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検索対象: SFマガジン 1983年11月号
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1. SFマガジン 1983年11月号

年は室内の百年に当る。 ( そしてそれはそれなりに大切なのだが ) 困ったことに は、ぼく自身のカの不足から、わかってくれたはずの少 名刺を出す。一枚では当にならんと言ふ。五枚出す。数の人たちでさえ、本当はこっちのいいたい事柄をくみ 取ってくれなかった、と、悟る場合がすくなくなかった 墓場へ位牌をすててゆく。夜汽車でかへる。 のである。以来、・ほくはものを書くときに、他にもいろ んな方法をとるように努めた。なかんすく、人間が人間 一九六七年四月発行、春陽堂書店、芥川龍之介全として存在し、社会の中で生きて行くときには、いやで 集第一一巻より抜萃 も感知し納得しなければならない 日常感覚を持ちだ し、それを書き手と読み手の共通基盤とすゑというや これらは、どうやら大正五年から十五年の間にしるさりかたをとるケースが多くな「た。こんな方法には異論一 れたもののようである。 も多いたろう。ひとっ間違えば当り前の、別に書く必要一 世上、芥川龍之介の研究者は数多く、研究書はそれこもないことをつらねる結果になりかねないからだ。けれ そ数え切れないであろう。それがわかっていながら、こどもは、見方によれば逆方向のそうした方法をとる んなことをなぜ書くのか : : : ・ほくは、自分でも不思議なことで、よりとしての鮮明さを打ち出せるのではな 気がする。また、・ほく自身の気持ちが妙にこの手帳と通いか、と、・ほくは思っている。 じることについて、おのれが多少成長したのだろうかとそういうやりかたをつづけているうちに、ぼくは、も一 考えているわけではないし、逆に、自分が段々年をとつはやずっと遠くへ置いて来たはずの芥川龍之介の、こう て、古いものしか感じ取れなくなっているのだとも信じ いうメモと遭遇し、奇妙な共感を持ったというわけであ こ。こ、まくようのだ。 ひょっとすると、やたらに前ばかり見ていると、進ん ひとつのアイデアなりモチーフなりを作品にするとでいるつもりが、足踏みし、先人のやったことを踏襲し き、・ほくは、しばしば頭だけの、理屈によってのみ成立ているのに過ぎないのではあるまいか、との、ちょっと する話を書いて来た。それが充分にこなれていないと、形容しがたい気分におちいったのであった。 一部の人たちには面白がられても、多くの人間にはそっ それにしても : : : やはりこんなことを書いても仕方が ぼを向かれるという経験を何度もした。それはそれで結ないのではなかったか、と、ぼくは、いささか後悔もし 構、にはそんな面があるのだとの意見もあろうがている。 4 3

2. SFマガジン 1983年11月号

書館の傍や花壇のひまわりの根方からおれの方を見ている。こうし「 ている今だってーーー」 川村は片眼をつぶってみせた。一昨日彼女が・ほくを訪ねてきたこ 7 川村は急に窓辺に行くと首をつき出した。 とはやはり知らないらしかった。 ぼくも一緒に陽当りのよい校庭に目をやった。木かげでくつろい 「飲物がほしい」 でいる仲間たちが見えた。体育館前の水道では上半身裸で水を頭か 川村はげんきんなことをいい出した。 らかけている者もいた。 「講買部で買っていくよ、おごってやる」 「あいつは、ひとなっこい猫なんだ」 ・ほくがいった。 ・ほくはなぐさめるつもりでいった。 「先に講堂の前あたりに行っててくれ」 「実をいうと、金曜日には、・ほくにまとわりついてきた」 「わかった」 「おまえに」 川村がロ笛を吹きながら出ていったあと、ぼくは主事室の隣にあ 「うん。はっきり見たわけじゃないが、どうやら家までついてきたる講買部により、コーヒーミルクの三角パックを二つ買った。スリ ようだったしねー ・ハのまま芝生へおりた。夏草と芝を踏みわけながらかけていく 「本当か」 と、サルスペリの木の下で立ちつくしている川村の姿が見えた。 「うそなどっくもんか」 よ・ほうとして、声をのんだ。 みるみる川村の顔に生気がよみがえるのがわかった。 大きな眼がつり上がっている。 「つまり、あの猫は、きみばかりじゃない。みさかいなく、そうだ木の股のところに″クー 〃がすわって、川村を見おろしていた。 な : : : 淫乱なやつなのさ」 「よかった」 さすがに・ほくも声が出なかった。 「たまたま、きみは猫嫌いだから、気味悪がっているんだ」 かろうじて川村のわきへ行き、ミルクの。 ( ックと弁当を置いた。 「そうだな、きっと」 「また出てきたのか。近くのうちで飼っているんじゃないかな」 日村は・ほくの手をとらんばかりにして、礼をいった。 強いて軽い口調でいった。 「安心したら、腹がへってきた。池のあたりに行こうか」 「いった通りだろ」 月村がいって、渡り廊下に出た。ぼくは急いで包みに戻した弁当 川村のロが動いた。だがその眠は猫にすえられたままだった。 をかかえて彼に続いた。 「おれはこいつにみこまれてしまったんだ」 「久納には話したのか」 「放っておけ、このまま芝生で猫を見ながら、メシを食おうじゃな 「少しな。笑ってとりあってもくれなかったよ」 いか」

3. SFマガジン 1983年11月号

久納貴子にやりこめられるところを、こいつは草むらから見てい くと鼻先をつきあわせるかたちになった。 たらしい 「見たな」 ぼくは猫が嫌いではなかった。 声をかけた。 大の柔順さと比較する者もいるが、孤高の態度の猫に近づくこと猫は眼をつなり観念の様子。 のできた快感は相当なものである。 「誰にもいうなよ、な」 物心ついてから、この高校にはいるまでの間、・ほくの家にはいっ そっとおろしてやる。 も猫がいた。 はこちらを振りなくでもなく、ふらふらと尾をふりながら 母がひどい猫好きなのだ。 サルスペリの根もとに行き、爪をとぎだした。 ノラであったり、もらい猫であったりするが、いつも名は雄が 自転車置場に向かいながら、夕方テニス部の会合があることを思 『。ヒー』雌が『クー』と決っていた。″初代″が、いずれも迷い猫 したした。たが、かまうものか、どうせ退部するのだ。 だったのだが、雄はピービー鳴いてばかりいたし、雌は腹をクーク やめて他のクラ・フにはいろうというのではない。自由な立場で高 1 鳴らしてひもじがったからだという。 校生活を見直してみたいだけだ。手足をのびのびとさせ、さて、己 というわけだ。 れのいる位置を考えてみたい、 よびかけてみた。 自転車置場には、先まわりして猫がいた。 かがんだ・ほくの脚の間をくぐり抜け、頭をこすりつけてきた。 ャーツと眠そうな声で鳴いた。背のびをひとっして、自分の股間を猫は裏門までついてきて、そのまま土手の上にとびのった。 しばらく・ほくを見送っていたようだったが、やがて木立に遮られ なめはじめた。 て失せた。 ・ほくのことなど、もはや眼中にない。 ・ほくの好きな情況であった。い っしょにいるだけで満足を覚え その夜、勉強部屋の窓から、ふとあの猫がのそいたような気がし 猫も女も同じようなものだとその頃の・ほくは理解していた。追えた。 ついてぎたのだろうか。 ば、逃げる。こちらで関心を示さなければよってくる レ 1 スのカーテンが夜風にあおられている。 だからこそ、久納貴子の場合、・ほくは失敗したのだ。なまじ誕生 日にかこつけて手紙を書いたりしてよっていくから、逃げてしまっ首を出してみたが、猫の姿はなかったし、第一、猫がのるような ひさしは、この二階の窓にはついていなかった。 たのだろう。 / は眼を細めて、ぼ ″不思議の国のアリス″に出てくる″チシャ・ネコ″を思い出し そっと両脇に手を入れて抱き上げると″クー る。 4 6

4. SFマガジン 1983年11月号

日、あの家の玄関のドアに手をふれた瞬間から、ばくはきみにとっ 能者なら、入ったとたんに家の雰囲気がしみこんでくるがね」 て、ある意味で他人になると思う。いったん中に入れば、ぼくらは 「どんなふうに ? 」 「そうだな。世の中には、なにか得体のしれない本能でもって、部辺境を越えて、まったく異なる時空法則に支配される領域に踏みこ 屋に猫がいると言いあてる人間がいるだろう。あれと同じさ。ただむんだ。そこでは、およそありえないことが起りうる : : : ・ほくのい それでも行きたいか ? 」 し、きみにチャンスは与える。おそらく、・ほくには大した影響は出う意味がわかるかい ? ないはずだ。あの家の管理をしている女性から、明日の朝、鍵をも「どちらの問にもイエスだ」と・フリントンは答えた。 「では、・ほくはチェスの駒を出して、昨 らってこよう。断わるまでもないだろうが、彼女はそこに住んでる「よかろう」とランダー わけじゃないよ。じっさい留守番の必要はないんだ。一度空巣に入夜きみがっきつけたレティのオー・フニングの完璧な解答を見つけた られたことがある。男は食堂で死体になって見つかった。以来、泥すからな。今度はきみが白い駒を持っ番だ」 棒はみんな敬遠してる」 「では、ほんとうに危険なわけか ? 」 十一月二十一日は、眠気を誘う、けだるい、暗れわたった一日と 「多少は気がひきしまってきたかい ? 」 なり、地面におりた堅い霜は、陽がのぼるにつれてふがいなく溶け 「いや、きみといっしよなら安心だ」 「よし、きま 0 た。明日ゴルフが終「たら出かけよう。五時には暗だし、 = ルズ・ ( ラのティーグラウンドをいたるところで小さなすべ り台に変えた。そのためプリントンもランダーも、思うようなゴル くなるだろう。探検は六時ごろから始める。きみの好奇心を満足さ フはできなかった。プリントンがこれにいささかの動揺も見せなか せるには、夜のほうがいいからね。そうだ、もう一つ話しておこ ったのは、数時間後に迫ったペイルトン館への突入を来たるべき試 う。ああいった場所が・ほくにどんな作用をおよぼすか、それはこっ 練とみて、そちらに心を奪われていたからである。第二ラウンドを ちもよくわかっていないんだ。これまでの例では、一種の神がかり 、・、ツキンカ 状態におちいって、われながら奇怪な振舞いをしでかしている。時終えるころには、霧が巨大な蜘蛛の巣のように広がり ムシャーの地表を高めはじめていた。帰りの道では霧はいっしょに 空感覚が歪められるせいなんだが、一つ安心させておくとーーー」ラ ンダーは笑「てつけ加えた、「この状態に入っても決して凶暴には坂道をの・ほり、犬のように二人に歩調をあわせて進んだ。ときには ならない。さらにいえば、きみのほうは日常世界の法則が消減する前にとびだし、ときには後ろにさがるが、決して離れることはなか っこ 0 環境になじめるよう、心構えをつけておくことが必要だ。ビアスが レイマー館にもどったのは、ちょうど五時だった。お茶の用意が 有名な怪談集に『かようなことがありうるのか ? 』という題名をつ けただろう。まさに、ありうるんだよ。だんだん話が仰々しく、こできていた。 けおどしめいてきたけれど、多少の警告はしておかなければね。明「まだ行きたいか、ジム ? 」と、だしぬけにランダーがきいた。

5. SFマガジン 1983年11月号

七時をまわり、正門前の白亜の本館には陽が当っていたが、杉木 もなく、庭へはいっこ。 彼が家に上がるのを見とどけて木戸口を出ると、黒猫の姿はもは立の上の方は赤味を帯びてみえた。 日曜日の夕方なので、補習授業や運動部の生徒たちの姿もみられ や見当らなかった ぼくは思いきって貴子の手を握った。貴子の方でも力を入れてく 1 っ うっそうとした杉林の中央を小道が抜けている。 日曜日、予定通り、・ほくは久納貴子とデイトをした。 ロックにさほど興味があるわけではなかったが、貴子と並んだ席中央のカープしたあたりに、旧制中学時代スケートリノクとなっ ていた空間があった。コンクリートをうたれていたため植樹ができ にすわっているだけで、至上の幸福と思えた。 なかったのだ。 終ったのは夕刻で、まだ陽は高かった。熱気もまるで失せてはい よい。五目冷しをたべ、あんみつを食べた。ロック・ハンドを編成し「タケノコとるな ! 」と木の札が草むらから顔を出している。 このあたりは木立をとおしてわすかに講堂の屋根が見られるだけ ているやの話からクラ・フ活動の話に移り、進学を話しあった。 それでも何か物足りない。水を何杯ものんだ。貴子の笑顔も、・ほで、人目につきにくい場所となっていた。 ・ほくが立ち止まったため、彼女の手を後からひくかたちになった。 くの緊張した様子に気づくと、伏せられる。そんな回数も多くなっ しなやかなからだが、びったりとよりかかってくる。・ほくは黄色 い。ホロシャツにジーンズ、彼女は白い・フラウスにスカートどっこ。 二人だけになりたかった。 彼女の両手のうしろに手の平をそえ、顔を起した。 市中の公園は人目につく。 といって暗くなる迄、うろついていることは、未成年にははなは唇を吸った。 だ危険なことだった。補導の先生には油断がならない。つかまりで両手をその白い喉に移すと、彼女の口から吐息がもれた。 もしようものなら、以後二人はマークされてしまう。 月村の耳にも 心臓の鼓動がきこえ、頭に熱い血が送り込まれるのがわかった。 はいることだろう。 そのときのぼくは、眼をぎらっかせ、鼻の穴をふくらませ、ニキ 一個所だけ、みつかってもいいわけのきくところがあった。 ・ヒこそないが油ぎった顔をむき出しにした発情期の雄犬であった。 「ねえ、学校行ってみない」 すぐにも彼女を押し倒し、夏草の間で思いを遂げようとのいきごみ 彼女のほうでいった。 「・ほくも考えていたところさ」 彼女の方でもとても拒むといった様子ではなかった。なしろ、積 極的に・ほくにからだをからめてきて、・ほくもたじたじであった。 十五分ほど・ハスに乗って、ぼくたちは学校へついた。 こ 0 る。 ・こっこ 0 4 7

6. SFマガジン 1983年11月号

・ほくはうなずいた。 そのあと彼女が何か、なぐさめるようなことをいったような気も するが、はっきり覚えてはいない。 午後の授業開始のチャイムが夏木立の蝉の声に和した。池の端や気がつくと、彼女の姿は渡り廊下に消えていくところだ 0 た。 芝生でねそべっていた生徒たちが、起き上がり、木造平屋の校舎に体育館の外側のざらついた壁面が、・ほくの気分をあらわしている ように思えた。 吸いこまれてゆく。 こんなところを誰かに見られたら、今の・ほくにはとても平静さを 「時間がないから、手短かにいうわ」 久納貴子は紺のスカートの腰に両手をあて、わたしをみつめた。装うことなどできそうにない。 白い・フラウスの胸がっき出ている。漆黒のぬれた眼に、ぼくは射す幸い、生徒たちはみんな教室にはいっていて、運動場の遙か銀杏 の並木近くでサッカーをはじめた者たちがいるくらいだった。 くめられていた。 「あたしだって、女ですからね、好きと手紙をもらえば悪い感じは 数学の授業に出る気はなかった。 しない。たとえ、川村くんという特定のひとがいたって、それは変久納貴子や川村史郎と顔をあわせるのもかなわない。 らないわ。でも、人をひきずり落すのはダメ。大嫌い」 トだから仕方はないが、今は、ごめんだ。 「ぼくはべつに、彼のことを」 このままエスケープすることにした。 「あの人は粗暴で評判がよくないし成績も悪いわ。それを承知であ先生にみつからぬよう自転車置場にむかおうとしたとき、築山の たしはっきあっているの。なにしろ幼ななしみですもの。そのこと下に一匹の猫がいるのに気づいた。 を知ってて、あたしに一緒に大へはいろうなんて、よくも書けた ものね」 ぼくが見るのを待っていたように、猫はからだを起し、ひょこひ 「そんな意味にとられたなら、あやまるよ。思いつめた・ほくがいけよこと近づいてきた。 なかったんだから」 ・ほくの足にまといつく。 「きっと、そうね」 呼ばれる前から見知らぬ人間に近づいていく、この猫らしからぬ ほんのわずか彼女の眼がなごんだ。 行為に、ぼくは一瞬異和感を覚えた。 「だから、これきりにしてちょうだい。あたしの彼は川村史郎く 白と黒のぶちの猫で、むかって右の肩から首筋にかけて黒く、細 いたすきをかけているように見えた。 ん、きみとは仲のよいクラスメートというわけ、わかってもらえた 眼は青く、日本猫というにはいささかきつい印象だった。小猫で 3 かしら」 ~ なしが、といって、おとなの猫ともいえなかった。 「ああ」 クラスメー

7. SFマガジン 1983年11月号

を見せてくれたとき、あんた、あたしに言い寄ったじゃないの。覚ビル、あなたがしてくれたの ? もどって助けてくれたのね。あ えてるわ。あたしは・ ( ーグドーフで買ったばかりの新しい褐色のスたしはあなたを捨てたのに。指のあいだからこ・ほれる砂のように。 ーツを着ていたから、力いつばい殴るわけにはいかなかったわ。で「ゲイラ、ゲイラ・デーモン」ローエンがあたしの名前を口にする たびに、あたしの力が強くなる。彼が立ちあがってパルコニ 1 の扉 ここがいちばんよかったから、契約したのよ。 も、家賃のわりに、 ねえったら、あたしはどういうふうに死んだの ? なにがあったの方に一歩進むと、さらに強くなる。彼にさわれるけれど、今のと ころはやめておこう。「そうだ。・ほくが忘れていた名前だ。アル、 のよ。薄れちゃだめよ、イタチさん。姿を見せて、話を聞かせて。 アルよンエリー・ グラスを置いた。「ここには住めないんです。とても信じられないけど、それしか信じられないよ」 いっぷう変わったやさしいまなざし。アルもそれに気がついた。 無理ですわ」 行かないで、ロ ーエン。あたしにはあなただけ、あなたがすべて「なんなの、ローエン ? 」 ローエンは大股で足早にべッドルームへ行った。明るさが少し落 なのよ。アルにはさわらない、二度とさわらないって約束する。だ ちる。やがて彼は折りたたんだ紙を持ってもどってきた。ぼんやり から、行かないで。 〈もちろん約東したわよ、ニック。つねに約東はあるものよ。それ考えこんでいる彼を、アルはただじっとみつめている。ヒラジアン は当惑しきっている。 をはっきり口に出す必要はないわ〉 「人生について学ぶさまざまなこと」ローエンが言っている。「か かって、あたしはそう言った。思い出してきた。 って文学の教授が、芸術にとって人生はあまりに偶然的なものだ、 ヒラジアンがべらべらしゃべっているあいだ、ローエンはもの思 ヒ いにふけっていた。前に見たことのないものが、ローエンの目にうと言った。だからこそ芸術が体系化されるのだ、と。ミスター ラジアン、このアパートの以前の住人で、不安を訴えた人は誰もい かんでいる。気づかい、思いやり。 「ゲイラが死んだと聞いても、その男は帰ってこなかったとおっしなかった、とおっしゃいましたね。・ほくは霊媒じゃないし、天気の 予報すらできません。だけど、この件に関しては、・ほくには少し理 やるんですか ? 」 ローエンがあたしの名前を口にするときの響きが、あたしはとて解できてきました」 後生だから、教えてちょうだい。 も好きだ。歌のよう。新たな活力。 ローエンはアルに紙を渡した。古い芝居のプログラムのようだ。 「法的な問題が山ほどありましてね」ヒラジアンはメンドリの鳴き 「わかりますか、ミスター ・ヒラジアン、彼女はまたここにいます 声のような声を出した。「最初はその男の行方も、身内もどこにい ミスタ るのかわからなかったんです。そこへ、 ・ええっと、ミ スター ・レンという人が来て、万事、手配してくれたんですよ。た ローエンはできるだけ婉曲に、同じことをもう一度言わなければ 5 ぶん昔の恋人でしような」 ならなかった。ヒラジアンは話自体をばかにしている。「いや、ま

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って受け入れるのは正直なところ苦痛でしかなかった。それは好意 だと思うんだけど」 の度合いとは全く別の次元でだったが、所詮セキも老人たったとい 「それは正しい」 「他のことならともかく、あれにはあたしだってずいぶんと苦労さうことなのだろう。 せられたわ。それも職務行為外でよ。なのに電話ひとっ入れないな「いけない、忘れてたわ。はい ! 」 んて、ずいぶんだと思うわ」 フレディはセキに合成肉のパックと酒を押しつけた。目をまるく 「現にこうして来てくれたじゃないか。たぶん来るなと言っても押したセキに彼女は言った。 しかけてきただろうーー、わしの個人的予測だがね」 「さしいれなの。すこしは太らなきや。みばが悪いわ」 「なるほどね」と、言って、セキは彼女のウインクに応えた。「そ 「それは正しい」 二人は同時に吹きだし、しばらく笑った。人を避けて屋上の隅へれは正しい」 行き、ならんでフェンスにもたれかかった。 「残りを他のひとに配らなくちゃなんないから。成功するといいわ 「ご主人は ? 」 ・ : 」にこっと笑い「 : : : またね」 「旦那 ? 来てるわよ。あっちで友人とよろしくやってるわ」 やれやれーーーセキは頭を掻いてフレディを見送った。かなわん 「そう : : : 」 な、貫禄まけだ。それに、なんによらず物資を調達してくるあの才 どちらからともなく会話がとぎれ、そのままになった。フェンス覚 ! それがあれのためにどんなに役立ったことか。 を風がふき抜け、セキのひげとフレドリカの髪をなぶっていった。 セキは肉と酒の重みを確かめるように胸にかかえこむと、装置の 「すまなかったね」 方へぶらっきはじめた。供給まであと十分足らずだった。ますます 前を向いたまま、消え入りそうな声でセキは呟いた。照れやのか増えつつある人びとの間をぬって、歩く。気の早いものがいて、待 れにしてみれば、それで勢いつばいなのだった。 ちきれずにフレディが配ったカツ。フワインの封を切ったりしてい 「謝まるこたないわよ、あたしを振ったくらいでさ。今頃返事をく た。騒々しいわけではないが、冷たい風にもかかわらず、ほのかな れるってのも、せんせらしくて良いけど」 熱気、ひそやかな昻奮とでも言うべきなにかが静かにひろがってい 「うむ」 セキは頭を掻いて、へんな笑い顔をつくった。照れかくしと、フ むろんセキには知るよしもなかったが、屋上に集う人びとのこう レドリカへの感謝の念がないまぜになった笑いだった。 した姿には、どこかしら、かっての地球上で劇場のロビーに集まり フレディは、その情熱的な容貌や元気のいし = = 冫 、口調こ似合わず、控開幕を待ちながら談笑していた人びとーーーあのなっかしい過去を思 えめな愛しかたしかできない女性だということはセキにもわかってわせるところがあった。かれらはみな一様に快い昻奮に身をひたし いた。だから彼女の思いを無下にはねのけることはできず、かとい ていた。頬を上気させた者さえいた。 こ 0 2 ー 5

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日曜日まで、どうやって過ごしたものか、そんなばかなことまで 「あたしのせいで、あなたが部をやめる気になったとしたら」 「よしてくれ。やめるのは・ほくの前からの希望たった。組織や序列考えた。クラ・フ活動もやめたことだし、念願通り受験勉強一本にう ″ゲド戦記″ でしばられるのが、がまんならなくなったんだ。西田や小山たちのちこめばいいではないか。好きなも読めばいい。 やったことを怒ってるわけではない。彼らはしきたりを守っただけも″砂の惑星も本箱の奥で中途でしおりを挾んだまま薄く埃をか ぶっている。 のこと、これからだって友だちでいられるさ」 「あの人たちを弁護するのね」 貴子は、學校ではいつものように、単純に級友としてふるまっ こ 0 「そうだな。二年近くもいて、はいさようならだものな」 ・ほくと眼があう時でも、それ以上の親しみを込めることはなかっ 「あたしをきらいになった。 村のこともあるし、仕方がない た。幾分さびしい思いがしたが、川 と・ほくは隸った。 「今までのこと、あやまるわ。あたしはあなたのこと、好きよ」 事実、川村史郎のことが気になった。貴子は彼と喧嘩でもして、 熱のため、ふとんから畳の上にだらりと投げ出したままの手を、 その反動で・ほくに近づくことになっただけなのかもしれない。たと 貴子がとった。 ぼくの心臓はとまりそうになった。気持とは反対に、手をひいた。すれば、・ほくはとんだ三枚目ということになる。・ ・ほくが登校した火曜日、彼は休みをとっていた。 母が上がってくる気配がした。一 水曜日の朝、川村は一時間目に十分ほど遅刻した。 「次の日曜日、会ってくれる ? 」 たまたま授業は化学の実験室で行なわれていたため、教師にみつ ぼくはうなずいた。 ほくのわきを通過 かることなく川村はすべりこむことができたが、・ 「市民会館でロックコンサートがあるわ」 しながら、『あとではなしがあるんだ』といい残した。 貫子は比較的知名度の高いグルー。フの名を上げた。 授業中の川村の態度は、おちつきがなく、たえず戸口や窓外に眼 「一時、ロマン亭で待ってるわ」 をやっているように見えた。・ほくはてつきり貴子とのことだと思い 「わかった」 身を固くした。 彼女は帰っていった。 その夜はパラの花園と霧深い谷底が交互に現れる夢を見た@ 朝、熱はうそのように下がっていた。 昼休み、みんなが弁当を池の畔や校庭のすみでとるため出払って しまった教室で、・ほくと川村は二人だけとなった。 4 川村は依然として窓外と廊下の方を気にしている。 「天気がいいんだ、おもてに出ようや」 9 6

10. SFマガジン 1983年11月号

うさんは砂掘り人夫として市のために働き、ずんぐりしたかあさんく、ないのを惜しくも思わなかった、美そのもののために。だけ は、年がら年じゅう、疲れ、やつれた顔をしていた。姉のサーシャ ど、あたしまで、美とは無縁のままでいさせるつもりはなかったの は、両親のもとから離れるために、十七歳で結婚した。たいした変ね。 化をとげたものだった。姉が結婚後にしたことといえば、ビール好 ハイ・スクール時代も、たいしていいことはなかった。下着に穴 きのだらしのない夫のために、子供をたくさん産んだだけ。うー があいていたから、体育の時間に着替えをするのが、たまらなく嫌 つ、あたしは姉の夫のチャーリーが、胸がなかっくほどきらいだっ だった。それに、あたしはママの生理用ナ・フキンを使っていたのだ た。日曜日の午後、あいつはうちにやってきて、とうさんとフット が、ママはナプキンを使いきってしまっても平気でいたため、あた ポールの試合を見ながら、ビールをがぶ飲みし、ポテト・チッ。フスしはときどき下着を汚してしまった。タンパックスを使えればよか を詰めこんだ。ときどき、大きな音をたててげつぶをしては、ためったのだが。・ ( ージンであろうとなかろうと、あたしはママや姉と 息をつき、自分で自分を慰めるように、出っ腹をばん。ほんとたた同じように、大柄で健康な女だったのだから。軍隊ができるほど、 く。その間、ばかな姉は歯をすり減らし、肌をチョーク色に青ざめ子供を産める体だったのだ。あたしが買ってきたタンパックスをみ させ、五人もの子供を産んだというのに。 つけたとき、ママは平手で、部屋の半ばほどまで吹っとぶほどあた そんな暮らしの中で、あたしは毎日、サウス・・フロンクスで最大しをぶった。 の事件、通りにグッド・ヒ = ーモア・アイスクリームの手押し車が 、 ? え ? めんどうはもうたくさんだ。おま 「これはなんだね、え 現われるのを、待ちこがれながら、大きくなった。 え、もう、やってるのかい ? こそこそうろついてんのかね、チビ マ 】マーの車が来た ! 十セント、おくの雌大さん ? 」 れよ」 ママ、あたし、そんなに幸運じゃなかったわ。誰もあたしなんか 「とうちゃんは金なんか一セントも置いてかなかったよ」 ほしがりやしなかった。男の子に近づくとしたら、それはおしゃべ グッド・ヒューモアの手押し車のちりんちりんという音にせきた りの中でだけだったのよ。コーヒー ショッ。フで、パンくずや、こ てられ、すぐにも駆け出していきたくて、それがまた興奮の種とな ぼれた砂糖や、ストローの袋が散らばったテー・フルにつき、安い ったら ! 」 でんぶんばかりの昼食を前に、食べものや紙きれを細く切り刻むよ 「あっちへ行きな。かあちゃんは十セントなんて持っちゃいない うに、知りあいの女の子のことや、知りあいになりたい男の子たち よ。うるさく言うんじゃない」 のことを、あれこれと批評する、ねたましげなうわさ話のときだ あたしは運というものについて、考えこんだものだ。たったの十け。 セント。わずかな金額だが、子供にとっては大金だ。ママなんか、 あたしには男のひとを見る目も、自分自身を見る目もなかった。 地獄へ行っちまえ。十セントのためにではなく、あんたには縁もな ハイ・スクール時代に五フ イ 1 ト七インチの背丈があり、まだ伸び 239