つけた布団の上にすわりこんでひざをくむ。とがったひざが丸出し「たぶんーーイラン・イラク戦争かー・、、アラファト派の敗北とかー いってみれば地域的な ーそんなとこかな。でもそれは、みんな : になる。 もので : : : 」 「さて、と 何から、話せばいいの。というより : : : あんたは、 「地域的って、あんた。第二次大戦だってそんなこといったら地域 何を、どのくらい知ってんの」 的よ。全世界が、二つにわかれたってわけじゃない」 「そ、そうーー」 「でも、ほぼわかれたんじゃないかな」 修平はうろたえて唇をなめる。 : この世界「それをい 0 たら、今だ「て二大陣営にわかれて、ミサイルとか装 「だからーーーもしかして、もう、誰も知らないうちに : 備をきそいあってるわけじゃん。立派な戦争よ」 では、戦争がはじまっていてーー」 「なんだ。まだ、そんなことをいってんの」 「そういうふうに考えてみたことってないわけーーーあんたって意外 ルカはちょっと失望したように、片隅につんだ段ボールの箱か に素直なのね。いつだって、これまで、人間の歴史がはじまってこ カ飲もうとはせず、ひねくり ら、罐ビールをひとっとってきた。 : 、 のかたずっと、世界じゅう、どこかでは戦争があったのよ。ほんと まわしている。 うの意味で″平和″なんてものが存在したことは、あたしたちが骨 「たから、戦争なんかもうとっくにはじまってるわよーーというよ や木切れや石のオノでとなり村の原人どもをなぐり殺していたころ り、いつはじまったかなんて、誰が知ってんの。大体、まえの戦争 から、いまにいたるまで、一度だってなかったんだと、あたしは思 はいつおわったか、あんた、知ってる ? 」 うわ。平和なんてーーーことば遊びよ、あんた。でなけりや、せいぜ 「ええと : : : 一九四五年だろう」 ほんとのひどい戦時中にくらべりや、世の中が丸くおさまって 「それ第二次大戦でしよ。そうでなく、そのあとにもあったでし るという、そのていどのものよ」 「しかしーーーおれが、いまや戦争がはじまっているといったのは、 「あーーベトナム戦争のこと ? 」 そういう意味でいったんじゃないと思うんだがね : : : 」 「それもあるわ」 いくぶん、こころもとない声で、失望したように修平はいし 「いやーー・朝鮮戦争もあるな。しかし、ベトナムがいちばん最近ー ハコを吸おうと、とり出して、火をつけようとした。 いや、あの : : フォークランドとか、グレナダーーーあれも入れる とたんに、 とすれば : ・・ : 第三次中東戦争ーーーイラン・イラク抗争ーーー」 「どうなのよ。あんた、いったいいつ、最近のさいごの戦争がおわ「よしてよ ! 」 するどく、娘がいった。 ったのか、覚えていて ? 」 「やつらに、気づかれたら困るわ」 ルカが追及した。修平は首をふった。 247
くら何でも、戦時下の、参戦国 いったい、何が真実で、現実とは何でーーそして、 だが、やがてはっと気づいた。い この世界の われわれはどうなってゆこうとしているのか : : : おれは何もわからの人びとが、そこまでのんきに、無感覚にいられるものだろうかと きみのいうとお そして、知ったところで逃げ出せない ない。たた、不安で、怖くて、気も狂わんばかりに怯えている。教ね。 りだーーーのであってみれば : えてくれーー教えてくれ」 ねえ、ゲルニカの人びとは、目をとじていることをえらんだの 「真実なんてーーー」 だ。自分だけは、この町だけは、可 イとか助かる、大丈夫だ、と信じ ルカは肩をすくめる。 「いつだって、知らない方がどれだけか幸せに生きてゆけるものるふりをしーーなかばは本当に信じ , ーー二重思考だなーーそして目 よ。ほらーー第二次大戦のときの、大本営発表みたいにさ。あれををとじる。目のまえ、頭の上に刻々と迫りくる運命の手から、必死 頭からうのみにしていれば、八月十五日まで、ずっと幸せで、日本に目をとざし、あすのメ = 、ーと日曜のデートで心を満たし、互い どうせ、どかんとやらの目をみてその中におのれの恐怖を感じとってしまわぬよう、注意 は勝ってる、と思っていられたんだよ。 れるなら、一度に来た方がいい。知っていようといまいと、どうせぶかく目をそらし、すすり泣きは枕でおし殺し、ざんげと祈りをす かれらは恐怖のため、神をさえすてたのだ。 どかんは来るんだからね。だったらーー知らない方がどんなに幸せらいつわり欺き、 か。だってそうじゃない、あんた : : : 知ったからって、逃げ出せる神に祈り、ざんげして、さいごのミサをうけ、安らかに死んでゆく わけじゃないでしよ。生きのびるために、あたしたちに何ができることをさえ、あきらめ、『日々の糧を与えたまえ、アーメン』とー ー頭上におちかかるさいごの火の下で : : : 祈りつづけ、爆音にいよ っていうのーー何かできることをさがすくらいが関の山だよ。それ でも同じこと、何も知らない連中と同じにあっさり死んでゆくだけいよ声をはりあげてわらいさざめきーーーまさしく、死の瞬間まで死 : だったら、屠殺される豚みたいに、ポカンとやられるその瞬間のことを知らずに逝く獣のように死んでゆくことを 。そうは思わ かれらは、選んだのだ。そのけつか、かれらは、かくもビカソの まで、何も知らず、平和に、幸せに生きてた方がいい 魂をうごかし、世界じゅうの魂を震憾させて、その町の名は、永遠 ない ? 」 に消えることなく柱に刻まれることとなったのだ。無垢のいけにえ 修平はしっと考え、そして云う けがれなきスケイ。フ・ゴートとして : : : 他にどんなに多くの町 「ああ。たぶん、そのとおりだ。ゲルニカーーーおれは、ずっとゲル = 力とゲル = 力の人びとについて考えていたよ。はじめは、何も知が、焼かれ、抗い、戦い、ふみにじられて減びていったことか。そ らす、頭上に迫りくる死と破壊と運命に対して、あんなにも無防備れに比べれば、ゲル = 力は全減したわけでもない。ルシタ = ア号の 。、、こるところにも に、日々の生活を営んでいることを、なんとおろかしく、なんとあ悲劇、むろんヒロシマ、ナガサキ、ポーラント 3 われで、なんと戦慄させることだろうと考えていた。人間の無力と っと凄惨な地獄はあったのだ。だのに、ひとびとはゲルニカの名を 4 無知と悲劇そのものの象徴のような気がして お・ほえている。ゲルニカ、という名に心をふるわせる。なぜ ? か
とい、つこと 修平はびつくりして、片手に一フィター、片手にタバコをもったまなんか、有史以来、ただの一度だってありはしない ま目を丸くした。いくぶん、しらけた表情になって、彼はいった。 よ。人間は、もともとの性は善かもしれないし、平和をほんとに望 2 「だってきみはさっきあそこではーーー」 んでいるかもしれない。でも、平和の名においてこそ、これまで、 しようがないわ いちばん多くの戦争が行われて来たんだし、そして、しばらく 「公園 ? あそこはいいのよ。でも、ここは たった二、三十年でもほんとに、まあ平和といっていいような状態 ね。いま、ゆっくり順序立てて説明するから、少し待ちなさいよ。 がつづくと、必ずといっていいほど、しだいに人々の心が荒れて 知りたいんでしょ ? 」 「ああ。しかし、やつらって、誰なんだーーおれの妻子や仲間やー来、頽廃的になり、何かのかたちで戦争をおつばじめるか、さもな けりや、そのかわりに自分自身を攻撃しはじめるか、それしかなか ーっまり、一般人のことかい ? 」 った、ということ。あたしは、もう、長いことーーー近現代だけじゃ 「ばかなことをいわないで。かれらは何も知らないんだって、いっ なくて、世界史のほとんどを分析してきたんだから、まちがいはな たじゃないの。ただ、あやつられているだけだって。あたしがいう いわ。そうでなくとも、歴史ってものを、おちついて、冷静な目 のはーーーそれをあやつってる連中、戦争の好きな、戦争をおこした で、よくみてみなさいよ。歴史をつくり出してるのは平和でなく戦 がってる、戦争で得をする連中のことよ」 争よ。戦争によって、ある国は栄え、ある国は減び、そのくりかえ 「というと、《死の商人》かなんか ? 」 しによって歴史はつくられてきたのよ。 「ゆっくり、きいてなさいよ」 ルカはもとどおりに足をくんですわると、髪をうるさそうにうし歴史ってものが、まだそれそれの部分で孤立してて、全体として ろへかきあげた。しかしすぐまた、髪はおちてきて、彼女の白い顔の大きなョコのつながりをもってなかった頃でさえ、そうだった わ。そして、″世界″というものが、人間にとって意味をもつよう をあざといほどにくつきりとふちどるのだった。 になる近代からあとは ほとんど、戦争は、とぎれめなくくりか 「あんたが、・ とういう意味で、どういうことからそう考えはじめ えされるようになる、それも、こんどは自然発生的にじゃなく、き て、戦争がはじまっている、といってるのか知らないけどーーーで わめて意識的にね。考えてみてよ。近代以降のヒューマニズムを少 も、あんたは、・ とんなにおそろしいことでも真実を知りたい、 ったんだから、だから、あたしの話をきかなくちやダメよ。あたししでもわきまえた人間にとっちゃ、戦争は悪だ、なんてことは、常 がどうやって気づいたか、それもどうでもいいことだけど、ただ、識以前のことよ。人殺しなんて考えただけでもたまらないし、侵略 だっておよそわるいことじゃない。虐殺に原爆に枯葉剤ーーー個人個 あたしは、あんたよりずっと早くから、ことの真相に気がついてい たんだからさ。 人にきいてみたら、兵隊だろうと、政治家だろうと、それをよしと とにかく、あたしが知ってるのは、人間のこの世の中するーー必要悪とだって、認める人間なんてまずいないでしよう ってものには、どんなかたちであれ戦争が完全になくなったためしよ。
った愛を流れ星にして、人間の故郷の海に返のように星のふるような街にして欲しいので 一夜も海岸に行こうと決心した。 ( 会えるといいなあ ) す。人と人とが心から信じあえるような、そ す宇宙の精なんです」 ・ほくは、思わず微笑んでいた。 とても信しられなかった。冗談を言ってい んな星にして欲しいのです」 昨夜のように海を見つめていても、少女はるのだろうと思った。少し頭が変なのかもし「でも、・ほく一人に何ができるというんた い」 れないとも思った。でも、みなすぐに否定さ やってこなかった。 ( やつばり、毎晩は来ないのか ) れた。実際に少女は、・ほくの心を読んでいた「あなたが、まわりのものすべてに愛を示せ し、よく考えると、少女が現われるのはいつば、必ず、あなたを見てわかってくれる人が でてくるでしよう。そうして、あなたを中心 今夜も少女は来ない。もう十日もた。少しも流れ星を見た後だった。 がっかりして、海に背を向けて帰りかけた。 「信じられないでしよう。でも、私は宇宙のにして愛の輪が少しずつ、少しずつひろがっ ちょうどその時、頭上であの夜と同じように精なんです。こうしてあなたの前に現われたていくでしよう。時間はかかるでしようが、 流れ星が尾をひいた。 のは、あなたがとても優しい人だからです。何百、何千年後には、地球が宇宙で一番明る 「ひろしさん」 く光り輝く星になるでしよう」 まだ、愛を失っていないからです」 背後から声があった。突然自分の名を呼ば れて、・ほくはぎよっとした。少女がそこにい 「今、こうして輝いて見える星は、すべて人少女は消えていた。しかし、・ほくの目には こ 0 間のもっ愛なんです。他人に対する愛。自然くつきりと少女の姿が焼きついていた。 ( いったいどこからでてきたんだ。どうしてに対する愛。大や猫、その他の動物に対する夜風はもう秋をはらんでいる。その中で、 ・ほくの名を知ってるんだ ) 愛などが、一つ一つ輝いて数え切れない星に ・ほくは少しずつかわっていった。 「私、空から来たんです」 なっているんです。だけど、人は愛を失いま 応募規定 まるで、ぼくの心を透しているかのようす。あなたとはじめて会った夜の流れ星は、 ー応募資格一切制限なし。ただし、作 に、少女の口元からでた言葉だった。 好きな人にふられて失恋した人の失った愛。 品は商業誌に未発表の創作に限りま ( たぶん、・ほくが不思議そうな顔でもしたかそれから今のは、かわいがっていた大にかま す。 ■枚数四百字詰原稿用紙八枚。必ずタ らだろう。それにしてもおかしなことを言うれて、その犬が嫌いになった男の子の失った テ書きのこと。鉛筆書きは不可。 娘だな。まあ、いいや。そうだ。名前を聞か愛。こんな失われた愛を流れ星にして、人間 ー原稿に住所・電話番号・氏名・年齢・ なきや ) の故郷の海に運ぶのが私の仕事です。でも、 職業を明記し、封筒に「リーダーズ そう思ったとたん、少女の顔は困ったよう海は人と油で汚れて、今は流れ星を落とす場 ・ストーリイ応募」と朱筆の上、郵 な表情になった。 所をさがすのも大変です」 送のこと ( 宛先は奥付参照 ) 。ペン 「私、名前なんてないんです。それから、人「ふーん。でも、どうして・ほくの前なんかに ネームの場合も本名を併記してくだ さい。なお、応募原稿は一切返却し の心が読めるんです」 現われたんだい。・ほくが、愛を失ってないか ません。 「名前 : : : ないの。名前 : 。人の心が : らとか言っていたけれど : : : 」 ■賞品金一封 読めるって : ・ どういうことだい」 「ひろしさん。あなたに、この地球が愛の満 ■掲載作品の版権および隣接権は早川書 「あなたには信じられないかもしれませんちあふれるような星になるようにして欲しい 房に帰属いたします。 ね。私、地球の人間じゃないんです。人の失のです。星の見えない都会を、あなたの故郷 田 5
飯もろくろくのどをとおらぬくらいはしゃいでいた。 「何だっけ ? ああ、オーウエルね」 。、。ハったらあ。・ほくきよう、テレビみたん 、ねえーー 「ねえ、 「そう、『一九八四年』」 「面白かったかい」 「面白いってのとは、ちょっとちがうけど。あんまりーーー重苦しく「そうか、そうか。あまり見るな。・ ( 力になるそ」 「いやだ、あなたってば」 って。そう、すごく、重いんですもの。息苦しくなるくらいに。で も : ・ : ・ひきこまれるみたいにして読んだわ。こんなに、一気に読ん「本当だそ。テレビからは、子どもの・ ( 力になる光線が出てるか ら、六十センチ以上はなれて見るんだそ。何見たんだ ? 」 だのも、こんな重い本読んだのも、ひさしぶりよ」 「あのね、あのね、えーとね、ひこーき」 「もう少し、また、本よむんだね」 「そうね。でも、あんなのばかり読んでると、わたし、何だかノイ「『日本の総軍事力』とか「て、すごいのよ。ファントムや戦車。 こないだの肥った人、また軍服きて出てたわ」 ローゼになりそう」 「加山か」 「ノイローゼに ? どうして」 「何ていうのかーーー生きてることが、怖くなってしまいそうよ。あ「そうそう」 。、。、。・ほく、じえいたいに入る。じえいたいに入って、へい のオーウエルってーーすごいシニシズムね。結局、何ひとつ、信じ「ね工 てないのね。愛も、正義もーーー思想も」 たいさんになるんだ。だってカッコいいんだものーー・ーね、・ほく、ミ サイルうつの」 「ああ」 「わたし、彼よりは、もう少し、世の中とか人間を信したいわ。人修平はものもいわず、竜太をひつばたいた。 ほんとは、人間は、決して戦いたが 間の聡明さとか、知恵とか ったり、殺しあいたがったりなんかしてないってこと。ただ ろんなものが、そうさせてしまうのよ」 「ああ。そうだな」 次の夜、修平は、かなり早く帰って来た。 おそくなる、といってあったので、家の外からでも、なんとな 「そう思わなけりやーーーとても生きていられやしないと思うわ」 く、人待ち顔でない空気が感じとれる。修平は、すぐにチャイムを 美穂はかすかに身をふるわせた。小さな、身ぶるいだったが、魂 の底の底から出てきたような、いつまでもとれぬかもしれぬ身ぶるならすかわりに、そっとまわりこんで台所の窓の下へ入っていつ」 いだった。本能的なおびえとおののきーーー理性では、どうするすべた。 9- もないもの。 身をこごめながら居間の方へまわる。と、台所とリビングのちょ郷 ー一 , カ℃るというので、朝ごうど中間くらいにおいてある電話台のあたりで、美穂の声がきこえ 翌朝、修平はおそ出だった。竜太よ。 : 、・、、
そして自分の声に自分でおどろいた。娘 ( あの娘は、何者なんだろう。なぜ、あの娘はああいったのだろ彼はどなるようにいし は興味をひかれたらしい う。あの娘は、何を知っていたのだろう ) たぶん彼を、家までおくりとどけてくれたのも、彼女だったかも「なアによお。どうして、帰りたくないの ? 奥さんと、仲でもわ しれない。 ということは、介抱ドロだ、という可能性もあった。 るいの ? 」 が、そうは思えなかった。もし、何かとられていたら、美穂がとっ」 くに大さわぎしているはずだ。 彼は絶句した。娘はずるそうな、なだめるようでもある、何とな ( あの娘ーー ) くあいまいな笑みをうかべた。 彼をおくりとどけたか、少なくともタクシーにのせてくれるかし「何だかわかんないけどさ。とにかくおじさん、本もってないらし いし、あたし、忙しいのよね。もう、・ハイ・ハイしたいんだけどさー て、そして、どうしたのだろう。そのあと、どこへいってしまった ー何か用ある ? 」 のだろう。 何者なのか、名まえさえも、知らぬままだった。何とか、手がか「あ : : : 」 りになるような記憶をたぐりよせようとして、彼は頭をし・ほった。 修平は、上あごに舌がひりついたような気がして、焦った。おそ 彼女が酔いつぶれた彼をのそきこみ、戦争のはじまっていることろしくたくさん、 ししたいこと、ききたいこと、いわねばならぬこ を、わかりきっている、といし そして、彼が安堵にすすり泣きと、知らねばならぬことがあるような気がするのに、うまくことば はじめーーーそこまでは、はっきりとおぼえている。 が出てこないもどかしさに、こんどは別の意味で泣き出してしまい だが、そのあとは ? そう、彼女は、あきれかえったように、彼そうだった。 を見おろし、腰に手をあてたのだった。 「あの : : : 」 「なあに、おじさん。 「ま、 あんた、頭、おかしいの ? 」 しいや。しようがないもんねーーおじさんのせいじゃない 「おかしかない」 し、本がないのはさ。じゃあね」 彼は鼻をすすりあげながらいった。 「待ってくれ」 「おれはずっと、考えてた。 おれがおかしいのか、それとも世彼はいおうとした。 の中が狂ってるのか、さあ、どっちだ、とね。やっとわかった。お が、もうそのときには、娘はくるりと身をひるがえし、カッカッ かしいのは世の中なんだ。おれじゃない」 とプーツの足音をひびかせながら、そこを立ち去りかけるところた っこ 0 「よくわかんないけどさーーあんた、もう、家、帰った方がよくな ( 待ってくれ ) 「いやだ。帰りたくない」 彼はうろたえた。ここで、彼女に行かれてしまったら、もう二度
それこそ休日出勤で朝から晩までずっと局にいってましたけどね。 を叩いた。 「そうしろよ、な。・ほくも明日は、おそめに出て、早くかえるつもかれんとこは一日中、人っ子ひとりいませんでしたよ」 「あら : : : 」 りだからーー思ったより早くすんだら、おれも代々木へまわったっ ちょっと、ふるえる声で、美穂はいった。・ ていいし」 「じゃ、局の方じゃなく、どこかよそで打ちあわせでもあったのか 「そうねえ」 しら」 美穂は、何となくまだためらうようなようすをしていた 1 しかし、翌日の日曜になると、結局、妻は竜太をつれて、代々木「いや、それもきいてないけど」 の、美穂の実家へと出かけた。それを駅まで見おくってやってか「あら、でも」 「土曜に局で会ってお茶のんだんだけど、あした予定あるの、って ら、修平は電車にのりーーそのまま、まっすぐに例の公園へいっ いったら、いや、なんにも、といってましたよ。それとも、夜にで て、用意の本をよみがてら来る人を見て、そうやって丸一日をそこ ですごしたのだった。 も急に予定入ったのかなあ」 「いえーー主曜の夜は、外へたべにいって、ずっといっしょでした 晴天の霹靂というべきものがふってきたのは、その翌日である。 上村から電話がかかってきたとき、とっくに修平は出かけ、美穂し : : : 何もそんな予定なんか入らなかったーーー」 は掃除しているところだった。 美穂の声が、心細く先ぼそりになる。 上村も世なれているだけに、大体のようすを察したらしい 「へえーーーもう出かけましたか。早いな。屋さんとしちゃまっ 「あれれ、じゃ、ちょっとまずいこといっちまったかな」 たく立派なもんだ」 「ええ、でしょ ? ーー わたし、そう思うんですわ。休日出勤なん「まずいことなんてーーーきっと、何かのゆきちがいでもあったんだ か、もうしようがないしなれつこですからあきらめてますけれど、 と思います」 せめて、ふりかえ休みとか、フレックスタイムになればってーーゅ「ですよね。かれ、奥さんにうそっく理由なんて何にもないし、そ うべだって、結局かえってきたの、九時すぎなんですわ。それでけういう男じゃないですからね。何だかわるいこと、いっちまったみ さはまた何だか早く出かけちゃって」 たいですけど、あんまり頭つから、あんなこといってたのにどうい 「ゆうべ ? 」 うことよツ、なんて詰問せん方がいいんじゃないかと思いますよ。 あーー・あなたには、そんなことをいう必要なかったですね。かしこ 上村の声が、けげんそうなひびきをおびた。 「だってゆうべって、日曜でしよ」 い人だから。まったく、うちのやつもあなたくらい賢夫人たといい んですが」 「ええ、ですから休日出勤で」 「いやですわ。賢夫人なんて」 「そんなことないでしよう。・ほくは、きのうは撮影があったんで、 234
に乱暴にしても、新しいのにひきちぎれてしまうほど、きやしゃな大事なタイガーが、どうなったのかを、知らせるわけにもゆかな つくりのおもちやではない。 いのだ。 「こんなひどいこと 「すみません。相沢さん」 なんで : : : 」 美穂は、裏口から、さいふ一つもって、となりへかけこんだ。 呆然として、彼女はつぶやいた。 ひき出しの中にかくされてころがっていた・フラモデルは、まる「ほんの十分、竜太をおねがいします」 で、トランクにおしこまれた人間のバラ・ハラ死体のように、むざん「いいわよ。なあに、どうしたのよ、奥さんーーあなた、まっさお よ。お医者にでもいくの ? 気分、わるいんじゃない ? 」 な陰惨な感じがした。色があざやかで、まだ少しも汚れてないだ け、なおのことだ。 - 」 ( こんな ) 美穂はやっと唇で笑ってみせる。 美穂は、いつのまにか、青ざめていた。 「ちょっと、あのうーー駅前のおもちゃ屋さんへ : : : どこへいった いそいでひき出しをびったりとしめ、掃除機をかたづける。 か、竜太には、内証にしといて下さいな」 「ママ、スー パータイガーあった ? 」 つつかけサンダルを。ハタ・ハタいわせて走り出す。 スーパータイガー 「ありませんよ。あるわけないでしようーーーさいごにどこであそん 同じものをこっそり買ってくれば : だか、覚えてないの ? 」 まだ新しいから、きっと電太には、見わけがっかないにちがいな 「えーとね。外かなあ」 「じゃ、ちょっと、外のどぶをみてらっしゃいな。おちないように 守らなくては 気をつけるのよ」 竜太を、守らなくてはいけないのだ。 「うん」 竜太がかけ出してゆくのを見おくって、何となくひざをがくがく 何から ? させながら、さいふをとり出す。中をあらためる。 そんなにたくさんはないが、その高価な機械のヒーローを買うく らいのゆとりはあった。 その夜。 亠のとは、・ とうやって、竜太をだますかだ : 修平は、何かぐったりと疲れたようすで帰ってきた。 あの、大人の、男のつよい手で、荒々しく、にくしみをこめてひ長い徒労とあきらめとのつみかさねが、彼の顔にげつそりとした 7 パータイガー きちぎられたスー 隅をうかばせている。酒の匂いをさせ、食事はすませてきたといっ それを、竜太にみせるわけこよ、 こ 0
「ああ、先輩 : : : 」 「そう。たかが・フラックホール一箇見にいくのに、猫ヶ丘じゅうの サトルが間の抜けた声を出した。窓の外をゆっくりと遠ざかって人たちを連れていっちゃ、やつばりまずいじゃない ? 」 「それは、まずいでしようね」 、地球の姿を見つめながら、 「とても現実のこととは思えませんね」 山下は大きくうなずいた。 「実に、当を得た言葉だな」 「でしよお ? 」 みのりもうなずいた。 山下が言った。 「まあ、ちょっとアクシデントもあったけど、あとはプラックホー 「まさか、本当に家が宇宙船になってるとは : : : 」 ルに着くまで、のんびりおしゃべりでもしてれ・よ、 ( しいだけよ」 「そのまさかが、命とりさ」 もちろん、それだけですむはずはなかった。 「なるほどねえ」 「ところでみのりさん、ひとっ聞いてもいいですか ? 」 「なあに、山下さん」 4 「重力場エンジンがあるのに、なんで始めから、それを使わなかっ たんですか ? 」 「あのー、みのりさん : 「ああ、そのこと」 まず最初に、サトルが異常に気づいた。 みのりは、あっさりと答えた。 「どうしたの、サトルさん。ぼんやりした顔しちゃって」 「劇的な効果を狙ったのよ。 スリル満点だったでしょ ? 」 『ヴォーグ』から顔をあげて、みのりが訊ねた。サトルは、応接室 ずる。 の戸口につっ立って、茫然としている。 山下は、思わず椅子からころげ落ちそうになった。化け物を見る「台所へ行ったはずじゃなかったのか ? 」 ような目で、みのりを見つめる。 山下が言った。 「あら、やーねー、本気にしたの ? 」 どんな時でも、食欲だけは忘れないサトルであった。 と、みのりが笑った。 「いえ、それが : 、ないんです」 「本当はね、あたしの作った重力場エンジンって、ちょっと強力すサトルは、目をうつろに見開いたまま、のろのると答えた。 ぎるのよ。だって作用フィールドの半径が、十キロメートルもある「しようがないやつだな。何度も来てるのに、迷子になったのか」 んですもの」 「いえ、場所は知ってるんですよ」 「十キロメートル ? つまり、エンジンから十キロ以内にある物が 「じゃあ、なんだっていうんだ」 全て、持ちあがっちゃうってことですか ? 」 「つまり : ・ : ないんです」 4
ク 「追いついた」のは、われわれの方なのでれわれは心ひそかにフィクションを羨んで むろん、のファンたち、及びいわゆ ある。そして、真にいま、われわれをわく いるのだ なぜなら、つねに、ドラマテる読書人たちにとっては話は別である。し わくとさせているのは、実はそのことなの ックであり、そしてフィクションであるかし、たとえば「北回帰線」など手にとっ フィグション だ。われわれはつねに小説とは、虚構にから。だからわれわれは云うのである、そたこともなくとも、ヘンリーミラーの名 すぎぬことを、よく知っていながら、たえれに希望をつないで 「事実は小説よりを知っている人は大勢いる。そういう意味 ずその中へ入ってゆきたがっている。絵の奇なり」と。だが九十九パーセントまでのでのポ。ヒュラリティはオーウエルにはな、 ったし、また前記のような人たちでも ( 私 中へ、物語の中へ、夢想家が入っていって場合、小説は、事実より奇でこそないかも しまい、二度ともどってこない 、というフしれないが、事実よりも完成している。む自身そうなのだが ) 「一九八四年」を読ん ろんダメな小説はこのさい論外だだけ、というのが大半であろう。あるい である。われわれにとって、ダ は「動物農場」ぐらいまではとどくにせ 年メな小説などどっちみち、ものよ、「カタロニア讃歌」「象を撃つ」など の役には立たぬのだから。そしに来るとほ・ほ全減の惨状なのではあるまい て、小説はつねに事実ののそまか。 工しい側面をひきうける。たとえ その「一九八四年」にしてからが、初訳 一それが、「一九八四年」のよう は昭和二十五年であったが、現在の文庫本 に、表面はとうていのそましい が刊行されるまでの間、われわれの手に人 ジと云えぬものであるにしてもるのは一九六八年刊行の「世界 c 全集」 「すばら ョだ。だが、現実と虚構について第十巻の、オルダス・ハクスリー 論じるのはあとにしておいて、 しい新世界」とのカップリングのそれでし 私はひとつだけ、どうしても云 力なカた。いよいよ、 TJ ときいただけ アンタジイがいかに多いことかーーーしかしっておきたいことがあるのだ。 で興味を失うタイプの人々の手には、届く る フィクションはあくまでもフィクションで すべもなかったのである。 え ある。ファンタジイの中ではともかく、現 そして、文庫が刊行されたあと ( 一九七 ご実のわれわれは、劃然とフィクションの次ふつうの人びと、ことに日本の人びとに二年初版 ) も、たしか、昨年一九八三年の 元からへだてられている。ドリアン・グレ とっては、ジョージ・オーウエル、という半ばをすぎるまでは、誰一人として、オー 4 イの虚構と現実とに相渉る肖像画は決して作家はとりたてて ( ドストエフスキーやノウ = ルの名を口にしてさわぎたてたりはし ーマン・メイラーに比べて ) ポビ、ラーな 9 実在せぬ。 なかったのである。それが、八三年半ばを すぎるころから、むやみとオーウエル、オ われわれはそれを知っている。そしてわ作家ではなかった。 : : : を第 - ト : ? を : を・ウ気い を第 : を : を彧 : 3 3 S 3