仕事 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1984年2月号
95件見つかりました。

1. SFマガジン 1984年2月号

れに対する軽蔑をあらわしたものだ。おれは、たった一人の友をもテー・フルにおいたままラウンジ出口の降下エスカレータに乗った。 失ったのだ。詩をオーシス師のもとで一緒に学び、ばか駁ぎし、泣なにかを選んではじめて未来が現在になる。現在の自分は過去に自 き、喜びあった友を。スローンは詩人の道をあきらめて治安士とな身が選択した結果であり、選択行為の不実行は未来を拒否すること った後も、おれを励まし、カになってくれた。詩作は孤独な作業だ。そしてそれは自身の崩壊をまねく。自分の時間は停滞し、外部 ・こ。だれも頼れない。しかしスローンの存在は、やはり自分にとつの時間だけが激しく流れ、同期不能になったそのとき、停滞してい ては頼りになる、支えだったのだ。それに対して自分はスローンにた時間は一瞬のうちに外部時間圧によって圧し潰される。アシリス なにをしたろう ? なにもしなかった。彼の迷惑にもならなかったはそうなる直前の、自己と外部世界とに生じた歪を感じとった。姉 とイシスを分離するなどということはそれまでのアシリスには思い し、彼とともに悲しんだこともなかった。 もよらない考えだった。 なにもしないことは、なにかを失うことだとアシリスは悟った。 そのどちらのイシスも同時に愛しているアシリスだったが、どち 自分の周りを包む貴重な大気が宇宙へ逃げてゆくのを放っておくに 等しい。なにもかもが離れてゆく。気がついたときには、すでに再らかを選びとらなければならないと決意した。少なくとも、どちら び集めるのは不可能にまで飛散している。イシスに対してはどうのイシスへの想いのほうが強いのかを知る必要がある。それがわか 、というのがアシリスのれば先が開ける。どちらのイシスを選択するかによって対処の仕方 か、とアシリスは思う。なにもしていない こたえだ「た。自分はイシスの愛をつなぎとめる、なんの手も打 0 も変わる。変化は選択の結果を示すものだ。いまのままでは、二つ ていない。ためらいの心のせいだ。アシリスはイシスの顔を思い浮の道を同時に抜けようとしているのも同じで、現実世界の流れに乗 かべ、客観的にイシスのどこが、なにが、自分を引きつけているのっていけない。 かを知ろうとした。どちらのイシスたろう。イシスという女か。そだが、とアシリスは思った。どうすれば、自分がどちらの道を本 れとも自分の姉という関係そのものか。アシリスの心の中のイシス当に進みたいのかを知ることができるだろう ? そしてアシリスは の像はそれらがびったりと重な「ていて、分離することはできなか愕然とするのだ。自分はそのどちらの道を望んでいるのか、自分で った。それが不安と焦りを生んでいる。アシリスは自身の悩みの原自分がわからないことに。 考えよ。アシリスは自身に命ずる。いや、とすぐに思いなおす。 因を知った思いで席を立つ。 イシスは女であり姉だった。分離することなどできない。しか考えているだけではなにも生じない。空想は意味をなさない。空想 し、どちらかを選択しなくてはならないとアシリスは決心した。こを想像に、創造にまでもってゆくには。 のままでは決して前には進めない。そうこうしているうちにイシス 行動せよ。アシリスはオーシス師がそう言っていたのを思い出し た。その教えをアシリスははじめて理解できたように思った。だが は遠くへ離れてしまう。 人生とは選択の連続で成り立っているものだ。アシリスは食器を具体的にどんなことをすれば自分の心が望んでいることがわかるの

2. SFマガジン 1984年2月号

神州の、人も踏みこめぬ山奥深く、木々もウッソウと立ち繁り、界をその後、狂乱の渦に叩きこむことになろうとは、この時点では その樹海の合い間に女陰のごとき裂が走っていた。謎の渓谷なの誰も予測できなかったはずだ。 国枝無双は、ライフサイエンスの実践者であった。つまり、科学 であった。その近くを高速道路や産業道路の幹線が通っているのだ が、謎の渓谷は何故か開発計画からとり残されてしまう運命にあつ者である。だが、学界とは無縁の孤高の超科学者なのだ。しかも頭 サイエンティストの末裔なので た。というのが、開発計画に携わる担当者が、謎の渓谷に目をつけに″狂〃がつく由緒正しきマッド・ た途端、交通事故にあったり、チーズケーキに顔を突っこんで窒息あった。 ハラダギ しつも濃霧がたちこめており、 したり、下痢が止まらなくなったりと謎のトラブルに巻きこまれる神州国枝城の周辺には、、 のだった。そんな謎の渓谷なぞ本当にあるのかと疑問に思われるか神の吼声や、満月の夜にいななく人狼の声以外には、時おり土地買 もしれないが、実は、本当にあるのだ。ちゃんと地図帳にも載って収に訪れた不動産業者が谷底に墜落する際に発する悲鳴が聞こえる いる。しかし、地図帳にも正義の地図帳と悪の地図帳が厳として存程度のことなのだが、国枝無双 ( 自称 ) 博士が、一歩研究室に足を 在しており、悪の地図帳を見ても載っていない。正義の地図帳に踏み入れると、日本睛の空に、にわかに暗雲がたちこめ、稲妻と雷 鳴がけんを竸いあいはじめるのだった。人は、それぞれ生まれつい は、ちゃんと神州の阿蘇山のふもとを流れる北上川の上流あたり、 千代田区と書かれた下あたりにゴシックで「謎の渓谷」と記されてての素質というものを有している。政治家では天性のカリスマ性と いうものを有しておらねばならず、人々は自然と指導を仰ぎたがる いるのを見ることができる。ただし、最近の地図帳は、ほとんどが サイエンティストにして 悪い地図帳になってしまっている。これは仕方のないことだ。「グほどでなくてはならない。それはマッド・ レシャムの法則」のとおりなのである。悪い地図帳は、良い地図帳も同様であり、博士が研究を始めようとすれば、天地は不安気に大 サイエ を駆逐するのだ。 騒ぎを開始するほどでなくてはならない。それが、マッド・ ンティストとしての最低限の素質というものである。落雷の三つや さて、話を進めると、その謎の渓谷の断崖の縁に、古城がそびえ ている。この古城は、やはり何と言っても圧倒的に古い城なのであ四つあって当然であり、それが最適の研究環境のはずであった。 った。どのくらいの歴史があるのかといって、人跡未踏の場所にあ 国枝博士は、研究用の白のナッパ服で、眼球に触れかねないほど る城であるから誰も知らないのだった。 湾曲した凸レンズ眼鏡をかけている。太陽を仰ぎ見れば焦点の位 しんしゅうこくしじよう その城の名を「神州国枝城」というのだった。 置に眼球があるため、即座に目玉焼ができるはずであった。正面か 神州国枝城には、実は城主がいるのだった。しかし、この物語のら士と対峙したとすれば、総髪ふり乱した顔の中に二つの糸 時代背景は現代である。城主といっても殿様ではない。先祖は代々ズの群らがった。ヒンポン玉を見届けることができるはずだ。それが 3 この神州国枝城の主であり、現在の城主、国枝無双もこの城を継ぐ眼球。巨大なのだった。ロは糸の如き下弦の月。年齢は不詳。研究 さだめ 運命の下に生命を受けたのだった。だが、この国枝城の城主が全世中には決してニタニタ笑いを消さないのであった。

3. SFマガジン 1984年2月号

・ーー・・前回までのあらすじ・ 3 ( 承前 ) 植民世界の自立化と共に、相対的に地位が低下していく司政官た ち。そして次第に任地を持たぬ待命司政官が増えていく。そんな待 「プ・ハオヌについて、ですか ? 」 命司政官のひとり、キタ・・カノ " ビアに担当惑星が与え 彼は、相手の真意がわからないので、ともかくそう受けた。 られた。しかし、それはまったく異例な任務だった。任地一 8 三 もとより彼は、。フ・ハオヌがこのタトラデンの原住種族でありなが 星系第三惑星タトラデンはキタの出身惑星であり、そして出身惑星 を任地とする司政官はきわめてまれだった。しかも、反連邦的なプ ら、植民者たちに圧迫されて居住地域を追われ、その多くが人間の ロック化の動きを示す第四五星区の中心的存在タトラデンに働きか 使用人となっている状況を、全面肯定する気にはなれなかった。全 け、・フロック化を阻止せよというのだ。彼は着任早々、タトラデン 面肯定どころか、ありようとしては植民者本位に過ぎる不自然なか の支配層に抗して学校開設へ援助を求めるドラエテ・ (-nO ・エクド たちだとの気持ちを抱いている。客観的な見方、あるいは素朴な正 ートの訪問を受ける。また、記者会見の申し込み、連邦経営機構の 義感からすれば、それが当然の感覚であろう。だが他面、タトラデ 定期巡察、そして第四五星区の第二回星間連絡会議が開かれるとい うニュースを知る。任務達成への手掛りをつかみかねるキタは、だ ンの植民者たちにしてみれば、自分たちが快適に暮らし、自分たち が司政庁南分庁にある莫大な財産を目のあたりにして、ヒントをつ のための社会を作って行くためには、これはやむを得ない仕儀だと かみかけるのだった。そして彼は初の公式行事として記者会見に出 まうで、人間がタトラデ 考えているのだ。いや、それならまだいい ~ た。そこでは質問は彼の出自に関することに集中し、司政活動につ ンに植民したのは人間にそれだけの力があったからであり、。フ・ハオ いては訊ねられることもなかった。また、ダンケル・ TJ ・デクス ットと名乗る記者が異例なまでの挑発的な質問をキタに浴びせはし ヌは人間よりも劣る種族だから人間の下風に立つのが当り前だ たが、どうやらそれも難なくやりすごすのだった。記者会見後、次 と、本気で信じている者も、すくなくないのであった。そしてキタ 第に司政の方策が形をとりはじめていたキタのもとに、科学センタ 自身が、かってタトラデン植民者のひとりとして、その社会の中で ーのヤペ・ s-ä・エクトイックと名乗る男が訪れたが : ・ 生きて来たことを思うならば、。イハオヌへの気持ちは気持ちとして も、タトラデン植民者の行きかたを無下に非難し、否定し去るわけ には行かないのである。そうしたタトラデン社会においては、人間 いて語りだしたとしても、うかつに調子に乗ってこっちの意見を開 のプ・ハオヌやプ・ハオヌの現状に対する意見や態度には、さまざまな陳するのは早計なのである。話が変に食い違ってくれば、喧嘩・刃 というのが、タトラデノこ、 ものがあり、それもほとんど関心のない者から自己の信念ですぐに傷沙汰に至ることもあり得る。 行動に出る者 ( トズトーは生かしておいてはならないとして、小さころに、彼がいっとはなく学んだことなのであった。そうした事情 いうちに殺そうとする連中は、その一方の極端な例である ) まで、 は、今も本質的には変っていないであろう。以前よりもうるさくな 多岐にわたっているのであった。だから、話し相手がプ・ハオヌにつ ったか軽徴になったか、彼にはまだっかめていないけれども、当時 8

4. SFマガジン 1984年2月号

ソタイアの本書にかけた姿勢というものが端るためには、貯金を下ろす時点で、財やサー 頭にもってきて、後日譚をつづっていって一 冊の本にしたのが本書『夢の蛇』であり、こ的にあらわれていると思う。そこに見出せるビスを産み出す働き手が勤勉でなければなら んどはヒューゴー、ネビュラの長篇部門でダ作者の姿勢は守勢でもなければおざなりでもない。ところが、貯蓄の累積そのものが″勤 3 ない。過激に攻撃的にありふれた話を書こう勉さ″を稀薄にしていく。貯蓄して富を将来 ・フル・クラウンに輝いている。 原型「霧と草と砂と」の時もそうだったのとする意志である。真実はありふれた話のなに移動させるのは、むしろ捨ててしまうのと 同じだとすれば、いま使ってしまうに如くは かにあるとさえ、考えていても不思議はない。 だけど、同じ形で意見が割れると思う。 と書く著者は、日本長期信用銀行 これだけしつかりした気もちょい作品を書ない。 つまり、「いい話だけど、なんにも起こら ないじゃないか」あるいは「いい話だけど、ける作家は少ないのだ。・ヒートリイやタニスの取締役。銀行屋さんがこんなことを書い レ しいもんだろうか。 ・リーも気もちいいけどにならない。て、 目新しさのまるでないありふれた話じゃない か」という意見。 はちょっと油断するとメッセージ臭が強まそれはともかく、今、じやかすか、お金を 5 逆に、「よくある話を、これだけし 0 か 0 て気もちよくならなくなる。とりわけ肩に使おうにも、これとい 0 て買いたいモノがな 一通り、モノはそろっている。住の面に り、気もちよく書けているのになにを文句がカのはいった女流作家の場合だと。マッキン いえるというのか」あるいは更に過激に「こタイアは肩に力をこめながら、しかもそれをしたって、その内容は、「宇宙船内にも比す べきものすごいウサギ小屋」だ。買いたいモ のなんにも起こらないところが ( ! ) すばら仰えてみせる技量と意識を備えている貴重な ノがないなら、″気分″を買えばよい。 しい」という意見。ぼくは後者であるのだけ人材だと思う。 その気分は、やさしいヒューマン・タッチ どね。 八三年の収穫のベスト 1 にはあげたくな 話。の女性の気分。たとえば、モルテンゴムエ業 実際、ありふれた話というのは、先が読め いけどベスト 5 には必ず入れたいいい一ⅱ てしまうぶん読なものを退屈させ、読み続け ( 『夢の蛇』 / 著者いヴォンダ・マッキンタの開発した″当たっても痛くないポール 4 る気力を喪わせるところがあって、あるいは ィア / 訳者Ⅱ友枝康子 / 四五七頁 / \ 六四〇が、今、幼稚園のマーケットを独占する勢い で伸びている。 まんなかをとばして最初と最後を読んでおけ / 文庫 / サンリオ ) こういう女性産業の時代に、短命ヒット商 ばけりがつくという気にさせられることが多 。それをぐいぐい引き込んでいくのはやっ 品を連発するには、アマチュアの発想が必要 日下公人著 ばり並の作品じゃないと思うのだ。 だし、発想の自由な転換の場を提供するの マッキンタイアはストーリー が、サロンだ。女性産業は、すでに日本経済 の派手さを押 『世紀は女性の時代 , ーこの えて地味に地味に持っていく。といってもし を先導している。自動車の車種決定権が、日 本では主婦に移行しつつあるので、日本車は つかりしている以上限度はあるのだけれ爆発力をどう利用するか』 いやがうえにも精緻な仕上げと美しい外観を ど。なんといっても感動的なのが都市の場 面。世界の荒廃の中で、〈都市〉だけはまだ 大宮信光持つようになった。これが、輸出増大の一 ( 乱学者 ) 因。 科学技術を温存し、異星人たちとの交易を続 ヒューマン・タッチ、アマチュア、サロン けている。求めるものを異星人たちが所有し ているとの噂にスネークは〈都市〉に向かう貯金によって、タイム・マシンのように財の三位一体は、 C<-«<OOZ ( 楽しかっ のだが・ : 。この顛末の処理の仕方にマッキやサービスを時間的に移動させることができた ! ) でも感じたが、大会の女性産業化 ェビソード

5. SFマガジン 1984年2月号

レヒウ 少年の夢は、その先にある。母なる地 ( 『悪食のサルーーー食性からみた人間像。ーー』 については、別の機会に述べたい。 日本人が女性産業に専念すれば、「侵略を餌取章男訳、河出書房新社 ) は、こう書いて球の膝元から、未知なる時空に巣立っていく いる。男たちは、狩猟に用いた作戦や非情さ男の子の夢。願わくば、宇宙少年の持ってい 受けたらひとたまりもないのは確実で、これ に対しては手の打ちょうがない。困るだろうを企業間の争いなどといった狩猟ごっこに転る棒が、産みの親を打ち殺すことのないよう が、これは国民の選択である。中曽根首相が換した。女たちの母親ごっこも転換する先をに。母が健在でこそ男の子たちは、宇宙の野 そういうことにならぬように、剣道、柔道の見つけなければならない ( ここで、『甌世紀原で遊びたわむれることができるのだから。 練習をしろと言っても、国民は嫌だと言っては女性の時代』のまえがきにつながる。ご一そういえばデ = マレスト・サーガは、母をた いるのだから仕方がない」 1 ー昭和五年生ま読を ) 。女たちが「自分の子供の代用品としずねて三千里、といえるでしようね。 れの著者の、ある種の覚悟を示しているようて人類全体のめんどうをみている姿を頭に描ところで、我が家 ( 所沢 ) の近辺では女の いている。行政をこえた管理者として隊をな子たちのほうが、一昔前の男の子のイメージ に思えてならない。 同じ著者の『新・文化産業論』 ( 東洋経済し、辛抱強く、全く新しい社会機構が生まれで、自然とよく触れあっている。男の子のほ うが塾などに行かせられる率が高いせいもあ 新報社 ) のまえがきは、かっての大英帝国のて育つのを見守っている姿である。それは、 かって多くの男たちが夢にまで見ていながろうが、もし、これが全国的に言える現象な 巡洋艦の話から始まっている。フラッシュ・ デッキ・タイ。フといって、甲板が艦首から艦ら、実行に移すだけの忍耐力も技倆もないたらば、やはり、墅世紀は女性の時代でしよう よ。奮起せよ、少年 ! ( と、オジンの我 尾まで一直線に作られているのが、特徴。なめ、実現できなかったタイ・フの機構である」オ が身の中の少年にも呼びかける ) ( 傍点、大宮 ) んと、それは、ダンス・・ハーティ用だった、 というんです。植民地や同盟国の港々に立寄そのような女性型世界政府には、人類全体よいお年をお迎えください。 ( 『墅世紀は女性の時代 1 ーこの爆発力をど のめんどうをみてもらうだけでなく、自然の り、有力者やその子女を艦上に招待してパ う利用するか』 / 著者日日下公人 / 一一一六頁 ティをひらくのは、なるほど、効果絶大だつめんどうをみてもらいたい。 地球という地母に、生命が育つのを暖 / \ 六八〇 / 新書判 / 光文社 ) たろう。大日本帝国海軍のかっこうよさも、 く、時には冷たく ( 氷河期 ) 、見守ってきた。 そこまでいっていたらなあ。 国家間の付きあいは、一つは男性的な防衛その結果、産まれた人類という鬼子が、母な 費、もう一つは、女性的な経済協力。防衛費る自然を傷つけ始めた。クラーク『幼年期の を一 % 位増加しても、欧米諸国に及ばない終り』は、一種の家庭内暴力だ、とはフ が、経済協力を一 % ふやせば、ダントッとな科会の大倉恭輔氏の言である。地球という地 る。「私は、防衛費の一 % よりも、海外〈の母神が、いわば無意識のまま、人類という鬼女 経済協力を一 % ふやすことを勧める」とする子の家庭内暴力を黙って受け入れていれば、 竹村健一氏 ( 『これだけ手帳』 ) に、私も賛やがては母子心中となることは目に見えてい ゑ女性型世界政府は、それを乗り越えるべ 成だ。 く目覚めた地母神といえよう。日本の女性産 南アフリカ産まれのイギリス人、そして口 ンドンの有名なホテルで一年間コックとして業も、その目覚めの一助となることを私は望 すごしたこともある、ライアル・ワトソンんでやまない。 テラス・マみー 353