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1. SFマガジン 1980年1月号

C HARACTE R CARTE カットナーと ハジェット ユーモア勝負は どちらが勝つか ! ? 4 安田坊 カットナー・シンドロームって言葉はご存じ人の O ・»-2 ・ムーアとの合作ネームの中でも最の内部は一種のトボロジカルな空間を形成し だろうか。一九三〇年代にデビ、ーするや、そも著名なこの名は、当時の誌「アスタて、どんな大きなものでも吸収してしまう。も 0 っとおかしなことに、中をのそくと奇怪な形状 の才能にものをいわせて小説を書きまくったへウンディング」用に作られ、そしてたちまちこ ンリイ・カットナー。その彼の、あまりのペンの作家 ( たち ) を第一線へとおしあげる原動力をした生物がいて : : : というお話。星新一の ジェット名では「おー 、でてこい」に似た傑作といえるだろ ネームの多さに、当時のファンが目につく新人となった。日本ではルイス・。 ( 、 の登場するたびに、これはカットナーのペンネ超人類テーマのクラシック『ミ、ータント』がう。もう一篇「うぬ・ほれロポット」 ( 本誌一九 ームではないかと疑ったという逸話のことだ。訳されているので、意外にシリアス風にもとら七九年六月号 ) の方は、新しいので覚えておい なかには、ジャック・ヴァンスなんて、正真正れているが、やはりこの作家 ( 名 ) の本領はユでかと思うが、自分の姿に日がな一日見とれて いる〈ナルシス・ロポット〉を作ってしまい ーモラスな短篇にある。その代表シリーズとし 銘の別人も疑われたくらい。じっさい、・ほくの てここでは〈酔いどれ科学者ギャラガー〉ものその本来の目的を思い出せないで四苦八苦する 手元にある「 & ファンタジイ作家ペンネー ギャラガーが軽妙に描けていた。前半ややもた つくが、後半の盛りあげは抜群だ。 このシリーズは他に三篇あり、火星人がやっ てきて、ギャラガーの時間線をいじくり、彼の 死体が出没する話や、ギャラガーが自分の潜在 意識の優秀さに劣等感をいだいて落ちこむ話な ど、なかなか渋いユーモアに仕上っている。 もっとも、ユーモアならカットナーの方もお 手のものだ。こちらは、もっと底抜けにドタ タの〈ホグべン一家〉シリーズがある。これ ナ は、とにかく現物を読んでみてもらった方がい いだろう。幸いなことに四篇中一二篇まで訳され カ ていて、シリーズ順に「教授退場」 ( 別冊奇想 イ 「トラブル・。、 / イル」 ( 本誌一九 天外三号 ) 、 ン 六三年十一一月号 ) 、「冷たい戦争」 ( 奇想天外 一九七七年十二月号 ) となる。ひとことでいう ↓ なら、大昔に放射能変異で、不死・透視・テレ ポーテーションなどの超能力を得た″おらが一 ム集」を見ても、カットナーの項はやけにスべをとりあげよう。 ハモンド、 ハドス邦訳は二篇。まず「次元ロッカー」 ( 本誌一家〃の超能力隠蔽ドタバタだ。中でも「冷たい戦 ースをとっている。キース・ 九六四年十二月号 ) では、酔いどれマッド・サ争」は最 ) 回傑作。あまりの・ ( カ・ハ力しさ ( も ン・ヘイスティングス、ケルヴィン・ケント、 ローレンス・オダネル : : : その数なんと十九。イエンティスト、ギャロウ = イ・ギャラガーがち、誉め言葉 ) と、よくできたオチに、ここし まったく、これでは本人が自分は存在している紹介される。彼はしらふのときは何のとりえもばらく忘れていた短篇の感動を思いだし ない男なのだが、体内にアルコールが人ると潜た。結局、この時代の作品のもつおおらかさと、 のかどうかあやふやになると、冗談めかしてい 在意識が表層に現われ、とてつもない発明をし作品の設定自体のおおらかさとが、よくマッチ ったというのもわかろうというものだ。 て、そして、その原理をいつも完全に忘れ去るしているからだろう。こうしてみると、カット しかし、こうしたペンネームのうちでも、い 、ジのだ。おりしも、今回は〈時限ロッカー〉ならナーと。 ( ジ = ットの勝負、なかなかっきそうも ちばん有名なのは、何といってもルイス・。 / 、、 ット名儀だろう。おしどり作家といわれ、夫ぬ〈次元ロッカー〉を作成。小さいものだがそない。本当に惜しい作家をなくしたものだ。 ↓ C ・ L ・ムーア 4 ↑おしどり作家ルイス・バジェット

2. SFマガジン 1980年1月号

ュ のために危険を冒すことが困難になるとと同質のミもフタもなさだ。それを理解れば私は、初めてマガジンを読んだ していないことには、横田順彌という作時のことを思うし、それからずいぶんと しうことた。 しかもなお、横田順彌の作品は一カ所家があのような作品を持続的に生みだせ長い間、私にとっては、マガ ジンだったのです。最近つくづく思うの に静止することを許さないタイ。フのものる理由はわからないだろう。 は、自分のに関する興味、というよ もっとも、「窓際族は死なず」は、し た。定型破りは、新たな定型破りを要求さ れ、それが読者の側からは前作と同じよくぶん違った傾向に属するように思えりは、のうちでも特にどのような傾 向を好むか、というようなことまで、あ る。こちらは、きわめて筋の通った、 うなおもしろさ、とたけ認められるのだ。 ″ちょっといい話″だ。横田順彌がすぐの頃のマガジンに植えつけられてし これは、考えてみれば実に間尺に合わ ない話ではある。しかし、それをやりとれて実験的な作家でありながら、実験小まったのではないか、ということなので す。編集者の見識の高さや、『スキ けられるのが横田順彌であって欲しい説作家ではない、ということなのだろう。 ャナー』などのコラムの担当者の情熱が ともあれ、横田順彌はこの作品集によ し、事実、それの証明として『対人力メ 私を感化したのはもちろんですが、やは って、商業的な要請に答えつつ、新たな レオン症』という作品集があるのだ。 ここには、定型破りの定型破りとして地平をも切り拓いていきつつある。ここりなんといっても、掲載されていた作品 の作品がある。かっての横田順彌の作品で、読者としてのぜいたくを言わせてもの魅力が決定的に働きかけたのでしょ う。私の中にたまったの数々をかき は、ことに「荒熊雪之丞シリーズ」を典らえば、さらに読者のたまげるようなハ 型として、言葉のとんでもないナンセンチャ ( チャを見せて、横田順彌が書いてわけかきわけしてさぐってみると、最も スが特徴としてあった。それが、たとえ いなかったような小説を読ませてほし底の方でまだマグマのように熱い光を放 ( 『対人力メレオン症』 / 著者日横っているのは、マティスンの『終りの ば表題作では、イメージとしてのとんで 日』であり、ライ・ハーの『・ハケッ一杯の もないナンセンス日ハチャハチャとなっ田順彌 / 四六判上製 / 2 0 7 頁 / 9 8 0 空気』であり、・・ジョーンズやデ ているのた。また、人間の脳を自動販売円 / 講談社 ) ィックの作品なのであります。 機に移植し、あまっさえ子供まで生まれ あれからいうと、新しく書かれる る、などというとんでもない支離減裂が 浅倉久志・伊藤典夫編 の傾向はどんどん変わり、ことに日本人 どうして小説になるのか ? という疑問 作家の書くものは、あれらの翻訳作品と が答えられているわけだ。 『空は船でいつばい』 はずいぶん違っているように思えます。 ミもフタもない言い方をしてしまえ いっても仕方 これは当然のことであり、 ば、「書いてしまったほうが勝ち」とい 森下一仁のないことなのではありましようが、そ う、すさまじい居直りがそこにはある。 3 ただし、このミもフタもなさというの れでも、やつばり、どこかつまらないよ円 は、コロン・フスが卵を無理矢理たてたの いっを読み始めたの ? とかれうな、さびしいような気がするというの

3. SFマガジン 1980年1月号

を書いて投書が殺到しそのため妻子を守ターンとして ) 進んでいく。しかも、漠 ろうとして猟銃を買い込んだ、という実然とではあるが、小説がこれだけたくさ 生活のエビソードが示す如く、彼の生真ん書かれている現在では、それなりの約 ウ 面目さには不思議なパイアスがかかって束事のようなものがある。たいていはな いる。そしてこのィアスによって、彼んとなくだが必然性に従ってストーリイ のアンソロジーにもまた不思議な魅力がは展開し、御都合主義が出てくる場合 ( ヒ 漂うことになるだろう。 も、それなりの御都合主義の必然性とい レ うのはある。 左様、筒井のアンソロジーは読み急い 小説としての形をとったものが書かれ ではならない。それは、じわり、と面白 いのである。 ( 『実験小説名作選』 / 編だしたのは、近代にな「てからのことだ 割は大きいだろう。また、初期の作品に 者Ⅱ日本ペンクラ・フ / 選者Ⅱ筒井康隆 / ろうが、それにしても以来膨大な小説が 文庫判 / 416 頁 / 400 円 / 集英社 ) 書かれてきて、作者も読者も認めている関して、いわゆる一般小説誌が舞台とな 定型というものがそれとなくできてきた っていたことが母胎となっていたのでは のだ。 ないか、と考えられる。 横田順彌著 ところが、横田順彌の作品がふつうに そして、小説の定型を打ち破り、新た いわれる実験小説と異なるのはここから な小説の可能性を切り拓くべく、多くの 『対人力メレオン症』 実験小説も書かれてきたわけだが、横田先た。実験が目的ではなくおもしろさが 順彌の作品に関していえば、そうした実目的で書かれた作品が、事実非常におも 三井継験小説とは動機の点においてまったく異しろく、またおもしろさが認められれば なっているように思える。彼の場合に商業的にも成功するというわけで、実験 これはすでによく言われていることた は、作品の目的は定型を打ち破ることが的な要素の育ちにくい一般小説誌へと発 し、いまさら、という気がしないでもな第一義なのではなく、あくまでも読者を表の舞台が移っていったのた。 そうなると、いやおうなしに作品は前 いが、横田順彌の作品 ( ただし、いわゆおもしろがらせることが目的であるよう るハチャハチャと呼ばれる作品群のことに見うけられるからだ。しかし、結果と作と同じようなおもしろさを要求される だが ) はふつうの小説ではないようだ。 しては、小説の定型を破ることになってようになってくる。もちろん、一般の小 ふつう、小説といった場合、少なくと 説読の小説がマンネリばかりだ、などと 言おうとしているのではない。そうでは も作品の内部ではある程度の整合性を持こうした作品が生まれるについては、 ちつつ、話が起承転結といったあんばい という、定型への東縛が比較的少ななく、作家の側がプロの作家として、必 に ( そうでない場合も、その変則的なパ いと考えられているジャンルの果した役ずある一定の水準の維持を要求され、そ ' 0 円 2

4. SFマガジン 1980年1月号

S 石レヒ三ウ 作品の意図が全く違うと言えばそれまで構築されている物語が存在するとすれ く言われるような作者の内的必然性か ば、その最短距離にいるのはファンタシら、そのようなスタイルが生まれ出たと でたが、僕の好みでは、やはり下巻より イだろう。そしては、そのすぐうし も『大地は永遠に』なのである。 いうよりも、逆に、作品をねじ伏せるよ まあ、これらは趣味の問題。 うな形で、あのスタイルが選ばれたとい ろに位置している筈だ。 ともかくも、その上巻と下巻がドッキ うわけだ。 山田正紀の「超・博物誌」は、究極に ングして、非常に見事な、スキのない読そのような作品を見据え、から、フ おそらく「竜の眠る浜辺」が、実験的 み物たり得ているのは ( 繰り返すが ) まアンタシイに半歩ほど、足を踏み入れたであるというのは、作品そのものから受 ぎれもない事実た。 ところに、位置している。 ける印象とは、逆た。けれども、そこか だが、その出来の良すぎる分だけ、な「宝石泥棒」で一つの生態圏を造り上げら山田正紀の意図を感じとることができ にかだまされているような、釈然としな た山田正紀は、ここでは、想像力だけをるならば、それが一つの実験であったこ い気分が残ってしまった。 支えに、誰も見たことのない虫たちを造とは、納得できる。 それは、なぜ、今、『悪魔のハンマり出そうとしている。シートンの動物記 山田正紀の作品を通して、一言で言う ー』が、このような形で書かれねばならやファー・フルの昆虫記といった、動物やことができるのは、山田正紀が作品を完 なかったのか、その作者の精神的背景に虫たちを観察し、それについて書かれた璧にコントロールしようとするタイ。フの 関わる、基本的な疑問なのだが。 ( 『悪書物は、おそらく誰でも、子供時代に一作家なのではないか、ということかもし 魔のハンマー』上・下 / 著者日ラリイ・度は触れたことが、あるだろう。そしてれない。山田正紀を実験的にさせている ニーヴン & ジェリイ・パーネル / 訳者日 「超・博物誌」は、まさに、それらの書のは、その意図たろう。 岡部宏之 / 文庫判 / 480 頁・ 556 頁物の雰囲気を、想像上の虫たちによっ そして、この「超・博物誌」は、文字 / 5 6 0 円・ 6 4 0 円 / 早川書房 ) て、再生させようとしている。 どおり実験的だ。 山田正紀には、デヴュー以来、一種、 安定した作家という印象があるのだが、 山田正紀著 実際には、常に実験的であろうとしてい 『超・博物誌』 たとえば「竜の眠る浜辺」という作品 が、ある。・ほくは何よりも、その語り口 と、それが造り出す雰囲気に驚かされて しまったのだが、それが、実は作者の意 完全に虚構たけで成立している物語、図であり、実験であったことを知らさ すなわち、細部に至るまで、想像力だけれ、もう一度、驚かされた。つまり、よ いを学宙あ生物にを なき寰をこ物を 掲 9

5. SFマガジン 1980年1月号

AR SHIP STAR SHIP STAR SHIP STAR SHIP 連載⑩スタシオぬえの 夛ーシ・ライフ一フリイ だというサインが人っているのに気付いた方 宇宙戦艦のシリーズを始めて半年。亜光速・通り、『ヤマト』は僕にとってもではない こ、ついっ も多いだろう。御理解いただきたい。 噴射推進式に関してはどうやら基本的問題点ものである。 底をついてきたし ( 何か忘れ物があるといけまそれはもちろん、制作者の一員として僕もそた画面上のサインこそが、解っているスタッフ せん。気になる所があったら御一報を ! ) 戦艦れなりに楽しみはした。しかし、を作ろうからの良心のメッセージなのだという事を。 の構成配置等、総合的なまとめにかかろうかととしたのではない。ムチャクチャをや「て面白具体的に言うなら、火を吹いて、画面の下方 ければそれでよいと、見切りをつけたからこそへ落ちて行く駆逐艦ゆきか・せ。ガミラス空母の 思うのだが、その前に : この「ラムで宇宙戦艦を取り扱う以上、必ず遊べただけのこと。的道具だてだけで、甲板から離艦する爆撃機が、一瞬下に沈んで、 としての論理も思考の飛躍もあの作品とは無それから上昇してゆくあのショット。 出てくるのがあの『ヤマト』。 スタッフは″これはじゃない。我々は第 海上舶型宇宙戦艦ヤマト、現実の『大和』関係だ。 の小道具を使えば作品なのだとする二次大戦記録映画の。 ( ロディをやっているん を構成配置のべースに置いた ( 第三艦橋はある けどね ) 本艦は、主要な武装が甲板上の艦の一風潮も困りものだが、一番迷惑なのはぬえがかだ。というサインとして、知 0 ていてわざわざ 側面に集中しており、その特異な形状は宇宙戦んだから、あれはなんだ、という暴論であそう描いたのであるー 注意して見ていると『ヤマト』の他にも、こ : 云る。・ ( 力な話だ。僕等は専門会社とはい 艦としては例外的な物であろうことは : ういったスタッフのサインの入った作品を時々 え、それ以外の物を創ることだってあるのだー 々、といった話をすると思ったら大間違い 僕が今、ここですべぎなのは、『ヤマト』第もちろん、的設定の作品に関与する以発見できる。そういった ( 半ば開き直った ) 作 品にケチをつけるのは″へタな難クセ休むに似 一シリーズの制作に携わった者としてのあの作上、何とかにしてやろうとカの限りスタッ 品の位置づけなのだ。 ( アニメに関心のない方フに文句をつける。が、力関係やら、スタッフたり″のむなしい行為であるのは言うまでもな 。同様な意味で、僕は『ヤマト』を本コラム はお読みくださらなくて結構です ) の技倆の限界やら、ぬえの力不足やらで、どう 『ヤマト』がどういった作品であったのか、自しても一線を越えられない場合が多い。『ヤマで無視せざるを得ないのだ。 分なりの定義づけもせずに、宇宙戦艦としての ト』に関しては、非常に早い時点であきらめが 構成がどうのというのは、たとえ相手が『ヤマついた。そこで、解っているスタッフは作品中さて、海上船舶型戦艦のように武装を艦の一 側面に集中させた戦艦の得失は : : : えつ、もう ト』であっても失礼というものだ。 に次のサインをした。 結論を先に言ってしまおう。『ヤマト』は本″本作品はと銘打ってありますがでは枚数がないって コラムが取り上げて構成を云々するような作品ありません″ 今回の担当者文 / 絵共日宮武一貴 『ヤマト』のあちこちに″この描写は理屈に合 ではないー 我等がスタジオぬえの変人、高千穂遙の言うっていない。でも、それは解ってやっているの 4

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、刀 体ひとつの実験なのである。 歳、小松左京八十九歳、筒井康隆八十六 実験の背景は、例えば次の感想にあ・「メグロの決死圏」横田順彌「ナポ歳、一番若いかんべむさしですら七十二 る。「もしかすると作家は、どのよ レオンと田虫」横光利一 歳となる。彼等が文学界の長老となった うなジャンルに進出してもそのジャンル 冫いったいどうなってい けたぐりでヨコジュン大金星。文壇というのよ、 の第一人者になれる力量をそなえている・「旅」筒井康隆い「百貨店」伊藤整るんたろうか。何か、想像するたに恐ろ のではあるまいか」 ( これ、『みたれ撃 ーー上手出し投げで筒井康隆の勝しい感じですな ) 。 ち。 ち漬書ノート 』で、光瀬龍の時代ものを なお、特につけ加えておきたいのは、 レ 読んだ時の筒井の感慨 ) すなわち、時代 ・「集中講義」かんべむさし「風博本アンソロジーを編集する際の筒井康隆 小説でも、推理小説でも、そして純文学 士」坂口安吾 の姿勢である。その、神をも怖れぬ小説 ・ 5. ( ! ) でも、作家の作品が一番面白 これも難しい。物言いついて取群とは明確に一線を画し、本書のセレク という現象がここ一、二年続いてい トはげほどストレート。 り直し後、つり出して安吾の勝ち、 絶讃を浴びた る。それならば、と純文学を交互に というところか。 「ベスト集成」の編集でも、意外と 並べて、実地にその面白さを検証したら ・「海の城」殿谷みな子「吊籠と月光大人しい、というのが大方の印象ではな どうなるか。これが、本書の秘められた かっただろうか。「育ちがよく品がい と」牧野信一 意図ではなかったか、と思うのである。 上手投げで牧野信一の貫禄勝い」 ( 星新一の筒井評 ) と言われる彼の ち。 ではその結果は、と見ると、 素顔は、かえってこうしたサイド・ワー ・「簟笥」半村良い「雀こ」太宰治 かくてその結果は、三勝一二敗一引分けクに現われるのかもしれない。 堂々、寄り切って半村良の勝と全くの五分。但し、発表年次を見る ただし、いくら真面目と言っても、そ ち。 こは筒井康隆、である。思いきった作品 と、純文学側が大正十五年 ( 「の昇天」 ) ・「ねこひきのオルオラネ」夢枕獏い から昭和四十一年 ( 「一家団欒」 ) と四十 「一家団欒」藤枝静男 年にわたるのに対し、我が側はわす 若さにまかせて突込んできたと か五年間程度。このハンディを考えれ ころを引き倒して藤枝静男の勝ちば、界は赫々たる戦果を挙げたと言 ( 但し、この作品、ほんとは「セロ うべきである。これを言い換えれば、 引きのゴーシこあたりと戦わせたが現代文学の主流たり得る可能性があ一 かった ) るということで、仮に四十年後の界 ・「せまりくる足音」小松左京「のを想像すればそのもの凄さが骨身に沁み験 昇天」梶井基次郎 るだろう ( この時、現在の作家たち これは難しい。水入り引き分けは、のきなみ八十歳代。半村良八十七 日本ンクラブ・ヨ既作シ : ト - て

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ⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞 ded Sun: Kesrith" O ・・チェリイ 3 『隠れた声』 "Blind V0ices" トム・ 〈ノヴェラ部門〉 「残像」ジョン・ヴァーリイ ( 本誌一 九七八年十一月号 ) 2 「アメリカ七夜」 "Seven American 賞ともダ・フル・クラウンなので後述する として、他部門の受賞者について触れて Nights" ジーン・ウルフ みよう。 〈ノヴェレット部門〉 ンヨート・ストーリ ( 短篇部門を獲得したエド・・フライア 1 「ロウソクの輝き、ユニコ 1 ンの眼」 ーゴ 1 を合 ントはこれがネビュラ、ヒュ "A Glow of Candles, A Unicorn わせての初受賞。一九四五年生まれ。ワ Eye" チャ 1 ルズ・・グラント イオミングで育つ。一九六八年ワイオミ 2 「ミカルの歌鳥」 "Mikal's Songbird" アオースン・スコット・カード ング大学を修士で卒業。一九七〇年に イ 3 「きみの知らない悪魔」 "DeviI イ ou 「アダム」誌からデビューした。その一、 ン Don't Know" ディーン・イング 二年のあいだに、創作講座として著 キ 〈ショート・ストーリイ部門〉 名な〈クラリオン・ワークショップ〉でみ マ 「石」エド・プライアント ( 本号掲載 ) っちりと書きかたを覚え、特にハ 2 「カッサンドラ」 O ・・チェリイ ・ニリスンには師事している。したがっ て、以後も短篇ばかりを発表。一九七三 ( 本号掲載 ) ン 3 「おだやかな死」ジャック・ダン ( 本年に第一短篇集『死者の中で』 "Among the Dead"P 一九七六年に連作短篇集 ヴ誌一九七九年七月号 ) 『シナバー』 "Cinnaber" を出版するが、 〈グランド・マスター賞〉 ・ス。フレイグ・ディ・キャン。フ 他は e 映画のノヴェライズ一作とアン ソロジイが一冊あるきりだ。しかし、こ ご覧のように長篇部門だけをとってみの寡作ぶりからもわかるように、作品一 つ一つの密度は高く、とくに第二短篇集 ても、女性が一、二位を独占、そして三 ーミイがファンタジイとじつに象『シナ・ハー』は、遙かな時の果てに未来 位のリ のカリフォルニアの都市を投影して、・ハ ′チ徴的な結果とな 0 ている。また、ノヴ = ラードの『ヴァ ーミリオン・サンズ』に レット部門も一、二位はともにファンタ 3 ジイ的要素が濃い作品だし、短篇部門一一も比べられると評価された。 本篇もいかにも・フライアントらしさを 、位のチ = リイの作品も本号を読まれれば おわかりのとおり、 いかにも女性作家ら表わした繊細なラブ・ストーリイ。「石」 しいファンタジイだ。 に託された意味が何であるのか、しばし 想いをめぐらされるのも一興だろう。 長篇およびノヴェラ部門はヒュ 1 / ヴェル

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レヒ三ウ ()n は、これまで、ほとんど無数の生伝説中の獣たちについての著作があるけの結果であるのかもしれないが、やはり 物を造り出し、名前を造り出してきた。 れども、それらは、純粋の観察記であっ ここは、もっとさりげなく、淡々と描か 9 れている方が、この作品が目ざしている けれども、それらの生物たちについて語たり、明らかにファンタシイであったり ろうとした作品は、思いのほか、少なする。少なくとも、山田正紀が、ここで方向に合致しているのではなかったか と、思うのだ。 ことに、異星人というパターンを除展開しようとしているものとは、方向が いてしまうと、極端に少なくなってしま異なっている。 この作品の最後で、作者自身が示して 山田正紀が、「超・博物誌」で行ない くれたちょっとした種明しも、その方が たとえば、・・ヴァン・ヴォート つつあるのは、的な・ハック・グラウ生きると思える。 の「宇宙船ビーグル号の冒険」という作ンドの中で、いかにして虫そのものにつ もちろん、そうした若干の不満は、こ の作品に込められた山田正紀の意図と、 品がある。それは、様々な宇宙生物に遭いて語ることが、できるか、虚像につい 遇する連作といった形を取っているのだて、その細部まで空想できるか、こうい この作品の価値を割り引くほどのもので 実際、山田正紀が、ここでやろ が、それらの宇宙生物は、そのユニーク うことだろう。その描写にあたって、山はよ、。 さにも関らず、観察や研究の対象として田正紀は「竜の眠る浜辺」の系統に属すうとしたことに対して、・ほくは、大きな ではなく、ス の素材として機能る語り口を選んでいる。必すしも、すべ拍手を送りたいと思う。そして、この次 してしまう。もっとも、そうは言っててが科学的な妥当性の範囲で語ることのなるステップに対する期待も。 ( 『超・ も、それがヴォートの作品の欠点というできない虫たちなのたから、それは適切博物誌』 / 著者Ⅱ山田正紀 / 四六判上製 ことではない。目的とするものが、ちがな選択た。 / 234 頁 / 1200 円 / 徳間書店 ) うからだ。 不満を述べるなら、この作品にもう一 けれども、この作品が下敷にしているつの流れを加えている老境にさしかかっ 筒井康隆選 であろうダーウインのビーグル号によるた主人公の回想が、時として、わずらわ 航海記からすれば、かけはなれたものにしく感じられること、そして、語られる な「てしま 0 ているのは事実た。当時の虫たちが、すべて史上初めて精密に観察『実験小説名作選』 アメリカが、そうした観察記や、博されたかのような印象 ( もちろん、それ 伊藤昭 物誌といった形では成立しにくいことかは事実であるにちがいないのだが ) をこ ら、そうなったのかもしれないし、もっとさらに与えてしまうのは、誇張されす これは、センセーショナルなアンソロ と言うならば、その形を取る必然性がなぎているのではないかと感じさせること かったということたろう。 だ。全体のさりげなさが、そうした部分ジ 1 である。筒井はここで、が現代 たとえば、光瀬龍に昆虫記があり、河でマイナスされてしまう。 文学の主流たり得るかを検証したかった のではないか。言わばこの本は、それ自 野典生に博物誌があり、ポルへスに神話あるいは、それこそが、主人公の老い

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3 『衰えた太陽 " ケスリス』 O ・・チ もされている。あれ以後、幻想・恐怖 v-v の分野でたちまち有名となり、すでに 〈ノヴェラ部門〉 , / 長篇が十二冊 ( うちは三冊 ) 、アン 「残像」ジョン・ヴァーリイ ソロジイが三冊ある。特に、アンソロジ ミイは恐怖として出色の作品を書下し 2 「ファイアシップ」 "Fireship" ジョ , ー ン・・ヴィンジ で集めたもので、評判がよい。 3 「被験者」 "The 舅「 atched" クリスト 受賞作は残念ながら掲載できなかった ム ファ 1 ・ゾリースト と芸術″をテーマにしたアン 〈ノヴェレット部門〉 ソロジイ『彫像たち』 "Graven lmages" 「狩猟月」 "Hunter's Moon ポーレ ( エドワ 1 ド・ '--ä・ファーマン & ・ ・アンダースン ・マルツ・ハ 1 グ編 ) に収録されたもの。 台本から演じられる生身の演劇が消減し 2 「ミカルの歌鳥」オースン・スコット カード かかっている未来に、旅芸人になってま で何とかその形式を残そうとする二人の 3 「考えっかなかった男」 "The Man Who Had No ldea" トマス・・テ ー・ミラーのヒュ 男女の物語。ウォルタ ィッシュ 1 ゴー受賞作「時代遅れの名優」に似た 〈ショート・ストーリイ部門〉 とうもこちらに演劇への興味が ア話だが、・ 1 「カッサンドラ」 O ・・チェリイ ヴもう一つということもあり、あまりビン ( 本号掲載 ) ↓ンとこない。 ョ 2 「時をつげる針を数えよ」 "Count ジ the Clock that TeIIs the Time" つぎに、ヒュ 1 ゴ 1 賞だが、各部門受 ーラン・エリスン 賞者は昨年十一月号の「世界情報」 でも書いたので、ここは作品部門たけを 3 「高所からの眺め」ジョ 1 ン・・ヴ インジ ( 本号掲載 ) ( これが *-o ″かといわれる人もいる第三席までならべよう。 かもしれないが、そう、確かにこれが現〈ノヴェル部門〉 『トリ 1 ムスネ 1 ク』ヴォンダ・マッ 代アメリカなのである ) ここでは、ネビュラ賞よりも先の特徴 キンタイア 中篇部門のチャールズ・ (-) ・グラント がずっとはっきりうかがえる。長篇部門 は、前々年に「影の群れ」 ( 本誌一九七 2 『白いドラゴン』 "The White Dra ・ は三位まで何と女性作家が独占 ! 全部 門第三位までの割合からいってもちょう 八年十月号 ) でネビュラ賞を受け、紹介 gon" アン・マキャフリイ 4 3

10. SFマガジン 1980年1月号

が、私の本音なのです。おそらく、古く 時代的変化をとらえ、新しい作品の面白彎、 からの読者の多くは、そんなようなことさも認めているということです。古びた を感じていると思うのですが : ものを読めば、ああこれはやつばり過去 これは年寄りの懐旧趣味でありましょのものだ、と感じると思うのでありま うか ? 嫌らしい保守的発言なのでありす。そして、これらの過去からやってき ましようカフ・ た作品を読んで、そう感じたとすれば、 答えは、伊藤典夫、浅倉久志、両氏の私は自分がオジンではないことを納得で 手で編まれる〈マガジン・ベスト〉きるでありましよう。 レ で、結果はどうたったかと、 しいます 「『冷たい方程式』および『空は船でい 0 。はい』の中にあるように思うのです。こ と、良いのですよ、やつばり : こに収められた「当時の名作群」が時のれこそがじゃ、と感涙にむせぶとい えます。 流れの中でその魅力を失っており、現在 うほどではないのですが、かなりそれに はっきりいって、私は、最近の洗練さ 生み出されているに比べて、著しく近いものでありました。一九四〇年代、れた作品よりも、この本に収められてい 価値を低めていれば、昔のは良かつおよび五〇年代に書かれたものでありまるような作品の方が好きであり、よりス た、などという私は既にオジンでありすから、特に宇宙像などにおいては、どベキュレイティヴであると感じ、価値も ( 自分がオジンであることを認めるにやうしても古めかしさを感じさせますが、 高いように思うのです。やつばり私はオ ふさかではありませんが ) 、保守的なそんなことはさておいて、話の中へグイ ジンなのでしようか。今では書かれるこ 観の持ち主ということになるでしよう。 グイと引き入れる力を持っている作品が とのできない、良き時代のを夢みる ここで私が言っておかなければならな 、ませんが すべてとはいし ほとん愚か者なのでしようか。いや、そうとは いのは、ひとつは、実は私はこの二冊にどなのです。たとえば、本書でいえば、 限らん、どっかに、現代におけるこのよ 収められた短篇のほとんどを未読である O ・»-2 ・ムーアの『美女ありき』は、昨うなのあり方がある筈た、と、まあ か、読んでいたとしても、まるつきりと年訳出された・ポールの傑作『マン・ こんなことを、薄暗い部屋の片隅で、と しっていいほど、忘れていたのでありま。フラス』と同じテーマを扱って、あの長りとめもなく考えているのです。 ( 『空は す ( : : : 宇宙艇への密航者がフレアのス篇に勝るとも劣らない衝撃を与えます船でいつばい』 / 編者Ⅱ浅倉久志・伊藤 カートをはいていたなんて ! ) 。ですかし、ワイマン・グインの『危険な関係』典夫 / 著者日シオドア・スタージョン・ ら、これらの作品を読む時に私が昔の感は、ひとつの人生をふたつの人格が半々他 / 文庫判 / 328 頁 / 380 円 / 早川 激を思い出すといったことは、ないとい に生きるとはどういうことか、という考書房 ) っていいのです。 察を個人から社会的規模にまで広げて、 もうひとつは、私は自分なりにの絵空事でありながら、深刻な読後感を与 をマガ財】第ト 4