司政 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1983年11月号
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1. SFマガジン 1983年11月号

当なレベルのロポット官僚が常駐していなければならないのだ。 ない実物に接させようというつもりではないか、と、彼は推測して しかも : : : 彼は了解していた。 いたのだった。 だが、どうやら、そんなものではなかったようである。 こういう役目を持っは、南分庁の管理人などではなく、 の命をうけて南分庁の運営の全責任を負っているのに相違な が司政官に司政島めぐりをさせたのは、司政官に、自分の 。南分庁を城と仮定すると、は城番ではなく、城主の地 いわば領土を確認させ、自己の基盤を認識させて、その自覚を固め と、彼は、気が 位にあるということなのだ。だからこそ、というような上させ、自信を持たせるのが目的ではなかったか 級ロポットでなければ、務まらないのに違いなかった。 ついたのだ。 もちろん、そうはいってもその城主を任命するのは 1 であ : これだけ これだけの広さの島を司政のために使っていること・ : り、は司政官を上にいただくので : のものが司政官を支えていること、を、はっきりと司政官が意識す れば、司政官は司政官としての確信と自信のもとに、考え、行動す ることになる、そのための司政島めぐりだったのではないか ? そ 彼は、はっと視界が開けた思いであった。 今回の旅は、が組みあげた予定に従って、行われたものでの旅のおしまいが、司政官ひとりのための逃避場、でなければ再活 ある。 性化の場としての南分庁だった。司政機構の基盤を知り、自分のた 彼の印象では、によるタトラデンについての学習は、まだめにそんな場があると知ることで、司政官はこの世界の司政官とし また終りそうもなかった。実際には、タトラデンのすべてを知りって踏み出す、ということだったのではないか ? : この旅は、新任司政官にとっての必須コースだった とすれば : くすというようなことは、司政官にとってはなろんのこと、当の にも不可能なのだから、終了するときなどは、あり得ないわけと受けとめるのが妥当ではないのだろうか ? だけれども : : : ざっと一通りの事柄を撫で廻すだけでも、もう少し きっと、歴代司政官も、赴任してしばらくのちに、このコースを 時間がかかりそうなのである。それも、がやろうとすれば、 めぐったに違いないのだ。誰がこういうことをはしめ、誰が南分庁 とりあえずは司政庁の公務室内でだけをまずしておいてから、外へを計画し、誰が南分庁をこういうものに仕上げたのかは、彼にはわ 出掛けるーーーとの方式もとれるはすだった。それを、中途で司政島からない。に説けば直ちに教えてくれるだろうが、そこまで 東部の視察を組み込んで旅行に出るのは : : : 司政官に気分転換をさ知る必要もないのだった。大切なのは、タトラデンの司政官にとっ せるために、そんな日程を作ったのではないかという気が、彼にはては、こういうコ 1 ースによる司政官としての感覚把握が不可欠とさ れて来たのであろう、という、その一点であった。 していたのである。本格的にびっしりと学習しようとするのなら、 日しよ、。思い込み過ぎかも知れない。 この考えは、錯覚かも , オオし 司政庁の公務室でのほうがずっと能率があがるからだ。まあ気分転 けれども、彼にはしきりにそんな感じがするのである。 換というのがいい過ぎだとしても、たまにはデ 1 タや写真だけでは 3 2

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十年ほど前に亡くなったという高名な彫刻家の作品を、彼に想起さ それらのうちに、彼は、分庁の廊下にかかっていた複製の絵画 せたのだ。けれどもその彫刻家には亜流が続出していたから、眺めの、その原画もあるのを認めた。 たたけではすぐにそうだと断定は出来なかった。彼は美術品に関し どれも、みごとな出来である。 て、それほど眼力はないことを、自分でも知っていたのだ。しか いや、そういう表現は、不遜かもわからない。彼が感嘆して呆然 も、そういう女性像は、記憶にないのである。 と眺めるのもある一方では、どんなに首をひねっても理解出来ない 像の下に、説明板があった。 作品も、結構たくさんあったのだ。それは仕方のないことであろ 板には、 ・ : そうなのだ。その高名な彫刻家の名がしるされ、寄う。司政官はなるほど行政の専門家であり、その点ではエリートで 贈の年月が書かれているのである。 あっても、こうした方面については、素人なのである。いくら待命 寄贈。 司政官時代に優雅な。ーー文化教養に接して来たところで、美術家の ということは : 目が出来るには、程遠かったのだ。 「これは : : : 本物なのか ? 」 ただ、そんな彼にも、ここにあるものがすべて有名な人々の作品 彼は、かたわらのに、説いた。 であり、これたけで充分立派な美術館になるということは、わかり 「そうです」 過ぎるほどわかったのである。 は答えた。「作者が司政庁に寄贈したものです」 そして、寄贈された作品は、昔のものほど多く、時代がくたるに 従って、減っていた。これは、司政官や司政庁というものの権威と 彼は、何もいえなかった。 栄光が、年と共に失われて来たのを反映しているのであろう。もっ これが : : : 本物 ? とうがったいいいかたをすれば、これらの有名な人々が、単に司政 この像がタトラデンの市中に出たら、驚くほどの高値がつくで 官の栄光をたたえるためだけで、作品を気前良く寄贈したとは、考 あろう。 えられない。中にはそうしたものもあるかも知れないけれども、司 しかし。 政官や司政機構の庇護を得たそのお礼として寄贈したのが多いので 本物は、それだけではなかったのだ。というより、そこにある美はあるまいか ? 司政官や司政機構は、むろん司政原則をまげてそ 術品は、ことごとくオリジナルだったのである。彫刻も、絵画も、 うした人々に手を差しのべたのではなく、公正な司政の結果、芸術 陶磁器も : : : 並んでいるすべてが、本物だったのだ。それらの中に家たちを保護することになったのだろう。司政官が私利をはかるこ は、司政庁が買ったものもまじっていたが、おおかたが、作者が寄とは考えられないし、万が一そんな司政官が出て来ても、が 贈したものであった。作品によっては、作者自身の寄贈のさいの手決して認めようとしないはすである。そんな真似をした司政官は、 紙もあり、額にはめられて展示されている。 たちまちによって連邦経営機構へ告発され、免官・懲罰とな 7 2

3. SFマガジン 1983年11月号

と、 0 2 。 : ほかにも似たような設備を持っ世界は、ないわけではな いのだろう。さまざまな植民世界の司政官たちは、自己の精神的・ 「悪くない」 肉体的危機を乗り越えるために、さまざまな方法を試み、さまざま 彼は応じた。 : このタトラデンでは、こんなや な手段を講じて来たであろうが・ : 「ス・ハニタは、二十通り以上の作りかたがあるとされています」 しいかえればタトラデン O はいう。「お気に入れば、これからすっとそのタイ。フのりかたがとられていたということである。 うハニタを差しあげます。また別のタイプをお飲みになりたけれ世界の司政とは、こんなものを持たなければならないほど、厄介で ば、そうご指示下さい」 困難なのを暗示しているのかも知れない。 「そうしよう」 : ・この南分庁は、歴代司政官にとって、きわめて重要 とすれば : 彼は返事をした。 で大切な場所だったということになるし、司政機構全体にとっても こうしたやりとりをしていると、周囲にいるのがロポットばかりそのはすである。 だという点を除いて、彼はどこかの保養地のホテルにでも来ている そうかー ような感覚に、ふと襲われるのであった。 彼はそこで、思い当ったのであった。 いや、事実そうなのだ。 ほどの上級ロポットが、こんな分庁の、いわば留守番か は、南分庁の主たる用途は、司政官が司政庁を離れて保管理人の仕事をしているのは妙だ、と、彼は当初はいぶかったのた 養、研究、その他の目的で暮らすために建設されたものだ と、けれども、そう考えて来ると、ちっとも不思議ではないのである。 何度もいったではないか。彼はその説明をあまり気にとめすに聞い この南分庁は、司政官にとってのある意味では逃げ場でありもう ていたけれども・ : ・ : ここでこうして時間を過して来ると、実際その一度立ちあがるための重要な存在なので : : : だから、がそ 通りだという気がして来たのである。ここは司政官のための : : : 司の能力を傾けて、司政官のためにつくしているのである。 政官だけのための、真正の保養地に違いないのであった。その証拠「 o 」 に、自分は今、こんなにゆったりした気分になっているではないか。 彼は、スパニタを手に、」、、 Ⅲしカけた。「きみは常時、この南分庁 おそらくこの南分庁は、司政官が劇務に耐え切れなくなったと にいるのか ? 」 き、行きづまったとき、心を落ち着かせねばならないとき、さらに「特命のとき以外は、原則としてここにおります」 は心機一転してあたらしい仕事に立ち向わねばならないときに、い というのが、 02 の返事だった。 ったんその身を投げ込みおのれを活性化するための楽園のようなも まずそのはすだ、という彼の予想は的中していた。建物の保守位 のとして、存在しつづけて来たのではあるまいか ? 彼の聞き知っ ならともかく、もっとうるさい作業ーーたとえばボタュトの栽培な た範囲では、司政機構内にこういうものを設けている世界はなかつどといったことをするとなれば、とても片手間では無理である。相

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るのは必至だからだ。従って、こうした芸術家たちの作品は、結果かに、あたらしい展示用のを第一、古いのを第二と呼ぶようにした : それだけに、 という話であった。 として寄贈されることになったに違いないのだが : そのふたつの記念館を廻っただけで、彼はかなりぐったりと疲れ 司政官の力が弱まるにつれて、そんな例は減少したのだろう。 そうなのか。 ・ : そのぶんたけ興奮しているのも自覚していた。これたけの作品 を目にすれば、それも当然である。しかもこれらが鑑賞の対象との 司政庁には、こんなものがあったのか。 いくらカが衰えたといっ そして司政庁では、こうした作品を保管し展示するだけで、外部観点を外れて、市場価値を想起すると : にはそんなもののあることを知らせなかったのだ。あるいは植民者ても、司政官や司政庁の蓄積は、おそるべきものだ、という気がし の中にはこれらを見たことのある者がいたかもわからないが : : : 一て来るのであった。 、刀 般には伝わらないままに、こうして眠っているのである。これらの イ品がタトラデンの市中に出たら、大騒ぎになり莫大な値がつくの驚きは、それだけでは済まなかったのである。 は間違いない。彼にはその様子が想像出来るような気がした。 ふたつの記念館のあと、は彼を保管棟へ案内した。 しかも。 薄暗いその建物に足を踏み入れた彼は、背丈ほどある頑丈な金属 第一記念館から第二記念館へ廻って、彼は仰天せざるを得なかっ製の箱が何十も並んでいるのを見た。 た。第二記念館では展示はされす、見ようとすれば見られるけれど 02 があかりをつけ、それらの箱に留められた。フレートを指 も、パネルや棚にしまい込まれ、ぎっしりと美術品が保管されて いしたとき、彼は、唸り声を抑え切れなかった。 たのである。第一記念館に展示されていたのは、コレクションのほ それは : : : 貨幣だったのである。 正確には、昔の貨幣というべきかもわからない。 んの一部だったので : : : の説明によれば、展示は適宜入れ 換えているが、別にちゃんとした基準はなく、ただ順番にそうして彼が昔学んだところでは、タトラデンに植民が行われるようにな いるだけで、司政官にお好みがあれば、その作品はずっと展示しまったその時点で、司政庁は貨幣を発行した。連邦の通貨であるクレ す、というのであった。 ジットに準じて、一クレジットにあたる一タットの金貨を鋳造し、 もっとも : : : 第二記念館にあるのは美術品ばかりでなく、工業製支払いにあてたのである。その補助単位として、デンというものが 品の見本とか、書物などもあった。記念館とは要するに、植民者た設けられた。一タットは一〇〇デンである。このタットとデンとい ちから寄贈されたものを保存し、必要があれば見られるようにしてう称呼も、実のところは司政島を流れるふたつの河をタトラ河とト ある、そのための建物なのである。だからふたつの記念館なるものラデン河としたように、タトラデンからとった安易な命名であっ は、現在の第二記念館がはじめに出来、のちにある担当司政官が、 かなり高額なので、タトラデ 展示のための建物を作らせて、新記念館としたのを : : : また何代後一クレジットにあたる一タットは、 0 、 0 8 2

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一 0 タットのニッケル貨が発行され、五〇タットや一〇〇タッ い取られつつある感じたった。タットはたしかに司政庁がはじめて トの紙幣が出ていた。それでも不便ということで、五〇〇タット紙 作り出したものであるが、今や、実質的にその手から離れようとし 3 幣を出すか、あたらしい貨幣単位を設けるかの議論がなされていたていたのである。 カその というのが、彼の知識であり、今度タトラデンに戻って来て のである。何しろ、かって一クレジットにあたったタット ; 、 ころには二〇〇タットでやっと一クレジットにあたるようになっても、その傾向はさらに強まっているようであった。 いたのだ。 だが、その後司政庁は、あたらしい高額紙幣も作らず、新貨幣単ここには、そのタット金貨、タット銀貨、さらにはデン貨が、大 位も設けなかった。従前通りの紙幣と硬貨を作り、出すだけであっ量に保管されていたのである。回収し、あるいは鋳造したものの外 た。そして、植民者たちの間では、通貨が実際に必要なだけ出廻っ へは出なかった、そうした硬貨が、何十もの金属箱に詰められて、 ていないのをカバーするために、名家とか州の責任で、証書を作り眠っているのだ。これらのうちの金貨・銀貨は、現在ではびつくり はじめていたのだ。その証書はやがて発行者の名をしるしたーーまするほどの高値を呼んでいるはずだった。 ぎれもない紙幣として流通していたのである。ただ、発行者の信用これだけのものを : : : さきの美術品でも信じられなかったのが : ・ : ・司政庁にはこれだけのストックがあったのか ? によって、それらのあるものは、必ずしも額面通りの値打ちを持っ てはいなかった。交換比率は毎日のように変り、その売買を行う取司政官や司政庁のかっての力は失われ、衰弱しつつあるとはい え、このタトラデンには、まだこれだけの蓄積があったのだ。 引所も各州に設立されていたのだ。 この金や美術品を、切り札に使えないだろうかーーと、彼は考え 司政庁がこうした有様を黙過していたのは、建前としては、いす はじめていた。 れ植民者たちだけの植民者社会になるのだから、かれら自身の通貨 ( 以下次号 ) はかれら自身に発行させるようになればよろしい ということだ ったようだ。・、 カ : : : 実際はもはや司政機構が通貨政策をとれるほど の力を失っており、あたらしい高額紙幣を出したり新貨幣単位を設 けたりしても、植民者たちが従順について来るかどうか、怪しかっ たからではあるまいか。タトラデンにいた時分の彼は、そう解釈し ていたし、その見方は今となっても、当っていたようである。なる ほどそうはいっても司政庁はまだ従来の紙幣や硬貨を作っていたか ら、無力になったとはいえないけれども : : : すでに、植民者たちの 需要をみたすだけの量は発行せず、植民者たち自身にその権限を奪

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2 ( 承前 ) あまたの星々に君臨する連邦駈営機構にあって、植民世界統治の エキス′ートとしていくたの栄光を浴びた司政官たち。しかし、植 民世界の多くは次第に自立の道を辿り、相対的に司政官の存在意義 彼は、苦笑した。 も失われていった。そんな時代、待命司政官キタ・・カ / 全く : : : こういうことなら、べッドで横になったほうがよかった " ビアに極めて異例な担当惑星と任務が与えられる。第四五星区が のだ。 プロック化を目指し、連邦からの自立をはかっているため、その中 「たしかにその通りだね。いつの間にかうとうとしてしまったよう 心になっている自らの出身惑星一 8 三星系第三惑星タトラデンに 赴任し、内部抗争を生ぜしめ、指導的立場から引きずりおろすとい うものだった。タトラデンへの着任早々、キタはドラエテ・ O ・ いってから、彼は、自分がごく自然に、素直に返事をしたことに ェクドートの面会を受ける。彼女は、タトラデンを支配する門閥に 気がついて、驚いた。それまでは、ともすればロポット官僚に対す とらわれぬ優秀な人材を育てるべく、通信社と学校を経営していた る司政官の立場とか、それに類したことにこだわって、ともすれば のだが、門閥の圧力により挫折、そして学校の再建への援助を求め てきたのだ。その後〈市〉を視察した彼は、司政庁の存在意義の低 肩に力が入る傾向があったのに : : : 今はそういう気分抜きだったの 下を改めて確認する。翌日、司政島東部の視察に赴いたキタは、原 である。 住種族プ・ハオヌの仮設都市の廃墟近くに泊る。その夜、から 眠ったおかげで、からみ合っていた神経がだいぶほどけたのか ? の報告が入った。新聞・放送会社からの記者会見の申し入れと、連 邦経営機構からの定期巡察の通知、そして、第四五星区の七つの植 それとも、こういうーー自分は必すしも好きではなかったはずだ 民世界による第二回星間交流会議がタトラデンで開催されるという が、こういうタトラデンの上層の人間の私室を摸した部屋にしばら ものだった。翌日キタは降りしきる雨をついて、司政庁南分庁に到 くおり、タトラデンの上層の人間にさえ手が届かぬような豪華なポ 着した。その南分庁は、思いがけず贅を尽したリゾ】ト施設だっ タュトの花壇を見たことで : : : しかも自分がこういうところのまぎ た。しかも、高価な絵画、美術品すら所蔵されているのだった。 れもない主であると自覚したことで、自信めいたものが生れ、あま り、あれやこれやといった雑事にひっかかりを覚えなくなったの 「もうしばらくお休みになるのでしたら、そうなさって下さい。ご 指示をお待ちします」 いずれにしても、不思議なことだが、・ とこか大らかな感じになっ 「いいよ。いつまでも寝ているわけには行かない」 ているのは、事実である。 彼は答える。 という、彼の心理を知っているわけではないはずだけれど「それでは、食事にご案内したいのですが、よろしいですか ? 」 も、らしい声は、彼の気持ちにうまく合った言葉を出し「そうしてくれ」 「承知しました」 8

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ンの植民者たちは、日常の生活ではデンを使用するのがふつうであところで、司政庁の予定の行動だったと見られないこともない。金 った。一デン、五デン、一〇デン、二〇デンと、それに五〇デンと貨から一挙に紙幣に代えるのは、植民者たちの社会がいまだ不安定 いうニッケル貨が発行され、流通した。 だったことを思うと、びどい混乱がおこったに違いないのである。 だが、これは植民初期の、ずっと昔の話である。 それでもインフレはつづいた。タット紙幣とデン硬貨を司政庁が 数年のうちに、タット金貨はあるいは退蔵され、あるいは外から発行しつづけ、植民者社会の生産力が思うように伸びないとあれ 商売でやって来た人々の手によって流出がはじまったのだ。良質のば、当り前である。 金貨であるタット貨は、それ自体で財産価値があったから、これは彼がものごころついたころには、タトラデンではデンという単位 必然的ななりゆきであった。本当をいうと、司政庁ではこういうこは、ほとんど使われないようになっていた。一デンや五デンは道に とになるのは、当初からわかっていたようである。現在の彼にはそ落ちていても拾う者がなく、五〇デン貨にしてもかさばるばかり れはよく理解出来るのだ。植民初期の時代の、人々が持ち金をクレで、使いでがなくなっていたのである。新規に一タット、五タッ ジットに代えてやって来た頃には、司政庁としてはそれらと交換す るために地金自体に値打ちのある金貨を発行するしか、方法はなか : グランデ 2 階 スポーツ図書フェア・ ったのである。 : グランデ 5 階 ラ老帆船〈夢とロマン >• = タット金貨が不足して来ると、その値打ちはいよいよあがった。 エキサイティ ) ,. ブックマート 4 階 一タットの金貨が一二〇デンとか一三〇デンで交換されるようにな り、二〇〇デンを越えるようになった。このころには司政庁はタッ ト金貨を回収にかかっており、それに見合うものとして、銀貨を発 1 月引日会 》間月 1 日出 ( ) 行した。 もちろん、そうなれば金貨と銀貨が同一比率で交換されるわけも - 肚演ア 弋尹築化職会庫童 なく : : : 金貨は貨幣としてではなく、地金あるいはコレクションと 0 カテ建理就社文児 して取り引きされるようになった。タット銀貨はまた元の一〇〇デ 生 学機生経教詩家 ンに戻ったものの、その時分にはインフレーションがはじまり、デ ンク噺 0 、グ 2 田 3 典気学律学学術 角ボ、 ) 、芸庫志心 ンの値打ちはどんどん下落して行った。タットにしても同様のはず 店 泉「文文睡中泉 " 」辞電医法哲文 であるが、やがてタット銀貨の地金としての価値が一〇〇デンを超 台比白皆階階皆 0 」 田町自階階階階階階 型 圭彎 新 千 6 5 4 3 21 地 過すると共に、再び、金貨の場合と同様の現象がおこりたしたの 圭日 321 だ。司政庁はついに一タットの紙幣を出した。まあこの措置にした 9 一 0 み

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声は受け、沈黙した。 は、彼を、その中央の席へと案内した。 彼は立ちあがった。 ーしろいろとう 「お食事のお好みについて、ことにはじめのうちょ、、 浴室でざっと顔を洗ってから拭ぎ、ドアへと歩み寄る。 るさくおたずねすると存じます」 ドアはひとりでには開かなかった。それにちゃんとノブがあるの はいった。「ご注文があれば、何なりとご指示下さい だ。彼はそこで即時に了解した。司政官がいったん室内に入った出来るだけお好みに合わせるようにいたします」 ら、あとは司政官が自分の意志であけようとするとき以外、施錠の 「そんなにうるさいことは、、わないつもりだよ」 状態がつづくのであろう。そういえばボタュトの花壇に面したガラ彼は答えた。 タトラデン ス戸も、同じ構造だったではないか。かりに何かの異変か事故で、 彼は、自分が美食家だと思ったことは、一度もない。 司政官がみずからドアやガラス戸を開き得ない状況になったら : ・ でのーーウイスボア州立西北養育院にいたころは、食べものにぜい いや、そんな場合にはもちろん、ロポット官僚が開いて、司政官をたくはいっていられなかったのだ。そののち連邦の学校へ行き待命 助けるために入って来るのに決まっている。 司政官の生活になってからは、いろんなものを食べる機会が増え、 ある程度舌も肥えたのはたしかだが 彼は / ・フを廻して、外へ出た。 心の底のどこかでは、腹が 02 と Q が立っていた。 減れば何でもおいしいはずなのであって、食通を気取る連中は傲慢 「ご案内します」 というものではないか、ああはなりたくないといった気分が存して いる。いざとなればどんなものでも食って生きて行けるのだ、とい 02 がいい、先に歩きだした。彼がつづくと、そのあとに がついて来る。 う自信と片意地みたいなものを、どうしても捨てることが出来なか ったのだ。 ホールのむこうにかかっていたカ 1 テンは、開かれていた。 その奥が食堂だったのだ。 「お食事はおひとりでなさいますか ? 」 ホールほどではないが、それでもだいぶ大きな部屋である。中央は、またいた。「それとも、なり私なりが、 に幅の広い楕円形のテープルが据えられていた。これだけのテー・フ いたほうがよろしいでしようか ? 」 とちらでも、 ルがあれば、二十名やそこらの会食は可能だろう。ホールが。 ( ーテ彼には、・ しいことだった。人間相手なら、一緒に食事 イを催せるようになっているのと同しく、食堂もまた来客を予想しをしたいとかしたくないとか、選択したいところだけれども : て作られているのかもわからない。 ポット官僚に対しては、別に緊張したり気を遣ったりする必要はな テー・フルには白い布がかけられ、花を盛った花瓶が置かれている。 いからである。それに、同じ部屋にいないとしても、ロポット官僚 もっともそれはボタュトではなく、タトラデンではよく見掛けるシはつねに彼の行為をどこかから眺め、対応するように待機している 9 マパラという、赤と白の条が交互につらなった大輪の花であった。 のだ。たた : : : 今ま、、 。℃ろいろ質問したい事柄が出て来るかもわか

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この想像が正解たとしたら : : : 他の司政官も、学習にかかってか「恐縮に存します」 らこの位の時期に、司政島東部視察をしたのだろうか ? それとも は答えた。の部下がカップをさげに来た。 もっと早い時期か、・もっと遅い時期に : : : ? これから私よ、・ とういうことになるのかね ? 」 でも、彼にはもはや、それはあまり気にならなかった朝これまで彼は、にともにともっかず、たずねた。 は歴代司政官と自分とをたえす対比させずにはいられなかったが、 その言葉を、彼は別に皮肉でいったのではない。 これまでなら、 もう、関係はないではないか、との心境に到達したようである。歴自分が作られたスケジ、ールによって引きずり廻されるのに抵抗し 代司政官がどうであろうと、自分は自分なりに : : : キタ・ たい気持ちがあったのは否めないが : : : 先程からのゆったりした気 ・カノリビアとして、やって行けばいいのである。 分は依然としてつづいており、その上、この南分庁というものの存 それで充分なのだ。 在意義を自分なりに位置づけ、納得したことによって、すくなくと そして : : : 自分にこれだけの基盤があり、こういう設備があるのもここでは、 われる通りにするのがよさそうた、と、思うように なっていたのたった。 なら : : : 何となくやって行けそうな気持ちが生れて来ていたのた。 タトラデンへ来てからの、つねに追われているような焦りが、妙に 「このあとは、分庁内をご案内したいと存します」 軽くなり、全力をあげさえすれば何とかなるだろう、もしも失敗し 022 がいった。「ひとつひとっゆっくりと見ていたたくと、 たって、そのときはそのときではあるまいか といった、どこか五時間ないし六時間かかります。分庁の案内図をお持ちしますの ふてぶてしい感覚さえ生起しかけているようである。 で、重点的にごらんになりたいところをご指示下さい」 いいではないか。 「出来れば全部見るべきなんだろうね」 しいのではないかっ・ それで、 「そんなことはありません。本日ごらんになれなかったぶんは、ま もう、次から次へと与えられる課題を必死で解こう、といった感たおいでのさいに見て下さればいいと存じます」 じかたから脱却し、こっちから取り組んで行くときではないだろう「それもそうだな」 か。あわてずに真正面から立ち向うーーーそれでいいのではあるまい 02 と話しているうちに、 CR 2 の部下が、一枚の紙を持 って入って来た。 すくなくとも、そのつもりになろう。 南分庁の見取図だった。 ひょっとすると、自分は何とかやって行けるのかも知れない テしフルに置かれたそれを覗き込むと : : まるで大邸宅であっ と、彼は思った。 た。大邸宅というよりも、小さな博物館と表現したほうが近いかも 彼は、ス・ハニタを飲みほすと、 知れない。中央に現在彼の居る本館、東西に翼館が伸び、それとは 「大変結構だった」 別に、第一記念館、第二記念館というのもあった。ほかに保管棟と 4

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いつの間にか得てしまった部分は、いわば、自分のあたらしい可能です」 「私は知らなかったな」 性だとの見方も出来るのではあるまいか ? そう。 彼の言葉に、はすぐに反応しかけて、とめ、それからい そう解釈すれば、自分で自分を変に責める必要はない。 った。「ス・ハニタが一般的に飲まれるようになったのは、この四、 むしろこれからは、過去のおのれがそのようであったのをばねと五年のことです。司政官がタトラデンにいらっしやったころには、 するのと同様、その後に得た可能性やあたらしい視野といったものごく一部の植民者が飲んでいただけで、それほど知られていません を、武器とし、活用するように努めるべきなのかも知れない。おのでした」 れが感じたこと、おのれの身におこった事柄の、それらから活用し「 だろうな」 得るものはすべて活用し、利用し得るものはすべて利用する : : : そ彼は頷いた。 の位の神経にならなくては、司政官などという役目は、とても果せ頷きながら、彼は、今のの喋りかたがな・せそんな風だっ ないのではあるまいか ? たのか、理解していたのだ。は型の通りス・ハニタなるもの の説明をしかけーーー・そこでか、あるいはからの、今 「失礼します」 度の司政官はかってタトラデンの植民者であり、いつごろまでタト が声を掛けたので、彼は考えごとから引き戻された。 ラデンこ 冫いたか、との情報を受けて、彼向けの答えかたをしたのに 「この飲みものでお食事はおしまいになりますが : : ほかに何か、 お求めになりたいものがありますか ? 」 違いない。おそらくそうであろう。そうだとしたら、はそ の瞬間まで、からこの情報を与えられていなかったわけだ はたずねる。 し、がその旨をに告げなかったのは、自身が テー・フルには、の部下が果汁らしいものを持って来て、 ( これまですでにいろんなことがあったにもかかわらす、また ) 彼 置いたところたった。 がタトラデン出身者だということを、それほど重視していないこと 「いや。もう充分だ。うまかったよ」 になるのではないかっ・ 彼は応じ、果汁らしい飲みものに手を伸ばした。 いや、そうした推測は、今はよそう。 やはり果汁だったが、軽いアルカロイドを含んでいるようであ 彼は、せつかく久し振りに手に入れたこの平和な気分を、自分か ら求めて潰したくはなかった。 「これは何だね ? 」 彼は質問した。 彼は、スぶニタをまた一口暖り : : : それがなかなかいけるのを知 「ス・ハニタです」 「いかがですか ? 」 は答えた。「タトラデンの植民者たちが好んで飲むもの る。 っ宀