ンテーション ( 映画演劇部門 ) をノミネートし、そし て投票する。各部門の第一席がネビュラ賞をうけ、こ れが折紙つき世界最高のとして喧伝されることに なる。 ( 本当をいえば、ネビ「一ラ賞には、アメリカ合 衆国最高と主張する権利しかない ) ネビュラ賞の論理とはこうた。なにが最高の か、作家以上にそれを判定する資格のあるものが いるだろうか ? 理屈から言えば、こいつは奇跡的な 効果を発揮するはすだ。 ところが、実際はネビュラ賞はうまく作用していな い、と、この賞の批判者たちは主張している。どうし てたろう ? 選考手続きに、ひとつ大きな問題がある。賞の年度 ( 前年の十二月一日から、翌年の十一月三十日まで ) 中に、の正会員と準会員は、とほうもなく膨 大な選考対象作品のリストを選定する。このリストに 含まれる作品数は、数百に達する。すべての作品に対 して公平な投票をしようと思えば、会員はそのひとっ びとつに眼を通さなくてはならないはずた。アメリカ 合衆国本土に住む会員にとっては、これはほとんど不 可能に近いほど困難な作業であり、海外の会員にとっ ては、文字どおり不可能だ。つまり、海外では、本が ぜんぶそろわない。 「ノミネートされた全作品を読んでいないとしたら、 いったいきみは、きみの投票しようとする作品がベス トたと、どうしてわかるのだろう ? 」クリストファー ・。フリーストは、友人の < 会員たちにあてた手 紙のなかで、こうたずねている。「わかるわけがない んだ。そこで、そのペテンは永久保存されることにな ネビュラ賞のトロフィー
立レヒ三ウ らは、本気で取り組んだということだかなしか、と私はかねがね考えていた」 ものた。もう少し気を配ってくれれば、 、わ、こ 0 このアル。ハムのライナー・ノートで小要するにそれだけのことなのだ。せつか けれども、レコード の出来栄えという松左京はそう書いている。ぼくもまた、 くの新たな可能性の芽は、つまらないこ ことになると、必ずしも絶讃というわけその意見にはほぼ全面的に賛成する。現とで摘み取られないように。 ( 『小松左 そらゆ ではない。実をいうと、このアをハムの実に、最近の小松左京の活動は、〈文京宇宙に逝く』 / ー 1042 / 原作にあたる小松左京のスクリ。フトを事章〉を離れて範囲を拡大しているし、 Y2500 / ビクター音楽産業 ) 前に見せてもらったとき、・ほくは少々、 松左京のこのライナーの意味すること 不安に思ったのた。五つも六つも、 は、よくわかる。けれども、アを ( ムを光瀬龍Ⅱ著 や、もしかするとそれ以上のとナレ造るという作業に加わった全員が、それ ーション、音楽が複合することになるそを完全に理解していたかどうか、もちろ 「無の障壁」 のスクリ。フトどおりの音ができたならん、それを要求すること自体が、今の日 ば、それだけで、ちょっとしたものにな本では難しいことかもしれないが。 川又千秋 るわけたが、 はたして実際の作業で、ど たとえば、このアル・ハムで使用されて こまで原作のイメージに近付けるか、そいる音楽。当り前のドラマなら、まあ問 こには問題があるように思ったのだ。 題はないだろうが、この作品の内容やテ新作をたたたた待ちこがれ、一冊読み もしも・ほくが担当者ならば、悲鳴をあーマからすると、あまりにも軽すぎるだ終る間もなくもう次の一冊を欲しがって る : : : 読者をそんな気持ちに駆りたて げたくなる。・ほくの経験から言えば、すろう。それにまるでお子様向きの宇宙船い べての素材が揃った段階から作業をはじのコンビューターの声の処理。基本的にる作家がいる一方、数冊 ( あるいは数 めて、それたけの素材をステレオで録音は、全体にそれなりのものとなっている篇 ) の作品の中へ読者を完全にのめりこ するとなると、一分あたり七、八時間はし、スタッフの苦労もわかるのだが、そませ、新作への期待すらも一時忘れさせ 最低欲しい。それでも満足すべきものにうした配慮不足の部分がちょっと耳につてそこへ閉じこめてしまう、そんな作家 なるかどうかは疑問だ。ビクターのスタきすぎる。そして・ほくは、それを無くすが、またいるのた。 これはひとえに、読者側の思いこみの のは、不可能ではないと思うのた。金と ッフについては、まったく知らないが、 彼らにしても大変なものを引き受けさせ時間のかかることかもしれないが、要は問題であろうけれども、とにかく僕にと られたものだと思ったものだ。 音によるをどこまでつきつめたか、 ってある一時期の光瀬龍はそうした存在 。こっこ。 ということになるだろう。文句が多くな 「現在、が触っている世界には、 〈文章〉や〈映像〉をもってしてはどうってしまったが、このアルバムそのもの『墓碑銘二〇〇七年』『たそがれに還 しても表現しきれない部分があるようにに対しては、ぼくは好意的に評価したい る』そして『落陽一三一七年』と続いた 思う。そこを埋めるものが、〈音〉ではと思う。先駆者はケチをつけられがちな光瀬龍のデビ = ー、その世界の開示は、
こんな警句が、たしかアルゼンチンにある。賞をと こいつはどうどうめぐりだ。問題は、たったひとっ 6 ベスト ャった本というやつは、まあ読んでみて損はない : ・ : だの基本的な疑問に集約できる。〈最高のもの〉とはな ったか ? 読んでみるまでもない、だったか ? にか ? どんなふうにして、きみはそれを決定するの″ この言葉が呈している疑問は、表面的には、すぐれか ? この疑問には、満足のいく答えが見つかったた″ ~ レナ = た作品の指標として、賞が役に立つのかどうかだ。恐めしがない。あらゆる世代が、答えを出そうと努めた 界よま一訳らく、これはあらゆるジ一 ~ の芸術に言えることだが、そのたびに答えはちが 0 ている。 ここになにか教訓があるとしたら、それはたぶん ~ co 貝こ一う。」」、も「と深」と 90 「、 = 0 種 0 警句が 〈賞を与える組織〉といっても、やはり人間である以 うものは作品の質を示す以上に、〈賛同〉を示すもの上、永遠に、不完全なものにとどまらざるを得ないと″ ラカ であり、その時点での文化や芸術の傾向を示すものだ しうことだ。 ということだ。そして、この傾向というやつは、かオ よ人間的な組織である以上、アメリカ作家協会″ ~ メュの ) らずしも不減の傑作ばかりを祝福するものではない。 ()o ) のネビュラ賞にもまた、それなりの問題 ビス ところが、多くの場合、賞を与える連中は、自分たちや失敗がっきまとっている。たいていの読者や作 の美学的偏見をくすぐってくる作品に、そういった祝家は、まったく疑いもせずに、この賞をの分野に ネカ 福まで与えてしまう。 おけるすぐれた作品の印と信じているが、多くの″ 要するに、 こう見てみると、賞というやつは怪しサークル内に、この賞に対して大きな反感を抱いてい る人々がいることは、よく知られている。ときには、 もう少し、二次的な局面を見てみよう。つまり、だ受賞を逸した作家が失望し、それゆえ嫉妬にかられて″ れが賞を与えるのか、どのようにして賞は与えられる反感を活字にすることもあるし、ときには哲学上の立 のかフ たしかに、傑出した作品に賞を与えようとす場から、この賞に重大な憂慮を表明する作家もある。 る努力は、それ自体ではきわめて公正に、また誠実にネビ、ラ賞なんてペテンた、とかれらは言っている。 行なわれている。しかし、受賞作を決定する責任があもっと極端なことを言うものは、あんな賞はまったく るものたちに、もし見る眼がなかったら、そのときにのでっちあげだと主張している。 は与えられた賞は、まあせいぜい無意味な記章といっ この種の主張をする作家のなかには、ネビ = ラ賞の″ たところだ。また、かれらに見る眼があったとして受賞者もいる。 も、そして、〈最高のもの〉を選・ほうと努力したとし毎年、の全会員は、前年度に発表された作 ても、それでもその努力は、かれらの採用してきた選品のなかから、最高のノヴェル、ノヴェラ、ノヴェレ″ ッ , 「、ンヨ 考方法によって曇らされるかもしれない。 ート・ストーリイ、ドラマチック・プレゼ
⑧月から見た地球 ス映画界で多数のトリック映画を作り続けて来た ・・スミス (). S. Smitn) が "Dorothy's Dream" ( ドロシーの夢 ) という作品を製作し た。なおこの作品は少女が夢の中で、「ロビンン ン・クルーソー」や「アリく ・ハと四十人の盗賊」、ち 「青い鳥」、「シンデレラ」、「赤ずきん」などの女 主人公になるというもの。 どうも資料がイギリスとフランスに偏よってい星 て、アメリカ関係が少ないような気がするのだ遊 が、一応調べられる範囲の作品は全て網らしたっ もりである。今回は一九〇三年まで、次回はこの空 の続きからスタートする予定だ。 ( つづく ) 宙 メリエスの描いた月人のスケッチ
, ・」苦々しい思いを抱いている。 ハリイ・ハリスンはここ数年、もっとも強硬にネビ 8 .. 作 4 傑 = ラ賞を批判してきた。 、 ( ラ「この事態は、でっちあげもいいところだから、とて″ ・・ビも笑って済ませるわけにいかない」 ( リスンはある手″ 、。一一ネ紙でい 0 ている。「最高の状態でも、あれは人気投票 第を「ー 0 ー であり、受賞する作家は最大の名前か、最大の口か、 、亠最大の〈仲間内〉をもっているやつだ。最悪の場合、 あれは売り買いされている」 ハリスンの意見では、ネビュラ制度はもう改善不可 能ど。いちばんいいのは、とかれは言っている、率直 る」 が、ネビラ賞の最終投票に使っている無に非を認めて、あんなものはやめてしまうことた。そ″ 記名投票用紙に、ある作品のタイトルが載るかどうかれとも、これもかれの提案たが、活字や大会で、すで″ は、その作品が年度中に、 くっ推薦を受けられるかに大勢の作家が公然と述べていることを認めるこ″ にかかっている。推薦状が二十枚も集まってしまう作とた。つまり、作家にとっても、受賞作家をかかえる″ 品もある。しかし、たいていは五、 . 六枚がふつうだ。出版社にとっても、あの賞はたたたた本を売り、たく つまり、それだけあれば最終投票用紙にタイトルが載さん金を稼ぐための〈売り買いされるワイロ事業〉 ってしまう。そこで、これまでにもネビュラ賞を切望だ、と。 する作家たちのなかには、〈組織〉のなかの友人にせ「ネビラの下劣さについては、わたしは ( リイと完 つついて、決戦に残れるだけの推薦状を書かせてしま全に同意だ」とプライアン・オールディスはいってい うものがあ「た。この種の選挙運動はたいてい渋い顔る。「われわれはみな、もうさんざん、腕一杯にあの″ をされるものだが、事実、もみ消しは不可能であり、賞をかかえ、ニャリと気どって笑っているやつらの写 ことに、ときとして大きな票田をコントロールし、そ真を見てきた。まさかきみは、海外にいて、ニューヨ″ れによって、受賞に価する作品が皆無であるような部ークにもロサンゼルスにもおらす、友人たちにせつつ″ 門で、賞の行方を左右する可能性のある派閥に、多く いたり談判したりもできないようなわれわれの一人 の作家が加わるようなことにでもなったら、事態は歴が、ネビュラをとる資格があるとは思うまい ? 」 然としてくるだろう。当然のことながら、こうしてネ ネビ = ラ賞が、これを獲得した作家にとって、価値″ ビュラ賞制度全体がペテンに引っかかるかもしれないある経済的推進力であることは否定できない。ある大 と気づいて、多くの作家たちが、すでに全体の動きに会で、ジョージ・・・マーティンがファンに語っ″
は、・・ウエルズらに代表される思想れるが、それとはまた違った趣向の。 ( ロデ 面で若干の転回期間があったにせよ、オー 、文体模写等もこなせる力量のある作家 ルディス、ムアコック、ブラナーらのそれ 小説の流れと、アメリカからのいわゆるジ こそ超人的とも一一一口える活躍、またすでに中ャンル・サイエンス・フィクションの流れである。最近、、、 ( ラード、オールディスら 堅作家として名の高いキース・ロく ・ウェープを契機として止揚さ代表的イギリス作家ばかりを集めたオリジ ナル・アンソロジイ「予期」を編集した。 ポプ・ショウ、 Q ・ C ・コンプトンらの堅れ、その成果がいままさに実ったといえる 本篇はオリジナル・アンソロジイ「アンド 実な出版ぶり、そしてこれは伝統でもあるのではないだろうか。 キングズリー ェイミス、コリン・ウイル ロメダ 1 」 ( 一九七六 ) より。 ボ・フ・ショウ ( 一九三一 ~ ) は、アイル 各作品の紹介にうつる。キース・ロ。、 スンなど外部の作家たちの積極的な参入ー ランド生まれの作家。古くからアイル ッ ( 一九三五 ~ ) は作家・イラストレータ ーこれらを考えて見れば、見た目の派手さ ランドのファンダムでは著名。同時期に活 ・編集者とオールラウンドにこなす人。 こそないが、作品的には一九六〇年代後半 ・ワールズ」誌の躍したジェイムズ・ホワイトなどは早い時 に比べて何ら劣るべきものはない。評論関一九六六年には「ニュー 彼の場合、実質 ニ期にプロ作家となったが、 ,. ・ウェーヴとともに洛姉妹誌「イン。ハルス」の編集も行ない、 にしても、ニュ ・ウェーヴ運動には少なからぬ影響を的なデビューは遅く六〇年代の後半からで 陽の紙価を貴からしめたファンジン「スペ 与えている。いかにも小説らしい小説を書ある。本領はいかにもストレートなその キュレーション」に代って、。フリースト、 く作家としてデビ、ー以来注目され、一九的設定と繊細な感情を操る本篇のような ワトスンら若手作家が存分にその才を発揮 ーヌによって一流作家とし堅実な作品にあるが、他方アイルランド人 する「ファウンデーション、が発行され、 いまではこの種の評論誌のなかでは最て認められた。これは世紀、エリザベス特有のひとひねりしたユーモア感覚溢れた ものも捨てがたい。本篇はオリジナル・ア も ~ 局い評イ 曲をうけている。こうした動きを 1 世が暗殺されることにより歴史の流れが オクーネート・ワ ンソロジイ「ユニヴァース 2 」 ( 一九七一 D 要約して眺めるなら、現在のイギリス切換った「異なる世界」を六つの中篇に より。 まとめ上げた、このジャンル屈指の名作。 ブライアン・・オールディス ( 一九二 本篇はその第二番目にあたるが、もともと は「インパルス」誌六六年三月号に独立し五 ~ ) については言うまでもないたろう。 小説・評論・編集などその多彩な活躍ぶり ′をウて発表されたもの。 クリストファ は、最近ますます過熱しており、小説だけ ・。フリースト ( 一九四二 シ でもここ一一年間に続けて四作を出すという ~ ) は、最近第四作「スペース・マシン」 が訳されたので、ごそんしの方も多いと思状態である。現在のイギリスの活況を うが、現在イギリス界をリードする若体現しているのは、ひょっとしたら彼なの 手の中心的存在である。処女作以来彼のテ かもしれない。本篇は「。 ( ンチ」誌六九年 ーマはつねに「現実とは何か ? 」に集約さ四月号より。 第 ( ュ
ン」や「宇宙戦争」などの的小道具がで、そうしたアイデアとしてのに無縁こともない他分野の作家たちが、出版社の ハウス・ネームで書きとばした駄作がどれ のイギリスの小説は顧みられることがほと 際限もなく繰返されたのを見てもわかるよ だけあったことか。かくしてイギリスで んどなかったのである。いわゆるアンチ・ うに、アメリカの界は、こうしたイギ は、アメリカが行き詰るよりも一足はや ュート。ヒアとしてのオーウエルの作品が影 リスの先駆的作品に少なからず影響されて 五七年にロンドンで世界大会が開 いる。ところがこれが一九三〇年代、一九響力をもってアメリカに登場してくる かれたのを契機に一挙にプームは衰退現象 のも、冷戦という状況下の一九五〇年代に 四〇年代と時代が進むにつれ、イギリスの 生みたした文学であると同時にすぐれた入ってからのことである。他方、イギリスを見せる。だが、こうした状況の中で、従 来のアメリカ型とは異なる指向性をも においては、こうしたウエルズ以来の、 ックスリイ「すばらしい新世界」、 っ作家たちが育ちつつあったのもまた事実 ッスクリイ、ステー。フルドンらの伝統は一 O ・・リュイス「沈黙の惑星より」、・ つの想像文学としての流れを形づくるものなのである。・・・ハラード、・フライア ・フォスター「機械がとまるとき」 ン・・オールディス、ジョン・・フラナ は、当時一つのジャンルとして大きく育ちの、作品自体はそれそれの作家の内面的な 、彼らは名編集者ジョン・カーネルの下 はじめていたアメリカ ()0 界にほとんど影世界に位置づけられており、相互に関連し に着実に力をつけ、それはやがてあの伝説 響を与えなくなる。 ( オラフ・ステー。フルあって一つのジャンルを形づくるというよ ともなった六〇年代半ばの「ニュー うなものではなかった。 ドンの一部の作品を除いて ) というのは、 ルズ」誌のカーネルからムアコックへの編 こうして、第二次大戦後イギリスの この頃のアメリカの (-•0 はパルプという大 ・ウェーヴ」の時 衆文芸の中で発達した一つの小説パターン界はその様な想像文学の伝統とは直接的な集交代、そして「ニ = ー 代へと連なっていくのである。 に、ジョン・キャンベル・ジュニアという関係を持たす、アメリカ co の直輸人とい ・ウェーヴについては詳しく語る テクノロジストが敷衍した科学的アイテア う形で拡がり急速に繁栄する。一九四六年 までもないだろう。に従来の慣習をは を雑誌用中短篇として詰めこむのに懸命には、「ニ一一ー ワールズ」誌が刊さ れ、以後のイギリスの指導的雑誌とな ス った。一九五〇年には、姉妹誌の「サイエ ンス・ファンタジイ」、続いて「オーセン こう ティック」誌や「ネビュラ」社 オ した、まさにアメリカの界が一九五〇 年代に経験したのと同じ黄金時代とも一一一〕え ン る状況が到来したのたが、イギリスの場合 ア はより急激であったためにその基盤はより ・イ ラ 一 1 一印 行本の山ーー・。その中には、など聞いた ロ心、 1 ジョージ・オーウェル
さて映画を見たメリエスは、映画の将来性を直 感、一万フランで機械をゆずってくれと申し出る が拒絶されてしまう。その理由というのが、こん な機械に一万フランもだすもんじゃない、という・ / 兄弟の父親の言葉だったというから傑作だ。 しかしこんなことではめげないメリエスはロン ドンに渡り、同じ頃に映画を完成していたロバー ト・ウィリアム・ポールから撮影機と映写機を買 ①い、さらに自分で改良して映画製作を開始する。メ 風そして偶然発見したストップ・モーションのトリ 撮ックにヒントを得て、「ウーダン劇場における一 の夫人の雲がくれ」を皮切りに、数々のトリック映 ス画を製作する。一八九六年のことである。 さて、何をして映画と呼ぶかだが、一応ス メトーリ ーのある、単なるトリック映画でないもの という定義付けをすると、映画の第一作はメ リエスが一八九八年に製作した "Le Réve d'un astronaute ou la luna a un 】 ( 宀 ) 丁宀田旅 行者の夢 ) という作品になる。べッドで眠ってい た男が、夢の中で、窓際に下がって来た繩ばしご を伝って月に行くいう他愛もない作品だが、上映 時間三分という当時としてはかなりの大作で、し かも人工着色によるカラ 1 映画だった。 次に登場するのも、やはりメリエスの作品で "Mésaventures d'un aeronaute" ( 』ス球 = 栞り・ 景の災難 ) という一九〇〇年の作品。内容はよく判 最らないが前作よりは的だとされている。 特この頃からメリエスにも竸合者が現われ始め る。その一つが後にフランスの二大映画会社の一 ノノノテカハ局の 工つに成長するパテ映画社で、シャレレ・。、 設したこの会社は一九〇一年にヴァンセンヌに撮 ~ 当番 ~ 一メ 影所を作り、フェルディナン・ゼッカ ( Ferdi- 了製を , / 冫ー・をンツら
S F スキナー 4 テイプトリー の「ヒューストン、ヒュース 誌に初めて「。ヒクニック・オン・ニアサイ トン、聞えるか ? 」 ( 本誌川月号 ) を読まれた ド」 ( 本誌爲年 1 月号 ) が掲載されてからだろ だろうか ? もし読まれたなら、テイプトリー をう。それからギャラクシイ、 & 等に続々 が女だったというニュースがどうしてこれほど ( 一と作品を発表し、いずれも圧倒的な支持で迎え 騒がれる必要があるのか、わかっていただける られた。ジョン・・キャンベル賞、ヒューゴ と思う。作品はそれ自体で評価すべきだという ー賞、ネビュラ賞と毎年何作かがノミネートさ 意見もあるけれど、このような作品に対しては れている。今年もハープ・ペイム名義でアイザ 2 作者の性別という情報を無視するわけこよ、 冫。しカ・ ック・アシモフズマガジンに載った「空襲」 ない。実際、・ほくの周辺で聞いた範囲でも、こ Ai 「 Raid がネビ = ラの短篇部門の二席に入賞 の作品に対する評価はひどく分かれてしまっ 瞽・なを - している。これはヒュ ゴー賞の方にもノミネ こ。・ほくは、女で、六十一歳のテイプトリーが ートされているが、未来から送り込まれたエー これを書いたという事実、そしてそのことを知 ジェントたちが現代のアメリカにやって来て、 りながらアメリカ人たちがこれをヒューゴー ジェット旅客機をハイジャックする話。もちろ ネビュラに選んだという事実におそれいってし んそんなふうに要約してみても何の意味もない まう。彼らは事態の深刻さに気付いているのだ 1 のだが、その完全に異人類と化した未来人の視 イつ、つ : か 2 ・ " 点から描かれていて、・ほくは読みながらテイプ が男のものだなんていったのは一体どこ ト丿ーを思い出してしまった。 のどいつだ ? ( そもそもそんなことをいった奴 『オフィユキ・ホットライン』は、彼が書き続 ェイト・ワールド が本当にいるのか ? ) すくなくとも、アメリカ けてきた〈八世界〉シリーズの一篇。『ビク に限っていえば、どうやら男の子の読み物 ニックーー』の解説にも書いたけれど、このシ オキュべーション だったというのが正解なんだろう。 ( イギリス リーズは、二〇五〇年の異星人による地球 は違う。あれは少年の読み物だったのだ。 ) 侵略から三、四世紀後の時代を中心とした未 ェイト・ワール それはともかく、今月紹介するのは、アメリ 一来史で、主要舞台となる八世界とは、水星、 カの七〇年以後の ( 男性 ) 新人作家で、今物 金星、月、火星、タイタン、オ・ヘロン、トリト ・ほくが一番注目している作家の一人、ジョン・ ン、冥王星である。邦訳された三篇のうち、 ヴァーリイ。『オフィユキ・ホットライン』 「ビクニック・ーー」と「鉢の底」 ( 本誌川月増 The Ophiuchi Hotline ( 第 ) は、彼の処女 刊号 ) の二篇がこのシリ ーズに含まれる。 長篇である。 『オフィユキーーー』が扱っているのはこの未来 ヴァーリイがを書き始めたのは七一一年ご 【、物史の最終段階、地球が奪われ、人類が太陽系の ろだというが、そのころの作品がどこに発表さ 八世界に散らばって生きるようになってから五 れたのかは知らない。とにかく一般に注目され 七〇年ほど後の時代である。 はじめたのは七四年、彼が二十六歳のとき & リロ・アレクサンダー ・カリ。フソは、五六八 ジョン・ヴラーリイの処女長篇 S C A N N E R 大野万紀 ・オ・フ・アース
一時の旅人ー ノ、ヤカワ・ノンフィクション 秒間の脱獄一、 \ アシノフ、ヒンケル、ターナし / 宇野輝雄訳 \ 一ニ〇〇 一九七一年八月、メキシコの刑務所に一台の ヘリコプターが着陸し二人の囚人が脱獄した の間間少。脱獄者の謎を追う迫真の記録ー 1 内なる私瀬尾裕訳 アメリカ新聞界の巨人 2 スタン。、フール特急北村太郎訳 こは戦場だ丸谷才一訳 ピュリツアー ・ < ・スウオンバーグ / 木下秀夫訳四〇〇〇 4 英国が私をつくった野崎孝訳 南北戦争後の混乱の中から巨大な新聞王国を 拳銃売ります加島祥造訳 築きあげ、強力なキャンペーンで世論を動か 6 フライトン・ロック丸谷才一訳 し、アメリカを動かした男の一生をえがくー ノーマン & ジーン・マッケンンし / 村松仙太郎訳 = 五〇〇現在も第一線で活躍中の作家グレ アム・グリーンの最新作、未訳作れ ズ『タイム・マシン』に代表 品、選集未収録作品を加え、装い される古血 ( 的小説、大を新たに贈る全巻の個人全集ー・は ウ衆教育をめざした『世界文 い化史大系』等の著作で知ら れる異才の日本初の伝記ー ・ (D ・ウエルズの生涯ー毎月一点配本 ( 哭判上製本 ) 。ググ