年 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1983年11月号
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1. SFマガジン 1983年11月号

マ SF 書庫全景 1 上ニ段が新書と文庫。通常の書架は B 六・四六判など。 , 、石原士の大公開 》今月は書庫を御案内する。書斎に隣接した 2 フロアーの書庫には、約一 万冊の図書が収められている。もはや収宀盒舵力の限界に近く、以後無限 に増えつづける図書は倉庫に収納するしかないとのこと。この書庫の特 色は、なんといっても博士独自の収納方法にあゑます①戦中・戦前、②戦 後から昭和三十五年まで、③昭和三十五年以後、と年代別に三分類し、別の 部分に収納。さらにラベルによって細分類する。①はラベルなし。②は茶の ラベル。③は四十五年まで茶のラベル。四十六年から五十年青ラベル。五十 一年から五十五年金ラベル。五十六年からは緑ラベル。さらに文庫、新書、 六・四六判に分けてある。並べ方は「図書解説総目録』とまったく同 じ順で、実際に、同書の校正には、書架を撮影した写真を使用したとのこと。 なお、ジュヴナイルは別系統の書架に収納してある。 ( たとえば、朝日ソノ ラマなどは別の部屋にある ) 最後に、熱心でまじめな (-ou- 研究者には、いっ でも、よろこんで御覧にいれるとの、博士の = = ロ葉をお伝えしておこう。 △ SF 書庫全景 2 正面に見える部分は仙花紙本時 代の少女もの。

2. SFマガジン 1983年11月号

年は室内の百年に当る。 ( そしてそれはそれなりに大切なのだが ) 困ったことに は、ぼく自身のカの不足から、わかってくれたはずの少 名刺を出す。一枚では当にならんと言ふ。五枚出す。数の人たちでさえ、本当はこっちのいいたい事柄をくみ 取ってくれなかった、と、悟る場合がすくなくなかった 墓場へ位牌をすててゆく。夜汽車でかへる。 のである。以来、・ほくはものを書くときに、他にもいろ んな方法をとるように努めた。なかんすく、人間が人間 一九六七年四月発行、春陽堂書店、芥川龍之介全として存在し、社会の中で生きて行くときには、いやで 集第一一巻より抜萃 も感知し納得しなければならない 日常感覚を持ちだ し、それを書き手と読み手の共通基盤とすゑというや これらは、どうやら大正五年から十五年の間にしるさりかたをとるケースが多くな「た。こんな方法には異論一 れたもののようである。 も多いたろう。ひとっ間違えば当り前の、別に書く必要一 世上、芥川龍之介の研究者は数多く、研究書はそれこもないことをつらねる結果になりかねないからだ。けれ そ数え切れないであろう。それがわかっていながら、こどもは、見方によれば逆方向のそうした方法をとる んなことをなぜ書くのか : : : ・ほくは、自分でも不思議なことで、よりとしての鮮明さを打ち出せるのではな 気がする。また、・ほく自身の気持ちが妙にこの手帳と通いか、と、・ほくは思っている。 じることについて、おのれが多少成長したのだろうかとそういうやりかたをつづけているうちに、ぼくは、も一 考えているわけではないし、逆に、自分が段々年をとつはやずっと遠くへ置いて来たはずの芥川龍之介の、こう て、古いものしか感じ取れなくなっているのだとも信じ いうメモと遭遇し、奇妙な共感を持ったというわけであ こ。こ、まくようのだ。 ひょっとすると、やたらに前ばかり見ていると、進ん ひとつのアイデアなりモチーフなりを作品にするとでいるつもりが、足踏みし、先人のやったことを踏襲し き、・ほくは、しばしば頭だけの、理屈によってのみ成立ているのに過ぎないのではあるまいか、との、ちょっと する話を書いて来た。それが充分にこなれていないと、形容しがたい気分におちいったのであった。 一部の人たちには面白がられても、多くの人間にはそっ それにしても : : : やはりこんなことを書いても仕方が ぼを向かれるという経験を何度もした。それはそれで結ないのではなかったか、と、ぼくは、いささか後悔もし 構、にはそんな面があるのだとの意見もあろうがている。 4 3

3. SFマガジン 1983年11月号

〃クかファンタジイ & SE 持約住 00 第 新を 0 新を ″″ 8 3 第 9 回 / カワ・ SF コンテスト発表 ! 昭和 35 年 4 月に日第三種郵便物認可 昭和引・年に月一日国・鉄東局特別扱承認 雑誌第 682 号昭和 58 年Ⅱ月一日印刷・発行 ( 毎月一回日発行 ) 第 24 巻第に号 0 00 新 0 盛新 ファンタジイ特集 P ・ゴドウイン諟懿 田中文雄 難波弘之他 連載ー 司政官シリーズ 眉村卓 野阿梓 神林長平他 「眼狩都市」 , → 2 回分載 をコミック = 佐藤史生 をフォトレポート 〔今月の SF イヴェント〕

4. SFマガジン 1983年11月号

tO 池見照一一 サイエンス・トピ〉ク、プ当 0 超・超高層ビル カット佐亠嘉隆 CO 教授を定年退官後、鹿島建設副社長に迎えられ わが国に超高層ビルの建設が始まって、今年か、という動きも出てきた。 CO ニーヨーク並みの摩天楼は、はたして日本た武藤清博士 ( 現在・鹿島建設名誉顧問、武藤 で十五年が過ぎた。 構造力学研究所長 ) である。 に実現するのだろうか。 高さが一〇〇メートル以上の超高層ビルは、 東大時代、日本の五重の塔がなぜ地震によっ 東京、大阪、 て倒れないかを研究。また研究グループによっ 横浜、神戸に て、昭和三十四年から三十七年にかけ、国鉄東 超 相次いで建設 京駅を高層ビルに改築する計画の技術的な検討 が進み、いま を行った。 髴る 0 四十三を数え ( のがっちりとし この結果、鉄筋コンクリート る。建設中、 ーび た「剛構造」では、十四、五階までしか高くで そ tO 計画中のもの ~ ~ く図 きない。その代わり、高張カ鋼を用い、柱の根 を含めると五 一高想 に予元を太くせず、上の方も細くすることをしない O 十一にの・ほっ か成「柔構造」のビルにすれば、国鉄が計画する一一 ている。 る完 はの十四階建の超高層ビルの建設は可能であること CO 「地震国日本 がわかった。 Z に超高層ビル よ央 ル中「柔構造」ビルは、しなやかなムチのようにし は無理だ」と なって、地震動を「柳に風」と吸収してしまう いわれていた 高ビものである。 のに、もうす 超層 東京駅改築計画は、実現していないが、武藤 つかりと定着一 博士が鹿島建設に入り、四十年から四十三年に した。そし O て、・ヒルの高さも東京・池袋のサンシャイン 8 日本は地震が多く、地盤が固い岩盤でなく軟かけて、超高層ビル第一号の霞が関ビルを完 弱なため、ニーヨークのような超高層ビルの成、柔構造理論を具体化した。 ビルのように二一一六メートルと、二〇〇メート ルをオーパ 霞が関ビルは、高さ一四七メートル、三十 ~ / ーした。さらに高くし、四〇〇メー建設は無理だとされてきた。 トルの高さの超・超高層ビルを建設できない この固定観念を打ち破ったのは、東大工学部階建て。それまで、ビルの高さは三十一メート ロ 6

5. SFマガジン 1983年11月号

MAYDAY. 「トラ・ヘラー」ポード・ ゲーム各種ー宅望日を・ - 社 MAYDAY, AZ 工 ANTI エ一 G 工 LIG 工 TNING F ゲ弘への招待 1 , 、が、 0000 " 聳 く「ジャーナル」一一 - ファンの研究・交流の場としての雑 誌。 NO. 13 Hivers と NO. 16 SuSAG して、若い地球側のパワーに対してほとんど手術を受け、知的種族として銀河にばらまか れていたのである。 有効な手をうつことができなかったのだ。こ この仮説は強い衝撃を帝国にもたらした。 の〈第一次恒星間戦争〉は、こうして二百年 ソロマニ人の種族的優越を示すものとして、 の経過の後、地球側の勝利で終わる ( これ は、同じ社の『インペリウム』という従来の〈帝国〉の膨張主義政策にますます拍 車がかかると同時に、逆にそれが〈帝国〉内 ゲームに詳しい ) 。 それから、四百年間は〈地球人の支配〉と部での種族間の軋轢を大きくしたのである。 この歪みは、帝国の歴史に大きな禍根を残す 呼ばれる地球人の〈帝国〉の興隆期だった。 二つの問題となった。 だが、彼らは旧ヴィラニ人の領域をほ・ほ受け 一つは、〈辺境戦争〉であり、他は〈ソロ 継いだものの、急激な膨張に合わせての管理 マニ領〉問題だ。〈辺境戦争〉とは、〈帝 ・維持能力に欠けていたため、二十八世紀を 国〉が発展の過程で最大の力を注いだ銀河核 すぎてからは急速に凋落していく。 こうして〈黄昏時代〉と呼ばれる暗黒期方面のデネプ宙域〈ス。ヒンワード・マーチ〉 での、ゾダーン / ヴァルグル連合との数度に に、この銀河領域は突入する。 わたる衝突た。ヴァルグル人とは先ほども述 約千七百年の後、地球人の末裔であるソロ べた遺伝子改造を受けた大類の子孫であり、 マ、ニ人クレオンが、旧〈帝国〉領の一地域か らシリア帝国を率いて近隣世界を併呑し、や彼らと超能力を大幅に社会に組み入れた同じ がて彼は第三の〈帝国〉設立を宣言する。暗人類の一族ゾダーン人が手を組んで、この宙 黒時代に倦んでいた人々は、むしろこの〈帝域で五百年にわたり、五度の大規模な戦争を 〈帝国〉と起したのである。〈帝国〉には 国〉を歓迎した様子がある。しかし同時に、 〈ソロマニ仮説〉のほか、超能力者へのぬき この頃提唱された一つの理論がソロマニ人の ・、たい不信感があり、かっての〈超能力者抑 誇りを支える基盤になっていたことも否めな 。それは〈ソロマニ人の仮説〉と呼ばれる圧連動〉の結果が、この両種族の皦しい敵意 ものでーー何と、かって地球人と恒星間戦争を買っていた。特に現在 ( 『トラベラー』の を戦ったヴィラニ人は、太古の異種族によっ現在とは、地球紀元五十七世紀、〈帝国〉暦 十二世紀であり、われわれの一年の経過が、 て地球から移植された同根の人類だったとい 設定上でも一年の経過というようにシンクロ うものである。 ナイズしている。つまり彼らはわれわれと この太古種族に よる移民はまった 三六四七年離れた架空の未来を生きているの くの謎につつまれ だ ! ) の〈第五次辺境戦争〉は、これまでに ており、人類のみ例を見ない苛烈なもので、〈帝国〉もこのま までは全面撤退を余儀なくされるかもしれな 】ならず大類まで同 いのだ。 じ頃に遺伝子改造

6. SFマガジン 1983年11月号

持っ色だった。その界面はホログラム・ムーヴィ特有のこまかいゅ らぎを伴い、お・ほろにかすむ。それがこの稀有な美しさに幻想的な オ・フリガートの衣をまとわせていた。 どこから来るのでもない光に照らされてほの白く佇むこの木の立 姿には、あでやかさとたおやかさ、びんと張りつめた色気ととろけ そうななまめかしさが、ぎりぎりのところでつり合いをとってい る。そうして、雲のように舞い散る花びらのひとつひとつを手にと ってみれば、それらはどんなにか美しく愛らしいだろうーーもし手 にとることができるものならばー むろんそれは無理な相談だった。この桜は虚像だ。風に枝を揺ら し花びらを舞わせはしても、やはりホログラムでしかない。その枝 を渡る風は春の微風であって、居住システムの屋上に吹く風ではな いのだ。だが、それはなんと美しい虚像であることか。 「きれい キャシーのつぶやきがどこか近くでもれ、それを合図にしたよう にほうっという讃嘆のため息がひろがった。だが、それきりで、人 びとは言葉もなく、憑かれたように夜桜を見つめつづけた。そこに なにか決定的なものを見出したとでもいうように。 「五十年か : : : 」 セキはこっそりとそうつぶやいた。 ライフ・サイズ 五十年。この実物大のホログラムはそれだけの時間をかけて育て あげられたものだったのだ。 五十年前、いまだ移住の混乱が収拾されず日に八十万のオーダー で死者が出ていたころ、セキは ( 友人の個室を転々としながら ) 若き天才として、このモラトリアム都市の運営ノウハウの作成に参 画していた。複雑多岐にわたる都市の機能のうち、単なるジグソー 2 ー 7

7. SFマガジン 1983年11月号

第だが、それも三年ではかなく終りをつげた。一方、シンシアは贅、 ( ( ~ 第 ~ ・ 5 沢の中に生まれ、贅沢な人生を歩んできた女だった。結婚歴は三 回、うち一人とは離婚し、二人とは死別している。夫たちはみんな 金持だったのだろう、シンシア自身たいへんな金持という印象をう ジョン・クリストファー けた。金のこともよく知っていた。ある晩、株の話を始めたのだ ト ~ CI ~ 40 ミ , が、私の知識が底をつくのに大した時間はかからなかった。 ひさびさのジョン・クリストファー。 といっても、ご存じない読 シンシアは巧みな話し手であり、勘のいい聞き手だった。私のつ 者が多いだろうか。本誌に限れば、創刊以来のった短篇はわずか一一 くった壁をたやすく打ち破った手ぎわも、小気味よかった。しかも つ。しかし事実、短篇は少ない作家で、その本領は『草の死』や 「大破壊』のような長篇にある ( 残念ながら一」の二作は、何年か前 彼女にあるのはセックス抜きの女らしさであり、それは私のような ハヤカワ・・シリーズで出版されたまま、今のところ文庫版は 心境にある男にとっては願ってもない慰めだった。彼女が私に何を 出ていない ) 。 求めたのかはいわくいいがたい。なんにしても寂しさをまぎらわす 一九一三年生れのイギリス人。本名はクリストファー・ヤウド ためだけでなかったことは確かである。シンシアは孤独であったこ ( 本誌掲載の一篇は、本名で発表された界へのデビュー作「ク とはなく、将来も孤独には縁のなさそうな女だった。 リスマス・ツリー」である ) 。五〇年代から六〇年代にかけて、普 通小説との境界線上を狙った、非情なタッチのデイザスター小説 シンシアはいけるロではあったが、大酒飲みではなかった。彼女 で、ジョン・ウインダムと並ぶ人気を得た。しかし、わが国への紹 は私の酒離れに一役買い、本来なら飲んだくれる時間を、私はサン 介にあたっては、 ( ファン出身のくせに ) 性の稀薄なとこ デッキに寝そべり、海を見ながらの談笑ですごすことになった。最 ろがむしろマイナスにはたらいたようで、知名度ではウインダムに 初の二日間、私は仕事と子供のころの話をした。三日目にはヘレン はるかに水をあけられている。現在はジュヴィナイルに主力を 注いでおり、エンサイクロペディア』では、イギリス児童 のことを話した。シンシアは耳をかたむけ、やがてこういった 界の″第一人者″と持ちあげられている。二、三年前、『鋼鉄 「そういうことだったのね。あなたの背中に取り憑いて、身動きと の巨人』『銀河系の征服者』『燃える黄金都市』の三部作、および れなくさせているのは何だろうって、気になっていたの」 『異世界からの生還』といった長篇が、学研からたてつづけに出版 彼女の話しぶりは医者を思わせた。こじれた症例を解きほぐすの されたが、ファンのあいだでは読まれた気配もない。どうなっ がいかにも楽しいという医者の口調。奇妙なことに、これに加え てしまったのだろう ? ーが一 それはともかく「ランデヴー」は、長篇作家クリストファ て、今まで飽きるほど見てきたわざとらしい気づかいの表情がない 九六六年に発表した珍しい短篇ファンタジイである。過去へ過去へ ところも、私には新鮮に映った。憐みをこめた同情は、親密さの押 とさかの・ほる物語の最後に用意されているひねりは、やはり作 売りである。少なくとも外見からうかがうかぎり、シンシアは愛す ( 伊藤典夫 ) 家らしい視点のたまものといえよう。 る者を失った悲しみには無縁に見えた。私にとっての悪魔が、彼女

8. SFマガジン 1983年11月号

ることができる。 ろとさまよい歩いている。べッドルームからリ・ヒング・ルームへ、 なぜなら、あのふたりは現実に血のかよった人間なのだもの。あ新しくクリーム色の塗料をぬったキッチンへ。たばこの煙のよう 2 たしはちがう。病気とか、夢を見ているとか、そういうことじゃな に、カーテンのひだの中に入りこみ、ときにはありもしないこぶし そうじゃない。 で壁をたたき、習慣と疲労から、体に触れもしないべッドや椅子に あんたは死んだのよ、ゲイラちゃん。あんたは死人なの。 へたりこむ。残されている唯一の感覚、消耗感と恐怖とで、くたく たに疲れはててしまうのだ。 あたしは死んではいないし、死ぬこともできずにいる。もし本当 ニックに駆られたあたしは、あちこち ひどい二日間が過ぎた。パ に死んでしまったのなら、なぜ、ここにいるのだろう。あたしを出 走りまわり、どこに、なぜ、逃げていかなければならないのかわか らないまま、脱出する道を探そうとした。死におびやかされているしてー でも、どこに、 のか、それとも生におびやかされているのか、自分でもどちらだか わからなかった。死んでいるのは確かなのだが、どのようにして死 んだのか、あるいは、どのようにして逃げ出せばいいのか、さつば まだ、時間、とよべるものがある。アルがキッチンに、はなやか りわからない。 な日本画のカレンダーを。ヒンで留めた。今月は鎧姿のサムライが剣 ローエンとアル にくたらしいことに、ドアすらひとつもないー を抜いている絵柄だ。戦っているところなのか、たわなれているの はがらくたを運び入れては、また出ていくというのに、いざあたし か、それはどちらでもいい。絵はあまりよく見えないが、日づけは がドアをみつけようとすると、あたし同様、ドアも存在しなくなっ はっきり見える。一九八一年。家賃があがったのも無理はない。あ てしまう。あたしはここに縛りつけられているのだ。存在しないとれから七年、たっている。七年前、あたしは いう状態など、想像もできないものだろう。だからこそ、実際にそ いや、そのせりふは気がめいる。退場した、の方がまだいい。ど うなってみると、どんなに恐ろしいことか。の天国のシーンんなふうに退場したのかは、混沌の中に、大きな空白となって残っ なんか、あたしは信じたことはない。あたしにとって、死んだ状態ている。思い出したのは、自分の名前と、ア。 ( ートに関するこまご とは、単にいないこと、ゼロ、無、想像だにできないものになるこまとした点だけ。過去もなく、未来もなく、つなぎ合わせていこう と。いちばん似ているのは、歯科医に麻酔薬をかがされたときか、 にも、フィルムのちつぼけな断片は、あっというまもなく消え失せ あるいは、この世に生まれでる二年前の気分。 てしまう。それはかまわないとしても、あたしの遺体はどこにある まさか。自分が死ぬなんて、と誰でも思うだろう。自分、この宇のだろう ? 埋葬されたのか焼かれたのか、ばらまかれたのか、そ 宙の中心が、減びるなんて。なのに、あたしはこうなり、縛りつけれとも罐に詰められて、どこかの大霊廟の納骨堂に入れられたの られ、出口もないまま、このいっさいをぶちこわしたくて、うろう か ? 夫がいたのか、恋人がいたのか ? あたしはいったいどんな

9. SFマガジン 1983年11月号

■熱気に満ちた大会、年々応募数を増す フィン回生博 2 コンテストの選考、と夏の年中行事をこなすう 史原ー 話モニス 編集後記 2 ち、いっしか、またもや、あの十年一日のごとき 一第藤石満 アコダ」佐他 ンき均 で ■第九回「ハヤカワ・コンテスト」の発表でで、夏の疲れを癒し、たがのゆるんだ頭脳をひき と田Ⅷ クへ す。今回も残念ながら入選作はありませんでししめるに足るファンタジイ特集をお送りします。 なザルナ潮く た。たしかに作品のレベルは高くなっているので秋の夜長、じっくりとお楽しみください。 さ イクゼき⑤の 巻頭の宮武一貴氏のイラスト、今月はピンチヒ すが、伊藤典夫氏の選評にもあるとおり、キラリ アイ 招昌 と光るものがなくなっています。 ッターで佐藤道明氏が担当。同じぬえの仲間だけ マ の田 号 へ野Ⅷ もっとも、これも考えようで、十年に一人の大あって、コンセ。フトの把握力はさすが。進境著し ム " 告月一 物が毎年出るわけでもなく、また、毎年コンテスい佐藤氏の、ますますの活躍を期待します。 肥特ノ トが行われているために、十年に一人の大物にな巻末でおなしみ「エンサイクロべディア」。 る前に応募してしま「た、ということもあるかも今月は都合により休載いたします。あしからず御号年記 3 作 しれません。ただ、少なくとも全体のレベルが向諒承ください。最後にニュースを追加。ヒューゴ 真 回隆三Ⅷ 上していることだけはたしかなのです。次回を、 ー賞の長篇部門はアシモフの『ファウンデーショ シ卓尾 また、入選に至らなかった方々の次作を期待しまンの彼方に』が受賞とのこと。ゥーム。 ( 池 ) 最小野Ⅷ 1 しよ、 - っ -0 夏は、やってくるまでのあの期待に胸ふくらま 眉 城情・ それにしても、最近のコンテスト応募作を見てせている時期が一番良い時なんですね。過ぎ去っ ン の事付 界 ( ス いると、共通したひとつの欠点があるようです。てしまった夏は、あまりに短くあまりにはかない 天室 それは、個々の場面、アイデアがそれそれ借りもものです。祭の後、といった感じなのです。きっ 「外究Ⅷ 新 ク海研 ので、しかもそれが・ハラ・ハラに組みあわされていと、夏という季節そのものが一つの祭りなのでし よう。日本大会のあの狂乱も、今思い返せば るのです。膨大な作品が出版され、アニメ 新新切昌稜イの卓 , 星談読田見リ連村コ企の が、映画が作られている世の中で、ついあれ何とあっけないものか。不意に秋風が素肌にうそ く星対く野水ハく眉・新士 もこれもと思ってしまうのかもしれませんが、じ寒い今日此頃です。それでも、既に来年の大 つくりと腰をすえて、作者だけの世界を造りあげ会に向けての準備が始まっているのだと思うと、 た作品を待っています。 またそろぎの虫が蠢き始めそうです。 ( 田 ) ーマガジン一九八三年十一月号 ( 第一・ さて、次号はいよいよ、ショート・ショート ■いったい夏はどこへ行ってしまったんだろう。 十四巻第十一一号 ) 昭和五十八年十一月一日 〇〇一本という、世界にも類のない偉業を達成しちょっと気を許した隙に、つい先日までの猛暑は 印刷発行発行所東京都千代田区神田多 た星新一氏の、その一〇〇一本目の作品の登場でどこへやら、あっという間に " 秋。にな 0 てるな町二の二郵皿早川書房東京 ( 二 す。また、これを記念して眉村卓氏との対談冫 こもんて : : : 今年はついに一度も泳ぎに行けず、浜辺五三一 一一 ( 代 ) 発行人早川清編 出ていただきました。次号は日本史に残る己 言での淡い恋もまた夢となってしまった。フン、夏 集人今岡清印刷所誠友印刷株式会社 念的な号です。御期待ください。 ( 今 ) なんて、だいっきらいだい。 ( 加 ) いいいいい " い・いいり・・れⅱいハい・れリいいい、いハいいいいリいり 00 ハいいいりい " ⅱⅱ・いいいいい・い ■ ムロ

10. SFマガジン 1983年11月号

囀精第観麗 石原博士の SF 研究室に 2 新書と年鑑類をおさめた部分。 △ニ階の書庫の一部。境界作品のかなりのものは、この非 S こには、古くは東京創元社 F 書庫の方に収納している。 の「世界大口マン全集」「世界恐怖小説全集」、新しくは徳 間ノヴェルズの「西村寿行選集」などの全巻揃いが並んで いる。この写真の右側には「幻想と怪奇」「幻影城」「別冊 幻影城」など境界的雑誌類の全巻揃いが収納されている。 なお、この写真の上ニ段の棚は新書用だが、新書判 ( B4 の と小 B 6 との区別が測らなくてもつくように、棚板の寸法 が決められている。つまり、このニ段の棚からはみ出るも のは小 B 6 であり、はみ出ないものは B 40 だと瞬時にわか るスゴイ設計がなされているわけだ。 扱 地要物・・十三 ~ 吟化 ( 〔山こ物・・十三 透明人問当 題人問 x 号こ の金国人い 「海底に咲く花」 市来英雄 ( 一九圭年八月 ) 「火星にさく花」 瀬川昌男 ( 一九五六年十 = 月 ) 「嵐に咲く花」 山中峯太郎 ( 一九哭年五月 ) ルのにタあ , 口ナ一い三は えイ冊一う冊 ? おヴでと低ル のユ体」最ト ズジ自る花がイ イのれいくのタ 家そて咲もの 本なル の作一 0 に 0 そ 日篇に】ト・か ( 長本「イる 小女小き 星にさく花 にく花 = 山中享た