「なかなかいいそ」と、ゲルズリは言った。「あんたの期待以上のも、これは洞窟の暗闇から帰ってきた、 ( れなかった。 ものができそうだ」 谷の東の端は、針葉樹の森だった。 ハリイテールは、素直に喜んだ。「無理 「そいつは、ありがたい」 中に足を踏み入れ、しばらくうろついてみたが、ゲルズリの言っ 矢理やらせた甲斐がある」 ていた大鹿の姿は、どこにもなかった。リスなどの小動物がいくら 「本当に無理矢理だった」 ーし力にも気持ちよさそうな笑い声をひと力した そう言うとゲルズリよ、、、 森が終わって、視界が開けた。 それから口調を改めて、言い継ぐ。 しきりあげた。 「ところで、このあと品物を取り出すまでにしばらくかかるのだ左手にあらたな山裾が伸び、右手にはゆるやかな丘が広がってい ハリイデールは、迷わず丘に向かった。 が、あんたもずっとここでつき合うかい ? 」 ( リイデールは、即座にかぶりを振った。「俺は腹が近づくにつれ、丘の上に人影のようなものが整然と並んでいるの が、望見された。見上げるかたちなのでよくはわからないが、その 減った。ーーー外で食い物を捜してくる」 数はかなり多い 「肉か ? 」 ハリイデールは槍を前に構え、腰を低くし 正体が不明とあって、 「それが一番だ」 ゲルズリは道筋を教えた。「そこらあたりて慎重に進んだ。・ゲルズリは、これについて何も言っていなかっ 「谷の東へ出るがいい , た。ここまでハリイデールが来るとは思っていなかったのか、それ には大鹿がゴロゴロしている。俺たちは肉を食わんから、人間に追 いずれにしても、警戒 ともどうということのないものなのか。 われてきた群れが、その辺に住みついているのだ」 は怠らない方がいし リイデールは、くるりときびすを返した。「いろい 「わかったーハ ハリイデールは油断なく、四方に気を配っていた。立ち並ぶ影 ろ助かるぜ、ゲルズリ は、まったく動こうとしない。 しってことよ」 ハリイデールは笑いだした。低く、抑えた含み笑いで とっぜん、 黒小人は悋嗇で猜疑心の強い連中だが、その反面、機嫌が良いと ある。苦笑だった。 きは驚くほど陽気で親切になる。仕事がうまくいったときなどは、 影が、何であるかを知ったのだ。 特にそうだ。 ( リイデールは、またあの窮屈で曲りくねった穴を、全身に擦過それは、一抱えほどの大きさの石だった。五十をこえる石が、丘 。ヒの一画に等間隔で並べられているのである。考えるまでもない。墓 傷をつくりながら抜けた。外に出ると、目がひどくしょ・ほっく」 の地の淡い太陽はまだけっこう高く地平線の上にあり、長い影が落石だ。 もっと「しかし、誰の : : : 」 ちているにもかかわらず、谷の中は意外なほど明るい リイデールの錯覚かもし に 7
丘の頂上に達したハリイデールは、足下の墓石を見おろして、独は、かれが眼前に立つやいなや、そう言った。 りごちた。死してすぐ土に遠る黒小人は、墓をつくらない。墓とな ハリイデールの表情に一瞬とまどいの色が浮かしかし、それ 3 れば、それは人間たけのものであった。 はすぐに消えた。互いに心でも読むのか、黒小人の間では噂が伝わ はっきりと意識されないまま、不意に ( リイデールの筋肉が緊張るのが、驚くほど早い。文字どおり、あっという間である。この黒 小人がゲルズリと同じ部族の者だとしたら、髑髏谷を訪ねてきた美 獣のことを知っているのは、むしろ当然のことであった。 何ものかが、かれの視野の端で動いたのである。 「こんなところで美獣に会えるなどとは、思っておらなんだわ」 ハリイデールは跳びすさるように身を捻り、その姿を追った。 ハリイデールが黙っているので、黒小人は続けた。 すっ、と力が抜けた。振りかざしたグングニールの槍の穂先もだ らりと下がった。 「俺の名は、、 ′リイデールだ」 何のことはない。黒小人がひとり、黄色い下生えを踏んで、丘に美獣は名乗った。 「わしの名はビブル」 登ってきたたけのことである。背に籠を背負っているから、夏の間 に薬草でも摘んでおこうというのだろう。 ほとんどの黒小人がそうであるように、ビブルもまた、薄い革で おかしい : できた粗末な衣服を身につけた、白髪白鬚の持ち主だった。とにか 、リイ一アールよ思っこ。、 ナしったい何をビクついているのた。 く、よくよく見なければ、他の黒小人と区別がっかない。年齢によ 墓石のときといし 今度といい、必要以上に過敏になっている。こる違いも、身長差さえも、黒小人にはほとんどなかった。 れは用心というよりも、もはや怯えではないか。怯えよ、、、 。し力なる「なんそ、わしに用かな ? 」 ときでも命取りだ。正常な判断を狂わせ、身を破減へと追いこむ。 ビ・フルは説いた。 幾百幾千もの人が死ぬところをこの目で見てきた俺だ。また、それ「尋ねたいことがある」 に匹敵するだけの血を浴びてきた俺だ。墓場ごときに恐れをなすは「ほう・ : : ・」黒小人の目尻が下がった。「選ばれし者、美獣がわし ずでもあるまいに。 : おかしいー に尋ね事とはな。ーー光栄な話じゃ」 黒小人がハリイテールに気がっき、立ち止まって、かれを見た。 ハリイデールは首をめぐらせ、墓場を指差した。 ( リイデールは丘をつつきり、黒小人に近寄った。臆病な黒小人で「あの墓場はなんだ ? 誰が葬られているのだ ? 」 ある。迫ってくる自分を見て、逃げ出すかもしれない、とハリイデ 「あれか : : : 」ビブルは小さくうなずいた。「あれは、このベルク ールは思った。が、その黒小人にそんな気配はなかった。 の丘でのいくさで死んだベルス / ルンとアーラマドラの兵士、それ 「ゲルズリの客の美獣だなーー」 に遠い南の地からやってきた黒い呪術師の墓じゃよ」 地べたに坐りこんでハ イデールがくるのを待っていた黒小人「 ! 」
そして美青年は、、イ・ / リテールの肩に、その両腕をすうっと回しうと読んでいた。 てきた。 つめこめるだけつめこんで腹がくちくなる頃、ゲルズリの使いの ハリイデールは、背筋が異様にざわっくのを覚えた。 黒小人がやってきた。注文の品はまだできてないという。 男妾というものが存在することだけは、、 ノリイデールはかねてか ールは残りの肉を燻製にするため火の上に吊し、ゴロリと横になっ ら知っていた。だが、その当人に出会うのは、これが初めてのこと た。完成まで寝ることに決めたのである。 であった。吐き気が、胸の奥から激しくこみあげてきた。 「火は消さないんですか ? 」 顔だけを覗かせ、ファーナスが訊いた。気落ちしたような表情で 鹿の肉が、じゅうじゅうと音をたてて、焼きあがっていた。 ある。 かって、黒い呪術師、ナ・ハ・ダ・ルーガが棲んでいたという谷の リイデールは、希ややかに言った。「こんなときに 「当り前だ」ハ はすれの洞穴の中である。そこに石でかまどを組み、 火を消すか」 は運んできた鹿の肉をあぶっているのた。それとともに、洞穴の空 「そうでしようねえ : 気も心地よく暖まっている。 ファーナスはロをつぐんだ。何となく、気まずい沈黙になった。 「肉も食らわんのか ? ファーナス」 少し前にも、そうだった。ファーナスは、名前以外、何を尋ねても これは、、 / リイデールもそうだっ ハリイデ . ールは、洞穴の外に立って中を窺っている美青年に向か答えようとしないのである。 って、言った。ファーナスは、いやいやというふうに、物憂くかぶたから、自然、二人はおし黙っていくことになった。あとは、いっ りを振った。 までも続く、からたがムズがゆくなるような静寂である。 。ハチパチと、火の弾ける音がした。眠ろうにも男妾の美青年がじ 「おかしなやつだ」ハ リイデールは脂をしたたらせている骨つき肉 のひとつを把り、無雑作にかぶりついた。「火を嫌って中にはいろっと見つめていると思うと、とても眠れるものではない。 「あのう : : : 」 うとしないわ、何も食おうとはしないわ。まともとはとても思え ん。 もっとも、その方が俺としては助かるがな」 またファーナスが恐る恐る言った。 「なんだ ? 」 さすがの美獣も、男妾のあしらい方は心得ていなかった。ベルク の丘で一緒に連れていってくれと言われたときは、叩き殺してやろ「水を汲んできます」 うかとまで思ったのだ。結局、ハ リイデ 1 ルのからだには触れない という条件で髑髏谷についてくるのを許したが、それは、ファーナ訊き返すひまもなかった。言うなり、ファーナスの姿は消えてい スの言葉の内に、ひどく切実なものが感じられたからたった。それた。あまりにも唐突な行動である。ハリイデールは、しばし唖然と ハリイデールは、ファーナスが誰かに追われているのだろした。しかし、考えてみれば、これは助かることであった。髑髏谷
森が切れ、地平線すれすれをのろのろと這いまわる太陽のたより ーーむろん、そ恥 ハリイデールは息を呑んだ。からだが、あまりの驚きに、反応すなげな光のもと、ベルクの丘が右手に見えてきた。 るのを忘れていた。槍がビクリとも動かない。それは、傍らに立つの頂上に立ち並ぶ五十七基の墓石も。 ゲルズリも同様のようだった。 な・せか、丘の上にだけ、暗雲がたれこめていた。 ファーナスは足を動かしていなかった。 ハリイデールは黒小人に声をかけた。「ここから先は 地の上を滑るように移動しているのだ。よくはわからないが、わ危険た。お前は髑髏谷に帰った方がいいそ」 ずかに宙に浮いているのではないだろうか。 「いや : : : 」ゲルズリはかぶりを振り、硬い声で言った。「俺は帰 ハリイデー 森にはいってすぐ、ファーナスはいったん止まって、 らん。よくはわからぬが、しきりに兄のデズリが俺を呼んでいるよ ルの方を窺うように見た。 そしてまた向き直り、前進する。 うな気がするのだ」 「誘っているんだな」 ゲルズリが言った。 ハリイデールは黙した。 「どうもそうらしい 丘の頂上に至った。 ハリイデールも同じ意見だった。 墓石群の中央、ひときわ大ぎい墓石の前にファーナスは立ってい 「誘いにのる気は ? 」 ハリイデールには背中を見せている。墓石 た。墓石に顔を向け、 「充分にある」 は、黒い呪術師ナ・ハ・ダ・ルーガのものだ。 二人は、もうかなり距離の開いてしまったファーナスを、あわて ファーナスが、ゆっくりときびすを返した。天空を覆う雲がさら て追った。 に高度を下げ、地平を這い進む太陽の姿も、まったく視界から消え ファ 1 ナスは、恐ろしく早く、進んでいた。小走りに駆けなけれた。しかし、どうしたわけか、丘の上は・ほうっと明るく、ものがみ ばついていけない速度である。 なはっきりと見てとれる。 : 」短い足をせいいつばい動かしながら、ゲルズリは ファーナスは、これ以上ないほどに白く、無表情だった。 リイデールとゲルズリは歩を止め、三人は墓石群のただ中で対 言った。「ベルクの丘へ向かっている ! 」 「ベルクの丘ーー」 ハリイデールは、冷静にそれを聞いた。「やは時した。 り、そうか : : : 」 「そうかって、あんた ? 」 ファーナスが、ロを開いた。とたんにゲルズリの顔色が変わっ 、リイデールもギョッとなった。 「ごちやごちや言うな、ゲルズリ」 、リイデールはゲルズリの言葉た。ゲルズリほどではないがノ ファーナスのロをついてでた声は、ファーナスのそれではなかっ を制した。「どうせ、じきにわかる」
ときは助かる。だめなときはだめだ」 ハリイデールの手に槍が戻った。 「そんな : : : 」 今度は、、 ′リイデールが攻撃にでる番だった。 「俺は来るなと言ったんだそ」 槍を風車のように回して、包囲の真ん中に躍りこんだ。死人が白 熱する槍の切っ先に斬りつけられて、次々に蒸発していく。ナ・ハ ゲルズリはしぶしぶながら ( リイデールの足から手を放し、言わダ・ルーガ自慢の暗黒剣は、何の役にも立たない。たまにグングニ れたとおりにうずくまった。 ールの槍と噛み合っても、そのまま両断されてしまう。焼けぼっく ( リイデールは、グング = ールの槍を頭上高く振りかざした。槍いよりもまだ、もろく感じられるのだった。 は白熱し始めた。 死人の兵士は、あと数人を残すのみとなっていた。死人は退くこ 死人の包囲がじりじりとせばまった。 と、その手にすうっとを知らないから、それだけ消耗が激しい。その数人も、さほどの と、一振りの剣が出現した。柄も刃も輝きのまったくない漆黒の剣時間を必要とせず片付くはずであった。 ところが、 「よ、よせつ ! 」 「南の地の暗黒剣。きさまに受けられるかなーー」 ゲルズリの奐く声があがった。 また、ナ・ハ・ダ・ルーガが言った。つまらぬ自信を持ったもので ある。受けるも受けられないもない。しよせん、武器の格が違うの ハリイデールはその方にこうべをめぐらした。二人の死人に押さ である。 えつけられてジタ。 ( タ暴れるゲルズリの姿が目にはいった。 「ゲルズリ ふっと死人の動きが止まった。 来る ! 「動くな ! 」 ハリイデールの筋肉が緊張の極に達した。 ナ・ハ・ダ・ルーガの鋭い一喝が、凛と響いた。 右から三人、左から三人が踏みこんできた。槍が ( リイデールの「動けば、その黒小人の命はない」 手を離れる。右の三人が一息に串刺しになった。くツ、と閃光が広「堕ちるところまで堕ちたな、ナ・ ( ・ダ・ル 1 ガ」 、リイデールは がり、その三人は瞬時にして蒸発する。そして、弧を描いて槍は反皮肉をこめて罵った。「ゲルズリは、お前の親友デズリの弟だそ。 対側へと飛んだ。暗黒剣が一斉にこれを狙う。 それを人質にとるのか ? 」 槍の穂先から、電撃が走った。 「やむを得まい ・ : 」ナ・ハ・ダ・ルーガの声音は、 左の三人は炎と化して地にくずおれた。 心なしか沈んだ。「わしはお前の肉体が、どうしても要るのだ」 肉体が : ナ・ハ・ダ・ルーガに声はな、。 ハリイデールは、わずかに眉をひそめた。 ー 48
たのだ。 あの女性的な甲高いだけの声ではなく、何というか : 「死人が甦るのか : : : 」 ・ : 高いようで低い、荒れているようで澄んだ、およそ表現のしよう リイデールの背筋が、冷水をあびせかけられたかのように、凍 がない声だったのである。 てついた。 「そ、その声は : : : 」 手は土と石をかきわけて伸び、やがて肩まで露出し、さらには毛 全身をわなわなと震わし、ゲルズリが言った。指がおどおどと突髪が半ば抜け落ち、眼球も腐ってとろけてしまった頭が地上にでて きだされ、ファーナスを差す。 きた。肉がそこかしこ崩れ、骨が不気味にむきだしになっている。 「ナ、ナ。ハ・ダ・ルーガ : : : 」 死人は、ずるずると地の底から這い出した。甦った死人は総勢五 十六人。ベルクの丘に葬られた兵士のすべてである。 ハリイデールの表情に、ある種の畏れに似た何かが走った。 いやさ、美獣 ! 」また、ナ・ハ・ダ・ 「どうする、ハリイデール 「そうだ ! 」ハ リイデールのうろたえを嘲笑うかのように、ファー ルーガの声が頭上から降ってきた。「かれらはみな、一度死んだ者 ナスは言った。「わしは、呪術師ナ・ハ・ダ・ルーガだ」 ばかりだ。二度とは死なぬ。斬ろうが、突こうが、死にはせんそ」 カッ、と稲妻が走り、ナ・ ( ・ダ・ルーガの墓石を撃った。そし「痴れたことを : : : 」 て、耳をつんざくばかりの雷鳴が響く。 ハリイデールは、せせら笑った。初めは地中から甦る死人を目の 「 ( リイデールよ ! 」ファーナス、いや、ナバ・ダ・ルーガの声辺りにして、そのおそましい姿に吐き気を催したが、今は何ほどの しも・ヘ が、すべてを圧して轟いた。「わが忠実なる僕と闘うがいい こともなかった。こんな骸骨か木乃伊のできそこないを相手にいち 五十六本の稲妻が同時に生じ、ナ・ハ・ダ・ルーガの墓を取り巻く いち怯える感情は持ち合わせていないのだ。それにナ・ハ・ダ・ルー リイデールの手には、アサ神 すべての墓石を撃った。石が粉々に砕け散る。 ガは死者が不死身だとほざいたが、ハ その凄まじい音に、一瞬、鼓膜がじーんと痺れた。 族の主神オーディンの宝、グングニールの槍があった。この槍は、 ゲルズリが地面を指差して、何か喚いている。しかし、ハリイデ ただの武器とはわけが違う。そのことを、南から来た呪術師は知ら ールにはただ口をパクパクさせているようにしか映らない ないのだろう。 とっぜん、その言わんとしている意味が明らかになっ リイデールとその足下で腰を抜かしている 五十六人の死人が、ハ ハリイデ 1 ルも目にしたからである。 た。ゲルズリが見たものを ゲルズリを包囲した。 ゲルズリは、『手が、手が : : : 』と叫んでいたのだ。 「どどど、どうしたら : : : 」 それは、砕片と化した墓石の下からにゆっと突きでた、死者の手ゲルズリはハリイデールの足にすがりついた。これは迷惑であ のことであった。 手は、うごめいていた。 「頭をしつかり抱えて、地べたにうずくまっていろ。それで助かる る。 しびと ー 47
帯は、黒小人の地だと信じきっていたのである。ベルクの丘でいく くも、どうと転倒した。耳の下ーー急所が無防備にさらけだされる。 さがあった以上、人間もここへやってくることがある。 ーーそれを ハリイデールのかかとが、そこに叩きこまれた。 ハリイデールはすっかり失念していた。 牡鹿は眼球が飛びだし、ロから血へドを吐いて瞬時に絶命した。 しかし、その逡巡は、長くは続かなかった。現に目の前で、人ひ まばたきするほどで終わった闘いだった。 とりが命を落とさんとしているのである。人間と関わりたくないと背後ですすり泣く声があがった。 ( イ・ リテールは、ゆっくりと振 か、けだものがどうのこうのとか、言っている場合ではなかった。 り返った。腰が抜けたらしくべタンと坐りこんで、巨木にからだを どうせ、俺は大鹿を求めてきたのだ。たまたまその獲物が人もたせかけている男の姿が目にはいった。白い貫頭衣を着たきやし 間を襲っていたたけではないか。 ゃな若い男である。長い金髪の、まるで女かと見まごう白晳の美青 そう納得して、心のわずかに残っていたこたわりの部分を、捩じ年であった。しかし、今は男はうつけたように茫然となり、たた涙 伏せた。 を流しているだけだ。衣服は泥と血にまみれ、手足も擦り傷と打ち ハリイデールは、グングニールの槍を投げた。 身で真っ黒になっている。 ちょうど男を巨木の幹に追いつめた牡鹿が、男の腹にとどめを刺「どこへなりと行け」 そうと身構えたところたった。槍は牡鹿と男の間を二本の角をかすそう声をかけて、 ( リイデールは牡鹿の死体に向き直った。解体 めて走り、木を一本、真っ二つに裂いて ( リイデールのもとに戻っして、髑髏谷に持ち帰らねばならない。極寒の地であるからすぐに 腐ることはないが、血の匂いを狼に臭ぎつけられる可能性がある。 牡鹿は驚愕して前肢を高く跳ね上げ、反射的に数歩後退した。 ハリイデールは身をかがめ、牡鹿の首を捩じ切りにかかった。 ハリイデールが駆け寄り、割りこんだ。グングニールの と、背後にねっとりとした人の気配を感じた。からみつくよ 槍を地面に突き立てる。この凄まじい力を秘めた槍で仕留めたのでうな視線を伴っている。あわてて上体をよじり、 ハリイデールは後 は、牡鹿は灰になってしまう。それでは、あとで食べることができろを見た。 ここは、何としても素手で倒さねばならなかった。 あの美青年が、すぐそこに立っていた。コ・ハルトの瞳の大きな目 ハリイデールは腰をおとし、両手を前に突き出した。 が、じっとハリイデールのからだに向けられている。 同時に牡鹿が突進してきた。 角が一気に迫ってくる。視野の「何か、俺に用があるのか ? 」 すべてが、牡鹿になった。 不快感にとらわれ、ムッとしたようにハリイデールは言った。 角が触れなんとする寸前、 ハリイデールはわすかに弧を描いて、 「お礼がしたいの : : : 」粘っこい口調と鼻にかかった声で、美青年 右に移動した。角が、かれに対して斜めになる。そのまま角を両手は答えた。「助けてくださったのが、こんなに逞しい素敵な方たっ で招んた。そして、一息に引き倒す気ランスを失って、牡鹿はもろたなんて、わたし、しあわせです」 0
「鋭いことは鋭いが、引き裂かれたという感が強い」 な予感がする」 「ま、まさか : : : 」 「ま、待ってくれ ! 」 そのときである。 取り残されたゲルズリが跳びあがって叫んだ。しかし、ハリイデ ( リイデールの体内で野獣の本能が叩く警鐘がけたたましく鳴っ ールは振り向こうともしない。 「俺も行くそ ! 」 ( リイデールは、ほとんど身をかがめるようにして、背後を振り 黒小人らしくもなく、ゲルズリは好奇心が旺盛たった。 全速で谷を走り抜け、さほどの刻もかからす、谷の東のはすれに返った。 そこに、頭から鮮血にまみれたファ 1 ナスが、凝然と立って 着いた。 死体は、森まであとわずか、というところにうち重なるようにしいた。 「ファーナス、お前 て倒れていた。おびただしい血が流れたらしく、地面が広い範囲に ファーナスの血は、返り血だった。ケガは、先に牡鹿に襲われた わたって、どすぐろく染まっている。 際の擦過傷だけであって、あらたなものはどこにもない。 「ズタズタだ。ひどいぜ : : : 」 死体を熱心に調べていたゲルズリが、ノ そして、返り血であるならば : 「四人を殺ったのは、お前だなーー」 ( リイデールの問いに、ファーナスは黙ってうなずいた。血の気 「傷は背中と腹の側、どちらが多い ? 」 「背中だ」 がなく、顔色は蒼白であった。それゆえにいっそう、肌にこびりつ いた血の色が生々しい。 ゲルズリは間をおかず、答えた。 ( リイデールは唸るように説い いったい何ものだ ? 」 「お前は、 「逃げまどっていたのか : : : 」 「それはおかしい」ゲルズリの声のポリ、ームが上が 0 た。「逃げた。「人間のツラをし、人間のように振舞っているが、いずれ人間 ではあるまい ! 」 まどっていては、死体は重ならない」 「そのとおりだ」 「俺に近づいた、その理由を聞かせてもらおう」 ハリイデールはゲルズリの主張に同意した。 「同士討ちをしたんじゃないだろうか : : : 」 ハリイデールはグングニールの槍 これもまた、無言の答え。 「傷は、たしかに刀傷か ? 」 つでもファーナスを刺し貫ける体勢だ。 を肩の上に構えた。い と、声を発しないまま、ファーナスが森へと進み始めた。 虚をつかれて、ゲルズリは絶句した。 、リイデールを見やって言 わけ 5
ハリイデールはちらとそう思った。しかし、その目に映るべルク 「黒い呪術師の話はゲルズリから、聞いとるじやろうが ? 」 ハリイデールはうつろな返事をした。「そうか、ここの丘は、澄みきった蒼穹のもと、どこまでも明るく輝いて、呪いと いう言葉から連想される凶々しい印象は、どこにもない。 : ベルクの丘だったのか : : : 」 ここから見て右側にベルスノルンの兵士「さて : : : 」ビブルは立ち上がった。「わしはもういいかな ? 」 「墓は全部で五十七ーー 「ああーーー。邪魔してすまなかった」 が二十九人、左側にアーラマドラの兵士が二十七人、埋められてい 「なんの」 ゑナ・ハ・ダ・ルーガの墓は、【真ん中の一番大きな石がそうじゃ そのときだった。 よ」 二人は左右に別れようとした。 風にのって、甲高い悲鳴が聞こえてきた。 「墓をつくらない黒小人が、埋葬したのか ? 」 進めかけていたハリイデールの足が、ピクッと止まった。 ハリイデールは黒小人に向き直った。 プルも、同様である。 「慣れんので、えらく面倒じゃった」 「なぜだ ? 髑髏谷に棲みついたナ・ハ・ダ・ルーガは別としても、 「聞こえたな ? 」 な・せ黒小人らしくもなく、人間にかかずらったのだ ? 」 と、ハリ 「なぜと問われてもなア : : ・」ビブルは長い白鬚の先をもて遊ん「たしかに : だ。「まきこまれて殺されたナバ・ダ・ルーガが、息をひきとると「南だ ! 」 きにあの兵士全員に呪いをかけてしまったからなんじゃ」 言うなり、、 / リイデールは駆けだしていた。ビ・フルは、ついてこ 「どういうことだ」 ないようだった。冷たいとか、そういったことではない。それが、 「呪いをかけられた五十六人の兵士は、からだが死んでも、魂が死黒小人なのだ。 ねなくなってしまったのじゃな」ビブルの口調はあっさりとしたも丘を南にくだると、また森が行く手を遮っていた。その森の手前 のだった。「魂が死ねなくてよ、 ( いかに戦場に斃れた者でもワルキで、ひとりの男が巨大な牡鹿に襲われているのが、見えた。十数本 ューレは迎えにこん。ワルハラの広間には招かれんのじゃ。 にも枝分れした、鋭利な剣を思わせる角が、今にも男を串刺しにし だから、わしたちがやむなく葬ってやったというわけじゃ」 ようとしている。 男は血まみれになりながらも何とか執拗な角の攻撃をかわしきっ 「ふ : : : む」 ていたが、それも長くは続きそうになかった。 ハリイデールは、また墓場を見やった。 「黒い呪術師の呪いか : : : 」 さて、どうしたものか : さっき味わった、わけのわからん怯えはその呪いのせいかも ( リイデールは立ち止まって、考えた。悲鳴は当然、黒小人のもに しれん。 のだと思っていたのだ。人間だとは、思いもよらなかった。ここ一
るのを眺めて楽しもうという肚であったに違いなかった。 おし黙っていたハリイデールのロが開いた。 「やつばりな : : : 」 ハリイデールを睨んだ。 ゲルズリはいかにも憮然とした表情で、 ゲルズリはニャリと笑った。 今朝、まるで風を思わせる自然さで、この男は髑髏谷に姿を現し リイデールは言った。「腹を護る鎧を兼ね たのだった。ゲルズリは穴の外にでて、細工物に使う材料の吟味を「欲しいのは、服だ」ハ た服が欲しい」 していた。なんの気配もなかった。気がつくと、背後にハリイデー 「ほお : : : 」ゲルズリはわざとらしく目を丸くした。「けたものに ルが立っていたのである。 背が高く、猛禽の眼と黄金の髪と豊かに盛りあがる鋼の筋肉を持鎧とはなア : つ、若い男だった。 なぜかゲルズリは、男を一瞥して、獰猛な「銀仮面との闘いで痛感したのだ。おのが力を過信していては、生 肉食獣を連想した。しなやかで強靱そのものの肢体と、男の全身にき延びることはできん。たかがカエルごときを相手に負うたこの傷 ねっとりとまつわりついている死の匂いーーというか、ある種の血が、それを雄弁に物語っている」 ハリイデールは毛皮の端からのそく、まだ新しい傷跡を指で示し 腥さがそうさせたのだろう。実際には、男のからだ、そのからたを 肩から腰にかけて覆う毛皮、それに右手に握る長槍にも血の一滴すた。 らついてはいなかったのだが : 「ほっほっ、神々の放った殺し屋も、とどのつまりは生ま身の人間 だというわけか」 「美獣かーーー」 ハリイデールを睨めつけていた双眸から静かに挑戦的な「造ってくれるのだろうな : : : 」 黒小人の ゲルズリの言を無視して、ハリイデールは低いが、鋭い声で言っ 光が失せ、その白鬚の中にあるロから、ふっとっふやきが漏れた。 「驚いたものよ : : : 」と「ゲルズリは言葉をつないだ。「予言に歌た。同時に、ゲルズリの顔から笑いが消えた。 われているたけの存在たと思うていたら、眼前にいつの間にやら立「いやだと言ったら、どうするかね ? 」 「それを説きたいかーー」 っておるわ」 ハリイデールは、右手の槍の穂先をすうっと上げて、ゲルズリの 。ししが、所鼻先に突きつけた。 「神々のために悪霊、巨人を討っ美しい獣とは聞こえよ、 「俺は強欲な黒小人のあしらい方をちゃんと心得ているんだ・せ」 詮は殺戮と破壊のために日々をさすらう疎まれ者の存在だ」 「う : : : あ : : : う : : : 」ゲルズリはうろたえた。「わ、わかった し力し、礼だけはしてくれるんだろうな」 「俺のところへは、身の上話と愚痴をこ・ほしにきたのではあるまよ : あったら、言いな」 し何か用があって、きたんだろう ? ( リイデールは黙って足もとに転がしておいた皮袋を取りあげ それを地べたにうずくまっているゲルズリに向かい、放り 「造ってもらいたいものがある」 ロ 4