ら、 う、何の心配もしなくていいんだよ」 「落ちこんでたのよ」 美穂はやさしく、夫の頭を胸にかかえよせる。 修平は妻をひきよせた。 「やつばり、きっと、あんまりそういうものばかり見たり考えるの ややあって顔をあげた美穂は、修平の鼻すじを指でなそりなが ってよくないんだと思うーーそうじゃない ? うちの母もよくいう 、こともある わよ。人生の暗い面ばかり考えてると、世の中こよ、 「ねえ : : : 」 んだってことが見えなくなるって。むろんいいことばかりじゃない 「何だい」 けど、でも、どうせいいことばかりじゃないからこそ、なるべくい 「あんな、暗いーーというか、気持のわるい本ばっかり読んで : いことばかり見ていた方がいいじゃないって。つらいことがあった 気分わるくならない ? 」 とき、うちの母は、、 ℃つもそうやってのりきって来たっていってる もう、すっかり、安心しきったいつもの美穂だ。修平はくすんとわ。いまこんなにひどいからこれよりわるくなることはないに決ま ってる、って」 笑った。 「きみのお母さんはね。そういう人だね」 「どうして、気分がわるくなるなんて思うんだい」 「んーーだって、何ていうのかな。ほら、人生とか現実の、いわば「でもそれ、かしこいやり方だとは思わない ? 」 暗い面、いやな部分ばっかり見るみたいでーー・・落ちこんでしまうん「ああ。思うよ」 「でも、あなたは、まあ、仕事なんだからしようがないけど」 じゃない ? ああ、そうか」 美穂は首をふった。 「何だよ、急に」 「ううんーーそうじゃないかと思ったんだけど。修平、このお仕事「でも、おかしくなって来ない ? 」 が決まってから、ずっとそういう本ばっかり読んでいたんじゃない 「ふむ」 修平は考えこむようにいっこ。 「ああ、まあ、そうも云えるかな。とにかく参考資料だからね。 「なるかもしれないね」 『戦時下の民衆』 『天皇ヒロヒト』 『この子を残して』 「こんな本ばっかりずっと読んでいたらーーー」 ーまだあったな」 「ああ。いろんなことを、どうしても考えちまうからね。もし竜太 とか」 「そのせいかもしれないわね」 「何が ? 」 「よしてよ」 「だから・ー・・・・少しまえまで、落ちこんでいたの、よ」 「ごめんよ。しかし、そりや、子どものいるやつはみんな考えるん 「落ちこんでいたかね、おれは」 じゃないかな。映画みたって、ひどい目にあってる子どもをみり 228
や、うちの子だったらとさ。それがきっかけになって、何ていうの 「そうよ。あなたは話がわかるから、わたし、すごく幸せだと思っ かねートそう、問題意識をもつようになるなら、それはそれで、正てるわ。友達なんかでもーーみんなこういうもの。『家事にさしさ しいことなんじゃないの」 わったり、自分や子供に迷惑をかけない範囲でなら、何をやっても 「もちろん、そうだけど、でも」 しい』って旦那がいうのは、実はひどい偽瞞だって。そういうのつ 「きみは、昔は、これでけっこう社会問題に意識が高かったしゃなて、いかにも理解があるようにみえるけど、実のところ、少しも自 分を犠牲にしてないし、しては困る、といっているわけでしよ。あ いか。べティ・フリーダンとか、『沈黙の書』とかを読んでさ」 なたはそうじゃないものね。だからわたし、せつかくあなたがそう 「あら、今だって、そういうの、どうでもいいと思ってるわけしゃ ないわよーーーただ : : : 」 いってくれるのを、つまらないことで甘えてしまったら、あなたに 「ただ、何だい」 対して申しわけない、 と思うの。そうするとどうしても、慎重にな 「ただ、そういうのって、あるていど深人りしてしまわないとどうらざるを得ないの」 しようもない面ってあるでしよう。そして、一つの問題に深入りし「まあ、おれは何でもいいよ てしまうと、他のことは、どうしたって手がまわらなくなるのはし修平はさりげなく本に手をのばす。すぐに、美穂は立ちあがる。 かたがないし」 「すっかり、じゃましちゃって、ごめんなさいね」 「いいよ。どうせもう、そろそろ寝ようかと思ってたから。 「それが、主婦業がおろそかになるからって意味なら、ぼくはいし んだぜ。竜太だって四月から幼稚園だし、そうすればずっと君もラみのいうとおり、夜ふけにあまりこんなもの、一人で読んでいる と、だんたん気が変になってくるからね」 クになる。・ほくにもそのくらいの理解はあるつもりだし、それはい つもいってるだろ」 「そう」 美穂は何となく立ち去りがたいように、本の山を眺めた。 「ええ。でも、そうじゃなくてーー・何ていうのかしら、つまりね、 いろんな何とかしなくちゃいけないことがあるわけでしよ。反核と「でもーー面白いの、それ。わたしも読んでみようかしら」 か、性差別とか、その食品公害とか、ね。わたし、まだ どれが 「よした方がいし きみには、向かないよ」 わたしにとっていちばん重要性をもつものなのか、決められないの 「あら、だって、大切なことじゃない」 ね : : : というか、どれかひとつをえらぶってことが、嘘に感じられ美穂は首をかしげて、中の一冊をとりあげた。 てしまうのよね。だってどれも、とても大きな問題で、関心をもた「一九八四年ーーこの本、いま、何かプームになってるのね。暮れ ざるをえないようなことばかりでしよう ? 」 から、何度も、新聞でみたわ。それで買ってきたの」 「まあ、ぼくの方は、きみがやりたいことをしていっこうに構わん「まあ、ね。学生のとき読んだんだが、もう一回、よみ直そうかと盟 のたからね」 思ってね」
「読んだの、もう」 「ああ。読んだよ」 「面白い ? 」 「きみには向かないと思うね」 修平はもう一度云った。 「あれ・ : ・ : 」 「何が書いてあるの。難しい ? 」 家のまえで、スー ・ ( ータイガーでひとり遊びをしていた竜太は、 「そうだなーーーだよ」 父のすがたをみつけて、うれしそうに立ちあがった。 「 (-OC-Q 、好きよ」 「おかえんなちゃい」 「きみの好きなタイ。フのとはちがうけどね。星新一とかね」 「ああ、竜太、ただいま」 「なによ。わたしに、あんまりその本よませたくないみたいねー 「どうしたの、こんなに早く」 「そんなことないよ。あるわけないだろう。じゃ、読むかい」 出てきた美穂がおどろいて声をあげる。まだ日はたかく、町はし 修平は本をさし出した。美穂はちょ「と唇をとがらせて、それをんとして、女と子どもばかり、男たちのすがたなど、ほとんどみえ うけとる。 「さあ、じゃ、もう一段落するまで読んだら、寝にいくから、先に 「気分でもわるいの ? 」 ねててくれよ。竜太は ? 」 「今夜は平気みたいよ」 っこ 0 修平は、玄関さきで、靴をぬごうとせずに、、 「そうか」 「ちょっと、図書館へいってくるから、カードをくれ。とりにもど 修平は本をとりあげたが、ふと下において立ちあがった。妻の肩ったんだ」 をかるくつかむようにする。 「あら」 「なあに : 妻はかけていって、いわれたものをとってきたが、」 「美穂。愛してるよ」 「なんでまた 「わたしもよ、 いぶかしそうな顔をした。 かるい口づけ。妻がかろやかな足どりで、本をもって出てゆく 「毎日おそくて、図書館がおわるまでにもどれないからね」 と、修平は、読みさしの本にもどろうとはせずに、ふと、何か考え 「じゃ、そのまま、また局へおかえりになるのね ? 」 に沈むまなざしを、妻の出ていった方向に注いだ。 「うん。しかし今日はそんなにおそくならんつもりた」 その顔は無表情なデス・マスクのようにかたく、つめたく、こわ「パ いっちゃうの ? 」 ばっていた。 230
飯もろくろくのどをとおらぬくらいはしゃいでいた。 「何だっけ ? ああ、オーウエルね」 。、。ハったらあ。・ほくきよう、テレビみたん 、ねえーー 「ねえ、 「そう、『一九八四年』」 「面白かったかい」 「面白いってのとは、ちょっとちがうけど。あんまりーーー重苦しく「そうか、そうか。あまり見るな。・ ( 力になるそ」 「いやだ、あなたってば」 って。そう、すごく、重いんですもの。息苦しくなるくらいに。で も : ・ : ・ひきこまれるみたいにして読んだわ。こんなに、一気に読ん「本当だそ。テレビからは、子どもの・ ( 力になる光線が出てるか ら、六十センチ以上はなれて見るんだそ。何見たんだ ? 」 だのも、こんな重い本読んだのも、ひさしぶりよ」 「あのね、あのね、えーとね、ひこーき」 「もう少し、また、本よむんだね」 「そうね。でも、あんなのばかり読んでると、わたし、何だかノイ「『日本の総軍事力』とか「て、すごいのよ。ファントムや戦車。 こないだの肥った人、また軍服きて出てたわ」 ローゼになりそう」 「加山か」 「ノイローゼに ? どうして」 「何ていうのかーーー生きてることが、怖くなってしまいそうよ。あ「そうそう」 。、。、。・ほく、じえいたいに入る。じえいたいに入って、へい のオーウエルってーーすごいシニシズムね。結局、何ひとつ、信じ「ね工 てないのね。愛も、正義もーーー思想も」 たいさんになるんだ。だってカッコいいんだものーー・ーね、・ほく、ミ サイルうつの」 「ああ」 「わたし、彼よりは、もう少し、世の中とか人間を信したいわ。人修平はものもいわず、竜太をひつばたいた。 ほんとは、人間は、決して戦いたが 間の聡明さとか、知恵とか ったり、殺しあいたがったりなんかしてないってこと。ただ ろんなものが、そうさせてしまうのよ」 「ああ。そうだな」 次の夜、修平は、かなり早く帰って来た。 おそくなる、といってあったので、家の外からでも、なんとな 「そう思わなけりやーーーとても生きていられやしないと思うわ」 く、人待ち顔でない空気が感じとれる。修平は、すぐにチャイムを 美穂はかすかに身をふるわせた。小さな、身ぶるいだったが、魂 の底の底から出てきたような、いつまでもとれぬかもしれぬ身ぶるならすかわりに、そっとまわりこんで台所の窓の下へ入っていつ」 いだった。本能的なおびえとおののきーーー理性では、どうするすべた。 9- もないもの。 身をこごめながら居間の方へまわる。と、台所とリビングのちょ郷 ー一 , カ℃るというので、朝ごうど中間くらいにおいてある電話台のあたりで、美穂の声がきこえ 翌朝、修平はおそ出だった。竜太よ。 : 、・、、
れらのあの選択のためだ。他の町は、たたかい、たたかいつつ焼か なるからね、となだめながら雪の山を下ってゆく途中でーー・ヒグマ れていったが、あの町だけが、目をとじて死んでいったからだ。ヒ と出会ってしまう。 ロシマやナガサキでさえ、戦いの中にあった。そこではむろん毎日春になったら、目、直るかしら、と女の子はいっている。その女 のくらしがいつもとかわらず営まれていたが、しかしかれらは戦時の子を、少年は抱きしめてーーー・そうだよ、春になれば : : : 次の春が 下の民だった。いっ何どき、本土決戦があるか、一億玉砕、それを来たらーーそうくりかえしながら、少年は白く涙をながしているん 心のどこかに見つめながら、生きていた。だがゲルニカはー・ーー・そう だ。声をあげも、わめきたて、すすり泣きもしない。たた、不安に じゃなかった」 かられた小さな女の子を抱きしめ、目のまえに黒く凶々しく立ちは だかるヒグマと、自分の上にふりおろされてくるすごいツメの生え 「おれがあの町の悲劇に、異様に心をひかれるわけもーーーきっとそた腕を前にして、泣き声もなく、決してみることのない春の話をし こにある。おれだって・ : : ・あの町の人びとのように、目をとじたてやりながら涙をながしている少年。 そいつがそのマンガのラストシーンでねーーーはじめてよんだと 。むしろ、目をとじる方が、ずっと大きな精神力を要するはずだ すでに破減は、ヒトラーのドイツ軍というかたちで、目のまき、なんていやな、なんてあと味のわるい話をかくやつもいたもん どうしてか、それが忘れられなくて : : : 何 え、頭の上にあらわれているのだから。おれは、いつだったか、あだと思った。だのに かというと、あの声もなく涙をながしている少年、 ( 春になったら るマンガを読んだことがある。それはーーー」 つぎの春がくれば : : : ) というリフレインをーー思い出す。 ルカはじっときいていた。修平の長ロ舌に、けげんな顔も、うる そうーーゲルニカの人びとも、そういう涙をながしていたのかも さがるようすもみせない。といって、ひどく感じ入ったというよう でもない。ただ、じっときき、そして理解しているのだった。修平しれない。春になればーーーっぎの日曜になれば結婚できるーーーあし たになれば何もかもうまくいく : : : そうくりかえし、じぶんの抱き は話しつづけた。 しめた愛するもの、助けてやることも、それをヒグマに投げ与えて 「それはー - ーーある雪の山村で : : : 山ふかく、孤立して住んでいる、 じぶんだけ生きのびようとすることもできぬ子どもや恋人にささや 小さな家に、冬眠からさめておそろしく狂暴化した巨大なヒグマが き、そうくりかえすことでじぶん自身も何とかそう信じようとしー あらわれーー一家を皆殺しにしてしまう。たったひとり、何とか生 ーときにはまさにそう信じることに成功しさえして : きのびた小さな女の子は、目をやられたまま、どうにか村の老マタ ギの家へたどりつく。マタギは銃をもって、ヒグマをうちに出かけそれは、なんて悲しいのだろう。なんという悲惨、悲劇、あまり ・ころう。 ここも危険なので、自分の育てている孤児の少年に、目をやらにむごい仕打ちーー何ものによってかはしらないが れた女の子をつれて、先に町へおりていろという。 だが : : : 」 少年は女の子をそりにのせ、町で医者にみてもらえば、目はよく 修平は喘いだ。ゆっくりと息をととのえ、唇をしめす。 2
美穂は不確かな声でいった。 「なんか気味のわるい話じゃなかった」 「まあ、気味わるいといやあね。戦争で手も足も目も口もやられた「何だよ」 修平はよこ目で妻をみた。 「いやあね」 「何を考えてんだ、きみはーーー一体、何を気にしてるんだい ? 美穂は本を机にもどす。そこには、何十冊かの本が、順番をまっかしいのは、きみの方じゃないか」 かのようにつみあげられている。 「そ、そんなことはないわよ」 「このごろ、凄い読書家ね。お正月のあいだも、ずっと読んでいた「たってさ いや、まあいいけどな。まいったね、おれ、少し前 じゃない ? 」 まで、そんなにおかしかったかね」 「おれはもともと、けっこう読む方だと思うけどね」 「そうだけどこのごろ特に熱心みたいよ。見ていい」 「もういいんだから、いってくれよ。上村にもいわれたからね」 「そうねえ」 「ーー何これ、みんな、戦争の本ばっかりね」 妻はためらいながら、 「たしかに、何ていうのかな とても、神経質、になってたとい 美穂は奇妙な目つきで修平を見やった。その目こよ、、 冫ーしくぶんの うか : : : 」 怯えと警戒がひそんでいた。 「神経質、ね」 「あなたってーーー」 「あら、何をにやにやしているの」 「何だい」 「どうしてこのごろ急にそんなことばかり、 し 0 / し こんな本よ妻がとがめた。 んだりするようになったの 「にやにやしてなんそいないさ。そうかね、おれは神経質になって せつかく、おちついている夫の心を、うつかりとした質問でまた たかね」 「なってたわよ」 かき乱してしまいはせぬかと、いくぶんおどおどした声だ。 「何いってるんだ」 「どんなふうに」 修平の返事は、しかし、わざとらしいくらい明るかった。 「どんな、って いろいろ、くよくよ考えこんだり、しなくても 「つぎの仕事の話、したじゃないか」 しい心配をしたりとかーーー」 「ああーー・ー『大戦前夜』・ : : ・」 「しなくてもいい心配 ? 」 「そうさ。いろいろ、やり方を考えてるところなんだよ」 「そう : : : そういうときって、誰にでもあるのかしらね」 「ああ」 「そういうときって、誰にでもあるものさ。とにかく、きみはも お 2 2 7
ーウエルの声がかまびすしくなったのは、 ックス、などといった「的小道具」のてみるべきである。「一九八四年」が書か 6 当の一九八四年をひかえて、まあ当然の成何割が的中したか、といった、あまりにもれたのは、第二次大戦後数年、スターリン 9 行きだったし、世のつねというものであっ皮相的な「予言者」視である。 体制が確立し、東西の「冷たい戦争」が明 むろんどのように一つの小説を読むのらかになりはしめた一九四七年のことであ った。なにゆえオーウエル : ルポルタ しかし、私が、我慢ならぬのは、「一九も自由だとはいえ、私はここでいちど断言 八四年」をもってオーウエルの未来予測のしておきたいのだ。「一九八四年」は予言 ージュと評論と「カタロニア讃歌」のジョ ジ・オーウエレ・、、 の書ではない。オーウエルは予言者でもな 書、予言、とみるたぐいの一部のマスコミ ノカ三十数年後の未来予 、未来学にも興味をもっていなかった。 測などに関心をもつだろう。この本は、オ のさわぎたてかたである。ロナルド・レー ガン米大統領をさして「ビッグ・・フラザこの小説を未来予測の書として読むこと ーウエルにとって、単に、警告と恐怖の書 ー」というていのものはまだよい。長いあは、何ひとつ、オーウ = ルのいわんとするでしかない。一九四七年当時に世界の示し いだ、「一九八四年」をきわめてすぐれた ことを見ていることにならぬ。むしろ逆でている危険な徴候にそって、世界がもし進 小説として読み、考えてきた私などの許しある。オーウエルは、・・ウエルズやんでいってしまうのなら、われわれはどこ ゴ ・ガーンズ・ハックとは根本的に : たいのは、オーウエルの小説の描いたもヒュ へゆきつくか、という、暗黒なサタイアと のーーーテレスクリーン、真理省、テレファ性格を異にする作家である。「当たった予してわれわれは「一九八四年」をうけとる 言者」扱いをされることは、文・ヘきなのだ。たしかにわれわれは「一九八 学者、ジョージ・オーウエルに四年」に追いついた。そして、今日の世界 とっては侮辱でしかないのだ。 はオーウエルを予言者扱いさせるほどに さよう、これは、たしかにきも、彼の描いたそれに似かよっているかも わめて誘惑にみちたおとし穴でしれぬ。だがそれは、われわれがあまりに ある。しかしわれわれは、断固も愚かであることをしか意味していない。 としてふみとどまらなくてはな一九四七年当時と一九八四年のいま、この らぬ。オーウエルにとって一九一冊のすぐれた文学の現実にたいして持っ しささかも変して 八四年は二九八四年であろうがている意味と距離とは、、 一九九九年であろうが何の違いはいないのだということを肝に銘じて、わ もなかった。オーウエルには、 れわれは、「一九八四年」を「ラルフ一二 未来を予言するつもりなどまっ四 O 四一十」と同列扱いすることを即刻や たくなかったのだ。マスコミはめ、虚むにオーウエルのことばに耳をかた すべてこのことをよくよく考えなけるべきである。どこが似ているの、何
「暗かったわよオ、そうねーー・年末くらいまで、ほんとに、 この人美穂は新妻のようにころころとわらう。まだ十分、若く、愛らし このままノイローゼになっちゃうんじゃないかと思った。年があけく、 新婚気分さえのこしている妻だ。 てからずっと調子いいみたいねあなたーー・結局、過労ね。つかれが 「いや、温泉と限らなくともさ。もう、そういえばずいぶんどこへ たまってたのよ、ね」 もいってないなと思ってねーー毎年毎年、暮になると、この正月は 美穂は託宣をつげる巫女のように重々しくいう。修平はかすかどこかホテルでもいって、って云うんだよな。だけどいったことが ない」 な、えたいの知れぬ笑みをうかべて黙っていた。 一九八四年は、静かに、おだやかに明けた。元日そうそうに震度「しようがないわよ。働きざかりなんだもの。うちの父みたいに会 4 のわりに大きな地震があって、なんとなく底深い不穏なものを思社をひいたら、旅行くらいしかすることがないんだから。また、三 わせたものの、ずっと天気もよく、見かけはいかにもしずかな日々月に海外へゆくんだっていってたわ。あたしたちも、年とったら二 人であっちこっち行けばいいわよ」 がつづいていた。 修平一家にとっても、しずかな、いい正月であった。美穂の楽し「フルムーンか。でもそれじや先が長すぎるじゃないの」 みにしていたようにどこかへ旅行にこそゆけなかったが、初詣にい 「しようがないもの。竜太がいたら、どうせおちついてゆっくりな って人波にもまれ、両方の実家を訪れ、よくあるようにとび入りのんてとうていできないしね。それに いいお正月だったじゃない 打合せや急な仕事もなく、ゆっくりと骨休めをした。 しずかで、ゆっくりできて。平和で」 そうーーたしかに、一九八四年は、申し分のないはじまりかたを「そうだね」 するようにみえていたのだ。美穂にと「ても、世間一般の人々にと修平はコーヒーをのみおえて、ゆ「くりタ・ ( 「に火をつける。ち っても。 かり、とオレンジ色の炎が輝く。 「きみには、わるいことをしちまったと思ってるんだよ」 「平和で」 「え ? 何が ? 」 おちついて、しっとりとした夫婦の語らい しずかな夜、小さ 「ああ、だから、正月休みにどこへもつれてゆけなくてさ。温泉へな息子も寝てしまった。コーヒーとタ・ハコのゆたかな香り。おだや かで、幸せな時間。 行きたがっていただろ」 「ああ、そんなこと だって、わたし、あなたがお疲れみたいだ「何読んでらしたの」 から、温泉でもいってゆっくりしたらどうかって思っただけよ。わ美穂は、修平のよみさしの本をとってながめてみた。 たしの方は、温泉なんて特に興味ないもの。まだ若いもの」 「ジョニーは戦場へいった 知ってる、これ、映画になった 「おい、それしやまるでおれがひどくじじむさいみたいじゃないわね」 「ああ」 か」 226
このまえ家内にいってもらったこと、覚えてるでし そうかあ、変な話だな・ : ・ : かみますよ 「いや、もつばらの評判ですよ。 れ、正月明けに会ったときにや、もうすっかり元気をとりもどしてよ」 「あ、は、、 初老性うつ病っていう : : : 」 るみたいで、よかったなと思ったんだけどな」 「ま、まだあいつの場合、初老っていったらいくら何でも早いと思 「ええ。わたしも、もうすっかりーーーまえより元気みたいだと、思 うんですがねえ。しかし責任ある地位についたり、大仕事をまかさ ってたんですけれども」 れたとたんに発病するってことがいちばん多いらしいし、あいつ、 「あのせつは、家内に、さしでがましいことをいわせまして ま、しかし長いっきあいだから : : : やつばり、かれが〈ンだと、何見かけによらず繊細なロマンチストだからーーーその、・ほくに云いづ しいですか」 となくこっちも気になってね。その、きのうの朝とか、かえってきらかったら、いつでもうちの女房にいって下さいよ。 たあと、おかしなようすとか、こそこそしたところは、なかったん「ありがとうございます。ーーこのまえといい、すっかり、たより つばなしで : : : 」 でしよ」 ・ほくにも、お・ほえのないことじゃありませんので、誰 「ええ、・せんぜん。少しお酒、のんでましたけど、ここのところず「なあに でもとおる道なんですよ。それだけのことでーーあんまり、心配す っとのように、元気で、やさしくて、ほがらかで」 ることないです。とにかく、かれ、あなたを愛し、竜ちゃんを愛し 「ずっとここんとこ、元気ですか」 「ええ。前よりずっと元気みたいです。それに、こんどの仕事のイているし、あなた以外の女性になんそ、目もくれる男じゃないです メージづくりだといって、毎日毎日、本を買って帰ってきて、せつからね。たまたま、ちょっと一人になりたかったのかもしれない。 せと読んでいるんですよ。子どもとも、よくあそびますし、ご近所男って、ことにあのくらいの年ごろには、そういうことがえてして あるものなんですよ」 にもあいそがいいし」 電話が切れてからも、しばらく、美穂は・ほんやりとして考えこん 「ですよね。・ほくも、かわったところがあるようには、思えない し。 まあ、 、そりや修平にだっていろんな時期があるんでで、受話器を手にもったままでいた。 気がついて、もどそうとし、気がかわって、実家の電話番号をの しよう。そっとしとくのが、いちばんいいかもしれませんね」 ろのろとまわしはじめる。 ええ」 ッという呼び出し音をきいたとたん、反射的に切 「何だか、どうもわるいみたいでーーあまり、気にせんで下さい。 ってしまった。もう一度、手をのばし、またひっこめる。 まだかれに、どうなのかあたってみたわけでもないんだし」 「ママあ」 ええ : ・ 「美穂さん、長いっきあいですし、彼はぼくにも大事な親友なんで竜太がへやにかけこんできた。 「・ほくのスーパータイガーどこ ? 」 何か気がかりや心配があったらすぐ、うちあけて下さい。たの 235
いことーーそれなのに、誰一人、どこの国も、まったく戦争を「まあ、たしかにそれも一理あると思わないこともないのよね。で やめようなんてしないじゃない。頭でははっきりと、わるいことも、その国家の利益と、全然かかわりのない、ひたすら損なだけの だ、ひどいことだ、・よくないとわかっていて、しかもものごとの理戦争を、せっせと長いことかけて、莫大な金と人命をなくし、世論 非ってものをわきまえた近代人、現代人であるわれわれがよ。そのの反対をものともせずに、えんえんとつづける国もあるのよ。ほら つもりになれば、話しあいで解決したり、あるいは、とにかく力に ベトナム戦争のアメリカみたいにね」 訴えないですむ世界をつくることぐらい、人間の理性にとっちゃ、 「そ、それはしかし、面子とか、政策もあるだろうし」 かんたんなはずよ。それなのに、いまのいまこの瞬間でさえ、どこ「面子のために、あれだけのリスクをしよいこむなら、それは、た かで、どこかの国どうしが、殺しあい、侵略し、虐殺し、てんで互だの・ハ力ものよ。世界でいちばん強大な国の、しかもトツ。フである いのいうことになんか、耳もかそうとしてやしない。・ とうしてよ ? 人々が、そんな理由で、それほどのリスクをしよいこむと思うの え ? どうしてだと思う ? 」 「それや、ベトナムがあちら側につくと防衛線がとか、われわれ一 いったんはじまって 突然、ほこさきをむけられて、修平はうろたえた声で、 般人民にはわからない理由もあるし、それに、 「そ、それは、だから、人間の本性というものの中に、悲しいかなしまうと、必ずしも、首脳の意志だけでは、やめられなくなってゆ 悪ーー・というよりも、その、エゴイズムというものがあって、国家く四囲の情勢ってものもあるかもしれないしね」 間の利益というものを主張しあうけつか、ぶつかりあって : : : 」 「誰ひとり、のそんでいないのにおこり、世界じゅうがーーー戦うど 「性悪説ね」 ちらの軍も、必死になってやめたがってるのにいつまでもつづいて ルカはばかにしたようにいナ く戦争ってのもあるのよ」 ーガ外伝④ をウス、イシュ , をヴァ年「三人組が北の い第逖境を舞一繰り広げる冒 ー資 ~ 第来女王の治める〔を ハヤカワ文庫 0< 定価三六 0 円 T 0 K Y 0 8 0 0 K S 249