ロイド - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1978年12月号
15件見つかりました。

1. SFマガジン 1978年12月号

なく日が昇り、その光が径や道路に散っている絵画や、侵略的な未の苦しみから解放されるのだ。 カ彼がこの河岸の径を歩いてきて、サラの 来の半世界を動き回る凍結者たちを照らしたした。しかし、ロイド 時は咼一ぎていった。 : 、 はここに現在の彼の窮境の原因があることも、こうした画像を見る像の前に立ち止まり、彼女に手をさしのべない日は一日としてなか ことができるのはまさしく彼が経験したこの事件によることも理解った。 することができなかった。 一九四〇年八月 リッチモンドで彼は警官に見つかり、病院へと連れていかれた。 ここで、雪の中に横たわっていたために罹った肺炎の治療をます受 ドイツ人の落下傘兵は河の上で宙吊りになっていた。ロイドは凍 け、やがてこうした状態を説明できる唯一の症状、記憶喪失症であ結者たちに再び眼を向けた。見たところ彼らはまたその年下の者が ると判断されることとなった。ロイドは凍結者がここでも病室や廊なした行為を批判しているようたったが、一方でその結果にも魅せ 下の間を動いているのを見た。もちろん絵画もあった。べッドからられているらしかった。確かにそれは、ロイドがこれまでに見たう 落ちかかっている瀕死の患者。五十年前の白衣を着て、病室から歩ちではいちばんの劇的なシーンではあった。 いていくさい眉間に深いしわを寄せている若い看護婦。回復期の患 男が凍結したことによって「その眼がしつかりと閉じられている 者病棟のそばの庭でポールを投げている子供。 ことや着水を予期して鼻を指で覆っていることなどが観察できた。 肉体的な健康を取戻すために看護されているうちに、ロイドは河 加えて、飛行中に怪我をしていることもはっきりとした。血痕で飛 辺の歳地へと戻らねばならないという観念にとりつかれた。そこ行服が汚れていたからである。その絵はおもしろくもあり、かっ印 て、充分回復しないうちに退院して、まっすぐそこに行ってみた。 象的でもあった。この現実がロイドにとりいかに非実感的なもので その頃には雪はもう溶けていた。しかし、気候はまた寒く、白い あれ、この時代の人々にとっては決して幻影ではないということを 霜が地面を覆っていた。河に近く、草が幾重にもよく茂っている径はっきりと認識させるものだったのだ。 のはたに凍りついた夏の一瞬があった。サラはその只中にいる。 しばらくすると、この不運な飛行士に対して特に凍結者たちのこ だわっている理由がわかった。前触れもなく凍りついた時間のエア 彼には彼女を見ることができたが、彼女の方からは無理だった。 ・ポケットがこわれて、ドイツ人の青年は河へと飛び込んだのであ 彼に取るようまっすぐさしのべられた手をとろうとすることはでき ても彼の指はいつも空しく幻影を通りすぎてしまう。彼女のまわりる。。 ( ラシ、ートは大きくうねりながら、彼の頭部をゆったりと包 を歩くことなら可能だった。しかしたとえ緑の夏草にむかって踏みんた。表面に浮びあがり、自由を奪う索具から逃れようと、彼は激 しく水面を叩いていた。 だしたように思えても、薄い靴底を通して感しられるのは凍てつい た土の冷たさだけたった。 ロイドが絵画の腐食を見たのはこれがはじめてではない。 そして、夜が訪れると過去の時間は不可視となり、トマスは幻影し、凍結後こんなに速く起ったのははじめてのことたった。そうし

2. SFマガジン 1978年12月号

た腐食はこれまで偶然の出来事のように思ってきたのだが、いまビ沈むのを眼にした。それからふり向くと、草地への散歩をつづけ ームが発射された距離ーー。・飛行士は少なくとも五〇ャ 1 ドは離れてた。そのうち、河のこちら側に凍結者たちがさらに増え、彼の後ろ いたーーを考えれば、絵画が持続できる時間はたぶん物体と凍結者を歩きながらついてくるのに気がついた。 の距離によって決まるのだろうと思われた ( 彼みずからが絵画から河の曲がり目ーーそこで、彼はまずサラを眼にすることができた 逃げたしたではないか。ビームが発射されたときサラの方が凍結者 につくと、爆撃機が草地に激突しているのが見えた。その衝撃 に近かったのだろう ) 。 が爆発をひき起こし、草に火がついてまだ燃えている残骸とともに 河の中央ではドイツ兵がパラシュートから離れることに成功し煙をあげており、彼の視界を曇らせていた。 て、ゆっくりと対岸に向って泳いでいった。彼の降下は当局の眼に とまっていたに違いない。 というのは、ポート小屋の傾いた桟橋に 一九三五年一月ーーー一九四〇年八月 まだ届かないうちに、四人の警官が道路の方角から現われ彼を水か トマス・ロイドは二度とリッチモンドを去らなかった。 / 冫 彼まつつ らひきすり上げたのだ。彼は捕まるのに抵抗しようとはせず、救急ましく暮らし、時おり仕事を見つけたりしながら、とにかく目立た 車の到着を待ちつつ弱々しく地面に横たわった。 ないようにしていた。 そういえばロイドは、絵画がすばやく腐食するのをまえに一度だ 過去とは ? 一九〇三年六月一三日、彼とサラがきれいに消失し け見たことがある。一人の凍結者が交通事故を防ごうとしたときてしまった事件は、結局二人の駆けおちという結論になっているこ だ。車道に不注意に踏み出そうとした男が、足をあげたまま凍結さとを彼は発見した。著名なリッチモンド家の主である彼の父ウィリ れたのだ。ドライ / くーは急停車して、自分がひき殺しかけたと思っアム・ロイドは彼を勘当した。キャリントン大佐夫妻は彼を逮捕し た男をびつくりしながら探しまわっていたが、そのうち事故だと錯たものには報償金を出すと公表したが、一九一〇年には彼らはこの 覚したのだろうと考えて、結局車で立ち去ってしまった。絵画を見地域から移ってしまっていた。トマスはさらに、従兄弟のウ = アリ ることのできるロイドだけが、まだその男を見つづけることができングがシャーロットと結婚せす、オーストラリアへと移民したこと た。後しさりし、腕を恐怖にふりまわしながら、のしかかる車を いも知った。両親はそのうち共に死に、妹の消息をたどることはでき まごろになってもまたじっと見ているようた。三日後、ロイドがそず、屋敷は売りに出されて取りこわされていた。 の場所に戻ってみると、絵画は腐食して男はいなくなっていた。彼 ( その地方新聞のファイルをめくった日、彼はサラのそばに立って もロイドと同様にーーそして、いまではドイツ人の飛行士も同じだ悲しみにふたがれていた ) がーーー過去と現在と未来が不安のうちに混在する半世界を動きまわ未来とは ? それは普遍的であり、かっ侵略的なものだ。それ っていることだろう。 は、一度凍結され解放されたものたけが感じることのできる平面上 ロイドよ、。、 ラシュート の布が河にそって流れていき、ついにはに広がっている。そして、それは現在の存在を凍らせることのでき

3. SFマガジン 1978年12月号

いたせいもあってか、まだ街中を通る乗物はいくらかあったもの 一九四〇年八月 戦争が続いていた。たが、トマス・ジ = イムズ・ロイドにとつの、歩行者の大半は商店やオフィスのまに合わせの避難所へと逃れ 6 て、それは大した問題ではなかった。戦争は不都合なものだ。それていたのだ。 ロイドはそれらを後にして、再び過去の中を歩いて行った。 は自由を制限する。しかし、概していえば、彼の心を占めるさまざ まな気懸りのうちではいちばん取るにたらぬものだ。不運にも彼は彼はがっしりとした背の高い男で、年をとっているわりには若く この荒々しい時代へと舞い込んだわけだが、べつにそうした激動期見える。他人からは二十五歳くらい見られることも何度かあった が、おとなしく無ロな男であるロイドはそうした誤りをあえて直し を望んでいたわけではない。彼はそうした時代からは離れており、 たりせず放っておいた。暗い眼鏡のかげの眼は、また青年らしい希 時代の陰になっていた。 彼はいまテームズ河にかかるリッチモンドの橋の上にいた。手を望の輝きを宿してはいるが、眼尻の小さなしわや、全体的に肌の色 欄干にかけ、河にそって南方をみつめる。陽光が水面で反射してまつやが悪いことなどは、もっと年をくっていることを示していた。 だが、こうしたことも真実への手がかりを与えてくれるというわけ ぶしく、彼は。ホケットの金属ケ 1 スからサングラスをとり出してか ではない。 一年に生まれ、いまでは六十歳 トマス・ロイドは一八八 けた。 夜だけが、あの凍りついた時の絵画からの救いとなる。暗い眼鏡近くになっていたのである。 彼はチョッキのポケットから時計をとりだした。十二時を少しば のガラスは、その救いに近かった。 かりすぎている。彼は向きを変えてアイルワース・ロードにある。ハ いっしゅん、心を煩わされずにこの橋の上に最後に立ってから、 そう時間が経過していないように思われたが、少し計算すればそう・フの方へと歩いたが、その時河のそばの径に男がひとりで立ってい ではないことがわかった。あの日の記憶は鮮明だった。凍りついたるのを見つけた。過去と未来から侵入してくる夾雑物を少しはとり 時の瞬間そのものであり、いささかも減してはいない。従兄弟とこ除いてくれるサングラスをつけていても、ロイドにはそれが凍結者 こで、市街の方からきた四人の若い男たちがパントを扱いながら上と秘かに呼んでいる存在であることがわかった。若い男で、どちら かといえば太っており、はやばやと頭は禿げかけている。彼はロイ 流へと進んでいくのを眺めていたことを思いだす。 トを見つめていたらしい。というのは、ロイドが見おろしたいと ソチモンドそのものはあの時から変りはしたが、この河辺の眺 望は彼の覚えているものとほとんど同じたった。河岸にそってビルき、その若い男はわざとらしく眼をそらしたからである。ロイドは ッチモンド・ヒルの下の河辺の草地はそのままいまでは凍結者たちを全然恐れてはいなかったけれども、いつもあ が建ち並んだが、リ たりをうろついている彼らの存在は心を焦だたせずにはおれないも ・こし、トウ ッカナムへと向う河の曲り目あたりで遊歩道がなくな のだった。 るところもいっしょたっこ。 しばらくの間、市街は静かだった。数分前に空襲警報がなりひび遠く・ ( ーンズの方角で、またべつの空襲サイレンが物憂げに警告

4. SFマガジン 1978年12月号

を横切りつつ滑り降りてきて、いまやほんの五十フィ さに迫っていた。ロイドには、ドイツ人の飛行士がパラシュ ひもを引きながら、なんとか河岸へと方向を定めようとしているの 一九四〇年八月 最後の接地の瞬間まで爆撃機はほとんど音を立てすに落ちてきがよくわか 0 た。空気が白い幕から洩れ、彼は急速に降下した。 水際の若い凍結者は装置を水平に構え、器具にとりつけられてい エンジンは両方とも停止していたが、炎を吹いているのは片側 だけである。炎と煙は機体からもあふれ出し、空に真っ黒な尾をひる反射鏡の助けをかりて狙いをつけた。一瞬ののち、水中に墜落す るのを逃れようとするドイツ人の努力は、彼の思いもよらないよう 、た。機は河の曲り目のところで地面に激突し、大爆発が起った。 ト上空。着水の衝撃に膝 ラシュート の下でな方法でもって報われた。水面の十フィ その間、機体からとびだしたドイツ兵たちは、。 ( をまげて身構え、片腕をふりまわしながら、凍結された降下中のド 揺れながらリッチモンド・ヒルを横ぎって降ドしてきた。 ロイドは両手で目庇しをして、彼らが着地するたろう地点を見ィッ兵。 凍結者は装置をおろした。ロイドは空中に懸っているこの不運な た。一人はとびだすのが遅れてその分機体に長く運ばれ、こちらに 飛行士を見つめていた。 大分近い。ゆっくりと河に向って落ちてくる。 、。、ラシュートカ目 民間防空当局が明らかに待機していたと見え 一九三五年一月 に入るかなり前から警察のサイレンと出火警鐘の音が聞こえてい 夏の日盛りから冬の夜への変化は、トマス・ロイドが意識を回復 ロイドは、ちょっと離れたところで動くものがあったのでふり返したときに発見した変化の中でもいちばん軽いものであった。彼に った。彼についてきた凍結者が二人、別の二人と合流したのだ。そとって数秒でしかなかった間に、安定と平和と繁栄の世界から動的 のうちの一人は彼が。 ( ブで見た女たった。いちばん年下と思われるで荒々しい時勢に支配される世界へと運ばれていたのだから。ま た、その短い時の間に、彼は確かであった未来の生活の保証を失 凍結者がすでに装置をかまえ、河に向って照準を定めていたが、 、貧困者となりはてていた。そしてとりわけ傷ついたことは、サ 他の三人はその男に何事か告げていた。 ( 彼らの唇の動きや顔の表 ラに対するあふれんばかりの愛の想いがもはや達成されることもな 情は読みとれたが、いつものように言葉を聞くところまではいかな くなったことである。 かった ) 。若い男は連中の一人が制止する手を振りきって河岸を水 夜たけがそうした絵画からの救いであり、サラはじっと凍りつい 際まで歩いていった。 チモンド・。 ークの隅近くに降りてきた時間のなかにとどまっていた。 ドイツ兵の片方は、リッ 明け方少しまえに彼は意識をとり戻し、何が起ったかを理解する て、ヒルの頂上付近に建っている家の向うに落ちたらしく視界から チモンドの市街へとゆっくり歩いていった。まも 消えた。もう一人は突然のあおり風にもう少しの間漂ってから、河こともなく、リッ

5. SFマガジン 1978年12月号

いる人々はほんのわすかだと思えたからである。河岸を歩いていく ほ・ほ立方体に近い形状だ。前面にはふつうのカメラならファインダ 1 とレンズがある位置に、長方形で白いーー見たところ不透明もしさい、一人でないのは嫌なことだった。 ガラスの一片があって、ここから凍結ビームが発ビールの残りを飲み干すと、彼は立ち上りドアの方へと歩いてい くは半透明の 射されるのだった。 ロイドはまたサングラスをかけていたが、その女性を眺めたのは その時はじめて、ドアのそばに新しい絵画があるのに気がつい ほんの少しの間たけたった。冖 彼女は彼の方を見ていなかったようすた。彼はべつに絵画をさがし求めているというわけではない。むし で、数秒後には壁際へと後退し、それを抜けて視界からは消えてしろその存在は彼の心をかき乱すのである。にもかかわらす、新しい まった。 ものはつねに興味をひいた。 給仕女が自分の方を見つめているのに気づいた。視線があうと女 二人の男と一人の女がテー・フルについているようたった。彼らの し言りかけてきた。 画像がはっきりとしないのでロイドはサングラスをとった。と、そ 「やつら今度は来ると思う ? 」 の突然の輝きは驚くべきもので、クロスワードを見つめながら、ま たテー・フルの向う端にいる男の影を薄くしてしまうほどだった。 「いろいろ予想して悩まないようにしているんだ」ロイドは会話に ひきずり込まれないよう願いながら言った。早く飲み終えて自分の凍りついた男のうち一人は他の二人より若く、すこし離れたとこ 目ざすところへ行きたい一心で、ビ 1 ルをつづけてあおる。 ろに坐っている。紙巻きをふかし、その吸いさしはテー・フルの端に 「このサイレンのせいで商売はあがったりよ」給仕女は続けた。置かれ、あと数ミリで火が木の表面を焦がしそうになっていた。年 「一つ終ったらまたつぎ。一日中よ。夕方のときだってあるわ。そ かさの男と女は一緒で、女の手は男に握られていた。男よ」りこ、 れもいつもにせ警報だものー んで、彼女の手首に接吻していた。唇は腕に触れ、眼は閉じられて 「うん」ロイドは言った。 いる。女は見たところもう四〇台もかなり上の方たが、またスラリ として魅力がありこうした仕草を楽しんでいるようたった。微笑 彼女はなおも少しのあいた不平を鳴らしていたが、やがて誰かが 他のカウンターから呼んたので、そちらへ給仕しに行った。ロイド んではいるが、決してその男を見てはいない。その眼はテー・フルを はひどく救われた気持だった。彼はこの人々と話したくなかったの横切って若い男の方に注がれている。男の方はビア・グラスを口も である。あまりにも長い間、孤独をかこっており、現代風の会話のとにまで運びながら、興味深げにこの接吻を眺めていた。テーゾル 要領を学んでいないのだ。よく誤解されることがあったが、それは の男の前には、手もつけていないビールの杯、女の前にはポートワ インが置いてあった。彼らはポテトチッ。フを食べていたのだろう、 話し方が彼の時代の少し堅苦しいやり方で行なわれるせいだった。 くしやくしやに丸めたその紙袋と青い塩づつみが灰皿に捨ててあっ 7 彼は遅くなったことを侮みはしめていた。いまなら、草地へ行く た。若い男のタ・ハコの煙は火色に渦巻きながら空中で止っており、 には良い頃合いだったのに。というのは、空襲警報下ならあたりに

6. SFマガジン 1978年12月号

うしながら二人とも眼は交さす、径のじゃりばかりをみ一一めてい トの上、数インチのとこ 灰のかけらは地面へと落ちつつ、カーベッ る。サラはパラソルを指でぐるぐると回したため、飾りふさが揺れ 6 ろに止まっていた。 てもつれた。もう二人は河辺の草地に来ていた。ほとんど彼らたけ 「何か用かい、あんた ? 」それはクロスワードの男たった。 ロイドは見苦しいほどあわててサングラスをかけ直した。この数といってもよい。もっとも、約二百ャード後方にはウ = アリングと シャーロット・ かついてきてはいるが 秒間、彼はこの男をみつめているように見えたに違いない 「申しわけない」こうした困惑が起った場合いつも頼っている弁解「・ほくたちは、お互いをあまりよく知ってはいないね、サラ ? 」 「どんな点から判断してそうおっしやるの ? 」彼女は答える前に少 が口をついて出た。「ちょっと会ったことがあるんしゃないかと思 し間をおいた。 「つまり : : たとえば、・ほくたちがこれまでちょっとでも親しく近 男は近眼のようにじろじろとロイドを眺めわたした。「これまで づけたのはこれが初めてたろう ? 」 あんたには会ったことはないな」 「それも企んで」サラは言った。 ロイドは気もそそろなふりをしてうなすき、ドアの方へと進んで いった。そこでまた、三人の凍りついた犠牲者たちをチラリと見「どういう意味だい ? 」 た。ビア・グラスを持ち、冷ややかにみつめている若い男、接吻す「あなたがウ = アリングさんと目くばせしているのを見たわ」 るためにかがみ込み、上半身がほとんど水平になっている男、若い トマスは顔が少しばかり赤らむのを感じたが、午後の陽ざしの輝 男を眺めながら、自分が注意を払われているのを楽しんでいる微笑きと暖かみのなかではこの赤面も気づかれないのではないかと期待 む女。静止しているタバコの煙。 した。河ではエイトが旋回し、またもや彼らを通り越していった。 ロイドはドアをあけ、日の光の中へと進み出た。 少しばかりして、サラが言った。 「トマス、あなたの質問を避け る気はないわ。いま、お互いをよく知っているかどうか考えてい るの」 一九〇三年六月 「母さんはぼくをきみの姉さんと結婚させたがっている」トマスは 「それで、きみはどう考える ? 」 言った。 「あまりよく知りあってはいないでしようね」 「知ってるわ。でも、シャーロットはそうしてほしくないみたい」 「また、きみと会えればなあ。今度は変な企みなどなしで」 「・ほくもなんだ。この事で、きみはどう思っているか尋ねてもいい 「シャーロットとわたしがママに話してみるわ。あなたのことは二 かい ? 」 人でもう何度も話しあったの、トマス。ママとはまだだけれど。姉 「わたしも同じ考えよ、トマス」 さんの気もちを傷つける心配はないのよ。あの人はあなたが好きた 彼らは互いに約三フィート離れて、ゆっくりと歩いていった。そけれど、まだ結婚する気にはなっていないから」

7. SFマガジン 1978年12月号

空襲警報解除令は鳴らなかったものの、市街は生き返りつつある 一九〇三年六月・ーー一九三五年一月 ようだった。リッチモンド橋では車が交差していたし、アイルワー 二人の若い恋人たちが囚われた夏の日は、永遠にのびる一瞬とな スの方へ少し道を下っていくと、食料雑貨店の前には例ができておった。 、配達車が縁石にそって止っていたりした。ようやく日課の散歩 トマス・ジェイムズ・ロイド。左手に麦わら帽を高くかかげ、も にたいまとなっては、ロイドも絵画にそれほど神経質ではなくな う一方の手をさしのべている。右膝はひざますきでもするかのよう り、ようやくサングラスもはずしてケースに戻した。 に軽くまげられ、その顔には幸福と期待感が満面に拡がっていた。 橋の中央では、四輪馬車が転覆していた。 , 御者は緑色の上着を着そよ風がかき乱したのだろうか、髪が三カ所ほど逆立っていた。も て、黒いつやのあるシルクハッ トをかぶったやせた中年の男たが、 っとも、これは彼がさっき帽子を脱いだせいなのだ。小さな羽虫が 左手を高く持ち上げていた。その手には鞭が握られており、その先えりの折返しに止まっていた。飛び立とうとした瞬間に凍りついた はくねくねと優美な曲線を橋の上に描いている。右手の方はすでにのだろう。その逃走本能でもってしても遅かったのだ。 手綱をはなし前方の固い地面へと、落下する衝撃を少しでも弱めよ サラ・キャリントン。少し離れたところに立っている。陽光が顔 うと必死につき出されていた。後部の無蓋の客席には、黒いビロー に降りそそぎ、ポンネットから下った赤褐色の巻き毛を照らしてい トの上着を着てべールを被り、化粧の濃い年配の婦人が乗ってい る。トマスの方へと踏みたした足が、スカートの裾から見え、ボタ た。彼女は車軸が折れたため座席から横向きに投げ出され、驚きのン付きのプーツを露わにしていた。右手はビンクのパラソルを肩か あまり両手をさしあげている。馬具をつけた二頭の馬のうち一頭はら離して高くもたげ、まるで喜びのあまりいまにもそれを打ちふり 明らかにこの事故に気づいておらず、片足をあげたまま凍りついてそうた。ニ ッコリとしている。そして優しい茶色の眼は、眼前の青 いた。が、もう一頭は、頭を後ろへとそり返し、前足を両方とも高年に愛情をもってじっと注がれていた。 く持ち上げている。鼻孔は大きく拡がり、目かくし皮の後ろでは白彼らの手はともにお互いに向 0 て伸ばされていた。サラの左手 眼をむいていた。 は、ロイドの右手から一インチほどのところにあり、その指はすで ロイドが道路を渡ったとき、中央郵便局の赤い車がその絵画をつ に彼の指をつかもうとして曲がりかけていた。 き抜けていったが、運転手はその存在に何ら気づいていないようだ さしのべられたトマスの指には、さきほどまで気懸りな緊張のあ まり拳を強く握りしめたせいで白い部分がまたらに浮きでていた。 凍結者が二人、河辺の遊歩道へと降りる狭い傾斜路の人口で待っ 全体の光景、数時間前のにわか雨によって湿った丈の高い草。径 ており、ロイドがず 0 と向うの草地へと通じる径へと方向を変えるにある色あせた茶色のじゃり。草地に咲く野生の花。二人から四フ と、彼らも少し離れて後ろからついてきた。 ィートと離れない地点で日光浴をしている蛇。二人の服。肌の色 : : ・すべては超自然的な輝きに浸されあるいは晒された色合いに描か

8. SFマガジン 1978年12月号

れていた。 感の稀薄なものであり、光の中を影のように動きながら理解不能な 装置でもって瞬間々々を盗みとって行く。凍りつき、切り離され、 一九四〇年八月 非実体化したそれらの絵画は、永遠の沈黙の中で未来の世代に見ら れることたけを待っているのた。 上空では飛行機の音がしていた。 そしてすべてを取り囲んでいるのは、戦争にとり憑かれたこの 彼の時代ではまだ未知のものではあったが、トマス・ロイドはも うこの飛行機という代物には慣れてしまっていた。戦前には民間機騒しい現在であった。 トマス・ロイドは過去にも現在にも属さず、自らを両方の産物、 があったことは知っていたが、まだ見たことはなく、眼にしたもの は軍用機だけたった。そしてその時代の人々と同じく、上空に黒い未来の犠牲者と考えていた。 姿を見ることや、敵の爆撃機の妙な ' フンブンいう音や響きを聞くこ やがて、市街地の上空からエンジンの唸りと爆発音が聞えてき とはもうおなじみだった。毎日イギリスの南東部では空中戦が行な た。ロイドの意識に現在が侵入してくる。イギリス空軍の戦闘機が われていたのだ。時には、爆撃機が戦闘機をかわすこともあるし、南方へと傾きながら飛びさり、ドイツの爆撃機が炎を上げながら墜 そうでないときもある。 ちていった。数秒後には二人の男が機から脱出し、パラシュート ; 彼は空をちらっと見た。パ・フにいる間に、さい・せん見た飛行機雲開いた。 は消えてしまっていた。ずっと北方にもっと新しく白いパターンが かわりに現われている。 一九三五年一月 ロイドは河の ミドルセックス側を歩いていった。まっすぐ向う岸夢から目醒めるときのように、トマスは召還と認識の一瞬を味わ ったが、すぐにそれは消えた。 を眺めてみると、市街が彼の時代からどれだけ発展してきたかがよ くわかった。河のサリー側では、かって家々を隠していた木々がほ彼の前には手をさし出しているサラがいた。強められた色彩がギ とんどなくなってしまっており、その替りに商店やオフィスが並んラギラ輝いて眼にとび込んでくる。彼は凍りついた夏の日の静けさ でいる。こちら側にしても、河から少し離れて建ち並んでいた家々を眺めているのだ。 と、見るまにそれは溶け去った。彼はサラの名を叫んでみたが、 がずっと河岸近くにまで迫ってきていた。見渡す限り、彼の時代か らそのままで残っているのは木造のポート小屋だけであり、それも動作も返事も返ってはこない。じっと佇んだまま、彼女の周囲の明 ひどくべンキの塗装がハゲてしまっていた。 るみは急に暗さを増していった。 彼は、過去・現在・未来の焦点にいた。ポート小屋と河だけが、 トマスは前方にとびついた。が、空しく地面に倒れたとき、四肢 彼と同じくはっきりと限定されているのだ。未来の未知の時点からに圧倒的な無力感が襲ってきた。 現われる凍結者たちは、普通の人間にとってまるで夢のように存在夜だった。テームズ河のそばの草地には、雪が厚くつもってい

9. SFマガジン 1978年12月号

ていたと言ってよく、まさに着古されているという感したったのる。監視員は舗道をびつこをひきながら三人へと近づいていき、届 いたかと思うと別に彼らに気づいた風もなく、たちまちその中を通 「空襲があると思いますか ? 」ロイドは言った。 り抜けてしまった。 「何とも言えませんね。ドイツ野郎はいまのところ港を爆撃してま ロイドはサングラスをはすした。三人の画像はあいまいとなり、 すが、もういつだって市街を焼きはじめかねませんから」 輪郭がに まやけていった。 二人は南東の空を見上げた。紺青の空高く白い飛行機雲がいくっ か渦巻いていたが、誰もが恐れているドイツ爆撃機の気配は他にな 一九〇三年六月 かった。 ウェアリングの将来の見込みはトマスのそれと比較してみた場合 「大丈夫です」ロイドは告げた。「ちょっと歩いてくるたけです。 そう目立つほどのものではなかったが、それでも世間一般の基準か もし空襲がはじまったら街並みからは離れてますよ」 らみればかなりのものであった。従って、キャリントン夫人 ( ロイ 「それならいいでしよう。もし誰かに外で会「たら、警報下にあるド家の財産の分配については、内輪の者を除いては誰よりも詳し ことを知らせてやって下さい」 い ) は、ウェアリングをも丁重に迎えた。 「そうします」 二人の青年は冷たいレモン・ティーを出されてから、花壇の縁ど 監視員は彼にうなすいてみせ、市街へとゆっくりと歩いていっ りについて二、三の意見を求められた。トマスはそれまでにこうし た。ロイドはサングラスをしばらく持ち上げて彼を見つめていた。 たキャリントン夫人流のちょっとしたお喋りに慣れていたので、簡 彼らの立「ていた地点から数ャード離れたところに凍結者の絵画単な返事で要領よく切り上げたが、ウ = アリングの方は相手を喜ば が一つあ「た。二人の男と一人の女。最初この絵画に気づいたとせようと立ちい「た返答をしてしま 0 た。その結果、娘たちが現わ き、ト「スは注意深くこの人々を調べてみた。そして、彼らの服装れたさいも、彼はまだ植え替えや植え付けについて物知り顔にしゃ から、この三人が凍結されたのは一九世紀中頃のいっかだろうと判べ「ている始末た 0 た。姉妹はフランス窓から現われ、芝生を横切 断した。絵画はこれまで見つけたうちでもいちばん古い。それはと って彼らに近づいてきた。 りもなおさす特別な関心を抱かせた。彼はそれまでに、絵画が腐食 一緒に並ぶと二人が姉妹なのは明瞭たった。とはいうものの、 する瞬間は前も「て判断できないということを知 0 ていた。幾つか「スのくい入るような眼差しには一方の美が他をたやすく圧倒して の絵画は何年ももっし、また別のものは一、二日しか持たない。少輝いているように思えた。シャーロットの表情の方がよりまじめ なくともこれが九十年間存在してきたという事実は、腐食というもで、そのふるまいもよりそっがない。サラの方が外見はつつまし のが実に気まぐれなことを指し示していた。 気が弱いように見えたものの ( トマスはそれがほんの見せかけ 5 三人の凍りついた人々は、監視員のすぐ前を歩行中に止まってい にすぎないことを知っていた ) 、 この青年たちを見て彼女が浮べた

10. SFマガジン 1978年12月号

真アル・ハムを盗み見すると、彼女はまたびつくりするほど美しくも た。ポート小屋の後ろの径を歩いている婦人たちは。 ( ラソルをたた あった。この面については、彼はサラに初めて会ったさい自分の眼んでショ 1 ルを肩に巻きつけていた。 ではっきりと確かめた。かくして、すぐさま彼は恋におちたのであ ようやくウェアリングが現われ、二人の従兄弟は互いに親しけに る。そのとき以来、トマスは自分の気持を何とか他に転化しようと挨拶をかわしたーー最近にはないような親しさといえたかもしれな したのたが、全然うまくいかなかった。すでに二度ばかり、彼女と そして、渡し船を使うか、遠まわりをして橋を渡るか議論し は二人きりで話をしている・ーー・これはシャーロットといつもいるよた。結局、ありあまるほど時間があるのだからということで、後者 うにトマスを熱心に駆りたてるキャリントン夫人の意気込みを考が選ばれた。 えれば、決して小さな業績ではなかった。一度は、キャリントン家 トマスはいま一度ウェアリングに散策の途中になすべき事を注意 の客間で数分間サラと二人でとり残されたとき。そして二度目は家し、ウ = アリングの方は理解している事を確認した。別にこの取決 族ビク = ックのさいで、そのとき彼は巧みに彼女と言葉をいくつかめが従兄弟に儀牲をしいるというわけではない。なぜなら、ウ = ア 交わすことに成功した。この簡単な挨拶ていどの事によっても、ト リングはサラと同様シャーロットにも好意を寄せていたし、この年 マスはサラ以外に妻はないと思いこむようになった。 上の娘に疑いもなく美点を見出すたろうと思えたからだ。 たから、この日曜日トマスの心は非常に浮き立っていた。なぜな しばらくしてミドルセックス側へとリッチモンド橋を渡るとき、 ら、ちょっとした愉快な企みによって、彼は少なくとも一時間サラ トマスは立ちどまり、手を石の欄干にとおいた。四人の若い男が、 と二人きりになれることが確実たったからである。 流れに逆らって岸へと。 ( ントを操ろうと必死に努力している。河岸 この企みの手先はウェアリング・ロイドという男だった。 , 彼の従では、二人の年上の男が互いに矛盾する指示を大声でどなっていた。 兄弟であるウェアリングは、トマスにとっていつも不当なくらい扱 いやすい相手たった。そして、一度シャ 1 ロットがこの従兄弟を評 一九四〇年八月 する言葉を聞いたとき ( じっさい二人はお似合いではないかとトマ 「避難した方がいいですよ、万一に備えて」 スは思っていたのたが ) 、 トマスはいっか昼下りに彼と一緒に河辺 トマス・ロイドは脇からの声に驚いてふり返った。それは地味な を散策しませんかと持ちかけたのだった。うまく秘密を託されたウ 制服に身を包んだ年配の防空監視員たった。肩に、そしてまた金属 ェアリングが、シャーロットと歩きながら遅れてゆき、その間にト ヘルメットに刷り込んだ <t ・・の文字が見える。ていねいな声 マスとサラは先へどんどん行けばよいのた。 とは裏腹に、彼はロイドをうさんくさげにみつめた。ロイドがリッ トマスは会合の数分前には現われて、従兄弟が現われるまでのチモンドで働いてきた。 ( ートタイムの職では、辛うじて食と衣を満 いい気分であちこちと歩き回っていた。木々は水際の方に向っ たすたけのものしか得られす、たまにある余剰分は飲み代に消える て生えているものたから、河のそばにいるとまだちょっと涼しすぎのが常たった。だからこの五年間、彼は実質的に同じ服を着つづけ 4 6