作品 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1985年3月号
99件見つかりました。

1. SFマガジン 1985年3月号

「あの男にきけ。きいてみろ」 「ハⅡアダマーさん、リンゴは食べてもいいのかね ? 」 「もちろんだとも。食べなさい。この園ではいちばんおいしいくだ ものだ」 「さてと、ここでアナロジーの糸が切れるわけだな」とスターク。 「鵜呑みにするところだったぜ。しかし違うんだとしたら、これは ? ・フリトン神父、あんたは言語学者だが、ヘブライ いったい何だ 語でハ日アダマーとハウワーというのは、つまりーー・・」 「当然、例のあれさ。あんたにだってわかるはずだ」 「おれは信心深くはなかったがな。しかし地球とまったく同じ条件 のもとに成り立っ必然性はあるのかい ? 」 「この肱に不可能はないよ」 そのとき輝く男ハⅱアダマーが興奮した叫び声をあげた。「だめ だだめだ。それに近づいてはいけない。そのくだものは食べてはな らないことになっている」 ザクロの木だった。ハ 日アダマーは、その木に近づくなとクレイ グに命じたのだ。 「もう一つ、神父」とスターク。「なにしろあんたは権威だから。 つまり、禁じられた果実がリンゴだという発想は、さかのぼっても 中世の絵画どまりなのか ? 」 「そうだな。果実の名は創世記には出てこない。しかしへブライの 聖書の注解では、ふつうザクロとされている」 「だと思った。もうすこし質問をつづけてみてくれ、神父。およそ ありえない話だ」 「ちょっと変だな。アダムさんよ、あんた、ここにどれくらいいる 日 00K 与暑 OL 有隣堂藤沢店 ( 〒蹴藤沢市藤沢三九一フジサワ名店ビル三階 ) 、の醍醐味ですね。これが一幅の絵 センス・オ・フ・ワンダー になる、は絵だとはよく言われることですが、早川文庫の表紙 のうまさには定評があります。有隣堂藤沢店には二つのテ , ーマがあ ります。一つは、著者別の棚です、これはお客様が気に入りの作家 に出会ったら、その作品が一目で追っていけるようにと作ったもの です。がメインとなりますが、同じ著者の作品があればファン タジイ、ノンフィクションの作品も一緒に陳列されています。もう 一つは、既刊の作品の掘り起こしです。普段は棚差の文庫をカバ を見せてお客様の手にとってもらおうということで、そのための棚 を非常に多くとってあります。・シ = クリイの『明日を越える 旅』、・アンダースンの『大 魔王作戦』などがよく売れま す。また、・ハーネルの未来史シ 0 ーズのように、創元社の一連 の作品、そして早川書房の『デ・〕・ 5 イヴィッド王の宇宙船』が一緒 に並らべてあります。一つの実 験ですがお客様が店の中を捜し 回らなくても一つの棚の前で作 0 品の動きがよくわかるような棚「 0 0 作り、これが一番のテーマで す、まだまだ試行錯誤の連続で すが、よろしくお願いします。 7 7

2. SFマガジン 1985年3月号

Ⅲ聞ⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢ ピンチョン、トマス PYNCHON, THOMAS ( 1937 ー アメリカの作家。全作品がフアビュレー ションであり、解釈の仕方によっては S F に酷似してくる。『 V. 』 ( 1963 ) は、 V という名前の人物をビッタリ追うことが、 題名の現実的類似物になるようなプロット をもち、いくつかの出来事は S F に近似す る。 The Crying ん 49 ( 1966 ) は複 雑な陰謀史観を提示し、そのトーンがロ ト・シェイとロハート・アントン・ウィ ルスンのん襯切三部作 ( 1975 ) に影響 を与えているように思われる。 G りな ツと 03 ( 1973 ) は長大で込み入ってい るが、主人公 ( の性的絶頂が V ー 2 以降の ロケットを予見し引きつけるのだが ) の捜 索は S F に関連する。ヒ。ンチョンの、エン トロピーやバラノイアやコミュニケーショ ンについての広範な関心は、何人かの S F 作家に実りある影響を与えてきた。 〔 J C 〕 トム REAMY, TOM ( 1935 ー 77 ) アメリカの作家、グラフィック・デザイ ナー。 S F / ファンタジイの発表は、 1974 年 F&S F 誌の "Twilla" が最初であり、 早逝した 1977 年末までの 10 作品で、 S F 界 の有望作家と目されるに至った。ファンタ ジイのノヴェレット「サンディエゴ・ライ トフット・スー」 "San Diego Lightf00t Sue" ( 1975 ) は 1976 年のネビュラ賞を獲 キャンベル賞の新人賞も得た。死の直前に 『沈黙の声』お〃れ d なお ( 1978 ) を書 き上げている。これは "Twilla" や「サ ンディエゴ・ライトフット・スー」と共通 の背景をもち、以上三篇では登場人物が重 複する。 〔 J C/PN 〕 REED, KIT アメリカの作家リリアン・クレイグ・リ ード LiIIian Craig Reed ( 1932 ー フィクション全てに使う呼称。多数の作品 は非 SF だが、外部でと同じ位、 SF/ フ ァンタジイ・ジャンルでも知られている。 SF / ファンタジイ作品の最初は、 1958 年 F&S F 誌の「お待ち」 "The Wait" ( "To Be Taken in a Strange Country") であり、以来、主として同誌に作品を発表 してきている。最初の単行本 M 砒ん ムが Dead She's 0 れ砂 & 第 g ( 1961 ) は S F ではなく、 S F 作品は石 da 4 d 0 & 0 お ( 1967 ) と T ん K 覗催 Mice ( 團 1976 ) に集められてい る。低調の時の作品は、シャーリー・ジャ クスンが得手とした効果の縮小版だが、好 調の時の教訓寓話は、たいてい S F よりフ ァンタジイに近いが、鋭く正確に要点を突 いて、居心地の悪い気分にさせてくれる。 二冊目からの "Winston" ( 1969 ) や「ぶど うの木」 "The Vine ” ( 1967 ) 、一冊目から の "Mister da V. " ( 1962 ) や「オートマ チックの虎」 "Automatic Tiger" ( 1964 ) がその好例である。 S F 長篇み r 記 朝襯か ( 1969 ) は近未来の黙示録を提示 し、何者も一一一話を分けあう兵士も女性平 和主義者も、あるいは両者が代表するもの も - ーー米国を崩壊から救うことができな リードは地味な作家であるため、その 功績に見合った影響を S F 界に及ぼしてい 得し、またリー 265 ーは同年のジョン・ W ・ ない。 〔 J C 〕 XV

3. SFマガジン 1985年3月号

Ⅲ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢロ っているかどうかより、それがどこにわれ われを連れていき、なぜわれわれがこれほ ど愛好するのかという疑問にこだわる。そ の解答は厳しいものであり、 S F ファンの 間にかなりの怒りをまき起こした。このほ か、有名な S F 作品を精神分析的に論じた 文芸批評もいくらかあり、こちらは一層厳 むしろ、積極的に残酷ですらあ しい る。実例として、 E ・ E ・、、ドック″スミ スについて C ・ M ・コーンブルースがコメ ントした "The Failure of the Science Fiction Novel as Social Criticism' ( 1959 ) 、ロバート・フ。ランクがハインラ インの『異星の客』れ g 切 4 Strange 五 4 れイ ( 1961 ) を分析した "Omnipotent Cannibals" ( 1971 ) 、同じ作者の『宇宙の 戦士』 & ar 訪ゆ 7 ' r00 ( 1959 ) をトマ ス・ M ・ディッシュが分析した「 S F の気 恥ずかしさ」 "The Embarrassments of Sicence Fiction" ( 1976 ) がある。以上三 本のェッセイがすべて、基本的に難を唱え るのは、幼稚症である。例年、ローカス紙 が読者から募るアンケートの集計結果によ れば、読者が S F ファンダムに取り込まれ る通常の年齢は 13 歳であり、ト述のェッセ イによれば、その年齢で読者は最初に現実 に対応しそこない、心理学的思春期前の実 存的凪の状態に永久にとどまることにな PUBLISHING 出版 たけではない ( ヒーロー ) 。 る。事実から得られる解釈は、これひとっ 〔 BS 〕 VIII ェンス・フィクション″ ( または初期の 以降、最初の S F 雑誌が現われて、、、サイ F はかなり最近の現象なのである。 1926 年 登場してからを扱う。すなわちジャンル S 出版カテゴリーの中で SF が明確になって 史そのものである。しかし、この項では、 S F 出版の歴史は、最も広義には、 S F \ 、サイエンティフィクション〃 ) カ : ジャン ル名として定まった。掲載された書き下し 作品は、雑誌を取り巻く愛好家以外から は、低級で評価に値しないバルプ読み物と 見なされていた。サイエンス・フィクショ ンという名は、下手糞な宇宙冒険譚の同義 語となり、また、あとから振り返ってみれ ば S F 作家と見なし得るものの、こうした 雑誌の外部にいた作家たちは我が道を行 き、 SF の汚名にまみれることなく本を出 していた ( 主流文学の S F 作家 ) 。 1945 年以前には、 S F やファンタジイのパルフ。 雑誌に載った作品の内、ほんのひと握りが 一般の出版リストにはいったにすぎない。 そうした作品には、 J ・ M ・ウォルシュの ↓れイ 4 な the VO ( 1931 ) 、エドモン ド・ハミルトンの The Horror 0 れ the ス s 加記 ( 墾 193 の、 L ・スプレイグ・デ ィ・キャンプの『闇よ落ちるなかれ』お のれぉ s 記 I ( 1941 ) およびフレッチャ ・プラットとの合作 2 篇、あとはウィア ード・テールズ誌から一部あるいは全部を 採ったアンソロジー数冊がある。他方、ア ーゴシー誌のように稿料も良く、それほど 卑しめられてもいない大衆小説パルフ。誌 に、 SF やファンタジイを書いていた作家 たち ( レイ・カミングズ、オーティス・ア ート・クライン、 A ・メリット他 ) ラ - ノレ / 、 は、雑誌連載作品を定期的に単行本化して 0 既成出版社側に興味がないとあれば、 S F 愛好家たちが、みずから好きな作品を単 行本化せざるを得ない。きわめて重要な意 味を持っそうした企画の第一弾は、スタン リー・ G ・ワインポームの追悼出版 The D43 れ窺 ( 1936 ) である。正規 の印刷出版社として最初に企業化を果たし たのはアーカム・ハウス Arkham Houge であり、創立者のオーガスト・ダーレスと ドナルド・ワンドレイは、 H ・ P ・ラヴク 272

4. SFマガジン 1985年3月号

上で教養のある、限られたグルーゾに向け られていた。しかし、 1880 年代には、英国 でもアメリカでも識字率が高まり、驚異的 な率で人口が増え ( アメリカでは 30 年間で 倍増 ) 、工業技術のおかげで全般的には余 暇が増し、物語を伝えるものとしては、ま だ映画という対抗馬がなかったのである。 その結果、雑誌発行部数は世紀末には膨大 なものとなった。成功した場合、 50 万部を 越したのである。 スリック誌や、ちょっと出遅れたパルフ・ 誌も、この好運の波に乗り、パルプ誌の方 は、全部がフィクションという雜誌市場 を、独占した。この他の定期刊行形式とし ては大衆週刊タブロイド誌があり、ヒ。アス ンズ・ウィークリー君 0 が 5 幵 ly 、 ベルメル・ノくジェット T んに Pall ー記 I 記 'g などだった。 3 、比喩的に使う、、パルフ。 / は、パルブ 雑誌に載った作品の質や文体を表現し、そ の敷衍として、どんな形式で出版されたも のでも、似たような作品なら適用される。 本来のパルフ。が減びてから 20 年たった今 も、この使い方はされている。パルフ。のカ 点は、アクション、ロマンス、ヒロイズ ム、成功、異国情緒、たいていの場合、恋 愛の味付けが施された痛快な冒険などに置 かれ、ほぼ例外なく楽しく結ばれていた。 文芸評論では、、、パルフ。″をしばしば、、文体 がお粗末″の同義語とするが、必ずしもそ うではなかった。決して無視できない特質 である、小気味良い語り口は、 パルプには ふだんから見受けられるものであり、同様 に技巧も創意も、明瞭な描写も、時折の鋭 い洞察もあったことは、たとえば初期パル フ。作家ジャック・ロンドンの作品を見ても パルフ。市場の飽くこ わかる。ただ確かに とを知らない貪欲さのために、多くの作家 が事実上、言葉のワンマン生産工場と化 し、過度の早書きで皮肉めいた定型にはま XII りこんでいた。パルフ。誌はたいていスリッ ク誌ほどフィクションの稿料が高くなく、 従ってパルフ。作家は、当時も今も、経済的 圧力のため、大量生産せざるを得ない。 1915 年 ( ティテクティヴ・ストーリー マンスリー Detective & 0 ん厩ん誌 創刊 ) のあと、大衆小説パルフ。はジャンル 専門のパルフ。に押され始める ( ここでも、 フランク・マンジーが開拓者であり、 1906 年にレイルロード・マンズ・マガジン 4 〃加 ad れな ga え切 1907 年にオ ーシャン 0 4 〃を創刊した ) 。 1919 年に はウェスタン・ストーリーⅡ 5 & 0 誌、 1921 年にはラヴ・ストーリーズん 0 e & 0 お誌、 1923 年にはウィアード・テー ルズ誌が続く。驚くことに、 1926 年のアメ ージング・ストーリーズまで、 S F は独自 のパルプを持っていない。大衆小説パルフ ' では、科学ロマンスは、失われた世界物語 やファンタジイと並んで主要作品だったの であり、 こうした分野からは以下のよう な、有名で愛読された作家たちが生まれて いるのである一一一工ドガー ・ライス・ / く口 ーズ、レイ・カミングズ、ジョージ・アラ ン・イングランド、ラルフ・ ミ / レン・ファ ウィリアム・ホーブ・ホジスン、 A ・メリット、サックス・ローマー、ギャ レット・ P ・サーヴィス。さらに H ・ G ・ ウェルズ ( の場合はスリック誌に掲載され ることが多かったが ) や H ・ライダー・ハ ガードの名を広めるのにも一役買った。こ うした作家の大半は、 60 年以上過ぎてな お、人気を保っている。 専門パルフ。が出現しても、最初のうち、 筋金入りのパルフ。作家はほとんど気にかけ なかった。驚嘆するほど平然と、海賊小説 から密林小説、探偵小説から SF 、スポー ッ小説からウェスタン、恋愛小説から恐怖 小説へと、筆を向けていたからだが、ただ し、文学的な結果は不幸なものであること 268

5. SFマガジン 1985年3月号

ー特別企画・連載⑦ー J C : ジョン THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION Copyright ◎ RoxbY Press Limited 1979 黒丸尚訳 浅倉久志・伊藤典夫監修 ピーター・ニコルズ編 SF 工ンサイクロべディア 几 1 . 邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 (" " ) でかこんで あるものは短篇。ただし、単行本としては 未刊の長篇や、単行本に他の作品とともに 収められている長篇は、短篇とおなじ扱 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は『』で、 短篇ならびにそれに準ずる作品は「」で かこんだ。 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作者名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のゴチック書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品や、ビデオ等のソフトが 発売された作品には邦題を『』でかこん で添え、原題をイタリック体で示した。未 公開作品は原題のみを示した。ポールド書 279 ・エドワーズ MJ E : マルカム・ J B S : プライアン・スティフ・ルフォード 筆者 8 . コミックは《》でかこんだ。 体の年号は、本国での製作年。 例 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ誌 F&S F : ファンタジイ・アンド・サイ 工ンス・フィクションと TWS : スリリング・ワンダー・ストー NW : ルい ワーノレズま 巨いアンソロジー 圜 : 版による題名の異同 : 加筆 國 : 改訂版 墾 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニぶス版 阯 : 複数の短篇を加筆改訂し、長のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 : 抄訳 国 : 原作はおとな向きだが、わが国への 紹介にあたってジュヴナイルに翻案さ れたもの。いわゆる、 \ 再話〃。はじめ からジュヴナイルとして書かれた作品 は国指定されていない。 : 参照 * : 訳註 PN : ビーター ・クルート ーコノレ . ズ

6. SFマガジン 1985年3月号

期作品の大半は、ロポ心理学者スーザン・ キャルヴィンを主人公とする探偵小説″で あり、ロポット学倫理の基礎をなす三原則 に支配されたロポット行動の、現実的論理 的問題を解決する。戦前のパルゾ SF 作品 は一般的に、人間や異星人の心理よりはロ ポットの心理を追求する時に、分析的で思 慮深かった。大戦後、この事情は変化した。 人間の精神内部へ最初に現実的な旅を敢 行したひとりが、ピーター・フィリッフ。ス の「夢は神聖」 "Dreams are Sacred ” ( 1948 ) の主人公であり、彼は痴呆状態の 夢想家を、その夢幻世界を瓦壊させること によって、現実世界に連れ戻さなくてはな らない。これに続く旅を以下に挙げる。グ レッグ・コンラッド ( ログ・フィリッフ。ス ) の "The MentaI Assassins ” ( 195 の、ジョン ・フ・ラナーの "City of the Tiger"(1958) 、 ダニエル・ F ・ギャルイの "Descent to the Maelstrom ” ( 1961 ) 、ロバート ・ F ・ヤングの "The GirI ⅲ his Mind ” ( 1963 ) などである。フ・ラナー作品は、の ちにテレバシー心理学の考え方を敷衍させ た長篇『テレバシスト』 The Ⅳん 0 ん Ma 〃 ( 繦 1964 ; 鬨 T ん ) に織りこまれ た。同じテーマで称賛された別の作品に、 ロジャー・ゼラズニイの『ドリームマスタ ー』 T んのな襯ユ立 ( 1966 ) がある。 『テレバシスト』は、フ・ラナーの作品の 中でも、心理面に重きを置く一群に属す る。他の作品としては、施設収容を描く "Silence ” ( 1959 ; 異 "Elected Silence") 、 現実変容薬の物語 The G S ん。てお ( 1960 ; 1971 ) 、精神病治療の事例研究 Qu なの記 ( 1967 ) 、催眠術による、、憑依〃 を描く The 石 0 〃 T ん M にれ DO ( 1969 ) 、 ーうところの そしてアルヴィン・トフラー言 、、未来の衝撃〃の心理学的影響を扱う『衝 撃波を乗り切れ』 The 。れ℃げ ( 1975 ) がある。 275 戦後 S F で一貫して心理学に関心を示す 作家のうち、フ・ラナーは一例にすぎない。 アルフレッド・ベスターの場合、この傾向 で注目すべき作品は、擬似フロイト的小品 "The DeviI's lnvention ” ( 1950 ; 圜 "Oddy and ld") 、強迫観念テーマの「時 は裏切者」 "Time is the Traitor" ( 1953 ) 、精神の破壊と再構築を経験する 精神病の殺人者を描く古典的 S F 『破壊さ れた男』 The De 襯 ol なん記 Man ( 1953 ) 、 殺人アンドロイドを描く快作「ごきげん目 盛」 "Fondly Fahrenheit ” ( 1954 ) があ る。シオドア・スタージョンの S F は心理 学の要素がきわめて大きく、たいてい、平 凡な孤独感や疎外感に類似した異様な心理 を構築して、しばしばこれを、愛の超越的 な、、治癒カ / / で解消する。数ある中から数 例を挙げると、偏見をいたましく描いた 「失われた世界」 "The World Well Lost ” ( 1953 ) 、誇大妄想狂の物語「英雄コ ステロ氏」 "Mr. Coste110, Hero" ( 1953 ) 、 ならびに文字通り精神の復元を描く古典的 長篇として『人間以上』 M の℃訪 2 〃 〃 4 襯 ( 1953 ) と『コスミック・レイ フ。』 The C05 襯な 0 第 e ( 1958 ) がある。 レイ・フ・ラッドベリも児童心理の気まぐれ ぶりを扱って、たくさんの佳品を書いてい る。とりわけ、皮肉めいた「ゼロ・アワ ー」 "Zero Hour" ( 1947 ) や「草原」 "The World the Children Made ” ( 1950 ; 異 "The VeIdt ” ) 、およびノスタ ルジックな「集会」 "Homecoming"(1947) や『たんほ。ほ。のお酒』 Da ”〃 0 ー / ( 統 1957 ) がある。子供ごころの本質的な 身勝手さを描く古典的作品として、もうひ とつ、ジェローム・ビクスビーの「きよう も上天気」 "lt's a Good Life ” ( 1953 ) が ある。 一貫して作品の中核に心理テーマを据え てきた作家にフィリッフ。・ K ・ティックが

7. SFマガジン 1985年3月号

どうやら一九八四年も無にとはいえぬまを皮肉に利用しているだけである」という一政治事情への崇高な闘いであるとしても、そ れゆえにな・せ英国人オーウエルにこんな仕打 でも過ぎてゆき、私たちは一九八五年という節をひいている。しかし、それならば私は問 をするのか、いや、そうであればなおのこと いたい。作者はな・せ、自分自身のイマジネー 年を迎えることができた。 私はオーウ = ルの「一九八四年」をごく重ションと創造によって、自分の世界をつくろだ。小説を政治の道具につかってはならな 。どうしてもそうしたいならせめて自分の 要な作品と考える者である。世界がいよいようとはしなかったのか。なぜ「一九八四年」 オリジナルの小説でそうすべきた。 房あの世界との相似をつよめているいま、そのの状況と登場人物を「しかも「皮肉に利用」 書 「一九八四年」は政治的にすぐれて影響力の 「一九八四年」後、として書かれたというこしなくてはならぬ必然性が、どこに、あった あった作品で、そのために反共宣伝に利用さ の「一九八五年」を大変期待をもって読んだのか。 拓 が、はしめからすでに、「違う、これは違私の感じた何ともいいようのない不快と憤れたりもした。しかしオーウ = ルの本意がど うあれ「一九八四年」がその年をこえてなお う、これはいけない、してはいけないことな激、それはこのダロスがまったく小説という のだ」とついにさいごまで思い続けねばならものを理解しも、愛しもしておらぬことへの私たちの胸をうち、読むにたえるのは、それ よ、つこ 0 が政治の道具であることなく、それが小説と 学ー、カュ / して、文学としての生命を輝かせているから いやしくもオーウエルの作品を ソビエトで反米の、右側で反共 でしかない。 何かの共鳴なり共感をもって読ん の書としてこの本をよもうともウインストン だ読者は、決してこの本を読むべ ・スミスの人間としての苦悩、個人をおしつ これは違う、違うの きではない。 ぶす巨大なものへのオーウエルの怒りは、ま ・た 0 ここにⅢⅢて ~ 、るウインスト c 子 ぎれもない唯一の真実として読むものの心に ン、ジューリア、オプライエン、 のこる。だから、だから、私は小説を信じト 誰一人として「あの」彼らではな c 村 Q) 野 、ー説を愛し書くのだ。私が何よりなさけないの い。似ても似つかぬグロテスクな は、何よりも、作者が頭から、小説を書く気 ゆがめられた戯画ーーそれでしか などなく、それをよしとさえしているらしい よい。大体これは小説とすらいうべきでな アこと、そしてこの作者の、「一九八四年」と ものである。彼はウインストンやジ、ーリ ジ レ いうひとつの創作世界への見かたのあまりの 作者ダロスはハンガリー人で、訳者はこのをまるきり理解もせぬまま他のキャラクター 工 底の浅さと他人の創作への敬意を欠いている につくりかえただけではない。サイム、 作品に彼が「一九八五年」という題をつけ、 ジ ことである。文字とその世界への愛なくして ソンズ、といったごく小さなキャラクターに オーウエルの設定と登場人物を使ったことに いちいち妙な重大な役割をもたせることによ作家、詩人と名のる僭越を私は断じて許さな は、さほどの意味はないだろうし、オーウェ 、。ハンガリーの一抵抗詩人に日本の一作家 ルの遺産相続人と出版社間の同意書により、 り、「一九八四年」という小説そのものをぶ 「ダロスはオーウ = ルの文体またはオーウェちこわし、ゆがめてしまった。違う、違うのの怒りが何ほどのものではあろうが、私は私 ルの著書の内容を模倣してはいない。ダロス だ。誰であれ他人の創作物にこんな仕打ちをの作家としての小説へのすべての愛によって は虚構の歴史的文書を呈示することによっする権利はない。私は小説家として全身で抗この作品を認めないと断言する。気の毒なオ ーウエルの魂よやすかれ。 て、『一九八四年』の状況と登場人物の一部議の声をあげる。これがハンガリーの複雑な ・ <NDO< Z<Y<N ー >< ・わーいフライテーのばか。週刊読売のばガ。 x x のばか。あ、すっとした。年の瀬で毎日飲んでます。せつガく節酒宣言したのになー 中島梓 \\cu\tuve

8. SFマガジン 1985年3月号

トウります。女性作家がよりファンタジイ 作品がつぎつぎとベストセラ ! を記録に寛容なジャンルであゑとする ( しました。その一方で、新人作家のカ作は エルのような意見もあれば、最近は新人、を志向するのはそのせいでしようか ? 毎年ヒュ ーゴー候補作に選ばれています。若手の活躍の場が失われてゆくとするマー 読者調査をもとに、アメリカではが これをさして、は伝統的に新人、若手ティンらの意見もあります。参考につぎのどのように、どんな読者に読まれているか ようなギャラツ。フの調査もあげておきましをお話してきましたが、これはあくまで数 ( 表幻 ) 。これは、″知らない作家の量的デ】タにすぎず、の質とはなんら 調 作品はめったに買わないという読者の割関係ありません。しかし、一般的に見た場 ス カ合を示したものです。意外にも、ここでも合、の底辺をささえる″サイレント・ ロはウ = スタンと同傾向を示し、作者のマジョリティ″としての読者が、。フー ムといわれるほど多いわけでも、他のジャ 名前で買われているという結果がでていま す。また、読者の学歴が高いものほど女性ンルの読者となにからなにまでちがう傾向 読者の比率も高くなるという一般的傾向にを示しているわけでもないことがおわかり いただけたかと思います。 反し、は読者の学歴は高いものの男性 という特異なジャンルが、裕福な家 4 3 幻りべ優位のマーケットとなっていることもわか あ調 庭の男性を中心に読まれるという特徴を残 中 答ス 一 8 -8 1 8 00 ー 0- 1 00 ・ 回カ の ジ 2 しつつ、それでもベストセラーを多数うむ 複一 調 ン析 ようになった背景には、 かなり一般的な読 重ロ ャ分 ワ】 0 朝ワ」ヴー 00 -0 ・ー ッ ・」・イ、 6 っ 0 の 0 ジの男 6 6 3 学 者をマニア以外にとりこんでいることがあ 各者 こキ冖し ャります。これが前回にふれた出版社や作 イロラ 会一険 フ た・卒下 とホ 社ハ冒 力。高以 5 3 3 6 3 4 5 3 4 4 キ家、評論家の姿勢と無縁ではないことが容 易に理解できます。ひるがえって、日本でも 去を ・ 4 ”しつイ強一い 1 ム 0 10 し 0 0 一戸イー 今年のベストセラー ( 単行本・フィクショ 幻過本 0 【イ -4 の 0 っ 2 っ ~ っ】っ】 71 で 調表ー 知本と人 ン ) 上位二十位の中に、夢枕獏のふたつの オ 答ス り 11 1 よ 1 よ 1 よ 1 議 11 1 よ ン ので、フた 回カ シリーズやクラークの『 2 010 年宇宙の 家度買え クズ ヤの 複一 0 ン、も 作名を答間 ツ一画 重ロ 小説般ン然旅』が登場する ( 日販調べ ) という、同じよ レオイタ ン 険小一べ自 うなの浸透が見られます。日本の 境あ トウンジ一スム のの ジクュク一 ルシタ説スア 状況を展望する上で、アメリカがいま 5 下味画テ一 一ンンピッゲ ンクス ンモョ / 、、リレ スタタアアンミ 以興 おかれている状況は大きな鍵になると思 ャイエ史マ一ル争テか 映ミススフフココ tn ジフウ歴ロュア戦フミオ 、やや煩雑なデータをご紹介しました。 SF の中では 表 18 S F とファンタジイと どちらが好きか 0 0 58 52 48 ファンタジイ 両方 52

9. SFマガジン 1985年3月号

おり、大半の作品は、さまざまな偽りの世 界観ーーいや、むしろ、突き詰めて分析し た時、、、真実の″世界観などないという可 能性一一を扱う。『宇宙の眼』 Eye 切坊 Sky ( 1957 ) は、神経病患者たちの歪んだ 世界観が生んだ一連の I F の世界を舞台と する。『パーマー・エルドリッチの三つの 聖痕』 The T んだ & な川 4 襯催 E / み瀝ん ( 1964 ) に始まって、長篇で連続 して現実変容薬を扱ったが、これはやがて 終始悲痛さを伴う『暗闇のスキャナー』 A & れの 4 な ( 1977 ) で頂点を迎え た。幻覚と直面した時の現実の崩壊を描く 他の作品としては、チェスター・アンダー スンの T んお″〃のア 3' Kid ( 1967 ) やア ンジェラ・カーターの The 1 れ工に記 のお / 尾」 c ん切のだ . 丑 0 〃 ( 1972 ; The 4 だの尾 4 襯 s 米 ) がある。デ ィックの大半の長篇が描く、世間に対する 姿勢は、俗つぼい意味よりも臨床的な意味 で精神分裂症的であり、『火星のタイム・ス リップ』 M 。れ / 4 れ T わ - ( 1964 ) や 幵々 C のこ召朧 Yo ″ ( 1972 ) では、これが 明白になっている。ディックを精神分裂症 の専門とすると、 パリイ・ N ・マルツノく一 グはバラノイア専門家として、 SF の諸ァ イディアを使い、潜在的なパラノイア状況 を作り出す。 0 rl ( 1972 ) 、『アポロ の彼方』 Bey , 0 d み加〃 0 ( 1972 ) 、 7 ' ん の 2 ッ the 召 4 切 g ( 1974 ) 、 T ん G の雇 5 〃れ ( 1975 ) にそれが見られる。状 況や風景や世界像に一貫して心理症候群を 持ちこむ第三の作家は J ・ G ・パラードで あり、これまたほとんど全作品に及ぶ。 ーラン・エリスンも、心理的要素を多くの 短篇で具体化した。たとえば "The Silver Corridor ” ( 1956 ) 、 "Lonelyache ” ( 1964 ) 、 "Delusion for a Dragon-Slayer ” ( 1966 ) 、「ガラスの小鬼が砕けるように」 "Shattered Like a Glass Gobl ⅲ” VI ( 1968 ) である。この種の具体化で、いち ばん直接的な作例は、精神的な要因に対し て有機的な照応物を創ってしまうという、 フィリップ・ホセ・ファーマーの「母」 "Mother ” ( 1953 ) や "Rastignac the DeviI ” ( 1954 ) である。前者はエデイプス ・コンフ。レックス幻想の、悲しいまでに文 字通りの具現化であり、後者では異星の生 命体が、、超自我″として機能する。 大戦後の S F に目立つ独特の心理学テー マ群は、本質は単純であっても仕上がりが 複雑である。そのひとつは、何らかの肉体 的変化を経た人間を描く、さまざまな作品 で探究されたアイデンティティの問題であ る。たとえば、マルセル・エーメの『第二 の顔』ん 4 みん image ( 1941 ) 、アルジス ・パドリスの『アメリカ鉄仮面』Ⅳん 0 ? ( 1958 ) 、ディヴィッド・イーリイの『蒸 発』 & c 。れ ( 1963 ) 、安部公房の『他人の 顔』 ( 1964 ) である。このテーマの変種と して、興味深い恐怖小説群があり、そこで は死んだ犯罪者の肉体の一部が罪のない人 人に移植される。顕著な実例はボワローと ナルスジャックの『私のすべては一人の 男』 Et 0 れ加よれん 0 襯襯 6 ( 1965 ) であるが、この背後にある発想の原形は、 怪物の人格が嶬犯罪者の頭脳〃のせいに される映画『フランケンシュタイン』 乃・劭立 e 切 ( 1931 ) や、それより早く、 殺人犯の手がヒ。アニストに移植されるとい う、モーリス・ルナールの長篇を下敷きに した映画『芸術と手術』 0 4 丑 ( 1924 ) に表われている。他の変種とし て、クリス・ストラトンの C ん 4 ” g 可、 」イ切イ ( 1969 ) 、映画Ⅳ襯 0 Ma 〃 ( 1970 ) のような肌色変化ファンタジイ や、ハンク・スタインの S ビの 0 れ the Ⅳ″ c ん ( 1968 ) 、アンジェラ・カーターの 「世の終わりのイヴ」 7 ' んの 5 / 0 れ研 ム Eve ( 1977 ) のような性転換ファン 2 74

10. SFマガジン 1985年3月号

その他の既訳作品 『ドロシアの虎』 Tiger ag ( 1973 ) ノン S F0 再生 REINCARNATION 再生を扱った幻想文学は数多い。およそ 1885 年から 1925 年の間には大流行し、その 影響が現在もなお残っている。真正オカル トものを別とすれば、大半は、、超越的ロマ ンス″に属する - ーーロマンティックな愛が 擬似的な超自然力と化して時や死を超越 、恋人たちを再び結びつける、という話 である。 H ・ライダー ハガードの『洞窟 の女王』 5 ( 1887 ) のヒーローは、原 型的な女性のかっての恋人の生まれかわり であり、このパターンは広く模倣された。 多くの再生のロマンスは、古代エジプトの 死者の保存法からも示唆を得ており、 ドの "Smith and the Pharaohs ” ( 1912 ; 5 〃ん 4 d ~ ん 4 0 騰 0 れ d 0 訪 Ta の表題作として 1920 ) など がある。より S F に近いものとして、、種族 的記憶″という考え方があり、これは、登 場人物に前生を、、想い出″させるための空 想的手法として、しばしば使われる。この アイディアで、ハガードは『古代のアラ ン』 T んス c 厩〃な ( 1920 ) やみ〃 4 れ 4 れ d 7 Go ホ ( 1927 ) を書き、ジャ ック・ロンドンは『アダム以前』前召イ。 ( 1906 ) や『星を駆ける者』 The Star 火 0 膨 r ( 1915 ; 圜 T んに ac ん英 ) を書いた。この手法が最も印象的に使われ ているのは、ジョン・グローグの 99 % ( 1944 ) である。長年月にまたがる歴史ロ マンスのいくっかは、、、連続再生〃を利用 したが、その例にエドウイン・レスター アーノルドの Phra the ん 0 なれ ( 1890 ) ゃ C 0 〃 ( 1901 ) 、ジョージ・グリフィスの記イ 4 だ t ん 6 0 / - 召 or れ ( 1895 ) がある。 アーキス XVI カミーユ・フラマリオンは、宇宙生命と しての異星人という考え方を最初に創り出 した作家だが、そうした理由のひとつに 魂の不減と他世界での再生という理論を裏 付けるため、ということがある。このアイ ディアは最初にん″襯に ( 1887 仏 ) で提示 され、 U れ ( 1889 ) でも使われた。ルイ ス・ポープ・グラタキャプはこれを模倣し て教訓ロマンス The C 催地切な 4 剏尾工 0 れ Ma ( 1903 ) を書いた。 しかし、初期の S F 作家は、このアイディ アや他の擬似科学的再生譚を純ファンタジ イとして避けた。 ・キングズミルは The 癶 e ヒュ Ⅱ〃襯 S, んゑ ( 1929 ) でシェ イクスヒ・アを再生させ、この大詩人の口か ら作品に批判的言辞を吐かせた上、諷刺コ メディでくくった。 S F に再生が忍びこむ と、過去の偉人の復活がお気に入りのテー マとなる。マンリ ・ウェイド・ウェルマ ンの G 〃お工 ho 襯 E / り ( 1939 ) から R ・ A ・ラフアティの ~ の 0 立催 ( 1968 ) 、フィリップ・ K ・ディックのⅣ C れお Y04 ( 1972 ) が、そのうちの 代表的なものである。しかし、文字通りの 再生という概念を避けるため、時問旅行や アンドロイドによるシミュレーションとい った業界用語が使われがちである。そうし た作品の中で最もデリケートなジェイムズ ・フ・リッシュの「芸術作品」 "A Work of Art ” ( 19 浦 ; 圜 "Art-Work") では、再 生したリヒャルト・シュトラウスの体験を 描く ( 芸術 ) 。 パルプ超科学譚の無茶苦茶ぶりは、時 に、死のような不都合を楽しくも無視する に及ぶが、そうした作品では、再生の実際 の過程や体験は、ほとんど中心に置かれる ことがない。 A ・ E ・ヴァン・ヴォートの 『非 A の世界』 The Ⅳ。だ ( 1945 ; 1948 ; 團 T んⅣ 0 イ Nu ルス ) のヒ 264