって一台もいない。こんなにガランとした往来をこれまで見たこ はゲルを見やしないし、ゴーレムの秘密にも気づかない。あんたは とあるかね ? 」 ここに調和しているからだ。決して予期せぬことをしないからだ」 「水曜の午後に見た」 「そうだ。わたしは法律を遵守する。尊敬されている。人のことを 「いっしょに来てくれ。見せたいものがある。うつろなんだよ。こ センサクしたりしない。他人のことにくちばしをつつこんだりしな の壁の向こうにはなんにもないんだ・ーー・」 いんたよ。な。せ、このわたしがそんなことをしなくちゃならん。わ 「誰か来てくれえ ! 」ふとっちょは叫んだ。 たしをひとりにしてくれ : : : 」 「この石造り、四分の一インチしかないんたよ、厚みが」ブレット 「わかったよ」と、ブレット。 「たとえあんたを引っぱっていっ は言った。「来てくれよ。証拠を見せてやる て、証拠をつきつけても、あんたは信しやしないんたろうな。だ 「いやだよ」ふとっちよが言った。顔面蒼白で、びっしより汗をか が、あんたはもうこの町に溶けこんじゃいないんたぜ。おれがひっ いていた。「あんたは狂ってる。どこが悪いんだ、こんなに静かな ばりたしちまったんたから・ーーこ 町の : : : 」 突然ふとっちょはくるっと向きをかえて、数ャード走った。そし 「ダヴァを救けなくちゃ。ゲルが彼をこの穴につれこんでーーー」 て、振り返って、ブレット : カ追ってくるかどうか見た。彼は握りこ 「もう離してくれ」男はすすり泣いた。「恐いよ。おれのことは放ぶしを振るって、 っといてくれよう」 「お前のような奴は見たことがない」と叫んた。 「トラ・フルメーカ 「まだわからんのか ? ゲルが人間をつれてっちまったんだそ。あ んたは奴らに狙われているかもしれないんだそ」 ・フレットは男の方に踏みだした。男は叫び声をあげて、五十フィ 「誰にも狙われちゃいないよ。わたしは実業家だ : : : 立派な市民 ートばかり走った。上衣の裾がびよこびよこと上下した。振り返っ だ。仕事はちゃんとやるし、寄付もすれば、教会にも行く。頼むかて、立ちどまる。 ら放っといてくれ ! 」 「もう二度と会うもんか ! 」と叫んだ。「おまえのような奴の扱い ブレットは男の腕をはなした。男をしけしげとながめるーー、しみ方はわきまえとるんだそ」 のういた顔もいまは蒼白で、額には汗がうかび、垂れさがった顎の チョッキをぐいと引くと、角を曲がって姿を消した。プレットは 下の肉が震えている。太「た男はかがんで帽子をひろうと、脚には男のうしろ姿を見つめていたが、やがて、うつろなビルの方に戻 0 たきつけて埃をおとし、また頭にかぶった。 こ 0