ド・テールズに小説を書き続ける。それは、まっ 黒光線」「物質電送機による惑星間輸送」「金属れもやめてしまったという。当時の安い原稿料で たくの素人であった彼を認めてくれたその雑誌に の体に脳だけを移値した ( 工人たち」「人類家畜は、それ位の労働が適当というところかね。一九 9 対する彼の感謝のしるしだという説もあるが、そテーマ」「空中都市」「ミクロ・コスモスとマク 二八年の『星間。ハトロール・銀河大戦』などはそ れ以上に、ウィアード・テールズという雑誌がハ ロ・コスモスの戦い」「鋼鉄でおおわれた惑星」 のよい例なのだそうだ。ハミルトン自身「あり ミルトンの持っ様々なタイ。フの作家としての多面、幾つでも挙げることができる ( ( や、凄まじい代物でね、私の作品の中でも相当な 性を発揮するのに適していたからだろう。サム・ ンのアイディアに関しては森優氏の全集の解ものだ」なんてことを言っている。でも、これか モスコウィッツの説によれば、、ミルトンが常に説及び文庫の「星間。 ( トロール ・銀河大戦」 なり面白いのさ。原書で読んで、翻訳で読みなお 過小評価されてきたのは、ウィアード・テールズ の解説にくわしい。あの森さんがこんなにもハミ したくらいだもの。 のようなマイナー雑誌に書き続けていたからだと ルトン・フリークだったとは ! ) 残念ながら、 やがてハミルトンはそうしたやり方が自分の首 いうことになる。そいつは逆に一一一一口えば、アメリカ ・ (..5 ・ウエルズのタイムマシンや透明人間とはちを絞めるということに気が付き、稿料もしだいに の界の視野の狭さを強調するだけだとしか思 カって、、ミルトンのアイディアの多くは、認め上ってきたこともあって、もう少し注意深く書く えないが、ウィアード・テールズ出身ということ られることなく忘れ去られ、後の作家たち、たと ようになる。一九三〇年代に入って書かれた幾つ はハミルトンにとって、。フラスであるよりもマイ えばニール・・ジョーンズやエリック・フラン かの短篇、たとえば「未来を見た男」 ( 一九三 0 ) ナスの面の方が大きかったのは事実であろう。 ス・ラッセル、アイザック・アシモフたちの作品 "The Man Who EvoIved" ( 一九三一 ) "A ウィアード・テールズといえば、。・ラヴの方が有名になってしまっている。その理由の一 Conqwest of Two works" ( 一九三一 l) などは、 クラフト、クラーク・ <f. ・スミス、ロ・ つが、発表舞台であったウィアード・テールズのそうした ( ミルトンの方向転換ふりを見事に示し ( ワードといった怪奇小説系の作家や作品を連影響力の弱さということになっているのだ。たている。そこには馬鹿馬鹿しさとシリアスさが同 想するカ / : 、、ミルトンの場合、完全なも数多たー こ、・まくに言わせてもらえるならば、そうした卓居しているのだ。ことに三番目の作品など、異星 く発表している。星ド 司パトロール、つまり銀河系越した発想力を作品の中でうまく生かしきれなか人との交渉を通じて人間とは何か ( ( イプラウだ の秩序をっ組織という壮大なアイディアをもと 、、ルトンにも問題がなくはなかったろう、 ね ) なんそというかなりシリアスなテーマを扱 にした一連のシリーズを発表した ( 一九二八年のそう考えるのだ。ハ ミルトンにあっては、小道具っている。どことなしに黒人問題を思わせたりす 太陽系パトロールから考えると、あの・・ス はあくまでも小道具であり、結局は彼の織りなするほどさ。例の「何が火星に」というス。〈ース・ 、、スのレンズマン・シリーズにおける銀河 1 の内に埋もれていってしまう。次からオペラに対する反論のような作品が書かれたのは ールよりも十年近く前に発表されたことになる ) 次へとそうしたアイディアを生んでいくという ( 一九三三年のことであり、この作品が活字にされ のも、ウィアード・テールズだったし、 "The 、、ルトンの素晴らしい才能が、かえってアイディ たのは一九五二年なのだから、この時期のハミル 00n Menace" や "The Time Raider" とい アそのものを掘り下げることをせずに軽く扱ってトンは二十年先のから当時の最も俗悪な った初期の ( ミルトンのの代表作は、すべてしまう結果となったのではないだろうか。 まで、大きな振幅で揺れていたことになる。この ウィアード・テールズだったのだ。 もしも彼のために弁解するならば、そんなに時 、ミルトンのレ。 ーの広さは、常に彼と共 こうして。フロ作家となったハミルトンはデビュ 間をかけて小説を書くことができなかったという にあったわけなのに、それが通俗スペース・オペ 1 以来一九三六年までの十年間に、長篇短篇、合 。ハル。フ・マガジン時代のライターたちに共通する ラの大家ということにされてしまったのは、キャ わせて七十篇以上の作品を発表している。それは ( ンディ・キャツ。フのせいだと一言うことができよ。フテン・フーチャーのおかげだろう。 当時の作家たちと比べても劣るどころか、最う。どちらにしろ、実に悲しいことだとは思うが 一九三九年の終りからスタートした「キャ。フテ も多い部類に属するだろう。そしてこの時期にハ ね。もっともハミルトン自身には、そうした書き ン・フューチャー」誌に毎号載せられたこのシリ ミルトンは、後の作家が多用する様々な方が性に合ったものと思えたようた。とにかくタ ーズの楽しさは、野田昌宏先生の名訳で日本の読 的アイディアを数多く考え出し使用している。おイプライターに向い、打ちはじめる。。フロットも者にもおなじみになったが、実のところ ( ミルト そらくはハミルトンが考案したと断言してもい シノブシスをつくらずにだ。それでも最初のうちンとしては、さほど重要な作品となるとは考えず アイディアを挙げておけば、「透過不能の安全暗はもう一度書き直したらしいが、しばらくしてそに書き出したらしい。それはこの時期の作品には
ックのアンソロジーにすら ( ミルトンの作品が収みると面白いように思う。つまりそこでは、科学き上げ、一九二三年に創刊されてまだ間もない 録されていないことだ。まるでハミルトンの作品者 ( あくまでも科学そのものではない ) に対す「ウィアード・テールズ」に持ち込んだ。当時、 人気絶頂であったエヴラム・メリットの影響が強 を入れると、アンソロジーの質そのものが、落ちる嫌悪感が底流としてあるように思えるのだ。 "The Man Who Evolved" つまり「進化しく感じられるその作品は、名編集長とうたわれた てしまうかのように。ラインスターやジャック・ た男」という作品は、主人公の友人である科学者ファンズワース・ライトの目にとまり、書きなお ウィリアムスンという同世代の作家の作品は、よ が、人類の進化の原因は ~ 工田線による突然変異でした末、 "The Monster G0d of Mamurth" と く取り上げられているというのに、こいつはいっ たいどういうことだ。以前から何となくそんな気あるという理論に基づいて、字宙線の強度を何倍タイトルも変えて一九二六年八月号のウィアード ・テールズに掲載された。 はしていたのだが、この特集のために作品をセレ にも増幅する機械をつくり、自分の身体で何千万 初期のハミルトンにおけるメリットの影響はす クトしようとして、本当にハミルトンが正当な評年にもわたる未来の人間の進化を実験しようとい : 、、ミルトン・目一身によ、れ うものだが、そこで語られるのは未来の人類の歴でに定説になっているカ , 価をされていないことに気付いた。かろうじて、 アイザック・アシモフが "Before the Golden 史というセンス・オ・フ・ワンダーに満ちたアイデば、彼が本当に強い影響を受けたのはホーマー ィアと同時に、科学者のエゴイズムなのだ。それイオン・フリントなのだという。フリントはオー age" という三〇年代のアンソロジーを編む にあたって、三篇ハミルトンの作品を取り上げてに人類の進化、つまりは文明というものに対するスティン・ホールとの共作である異次元テーマの いるくらいのものだ。さすがアシモフ ? ちがう虚無感。こいつは「反対進化」などというゲテモ傑作 "The Blind Spot" で有名な今世紀初頭の 。、ミルトンの作家だ。彼の代表作の一つである『死の王と生命 ノ一歩手前の傑作と共通している / よ、当然のことというだけだ。 エドモンド・ハミルトンのに対する貢献を持っ虚無感については、あとで少しくわしく触れの女王』は翻訳も出ているが、たしかにセンス・ 述べるには、彼の経歴をいっしょに話さねばならてみることにして、とりあえずは ( ミルトンの経オプ・ワンダーという点では、似通った部分もな いではない。ただ読者の気をそらさないストーリ ハミル歴の方を進めよう。 ないだろう。早川書房の世界全集の「 ー構成のテクニックや読みやすさではハ トン / ラインスター」集の解説で森優氏が、その 大学に対する異和感は、ハミルトンをの方 あたりの事情をくわしく書いている。少々重複す向に追いやる。彼はやファンタジイの与えてがはるかに勝っている。おそらくライトがハ、、 トンの中に見出したのは、メリット・タイプのラ ることになるが、ここでも彼の歩んできた道に沿 くれる空想の世界に逃け込んでいったのだ。三年 って話を進めていこう。 のときに、彼は大学を追い出され、鉄道関係の仕イターとしてのハミルトンではなかっただろう。 エドモンド・ ( ミルトンが生まれたのは、一九事に就く。このあたりの事情をハミルトンは、或徹底的な通俗小説を書きうる彼の可能性の大きさ るファンジンのインタビューでこう衄っている。 を見たにちがいないのだ。 〇四年の十月二十一日。場所はオハイオ州、ヤン グスタウンだった。少年時代のハミルトンはちょ 一九二六年の前半にハミルトンは第一一作を完成 「サイエンス・フィクション、つまりイマジネー いとした天才だったという。十歳でハイスクール ションの世界へ引きつけられたことが、大学で疎させ、ライトに送る。それは "Across Spase" と に入り、十四歳で大学に進んだ。教育制度の差は 外された原因ではないと確信している。大学に入名付けられた長篇だった。この作品は火星人が地 あるにしろ、並の少年でなかったのは確実た。だ る前から、私はが好きだったのだ。それにそ球を侵略するために、イースター島から怪カ線を がこの天才少年ぶりが、結局、彼をドロツ。フ・アうしたものが正式な教育から私を遠ざけたのでも放射させ、地球のすぐ近くまで火星を寄せてくる ウトにする。いくら頭は良いといっても、十四歳ないと思っている。実際、後になって私が自分のという筋だけきけば海野十三の「地球盗難」もま の少年だ。他の学生たちと平等に学生生活をエン作品で使うことになったアイディアの多くは、当っさおという怪作だが、それでも一九二九年にウ ィアード・テールズに連載されたときには、好評 ジョイできるわけもない。もっともハミルトン自時の大学における物理学の授業から得たものなの 身に言わせれば、それ以外に、アカデミックな生だ」 だったという。以後一九二八年に "The Comet トーリーズに一アビュ 活に対する嫌悪があったということになる。 当時の彼には、大学よりも鉄道の仕事の方が性 Doom" でアメージング・ス こうした感情は、たとえば「フェッセンデンの : 、ミルトンの発表の場はウィアード に合っていると思えたらしい。それでもは彼 1 するまてノ 、、ミレト / よ 宇宙」 ( 一九三七 ) "The Man Who EvoIved" ・テールズに限定されていた。そして雑誌に 3 から離れなかった。二十歳のとき ( 一九三一 ) などという彼の短篇と読み合わせて "Beyond the Unseen WaII" という短篇を書マーケットを広げた後も、ハミルトンはウィアー
ウンドとは無関係に、ひどく個人的なもののよう 珍しく、あっという間に書き上げ、書きなおすこ要素だった。脇役のキャラクターによる部分が ともなく編集者に渡していたというハミルトン自多かったキャプテン・フ、ーチャ 1 も、無駄でに思える。そうだ、たぶんあなたや・ほくが感じる はなかったということになるかね ( 言い過ぎかであろう虚無感と似ている。 身の言葉にもあらわれている。やがてキャ。フテン ・ほくがハミルトンに常にこだわってきたのは、 ・フューチャーの人気が高まり、作者である彼のな ? ) 。 そうした虚無的な感情とロマンチシズムとの緊張 一九六〇年に出版された「虚空の遺産」はハミ 待遇も良くなったので、今度は本腰を入れて書き 出したのだという。けれどもこのシリーズが人気ルトンの一つの頂点を示しているのではないかと感のためなのかもしれない。 ハミルトンのまとまった最後の仕事は、現代ス を得れば得るほど、相対的にハミルトンの評価は思う。スペース・オペラ・ライターとしてのハミ ・ウルフ・シリ ルトンと現代にも通用するハミルトンとの双方をベース・オペラを目ざしたスター 落ちていった。アカデミズムの犠牲者という ーズで、一九六七年に開始され、三冊で中断して うまく一つの作品に合わせているように思うの 気もしてくるが、何しろ四 0 年代から五〇年代に / 、レ , 「ノっ いる。おそらくはこのままだろう。 かけてのの黄金時代はすぐそこに来ていたのだ。ヒーロ , ーたるべき主人公がヒーローとはなり えぬキャラクターであり、ヒーローらしい登場人しい終り方だと言うべきだ。 常に評価されないままで。 キャプテン・フューチャー ・シリーズは一九五物は途中で死んでしまう。そして悪役のはずのキ ャラクターが最もヒーローらしい性格を持ってい 一年まで続く。その間、「時の廊下」 ( 一九四五 ) この特集の作品について、簡単に触れておく。 る。そして全体をおおっているのが、奇妙なあき 「虚空の死」 ( 一九四六 ) などの佳作を発表した 「衛星チタンの〈歌い鳥〉」 ハミルトンだが、「世界のたそがれに」「反対進らめに似た虚無感なのだ。ハミルトンの書いてき "The Harpers Titan" —Statling Stories 化」 ( 共に一九三六 ) 「フェッセンデンの宇宙」 たスペース・オペラ、ことにキャ。フテン・フ 1950 9 ・こ・ ーズの裏返しであるこの作品はもっ 「翼を持った男」 ( 一九三八 ) などという作品をチャー ご存知キャ。フテン・フューチャ ー・シリースの この作品における虚無感 生み出した三〇年代の彼からすれば、物足りない と評価されてもいし 二十三作目にあたる。 ことは確かだ。けれども一九四七年にあの「天界は、実はハミルトンのほとんどの作品に共通して 「マムルスの邪神」 しるのではないか、おそらくこの作品は、ハミル の王」を書いているのだから、もう何も言わな 初出は前に触れた。ハミルトンのデビュー作で それと一九四六年にはリイ・プラケットと結 トンのすべてをあらわしているのではないか、こ う田 5 える。 あり、同じ号にはメリットがウィアード・テー 婚している。四〇年代はハミルトンにとって悪い ルズに発表した唯一の作品である "The Wo- 時代ではなかったのかもしれぬ。一九五一年にな ハミルトンは〈世界破壊者〉あるいは〈世界救 man of The ン vood はが掲載されていた。当 ると彼の「時果つるところ」が出版される。この済者〉と皮肉をこめて呼ばれてきたが、彼はそれ ほど多くの世界を破減におとしいれまた救ってき 時の読者投票ではメリットのその作品に次ぐ人 作品は好評だった。超核兵器によって遙か未来の 気を得ていたという。 地球へ吹き飛ばされたアメリカの田舎町という設 た。そのパターンは、驚くほど多い。それはほと 定は、 「蛇の女神」 いかにもハミルトンらしいが、その処理のんどやけくそのようであり、機械的に行なわれて 仕方が、荒唐無稽ではなく、後半のスペース・オ "Serpent Princess' ・—Weird Tales 1948 年 いく。ポリシーなどこれつ。ほっちもないかのよう ファンタジイ冒険小説作家としてのハミルトン べラ仕立てになる部分もまた適度に抑制されておだ。たとえが悪いかもしれないが、不満を感じた の一面が良く出ている作品ということで選んで り、・ほくの最も好きな作品の一つた。ハミルトン子供がオモチャをぶちこわすのに似ている「そう が大人向けの作品も書けるのだということを示し みた。最後が実に泣かせるではないかー した態度と 、ハミルトンの作品の多くが持っ虚無 「審判の後に」 ていた。ただ構成に難があるように思えると、結感とは共通しているのだ。ハミルトン自身、多く "After A Judgement Day" ー Fantastic 末が今一つ詰め切れていないようにも思う。それの世界を破壊することに熱中したのは、不幸たっ でもこの作品が素敵なのは、登場人物のからみが 1963 翁 た大学時代の不満の現われではなかったかと語っ この特集の中では最も新しい作品である。この ステロタイプはステロタイ。フなりに実に良く書かているが、そういう心理的な要因があったのかも れており、有機的に物語を支えているからだ。こしれない。ハ ミルトンの虚無感は、多くの現代小 場合、やはり共通している虚無感は、フッと突 れはそれまでのノ 、ミルトンの作品に欠けていた きぬけたような感じになっているではないか。 説作家に感じられるような社会的な・ハック・グラ