Ⅱ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ ! ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢ 少女に恋をするが、少女は成長して少年か ら離れていく。やがて現代で少年と少女は 出会い、とてつもなく意外な結末を迎え る。しかし以上の例を見てもわかるよう に、時間旅行は本質的には、ファンタジイ のための魔法の道具にすぎない。 児童読みものは、この 20 年間、大復興期 の過程にあるが、 SF 純粋派にとっては残 この時期の主な S F 作品は大 芯なことに 部分が境界線上 S F であり、むしろファン タジイに属するといってよい。児童ものの 有名作家の多くが、本事典に個々の項目立 てされていないのは、ふたつの理由によ る。児童向け作家まで含めるほどスペース がないこと、そして力点をファンタジイよ り S F に置いたことである。従ってフィリ ッパ・ヒ。アス ( 上述 ) の項目はないし、ウ ィリアム・メインもない。メインは現代児 童文学の主要作家であり、その作品『地に 消える少年鼓手』 E のプ雇のな ( 1966 ) は、 18 世紀の太鼓手の少年が地中から現われ て、現代の懐疑的で科学的性向のある若者 と出会うという、境界 S F の佳品となって 児童文学における文芸復興のきざしは数 多い。冷笑的というか、なしろ皮肉な現実 主義は、昔にくらべると珍らしくなくなっ た。最上の作品では、押しつけがましさは 極端に後退した。完成度は高くなり、より 繊細になり、喚起力は強くなり、より斬新 で変化に富み、苦痛、喪失あるいは性愛と いった問題にすら、積極的に取り組もうと している。これは J ・ R ・ R ・トールキン の後塵を拝する別世界ヒロイック・ファン タジイ作家 ( 01 F の世界 ) についても同 じである。中でも注目すべきはジョイ・チ ャント、とりわけパトリシア・マキリッフ。 で、彼女は 1970 年代に登場した代表的な児 童作家のひとりとして、やがて認められる ようになるであろう。 269 ただし、さまざまな理由から、ジュヴナ イル SF 作家の何人かは、項目立てされて いる。もっとも一般的な理由は、おとな向 けの S F も書いているからであり、あるい はそれそれの時代の代表作家だからであ り、あるいはアラン・ガーナーのように おとな向け SF に影響を与えているからで 児童 SF の主要テーマは魔術であり、重 要な児童向け作品のいくつかは、その項目 の中で詳述してある。ときには魔術は擬似 科学的な説明が与えられることもある。次 元の門がどうとか、そういった説明であ り、アンドレ・ノートンの長大な《ウィッ チ・ワールド》シリーズが、これに該当す る。このシリーズの中には『魔法の世界の 幻術』 Warlock the Ⅳ″ c ん幵 % r ( 1967 ) をはじめ、ノートンの最良の作品 が含まれている。また、言うまでもなくア ンドレ・ノートンは児童向けに多数の本を 書いており、これらはハード S F 寄りであ る。アーシュラ・ K ・ル・グインは、『影 との戦い』 T んⅡを応 4 Ea れん 4 ( 1968 ) に始まる《ゲド戦記》三部作にお いて、 S F とファンタジイを結びつけた。 作品中の魔法が、厳密で、懐疑哲学的とさ えいえる法則によって律せられているた め、一種の代替科学に見えてくる。たとえ ば、その魔法はエネルギー保存の法則に従 うのである。多くの評論家が《ゲド戦記》 を過去 20 年間で最上の児童書と見なしてい るが、またこのカテゴリーには、アラン・ ガーナーの長篇、とりわけ最近の作品をも 含めなくてはなるまい。ガーナーの記 S ん ( 1973 ) は主要人物が十代であるこ とを別にすれば、あらゆる点でおとなの本 であり、愛と死と、知的肉体的無力に対す る闘いとを描いて、おとな向けとされてい るたいていのロマンスよりずっと洗練され ており、レベルも高い。この作品は境界線 III
立レヒッウ えた。ュニークな作家、すぐれた小作家、奇 う二枚もセー々一ー編んだんだから ! ) せいか 妙な味の作家ー・ー・それはむしろ出てきやすい もしれないが、「忙しさの三ントロ。ヒー」と し、パッと評価されやすい。しかし大きくな いうアイデアは、すごい。ここをもっと押し りうる作家は少ない。現在輩出している て、落ちなしで仕上げてほしかった。「敵は の新人たちの中で、いわゆるシチュエーショ 海賊」は、実に会話が生き生きしている。 ンとストーリイ・テラーたりうる存在は、こ ード、という感じ 「連び屋サム」より根がハ の神林長平と大原まり子の二人だろう。がん だ ( タケごめん ) もっと、このタイ。フの話を ばってほしいし、ファンたちにも、応援して 読みたい。 林長平は、確実に、すごく大きくなれるはず 「返して」もそうなのだが、「狐と踊れ」が だ。「忙殺」や「返して」を見るとその欠点ほしい。 さいごに、神林長平のどの作品にも感じら 心をひいたのも、神林長平という人が、先天も明白だ。スト 1 リイ・テリングが弱い。構 れる、ある《疾走感覚》の感じーーそれが私 的に「ある異様なシチュニーション」を、実成力に問題がある。会話はすごくいいから、 に魅力的に構築する能力をそなえているせい直すのはかんたんだ。一人称形式のとき、スはとても好きだ、ということを云っておきた それは、ンド・・ハレットとシド・ヴィシ だ。これは先輩作家だって、半分ぐらいはそ トーリイ・テリングの弱さが目立つのは、た ャス、二人のシドを連想させる。悲劇を予感 なえてやしない。一生懸命「作ろう」としてぶん感情移入がつよすぎるか、じゅうぶんに いるのだ。神林長平のは、才能である。それ頭が整理されてないせいだ。アイデアは、シしている《生き急ぎ》の感じ、というか だけに、「返して」のような作品が惜しい。 チ = エーションと結びつくと実に秀逸になそれがとても好きだ。たぶん、「狐と踊れ」 あのシチュエーションを、じっくり読みた り、「ビートルズが好き」のようにムードとで最初に私の心をひいたのは、それだったの だと思う。 ( 『狐と踊れ』 / 著者日神林長平 。おそらく、神林長平は、名のとおり、長 くつつくとからまわりする。 篇タイ。フなのたと思う。その点、大原まり子今回のレビ 1 は、いささか、小説書きの / 三〇〇頁 / \ 三六〇 / 文庫判 / 早川書房 ) とも共通している。ア , ーシュラ・ル・グイン 読み方でごくテクニカルで専門的にすぎるか のような、あるし : 、、ルウアー、、、 ノ , ーグのようもしれないが、私は、神林長平に、すごく期 な本格長篇を書けるタイ。フだ。 待しているのである。あの「狐と踊れ」は、 むろん神林長平は「これから」の作家であすばらしかった。もう一回読んでみて、やは る。作家には、ムード・メイカー、アイデアりそう思う。構成もびっちりしまっている。 ・メイカーストーリイ・テラー シチュニー それに、最近では少女マンガにしか感じなか ション・テラーの四つの型があり、その中の った、ワクワクする感じ、だあツ、と、 どれどれを兼ねるかでべイシックな大きさが うときめきを、あふれるように持っている。 決まってくる。はじめから、最も大きなシチ あのとき、。フラスをつけたことを、ほん ュニ 1 ーシ「一ン・テラーの能力をもっている神とによかった この短篇集を読んでそう思 1 狐 A 踊れ 神林長平 まを第
立レヒッウ 中島梓 もう時効だから云ってしまってもよいと思 うのだが、神林長平を最初に「発見」したの は私である。むろん、彼と野阿梓とが登場し た何年か前のコンテストのことだ。あの ときは、私と、翻訳家の <t 氏、—氏、作家の 、編集長とで下読みをやった。 神林長平はあのとき、二本の作品を出して きた。一本、先に読んだ方は、ありていに一「一 は読んでいない。そこが心配だ。迷ったあげ 計なことかもしれないが、半村良の『妖星って駄作だった。あっさり落とし、しばらく くだったが、私は結局「狐と踊れ」にプラ 0 して、「狐と踊れ」を手にした。一読、たい 伝』にも同じ主張が込められている。 この作品をジャンルがどう取り込もうへん面白かった。しかし、最終予選通過のスをつけた。その回、私が読んだ分では、 と、ラベル貼りなどはどうでもいいが、日本をつけるとき、私は迷った。その前に読んだ・フラスをつけたのは、たしかこの一本だけで という世界でも稀な国家を実験材料としてス駄作と、同じ人間の書いたものだ、とわかつある。 そして神林長平は佳作三席に残った。私は たからである。コンテストは、・フロ作家 ベキュレーションを働かせた、スベキュレイ ティヴ・フィクションであることは確かだ。 を養成する、つまり将来性を見るものだと私何だかほっとし、嬉しかった。このあとよく 今の日本に生きている人間にとって、読むべは思っている。一発屋であっては困る。「狐なってくれればいいと思った。おかしなもの と踊れ」はすごい作品だ。しかし、もう一本で、コンテストの予選委員というのは、自分 き本だ、と思う。読んでからどうするか、は あなたの問題だ。 ( 『オペレ】ション・ノア』の方が、神林長平の水準であり、「狐と踊の選んだ作品が勝ちをおさめると、まるで自 / 著者Ⅱ野坂昭如 / 四〇六頁 / ¥一四〇〇 / れ」の方がフロックであったらどうしよう分の手柄のような気分になる。 そのあと、私はしかし入賞後第一作も、そ か ? かえっそ、罪つくりなことをした結果 四六判上製 / 文藝春秋 ) れ以後の作品も読まなかった。むしろ、心配 になるかもしれない。一人の人間に、「あな たは作家として飯を食えるかもしれない」とで読めなかった。しかし、どんどんよくなっ 神林長平著 云うのは、大変なことである。それがその人てきた、とはきいて、いくらか安心してい の一生を狂わせることもありうるのだ。一作た。そして、この第一作品集がまとまってか や二作を読んで、「。フロになれる」と断言でら、ようやく、それを通して読んだ。 『狐と踊れ』 きるのは、よほど無謀か、無神経か、神のご むろん、新人の短篇集が必ずそうであるよ とき彗眼の持主だけだろう。 うに、この短篇集にも出来、不出来のばらっ まあ私の場合には、このあと本選委員が読きが大きい。私の好みからいうとやはり一位 んでくれるのだから、という安心感があっ は「狐と踊れ」、それから「敵は海賊」「忙 た。しかし例の面白くない一本は、本選委員殺」の順序になる。「忙殺」は惜しい。すご い作品になるものを秘めているが、落ちのア イデアがぶちこわした。同時間の反復は、「倦 怠の檻」のイメージがあまりにも大きい。し かし自分がむやみと「忙しいでしよう」と人に 云われる ( じっさい、あまり「忙しいだろう がられる」のは実にうっとうしいもんだよ。 忙しくなんかないよッ ! 秋になってからも
llilllllllllllllllllll!lllllllllllllllllilllllliililllillllllllllllllllilllllllllllllllliilllllllllllllllllllllllllllll\llllllltlllllllllllllllilililll!lllil!llil{lilll!iillilllill!llltlllllllllllllilllllllil!lllilillllllltlltl 上 S F に属するのは、表題から始まってず っと、科学的隠喩を使い続けていること と、また常に新石器時代の石斧に焦点を合 わせ、構成上一種の精神的時間旅行の形を 取っていることによる。この本や、他のた くさんの作品が、言葉の十全な意味におい て文学であるにもかかわらず、ル・グイン キディリット 言うところの、、ガキ文学ゲットー〃に身を 置かなくてはならない点にこそ、書籍販売 体制の愚かしさがくっきりと表われてい る。イギリスの児童書がときおりアメリカ ではおとな向けとして売られ、その逆もあ ることを見れば、このパラドックスは明ら かである。 その他主だったファンタジイ寄り児童 S F 作家で、それぞれ項目がたてられている のは、スーザン・クー ビーター・デ イキンスン、タニス・リー、 T ・ H ・ホワ イト、ローレンス・イエッフ。である。 ード SF に眼を向けると、児童向け作 品の大多数は少々レベルが落ちる。 1930 年 代にはカール・クローディが、胸おどるよ うな作品を書いていたが、より近い時代の 中から、ある程度水準が高く、創作のうち かなりの部分が児童向けである作家をさが すと、ポール・ケイボン、ジョン・クリス ジョン・キア・クロス、シノレヴ トファー、 ィア・エングダール、フィリッフ。・レイサ ム、アリス・ライトナー、 M ・ E ・パチェ ジーン & ジェ ット、ドナルド・サダビー フ・サットン、ヒュ ド・ウイリ ・ウォルターズ、レナ ・ワイルダー がいる。以上を合わせると、児童向けハ ド SF 冒険小説は 40 年にもわたることにな る。中でも、ケイボン、クリストファー ェングダールと、前述のアンドレ・ノート ンとがもっとも重要な作家であろう。これ らの作家は、考え抜かれた興味深い作品を かなり発表しているが、そのリストも、同 時期におとな向け S F が産み出してきたも IV のと並べると、弱々しいものに映る。問題 は、言うまでもなく、書物の知的レベルが 必ずしもレッテルに表われない点にある。 多くのおとな向け SF ーー一例をあげるなら E ・ E ・、、ドック″・スミスや A ・ E ・ヴ ァン・ヴォートやアイザック・アジモフの は年長の児童にとって大いに魅力 作品 あるもので、じっさいある程度はそうした 読者を対象として書かれている。青少年の 相当数がその読書能力の範囲内でおとな向 け SF を手に入れて楽しんでいるいま、ジ ュヴナイルのレッテルを貼った S F の潜在 マーケットは明らかに縮小している。 しかし、、ジュヴナイル〃と、、おとな″と の非現実的な区別を語るうえで、とりわけ 顕著な例はロバート ・ハインラインだろ ハインライン作品のほぼ半分近くは、 本来児童向けとして市場に出たものだが、 近年そのすべてがおとな向けの体裁をほど こして再刊されている。全 13 作、そのう ち『スターマン・ジョーンズ』 & の・〃〃 7 の ( 1953 ) 、『宇宙怪獣ラモックス』圖 T んに & の・お立 ( 1954 ) 、そして『銀河市 民』 C ″ / 〃〃尾 G 記ェ y ( 1957 ) が最 高作、最低の作品は最後の『ポディの宇宙 旅行』。〃。 M の・ 5 ( 1963 ) である。 切れのいい文体、手堅い科学考証、社会 背景をほんの二、三筆で描ききる自然さと 軽やかさ こうしたすべてがハインライ ン作品を、児童 SF 中最高のレベルに押し 上げるのに役立っている。しかしその原動 力になっているのは、くりかえし使われる 通過儀礼″のテーマである。通過儀礼 とは、決断をくだし倫理的責任を負うこと によって、おとなへと成長していくけじめ の儀式。ハインラインは、このテーマを特 異な、またときには卓抜な方法で自家薬籠 中のものとしている。 ハインライン作 は、若い読者向けに書かれたものとして は、もっとも首尾一貫して優れたノ 268
一正当な生産圏だというわけでもないでしう愚にもっかぬ疑問は一度も浮かびませんでし 投稿歓迎 よう。意外と、今日の日本でのについてのた。考えてみれば、これは私が自分自身の 2 7 宛先は本誌てればーと係 ( 奧付参照 ) 漠然とした一般的理解が、明日の世界での観をそのように育ててきたからだとも思えま 掲載分には文庫最新刊一冊進呈観の主流となるかもしれないではありませんす。私がを読み始めた時、例えば星さんに か。まあそこまで考えずとも、英米でののびつくりし、・フラッドベリにびつくりし、小松 定義に特に固執すべき理由は何もありません。さんにびつくりし、また筒井さんに、レムに、 最近「てれ。ほーと」欄で論が盛んになっ英米は英米で、日本は日本で、それぞれ独特のクラークに、石原さんに、ヴォクトに、・ヘスタ てきているようで、若いファンの熱気が感を発展させればよいでしよう。更に極端に ノラードこ、レ ーに、横田さんに、堀さんに、 じられ頼もしく思っております。中にはいささ言えば、一作家一観が確立されていればそ ・グインに、ディックに、そしてその他大勢 か首 ~ 月し難い意見も散見しますが、ともあれ共れで充分なのではないでしようか。その意味で ( 御免なさい ) 、新しい作家と作品に出会うた 通して言えるのは各々の方のに対する愛情は日本作家やポーランドのレムなど、その最先びにびつくりし、感動の、そして感性の幅を広 と情熱が間違いなく読み取れるということで端を走っていると言ってもいいと思います。 げてきたように思います。そこではいわゆるハ す。ただ単にの素晴らしさ、楽しさを享受実際のところ、を拡大解釈するのがなぜ ードし J 非 ハードとの区別すらも大して するだけでなく、自らもの場に参加し、こいけないのでしよう。定義とは実体を拘東する重要なことではありませんでした。そもそも、 れからのを創って行こうとするこうした姿ものではなく、むしろ実体を説明するために後本誌の創刊号にしてからが、クラークとシェク 勢は貴重なものです。 から作られるものです。かんべむさし氏がかっリイの作品が並んでいたというではありません けれど、私自身の個人的な観点からすると、 て「マトリックス覚え書き」で明言されたか。科学を重んじているから本格、それほどで 最近ちらほら見かける″急進的保守主義〃的な通り、作品は定義や体系に先行するものです。もないから変格などという幼稚な議論はとうの 意見にはいささか首を傾げざるを得ません。むしろ定義や既成概念をものともせす、それを昔に過ぎ去ったことのはずです。そうでなかっ の基盤を確立するという名目のもとに、例え打破る新しい発想、新しいテーマをひっさげたたら、先月号のディッシュの作品「いさましい ば黄金期または五〇年代の英米を現代 「品が続々と出てくることこそ、のヴァイちびのトースター」のような素晴らしいお話に の基底として位置付けるのはまあよいとして、 タリティ、ヴァラエティ、ダイナミズムを如実も無心に感動することなどできなくなってしま 次にそれをのみ金科玉条のものとして崇め、そに示すものだと思います。 うでしよう。 ( 話は違うけど、吾妻先生のイラ の伝統を墨守しようなどという「宣言」にはと良い例がありますので御紹介しておきましょストもとても良かった。来年の星雲賞アート部 ても同調する訳には行きません。例えば十月号う。最近、非常に対照的な ( と一見思える ) 門など如何 ? ) の井手氏の示された、いわゆる狭義のの定を二冊、続けざまに読みました。 co 社から出 ファンの皆さん、もっと大らかな精神、 義、失礼を承知で言えば、最初読んだ時には冗た筒井康隆氏の短篇集『エロチック街道』と、 たくましい知性、豊かな感性を養ってくださ 談たと思って噴き出したものです。ところがあ社から出た・・ホーガンの長篇『創世紀 昨今の状況に不満をもたれるにして れが本気であると知って、私としては少々当惑機械』です。私見によれば、どちらも大傑作でも、それは「スタージョン係数」が若干上がっ せざるを得ませんでした。また十二月号の佐伯す。既に両方ともお読みになった方も多いでしたと見れば済むでしよう。 氏のおっしやる「を拡大解釈しようとするよう。、・ しすれ本誌のレビ「【ウでも紹介されは、恐らく数学同様、人間の精神内部で 甘い罠」という御批判に対しても、率直に言っるでしようから内容の紹介まではしません ( 第阯界を再構成しようとする意志の表現メディア てしまえば、それがなぜいけないのか理解でき一それじゃ宣伝になっちまう、 o 料ももらわなのです。それ以上の細かい「定義」は終局的 ません。英米ではとは今でもサイニンス・んのに ) 。重要なのは、私にはどちらも同じ位には不要でしよう。サイエンスを強調したとこ フィクションのことだ、という御指摘についてに良く楽しめたということです。どちらを読むろで、結局サイエンスとは世界を解明する方法 は、確かにその通りでしよう。けれど、だからに際しても、異和感は全然ありませんでした。の体系の一つに過ぎません。を再びサイエ どうだというのですか。別に英米のみが唯そしてどちらがの本流であろうかなどとい ンス・フィクションと一言い直そうとなさる方々
ア S F の見本といっていい。 ハインラインは、ただし、児童向けに書 く場合でも質の下落が見られないという点 で、例外に属する。他の S F 作家の場合、 必すしもこうはいかない。アイザック・ア ジモフの《ラッキー スター》シリーズ は、アジモフの最高作品よりはるかに落ち る。ジェイムズ・フ。リッシュのジュヴナイ ルは通例退屈で例外は《宇宙都市》 4 部作 の第 2 部『星屑のかなたへ』 A んど和だ the & 4 ( 1962 ) だけ。ペン・ポーヴァ もアーサー・ C ・クラークもゴードン・デ イクスンもエヴァン・ハンターも、おとな 向けの方が良い。ただハンターの児童書 は、一風変わっていて興味深い。逆にアラ ン・ナースは、年少読者を相手に書くとき の方が肩の力がぬけていて、最高作品とい うと年少向けの未来医学ものである。 すっと新しい作家では、ロバート・ C ・ オプライエンが児童向けに、すぐれた SF 作品を 2 冊書いている。ウィッティで、共 感を呼ぶ『フリスビーおばさんとニムの家 のねすみ』」必を滝・訪 y 〃イ励 6 火な研 NIMfI ( 1971 ) は幼い読者向けで、ロを きく動物が登場する路線ではより著名なリ チャード・アダムズの『ウォーターシッゾ ・ダウンのうさぎたち』ルゆ D02 〃 ( 1972 ) より良いという熱狂的ファンもい る。オフ・ライエンの / 工 0 だ / “ん 4 ん ( 1975 ) は、青少年を対象とした大破壊と その後の物語であり、温か味があって感動 的で、ときに恐ろしくもある。オフ・ライエ ンの早逝は児童 S F にとって重大な損失だ ったと言っていい。 クリストファー CHRISTOPHER, JOHN 〔 P N 〕 イギリスの作家クリストファー・サミ ェル・ヤウド ( 1922 一 ) が、 S F を書く ときに使うべンネーム。そして、この名 前がいちばん名高い。ただし、最初の長 篇 ( 本名で出版 ) はファンタジイ The Ⅳん S , 4 れ ( 1949 ) だった。第二次世界 大戦前から S F ファンとして活動し、大戦 に従軍、 S F テビュー作はクリストファー ・ヤウド名義で ASF 誌に発表した「クリス マス・ツリー」 "Christmas Tree" ( 1949 ) である。最初の S F 単行本 The Twenty- Second Ce れル ( 集 1954 ) に初期作品が 集めてある。長篇第一作 The 丘の・研〃尾 Co 襯 ( 1955 ; 圜刊〃切″米 ) が 成功、第二作『草の死』 The Death 可、 G 囮 ( 1956 ; 異 0 窺 4 イ e 研 Grass 米 ) でさらに大きなインパクトを与えたのち、 クリストファーは長篇に専念するようにな った。この分野ではジョン・ウインダムの ライノくルかっ後継者とみなされ、戦後イギ リス・デイザスター小説の第一人者とし て、 1955 年から 65 年にかけ、多くの作品を 発表した。 『草の死』 ( コーネル・ワイルドによる映 画化題名は『最後の脱出』 Xo 窺記に研 G ) は題名からも明らかなように、自 然界のスランスが崩れ、イギリス ( と世 界 ) の様相を一変させてしまうデイザスタ ーを描く。すべての草と同属の食用植物が 死に、破減的状況が生みだされる。ウイン ダムの小説なら主人公には中産階級的ねば り強さがあり、おかげで読者には、いま闘 っている危機も結局はめでたしめでたしで 終わるにちがいないと予想がつくが、クリ ストファーの登場人物は、この作品のジョ ン・カスタンスが徐々に非情になり人格崩 壊していくのを見ればわかるとおり、より 暗くより不安定な世界に住みつき適応して クリストファーの他の長篇、たとえば The 仏の・切Ⅳ / ( 1962 ; 医 7 ' / 尾 ん g Ⅳ i 元米 ) 、『大破壊』ルだわに 剏〃尾 S ん・〃 ( 1965 ; T んな gg 記 E ( な℃
ーコがそのモノに手を染めたのは、 ↑↓ ( リウッド映画↑しディスコの三点に絞「ファンク」という三曲を並べている。こう うところに人を喰った遊びの好きなミーコ ノオーズ ~ 銀河系ファンクの世った方法で作り続けており、こりゃあ本気でい ①「スター・ 界」 ( 国内盤レコード、好きじゃなきやできることではなかろう。むの一面がよく顕われている。 同じ。フロデューサー、アレンジャーでも、 44 、外盤 STAR WARS and OTHER しろあつばれである。 . ジョーンズのように、いっゆる GALACTIC FUNK. MNLP ー 8001. ミレ このデビュー作は <t 面でスター・ウォーズクインシー デ「ストリビュート ニウム・レコードだが、発売元はカサ・フラのメドレー、面がサプ・タイトルを三つにアーチストつ。ほさで売る男ではないが、九枚 ンカ・レコード 分断して「アザー」、「ギャラクティック」、ものモノを作るところなど、やはりタダ モノではない。自身の趣味を前 が最初で、四年前のことだ。 「スター・ウォーズ」 ( ;<>;-«、 6244 ) 面に出したひとつの強力な自己 ディスコ・プームと折からの 主張と言えるのではなかろう プームの二重の波に乗って、 、刀 アメリカではサン・トラ盤の本 ②「未知との遭遇」 ( 国内盤 家を追い落とさんばかりの売れ 、レニウム、ー 6 2 7 行きを示した。 外盤 ENCOUNTERS ミーコのこのアル。ハムを作る までのアレンジャー、作曲家、 ~. ・・ OF EVERY KIND' MNLP ー・ 8004 ) 。フロデューサーとしての経歴を 一一作目も前作同様、映画にタ 調べようとしたが、どうしても イトルはひっかけているもの わからない。恐らぐは、僕らの げきばん の、ディスコもの、それもヴォ 業界では劇伴と呼ばれているテ インストウルメンタル ーカルなしの演奏ものによる レビやラジオのドラマの音楽を 時間旅行というアイデアがすば 作ったり、コマーシャルの音楽 らしい。形としてはアルバム・ をやったり、といった二流どこ ジャケット表 2 の自身の手によ ろの音楽家たったのではあるま るライナーによって、このアル ハムのコンセプトがタイム・マ このデビュー作一枚で終わっ シンによる時空間旅行であるこ ていればこの男も時流に乗った 荒稼ぎとしか言われなかったの とを説明し、一曲ずっその旅行 5 : 、吉鬲時点で九枚も 先の時代背景のよくわかる過去 9 の作品を・ファンタシイ の有名曲 ( カントリーやデキシ
ー特別企画・連載⑩ー THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION SF 工ンサイクロべディア ピーター・ニコルズ編 浅倉久志・伊藤典夫監修 黒丸尚訳 Copyright ◎ Roxby Press Limited 1979 凡例 1 ・邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 (" " ) でかこんで あるものは短篇。 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は『』で、 短篇は「」でかこんだ。 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作家名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のポールド書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品には邦題を『』でかこ んで添え、原題をイタリック体で示した。 未公開作品は原題のみを示した。ポールド 書体の年号は、本国での製作年。 8 . コミックは《》でかこんだ。 筆者 J C : ジョン・クルート 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ ルし 0 F& S F : ファンタジイ・アンド・サイ 工ンス・フィクション言 TWS : スリリング・ワンダー・ストー リースじ、 ・ニューワールズ誌 NW ・ : アンソロジー 圜 : 版による題名の異同 : 加筆 國 : 改訂版 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニバス版 統 : 複数の短篇を加筆改訂し、長篇のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 : 抄訳 * : 訳註 : 参照 PN : ヒ・一タ ー・ニコノレス B S : プライアン・スティフ・ルフォード 児童 S F CHILDREN'S SF 年少の読者を特に想定した S F は、 この ジャンルと同じくらい昔からある。ジュー ル・ヴェルヌの、、驚異の旅行記〃には 1863 年から 1920 年までに出版された 60 篇あまり
米 ) 、れ〃血ん ( 1968 ) なども似た問題 を扱っており、大破壊以後の世界に生き残 り、適応するという陰惨なテーマを中心に 据えている。文化や安定をはぎとった状況 の中で、クリストファーが描く人間の本性 は、色調の暗さという点ではまったく申し 分がない 近年クリストファーは、彼に名声をもた らしたサプジャンルに背を向け、さまざま な種類の小説に手をたしているが、その大 半は初期作品のような好評を得ていない。 Cloud 0 〃 & ん ( 1964 , 図 S , “れ 0 な ム記米 ) は、伝統的な島テーマを現代化 し、複合企業体のポスの活動と、 ているが、思索的でもあり、大好評を博す ヴナイル作品はアクションに重点が置かれ 星人に立ちむかう。クリストファーのジュ 人公は成長し、地球を侵略した三本足の異 可、 ( 1 % 8 ) 。この三部作では、若き主 ( 1 % 7 ) と『もえる黄金都市』 7 ' んれ况 征服者』 The 0 な可、 G01d のんに。 d 発表したのである。続く二作は『銀河系の 巨人』 The Ⅳん加 M 側れ地切 s ( 1967 ) を の分野に進出し、三部作の第一作『鋼鉄の て新しいスタートをきった。ジュヴナイル ろが 1967 年、クリストファーは S F におい 渇したかの印象を与えたことがある。とこ マのくりかえしによって、作家的才能が枯 ンパクトが、あまりにも低下し、同一テー 一時期、クリストファーの S F 界へのイ F の枠組みの中におさめられる。 にはそのままの形で提出され、ときには S 人間性を描く社会小説である。これがとき けているのは、たいてい非常事態における F 作品。クリストファーが初期から書き続 ( 1958 ) は洞窟冒険小説で、境界線上の S 非情な行動である。 The C 研 Night がした状況の中で、独裁主義的人格が示す でも主たるテーマは、文明の仮面をひきは ント生命体の脅威を描いている。が、 ることになった。少なくともイギリスで は、現代の児童 S F 作家として、クリスト ファーは第一人者といっていい。その後の ジュヴナイル作品は、『異世界からの生 還』 The んい C , ぉ ( 1969 ) 、年間最優 秀児童書としていみじくもガーディアン賞 を受けた 7 ' んに G ″ ar 市のい ( 1970 ) 、 D の〃 〃ノ 4 ( 1973 ) 、一物・ , ル ( 1974 ) 、 E 襯 2 な W の・ ( 1977 ) 、そして三部作の 7 ' んどれ c にーたツ g ( 1970 ) 、おの / んどお″切 g ん”み ( 1971 ) 、 T んに S , 0 S が 5 ( 1972 ) がある。おとな向 け S F と同じく、クリストファーのジュヴ ナイルも大部分、デイザスター以後の世界 こうした作品でしばし を背景にしている。 ば中心におかれるのは、ロマンチックな個 人主義で、これに対抗するものとして、何 かしらの体制順応主義者や、洗脳された社 会が配され、ときには地方と都市の相克の 形に象徴されている。 映画 CINEMA 〔 J C / P N 〕 VI SF 映画は活字 SF と混同すべきではな い。映画はそもそも異なる約東事に従って いる。使うテーマも、はるかに範囲が狭 い。不合理なできごとやファンタスティッ クなできごとを、ゴシック風に強調する。 受け手の知性にあまり期待していない。現 代の S F 映画は、ほとんど例外なく、 1930 年代のジャンル雑誌 S F と同程度。たた し、 TV の映画 ( テレビジョン ) にくら べれば芸術的にずっと重要である。 いちばん幸せな S F 映画ファンとは、活 字 S F の知的な豊かさがスクリーンに再現 されていないなどという批判は眼中にな 266 ツツ・ラングの『メトロポリス』 S F 映画史上最初の重要な作品は、フ く、映画なりの利点をもつばら楽しむ人で リ
て有名なクラリオン・ワークショップに 「タイム」のインタビューを受けたとい ろうから、今日はうちで体んで、おれの ( イスクール時代までは、盛んに映も、初期から参加していたらしく、その やってる〈デンジャラス・ヴィジョン 画なども撮っていたが、二十歳をすぎてせいかヴォンダ・マッキンタイヤ、リサ ズ〉へ行くのは明日にしよう」 ・タトルをはじめとしてクラリオン出身 アメリカに行く前、に〈チ = ンジからは、きつばりとそれを止め、現在で の作家はほとんどが友人だと教えてくれ ・オゾ・ホビット〉と並ぶくらいの大型はもつばら小説を書いているというちょ っと変ったタイ。フた。新人養成講座とした。 専門書店が誕生したというニ「一ース いや、それを言うなら、翌々日の事に は聞いていた。その名前が 一なるのだが、もっとすごい知りあいのも 〈デンジャラス・ヴィジョ のを見せてもらった。同じ天才少年型と 聞けば、 ンズ〉なのだー コ いうことからか ( ? ) 、彼はサミュエル ワイズ氏は四人の共同経営 筆・・ディレーニイとも大変親しいの 者の一人になっていると言 『トライトン』 Triton という長篇 う。で、彼の書店をは 工など、彼をはじめとするワイズ一家に捧 じめた理由というのがふる 、 ~ ー・ ~ 引げてあるし、あの大冊『ダルグレン』 っていた。「をいろいろ ジし。ミ g ミ、 ~ の中にもちゃんとデヴィ と集めてたんだが、いちば ス・ワイズなる名前が登場する。こいつは んうまい方法を思いついた ワワイズ氏の方にも何かディレーニイに ら本屋だったってわけさ」 ら 関連したものがあるのかなと思っている この辺りで、ワイズ氏の 左 と、ありましたねえ。何と二人で共同製 ことをもう少し詳しく聿「い て作した「蘭」 Or ミ ( 一九七〇 ) とい ておこう。この人、一種の天 う実験映画が , 才少年タイ。フなのである。 ン 一九七〇年といえば、ディレーニイが ョ 六歳のとき、アニメーショ ジ アンソロジーの編集をやったり、いろん ン・フィルムを作っていろ ヴなものに手を出していた頃だからそれも んなところで入賞し、七歳を スうなすけるが、この内容のまた過激なこ から十三歳まで続々とその ヤと。ジョ 1 ジ・アレク・エフィンジャ 手の作品を発表して、話題 など後に名をなす若手作家連が、ニ 9 になり、大学で講義をした デューヨークの街角を奇怪なマスクをかぶ