大きくなる。これを宇宙のインフレーションがあり、そのあたりからやってくる光は・フラ宙に存在する知的生命をすべて含んでいる。 とよぶ。膨張によって、温度が低下し、自発ックホールに引っ張られて、地球にとどくこ人間原理は、認識論と存在論のふたっから 2 的に対称性が破れ、仮の真空から真の真空ろにはくたびれはてて赤くなっている、と考説明される。ひとつは、宇宙というとき、宇 えることもできる。だが、しかし。この考え宙を認識するのが知性だから、という居直り へ、水が氷になるような相転移がおこり、宇 は宇宙の景色はどこでも同しという宇宙原理論法。もうひとつは、この宇宙が知性が発生 宙のインフレ的膨張はやむ。 、非常に巧妙に細工されて存在する するべく このインフレ宇宙論によって、宇宙原理のに矛盾する、と一蹴される。 おそらく、・フラックホールは宇宙原理を脅こと。この人間原理は、コペルニクス的転回 謎を解く糸口が与えられた。この宇宙の大局 によって覆されたはずのキリスト教的人間中 的な景色が、あらゆる方向で同じなのはなぜかす存在であろう。〈三章・フラックホール レ 心思想の傲慢が復活した、といえる。その意 かという謎だ。これまでの宇宙論では、そのと時空の特異点〉は、しかし、宇宙原理のこ 理由がうまく説明できなかった。インフレ的とは一切触れない。その点の不満を除けば、 味で、なるほど、人間を特別視しない見方に 「プラックホールの蒸発現象」のことなど一通じている宇宙原理の謙虚ぶりとは、真っ向 、 5. 膨張によ「て、宇宙という部屋が急に増大し たことになり、それまで談合できないと思わ章と同じ位、わかりやすく、面白かった。二うから対立する。しかし、素粒子論的宇宙論 によって支えられ裏付けられた宇宙原理が貫 れていた業者が、実は同じ部屋にいて、談合章は、もっと書き込んで欲しかった。 しあって、宇宙の部屋の全景色を同じにした最終章〈四章人間原理と超人類への道〉徹する、この宇宙でこそ、人間のような知的 : ・現在の宇宙論が生命が発生しうるとすれば、宇宙原理と人間 の冒頭はこうである。″ としても、おかしくない。 よって立っ立場は、「宇宙の景色はどこでも原理とは、キチンとつながる。真っ向うから対 インフレ的に膨張していく仮の真空の中 コペルニクス的 に、真の真空のあわが。ほっぽつ・ほっ・ほっと無同じ」という哲学的要請を受けいれた宇宙原立する、、と言う必要はない。 数にできて、仮の空間をとりかこみ、この世理である。わたしがこれから述べようとする転回前後の傲慢と謙虚との時間的配置は、今 界からひきちぎって、別の宇宙を産む。親宇のは人間原理であるが、これはある意味で宇や、人間中心の宇宙を想定する傲慢と、この宇 バラレルワールド 宙から子宇宙、それから孫宇宙ができてい宙原理と真っ向うから対立する立場だ″ ( 傍宙をもそのびとっとする平行宇宙すべてを包 含する超宇宙への謙虚というように、空間的 点大宮 ) き、ここに平行宇宙の誕生となる。 傍点の部分が、私には、よー分らんのでに配置しなおされたようだ。ここにも、時間 以上が、本書〈二章素粒子が語る宇宙の はじまり〉の要約。〈一章現代宇宙論へのす。この文章の二ページあとに、「宇宙原理を空間化する近代理性はなおも働いている。 しかし、宇宙原理から人間原理へと架けお いざない〉では、ハップルの法則 ( 遠くの銀で主張されている″宇宙は一様等方″という 河の赤方偏移の程度とその程度が比例する ) 事実」としている。事実なら、哲学的要請とろされた傲慢という名の塔は、レムの宇宙論 と、の宇宙黒体輻射の二つが、宇宙の法言わなくてよい筈。それに、二章で、さんざ的不安の風に搖れ動かされ続けるだろう。ま 則としてあげられる。基本的に重要なのは、 ん、素粒子論的宇宙論で、宇宙原理を説明した、肉体を超越した意識の超人類という著者 この二つだけ、とされる。 ているのだから、すでに哲学的要請の域を越の夢は、「物質を超越した時空」を想定した ニュートン宇宙観と同じ穴のむじなでしかな 輻射が宇宙のあらゆる方向から等方的えているのではないか。 ハベル・タワー 次に、「ある意味で宇宙原理と真っ向うか く、傲慢塔の先に広がる虚空に紡ぎ出した白 にやってきている、ということが、宇宙原理 の観測的証明になっている。ハップルの法則ら対立する」ところの人間原理とは、人間が昼夢のような気がしてならない。いすれにせ よ、一読の価値あり。 ( 『著者Ⅱ松田卓也 / は、ふつう膨張宇宙論から説明される。しか宇宙の中心的存在である、とする立場だ。こ し、宇宙の反対側に超巨大なプラックホール の場合、人間とは地球人だけでなく、この宇二四三頁 / \ 五四〇 / 新書判 / 講談社 ) ′ラレル・ワールド ヒュ・つ・リス
訓と融かしあわせる。、、コミック・インフ ェルノ″的手法と決定論的ュートヒ。ア主義 は、前者にきらめく黒いユーモアと後者の 輝かしい地平線を対置するレムの二重視点 によって、ともにくつがえされてしまう。 こうしたウィットの手ぎわは、ジョナサン ・スウイフトやヴォルテールに始まる、、哲 学的コント″の伝統にレムを位置づけるも のである。『宇宙創世記ロポットの旅』 0 ろ / 4 ぬ ( 第 1965 ) に収められた《トル ルとクラバウチュス》物のように、彼のい わゆるグロテスク小説ーーそこには、反吐 を催すような人間の限界をあがなう、、残酷 な奇跡〃は起こらないーーーでさえ、人間的 な遊び、黒い諷刺、そして寓意的な偶像破 壊に彩られている。 枯渇ではないにしても、思想的な行きづ まりの兆しが 1968 年頃から見えはじめ、 れがレムの作品をさらに形式の実験と、す さまじい才気へと駆りたてている。新しい 長篇『天の声』 G40s 加 ( 1968 ) では、 人間の自由意志と尊厳、そこから敷衍し て、他者とのコミュニケーション ( 他文明 はいわずもがな ) の可能性 こうしたも のへの過激な疑問が、小説のフィクション 形式を、さまざまな訓話や唯我論的黙想、 観念的冒険へと切りきざむ兆しを見せはじ める。『天の声』はそれを離れ技じみた語 り口で回避しているかもしれない。だが、 この兆しはまた別の結果を生みだした。次 にレムは、小説と論文の境界に位置する短 い二義的な注解という、まれに見る革新 的な連作に転じたのである。のÖs 朝加ん 加〃〔完全な真空〕 ( 1971 ) ーーおも に架空の本の批評から成り、まじめとおふ ざけが混淆している一一およびルた / ん 0 肝可。〔虚数〕 ( 集 1973 ) の 2 作には、 未来における無気味な愚行のスケッチか ら、 & 〃〃〃 c / 0 / og / “を発展させたア イテアまで、さまざまなものがちりばめら れている。たとえば後者には、 、、インテレ クトロニクス〃、つまり人工的に増進させ た知性とか、、、ファントマティックス〃、つ まり幻影の存在などがあり、同じ発想は、 この時期でいちばん長く、しかもいちばん 黒いユーモアにみちた《泰平ョン》物、 "Kongres FuturoIogiczny ”〔未来学会 議〕 ( お s 加〔不眠〕、 1971 所収 ) に見ることができる。また、 こにはレム に深く根ざす、無神論的な神学・宇宙進化 論への偏執も見ることもできよう。 レムの溢れるような言語学面での才は、 議論を呼ぶ思想面と並ぶ大きな特質だが、 それは翻訳では一部が失われてしまう。に もかかわらず、特殊な地政的利点を生かし てシニカルなプラグマティズムと抽象的な ュートヒ。ア主義を巧みに乗りこえ、硬直し た、、最後の解決″にはあくまで警戒をゆる めず、主要ョーロッパ文化・倫理の交差点 に位置して、サイノくネティックスから情報 理論にいたる問題を強烈に内臓化し、超現 代科学と最古の異端宇宙論の矛盾を融合で き、目くるめく形式上の技巧をもっ れらすべてを見れば、彼がわれらの時代の 最も重要な作家の一人であり、世界文学に その独特な声を響かせているのは明瞭たろ その他の既訳作品 〔 D S 〕 『エデン』 d 〃 XVIII ( 1959 ) 、『捜査』記ゴ” ( 1959 ) 、『星 からの帰還』君 03 ん g , えイ ( 1961 ) 、 『浴槽で発見された日記』 4 襯ツがん えれ記健 / 0 型て va れ襯 ( 1961 ) 、『泰平ョン の回想記』 D 襯・を gw ( 1971 、 本文中にある『泰平ョンの航星日記』以降 に書き足された作品をおさめる ) 、『すばら しきレムの世界』 2 巻 0 加てこ , ぬれ / 4 ( 当 1969 ) 、『枯草熱』 Katar ( 1976 ) 、 ムの宇宙カタログ』 ( 1980 日本、フラ ンツ・ロッテンシュタイナー編 ) 。 〔次号につづく〕 254
音楽をかなでる彫像や向心理性住宅、作詞 機械などがその風景を彩っている。物語は ューモアとメランコリー、テクノロジカル な着想と厭世的なけたるさ、を効果的に結 合し、その融合によってどんな S F よりも レジャーの未来を心理的に正しく、じっさ いの予兆としてとらえているように思われ ミリオン・サンズ》シリーズ の模倣は、他の作家の作品、たとえば、リ キロウの "The Siren Garden ” ( 1974 ) 、「イーデンの向性彫刻」 "Tropic of. Eden" ( 1977 ) やマイクル・コー の "The Cinderella Machine" ( 1976 ) 、 "Catapult t0 the Stars" ( 1977 ) に見ら れる。マイクル・ムーアコックの《時の果て のダンサーたち》シリーズは『ヴァー オン・サンズ』のムードの模倣というよ り、それのさらなる展開といえる。み〃 〃〃 ( 1972 ) 、 T ん〃 0 〃 03 4 れ冰 ( 1974 ) 、 The End ス〃 Songs ( 1976 ) といった長篇群、それにシリーズの短篇も 加えて、これらははるかな未来に舞台を設 定し、テク / ロジーの際限ない成果が完璧 なレジャーを生み出すさまを描いている。 同様なテーマは、ジョージ・アレク・エフ インジャーが "HOW lt Felt ” ( 1974 ) で、 またエド・フ・ライアントが C 切 4 み ar ( 1976 ) で触れている。 このコインの裏側、すなわちテクノロジ ーの豊かな可能性を伴わない強制されたレ ジャーという側面は、トマス・ M ・ディッ シュの『 334 』 33 イ ( 1972 ) で最も効果的 に扱われる。ディッシュは近未来の福祉国 家の非雇用者と無産階級の生活に焦点を合 ルンべンフ・ロレダリア わせる。この新しい落ちぶれた労働者階級 をもう少し希望のある筋書きで描いたもの に、フィリップ・ホセ・ファーマーの連作 "Riders of the Purple Wage ” ( 1967 ) や "The Oogenesis of Bird City ( 197 の こでは人々は閉鎖された福祉都 があり、 XVI 市に住んで、性と美術の追求に憂き身をや つしている。マック・レナルズの 00 んツ g お 4 黻て 0 r イ , from the Year 2000 ( 1973 ) はさらにユートピア的と言えよう。これは 『かえりみれば』 ェドワード・ペラミ 。。た切 g 月て。 ( 1888 ) の社会主義ュ ートピアの現代版で、 ハーマン・カーンそ このけの、、脱産業〃的未来が描かれる。ペ ラミーが典型的な 19 世紀人の関心の示し方 で労働の尊厳を描いたのに対し、レナルズ は「仕事がまた趣味であり、遊びである」 社会の矛盾について心を悩ますのである。 〔 D P 〕 レム、スタニスワフ LEM, STANISLAW ( 1921 ー ) ポーランドの作家、批評家にして博学 者。彼の作品は 1973 年度のポーランド国家 文芸賞をはじめとして、さまざまな賞を獲 得している。ルヴフに生まれた彼は、少年 期および青年期を自伝風の幵 5 , ん応の〃 〔高い城〕 ( 1966 ) で魅惑的に語っている。 医学の勉強をナチの占領によって中断され るが、その間を自動車整備工、溶接工とし て働く。 1946 年クラクフに移って ( 現在も そこに住んでいる ) 医学博士号を取得。抒 情的な詩や科学方法論についてのェッセイ を書いて、ルイセンコの追従者たちと衝 突、科学協会の研究助手となる。レム唯一 の、、写実主義″長篇 C えの ? co 〔失われざる時〕 ( 1955 ) には、すでに孤 独から社会政治的自己認識へとむかうひと りの知識人の姿が見出せる。これは 1940 年 代後半に書かれた。その間、レムは S F に 転じたーー現在まで 20 点を優に越える単行 本を上梓しており、それらは約 30 カ国語に 訳され、ほぼ 78 万部が売れている。初期 の S F 長篇『金星応答なし』み立 ro れ ( 1951 ) 、 0 ろんユ g 〃〃な〔マゼラン 星雲〕 ( 1955 ) は、いくぶん、、社会主義リ 256
の序文でも述べられている。 ル・グインの作品の多くは、共通の宇宙 を舞台にしており、一般に《ハイン宇宙》 シリーズとして知られている。はじめに惑 星ハインの人々が、銀河系の二つの部分の 居住可能世界に、人間型生命の種をまいた のである。かくして、われわれは多くの世 界を持っことになった。どの世界もヒュー マノイド型生物が住んでいるが文化的差異 は非常に大きい。これは人類学を日常規範 として育った作家にとっては、格好の背景 だろう。このシリーズに属するものとして は、 5 冊の長篇と 3 つの重要な短篇 ( 1 篇 は後にノヴェラとして独立して出版され た ) がある。それらは、現在から 300 ー 400 年後に始まり、約 2500 年の広大な未来史の 概略をなしている ( SF における歴史 ) 。 ル・グインのはじめの 3 冊の長篇は、 の未来年代記の中で考えると、すべて後 期に属する。 3 冊とは『ロカノンの世界 0C4 ”れ 0 が 5 Ⅱ朝 ( 1966 ) 、『辺境の惑 星』刊の研 E ん ( 1966 ) 、『幻影の都 市』 CitJ' 4 豆。 ( 1967 ) で、後の作 品と比較すれば習作といえるかもしれない が、いずれも、くり返し現われる暗喩の周 囲に物語を組み立てるという彼女の典型的 な創作法を示し、よく書きこんであるとい えるだろう。そうした暗喩は豊かさと密度 を増し、アクションがそれらを新たなパタ ーンで再配置して、そうした暗喩こそ物語 であるとまで言えるようになっている。そ れらの多くは神話や詩をつねに支配してき た単純な元型シンポルである。闇と光、根 と枝、冬と春、従順と尊大、多弁と沈黙。 これらはル・グインにあっては、ふつう両 極や拮抗を意味するのではない。むしろ陰 陽に見られるように / くランスのとれた全体 を構成する二つの部分であり、相互に意味 を引き出すものなのである。よく指摘され てきたことたが、ル・グインの二元論は、 VI それが登場する場合には、西洋的 ( マルク ス主義者の弁証法のように、対立命題の矛 盾を苦しみながら止揚して、しばしば進歩 がある ) というよりは東洋的であり、特に 道教的である。そこでは強調はパランス、 相互依存、配列の完全性に置かれ、直線的 な進化よりもむしろ循環的な歴史の再現を 生む。 ル・グインの作品の典型は、明らかに異 質な疎外された状況に置かれた人物が、探 索の旅に向い、やがて認識の変革に達し て、分離した部分の調和の動因たることを 証明するというものである。この探索は、 しばしば冬の旅という形をとる。 初期の 3 長篇の実際のプロット構造は、 ジャンル S F の慣習にしばられすぎてお り、それらに要請されている意味の重さを 充分担いきっているとは言いがたい。 『ロ カノンの世界』では、く全世界同盟 > での 叛乱の結果による軍事行動ののち、民族学 者が原始的な惑星に一人とり残される。最 後には、彼は自らをその星に委ねること で、、心話〃、もしくはテレバシー C•E S P) という贈物を見返りにもらうことにな る。それから 1000 年以上のちを舞台とした 『辺境の惑星』では、心話はごく一般的に 使用されている。地球人植民地 ( 宇宙植 民 ) の一つが、原住民を嫌悪しつつ、ある 惑星で生き延びようと苦闘している。ある 圧迫下に二つの共同体はついに融けあい 異種交配すらはじめる。『幻影の都市』で は、人間に似た異星人侵略者シングによっ て地球は支配され、人々はおびえている。 シングは、、嘘言心話″というこれまでに未 知の技術を操り、心話はもはや真実とは同 義でない。主人公は記憶を喪失している (A ・ E ・ヴァン・ヴォート流に ) が、そ れを取り戻し、地球での人生とそれ以前の 人生の / くランスを回復することによって、 自分が第二作の惑星からの使者であること 266
ない。水の中を泳いでいるようなものだ。眠も開けない。泣き声も封鎖を解かれ、正常な成長に向け、再スタートを切った かに見 0 あまり出さない。 自分の声も聞こえているかどうかわからないの えた。メアリーとエドは再び人並みの家庭生活を営むに至り、はた 8 目にはそこそこに幸福な家庭に見えた。エドの美術雑誌の仕事も、 ラヴランドは困惑した。彼は自分が幸福のただ中にいることを信 うまくいっていた。しかし、ジャックは、異常に内省的な子になっ じていたので、息子のそうした不幸な状況を認めたくなかった。出た。呼べば返事をする。質問をすれば答える。しかし、自分から何 産当時は日に二回も息子に対面していたのが、二日に一度になり、 かを言うことはないと言ってもよかった。彼は四六時中自分自身に やがて三日に一度になった。母子が退院しても、家にあまり帰らなのみ話しかけ、会話をしていた。ジャックはそうして周囲の誰もが くなり、外でよく酔ってつぶれた。 知らぬうちに脳細胞を爆発的に成長させていったのだ。 メアリーの方は、精神的な限界をとうにすぎていた。そのこと彼の異常な才能が発見されたのは、四歳のときだった。幼稚園に を、周囲のものはもっとよく知るべきだったかもしれない。彼女入る準備として彼に買い与えられた机の中から、おびただしいレポ は、生後二か月の赤ん坊を見ながら、茫然と寝こんでいた。ジャッ トが発見されたのだ。ジャックが字を書けることすら知 クは、比較的からたは動かしていたが、外界との感覚のつながりはらなかったメアリーとエドはびつくりしたが、そこに書きつけられ まだ遮断されたままたった。彼は自分に与えられていた授乳機をまた内容を知ってもっと驚愕した。彼らはそこに書かれた内容が理解 るで認知しようとしなかった。メアリーは苦労してプログラムを入できなかったのだ。エドの友人の数学者は、これを見てもっと腰を れかえ、ジャックがロポットを知覚しなくても、ロポットが哺乳栓抜かすほど驚いた。これはゲーデルの不完全性定理とその後の論理 までジャックを誘うようにした。ところがジャックは、そのロポッ的発展について詳細に批判を加えていったものである、と彼は著者 トの腕を折ってしまったのだ。 の父親に告げた。ラヴランドは、それを聞いても一体何のことなの か見当もっかなかった。 メアリーの頭の中で、わけのわからない閃光がとんだ。息苦しい ジャックは、ひそやかにではあるが、その天分を存分に開花させ ものが胸の奥で膨れあがった。メアリーは、数秒間、自分の中で爆 発的に成長したもののために金縛りとなり、身動きができなくなっ た。彼の書いた論文は、『ネイチャー』『サイエンティフィック・ アメリカン』をはじめ、多くの科学雑誌に掲載された。彼は、他方 メアリー 面の学問に興味をしめし、また本当に幸せそうな表情も見せた。両 の中で、殺意が解き放たれた。 その瞬間、ジャックは、ペッドの中で、かっと目を見開いた。そ親の間が気ますくなるまでは。 して両脚を突っぱり、ロを大きく開けて、彼は長い長い声で叫ん 「細いな、おまえの腕は : : : 」 そのとき以来、ジャックの五感は、何者かによってなされていた ラヴランドは、ジャックに続いて降り、ひと休みしながら彼に言
4 かって石川喬司さんが初期の日本界を響きや悲劇的なそれの共存ーーというかごちゃ 投稿歓迎 ま。せーーーは、ディックが通俗的な小道具を 6 『星新一がルートを拓き、小松左京がプルドー 宛先は本誌てれぽーと係 ( 奧付参照 ) ザーで地ならしをしーー』という風に表現され使用して人間の存在にかかわるような哲学的 な、宗教的な大きな問題を扱うのと同じような ました。この言い回しでいえば、最近の星さん 掲載分には文庫最新刊一冊進呈 は『ランドのはずれにある異次元の世界ものではないかと、僕は思ったりもします。ま や、妖怪や亡霊の出没する未踏の地域にまで開た、マーラーの音楽は規模は限りなく巨大化し 一〇〇〇篇拓をはじめた』ということではないでしようていったが、それに対してその内容はどんどん 星新一さん、ショ 1 ト・ショート 内面に向かっていった、つまりいうなれば、マ 、カ 達成おめでとうございます。ポッコちゃんもク イノナースペース 一〇〇〇篇ーラー自身の内宇宙を追求していった、とも ルコちゃんもエヌ氏もエフ博士もホシヅルもみ星新一さん、ショート・ショート 達成、ほんとうにお疲れさまでした。きけば今 しいかえられるのではないでしようか。それ んな祝福していることでしよう。 に、僕はマーラーの音楽の中に、ディックの作 ・ほくがはじめて星作品に接したのはもう二十後はしばらく執筆を止め休養されるとか。しか し、読者というのはほんとうに欲ばりなもので品に顕著な″神という問題が含まれているよ 二 ~ 三年も昔、まだほんの子供のころでした。 ある夜、ラジオドラマをききその奇妙な話が気す。執筆再開後は、今まで以上の作品を期待しうにも感じられるのです。 ディックばかりでない、僕はマーラーの音 になり寝床の中で不思議な思いにとらわれつづています。 ほら男爵の宇宙での冒険はどうなったのでし楽、特に交響曲、カンタ , ータ「嘆きの歌」 ( こ けた記憶があります。それが星さんの「鏡」と れはマーラ 1 自身がテキスト自体をも書き上げ ようか。ひと味もふた味もちがう時代小説 「水音」という作品だったと知ったのはずっと 後、高校生になってからでした。以来、星ファ『紙の城』は面白かったなあーーは、もうお書た、幻想的で、夢幻的な美しい作品です ) など ・パロック」 A 」い、つ きにならないのですか。星さんがに手を染から、「ワイドスクリーン ンとなり読みつづけているわけです。 言葉を想起するのです。ちょっとニアンスが ・ほくにとって星さんの作品というのは、作品められたころのお話もきかせて下さい ぼくの娘は、今、満一歳です。もう少し大き違うんですが。つまり僕は、ディックやら、 が跡切れると禁断症状がおこってくる半村さん ノロック」のクラシック 「ワイドスクリーン・ くなれば毎晩枕もとで星さんのショート・ショ や筒井さんのような一種麻薬的魅力ではなく、 トを話して聞かせてやろうと思ってます。ど版が、マ 1 ラーの音楽だと思う訳です。マーラ なにかものたりない時などふと古い作品、気に ーの狂気の音楽を耳にして感じる眩暉にも似た 入った作品を読み返してみると心が落ちつくとうかこれからもずっと我々読者を楽しませ続け 感覚は、確かに奔放なイマジネーション、凄ま いう、ま、一杯の熱いお茶のようなものでした。て下さるようお願いします。 ( 弸京都市北区上賀茂南大路町五〇 じい密度とひろがりを持つアイデアのを読 「月の光」「友を失った夜」「午後の恐竜」 山本孝一 ) んだ時のそれと、ほとんど同しものです。 「壁の穴」などは何度読み返したことかわかり 話はいきなり変わりますが、マガジン ません。 十月号のてれ。ほーとの阿部さんの意見、僕もで、もっと現代イギリスを紹介してほしい いつだったか星さんが言っておられました リノトノ・・ ですね工。 O ・。フリ ね、マンネリというと人は悪く言うがマンネリ全く同感です。確かに・・ディックと・ マ 1 ラーってのは、共通点があると思います。ペイリー ( ようやく最近訳されるようになりま とは言いかえれば安定ということなんだ、テレ ビの水戸黄門が今だに人気があるのはマンネリ僕も一応ディックの邦訳作品はほとんど読んでしたネ ) 、そして、イアン・ワトスン。ワトス ンなんか、ほとんど未紹介じゃないですか。期 だからなんだ : : : と。安定という意味では星さるし、・マーラーの曲も大体全て聴きました んで、共通性に気付かない訳にはいかない。そ待しています。 んの作品はマンネリかもしれません。しかし、 ・ほくには星作品は常に新鮮に感じられました。れは交響曲第二番「復活」だけじゃなしに、全最後に一言。僕はマーラーから以外で とりわけ最近の星さんの作風は、オチにこだわての曲に感じられる事です。例えばマーラーのは、二人の芸術家の名を連想します。ムンクと らない絶妙の語りくちになんとも摩訶不思議な曲によく云われる、平凡な俗つぼい旋律や軍楽カフカ。この二人も、画家、作家と分野は違い 隊の生々しい響きと、神聖なほとんど宗教的なますが、ディックと共通点を持っていません 味が加わりそれが新しい魅力でした。
Ⅲ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ を知る。いまや嘘言心話を探知できる彼 は、邪悪なシングを破壊する動因となるだ ル・グインが作家として最初に真に成熟 した作品を生みだしたのは『闇の左手』 T んにイの可 Da 〃ぉ s ( 1969 ) で、これは長篇部門のヒューゴー賞および ネビュラ賞を獲得した。く全世界同盟〉は いまや尊大さを抑えたくエクーメン既知世 界 > へと発展している。またも民族学者 が、今回はゲセンという惑星を訪れる。そ の星の住民は両性具有で、通常は中性なの だが、性周期のビークには男女どちらかの 性になりうるのだ。世界そのものは寒く、 雪に閉ざされている。観察が本職である主 人公は、しかし、複雑きわまりない諸々の 出来事から無関係の立場をとれなくなる。 この長篇のいちばんの見せ場である氷上を よぎっての長い孤独な旅で、彼はゲセン人 の主人公と苦い相互理解に達すると同時 に、一種の愛を交感する。この長篇の迫力 は奇異なものとなじみ深いものとの間の相 互作用にある。ゲセン人は多くの点でわれ われによく似ており、その相違点をじよし ょにしか理解できないということは、現実 世界の性および性的差別主義の問題、さら には一般的に文化的疎隔の問題についての 多くを語っている。 これに続く《ハイン宇宙》シリーズの重 要な二作品は共にノヴェラである。「帝国 よりも大きくゆるやかに」 "Vaster Than Empires and More Slow" ( 1971 ) と「世 界の合言葉は森」 The Ⅳ。和だⅣの なお 0 立 ( 1972 ノ、一ラン・エリスン 集のアンソロジースツ , Da れ g ・ 0 ″ 5 物税・ 0 れ 5 に収録 ; 1976 ) で、前者はアンド ルー・マーヴェルの詩 "To His Coy Mistress" から題名をとり、 『ロカノンの 世界』での事件のちょっと後に設定されて いる。 1973 年のノヴェラ部門ヒュー 265 を受けた後者は、く全世界同盟〉設立わず か 18 年後の世界を描いている。両作品とも 典型的な異星上での人類を扱っている ( 宇宙生命 ) 。最初の星は、知覚力をもつ植 物が網の目のように世界を覆い ( 生きて いる天体 ) ( マーヴェルの詩の題名に先だ つ行は「わが植物的な愛は育まれるであろ う」 ) 、二番目の星では極度に搾取される原 住種族が住んでいる。後の状況は故意にべ トナム戦争を想起させるように描かれてい る。どちらも、人類の他者への屈服によっ て一種の統合が得られ、どちらも、疎隔は 暴力、狂気、貪欲な利己主義として投影さ れている。ル・グインの作品には、見事に 説得力のある一貫した見解がうかがえるも のの、後期の作品ほど解決法は容易に手に 人らない傾向にある。おそらくこれは、個 人により価値が置かれ、全体の調和にはそ れたけ重点がおかれなくなってきたからた ろう。 つづく重要な作品は、ヒュ ネヒ・ ュラ、ジュビター各賞を受けた『所有せざ る人々』 7 ' ん D / 眇 05 記 ( 1974 ) で、 こでは難題は一部しか乗りこえられない。 中心となるイメージは壁である。そして、 複雑さをより深く認識した点が見受けら れ、初期作品ではおそらく少しばかり安易 にすぎた、やや図式的な、超絶的統合にた よる度合いは少なくなっている。小説は一 人の物理学者の人生と、彼がある数学を通 して持つに到った新しい宇宙観を扱ってい る。その数学は、やがてアンシブルという く全世界同盟〉の先行条件として不可欠な 即時通信装置を建造することとなる ( 超 光速 ) 。そのため、この作品は全《ハイン 宇宙》シリーズの年代記の中で劈頭に位置 している。ーっが片方の月である二つの居 住可能惑星には、異なった政治機構が存在 する。一方はアナーキズム ( クロポトキン によって現実に提唱されたモテ、ルに一部を VII
刃 ( 1968 ) 、『こわれた腕環』 The To 襯房研み 4 れ ( 1971 ) 、『さいはての 島へ』 T んどお 4 んに S んの℃ ( 1972 ) で、 3 冊は刃 4 ん 4 ( 集 1977 ) として一冊に まとめられている。『こわれた腕環』はニ メダルを、『さ ューベリー員のシルノ : ー・ いはての島へ』は全米図書賞を受けた。群 島の散らばる海洋世界を舞台に、魔術とそ の正しい使用の訓練が語られる。こう書く と純粋なファンタジイのように響くが、魔 術の原理が説明されるさいの論理はじつに 筋道の通ったものであり、魔術が別種の科 学であると考えても何らおかしくはない。 不鮮明ではないのだ。内容は、徒弟時代の ェヒ。ソード、完全な力を得る成熟期、魔術 師ゲドの最後の死の探索と続いていく。地 味な、ときには陰気とさえいえる喜びがこ の三部作にはみちており、道徳的教訓とい う点からすれば、これに匹敵する、あるい はもっと著名な C ・ S ・ルイスの《ナルニ ア国》シリーズよりもおそらく成熟してい るだろう。つねに読者を魅きつけ、しばし ば感動させるこの作品、複雑でありながら 明快な、ほとんど禁欲的ともいえるイメー ジにあふれたこの作品は、ル・グインの全 作の中でももっとも完璧と言えるかもしれ ない。 もうーっの作品は興味ぶかい実験作『天 のろくろ』 The ん 4 e 〃 40e れ ( 1971 ) で、一人の男が夢を通してまた別の現実を 造りだせるさまが一見これと言った特徴は なく、描かれる。これは普通フィリッフ。・ K ・ディックが得意とする想像世界であ る。同書には欠点はあるものの、断じて失 敗作ではない。他のル・グインの作品と同 様に、個人の道徳的責任とその代価が大い に強調されるが、説教臭はない。形而上学 への関心という点で、本書は彼女の他の作 品と首尾一貫しているが、特殊な書かれ方 263 をしているのも事実である。 ル・グインが過大評価されてきた可能性 はある。彼女を最高の SF 作家と言うには まだ時期尚早だが、少なくともそうした見 解をほのめかす批評家は数多い。確かに彼 女はこのジャンルに多くをつけ加えた。詩 人のような、知的で感受性にみちたイメー ジ構築。そして、登場人物やモラルの成長 面で、伝統的な小説家が目を向けてきたも のに SF が決して無縁ではないと示した少 なからぬ例 ( このテーマを彼女は「 S F と ミセス・フ・ラウン」 "Science Fiction and Mrs. Brown" の中で論じている。ヒ。ータ ニコルズ編のアンソロジー『解放され た S F 』 & / 砒 c 々・ 0 れ 4 Large 1976 に収められた ) 。もし彼女に弱点があると するなら、それは逆説的な言い方になる が、その一種謹厳でとりすました確信的態 度にあり、おそらく無作為や予知しえぬも のにもう少し心を開いてもよいのではなか ろうか。しかし、自信を欠点とあげつらう 正当性はどこにもない。 その他の既訳作品 〔 PN 〕 『ふたり物語』 A 々ん 0 れ g Way お , んど E など ( 1976 ) 、『マラフレナ』〔上・下〕 M 記だ 4 ( 1979 ) 。 ライバー、フリツツ LEIBER, FRITZ (REUTER) ( 1910 ー アメリカの作家。シカゴ大学を卒業。心 理学と生理学を専攻した。その後、一年間 を神学校で過している。以後の経歴には、 編集者 ( おもにサイエンス・ダイジェスト 誌 ) 、作劇法の講師などが含まれる。彼が 創作に興味を示すようになったのは、カレ ッジ時代の友人ハリー ・フィッシャーとの 膨大な量の文通を通じてである。 1934 年に フアファードとグレイ・マウザーのキャラ クターをほのめかしたのは、ほかならぬフ ィッシャーで、このヒロイック・ファンタ IX
ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ・ リー、タニス なった主人公は、何とか自己の支配をとり もどし、仲間のサイボーグ・スーパータ クと共に叛乱を組織し、勝利を得て、星々 に彼の解放のメッセージを一一とほうもな い軍団で一一一運ぶ準備をする。この作品や 他の類似の長篇、『前世再生機』 A Trace 研襯の•y ( 1963 ) 、 7 ' ん 0 れ g Tw ″なん ( 1969 ) 、 The 〃 0 ″ 0 て , 夜〃だ ( 1970 ) などで、ローマーのスーパーマンの本質が 露わとなる。しばしば孤児であり、通常は 一匹狼である主人公は、世界が迫害の罠と 欺瞞にみちていることに気づく。そして、 じよじょにこの偏執的な思考 ( バラノイ ア ) が現実であると知りだしたとき、彼の 真に卓越した性質が明らかになる。いった んスーパーマンとなるや、彼は通常人の世 界を超絶することができ、舞台裏に隠れて ではあるが、しばしば世界を支配してしま うしたスーパーマン的願望充足の表 現された長篇によって、ローマーの名は残 ることだろう。しかし、彼の書き急ぎの傾 向は、後期にはこの得意のタイフ。の作品を さえ損いはじめている。彼の作品の多くは 悲しむべきことに定石的で、索漠としてい る。ときには特徴であるヒーローでさえ、 そんざいに描かれただけのことがある。だ が、最良の作品を見れば、ローマーの磨き ぬかれ、簡潔に書かれた S F の超越的な白 昼夢は、この種のものの模範と評価するに 足るだろう。 その他の既訳作品 〔 J C 〕 『タイム・マシン 大騒動』 T んビ G T / 〃尾ーん〃ェ ( 1964 ) 、『銀河のさすらいびと』 G 記 ac 0 0 ( 1967 ) 、『時の罠』石ツ花 7 ' ra カ ( 1970 ) 、『星の秘宝を求めて』 The & 4 だ Treasure ( 1971 ) 、 『インべーター』 The て” ( 1967 ) 、『宇宙からの侵入者』 E れ劭れ・ / 加お 0 , の ( 1967 ) 。 IV LEE, TANITH ( 1947 ー イギリスの作家。当初はジュヴナイルを 書き、後に一般向の S F ・ファンタジイを 書くようになる。低学年向作品には The カ rago 〃丑 0 の ( 1971 ) 、君れ“ 7 なんれ・れ So 襯 0 er & ィゆ 5 ( 集 1972 ) 、スれ / 記 Ca 立ん ( 1972 ) など がある。彼女の高学年向作品は大人の鑑賞 にも耐える。明確でリズムのある文体で語 られるこうした寓話風作品には、「アヴィ リスの妖杯」 Co 〃ゆ 4 れ / のい 0 れ〃尾 04d ( 1975 ) 、「冬物語」 The Ⅳ / 厩 5 ( 1976 ) 、『月と太陽の魔道師』立 M / なん ( 1977 ) などがある。前の二つ の作品はアメリカでは一巻にまとめて出版 された ( 『冬物語』 C 。襯 2 のれ・。。〃 火。 ad 集 1977 ) 。「冬物語」は、盗まれた く聖骨〉をとりもどそうとする若い魔女の 探索の旅を描いている。簡単な追跡物語 が、やがて複雑な成人への通過儀礼 (•S F に登場する子供 ) へと変化し、そこには タイム・パラドックスまで登場する。彼女 の最初の大人向長篇は The 窺れん gra ( 1975 ) で、これも探索物語で、より長 く、野心的な作品であるが、かならすしも よりすぐれた作品とは言えない。女主人公 が火山の中心で目ざめ、自分が世界に死と 破壊をもたらすというお告げを受けたと信 じこむ。長いビカレスク風の剣と魔法小説 定されている。リーは少なからず明晰な思 ーたち》シリーズに似た遠未来に背景が設 イクル・ムアコックの《時の果てのダンサ Sa カ勲ん・尾ル / ( 1977 ) は、いくぶんマ の 0 が / 窺〃尾 & ( 1976 ) と D れんツ g 、 / 、の・ the Ⅱん加Ⅳ / なん ( 1978 ) がある。 Y42 ん or , So 研 Va た 0 だ ( 1978 ) 、 Qu 立 に心理学的な説明を与える。続篇には、 し、頭の中で聞こえていた声と強迫観念 地球人が到着する。地球人は彼女を治癒 が展開されたのち、結末で宇宙船に乗った 268
立レヒウ て、作中の言葉を使えば「複雑性」「二重構「いま、この火星の上ではこの詩ほどふさわ さもありなん。そしてそのメカニズムこそ造」を保持すべきものとなる。健康 / 病は意しいものはないように思える。詩のなかで謳 8 識 / 無意識へ、さらに夢 / 現実へと逆転してわれているミイラの布。流れてゆく像、黄 が本書の罠なのである。 右以降のストーリイ展開は、「訳者あとがゆく。もちろん、そのあたりはポスト・ニ国の国の糸巻、下界、糸を繰り出す時空の下 1 ウェ 1 ヴ作家としての証左みたいなもの部構造、そして、その糸が織りなすものは : ・ き」も丁寧に追っているから、ここでは敢え だ。そもそも「内宇宙」なる名称そのものが : ・超人」 ( 第十八章 ) て詳述は省くが、できうるかぎり簡潔にまと ェビグラフで用いられた・・イエーツ 「病」の別名、その解放Ⅱ市民権獲得のため めてしまえば、つまりはこういうことなの のきわめてロマンティックな詩「ビザンチウ の戦略だったのだから。 だ。この病を契機に、奥深くもぐりこみ、つ たとえば主人公のインディオ人・ジ「一リオム」に関する、これは作品内に書き込まれた いにはインカ復興をめざして外宇宙の革命に 赴くインディオ人青年と、外宇宙の彼方へ飛が夢の迷路を彷徨するシーン ( 第五章 ) 、ア解釈である。加えて、その「超人」 . への触媒 びたち、はたしてやはりこの病を契機に、内ンジ = リーナがのちにコンドルとともに爆死たる「火星活性化物質」グレックスが「自己 の思考。フログラムを支配する。フログラムⅡメ 宇宙の根底に人類進化の真理を認識するアメするジュリオを予知するシーン ( 第十一章 ) タ。フログラム」 ( 一六七頁 ) によって「自己 リカ人宇宙飛行士と、この、方向としては全などにみられるシュール・レアリスティック 自身の祖先Ⅱ神」 ( 一四一頁 ) なる意議をも な描写。ひいてはアメリカの火星探索船フロ く逆をたどるかのような二つのプロセスをカ ・ックで描いてゆき、結末に至ってンティアズマン号の船員たちにしたところたらすことを考えあわせ、さらにその。フロセ ( 最終章Ⅱ二十一章 ) 火星の土の秘密たるで、たとえばオーツなどは、愛人の黒人韓国スそのものが前述のとおりワトスンの方 〈火星活性化物質〉グレックスを解明してみ女性 ( 混血 ) 、、 Ⅱキムをつねに内宇宙の法論に等しいことに留意すれば、この「病気 軸に捉えており、あげくのはてにはその内宇」にこめられた意義のかってない深さ、 ごとに結び目をつくりあげた小説、それがこ の作品である。そして、おそらくはこの結び宙自体が彼の外宇宙を喰い破るⅡ彼女が火星新しさが感得できるだろう。 ( 『マーシャン ・インカ』 / 著者いイアン・ワトスン / 訳者 に顕在化する ( 第一一十一章Ⅱ終章 ) 。 目こそが、本書解説 ( ワトスンⅡ正統派アイ すなわち、ここでいう「病」とは、古典的 " 寺地五一 / 三八四頁 / \ 五八〇 / 文庫 / サ デアの作家とみる ) と訳者あとがき ( ワ ンリオ ) ードコアの「病」がそうであったよ トスンⅡ思弁的 Z 作家とみる ) にみらなハ うには痛々しくない。むしろ「病」を逆に世 れる対照的見解の結び目であり、作品解読上 界律として生きること、「病」を物理的疾患 の罠にして鍵なのだろう。 神林長平著 としてのみならず隠喩的魅力として読みつむ すなわち、結論から言ってしまえば、「ビ ヨーキの co 作家」ワトスンが、文字どおり ぐことの快さが強調されるのだ。それは、こ 「病気」アイデアのに挑み、同時に自らの病 / 夢 / 内宇宙の深みにたゆたうこと、そ の「ビヨーキ」、すなわち的方法論その の結果決して治療しえないことそのものの快『敵は海賊 . 毎賊版』 ものを作中思弁してしまう。フロセス、そこにさ、すなわち「病のロマンティシズム」と呼 んでよい ( スーザン・ソンタ . グ、富山太佳夫 こそ本書の交点と確信されるものがひそむ。 訳『隠喩としての病』みすず書房、一九八一一 たしかに、扱われる「病」はきわめてハ ドに語られ始める。けれども、やがてそれ年、五四ー五五頁 ) 。その彼方にこそ、本書 は、あくまでソフトな視点との関係におい のエッセンス「人類進化」は横たわる。 佐藤文男