小説 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1985年4月号
36件見つかりました。

1. SFマガジン 1985年4月号

SF REVEEW ラヴ・ペア・シリーズ①『魔女でもステデイ』 岬兄悟著 / 284 頁 / 0 円 / 文庫 / 早川書房 く、本人の人柄そのものの魅力なのだろう。呼んだ。ちっとも日常ではないにせよ、これ 岬兄悟を読むのは風にプギ」以来である。 ) 設定は版「ケる星やつら」といったとは平井和正や、大変身夢枕獏や、或いはとん 後輩の大学生青年が、「これいい、絶対いい、 七、タミステリクラブ ころで、とりツきの絵がとてもかわいくてで林真理子やなにかと同じ一面をもっている 最高、 , このごろサチ ( 要するに >—O) では岬兄悟がびかいちの注阯株」だと力説すよくマッヂしている。あの、コイン・ランドと思う。岬兄悟については、それでまったく るから、読むことにしたをなるほどいい、、少 リーにいっそ裸の女の子をひろう話は何だつよいのであって、どうこう云うのではない 少失礼な云いかたになるが、】ずいふん小説がけな、似た話があら = たなゞと思 ~ っそ ) 上く考ー , = 、。 = が ) 少し、 = 不安な気がしないで駕ない。い うまくなったなあ、と感じた。正直いって、 えたら「風にプギ」だった。突然出現する正の読者は、そういう「願望充足小説」に自己 まだ固いなあと思うとこ、ろもかなりある。体不明の美少女、というのは、物呪悟の根源同一化して、それをせこい日常をファンタジ ーに変える魔法とするのだろうか。それはそ 「小説道場」で直したいようなささいなとこ的なファンタジーなのであろうと思う。本人 ろ ( たとえば「この会社に就職してから、すがあとかき下ぼく好みのせこい日常フア、 でに半年近くたつが、早ぐもうんざりしていッジョ」とい、つはいるのは名言で 0 何が何な た」というようなここは , 「まだ、、、をのかさ「ば屮解決をつけずにおわ「ている前 半年にしかなら いが早も」の = 一篇はとなもよく、「向うの世界」が出て か、「すでに半年近くに亠な「 ' ぐる・→ート一 = イ一 = ル」にな不 て、すっかりうんざり」のどっちると、少し彼のよさ減殺される。↓かし かでしよ。「すでに」と「早く杉山がいろ詼動物を想像するシ…ンはす ) 」 も」、、を組みあわちゃおかしい 、、よ ) がときどき、として文章に私自身はそ「せこ日常ファタッ」 見られるし、決まり文句の出しかというやつが番苦手で、 , せこく ~ ない非日常 たやなんかが、また決まるところ′ファンタジⅱでないとダメなのだが 0 岬兄怦 までい 0 てなくて読んでいて少々′の感性や、をのよ 0 てきたるところは「、ぐ 、、、、、】な ? とも田 5 う。 ) 。んによぐ合 気恥かしいときもあるし、人物のデフォルメ伝わるし ももう少しやわらかくなるといのにな、と 0 ていて、ムリをレていオいところがいちば ( れでいいが、時には、日常そのもを根源から 。今後、す ) 」い変身をみせてくれるもゆさぶられる読書経験をもあわ持 0 てほし 思う。しかし、そこが気になって読めない、 ということはなくな 0 てきたし、岬兄悟の場よし、いつまでもそのぼく好み」一をし、みじ 。新井素子や岬兄悟個人は私は好きだが、 合、その固さがひとつの持ち米い = 魅力どもなーーみとつらぬくもよしゞいずれに、せよ「 = = 彼のよーーかれらの小説しか読まない若者は私にはペム の如き存在に思える。「願望充足小説」が小 っている。他の若手作家と比べてみてとてもさを大切にしてほしいと思う。 好ましいのは、他の若手が、うまくなるのとそれにしても、考えてみると新井素子は自説の本道になって貰っては、やはり辛いので ひきかえにナイ , ーヴさをどんどん失い、いわ分のキャラや空想が実体化する話ばかり基本ある。小説は元々願望充足的側面をもってい モチーフにしているし、岬兄悟のは「美少女るにせよ、その根源の幻想はやはり世界解釈 ば悪ズレしてくるきらいがあるのに対して、 岬兄悟はナイーヴさをのこしたまま、すんな突然出現」ともいうべきで、いみじくもの野望であってほしいのだ。裏表紙の写真は りとのびてきたことである。これはおそらこれをの編集長は「願望充足小説」とすごくかわいかった。また遊びに来てね。 ・ <ND()< Z<Y<N—>< ・臻堂進君、私の文がああいうものだってことは私のあとガきを読めば誰だって知ってる。文法ミスと同一線上で論じないでほしいね。

2. SFマガジン 1985年4月号

しか私たちには言えませんね。でも、そう もちろん″再生″をテーマとするものは当に重要なものとなってきたように思いま いう時代から考えると、今はなんと恵まれみな、というわけではありません。僕す。えらいこ「ちゃ。 ているのでしよう。みなさん、もっともつ自身まだをよく知りませんからね。 ( ペンネーム・川崎のりお ) 0 と本を読みましよう、ね。 ( 田 ) の定義をやろうとは思わん。ただ、こう いう見方もできる、ということです。 オールディスの定義を拡大解釈した大田 もう一つ。「ユ ート。ヒア探し・ : : ・」で角 虫垣氏の小文が契機となったらしく、ワイド どうも、はじめて手紙を出します。とい ハロックに関するおたより れられた、「全体小説」。その概念はよくスクリーン ってもたいした話じゃないんですが。 わかりませんが、文字通り「世界全体、人が、この他にも何通かありました。 しかし、オールディスの定義をもとに論 父親が買ってきた一冊の雑誌。あの岩波間全体を書こう」というものなら、それは が出した季刊「へるめす」の創刊記念別巻によって可能なんじゃないですか。大じたものは何一つなく、全て、感じで述べ しささかがっかりさせ です。すごかったですな。その誌上シンポ江氏が言うように、それが『吉里吉里人』られていたのには、、 ジウム「ユート。ヒア探し物語探し」。大によってなしとげられたのなら、なおさらられました。 江健三郎、井上ひさし、筒井康隆の三氏にの側のものといえるでしよう。そうい / ロックと 何冊かのワイドスクリーン・ よる討論の記録です。 えば二月号の本欄で大田垣氏が「八〇年代呼ばれるを読めばわかると思います その中でのに対する強い意識ー の TÅはワイドスクリーン ノロックだ」がワイドスクリーン ・ ' ハロックとはスペ ゃー、久しぶりに感動しましたよ・たとえと発言され、国産での代表として『宇 1 ス・オペラを継承するものであり、雄大 ・ば大江氏の、次のような発一一口。 宙船オロモルフ号の冒険』をあげられましな舞台に奇想天外なアイデアを濃密度につ 「 ( 戦後の文学は ) 片方は死を主題として た。僕は『吉里吉里人』もワイドスクリー めこんだ、深遠さと軽薄さをあわせ持つ、 ・推理小説的な方法をもつ。もう片方は再生ン ・・ハロックだと思うのですが。ひょっと ;.æならではの小説なのです。 がテーマで、的な方法があると : : : 」すると「全体小説」とワイドスクリーン・ 今までなかったわけではなく、ヴァン・ ・″再生″をえがく方法としての。こう ハロックは非常に似たものなのかもしれなヴォ 1 トやベスターの作品にそういう型の ワイドスクリーン いう方向からを見ると、かなり今まで ハロックのいわゆは存在していて、オールディスが『十 の考え方も変わるのではないか。「逃避文る「凄さ」とは、小説全体の気違いじみて億年の宴』の中で、それらをワイドスクリ 学」というへの悪口がありますが、こ複雑で混乱した構造に由来するものだと思 ハロックと命名したことから、この ・の「逃避」というのは再生への方法の一つ います。もし「世界全体」を書くとすれ言葉が定着してきたのです。 0 ではないか。そんなことも考えたわけです。ば、同じように複雑で混乱した構造をつく『十億年の宴』とまでいかなくとも、『キ 事実、「つまり悪夢から醒めたいのでりあげなければいけないんじゃないたろう ャッチワールド』と『カエアンの聖衣』の す、物語の力を借りて」 ( 大江氏 ) などのか : : かなり強引に結びつけてしまった。解説ぐらいは読んでおいて損にはならない 発一言もありましたし。 しかし世の中にとって、 ;-q 的思考が本と思います。 ( 阿 )

3. SFマガジン 1985年4月号

ャーのあった部屋はとても狭くて、百人以を女がうまく組織したというだけじゃな 事というのが、実はこのティエッラとの一 大会というものに、何か新らしいもの 問一答。あまりまとまりはないが、今回の上の参加者があそこに押し込められたのく。 を持ち込むことができたと思うし、女の役 は、酷だったわ。レクチャーをしたのは、 海外事情、このティエッラ・インタビ ミリアム・ポロニアート、ニコレッタ・ヴ割についても、小説の中の登場人物として ューでしめくくることにする。 アッロラーニ マリアンジェラ・チェッ だけじゃなく、女流作家の役割というもの リーノ、ダニエラ・ビエガイ、そしてアンを考えることができたわ。 今回の会議の目的は何でしようか。 そして、に情熱をもってる女の人が 「第一の目的は、女性が活動に参加するきナ・リノナポリの五人。テーマはいろいろ つかけを作りたかった、ということね。今で、水準はどれも、とても高かったといえとってもたくさんいる、ということがはっ きりしたこと。みんな、登場人物の女が、 の界の環境では、女は自 本当の女からはひどくへだたった描き方を 分の占めるべき場所をまた見 されているような類の小説には、とりわけ つけられていないって感じで しよう。たしかに女流作家は 厳しい批判をしてたわ」 工 こういった大会は続いてまた開かれる 何人かいるけれど、コンべン ションや会議に参加する女性 テ可能性がありますか。 「もちろん。来年 ( 八五年 ) にもまた開く ファンの数は知れてるわ。だ ア ことになると思うわ。ただ心配は広い会場 から、一度女だけで集まっ ッ を見つけられるかどうかということ。で て、じゃまされずに話し合っ てみたい、 と思ったのよ。今 も、とにかく協力してくれる人を募るため に、もっともっと大きく宣伝していかなく まで女は、もつばら家庭のこ ちゃね。 とで拘東されて、自分の好き なことをするのはがまんして それとかかわってくるんたけど、五月ご きたし」 るでしようね。女のゴシック小説から、ユろに、女だけで編集、発行するファンジン 今回のコンべンションはどういう風に ート。ヒア、異星人の女、そして小説のを出すことになってるの。これはとてもい 中の女の役割に至るまで。さいごには、テい。フロモーションになると思うわ。誌名は 組織したのですか。 「なにしろ、全く初めての経験でしよ、だ ーブルを囲んで、参加者の討論会を開いた「アーラ」で、もう女流の作家や評論家や イラストレーターに原稿をおくってくれる からすべて控え目にしよう。と思って。もけれど。これは盛況だったわ」 大会の成果はどうでした ? ちろん全力をつくしたけれど。″都市″の ように頼んであるの。このファンジンを媒 5 0 メン。ハーも協力してくれた。ただ一つ困っ 「とにかくはじめて、人の関心が女性に向 介にして、イタリア以外の国の女性ファン 2 0 たのは、スペースがなかったこと。レクチけられた、ということね。これたけの催しとも連絡をとりたいと思うわ」

4. SFマガジン 1985年4月号

時間ガほしい、時間がほしい、時間がほしいーーと言いつつ仕事をしていたら、 風邪をひきそうになった。やつばり、早く寝よう。 入るようにそっと入ってきます。 ています。どのアル・ ( ムも良いので、できれば个 そして、その奇妙な詩と、アンニュイなムード 部そろえるのが望ましいのですが、一枚すいせん が、黒いビロウドのように私達の心をつつみ込ん盤をあげるとしたら『ラジオのように』というア でしまうのです。 ウェイヴのアーティスト達に 彼女のアル・ハムは、現在でもコロムビアから出 も、ずい分影響を与えている名盤です。 コンピュータの時代なのです 「華氏四五一度」「宇宙のランデヴー」 GAME まず、前回の訂正から。『ウイザー ーⅣ』サー・デントにあなたがなるというもの。出だし も『ウルティマⅣ』も発売時期がズレ込んでしまは小説とまったく同じで、立ち退きをせまられた 「た。『』は早くても一一一月、『』は六月になデント ( 筆者 ) はプルドーザーの前に身を投げだ - 「い ~ るというから、日本へ入ってくるのはそれ以降にし大 なるようだ。禁断症状を起こしている人 ( 筆者いおちや自閉症気味のロポット、マーヴィンも 出てくる、何とオマケには″ドント・ 水鏡子氏ほか多数 ) 、もうしばらくの「・を ・ハッジ〉でついている。インフォコム社はこ おまけに、今月はこの欄で陬り上げおうと手で、 の手の作品信頼を得ているので、おそらくべス すねひいていたゲー、・イツヴを、 , 憐物のの 3 ~ ート一セラ ー•h ソトになることはまちがいないだろ 田さんが紹介するという。・ - , こ 2 、 4 、 ( 一 したサイモン & シュスター社からのコンビュータ しかし、それくらいのこではちはな小の、孝ういやは冗談のキッい作品ですよ。 だ。ゲーム界には、まだま一大きな・ラー、ズ」「な ( しかし、本格ファンにとっては、それより小説群が予定されており ( 発表はここが一番早か がある。 ズの方が気 セイ・ハーへーゲン自らの作成 った ) 、フレッド・ 、・すこい】 ) っ " もトのリウム社出しはじめたシリー こちらは、アーサー・ O した〈・ハーサーカー〉の新作や、ハインラインの と 0 ンビータ・アドベッ物の結合は ( 〕一かかるかもしれ 『栄光の道』 ( ロール・。フレイ ) などが近々登場 ー去年頃からアチラの界で題になづてふた . 嚇第。グラク「字宙ランデヴー』、レイ・プラ , 0 一ビ、ータ小説、それも有名作家の「枚かの ( ( 下 ) 〈『華氏四五一、』など一挙五点。今後もフするはず。 ( 〈アン・ハ 1 〉シリーズ ) そういえば日本でも矢野さんの『カムイの剣』 んだ作品が、現実にどっと登場てたのであい第つはマ「やゼラズ = る。 の小説が予定されてい 。しかも、作家がそれそがアツ。フル版まで含めて世界同時発売されたし、 まず、〈ゾーク〉シリーズなどで銘高いをこ一、れシナリオ作成に協力ているというのも魅力今年はこの手のゲームが大いに界を賑わしそ フォコム社から、ダグラス・アダムス原作の銀 % ' 的だグいグは生きいるうちに、こんな作うだ。 ( インフォコム社の作品は / 版で日本の機 河ヒ , チ ( イク・ガイド』。いわずとしたドい誌を目にでぎよ、ナどは。 ~ 激気味だし、プラ〉 ・ ( タの怪作で、 種でも走ります。他はーーーうーん、移植されるま ・。 ( = ック′ 0 ギ。み - サに . 、た ? ては、原作ゲーム化ではなく、 で待っか、アップルを買って下さい ) ャ , チフレーズは英米でかなり広ま 0 た。回の、峯の年で続篇に仕立ててま 0 た。 ( 資料提供】「ログインし 「ンビ、ータ小説では、あの主人公 ( ? ) , \ に腕、でなる編集者、ム・ペインの企画 安田均 MÅGÅZINE FORUM'

5. SFマガジン 1985年4月号

正月ひと月、橋本治十数冊のまとめ読みという 2 フィ遊びをしていると、 効果テキ面、文章ガ前にもましてミタれやすくなってきた。 ヤキンⅡボアズは小さな街の地図屋の主くないのだけれど、同時に、そんな名前に作 人。客のもとめに応じて様々な用途の特殊な者がなにかの意味を込め、読者に対して詮索 地図を作っている。夫の地図に妻の地図、幻するよう強要してるのも間違いないわけ。そ、 視と奇蹟の地図も病気と事故の地図もなんでこんところが押しつけがましくてうっとうし いんで、そういう部分をわざと流して詮索し も作っていた。その彼が、息子・ホアズ " ヤキ ンに譲り渡そうと精魂をかたむけて作った親ないで読んでったら、わかんないとこがいっ ・マプ・フ 地図を息子は拒否する。ライオンが載ってばいできてしまった。ライオンやら車輪やら 心の中に抱 いない、と言って。 0 房 数ヶ月の後、ヤキン日ボアズは旅に出たまえ込んでる・”ヤキあン . 判ま行方がわからなくなった。机の引き出しの″空っ・ほ″ O 庫中から、ライオンを探しに行く、という書きやら、意味 置きがみつかった。そして店を継してるとこ いだボアズ日ヤキンもまた父を探ろが・ほやけ」「 ( ム たまま読み「 ' ' す旅に出る。 , , むかしむかしの妖精の地の話じ終えてしまに : ゃないのだ。でだしはそういう雰ったところ 、つ。ま、あってたしかにちょっと ( どかし精神病棟の仲間たち。ほんのコマの登場人 新気だけどね。だんだん話が妙にがし冫し 物までひとなつつこく魅力にあふれている。 、、る。ヤキン日ボアズは本屋さん だけど、好きなのね。去年出た本 ~ 五本のアレゴリーなんてうっとうしものないほう で働きだすし、ボアズ日ヤキンの ス 0 キ 、くアン 、、・旅というのはギター抱えたヒ , チ指のひとつに数えてもいいくらい好にドドーーが , ハイクになってしまうし。自動車くの読み方だと、この本は、とても魅力的な「くやしい。・ほくは本書のような物語を書き たかったのだ ! 見事に先を越されてしまっ があっちこっち走りまわるし、おまわりさん人々とふれあっては好意を交換していくひと 0 レ ・・ビーグルが言ってる た」。とビーター はでてくるし、精神病院にはほうりこまれるなつつこい小説だった。 し、こういうのってどってもいい。村上春樹だいたい二人の主人公 ( 父と息子 ) の個性そうだけど、ビーグルにこんな話は絶対書け 『最後のユニコー ない。書いてほしくない。 が全然きわだってこないのだ。むしろどんど の『羊』が好きならたぶんのれるんじゃない ん希薄になってく。小説のなかでそこだけ。ほン』は本書をはるかにしのぐ傑作だけど、あ かと田つ。 アレゴリーの小説だって解説には書かれてつかり穴があいてるみたいなもので、しかたの小説は二十代の作家の現実に対する潔癖が がないからその穴に自分を埋めこんで、人々考え得る最良の形で結品したものだと思うの いて、実際その通りだと思うのだけれど、・ほ くがこの小説でうっとうしかったのはまさしとの好意の交換に直接関与しているようなそだ。この本はむしろ現実を許容している。ど くそのアレゴリーの部分。父親がヤキンポんな幻想を与えてくれる。言葉の通じない外っちのタイ。フもいいのだけれど、ビーグルを アズで息子がボアズ日ヤキンでなんてことは国人の旅行者。仲良くなってしまった女の子読むつもりでホー・ ( ンを読むことだけはしな いでほしい 正直どうでもいいと思うし、詮索なんかしたのおやじさん。本屋の主人。おまわりさん。 水鏡子 プエアリイ・ラ / ド 7

6. SFマガジン 1985年4月号

指導者を描き、それ以来 SF においてはこ のイメージが普及した。 S こん CO 襯〃 ( 1941 アンスン・マクドナルド名義 ; 1949 ; [RThe Day 4 〃 TO 襯 0 " 03 ) におい て、ハインラインは同じコインのもう一方 の側を描いた。そこではアメリカはアジア に征服され、偽りの宗教儀式を利用して自 由を勝ち取る。この小説は SF において広 く流布したもうひとつの考え方をも創始し た。宗教は、まったくの虚構である限りに おいて、役に立つ、良いものである、とい ように酷評している。ジョン・アトキンズ は、われわれの想像力が生みだした作品を 基にして歴史が再構築されて、そこに隠さ れていた神学的な意味が明らかになるとい う皮肉な TO 襯。 " 。ビ 4 ん ( 1955 ) を 発表した。フィリッフ。・ワイリーは The げ ( 1955 ) において、また別の天使 に地球を訪問させた。文学におけるこの神 学的考察という長い伝統は今日まで続い て、 1970 年代にはジョン・キャメロンの T ん鳳立ん g ( 1972 ) や、ロマン・ガ リの T ん 6 Ga 眇 ( 1973 ) といった作品に広 がっている。ジャンル S F の外ではスベキ ュレイティゾ・フィクションはつねに科学 的想像に劣らす宗教的想像のヴィジョンに 大いなる関心を払ってきた、と主張するの も故のないことではないたろう。 しかしながら、ジャンル S F においては 話は違っている。パルフ。雜誌では宗教はタ プーだった。神学は黙殺され、形而上学的 主題が関わってくると、慎重に扱われた。 この原則の珍しい例外は、聖書で扱われて いる神話の真相にありふれた形の新解釈を ほどこす、、シャギー・ゴッド″の小ジャン ルである。しかしながら、初期のパルフ。で はこの分野においても、あえて新約聖書を 除外するという安全策をとった。古いパル フ。小説のこの種の作品のほとんどはアダム とイプを扱っている。 SF に世界を創造し た異星人を登場させた点では最も古い作品 である、クリフォード・ D ・シマックの The C 尾の・ ( 1935 ; 1946 ) は、セミフ。ロ 的なマーヴェル・テールズ誌にしか受入れ 場所を見付けられなかった。制度化した宗 教が将来どう発展するかは、ロバート ・ハインラインの 0 もしこのまま続けば 〃」 "lf This Goes On . ' ( 194 の において、はじめて考察された は、未来の独裁的政府が国教会を通じて支 配する。この小説は頑固で狂信的な宗教的 鬮よ、うどえ ! 、 『闇よ、つどえ ! 』フリツツ・ライノく一 うことだ。フリツツ・ライノく一は『闇よ、 つどえ ! 』 G / 尾らのの・ん尾ぉ ! ( 1943 ; 1950 ) において、この二つの概念を融合さ せた。この小説では宗教による国家の独 的支配が、悪魔崇拝を装った組織によって くつがえされる。しかしながら、それらの 宗教は単なる上部構造にすぎなかった。相 変わらす神学的問題には触れられていなか った。アンノウン誌ではジョン・ W ・キャン ベル・ジ、ニア傘下の作家たちが、喜々と して天使や神と悪魔に取り組んでいたが、 276 IV

7. SFマガジン 1985年4月号

いている。 C の〃襯″ 2000 AD ( 1974 ) や The 7 ' 03 ゞ of U / 0 が 4 ( 1975 ) 、 ~ 記 / 化 た 2000 AD ( 1977 ) などいくつ かの作品がこの展望に貢献しているが、中 ノむとなるのは、エドワード・べラミーの二 篇のユートピア小説の続篇ともいうべき 00 ん g おのツ , / の〃〃尾 Year 2000 ( 1973 ) と Eq ″ 4 ″ . ・ / ん Y. だ 2000 ( 1977 ) に間違いないであろう。不 治の病に患ったジュリアン・ウェストは、 治療法が発見されることになる未来社会の 実現を待つべく眠りに入る。 ( クライオ ニックス ) そして、目覚めた西暦 2000 年の 世界は、ほとんどは人類にとって有益な、 知識の爆発的拡大や技術的発展に支配され た環境だった。まさにユートヒ。アである。 主人公の主要な悩みーー広大で遙かに錯綜 した社会に追いつくのが不可能なこと は、二巻目の終りでほぼ解決される。実験 的な知識移植法が発表されたのである。 彼はすべての作品を、スピーディな文体 で単純明快に描き、そのため時として、取 り扱うべき主題の複雑さを正当に扱いそこ なう。西暦 2000 年を描く彼の仕事はまだ進 行中で、完成のあかっきには、印象的な連 作になることだろう。 〔 J C 〕 ロバーツ、キース ROBERTS, KEITH ( 1935 ー 英国の作家およびイラストレーター。イ ングランド南部に住み、自分の小説の舞台 のほとんどをその地に設定している。長年 にわたって広告業界で働いている。 1964 年 のサイニンス・ファンタジイ誌に発表した "Anita ”と "Escapism ”とを手はじめに S F に手を染め、その後、 1966 年 10 月号か ら 1967 年の 2 月号にかけて短い期間ながら S F インパルス誌 ( サイエンス・ファン * * レナルズは b3 年にガンで亡くなった。 タジイ ) の編集にたずさわった。初期の短 篇のいくつかはアリステア・べヴァンのペ ンネームで発表されている。 S F 作家とし て発表した厳密な意味での長篇小説は、 The 厖 7 ・ ( 1966 ) だけであり、他はす べて、短い作品を組み合わせたアサンプラ つまり、最終的にはひとつの総 題のもとに単行本化されても、各ェヒ。ソー ドがそれそれ別の起源を持っことが明らか な長篇である。 T んは、かなりの 長さを持つ、典型的な英国のデイザスター The おⅢツぃ ( 破滅 ) 小説で、核実験が失敗し、宇宙生 まれの巨大な蜂の襲来を引き起こし、それ が英国を荒廃させ、人類を絶減の危機に追 作家としてのロノく一ツの独自の才能は、 二冊目の単行本で開花する。その。の肥 ( 関連作品集 1968 ; アメリカ版には "The White Boat" が付け加えられている ) は、 I F の世界を見事に描写している。そこで は女王ェリザベスー世は暗殺され、スペイ ンの無敵艦隊はイギリスを破り、宗教改革 270

8. SFマガジン 1985年4月号

の光景は今でも目に浮かでくる。 ・認識した。そしてそれを言葉だけで成しつ 中巻で前後はわからないのに、何度もく ( ペンネーム・カルチャー ) ・つある薫クンの力量に今さらながら驚いて り返して読んだものである。表紙は地図の レコードがあたったんですか、運のいい方で裏側を再利用してあって、ヴェルヌの名も つい先日、言葉なんて無力だ、と思う出 来事があったのだが、それは送り手であるすね。三月には『グイン・サーガ / 戦乱篇』が知らなかったが、ただ〈探偵小説〉云々に 発売されます。本誌でも発売を記念して、またひかれて読み始めたのであるが非常に面白 ・自分の力不足だったのだろう。 レコード・ゾレゼントなんそを行ないたいと思 かった。そのころ、父の会社の図書館より 言葉はそこに含まれる情報によってのみ います。詳細は次号に掲載されますのでよろし フィルポツツの『闇からの声』や九鬼澹の でなく、その言葉自体の有するイメージに ( 田 ) 探偵小説を借りてもらって読んで、大人も ・もよって感情が伝わるのだろう。そのイメ のに興味をもちだしたころのことである。 ージが送り手と受け手とで異なっているこ 題名の化石の森を / ーチラス号で通った とはあり得るが、正反対に位置すれば悲劇 、海底散歩で大きな真珠をネモ船長が、 ・を生む。が、そこを離れてもし第三者と不翻訳戦後第一号の思い出 慣れな外国語を通じてコミュニケートしょ横順の『日本こてん古典』による主人公たちに見せるシーンなどが忘れがた 。中巻だけを何度も読み返して、前巻・ ・うとしたらどうなるか考えてみよう。最悪と、翻訳戦後第一号は牧陽社のヴェル ヌの「怪鯨艇』三冊本の第一冊目 ( 昭和一一後巻も読みたかっただろうが、それで満足 ・の場合、言葉のイメージをつかめずに、た だ最小公倍数的に存する意味にしがみつい十一年四月 ) であるという。私はこの二冊していたのはそんな時代のあきらめがあっ たからであろう。本は書店になかったし、 ・て、その他のものを一切除外してしまうの目だけを昭和二十三年ごろ何度も読んでい ・だから誤解が生じるのは明らかである。また。題名は『化石の森』で訳者が清水暉吉また簡単に買うことはできなかった。 ・だそれなら意味不明のまま、身ぶり手ぶりであったことも、だんだん思い出した。表この『日本こてん古典』は巻末に古 だけでも敵意のあるなしが判るので、好意紙にたしか〈探偵小説〉とうたってあっ典作品表も付いており、これを眺めて いるだけで、時間の経つのを忘れる。・ て、それで大人ものであったが購入したも を示した方がましだ。 とにかく、これからも僕にとって″言ので、名古屋の古本屋で一緒にいた大学生ガモフの『不思議の国のトムキンズ』がや 0 つばり伏見康治訳で昭和十七年に出ている 葉というものが考えるべきものである以の従兄の了解を得て求めたものであった。 な・せ、名古屋に行ったのか ( その頃浜松ことは、大変な驚きであった。 上 ( なぜなら、一般に他者との = ミ ートに必要不可欠な上、私は他人に理解さに住んでいたので ) しかも夜間古本屋に従 ( 引愛知県海部郡甚目寺町松山九五 桑原清司 ) れたい、他人を理解したいと望んでいるか兄と入ったのか、その記憶はない。しかし ら ) 、でデビューした神林長平氏のまだ焼跡の残った暗い町の中で、その書店 この方、四十九歳なのだそうですが、い 動きは目を離せない。その言葉によって創だけが明るく、懐しさを感じていたことは りだされる小説の中の世界に興味が尽きな鮮明に憶えている。あたたかで魅力的なそや】、そういう時代もあったのですね、と いのである。

9. SFマガジン 1985年4月号

llllll.'lllllllllll!lllllllllllllllllllllllllll!llllli!lllililll!llllilllllll!llllllllllllllllllllllllllllllilllllllllllllllllillllllllllllillllllilllllllllllllllllllllllllllllllllill!lllillllll!lillllllllllllllllllllllllllilll!ll 前号より続く 宗教 RELIGION 通常の合理主義的な S F の定義を検討す れば、宗教ほど S をの関心事にとって場違 いなものはないように思えるだろう。しか しながら、しばし、原 S F にそのルーツを 振り返ってみれば、それらの多くは宗教的 空想と関連したスベキュレイティブ・フィ クションの流れと深く結びついていること に気付くだろう。そして、現代の S F の支 配的傾向を調べれば、神話および超絶的な テーマやイメージに強い関心が向けられて いることに気付くだろう。 S F が規格化さ れたバルプ小説の東縛を脱した時、現代科 学の発見と調和するありうべき解答を求め て形而上学や神学と関連した昔ながらの思 弁的な問題に直面せざるをえなくなった。 それは科学自体がそうした疑問を解答不能 と規定している事実にもかかわらず、とい うより、逆にそうした事実があるからであ る。 S F の背後に控える想像的衝動の主要 なもののひとつは、求めるべき経験的デー タの存在しない思索の領域に踏みこみたい という欲求であり、この意味においてスペ キュレイテイプ・フィクションは科学小説 であるばかりでなく形而上学的小説でもあ 人類の生息可能な世界が無数にある無限 の宇宙をはじめて心に描いたのはジョルダ ーノ・ブルー / のような人物の宗教的想像 力だった。そして太陽系の果てからその彼 方へはじめて空想の旅に出たのはアタナシ ウス・キノレノ、一・やエマヌエ / レ・スウェーテ ンポリのような幻視者たちだった。飛行機 械で人間が月へ行くことをはじめて空想し たジョン・ウイルキンズは主教だったし、 諷刺的な宇宙旅行譚 The Ma 〃切 the 」の ( 1638 ) の作者フランシス・ゴドウ インも主教だった。その他の初期のスベキ ュレイティブ・フィクションは、シラノ ド・一くノレジュラック、や、ヴォノレテーノレ や、のちのサミュエル・ / くトラーなどの自 由思想家による、宗教的宇宙論や正統派 信仰への攻撃に他ならなかった。 メアリ シェリーの『フランケンシュタイン』 お〃 ( 1818 ; 國 1831 ) は、神の特 権をわがものにしようとする科学者のイメ ージからインスヒ。レイションを得ている。 19 世紀のスベキュレイティブ・フィクショ ンの中で最も大胆なカミ ュ・フラマリオ ンのⅧ K1887 仏 ) は、信仰と科学知識 を調和させ、融合させようとする天文学者 が感じる絶望的な欲求の結果である。進化 論的ファンタジイを数多く書いた J ・ H ・ ロニー兄は、自分の作品の意図を、神が定 めた進化の図式の空想的解説だと考えてお り、彼もまた科学的事実と調和するように 神学を組み立て直すことを願っていた のちにヒ。ェール・ティャール・ド・シャル 質 ) が手がけた作 ダン ( 第、神学者 ( 1881 ー i955 ) 業である。 四次元に関する小説やェッセイを書いた C ・ハワード・ヒントンは、四次元の神は われわれの三次元連続体ですでに起こ た、あるいはこれから起こる出来事をす べて知っているという考えにとりわけ心 を動かされていた。マリー・コレリは A 火の〃れ可、 7 0 Worlds ( 1886 ; 國 1887 ) において、電気力の神という考えを 発展させた。ジョン・ジェイコプ・アスタ ーの面″切 0 % ( 1894 ) は、神学の問題の検討を主なる目的とする 宇宙旅行譚の伝統に沿いながら、科学的想 278

10. SFマガジン 1985年4月号

スウチャーである。彼は「 Q アンソニイ・ ・ U ・ R 」 "Q. U. R. " と "Robinc" ( とも に 1943 、 H ・ H ・ホームズ名義 ) の二作で ュズフォーム 擬人的なロポットに対する、、用途型ロポッ ト″の勝利を描いた。作品中に述べられて いる理由は実際的便宜ということだが、 ウチャー - の宗教的信念ーー彼は数少ない口 ーマ・カトリック派の S F 作家の一人であ る一一 - に影響されて先入観を持ったのかも しれない。 1945 年に原子爆弾の存在が明らかになる と、科学技術の、、進歩〃に対する新たな懐 疑が急速に育ってきた。「証拠」は 1946 年 の 9 月に発表されたものだが、明らかにヒ ロシマ以前の良識に属しており、おそらく は出版の際の遅れを勘定に入れるともっと 以前に書かれたものであろう。 1947 年にア ジモフは最初の邪悪なロポットの物語「迷 子のロポット」 "Little Lost Robot" を発 表し、ジャック・ウィリアムスンは古典と なった「組み合わされた手」 "With Folded Hands ”を発表した。この小説の中で、ヒ ーマノイド・ロポットたちは、、人間につ かえ、命令に従い、人間を危害から守る〃 ように命じられ、その指示を文字通りに受 けとり、主人の平和を誰にも損なわせす、 全員の幸福を確保するために人間をお互い 同士からも守る一一・必要とあらば永久的な 鎮静処置やロポトミーを使ってでも。 意味深長なことに、多くの作家は機械に 対する忠誠を捨てなかった。アジモフとシ マックは確固としたロポットびいきを変え なかったし、「組み合わされた手」の姉妹篇 である『ヒューマノイド』 T ん 4 襯 4 0 / み ( 1949 ) では、人類とヒューマノイドとが 和解してしまった。ただし、この長篇の結 末は、ウィリアムスン自身の科学技術好き な傾向が無意識に現われたというより、ジ ョン・ W ・キャンベル・ジ = ニアの示唆を 受けたものと思われる。 1950 年代の小説で XVI は、ロポットはまだ英雄的役割をになって いたかもしれないが、この時期の実質上ほ とんどのロポット物に、新しい自覚の衝撃 は明白に現われ、なんらかの闘争や対立が テーマになった。ヒ。ータ ・フィリッフ。ス の「失われた記憶」 "Lost Memory" ( 1952 ) や、フィリップ・ K ・ディックの「変種第 二号」 "Second VarietY ” ( 1953 ) 、イドリ ス・シーフ・ライト ( マーガレット・セント ・クレア ) の「胸の中の短絡」 "Short in the Chest" ( 1954 ) 、アルジス・バドリス の "First to Serve" ( 1954 ) 、アジモフの 『はだかの太陽』 T 方た記 S な〃 ( 1956 ) 、 それにコードウェイナー・スミスの "Mark XI" ( 1957 ; Elf") などでは、ロ ポットが人間を殺すか、殺しかける。人 と見分けのつかないロポットは、お″の 召切 s ではコミカルなテーマであったが、 アジモフの「お気に召すことうけあい」 "Satisfaction Guaranteed" ( 1951 ) 、フィ リッフ。・ディックの「にせ者」 "lmpostor ” ( 1953 ) 、ウォルター・ M ・ミラーの「時代 おくれの名優」 "The Darfsteller" ( 1955 ) 、 ト・フ。ロックの "Comfort Me, My Robot" ( 1955 ) では不吉な、あるいは悪意 のある側面を見せる。ロポットの法廷ドラ マにはシマックの「ハウー 2 」 "How-2" ( 1954 ) 、アジモフの「校正」 "GaIIey Slave ” ( 1957 ) 、デル・レイの "Robots ShouId Be Seen" ( 1958 ) 、のちにはキー ス・ロ / く一ツの "Synth ” ( 1966 ) がある。 ただし後者はアンドロイド小説とも考えら れる。ウィリアム・キャンベル・ゴールト の "TitIe Fight" ( 19 浦 ) や、リチャード ・マシスンの "Steel" ( 19 浦 ) や、ロノく一 ト・フ。レスリイの "The Champ" ( 1958 ) では、人間対ロポットのボクシング試合を 扱っている。ヘンリー・カットナーと C ・ L ・ムーアの「人造死刑吏」 "Two-Handed Engine" ( 1955 ) ではロポットは正義を行 264