確 g-n れ ( 1958 ; 圜 The れⅣん 0 Counts) で、科学的に鳥人を合理化しよ うと果敢な努力を試み、彼らの肺機能を大 幅に引き上げると同時に、その他の必要な デザイン改良をほどこした。 S F におけるソフト・サイエンスの誤謬 は比較的すくないが、これはそれほど厳密 な法則性に縛られていないからだろう。と はいえ、ここにも滑稽なまちがいがはびこ っている。たとえば、洗脳や心理的条件づ けは、ほとんど例外なく、 B ・ F ・スキナ ーの行動心理学よりも、 ーヴロフの行動 心理学に基づいている。つまり、新しい道 具的条件づけのほうが、古典的条件づけよ りも能率的であることが充分に実証され、 おそらく、より徴妙で興味深い道徳的問題 を提起すると思われるのに、 SF ではいま だに報酬による条件づけではなく、嫌忌と 罰による条件づけが行われているのであ 〔 PN/J S 〕 る。 科学者 SCIENTISTS 20 世紀以前の S F に登場する科学者は、 しばしば狂気と紙一重の社会的不適応の徴 候を、数多く示していた。執念にとりつか れ、反社会的なのが特徴だった。ときに は、科学者が、 E ・ T ・ A ・ホフマンの 「砂男」 "Der Sandmann" ( 1816 ) のコ ッペリウスや、メアリ・シェリーのヴィク ・フランケンシュタインのように、悪 魔的な人物であることもあった。ときには また、ジョナサン・スウイフトの『ガリヴ ァ旅行記』 G な〃催 ' 5 7 ' 0 どな ( 1726 ; 國 1735 ) の第 3 部や、サミュエル・ジョンス ンの『幸福の探究ーーーアビシニアの王子ラ セラスの物語』癶の 5 の ( 1759 ) の科学者 のように、たんなる滑稽な存在にすぎない こともあった。オ / レ・ド・パルザックの 『絶対の探究』 4 訪訪 e I ' 4 房 0 ん ( 1834 ) では、神をも恐れぬ科学的探究の 欲望が、ついに一種の疫病となる。こうし た性格づけは、科学者が中世の錬金術師や 占星術師や魔法使いの衣鉢 ( と、その大衆 的イメージ ) を継いでいるということで、 ある程度説明はつく。このイメージは、異 常に持続力があることが、やがて明らかに なった。 19 世紀末でも依然としてその傾向 は根強かったし、そして、その痕跡は今日 でも残っている。 『神々の糧』 H ・ G ・ウェルズ ール・ヴェルヌ ( 彼は科学者の作る 機械に魅惑された ) や、 H ・ G ・ウェルズ ( 彼は科学的発見に熱狂した ) のような作 家ですら、科学者を強迫神経症患者と見る 一般の風潮に染まっていた。ヴェルヌの最 も記憶に残る科学者はネモとロビ ュ - ーノレ ( 、 あり、一方、ウェルズはモローとグリフィ ンとケイヴァーを生みだした。やがて、ウ ェルズは自分のまちがいに気づき、『神々 の糧』 T ん 00 イ GO み ( 1904 ) で、 科学者のイメージを注意深く修正すること 262 XVIII
現実に追いつかれた S F SF OVERTAKEN BY EVENTS 包括的な S F の定義を持ちださなくても これだけのことは確実にいえるだろう。大 部分の S F は、ある未来の時点での人間生 活に関する架空の記録であり、しかも、そ こに明示または暗示された出来事は、おお むねきわめて大規模なものである。つま り、たとえ主人公たちが平凡人であって も、彼らが住んでいる世界は、われわれ自 身のそれとはちがい、歴史的にさまざまの 重要な変化を経てきている。でなければ、 すくなくともそうした根本的な変化の可能 性に直面している。したがって、ほとんど すべての SF は、予言、もしくは複数の予 言の集塊とみなすことができる。ある作品 の価値を、おもに予言の正確さだけで判断 しようとするのは、素朴な読者だけである にしても、最も高度な読者ですら、ある作 品がとてつもなく見当はずれの予測をして いるときには、笑いをこらえるのに一苦労 するだろう。 いちばん滑稽なのは、惜しいところで的 をはずしたミスである。時間旅行や反重力 がまだ実現していないからといって、この アイデアの創始者である H ・ G ・ウェルズ や、その後の模倣者たちが、ばつの悪い思 いをすることはまったくない。だが、ジュ ール・ヴェルヌが『月世界旅行』 De la T 尾 la 工″ e ( 1865 ) の中で、宇宙船 をフロリダの山頂にある巨大な大砲から発 射しようとするとき、だれが好意的な微苦 笑を抑えられるだろう ? これに似た時代 色ゆたかなまちがいは、エドワード・べラ ーの『かえりみれば』ん。切 g お“ん ( 1888 ) の気送チューフ・式放送システムで ある。 ーは、ヴェルヌと同様に、結 果的には正しい予測をしたーー初期の B B C 放送に似たものを。だが、彼の想像した 手段は、今日の観点からすると、滑稽に見 XIV えるのである。 テクノロジーの未発達そのものが , 最も 歴然たる予言の失敗を生みだすわけではな い。その予言の目的に、一種の真剣さとも のものしさがあることが、まず必須条件で ある。したがって、おふざけ半分の調子 や、諷刺的な調子をとる作者は、予言が失 敗しても平気でいられる。シラノ・ド・ペ ルジュラックが月へ行くのに使った方法を 見て、だれもこころよい優越感に浸ったり はしない。彼の用いた手段がヴェルヌのそ れ以上に不合理だとしても、それはたんな る空想の遊びだからである。 したがって、未来錯誤 ( という造語が許 されるならば ) の最盛期は、未来テクノロ ジーの予言がこのジャンル独自の明確な特 色とみなされていた、ガーンズノくック的 、、サイエンティフィクション″の時代であ った。初期のパルフ。雑誌のページは、文字 どおり未来錯誤的発明の特許庁であり、 うしたことに興味のある読者は、アイザッ ク・アジモフ編の召イ 0 the Gol イ釚 Age ( 図 1974 ) のような作品集でその見本に接 することができる。ただし、この時代の香 りは、多分にさし絵に負っているところが あり、最近ではこちらも何冊かの画集に復 刻された ( イラストレーション ) 。 未来錯誤を別にすると、ガーンズバック 時代は、後代の読者の注目をひくようなも のをほとんど生みださなかった。科学的常 識と文学的常識とを結合させた、ロバート ・ A ・ハインライン、アジモフ、アーサー ・ C ・クラーク、ジェイムズ・プリッシュ などの作家の登場によって、はじめて ( パ ルフ。 ) S F は人類学的興味以外の対象とな りはじめる。こうした作家たちも未来錯誤 に免疫ではなかったが、かりにそうしたも のが存在しても、とんでもないへまという 感じはしない。たとえば、ハインラインの 「道路を止めてはならない」 "The Roads 266
科学者の仕事と社会的立場に関するもっ と現実に即した考えが、思弁小説ではじめ て表現されたのは、 S F 雑誌の中ではな く、 E ・ C ・ラージの、 S' ″ g ・切 / んどス耘 ( 1937 ) においてだった。この小説は、天 才の神話をもっと身近なレベルに引きおろ し、科学者の仕事とその目標の性格が、そ れに出資する企業のそれと対立するところ から生じる、新しい種類の社会不適応を綿 密に掘り下げている。チャールズ・ブライ という科学者は夢想家で理想主義者であ り、一方、彼が雇われてその内部で働いて いるシステムは、無分別で、愚かで、非理 性的である。かくして、気ちがい科学者の 神話は裏返しにされた。この傾向はすぐに は普及しなかったが、戦後の 10 年間に雑 誌 S F を席巻した。しばしば原子物理学者 が、世界の破減をもたらそうとする政治・ 軍事複合体の中で、孤立した正気の人間像 として描かれる ( 原子力 ) 。雑誌 S F 作 家たちは、テクノロジーが暴走をはじめた という一般的な判断を受け入れはしたもの の、その原因は機械のメーカーよりも機械 のユーザーのほうにある、としたのだっ た。自分の歪んだェゴを満足させるために 世界をふっとばそうとする気ちがい科学者 は去って、気ちがい将軍や気ちがい政治家 の時代がやってきたのだ。テクノロジーと 密接に関係した SF 界とはちがって、外部 の作家たちはそれほど単純には割り切らな たとえば、ヒ・一ター・ジョー かったが ジのストレンジラフ・博士を見よ この上 もなく高潔な理想と動機をいだいた科学者 を描いた作品を見つけるのには、さほど骨 が折れない。ピエール・フ・一ルの『カナ シマ博士の月の庭園』んど r 市れ Ka 〃のんわ〃 4 ( 1964 ) に登場するドイツの ロケット科学者たちは、月と宇宙飛行のこ としか念頭になく、 V2 号のことが話題に のぼるだけで身ぶるいする。 1950 年代のアメリカの機密保全強化は、 科学者の新しい社会的立場を強調し、軍事 的応用の可能性を持っ研究を進めることの 道徳的可否と、そうした状況で科学的発見 をすることの困難さを扱った SF の洪水を 生みだした。自分の発見が実用に移されて ゆくのを見まもる科学者の良心を扱った、 効果的な小品に、 C ・ M ・コーンフ・ルース の「真夜中の祭壇」 "The Altar at Midnight" ( 1952 ) があり、その他いく つかの例が原子力の項にリストアップされ ている。科学的探究心と軍事機密保全の対 立を最も劇的に描いた作品に、アルジス・ パドリスの『アメリカ鉄仮面』 VVho ? ( 1958 ) がある。社会の要求と対立する科 学者を描いたもっと最近の例としては、シ オドア・スタージョンの「ゆるやかな彫 刻」 "Slow Sculpture" ( 197 の、ポフ・・ ショウの G ″れ d Zero ユ ( 1971 ) 、 D ・ G ・コンプトンの T ん Steel C co イ〃に ( 1970 ; 圜 The EIectric C 加 co 市ん英 ) が挙げられる。ェドワード・ 、イアムズの T んどみん g の・ ( 1950 ) は、良心的な科 学者ヒューゴー・ドッペルが、社会の利益 追及によって滅ぼされてゆく過程を、効果 的に戯画化している 現代 s F では、理的科学者 ( 超俗的な 天才 ) と科学的技術者のあいだにほとんど 完全な分離が見られる。前者は多くの場 合、背景に押しやられた。事実、一般に科 学者が S F の主要人物として登場すること が、以前よりもはるかにすくなくなった。 特筆すべき例外は、科学者を兼ねた作家た ち ( たとえば、フレッド・ホイル、フィリ ッフ。・レイサム ) の作品である。科学の天 才の性格描写において近年の最も記憶に残 る試みは、アーシ、ラ・ K ・ル・グインの 『所有せざる人々』 T 力にのなに記 ( 1974 ) の主人公シエヴェックだろう。し かし、きわめて多数の現代 S F 作家が、 22 XX
出現 ( 現在徹底抗戦を準備中 ) したからで とは一一「ロえないと思う。 ということで、この七つの準備のもとあるが、その詳細は殆どの読者に無関係な ードの開祖・海野十三の に、全面的に利用していただきたいと宣言 ことなので省略したい。長期戦になること研究ますます進展す したのであるが、今回、残念ながら、これは必至なので、追ってご説明する機会が来 を改正し、制限を加えることとした。そのるかもしれない。 ④海野十三ご遺族とのファースト・コンタ クトなる 制限条項とは、「二〇代半ばまでのマニア ③「ぬいぐるみさん」とどう付き合うか 御 話はがらりと変わって、今回のタイトル の にある【『ぬいぐるみさん』との正しい 十 様 ード的付き合い方】についてである 野 毎 が、これはやはり、なんといっても、「ぬ、 十 父 野 の いぐるみさん」をプラ〉クホー ~ のお風呂 ) 、、物、、・ 海 という に入れる時にどうすれば良いか 様ことに換言されるであろう。 本 日 野それを簡単に表したのが、図 1 ~ 3 であ る よる。ご覧いただけば、余計な説明は無駄と て いうものだ。あとはただびたすらハードに れ ら ーーお頑張るだけの事である。 その他、「ぬいぐるみさん」を抱いた時 図 と抱かない時とで、質量「ネルギ 1 ・テン 神 ソルがどう変化するか ? 宇宙線を浴びた 時の「ぬいぐるみさん」の表皮の高分子物 的コレクターを除く」というものである。 理学的変化はどうなるか ? などなど、興 いまや『ハ ード研究所』の推進者の ( むろんそういう人でなければ、二〇代の味深い話題は尽きない。おそらく、ハー 一人として大活躍を続けておられる倉田正 ファンの来宅大歓迎である ) 的ぬいぐるみさんの考察で一冊の本が也氏の部下に、偶然にも海野十三ご次男の このような制限を設けざるを得なくなっ 書けるであろう。 佐野暢彦氏がおられたことから、ご紹介 たのは、およそ想像を絶する非常識な行動 ただき、待望のファーストコンタクトがな に出た二 0 代半 : ・よのマニア的コレクターが
ハルチェンコが、新人作家の育成やのなったことと重要な関係がある。事実、・フの功績が大きい 情 普及に非常に貢献をしたことは事実だが、 ロの側でも、現在第一線で健筆を揮ってい 一方、外にたいする働きかけについてみ 8 ても、六、七〇年代とはかなり様相が変わ LL 科学技術の啓蒙を目的とした雑誌を編集するのは、ストルガッキーをはじめとして、 ってきている。・ガーコフは、先輩たち るという本来の目的から逸脱することはな六十年代に熱烈なファンであった人た と違って、積極的に欧米の雑誌 ( たとえ かった ( ソ連界で絶大の権力を揮ってちである。 毋いたその彼も、妙なつまずきからいまや表あらゆることがモスクワを中心にして動ば、に寄稿し、ソ連のの いているなかで、界だけは、長い伝統歴史や現状を紹介している。 舞台から姿を消してしまった。その事情に 彼はまた、マクミラン社が刊行している 0 いては、今年の一月号「・・「 = の 叢書〈 Best 0 「 Soviet Science Fiction 〉 の本欄で詳しく触れた ) 。 のために現代ソ連のアンソロジーを編 ところが、いまのとこ ろ文芸誌の tn;-k 部門を任 物 ~ 没んでいるし、最近、彼がかかわった仕事 されているだけにしろ、 に、外国向け英文月刊誌「 Soviet Litera- 本 一地方誌を界にとっ 傾 ture 」 ( 1984Znr. 2 ) の特集号〈 Science 版 Fiction 0 「 Today 〉の編集がある ( この雑 てなくてはならない存在 にまで押し上げることに 、を一一 0 ア誌は、過去にも一九八二年の六月号で全〈 ージをに当てた特集号を出している。 成功したのは、一九六六 そこでもガーコフは、ストルガッキーの作 年にスヴェルドロフスク に創設されたファングル 品を扱った本格的な評論を発表している ) 。 日本のファンジン「イスカーチェリ」 1 。フ〈泰平ョン〉の初代 が、昨年のßNOOOZ 向けの特集号に彼 会長を務め、以後一 筋に生きてきた人ヴィターリ・—・ブと、絶対的な権威をもって、首都で出版さとの紙上インタビューを載せる企画をた グロフでなければできなかったことだろれている全ソ規模の科学啓蒙誌「技術青て、アンケートを送った。だが、残念なが 年」を差し置いて、一地方誌である「ウラら時間的な余裕がなく、回答が届いたのは そうした意味でも、七〇年代の低迷期をルの開拓者」が中心的な地位を奪ってしま結局今年に入ってからであったが、一緒に 抜けだし、八〇年代に入って、かってない 、その発行地であるスヴェルドロフスク送られてきた彼の評論などまで加えると、 活気をとり戻せたのは、六〇年代にはまた が、いまや恒常的なソ連大会の開催地それは膨大な回答になる。たとえ相手が一 幼かったファンがいまや社会的にも一定のとなり、ファンのメッカになったのも、実ファンジンであれ、ソ連を宣伝・紹介 地位をえて、界に影響力をもつように はファン活動に支えられた、・・フグロフできるチャンスがあれば、面倒がらずに筆
シュミツツの宇宙はまだ青年期にあり、そ れだけ活動的で、楽天的なのである。 こうした宇宙を舞台にしたシュミツツの 主要なシリーズには、テルジー・アンパー ダンをヒロインとした連作がある。この若 く利発なテレバス ( 動物との親和力を持 つ ) は、連邦心理学局のエージェントとし て引きぬかれる。このシリーズには、『テ ルジーの冒険』 The U g れ立 ( 1962 ー 4 ASF; 1964 ) 、 The ん / 0 〃 デレジーの冒険 『テルジーの冒険』 275 かって、彼らは人類の居住領域から退去す ているが、テルジーの思いついた計略にか とめる。彼らは 3 つの連結した形態を持っ ているイライガーという複雑な種族をつき る。テルジーは、ある大きな惑星に潜伏し は T んにん / 0 れ G の〃にの本筋の部分であ Symbiotes" ( 1972 ) がある。典型的なの ( 1972 ) 、 "The "ChiId of the Gods ” ( 1971 ) 、 収録作品として "P01tergeist ” Toy ( 璽 1973 ) 、ほかに単行本未 G のれ ( 1965 ー 71 ASF; 1973 ) 、 The る。テルジーはシュミツツの典型的なヒロ インの一人で、ほかの作品の主人公たちと よく似ている。み Ta ん T30 Clocks ( 1962 ) のヒロイン、トリガー・アージー の冒険は、別の作品でテルジーのそれと 交錯する。『悪鬼の種族』 The D 襯。れ お記 ( 1968 ) では、水生異星人の文化が 興味深い。また、Ⅳ″訪 Karres ( 1949 ASF 一部のみ ; 1966 ) のサイ能力 に恵まれた 3 人の少女は、彼女たちを奴隷 の境遇から救った不運な宇宙船長に連れら れて、かずかずの世界で波乱万丈の冒険を くりひろげる。この小説はおそらくシュミ ツツの最も華麗な作品だろう。 み g の 4 ( 関連作品 1960 ) は、 A Ta ん of T30 Clocks の前篇とされて いるが、舞台が共通である点を除けば、物 語のつながりはない。シュミツツの短篇 は、 / c Day 工 br Sc 襯切 g の 0 T 記 0 工 4 み ( 1965 ) と r / Mo ( 1970 ) の二冊にま とめられている。あまり出来のよくない長 篇 The E 翔記お ho / 5 ( 1973 ) の舞 台は、ほかの作品の宇宙と共通性がない。 〔 J C 〕 スコールズ、ロバート SCHOLES, ROBERT ( 1929 ー アメリカの学者 , S F 評論家。 1959 年に コーネル大学で博士号をとり、現在はフ・ラ ウン大学の英文学教授。すでに文学論に関 する 5 冊の著書があり、アメリカの構造主 義的な理論家として著名な一人である。著 書のうち 3 冊は、 S F 読者にとって特に 関係が深い。フアビュレーションを扱った 7 ' み″加” ( 1969 ) と、 Structural な。〃 ( 1975 ) の 2 冊は、専門的で シリアスな取り組み方を見せている (•S F の定義 ) 。ェリック・ S ・ラフ・キンと共 著の『 SF ーーーその歴史とヴィジョン』
ラネット・ストーリーズ誌は、よりいっそ うけばけばしく、スペース・オペラの典型 だった。 AMZ とファンタスティック・アドヴェ ンチャーズ誌は、一見お粗末だったが、レ ・パーマーの編集のもとに好成績を上 イ げ、特に AMZ はしだいに分厚い雑誌にな っていった ( その絶頂は 1942 年の 4 ペー パーマーは辣腕ぶりを発揮して、オ カルトと擬似科学でマーケットを開発し た。とりわけリチャード・ S ・シェイヴァ ーの実話と称する小説は大評判を呼び、 ( 彼の主張するところでは ) AMZ を SF 雑誌としては未曽有の大部数に押し上げ 1947 ー 8 年には、ふたたび新雑誌が出現し はじめたが、その当初はリプリント専門か、 セミ・プロ的なものだった。その後、 1949 年には、 A ・メリット・ファンタジイ誌、 復活したス サイエンス・ストーリ ーズえと、アザー・ワールズ・サイエンス・ ストーリーズ誌が出た。しかし、この時期 の重要な発展といえば、やはり 1949 年のフ ァンタジイ・アンド・サイエンス・フィク ション誌と、 1950 年のギャラクシイ・サイ ェンス・フィクション誌の創刊である。ど ちらの雑誌もダイジェスト・サイズを採用 し、しかも最初から、 AS F がその存在を 証明した成人読者層をターゲットにしてい た。この頃にはキャンベルの ASF は沈滞 のきざしを見せており、文学的完成度を強 調した F & S F と、、、ソフト・サイエンス″ と諷刺に重点をおいたギャラクシイ社は どちらもより洗練された感じを与え、まも なく AS F と並んで 3 大雑誌の地位を確保 したーー大ざっぱにいって、この状況は最 近までつづいている。 雑誌の創刊と復刊は、その後もおびただ しい数にのばり、そして、またつぎつぎに 消えていった。 1950 年には 6 誌、 1951 年に 270 もあった。アメリカが参戦した結果、用紙 不足が起きると、そのほかの雑誌もつぎっ ぎに間引きされていった。 1944 年の中頃に なると、新雑誌は 4 誌を残してすっかり姿 を消した。生き残った 4 誌を含めて、結局 1940 年代には、全部で 7 種の S F 雑誌が定 期的に刊行されていたことになる一一 AM Z 、 A S F 、ファンタスティック・アドヴ ェンチャーズ誌、プラネット・ストーリ ズ誌、スタートリング・ストーリーズ社 ルじ、、 TW S 、それにリフ・リント専門のフェイマ ス・ファンタスティック・ミステリーズはと である。 ASF は、その質においても、外観にお いても、別格だった。 1943 年には判型をダ イジェスト・サイズ CB 6 判 ) に変え、 1950 年代の一般的傾向を先取りした。シリ アスで成熟した SF 読者層を発見し、シリ アスで成熟した作品の書ける作家たちを発 見養成することによって、 A S F はパルフ・ 雑誌からできるだけ遠い、しばしば意識的 に地味な外観を狙ったような雑誌へと変身 していった。 スタートリング・ストーリーズ誌と TW S は、明らかに 1940 年代初期の年少読者層 をターゲットにおいていた ( ひょっとする と、ようやく読者の実体に気づいたのかも しれない ) が、その後サム・マーウインを 編集者に迎えて飛躍的に質が向上し、 1948 年にいたると、特にスタートリング・スト ーリーズ誌は、 ASF の矛城に迫るまでに なった。両誌の表紙絵はおもにアール・ K ーギーの筆になるものだったが、未来 テクノロジーを基調にしたものからしだい に遠ざかる傾向を如実に示していたーー - 半 裸のうら若い女性が怪物じみた異星生物に おそわれる絵柄のほうが、より屈託のない ェンターティンメントを約東しており、そ して明らかに、拡大されたマーケットを維 持するのに必要な魅力を提供したのだ。フ・ ルじ、、
lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll!llllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllilllllllllllllllli!llllllllllllllllllllilllllillllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll Must R 。 11 " ( 194 のは、自動車が、、機械 化された道路 / / にとって代わられてゆく詳 細な予定表を掲げ、その過程が 1960 年から 始まるとしているが、ハインライン自身も 指摘しているように、これらの小説は予言 を目的としたものではなく、思弁を目的と したものなのだ。 未来錯誤は、かならずしも架空のハード ウェアだけに限られてはいない。予言者た ちが、 ドウェアの面ではおおむね、、正 しい〃のに、時代精神の関係で誤りをおか すこともある。おなじくハインラインの初 期の作品「月を売った男」 "The Man Who SoId the Moon" ( 195 ので、われ われの後知恵が違和感をおぼえるのは、宇 宙飛行の仕組みではなく、むしろ、宇宙旅 行ーーーそして宇宙植民一一・が、金銭的利益 めあての個人の企業家によって実現される という、ハインラインの啓蒙的な思いこみ である。とうてい予言の的中と言いがたい が、物語の興味がそれで損なわれるわけで はない。なぜなら、この作品の ( そして、 とどのつまり、あらゆる S F の ) 社会性 は、それが書かれた時代の精神の表現であ るからだ。ジョージ・オーウェルの『 1984 年』 N “れ E / ん - おの作 ( 1949 ) は、 ある架空の未来の悲惨な情景ではなく、 1948 年の悲惨な情景なのである。 最も強力な未来錯誤ーーそして、パルゾ S F にコレクターズ・アイテムとしての価 値を与えているもの一一は、様式である。 広義の見方をすれば、様式と時代精神とは 区別がつかない、ともいえる。前者は、後 者を肉づけしたものにすぎない。最も初期 のパルフ。 SF ーー - 小説とイラストの両方 - 一 ーの作法や慣習は、純真素朴そのもので、 多くの場合、 ( やがて 1940 年代や 1950 年代 の S F がそうなるような ) コマーシャル・ アートではなく、本物の民芸品の特質を備 えていた。ちょうど、刺青と広告との違い 265 である。 未来錯誤の 3 つの形態 テクノロジ 、時代精神、様式ーーが一堂に会した場 合、その結果は、後代の読者にとって完全 な現実逃避となる。なぜなら、そこに描写 されている出来事が、まったく不可能で現 実性のない領域に属することを、たえず気 づかせられるからである。 E ・ E ・、、ドッ ク〃スミスの《スカイラーク》シリーズと 《レンズマン》シリーズは、三拍子そろっ た未来錯誤の集大成のすばらしい典型で、 それにふさわしい人気を持続している。 未来錯誤の魅力があまりにも大きいた め、最初の何人かの作家は、いわば作為的 にそれを製造しよう ( または複製しよう ) という試みにとりかかった。そうした意識 的未来錯誤を最初に試みた S F 短篇の一つ は 1967 年に NW に発表されたジョン・スラ デックの「西暦 1937 年 ! 」“ 1937 A. D. ! ” である。やがて、長篇全体に未来錯誤をと りいれた作品も、マイケル・ムアコック (The 幵 % rl のツ研 the スか , 1971 と T んんの e んのら 1974 ) 、リチャー ド・ルポフ ( the ん夜・ , 1974 ) 、 プライアン・ W ・オールディス ( T んに 五 / んり 4 石れ″丑 0 Ⅲ・ , 1974 ) などによっ て書かれた。上記の作品の中には、表面 上、 I F の世界の形態をとっているものも あるが、これらの作家たち全部が明らかに 意図しているのは、完全な未来錯誤、ばか ばかしさと釣り合ったアイロニーの持つ、 望遠鏡をさかさまからのそいたような効果 である。 〔 TMD 〕 科学的誤謬 SCIENTIFIC ERRORS S F における科学的誤謬を、空想科学や 擬似科学と混同してはならない。空想科学 は、作者がある種の科学を創作して、それ を本当らしく見せようとするものであり、 XV
三カ月の間、邪魔者がいなくなって、お母さんは喜ぶと思う 昔の二十世紀のーーーテレバシーが発達して聴覚が不必要になる以 「とにかく、きみに会えて嬉しいよ、マ がなあ」わたしはいった。 前のー - ーー人間なら、わたしの言っている事が分かると思う。今では ンディ。休殿をつぶして手伝いにきてくれるなんて、感謝してる退化してしまったあの感覚。不要になったにもかかわらず、日常生 活の騒音のために苦痛の源であり続けたあの感覚。しかし、ありが たいことに、結局は、次第次第にその感覚は失われていったのだが 「あ、それそれ」彼女はわたしに流し目をくれた。「実はねえ、休 暇をつぶした訳じゃないの。一週間前に、退学したのよ、完全に そう、あなたがたには想像がっかない。な、せなら、わたし以外の ね。だから、就職したというほうが当たっているかもしれないわ」 「へーえ」形のない感嘆詞が、個人的なあらゆる意味を包含して、すべての人間と同様に、あなたは耳が聞こえないのだから。 わたしは変わり種、先祖返り、なのだろうか ? 洩れた。おれだって、それほど老い・ほれているわけじゃない、 もしそうなら、わたしが何であろうと、わたしは神に感謝する。 たしは思った。三十八歳 : : : やつばり年寄りかな ? マンディがあ まりにも若いだけだ : : : しかし、彼女は戻ってきてくれた。彼女はなぜなら、幼すぎて本人にはたぶん理解できなかった衝動に促され わたしのことを知っている。鵰岩に登ったあの晩に、わたしは打ちてマンディが鵐岩に登った時に、わたしを彼女のところに導いたの は、この原始的な感覚だったのだから。彼女が雷雨の中であの岩棚 明けずにはいられなかったのた。それなのに、彼女は戻ってきてく : 帰る要はな に立ち往生してしまい、その恐怖を非常に基本的な原始的を方法で : 何てこった。「じゃ、必すしも : : : 家に : 表出した時、他のだれも彼女にテレバシーが届かず、他のだれも彼 いんだね、夏が終わっても」 女の居場所がわからなかった。なにしろ空電がすべてを覆い隠して 「そうよ」ふたたび流し目、そしていたずらつぼい笑顔。 いたから : 彼女はぐるりと見回して、海や崖や村や旅館や鵰岩を眺めた。 だが、わたしには彼女の悲鳴が聞こえたのである。 「変りないわね。あなたが都会を嫌がるわけが分かるわ。ここは、 とても静かで : : : 」 もちろん、そうだ。まさに、その通りだ。わたしのような人間に とって、都会がどんなに感しられるか、みなさんに想像がつくだろ うか ? 難しいだろうな。 宇宙行きのロケットの轟音、ヘリカーの絶え間ない騒音。土地改 良のざらざら、がちゃがちゃ、どかんどかんという振動。タービン 駆動の交通機関の超音波の唸りなどを ? きっと、みなさんには想像できない。 236
SCHMITZ, JAMES H(ENRY) ( 1911 ー 81 ) アメリカの作家。両親はアメリカ人だ が、ドイツで生まれた。第 2 次大戦では米 国空軍に勤務 , 専業作家になったのは 1959 作 "Greenface ”は 年と遅い。デビュー 1943 年にアンノウン誌に掲載されたが、そ の後しばらく中断期があり、 A S F に「ヴ ェガよりの使者」 "Agent of Vega ”を発 表したのが 1949 年。その後は同誌の定期的 寄稿家となった。シュミツツはその作家歴 を通じ、この男性中心主義のジャンルには めずらしいほど自由な態度をもって、女性 の主人公を活躍させてきたことで知られて いる。彼が描く女性たちは、性的なロール ・ブレーイングの定石から完全に解放され たかたちで、能動的な役割を演じる。なか には、ほんのわずか手直しをすれば、男性 を主人公にしたといっても通りそうな作品 もある。このシュミツツの特徴が、とりわ け注目されてよい理由は、彼の作品の傾向 が、伝統的なテーマと、悪玉と、フ。ロット を持った、銀河系をはせめぐる勇壮なスペ ース・オペラだからである。これは S F と いうジャンルの中でも、いちばん極端に女 性を戯画化しがちな分野なのだ。 シュミツツの小説の大部分は、人類と異 星人の住みついた宇宙が舞台で、作品のそ れぞれには共通の設定と特殊用語が見られ る。サイ能力は日常茶飯事である。大半の 作品の中心舞台となっているのは、く , 、フ・ 連邦〉か、く全体政府 > であり、どちらも 人類と異星人両方のメン・バーで運営されて いる。たいていの場合、その中央政府の保 安要員が、犯罪者や、怪物や、非友好的な 種族あいてに活躍する、というのがだいた いの筋書である。シュミツツの読者にとっ て、この銀河系は非常に安心な場所なの だ。 S F のこのサフ・ジャンルに手を染める 最近の作家たちの背景設定とは対照的に 276 イル・モーテンソン、オイヴィン・ レから、 ( この問題を自覚しているので、 色は薄まるが ) ョン・ビング、トール・オ ーゲ・プリングスヴェールまで、彼らはし ばしばイギリスあるいはアメリカ S F 作家 のスカンディナヴィア版といえるほどであ る。その意味で、将来のスカンディナヴィ ア S F 作家には、スカンディナヴィアの神 舌、文学、現代社会に基礎をおいて作品を っくる仕事が課せられている。そのための 第一歩は、スカンディナヴィアを舞台にと り、スカンディナヴィア人の名前を持つ人 物たちの登場する長篇が、スカンディナヴ ィア S F の中にごくふつうに現われること だろう。しかし現状では、それすらまだ実 現していない。 ( この項、伊藤典夫訳 ) シェール、 K ・Ⅱ SCHEER, K(ARL)-H(ERBERT) ( 1928 ー ドイツの作家。 1961 年に始まった有名な ・ローダン》シリーズの原案を、 クラーク・ダーノレトン ( ヴァルター・エル ンスティング ) とともに作りあげた。シェ 一一ルは、このシリーズの多くのェヒ・ソード 〔 J C 〕 を執筆している。 その他の既訳作品 『特務機関 GWA 』 / ″だ 6 0 れれ々“〃 ( 1957 ) 、 『オロスの男』の夜・ユん〃れて , 0 〃 0 5 ( 1958 ) 、『地底のエリート』のん Grossen / 〃イげ T' をな ( 1961 ) 、『地球人捕虜収容 所』 K の・カ s イ夜・々な , な〃に〃 ( 1963 ) 、 『地球への追放者』のな佐の翻 00 れ syt ん ( 1964 ) 、『宇宙船ビュルスの人 々』のユ〃〃夜・ der ぉ ( 1965 ) 、 『地底都市の圧制者』の / じ佐 rg “〃 ( 1967 ) 。 ンユミツツ、ジェイムズ・Ⅱ 一ロ IV