オルドビス紀 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1980年10月号
210件見つかりました。

1. SFマガジン 1980年10月号

川ⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 誕生した。それから約六億年前までの約四十億 年もの長い間は、先カンプリア時代と呼ばれ 8 る。この時代には、海中に藻類やイソギンチャ クの祖先などが現われた。しかし、まだ生物の 数は少なく、地球上は淋しい世界であった。 続くカンプリア紀 ( 五億 ~ 六億年前 ) になる と、三葉虫、クラゲ、海綿が出現した。 その次のオルド・ヒス紀 ( 四億三千万 ~ 五億年 前 ) になると、オウムガイ、筆石、ウミュリ、 ウミリンゴ、魚の祖先の甲胄 ( かっちゅう ) 魚 池見照二 などが加わり、海の中は急速ににぎやかになっ カット / 島津義晴 次のシルル紀 ( 四億 ~ 四億三千万年前 ) で 岐阜県の飛騨山中で、いまから四億八千万年きなものまで、約百個。このエオプリミシアは、エビ、カニの祖先が登場、初の陸上植物プ は、これまでの外国の化石研究でオルドビス紀 も前のオルドビス紀のミジンコの仲間の化石が シロフィトンが出現した。 発見され、これが日本最古の化石とわかったこ中期 ( 約四億八千万年前 ) にしか生きていなか このあと、デポン紀、石炭紀、二畳紀、三畳 とは、日本中に大きな反響を巻き起こした。日ったとされているため、この頁岩はオルドビス紀、ジュラ紀、白亜紀、第三紀、第四紀と続い 本列島誕生をめぐる学説が修正を余儀なくされ紀中期のものとわかった。 て現在に至るわけで、生物は大きな進化、発展 るばかりでなく、新たな学問的なテーマも生日本でこれまで発見された最古の化石は、昭を遂げた。今回注目を浴びたシルル紀とオルド み、古生物学、地質学の学界に活発な論議を呼和十一年、小貫義男・前宮城教育大学教授が岩ビス紀は、まだ生物は海の中にとどまってい びそうだ。また、もっと古い化石がみつかるか手県の北上山地で発見したシルル紀 ( 約四億一一た。いわば、生物進化のプロセスの中では「海 も知れない という新たな希望の灯をとも千万年前 ) のハチノスサンゴの化石。今回の発中のゆりかご時代」であった。 し、学者ばかりでなく、化石マニアの夢をふく見により、日本最古の化石は、シルル紀よりも このような地球の形成、生物進化の流れの中 らませている。 う一時代古いオルドビス紀のものとなり、約六にあって、日本列島はどうなっていたのだろう 発見された化石は、介形類のエオレベルディ千万年も時代がさかのぼることになった。四十か。日本列島の地層からは、年代決定の決め手 シア属というミジンコの仲間。筑波大学大学院四年ぶりに古生物学界にはなたれた大ホームラとなる示準化石 ( 標準化石 ) が出土しないか ンである。 博士コース三年、安達修子さん ( 二十五 ) が、 ら、先カン・フリア時代やカンプリア紀の日本列 去る四月二十三日、岐阜県吉城郡上宝村福地一 猪郷教授と安達さんは、この化石を詳しく研島の様子はどのようなものであったかわからな ノ谷で調査中に発見した。同行していた猪郷久究、十月に富山大学で開かれる古生物学会に報 。しかし、多分、アジア大陸と陸続きの陸地 義同大学教授らと調べたうえ、六月下旬、来日告する予定。日本列島誕生をめぐる学説を書きになっていたとみられている。 したオルドビス紀の地質学の権威、スウェーデ換える大発見だけにセンセーションを呼びそうそして、これまでの日本列島形成の学説で ン・ウブサラ大学のマーチンソン博士に鑑定しである。 は、カン・フリア紀に続くオルドビス紀まで大陸 てもらって、エオレベルディシア属のエオ。フリ さて、わずか一センチたらずの小さなミジンと地続きで、シルル紀になると、大陸の東岸の 、シアであることを確認した。 コの化石が、日本列島の起源にどうかかわって浅い海の下にもぐり、大陸から流れ込む砂や泥、 化石は黒色の頁岩 ( 長さ四十センチ、幅二十くるのだろうか 礫などが次第に厚く堆積したとされていた。 センチ、厚さ十センチ ) の中に入っていて、 0 ここで、日本列島形成の歴史をみてみよう。 その根拠は、海氏における地層の堆積を示す ・五ミリ程度の小さなものから八ミリ程度の大地球は宇宙のチリが集まり、約四十五億年前に シルル紀の化石 ( ハチノスサンゴ ) は発見され サイエンス・トピック 日本最古の化石発見

2. SFマガジン 1980年10月号

たが、オルド・ヒス紀の化石は発見されていない側の日本海の部分が陥没して日本海となり、現 谷 地松本へ からだ。 在の日本列島の姿がようやく出来あがったとさ ところが、今回、オルドビス紀の化石 ( ミジれている。今度の化石の新発見は、日本列島の 上 ンコの仲間 ) が発見され、日本列島が海の下に歴史の中で、年代のはっきりしている″第一 長予 もぐったのは、シルル紀より一時代古いオルド章″を、従来考えていたより一時代古くさかの ビス紀からということになった。 ・ほらせることになったわけである。 ノ県岳さ 一 , 鞍見 将米、カンプリア紀の化石が日本列島から見ところで、オルドビス紀の化石は、すでに中ル つかれば、海の下にもぐったのはカン・フリア紀 国大陸の東部や朝鮮半島では発見されている。 岐阜県 石 までさかの・ほることになる。 このため、日本列島が大陸と陸続きだったとす 日切 ン それはさておき、オルドビス紀から海の下にるこれまでの学説では、大陸東部から朝鮮半島 ノー 一 0 田物〕一十 もぐった日本列島は、その後、シルル紀、デボにかけて、化石が発見された個所に南の方から 庫 一フ 宝 ン紀、石炭紀、二畳紀と、約二億年間にわた海が入り江のように入り込んでいたと考えてい り、海底での地層の堆積時代を過ごした。そし て・ハリスカン造山運動により、それまで厚く堆 だが、新化石発見で、いまの日本列島が当時岡 乗ス化 一ノ ( 合高山へ 積した地層は隆起して陸地となった。さらに内は海面下だったということになると「大陸と陸 続きだった」という従来の学説は改め なければならなくなる。 る。また地層の年代を示す「地層の時計」でも ただし、化石発見がまだ一カ所だけある。人類がこの世に生まれてからわずか二百 だから、必すしも日本列島全体が海の万年。それに比べ四億年という二百倍も古い太 下にもぐっていたとしなくてもよいと古の時代に我々を連れ戻す化石。その魅力に取 いう。つまり、日本列島は従来の学説りつかれる化石収集家は多く「我々も新化石を ク ッ シ通り、大陸と陸続きであったと考え発見できるかも知れない」と、夢と希望をふく ミる。その代わり、中国東部から朝鮮半らませている。 こ・こ、過熱気味の化石プームに拍車がかカ 、ト 島にかけての入り江がずっと伸びて、 石オ化石が発見された飛騨地方まで細長くり、化石の産地が荒らされるのが心配である。 今度化石が発見された福地は「化石の宝庫」と 化工達していたと考えてもよいわけだ。 日本列島のあけ・ほの時代に、はたしいわれるところ。新化石発見に刺激されて、マ ン 古アて陸続きだったのか、それとも海だっ ニアが続々と駆けつけ、乱掘してしまわないか 既・第屯本たのかーー古地理学の議論が活発化すと、専門家も地元の人たちも懸念している。 日デるのは必至である。 動植物のように化石にも法律的な保護制度を たル また、今回発見されたオルドビス紀整備してほしいと、古生物学者は訴える。幸い さレの地層は、どのような広がりと深さを今回新化石を産出した地層は、集中豪雨による 見オ持っていて、日本列島の土台となって土砂崩れで覆いかくされ、保護されていて、 発工いるのか、今後の詳しい研究が待たれますぐアマチュアの乱掘にあうことはないとい るところである。 う。しかし、この機会に、化石を貴重な「地球 9 7 化石は、何億年も前の世界の模様をの遺産」「学術資料」として保護することを真 我々に語りかけるロマンを秘めて い剣に考え直すべきではなかろうか。

3. SFマガジン 1980年10月号

S F 大会レポート 「やつほー、 ケイよ。売れっ子なので遅れた はいざしらず、社長の「ダーテイベアの大冒 わ。でも来てしまえば若い男はあたしのものよ 要像魯家を発ち険」が日本短篇をとるなんて信じられないわ。 らあまり信じられないのであたしたちは社長を驚 午後四時四十分。メインホールでは今大会最 台かしてやることにした。出番を乗っ取ったので 大の呼びもの″矢野徹オン・ステージ″が始ま 舞ある。舞台からっき落とそうとしたのに、何も あ ろうとしていた。あとで聞いた話だけど、定員 知らない社長はアホな事に、飛びかかってきた 千八十五名のメインホ】ルに、通路にまでギッ こケイを、「復活の日ごっこ」と間違えて抱きし シリと人が座っていたそうな。でもうちらはそ 瓦めた。あれはコスチ = ームショーじゃ , の後のコスチュ 1 ム・コンテストの表彰式のア で、まあ、つつがなく授賞式も終り、そ 千 シスタントを頼まれていたので、支度のために 高の後に連合会議々長は星雲賞特別賞を発表し 楽屋の方に入っていた。楽屋のモニターで見て た。故武部本一郎氏である。合掌。 たけど、作家、マンガ家、翻訳家からイラスト ンそしていよいよ閉会式。名誉委員長の伊藤さ カ レイター、編集者に至るまで、皆、ゴタマゼに んと実行委員長の佐々木宏さんが閉会の挨拶を なって壇上にあがって挨拶をした。最後には紹ク・ファンタジイ総出演。二位は噂のバンビレし、続いて来年の大会Ⅲのス 介された全員で壇上に上り記念撮影に応じた。 ラのグルー。フ。三位は男性二人による復活のタッフにひきつぎをした。 あんなに広い舞台人で埋まったのよ ! 日。特別賞がターザンに授与された。今回のコ来年は大阪なの。遠いけどがんばって、また ゲストの余りの人数のため、少し遅れて午後スチュームは、メカニック物が少なかったので行くのじゃ。なんつうたって大会ですも 五時二十分、コスチューム・コンテストの表彰ちょっぴり残念な気がする。。ハワード・スーツん。疲れたけど。うじゃうじゃ : 式が始まった。一位はローラリアスのヒロイツ はどこへいった , さて、いよいよ最終プログラムの星雲賞発表 である。結果だけ先に書く。 。日本長篇部門「宝石泥棒」山田正紀 。海外長篇部門「宇宙のランデヴー」・ O 氏 ・クラーク、南山宏訳 紀 正 。日本短篇部門「ダーテイベアの大冒険」高 山千穂遙 ( うっそお ! ) る。海外短篇部門該当作品無し 賞。映像部門「エイリアン」 を。コミック部門「スター・レッド」萩尾望都 賞 。アート部門生頼範義 以上が受賞作である。それにしても他の部門 これがヴァンヒ。レラだ ! 隣りに高千穂遙氏。 205

4. SFマガジン 1980年10月号

りになりますが、次号からページ数が増え、内容 2 紀悟⑨ もますます充実します。なお、定価は十月号と同 ウ 編集後記 正兄龍 じ六百円ですので、御安心ください。ただ、先月 ュ 田 他 " 一三 - 三一三三一一三三一一三一三一三一三一一三三一三 = ミ一一三ミ一三一 = 三三 = 一三三 = 三三 = 三三「ロ写で一約 ~ 果、し 42 一秋〕虍切 ~ 一都 = 氏、の一理載開始・か一月のひ 山岬瀬 タ ■まず、おわびをしなければならないことがありました。申しわけありませんが、いましばらくお ン ます。先月号の編集後記で ( こう書けば、読者の待ちください。 コ イ 皆様にはすぐにおわかりのことと思いますが ) 最最後になりますが、豊田有恒氏の作品は都合に 新 定 終回を迎えた連載についてふれたのですが、「日より休載となりましたが、表紙、目次の差し替え べ 回本こてん古典」については書きおとしてしまが間に合わず御迷惑をおかけしました。また、予 ったのです。なんとも申し開きのしようもない失告にありました栗本薫氏の作品は、次号に掲載と 号 態で、著者の横田順彌氏、および読者の皆様に深なりました。あしからず御諒承ください。 ( 今 ) Ⅷ告月 石一Ⅲ 夫平 いくおわび申しあげます。「日本こてん古典」■今月号の表紙を見て、び 0 くりされた読者も多 ( 予Ⅱ 藤長 ロは、膨大な資料と既存の文学史にとらわれないユ 原林 いでしよう。武部画伯の一番弟子と自他共に認め号年イ レ 石神 = ークな視点とがつくりあげた、日本界の文る加藤氏の万感の思いを込めた追悼作品、胸に迫次 0 ム間Ⅲ 最 岫字どおりの金字塔です。本誌がその掲載誌であるるものがあります。今年も参加しました日本 集 対 特 相 ロことは、実に素晴しいことです。一月遅れで大変大会、年々規模が大きくなって、取材する方も大 ク 賞 殊 心苦しくはありますが、横田氏のこの労作に心か変。広い会場を上下左右、汗をとばして走り回っ ュ一説イイ らの敬意を表したいと思います。 ておりました。しかし、 しいもんです。ファンも ビ解ライヴ ク行 さて、今月は川又千秋氏の連作シリ ーズが完結・フロも一体になって楽しむこの雰囲気。まさに > ネ集プリ いたしました。火星の原野を行くカンガルー部隊大会ならでは、と実に脳天気に楽しんでいたの 材・特・エ 取一 ( ドチ・ > 蘭 のイメージは、まさしくならではの醍醐味でですが、ふと、これだけの大会をかくの如く円滑 梓一均一・ン亜わ一国夫 ~ 市す。近々小社より単行本として発売される予定でに進行させるには : : ・と思い到った時、思わず戦 ワ一 . 泊サ藤 すので、御期待ください。 慄が走りました。そこには大会スタッフの地獄の 海島ヒ田ド・ヨ中本日連一井原 ぐ中く安工ジく栗今くア深石 今月は、武部本一郎画伯の追悼特集を組みまし日々があったはず。夢々おろそかに楽しんではい 怛た。それについて、先日おこなわれた「第十九回けないと襟を正してはしゃいでおりました。先月 回日本大会」でのエビソードを御紹介したいと号広告の十月増刊号は都合により発行が一月のび 国思います。「日本大会」では、例年「星雲ます。いましばらくお待ちください。 ( 池 ) ⅶ賞」と呼ばれる賞が発表されますが、今年はそのーこの夏最大のイヴェント、大会へ行ってま いりました。その規模の大きさと若いファン 特別賞として故武部本一郎画伯が選ばれました。 故人の界に与えた影響の大きさを、如実に物の熱気に打たれ、いやー、楽しかった。ヴァン。ヒ 語るエ。ヒソードであると「いえましよう。 レラはいるわ、クックロビン音頭は見るわ、だけ 本誌が現在のべ・しジ数、体裁をとってからかなど、川又千秋杯の成績は : : : うじゃー。 ( 田 ) マガジン一九八〇年十月号 ( 第二十一巻十 号 ) 昭和五五年十月一日印刷発行発行所東京 都千代田区神田多町二の二郵川早川書房 東京 ( 二五四 ) 一五五一 ( 代 ) 発行人早 川清編集人今岡清印刷所誠友印刷株式会社

5. SFマガジン 1980年10月号

ュ ここで注目したいのは交又点である。 な・せ交又点を渡るのか ? そんなこと は、私にも「わからん」。しかし、一つ官 だけわか 0 ていることがある。かんべむ表託 さしの主人公たちは、みんな交又点を渡 五郎丸健るのた。 『言語破壊官』の主人公″彼″は、交又 九篇収録の短篇集。中では、やはりタ点を渡ってから、 イトル・ス 丿ーの『言語破壊官』が「君、ちょっと君」 おもしろい。メチャクチャ言語が出てく と、呼びとめられる。この呼びとめるの大逆行」が鍵なのだ。 るまでの手続きがいいし、 声で″彼訂は向こう側に入ってしまうの『意地張月』 「・ほんやりしているのだ , だが、そっちは浮かれ地獄でもあるの この作品のヤスミツ・フジワラ氏も、 という主人公の最初のつぶやきから、で、言語破壊のおまつりが始まる。 『言語破壊官』の″彼″と同じように、 奇妙な理屈が展開しはじめるところには 私には昔からわけのわからない理論や小説の中で実際に交又点を渡る。ところ 快感を覚える。 言葉に心地よさを覚えるところがあるのが、フジワラ氏は、誰にも呼びとめられ この作品について、作者は、あとがきで、 ( ナモゲラ語族の小説は大好きだ。す、自分からタクシーを呼びとめてしま で自問自答している。 実は、『言語破壊官』という題名が、 うのだ。だから、この小説は落語になっ 「な・せ主人公は無職なのだ ? 」 『一言語は快感』とも読めることに気がっ 「知らん」 いて、にんまりしているところなのであ『頼母子島』 「なんで交又点を渡らなけれ・はならんのる。 この作品は、少し弱いような気がす 以下、ほかの収録作品にも少しふれてる。渡し船が交又点であることは、これ 「わからん」 まで述べたことによって明らかだろう 「いま仮に同じアイデア・カードがあっ 『スリム大佐の回想』 が、作中のメチャメチャ言葉、「しぎら たとして、書けばこんな話になるのか否これは、さきほどの交又点理論を使えいもこ、丿、 しーカいがんこう : : : 」に、あと ば、幼児期に交又点を越えた男が、記憶になって意味が付与されるのが、いかに 「やってみなければ何とも言えん。聞くを逆行して、そのときのことを追体験すも物足りない。 る話たといえる。最後のくだりの「記憶『サテライト』 かんべむさし著 『言語破壊官』 かん々むさし、最新作品集 ま第ミ材のを務第旅ま

6. SFマガジン 1980年10月号

今や門倉氏はものレコードの蒐集、分類らされるなど、意欲的な催し物だった。一般いたのだが、特に名を秘す某「宝石」の カラーベージでレコードのジャケット紹介な のギャラリーも多かったと記億する。 の専門家みたいになってしまった。 さて、この音コンだが、今までになか実は、このイベントの少し前に、ア化ハムどという洒落たことをやられてしまい、モノ ったタイ。フの会だ。初期の頃は、虎の門にあ試作中の冨田氏のスタジオに、音コンの連中クロページの悲しさ、白黒写真並べたって面 ・ルームで、日本に入と押しかけたことがある。部屋中にギッシリ白くも何ともない。正直言って、最終回をど ったビクターのショー ったばかりのアー・フの。フロ・ソロイストといの機材に驚いたものだ。思えば、シンセサイうやって〆ようかと悩んでおる次第なのだ。 うシンセサイザーを使った演奏会 ( 何を隠そザーもポ。ヒ = ラーな楽器になってしもうたなそれはそうと、あなた週刊誌の梨元レポー う、演奏したのは僕の・ハンドだった。もっとあ。なんと、このとき、松武秀樹に初めて会ト読みましたか ? 才女中島梓が歌手になる 。、いなあ作家が・ハンドやると記 ・マジック・オーケ日ですって ったのだ。彼はイエロー もその頃はまだ学生のアマチュア・・ハンドだ ったが : ・ : ・ ) を開いたりしていたが、そのうストラを始め、今や売れっ子のプログラマー事にしてくれて。ミ = 】ジシャンがパンドや ったって当たり前だから誰も書いてくれやし ちに出来て間もない高田馬場の・だが、当時はまだ冨田氏の許で修業中だっ この・ハンドの。フロモーションというの >< の・ヒクターのフロアで冨田勲氏の「月のた。機械いじりと音楽の好きな熱心な青年とない。 が結構大変な作業なのだ。レコード会社の宣 光」を聴く会を・フロデュースするという快挙紹介された。 をやってのけた。まだ冨田氏のシンセサイザさて門倉氏とあペ氏の後継者が、現在の代伝というのは本命をいくつかにし・ほってやる だけの資カ人材しか今のところないから、 ーのレコード が話題になる前のことだ。売れ表者・秋沢豊氏である。今に至るまで耳コミ るかどうかわからないからと渋るレコード会で会合を開いてきた伝統は崩れてはおらず、きおいマネージャーや所属事務所の力関係っ てことになる。最終回は逆上して界唯一 社の宣伝マンを音コンの連中が説得して、自三 ~ 四十人ながら頑張っている。 三氏ともこの会以外に、ラジオ番組の芸能人・難波弘之があばく芸能界・音楽界 宅からあの巨大なシステム・シンセサイザー を運搬し、そのメカ = ズムの解説を冨田氏自の野球の雨ガサ番組 ) を担当したり、新宿の実態ってやつで迫っちゃおーかな。 マイ・シティのイベント広場で行なわれる ディスク・ジョッキーに登場したり、原稿 ~ を ~ ~ 、 を書いたり、大活躍だ。 ご参考までに、連絡先を記しておく。興味 氏のある方は一度のそいてみては如何 ? 〒盟横浜市神奈川区鶴屋町 2 ー ぞ 秋沢豊 ( 、、べさてと、ご好評をいただいた ( ? ) このコラ ムも、お蔭様で六回の予定が九回に延び、来 月号をもってめでたく任期満了ってことにな った。実は、今月でチックなレコードの 分類を秋沢豊氏の資料を元にやろうと思って 秋沢豊氏

7. SFマガジン 1980年10月号

山下達郎のニュー・アルバムのレコーディ たらえらく喜んで、レコードに早川書房 / 今 ングのまっ最中である。九月に発売される今岡清のクレジットを入れるというからーー早 度のには、「夏への扉」が収録されるは川書房様、僕を表彰して下さい。しかし、キ ずだ。この曲はもともと僕の「センス・オヴ ーポード奏者が何でこんなことせにやいかん ・ワンダー」のために山下が書き下ろしてくのかなあ。まあいいさ、何しろ日本で、リッ れたもので、昨年書いた曲の中では最も気にキイとダニイの会話がレコ 1 ドになるんだか 介 入っているとか。僕の下手糞な歌で世の中にら。 カロ 出回っていることに我慢ならず、とうとう自 分で歌ってしまうらしい。僕はキーポード奏日本には俳句短歌の同好会と並ぶほど数多 ′者、あっちは本職の歌手。どっちがうまいかくのファングルーゾがあると言われてい は歴然としている。いやみな奴だ。 ( 最近、る。僕もかってはファンダムで熱心な活動を の 僕のレコードを買って下さった方から手紙をする生意気少年だった。 ( どうもその頃のイ 沢山いただくようになったが、どうしたわけメ 1 ジが未だに尾を引いているらしく、もう ン か歌が下手だという苦情は一通もなくホッと立派な社会人なのに誰もそう認めてくれなおよそそういった後に残る出版物や資料がな コ している。普通の音楽ファンの女の子から、 いという変わり種がある。会合だけというグ 。困ったもんだ ) 「宇宙塵」に「青少年 これをキッカケにを読み始めました、とファン活動小史」を連載していた頃までループである。しかもその集まりも、喫茶店 か、「地球の緑の丘」をのそいて全冊読みまは、僕もファンクラ・フの動向を把握しているで馬鹿話をするという形ではなく、小人数な したー・ーー早川書房様、僕を宣伝マンにして下っもりだった。しかし、もういけない。こんがら一回一回がちょっとしたコンヴェンショ とかいう手紙をいただくとやはなにがメジャーになってしまい、フンの体裁をとっているのだ。 りしてやったりと思うもんね ) アンも多様化してしまうと、どうにも調べよその名も「音コン」という。発足はも は ところで山下だが、今やベストテン歌手、うがない。昔はファン・クラ・フ間の横のつなう七年程前になる。の門倉純一氏と、 えらいことになったもんだ。普通メジャーこ 冫がりが緊密だった。「宇宙塵」やら「日本ビクターのあ・ヘ・りようそう ( イラストレー 回 〈つ自分 0 趣味主張を押し通すと = ろが」かにもグ ~ ープ 0 = とがわか 0 たも 0 だが、今や故か = 0 人 0 名を漢字で書く習慣がな」 ) 氏 あいつらしくて好きだ。今回も、ハインライ「ファンジン・レビュー」もないし、 ( もつが中心となった、ファンであり同時に音 ンの原作にそっこん惚れ込んじまって、原作ともあったところで今の分量じゃ柴野さん一楽ファンでもある連中の集まりなのである。 門倉氏に尋ねたところ、最初は映画の のセリフを入れたいと言い出した。君、イエ人ではとても紹介しきれないだろう ) 大 サウンド・トラックや、 ()o 的な音楽を聴く ナかゼン・ブックスへ行って買ってきてくれ会の即売会やファン・グルーブ紹介でリサー ような会を作ろうと思い立って仲間を募った というので何軒も探し歩いたが見当らない。 チする以外に手がない。 思い余って早川書房は今岡変集長にし ところで、ファン・グル 1 プはたいていフのだが、皆興味はあるのにその手のレコード て原書版で該当箇所を探してもらった。そのアンジンを発行したり、会合通知のハガキをのコレクターは一人もいなくて、結局門倉氏 英語のセリフに僕が傍書きをしたものを渡し刷ったりするものだが、長く続いているのにが集める破目になってしまったのだそうだ。 門倉純一氏 0

8. SFマガジン 1980年10月号

供の頃、この映画のセンス・オ・フ・ワンダーにることができたのも、この人のおかげなのだ。 こんど「キングコング」のノーカット 感動したのだ。そして二十数年後、再見して、 その特撮の稚拙さに失望するどころか、それを版 ) と「宇宙戦争」を観せてくれる約束になっ 逆に武器としてキャン・フな笑いを呼び起す、ている。その彼が開場前からの映画マラソンの 映画グラフィティの一つに変身していること記録を撮ってくれた。ファンって本当に素 に驚きを感じてしまった。製作当時の意図とは晴らしい連中ばかりなんだなと、あらためて思 思いもよらぬ方向で、この映画は興行性を身にったりする。 つけてしまっているのだ。これは、現在、もっ と多くの映画ファンに見てもらいたい。すなはははははは。でも、やっと終ったのだ。 体力の限界に挑戦する映画マラソン。とに ごく楽しいから。 かく、仲間うちだけで気楽に観る会にしようと 亠 = 0 映画マラソンの開演から終了までの記録思っていたのが、とんだところまで膨れあがっ 。でも、暴走族やャーサンの侵 を 8 äで撮ってくれたのが、村上修平くん。彼てしまって : ・ とい、つ、冫 . 「ゼント のことを書いておこう。彼は熊本で、独力で 8 入もなくよかったな。あの時は、もう、おれた プちま - 」ま äのフル・アニメを作りつづけている。おれとちのような企画を他の人たちがやるとき、悪い 同い年の三十二歳。作品は「ロスト・ワール先例にならないようにしよう : : : それで精一杯 ん、朝まで見ていってください。兄さんの持っド」。十年間で十八分間作ったというすごい人だったんだ。最初から最後まで座席につけなか なのだ。昼は村上電機工業というモーターの修った入場者のみなさん、ごめんなさい。おれ達 ていた前売券は払いもどしました。 理をやる経営者。といっても、おふくろさんとの不手際でした。最後までロビーのソファーで 一番うけた映画は、大映の「宇宙人東京にあの二人ぐらし。高校在学中に、おとうさんに先眠りこけていたお母さんたちお疲れさま。友だ らわる」かな。もう二十年以上も昔の作品。布立たれ、あわてて家業を引継いだが、モーターちになれたファン、映画ファンの人たち、 製のパイラ星人が登場すると失笑が漏れ、・ ( イの修理なぞそれまでやったことがない。見ようこんどはあなた達が主催しておれ達にゆっくり ラ星人の宇宙船がうつると、また失笑。宇宙で見まねで専門書と首っぴきでコイルを巻いて、映画をみせてください。もう、おれ達はパスし 煙を上に漂わせながら飛ぶミサイルには、またそれで青春時代を終えてしまったと述懐しています。 また爆笑の渦。「 2001 年」以前と以後でた。特撮映画が飯より好きで、映画の 8 E 十五時間半を、真夏の夜の夢を見ながら一緒 コレクションも大変なものだ。あの「放射能に過ごした数百人の人たち。おっきあいくださ 映画は、はっきりと変革してしまったが、こ の「宇宙人東京にあらわる」は、まぎれもなく」や「空飛ぶ円盤地球を襲撃す」に再会できって、本当にありがとう。苦しかったけど、翌 おれの原体験の一つだったのだ。おれは子たり「イーマ竜の攻撃」「メトロポリス」を見朝は爽快だったよね。ネッ。

9. SFマガジン 1980年10月号

なははははははは。終ってしまった。狂気の転車の整理。近所からと通行人の苦情。自転車う。なんだか昔の自分を見てるような変な気分 ミッドサマー・映画マラソン。八月二日午を移動させるために、かかえあげながら泣きた になっちゃうのだ。 後の二時から八月三日午前五時半まで、なんとかったなあ。これじやボランティアじゃ。いま 十五時間半。暇といおうか拷問といおうか、延モゲラが、怪光線を放射しとるころなのにな全然、知らんかったのだけれど、県条令によ べ六百人が挑戦したのですからな。文化の辺境あ。わじが見だい映画を他人に見せて、何故わると夜の十一時以降、十八歳未満を映画館にと 地、九州のウエスト・コーストでイヴェントにじが、他人の自転車をがだづげでやらにゃあいどめておいてはいけないのだそうな。それが映 飢えたファンたちが集まったのなんのつ かんのじゃあ。 画マラソンの二週間前にわかった。それで、熊 て。無慮八本立にて千五百円の大盤ふるまい 本クラ・フの会員たちは入場に際して、十八 おれも、主催熊本クラ・フの一員としてつつ おれは「時計仕掛のオレンジ」の上映時間、 歳未満の入場者に関してはチェックをすること ばっちゃったわけ。 キップのモギリをやっていた。。フレイガイドでになった。ーー午後九時半までで映画館を出て 売れた前売りが百五、六十だったから、当日券もらうことを条件に入場させる。それがいやな おれがやったこと。映画館の前にならんだ自で二十枚前後売れればいいと思ってたほどだつら払い戻しする。どうしても最後までいたいと た。ところが何ということでありませう。どこ いう少年少女は、父兄に同伴してもらう。 から湧いてくるかは知らないが、当日券でどか ファンというのは、げに執念ぶかいものです どか入場してくるのですよ。当日券が、五十枚な。電話でおふくろさんを呼びだしていた。こ 捌けた時点で立見がでるというので、販売を中のお母さんたち、全然なぞ興味のない方た 止して前売券のみの入場ということに切換えちばかりのようで、所在なげに朝までロビーに た。ところが「当日券の販売は終了しました」座っておられました。偉いなあ。おれ、あんま の貼紙にもかかわらず、泣きついてくる人が続り申しわけなくって、蚊とり線香を持っていっ 続いるのですよ。「沖繩からきました。立ちってあげたのです。 ばなしでかまいません。明朝またすぐ沖繩へ帰 るんです」「お願いします。山口からです。ぼ午前一時半。ヴァ ーミューダー・ズボンの兄 く、一きようの映画みたくて、みたくてたまらなさんが会場へとびこんできた。「二時からでし かったんです。立見します。中へ入れてくださよう。開演は」嘘のようだが、本当なのだ。昼 い。・ハイトやってたんで、前売券を買う金がなの二時からだったと説明すると、泣きそうな顔 かったんです」こんなファンには弱いんだな になり、「ぼくは今まで、酒飲んで時間つぶし あ。おれって、こんなファナティックさに出てたんだ。店が閉まったから、仕方なく、はや 会うと、すぐ感情移入しちゃって入場させちやすぎるかなと思ってここへ来たんだ」すみませ 定新コラ ハロ郎 ソノ 梶「 ゖ 6

10. SFマガジン 1980年10月号

第六回ハヤカワコンテストは、残念ながら入選作品 こそありませんでしたが、佳作作品一篇、参考作三篇と、 将来を期待される新人が一挙に四人も登場しました。結果各 式についてはすでに本誌に既報のとおり、御存知のことと隸の いますが、さる七月十七日、授賞式が行われたので、その河 模様をお知らせしましよう。 受賞者は偶然にも、佳作の大原まり子氏、参考作の火浦 功氏、水見稜氏とそろって大学四年。また大河司氏も同年水 ~ 齢ということで、まさにスタート・ラインの一線にならん二 だ、という感じです。 授賞式は四氏とも緊張の面持ちでしたが、式が終了した原 ( 後の懇談会では同年齢の気安さということもあ 0 てか、な大「、。 ごやかな雰囲気で談議に花が咲きました。また、大原功 氏は卒業論文を「ファンの意識調査」という内容にさ火 れたそうで、他の三人の方からさっそくアンケートを取ら れるなど、なんとなくファンの会合のような雰囲気で左 した。 四氏ともやる気は充 分、現在短篇をそれそれ子 ゞ ~ 執筆中で、マガジン 誌上にやがて登場してく原 ることと思います。すでる に大原氏は受賞作と同じ 受 未来シリーズの新作が書を きあがり、本誌に掲載さ賞 れる予定です。御期待く ・こ MJ い ( 今 ) ロ 5