生物 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1981年3月号
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1. SFマガジン 1981年3月号

のか知らなかった。足元の方が淡い緑の植物でおおわれていて、紫大気の中へと進出していった。そしてその前例にならって、鍋の中 の生物たちも、見事に重力を克服しはじめたのである。 色の空がひろがっている。その中でふたりは、自分たちの愛の結品 を見つめて微笑していた。写真の発色の具合だろうか、妙にその世 界は非現実的なものに見える。まるで地球のじゃないみたいだ。 ジェニーは洗面所に行って、自分の顔を鏡で見た。ビアノにもっ 両親の顔にも肉感がない。乾いたチ 1 ・ズの表面みたいな肌だ。ジ = れた部分の髪が、不自然にクセがついていた。そういえば、もう何 = ーは思った。見知らぬ惑星の上で、ひからびた笑顔をした二体の日もお風呂に入っていないわ。そう呟いて頬をさすってみた。焼き マネキンに抱かれるわたし ジ = ニ , 、自身は、。ほかんと口をあたてのトーストみたいにがさがさする。 けて、どこか遠くの方を見つめているように見えた。笑ってはいな ジェニーはお湯の栓をひねって ' ( スタブを満たしはじめた。彼女 はすぐに服をぬぐと、まだ底の方に湯がたまりはしめただけのパス をフに長くねそべった。タゾはジェニーがちょうど寝そべるだけの 各種のアミノ酸、塩基、リポース、は、むかし「原始地長さがあった。お湯はジ = = ーのお尻から肩にかけてのすきまでチ 球」が行なった数百億倍のスビードで濃縮、重合が進んだ。そしャプチャ。フと波うった。ジ , = ーは後頭部を湯の中にひたした。う て、ほぼ半日でタン。 ( ク質や核酸がうまれ、それがさらに有機的なしろ髪がゆれて、肩のあたりをくすぐった。手で湯をすくい、から だの上面にかける。湯は次第に耳たぶをぬらすようになってきた二 小宇宙を形成し、一日たっと原始的な生命が誕生した。生命体は、 温度差による対流の中で急激な増殖と進化をくり返し、単細胞生物このままでは耳の穴にお湯がはいるわ、ジ = = ーはそう思いながら から多細胞生物へ、微小な浮遊生命体から次第に複雜な器官を持つ目をとした。タ・フの底を通して、湯の落ちる音が響いてくる。あた たかい感触が次第に全身をつつみこむ。一年ぐらいこうしていた 大型生物へとその姿を変えてゆく。 三日目、鍋の底には海綿動物や腟腸動物が出現した。その日の遅ら、わたしの肉が全部そげ落ちて、わたしのスー。フができるかし くには棘皮動物が生まれ、四日目になると、軟体動物と節足動物がら。ビアノの中でお湯をわかして、わたしを煮つめたら、自然な具 現われた。生物進化は加速度的に速くなり、その日のうちには原始合にビアノになれるかもしれない。 的な脊椎を持っ魚類の先祖が現われ、鍋の中を泳ぎはじめた。不思耳に湯が人りかけたので、ジ = = ・ーは頭をおこした。うしろの髪 議なことには、それらの生物たちの総重量は、最初あ「たスー。フのから湯がしたたり落ちる音がした。自分のからたを見ると、足の 先、膝頭、なたらかな腹部、両の乳房だけが水面より上に出て、と 重量よりはるかに大きくなっていたのである。 約五億年前、地球において、どうして生物たちがすみ慣れた海洋びとびの島になっている。 7 0 つま先の上の方に変なものが見えた。・ハスタ・フのふちにのつかっ をあとに、陸上へと進出していったのかはいまたに謎である。しか しともかく、生物たちは進化によって立ちはだかる困難を克服してている。最初はタワシみたいなものに見えた。しかし、そのコゲ茶

2. SFマガジン 1981年3月号

E 〃夜言 0 / ツを Sy 夜〃がある 異星人 ALIENS XII い、。鉄磁性 " の生命が地球に発生し炭素 には無機生命が登場する。後者では , 新し 1887 ) と "La mort de la terre" ( 仏 191 の の作品にも現われる。 "Les xipéhuz ” ( 仏 うひとりのフランス作家 J ・ H ・ロニー兄 Urania ( 1890 ) がある。異質な生物は , も 面でのもう少し通俗的なロマンスには , らない必要上生まれたものである。この方 生 ) において魂の容器を想定しなければな り , 異星生物の概念も , 輪廻転生 ( ーー + 再 ある。フラマリオンは魂の不減を信じてお っている生物や , 知覚を有する植物などが 養分の摂取が一つのフ。ロセスの中にそなわ オンが語る異世界の生物の中には , 呼吸と 。ここ、でフラマリ ( 1897 ) にまとめられた にふくらませ , それらはやがてん″襯紐 ンは空想の対話形式でこのアイデアをさら よって , まず巷間に普及した。フラマリオ に記れイ / 襯 ag み取Ⅳ 0 ( 1865 ) に フラマリオンのノンフィクション風著作 異質な生物のアイデアは , カミーユ・ 思想の , 当然の帰結であった。 ウインが発展させた進化と環境への適応の る。その概念は , ラマルクに始まり , ダー は , ようやく 19 世紀後半に入ってからであ ったく異質な生命形態の概念が現われるの 概念 , その延長として , 地球的発想とはま 転倒もある。異なる法則に基づいた生命の 改良もあれば , 諷刺的誇張もあり , 役割の 施して再現したものばかり。ユートピア的 く。地球上の生命のあり方に些細な修正を れが演じている役割はすぐに見分けがつ 動物は , ときには奇怪な姿であっても , そ 物には出会わない。彼らが遭遇する人間や 異世界の訪問者は , 真の意味での異質な生 17 世紀から 18 世紀にかけての物語では , 型生物に取って換わる。異質の生物を積極 的に肯定することでは , ロニーもフラマリ オンと同様で , Les navigateurs de l'infini ( 仏 1925 ) では , 6 つの眼と 3 本の脚を持 つ火星人と地球人との恋愛が描かれる。フ ランスの進化論派哲学者ラマルクとベルグ ソンの伝統を受け継ぎ , こうしたフランス の初期 SF 作家たちは , 巨大な進化の機構 の中で , ヒトと異星生物をほぼ同等のもの として捉えていたらしい しかしイギリスでは , 進化論はダーウィ 2 G ・ウェルズであり , 問題の作品『宇宙戦 た。この役回りをひねりだした作家は H ・ ーウイン的競争者 , すなわち人類の敵だっ ってきたとき , 彼らに与えられた役は , ダ て英文学の中で異星人に登場の機会がめぐ りが減びる生存競争に注目した。したがっ には目もくれす , たた適者が生き残り , 残 耳られていた。彼らは偉大な進化の仕組み 、ツクスリイに牛 ンとトマス・ヘンリイ アナログ誌 1975 年 7 月号 ヒューマノイド型異星人

3. SFマガジン 1981年3月号

川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢは 争』 The Ⅳだ〆 / んⅣ。み ( 1898 ) は 異星人を地球の侵略者一一のちにこれは S F の常套アイデアとなる として描くと ともに , 異質の生物を見るもおぞましい怪 物と見なすパターンの先鞭をきった。 20 世 紀初頭の科学的ロマンスの時代にも , 異世 界の訪問者たちは引ぎも切らず , その地の さほど異質ではない住民 ( すなわち , 擬似 人間 ) と会いつづけたが , そうした世界の 大半はまた恐ろしい怪物どもの棲息地とも なっていた。 ウェルズはさらに『月世界最初の人間』 7 ' 厖 r 立気〃切励 6 M00 れ ( 1901 ) で 異星人社会の古典的な描写を行ない , この 作をもって異星生物とはきつばりと縁を切 った。 S F が独立したカテゴリーとしてバ ルプ雑誌界に現われたとぎ , それが継承し た異星人は , ウニルズの開発になる悪役の 属性こそ備えていたが , その役回りの背後 にある論理的思考は見過されていた。異星 の怪物とその来襲は , たんにメロドラマ的 な効果をあげるためだけにおびただしく用 いられたのである。 こうした小説のクライ マックスは , ふつう大量殺戮だった。この 分野での多産な作家には , ェドモンド・ ミルトンとエド・アール・レップがいる。 宇宙への進出の過程で , 人類は穏健な異星 人と出会うこともあったが , 彼らは通例 , 怪物的な種族に迫害される立場にあり , 人 類の介入を必要としていた。また味方の異 星人が , 哺乳類や鳥類の特徴をさまざまに 取り揃えた風貌であるのに対し , 敵にまわ る異星人は , 爬虫類 , 節足動物 , 軟体動物 ( 特にタコ ) などに例外なく似る傾向があ しかし , これは無理からぬ生物学 った 的差別思想とはいえる。動物ではない異星 人 ( 知覚を有する植物や“純粋エネルギ ”生物 ) となると , 道徳的にはさらに柔 軟になる。極端な場合には , 異星人の味方 と敵が , 善と悪の象徴を演じる例さえあっ 259 た。 E ・ E ・ " ドック”・スミスの 0 、レソ ズマン〃シリーズにおける ) アリシア人と ェッドール人がそれである。 数は少ないながら , ダーウイン的視点を 双方に応用し , 人間を異星からの侵略者と して描く S F 作家もいた。ェドモンド・ ミルトンの "Conquest Of Two Worlds ” ( 1932 ) , P ・スカイラー・ミラーの "For- gotten Man 0 「 Space" ( 1933 ) は , 初期 のきわだった例である。 異世界の異様さを印象づけたいという単 純な意図から , 作家たちは知覚を持たない 生物ーーおもに植物ーーーの創出こそ怠らな かったが , 知的生物に関して唯一目立った 新展開が起こるのは , スタンリイ・ワイン ポームの「火星のオデッセイ」 "A Martian Odyssey ” ( 1934 ) を待たなければならな い。異星生物をかなり複雑に , しかももっ ともらしく描いて , この作品は読者に強烈 な印象を与え , 今もって古典の地位を保っ ている。レイモンド・ Z ・ギャランは「火 星人 774 号」 "Old FaithfuI ” ( 1934 ) で , 大衆化したダーウイン説とハックスリー的 非情さにまっこうから挑戦する。人間と火 星人が , 極端な生物学的差異を乗りこえ , たがいの知的同族性を確認するのだ。この 物語は , 相互理解の力強い希求であり , 協 調の価値に力点がおかれている ( 大衆化の 波にまぎれて見失われがちではあるが , ち ようどダーウインが『人間の由来』 The の“〆 Man ( 1871 ) の中で , 集団の 永続性を説いたように ) 。この精神は , ラ ミルン・ファーリーの「液体生物」 ノレフ・ "Liquid Life ” ( 1936 ) にもこだましてい る。それは次のような感動的な文章で終わ る。「というのは , 一介の濾過性ビールスに 対しても , ( 彼は ) おのれの名誉をかけた 誓いをまも。たからである」は輝 ) しかし異星人の脅威は , その後長年にわ たって S F の中で力をふるうことになる。 XIII

4. SFマガジン 1981年3月号

に画面の下から細い筋がの・ほってきて、画像を掃く。 やがて、ジェニーと同じくらいの背がある大型類人猿が現われ 電話がなり、ジェニ 1 は立ちすくむ。前まであれほど待ちのぞん た。彼らはそれまで出現した生物たちのうちで最も強い生命力を発 でいた電話のベルが、ひどくけたたましいものに思われ、彼女は極揮した。オランウータンと思われる一匹は、自分のカで鍋から外に 度の不安に陥った。ジェニーは近くにあったコップをつかむと、電おり立っと、全身の火傷に苦しみながらも、ジェニーめがけて歩み 話めがけて投げつけた。コップは電話にはあたらず、電話をのせてよった。ジェニーは逃げることもできなかった。恐布に目を見開い ある台にあたって砕け散った。ベルの音はますます感情的になってて、立ちつくしていた。オランウータンは、山をなした動物たちの いくような気がして、ジ = ニーは気が狂いそうになった。電話から死骸につまずき、ジ = ニ 1 の足元に倒れた。オランウータンは悲し さまざまな悪意がしのびこもうとしているように思えた。 そうな声をあげる。立ちあがることはできなかった。彼はそのまま ふいに電話のベルはやみ、数秒後、軽やかに時計がポーンと隝っ ジェニーの方へ前足をのばし、彼女の足首をつかもうとした。ジェ ニーは動かない。オランウータンは、ジェニーの足首にとどいたも それと同時にレンジの方ですごい音がして、もうもうと蒸気があのの、それ以上どうしようという気もないらしかった。ジェニーの がった。マナ板はどこかに吹きとび、ふたのすきまから沸騰したス目を見て悲しそうに一声あげると、がくりと首を落とし、動物たち の山に埋もれた。 ー。フがあふれ出ていた。 ジェニーは目をそむけようとしてそれができなかった。床にこ・ほ鍋の創造は、そこで一段落したようであった。まだ白い泡が吹き こ・ほれてはいるが、だいぶ静かにおさまっている。しかし、ジェニ れた泡の中には、さまざまな動物の死骸がまじっていた。厳密に言 ーの気はまだ鎮まっていなかったし、いやな予感もした。 うと、それは死骸と呼べるのかどうか疑わしいものも多い。まだ生 遠くで砲声がした。 まれてきていない、形成途中という生き物もたくさんその中にあっ たのである。そして、よく目をこらして見れば、ネズミやウマに似 テレビはいつのまにか、何も映っておらず、サーというホワイト たそれら動物たちは、たしかに死んではいるのたが、形態が少しず ・ノイズだけが部屋を満たしている。 っ変化していたのだ。それらは徐々にジェニ 1 が知っているネズミ 今は一体何時なのだろうとジェニーは思った。気が動転している やウマや、ウシやキツネになって、床に累々と積み重なった。 くせに、そんなことがなぜか気になった。 やがて、まだ生きている生物たちが、瀕死の状態で鍋からはい出時計は四時四十三分をさしている。いつの四時四十三分なのか。 てきた。サルは全身に火傷をおい、まっかにはれあがったからだを窓の外は暗い。多分、早朝なのであろう。ジ = = ーの頭の中では、 もてあますように、苦しげに鍋のふちをはいあがり、床にころげ落脈絡のない思考がぐるぐると渦をまいていた。 ちた。 ( トによく似た鳥が、はばたこうとしてかなわず、同しく床ママ、と叫びかけて、またいやな予感がした。その予感はあたっ に落ドした。 てしまった。

5. SFマガジン 1981年3月号

日カール・アンダース、エリスン・ケイン、アリ を実験動物としてとじこめてしまうことに反対し、研究には協力す シア・ケイン ) により発見される。四一三三年、第一次調査団るからという条件で、ひきとりたいと申し出たが、もはや、かれの が派遣され、四一三八年、第二次調査団が結成されたが、・ とち身柄は政府にうつっていた。 らの場合も、調査団は該当星域にこの惑星を発見することがで「それに、あなたがたはパイロットで、定期的に地球を留守にされ きなかった。ランプラー ・マウスの存在と共に、この惑星の出るわけだしーーーなに、心配いりませんよ」 現と消失はいまにいたるまで惑星開拓史の最も巨大な謎のひと研究所員は、いかにもかわいいというように目をほそめてミッキ ・マウス / 「惑星の っとされている。 ( 関連資料 / ラン・フラー 】を眺めながら云ったものだ。 自由軌道についての一考察」アルビン・マイ著 ) 「こんないい子を、モルモットの一匹なんて思うもんですかーーーわ れわれのペットにして、かわいがります。大事にしますよーーもう われわれは、二度とふたたび、ラン・フラーを発見することができすっかり、われわれにもなついているし」 なかったのである。 われわれがどうも面白くない気分だったのは、すっかり養子縁組 もしミッキーがいなかったら、《ビザンチウム 8 》のクルーは、精神をして情のうつった子どもを、実の親たと主張するものにさらわれ たような気落ちのためだったかもしれない。 異常よばわりをまぬかれなかったかもしれない。何といっても、ビ 、ツキーに、とてもひどいことをしてしまったの デオや、コン。ヒュータにたくわえられたデータは、そのつもりにな「わたしたち れば偽造できなくもないものだ。功を焦っての巧妙な芝居と思われかしらね、カール」 てしまったらーー・しかし、生きて元気にうごきまわり、全宇宙の他「だが、 ッキーがかわいがられて幸せなら、それでよしとしなく のどんな生物ともはっきりちがう特徴をそなえた・ほくらの友人のおちゃね」 かげで、・ほくたちは責めをうけるかわりに、宇宙の巨大な謎のひと がつくりとしながら、帰途、われわれは云いあった。。フレーリー つにかかわりあったという名誉を与えられ、歴史に名をとどめるこ ・ドッグの谷は、はるか星々の彼方にその姿を永遠に消してしまっ とになったのだ。 ていた。それでも、われわれは、地球に帰るたびにミッキーに会い にゆけるのだ かれは、覚えていてくれるだろう。それだけが、 しかし、それは、同時に、ぼくたち《ビザンチウム 8 》のクルーとミ ッキーとの別れをも意味した。いまやミッキーは、まぼろしのランわれわれのささやかななぐさめだった。 ブラー ・マウスの、貴重きわまりないただ一世のサン。フルだった。 いろいろな通俗宇宙史や、もっと本格的な本にも、書いてあるの あちこちの学会から、彼をゆすりうけたい、という中し入れが殺到 し、結局共同研究のために、生物学会の研究施設の一画が提供されはここまでだ。 ることでけりがついた。むろん、ぼくもアリシアもエリスンもかれそのさきを知っているのは、・ほくとアリシアーーーただ、そのふた ー 55

6. SFマガジン 1981年3月号

い子ちゃん。こっちへいらっしゃい」 化して待ちうけている。 アリシアがそこに立ちどまり、動かなくなって云った。 ・ほくとエリスンも、息さえもつめて黒ぶち耳とアリシアとの『最 4 ースト・コ / ダクト われがちに逃げようとしていた連中は、足をとめ、おそるおそる初の接触』の瞬間を待ちうけていた。何かは知らず、その場全体 ふりかえって、黒ビーズの目でアリシアを見つめた。また、小首をに、何かしーんとなるような、期待と、ふれあいと、もろい絆をた かしナ、 。いかにもふしんそうに、お前行け、いやお前こそ行ってよぐりあおうとする心とのーー神聖、とさえ呼びたくなるようなおの うすをみてみろ、とうながしあうようにキイキイ云う。 のきがひそんでいたのである。 「さあ」 「おいで」 アリシアは安心させるように一歩も動かぬまま、やさしく云っ この上もなくやさしい 小鳥のさえずるような声で、アリシアが ささやいた。 「ここへーーあたしの手へ」 「おいで。こわくないのよ しい子ね」 。フレーリー・ドッグたちのキイキイがいっそう激しくなった。 むくむくした毛皮につつまれた生物は、びつくりしたような目を が、その中で、耳のところに両方とも黒いぶちのある、わりあ いじっとアリシアにすえた。そして、この奇妙なしろものは、餌なの 大きな一匹が、いかにも勇を鼓した、というかっこうで、そろりそ だろうか、敵たろうか、それとも、とあやしむように、首をひねっ ろりと、アリシアにむかって近づきはじめた。 た。黒いつぶらな目が、青い空と白い雲と、そしてアリシアのすが しつ。ほがたかだかと宙にもちあがり、左右にアンテナみたいにく たを小さく小さくうっしている 9 ねっている。いつでもパッと仲間たちのところへかけこめるよう、 しばしの息づまるような時間のあとで、小さなねずみは、さいご 半分逃げ腰のかまえだ。 の一歩をふみ出し たぶんこいつは、この連中のなかでもなみはすれた冒険心と、好 そして、アリシアの手に、しめった黒い鼻づらを、おずおすとさ 奇心をもっていたのにちがいない。それにあとで知ったことだが、 しのべた。 この宇宙プレーリー・ドッグたちは、もともとの性質がきわめて人「おお ! 」 なっこく、物おじしないのだ。黒ぶち耳は、そろり、そろり、とと そっと、アリシアがよろこびの声をあげ、やさしくかれの頭をな きどき足をとめては首をひねったり、鼻をひくつかせながら、とうでる。 とう、アリシアが手をのばせばとどくぐらいのところまで近づいて かれは、びくッとからだをちちめた。 : 、 力すぐ、アリシアの意図 きた。 を察して、警戒をといた。 アリシアは宇宙生物学者でもあり、動物の心理はよくわきまえて「まアーーーお利ロね ! 」 いる。ここで動いてはいけない 、とわれわれに合図してじっと棒と アリシアの声は、ひそかな勝利のひびきをはらんでいた。 ん、 ファ

7. SFマガジン 1981年3月号

・ほくは、冷静な科学者のはずのアリシアもやつばり女だな、と内「もしかして、この草の下は、どろどろの沼地かなにかで、気味の わるいへビかなんかが、そろそろいるかもしれないよ」 心思いながら云った。 「意地のわるい人ね ! でも、どっちにしても、生物相についての 「いくら、この星が、ヒスイのペンダントのかわりにしたいほど、 なめらかでかわいらしいからって、第三次探険隊まで全部を全減さざっとした調査をするのもわれわれの義務のうちょ。そうじゃなく せつづけた、ヴェガ系の『うそっき』星の例もある」 いざおりてみ「・から報告が来た。地盤、問題点ナシ。大気組成良好。活火 「『ライアー』は大気組成まで地球型たったくせに、 ると、大気中に、奇病を発生させるウイルスがいて、探険隊員全員山反応その他の異常は認められない」 とエリスン。 を発狂させたんた。 エリスンがうけた。 「・までよってたかって、人をあのマリモにおろさせようとし 「実は『ライア , ー』唯一の知的生命体というのが、そのウイルスたているらしいな。よかろう。しかしちゃんと遺言状は書いといてく ったというわけさ。それに、おおぐま座の惑星の、『ユダ』あれれよ」 は、実に美しい申し分のない星だが、おそるべき秘密があった。あ ゆるやかに、 《ビザンチウム 8 》は噴射の角度をかえて、緑の星 の星はおそろしく公転周期が長いんたが、冬に、いちばん恒星からにむかって降下をはじめていた。 遠のいたとき、必ず大変動がおこり、すべての生物が死減してしま むろん、まだ、少しも警戒心をといたわけではない。しかし、人 うんた。そしてまたあらたに草がもえいでる。一年があまり長すぎ 1 にの第六感というものは、ことに、カンのするどい、アリシアのよ るので、星自らが生物相をコントロールするシステムになっていた うな人間の第六感のひらめきは、充分、あてにしてみてよいだけの んだ」 何かがある。 というそぶ 「宇宙ではどんなことでも起こりうる。そんなことよく知っている そのカンのするどい彼女が、妙に、早く着陸したい、 りをしているのだから、たぶん、さしせまった陥穽にわれわれがお アリシアは怒ったように云った。その間も目は、画面の、その上ちこもうとしている、という可能性は、さほど大きくはないのであ をさやさやとわたってゆく風のさやかさが想像できるような、はてる。それに、・ほくも、さっきからずっと見つめていて、なにか、こ の星に対して妙に慕わしい、なっかしいような、ふしぎな感情をお しない草原からはなれない。 ・ほえているのだった。 「でも、私はこの星におりてみたい。大気のことはともかく、この 草をみるに、あんまり大きな生物が生息しているとも思えないわ母なる緑の星と、同じやさしい緑のヴェールをまといつけている からか。しかし、それだけではとうてい説明できない。もともと、 ね。それにこれたけ見晴らしがよければ、何かに急に襲撃されたり 感傷と無縁なるべき調査メン・ハ 1 だが、どうしても、緑の、地球型 とか、そういう可能性も少ないわ」 ー 43

8. SFマガジン 1981年3月号

奇妙な放惑星に住む生物は、信じがたいほどの愛くるしさだったが 遙かな草原に・ 栗本薰 イラストレーション・新井苑子 ー 3 7

9. SFマガジン 1981年3月号

ーだった。われわれはもう、ランブラーのことをめったにロに出さン・フラーのデータは非常に大きな反響をよんだ。むろん、その主た ぬようになっていた。あの幸せな。フレーリー・ドッグの谷のことる原因は、ランプラーが、太陽をもたぬ惑星でありながら、光明る 5 を、思い出すと何やら自分がどれい商人か、人さらいででもあるよく、 草がおいしげり、朝と夜の交代がみられる、という奇々怪々の うな気がしたからだ。 、、ツキーがほんとうはどう思っていたのかは事実のためであり、また、そのつい数ヶ月前の定期調査では、その わからない。 ミッキーは黒い耳をふりたて、鼻をひこっかせて、ナ星域に、この星はまったく存在していなかった、という、さらにお どろくべき事実のためだった。 ツツでもパンでも両手にささげ持ってかじり、ひたすら愛らしく、 人なっこかった。われわれは、三人がよってたかってこれたけかわ 知的生物と緑の草とをのせて、忽然とあらわれた謎の星ラン・フラ いがっていれば、ただ一匹故郷をはなれてこんな空のたかみにつれ ーに、宇宙惑星生態学会、宇宙生物学会、宇宙地学会など十もの学 て来られても、まあ幸せではあるだろう、と思いたがっていた。わ会や研究機関がつよい関心をよせ、さっそく、本格的な調査船がし れわれのコンビュータのデータ・ / 、 くノクは、新しい惑星『ラン・フラ たてられた。われわれ《ビザンチウム 8 》クルーも、ミ ッキーとと ー』と、その住民たちの資料でぎっしりふくらんでいた。 もにそれに同乗した。 愛とは、ときには、たいへんはた迷惑なものなのた。 このなりゆきは、われわれの予想をいささかうわまわっていた。 アリシアと話したことだけれども、われわれは、ライフラーに滞在 《ビザンチウム 8 》はワープをくりかえし、それから一ヶ月後にはするうちに、したいにランブラー ・マウスの気質がうつってでも来 ぶじに太陽系連邦の首星テラへ到着していた。 たのか、はしめあれほどぎよっとさせられた、その光源の不明や朝 定期調査船は、しよっちゅう銀河系じゅうをとびまわっていると夜のある謎などを、あまり気にせぬようになっていたのだ。要す が、新しい知的生命体が発見されたときの興奮とさわぎとは、いつるにそうなのだからしかたがない ランブラーとはそういう星な までたってもかわることがない。 のだ、と思いはじめていた。それで、まさかこの平凡な星がそんな 放浪惑星『ライフラー』とその住民、愛らしいライフラー ・マウ に学問的な興味のみならす、通俗的な関心までひきつけるとは、思 スのニ = ースは、宇宙生物学会と銀河系開発機構との、最大限の関いもしなかったのだ。 心をもってむかえられ、われわれがそこからつれかえった小さなミ この、失敗におわった第一次と第二次のランプラー調査のいきさ ッキーは、心から歓迎する、という司政官連合のメッセージと、ひつは、宇宙開発委員会編の『惑星全史』のそのページに、も「とも とびとの人気とに出迎えられ : 簡潔に要約されている。 このあとのなりゆきは、どの『惑星開発史』、『宇宙生物学史』、 あるいは『宇宙の七不思議』といった通俗な本やフィルムにさえ出 ランプラー通称「放浪惑星」どの恒星にも所属せぬことで各 ていることだ。かいつまんで云うと、われわれのもちかえった、ラ 学会の注目をあつめた。四一三二年、調査船《ビザンチウム

10. SFマガジン 1981年3月号

レヒ三ウ とは言うものの、この『ツングース特 さらに、極めて暗示的なエビローグもないだろう。このことは、よく指摘さ は、この作品をしめくくる役割を果たされる彼の小説の「ゲーム性」と深い関係命隊』に限って言えば、この考え方がい ささか徹底していなかったうらみがあ ない。それはまた、はるか彼方へと投げがある。 る。もともと「ゲーム的」な小説といえ ・ほくは「ゲーム性」というものが、小 かけられている。 だからこそ、なお、不満はつのる。ク説の持つ「最も面白い部分」を純粋に抽ども、読者の想像力をふくらましてやる ラークの内部で、全ての折り合いはつい出したものであると思っている。などと部分が必要である。それは例えば囲碁で たのかもしれない。だから、彼は、それ言うと、異議を唱える人もあろうかと思の各人各様な布石の構想のように、競技 を『楽園の泉』という形でさらりとまとうが、少なくとも正しい意味で「面白者個人の想像力の反映するところであっ い」小説には「ゲーム性」が不可欠であて、この作品に関して言えば、ツングー め上げたのかもしれない。しかし、もう 一冊、どうしても、もう一冊必要なのる。「ゲーム」の特徴は、ル】ルが閉じスの大爆発当時の社会情勢、核分裂、ラ スプーチン、謎の人物グルジェフ、古代 ていること、勝敗が明確に判定できるこ だ。少なくとも、僕等読者にとっては。 となどがあるが、山田正紀は逆にそれを生物、宇宙船、地底水流がそれにあた ( 『楽園の泉』 / 著者日アーサ 1 ・ O ・ク る。見事な布石で、これらすべてが有機 小説に導入しようとする。山田正紀の小 ラーク / 訳者日山高昭 / 268 頁 / 説を読んで面白くない人というのは、登的につながってくると思うと、読者とし 300 / 四六判上製 / 早川書房 ) 場人物の考え方や感情の起伏を、日常的ては期待に胸おどらせずにはいられな ところが、構想の破天荒さにルール に、自然に納得できないと、物語に没頭 山田正紀著 できないタイ。フの人なのであろう。つまがっきあってしまってはいけないのであ り人生経験とか教養といった・ ( ックグラる。「ツングース特命隊』の中では、登 『ツングース特命隊』 ウンドを小説に要求しているのである。 ところが、ルールに明記されていない要 伊沢昭素を持ちこむのは「ゲーム」として反則 である。山田正紀は盤上の駒だけで戦お うとしているのに、彼の金将や銀将に 山田正紀は意識して「必要十分な」小 説を書こうとしているようだ。彼は内面「人情」とか「人生の機徴」を期待する からにじみ出てくるような小説を書こうのは、読者として心ないしわざと言わね としているのではないし、デ 1 タや理論ばなるまい。物語にとって「ゲーム的」 を並べてそれが小説たなどと言うつもりとは、「潔さ」と同じことなのである。 円 5