the - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1985年6月号
17件見つかりました。

1. SFマガジン 1985年6月号

INSCRUTABLE NIPPON A DREAM 0F THE RED CHAMBER わ / A happy-go-lucky SF fellow TruIy is this hermit Kingdom trap for the unwary GwaiJin ・ Snared by the magic of the mystic rient, they 1011 in decadent revelry until, like pale white Ur shimataros, they poke their long red noses from the giant pea h and are Vrapped in bamboo by the wicked Obaasan of the East 工′ t00 い in my guise as a happy—go—lucky Yankee fellow ′ have heard Ehe wabi-sabi notes of KO セ 0 muzak in the halls of 工 toyo Ka 0 . HOW my tears flow at the Buddhist chant s セ i11 echoing in my m mory: "Yodo bashika mera . Ame ′ YO!' Yet I was no later—day Lafcadio Her ・ a as 工 struggled that night in the warrens of Shibu—ya ・ hly shed my I had f00 disguise in my lust tO find the Key . But as 工 darte xn セ 0 an open—ended cardboard box, I was frozen as though nailed by a nefarious ninja's kaneshibari . My feet could no セ move . The smell Of the Key maddened my senses . But my held as tight as a noodle on a neutron—boshi . HOW long 工 would have struggled I dO not know . But suddenly 工 was seized and tossed, still in my box, upon a trundling chirigami wagon 0f the Tokio night . When 工 returned to my senses 工 was no セ alone . A steamy, buxom ojosan——l blush tO recall her heroic breasts and naughty sword—and— sorcery kimono - ー posed before But 、 what Karma was this! What I had at first thought was pornography was in fact the cover Of SF Adventure magazine! Sti11 stunned by the ominous "Ära ー "SF .zasshi enishi ′工 barely heard the voice . i t cr i ed . Sensei no hanashi mo notteru kashira?" da . The lubricious •lass was li$ted away, and .90u1d see Ehat 工 lay atop wagon packed with cardboard and 01d gopies Of lt was parked beneatn the twinkåing neon lights Shukan Gendai . Of a Ginza 、 hostess barj ′ only 100 meters Érom my hideout! The almond eye 0 に、 a mascared Kannon peered intO my sma11 box. Her "Ah, •voice waSE like from Madam 、 Butterf1y . She moaned . "Oni ippik ・ ? KO 工 0 m karichao. nd む he れわ as did the taketori—hime ris tO heaven on the SO 00 did 工 scended the steps Of the bach Of• fier m mo, nfghtglub i fthe ensuakhand pf mykimonoeä temptress. She fiung; open the -door 0 卩 = ー 4 。 reå chamber 、 panel 、 led with dark W00ds ー 0 , 0t 当 0 1iq000 , Of the Orient 91 t セ 0 , 巨 d ロ PO 在 ? , 00k0. TrulY was it an op um den Of the senses* ・ it. guests. There 、 werethe very faces I had SO uOften seen in the journals By chance I had found«、 . The lair Of the of the esu—efu kai . SF 5 を

2. SFマガジン 1985年6月号

シュミツツの宇宙はまだ青年期にあり、そ れだけ活動的で、楽天的なのである。 こうした宇宙を舞台にしたシュミツツの 主要なシリーズには、テルジー・アンパー ダンをヒロインとした連作がある。この若 く利発なテレバス ( 動物との親和力を持 つ ) は、連邦心理学局のエージェントとし て引きぬかれる。このシリーズには、『テ ルジーの冒険』 The U g れ立 ( 1962 ー 4 ASF; 1964 ) 、 The ん / 0 〃 デレジーの冒険 『テルジーの冒険』 275 かって、彼らは人類の居住領域から退去す ているが、テルジーの思いついた計略にか とめる。彼らは 3 つの連結した形態を持っ ているイライガーという複雑な種族をつき る。テルジーは、ある大きな惑星に潜伏し は T んにん / 0 れ G の〃にの本筋の部分であ Symbiotes" ( 1972 ) がある。典型的なの ( 1972 ) 、 "The "ChiId of the Gods ” ( 1971 ) 、 収録作品として "P01tergeist ” Toy ( 璽 1973 ) 、ほかに単行本未 G のれ ( 1965 ー 71 ASF; 1973 ) 、 The る。テルジーはシュミツツの典型的なヒロ インの一人で、ほかの作品の主人公たちと よく似ている。み Ta ん T30 Clocks ( 1962 ) のヒロイン、トリガー・アージー の冒険は、別の作品でテルジーのそれと 交錯する。『悪鬼の種族』 The D 襯。れ お記 ( 1968 ) では、水生異星人の文化が 興味深い。また、Ⅳ″訪 Karres ( 1949 ASF 一部のみ ; 1966 ) のサイ能力 に恵まれた 3 人の少女は、彼女たちを奴隷 の境遇から救った不運な宇宙船長に連れら れて、かずかずの世界で波乱万丈の冒険を くりひろげる。この小説はおそらくシュミ ツツの最も華麗な作品だろう。 み g の 4 ( 関連作品 1960 ) は、 A Ta ん of T30 Clocks の前篇とされて いるが、舞台が共通である点を除けば、物 語のつながりはない。シュミツツの短篇 は、 / c Day 工 br Sc 襯切 g の 0 T 記 0 工 4 み ( 1965 ) と r / Mo ( 1970 ) の二冊にま とめられている。あまり出来のよくない長 篇 The E 翔記お ho / 5 ( 1973 ) の舞 台は、ほかの作品の宇宙と共通性がない。 〔 J C 〕 スコールズ、ロバート SCHOLES, ROBERT ( 1929 ー アメリカの学者 , S F 評論家。 1959 年に コーネル大学で博士号をとり、現在はフ・ラ ウン大学の英文学教授。すでに文学論に関 する 5 冊の著書があり、アメリカの構造主 義的な理論家として著名な一人である。著 書のうち 3 冊は、 S F 読者にとって特に 関係が深い。フアビュレーションを扱った 7 ' み″加” ( 1969 ) と、 Structural な。〃 ( 1975 ) の 2 冊は、専門的で シリアスな取り組み方を見せている (•S F の定義 ) 。ェリック・ S ・ラフ・キンと共 著の『 SF ーーーその歴史とヴィジョン』

3. SFマガジン 1985年6月号

lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll!llllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllilllllllllllllllli!llllllllllllllllllllilllllillllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll Must R 。 11 " ( 194 のは、自動車が、、機械 化された道路 / / にとって代わられてゆく詳 細な予定表を掲げ、その過程が 1960 年から 始まるとしているが、ハインライン自身も 指摘しているように、これらの小説は予言 を目的としたものではなく、思弁を目的と したものなのだ。 未来錯誤は、かならずしも架空のハード ウェアだけに限られてはいない。予言者た ちが、 ドウェアの面ではおおむね、、正 しい〃のに、時代精神の関係で誤りをおか すこともある。おなじくハインラインの初 期の作品「月を売った男」 "The Man Who SoId the Moon" ( 195 ので、われ われの後知恵が違和感をおぼえるのは、宇 宙飛行の仕組みではなく、むしろ、宇宙旅 行ーーーそして宇宙植民一一・が、金銭的利益 めあての個人の企業家によって実現される という、ハインラインの啓蒙的な思いこみ である。とうてい予言の的中と言いがたい が、物語の興味がそれで損なわれるわけで はない。なぜなら、この作品の ( そして、 とどのつまり、あらゆる S F の ) 社会性 は、それが書かれた時代の精神の表現であ るからだ。ジョージ・オーウェルの『 1984 年』 N “れ E / ん - おの作 ( 1949 ) は、 ある架空の未来の悲惨な情景ではなく、 1948 年の悲惨な情景なのである。 最も強力な未来錯誤ーーそして、パルゾ S F にコレクターズ・アイテムとしての価 値を与えているもの一一は、様式である。 広義の見方をすれば、様式と時代精神とは 区別がつかない、ともいえる。前者は、後 者を肉づけしたものにすぎない。最も初期 のパルフ。 SF ーー - 小説とイラストの両方 - 一 ーの作法や慣習は、純真素朴そのもので、 多くの場合、 ( やがて 1940 年代や 1950 年代 の S F がそうなるような ) コマーシャル・ アートではなく、本物の民芸品の特質を備 えていた。ちょうど、刺青と広告との違い 265 である。 未来錯誤の 3 つの形態 テクノロジ 、時代精神、様式ーーが一堂に会した場 合、その結果は、後代の読者にとって完全 な現実逃避となる。なぜなら、そこに描写 されている出来事が、まったく不可能で現 実性のない領域に属することを、たえず気 づかせられるからである。 E ・ E ・、、ドッ ク〃スミスの《スカイラーク》シリーズと 《レンズマン》シリーズは、三拍子そろっ た未来錯誤の集大成のすばらしい典型で、 それにふさわしい人気を持続している。 未来錯誤の魅力があまりにも大きいた め、最初の何人かの作家は、いわば作為的 にそれを製造しよう ( または複製しよう ) という試みにとりかかった。そうした意識 的未来錯誤を最初に試みた S F 短篇の一つ は 1967 年に NW に発表されたジョン・スラ デックの「西暦 1937 年 ! 」“ 1937 A. D. ! ” である。やがて、長篇全体に未来錯誤をと りいれた作品も、マイケル・ムアコック (The 幵 % rl のツ研 the スか , 1971 と T んんの e んのら 1974 ) 、リチャー ド・ルポフ ( the ん夜・ , 1974 ) 、 プライアン・ W ・オールディス ( T んに 五 / んり 4 石れ″丑 0 Ⅲ・ , 1974 ) などによっ て書かれた。上記の作品の中には、表面 上、 I F の世界の形態をとっているものも あるが、これらの作家たち全部が明らかに 意図しているのは、完全な未来錯誤、ばか ばかしさと釣り合ったアイロニーの持つ、 望遠鏡をさかさまからのそいたような効果 である。 〔 TMD 〕 科学的誤謬 SCIENTIFIC ERRORS S F における科学的誤謬を、空想科学や 擬似科学と混同してはならない。空想科学 は、作者がある種の科学を創作して、それ を本当らしく見せようとするものであり、 XV

4. SFマガジン 1985年6月号

、いを、 古カスタードの秘密 ジョン・スラテック 黒丸尚訳 イラストレーション海領万里 e Secret of the 0 夜 冷蔵庫の中のカスタードをめぐる不思議な事件の数々。鬼才の描く異様な世界。

5. SFマガジン 1985年6月号

チャクラに着いたニ人の前に現れる奇怪な人物たち。鉱山惑星に秘められた謎。 連載第 3 回 ターテイベア 2 大転 高千穂、 安彦良和 The Dirt pa / 戸や toug わ

6. SFマガジン 1985年6月号

④あすさの万博日記 中島梓 朝石原博士の SF 研究室 ( ⑩石原藤夫 の野田昌宏のセンス・オプワンタランド朝 野田昌宏 くコミッワ〉 朝 ONCE UPON A TIME ④ めるヘんめーかー 世界の SF のホットな話題 海外 SF 事情 深見弾 の SF 工ンサイクロペティア⑩ ピーター・ニコルズ編 / 浅倉久志・伊藤典夫訳 冊世界 SF 情報山岸真 の書店通信精文館書店 ( 愛知 ) てれほーと 朝第回「ハヤカワ・ SF コンテスト」応募規定 バックナンバーのお知らせ の MONTHLY PLANET 横山えいし 0 題名募集中 ! 梶尾真治 特別寄稿「拜啓中島梓様」川又千秋 ⑩ lllustrated Science Fiction 「星々からの歌』 ⑩ lnscrutable Nippon : A Dream 0f the Red Chamber A happy-go-lucky SF fellow 0 リーダーズ・ストーリイ〔選・評〕星敬 〔 SF スキャナー〕ウィリアム・ギブスン山涬真 〔 SF スキャナー〕フィリップ K ・ティック島田武 SFM 特派員報告 MAGAZINE FORUM ⑩ SF ブック・スコープ高橋良平 ① SF レビュウ 伊沢昭鏡明冰鏡子′中島梓 今月のプンクガイド星敬 朝 インフォメーション・サーキット 藤田尚 - 小嶋さちほ安田均森田繁仙ロ純 0- ) 0 る 0 0 イ 4 第 0 く表紙 > メビウスの帯を立体化したクラインの壺。 表と裏のないこの面は何を意味するか ? The following stry is reprinted with permission Of the owner, for which acknowledgement is here gratefully made : Freedom Beach by John Kessel and 」 ames Patrick Kelly 0 1984 by Mercury press. 表紙イラストレーション : 鶴田一郎目次写真 : 画善弘 扉カット : 田中精美表紙・ 2 色ページレイアウト : 小倉敏夫 本文イラストレーション : 安彦良和 / 吾妻ひでお / 加藤直之 天野喜孝 / 岩淵慶造 / 佐治嘉隆 / 宮武ー貴 / 横山宏 / 佐藤道明 錦織正宜 / 米田仁士 / 米田裕 / 福留朋之 / 海領万里

7. SFマガジン 1985年6月号

川ⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢ旧ⅢⅢⅢⅢⅢ イマーの『五月の七日間』 & 釚 Days May ( 1964 ) の脚本を書き、『猿の惑星』 オんゑぉ ( 1968 ) の脚本の第 1 稿も書いた。これはその後、マイクル・ウ イルスンによって改稿された。サーリング は独創的な作家とも、重要な作家とも言い がたいが、既成のアイデアを脚色すること に妙を得ており、 TV 作家としては最高の 職人だった。彼は、大多数のテレビの題材 の中に置くと、実際よりも大胆かっ深遠に 見えるような作品を生みだすコツを心得て いた。彼の大きな欠点は、大向こう受けを 狙った一種のものものしいポーズだが、そ うした限界はさておき、『ミステリーゾー ン』が、それまでほとんどろくな TV 番組 にめぐりあえなかったファンタジイと S F のファンにとって、一陣の涼風であったこ とは確かである。サーリングはいくつかの 脚本を短篇小説の形に書きなおし、つぎの ような短篇集を出版した。 Stories 介。襯 the Tw 〃なん 20 れ e ( 1960 ) 、 MO & 0 工襯ど Tw 〃 / ん 20 ( 團 1961 ) 、『真夜中の太陽』 & 沁 カ℃襯ど Tw 〃 / ん Zone ( 1962 ) 、 / ん G 記ん r. ( 集 1971 ) 、 Night G 記ん 2 ( 集 1972 ) 。また、彼はつぎのようなアンソ ロジーを編集している一一一 od & g ' ゞ T んど Tw 〃 / ん Zo れ ( 1963 ) 、 0 S 〃れ g ' Tw 〃なん Zone e な″記 ( 1964 ) 、 The & の 0 れ be Ⅱ ( 〔 J B 〕 1967 ) 。 その他の既訳作品 『ミステリーゾー ン』 ( 1983 日本 ) 、『トワイライトゾーン』 ( 1984 日本 ) 。 * その後、映画『トワイライトゾーン』 T てこ , ″な / な Zo 〃ど ( 1983 ) が製作された。 れまで一度も自己の作品の中で科学者の仕 事ぶりを描いていない。科学が集団作業で あることは一般に認識されてきたが、科学 の進歩がいかにして達成されるかについて は、まだ認識不足がまかり通っているよう 〔 B S 〕 に思われる。 サーリング、ロッド SERLING, ROD ( 1924 ー 75 ) アメリカの脚本家、 T V フ。ロデューサ 『ミステリーゾーン』 ( 最初は『未知 の世界』 ) The Tw 〃 / k ん 20 加シリーズ で最もよく知られている。第 2 次大戦では 陸軍落下傘部隊に参加。戦後、復員兵奨学 金でアンティオック大学にまなび、 1948 年 ーヨークへ出て、まずラジオ、ついで T V のフリー・ライターとなった。 1950 年 代には、最も評価の高い TV 作家の一人に 数えられ、 "Patterns ” ( 1955 ) 、 "Requiem ( 19 ) 、 "The for a Heavyweight ” Comedian" ( 1957 ) などのテレビ・ドラ マで多くの賞を獲得した。 1959 年には『未 知の世界』シリーズを企画製作し、同時に 番組のホスト兼ナレーターをもっとめ、 の結果、彼の浅黒い風貌とガラガラ声は、 テレビ視聴者になじみ深いものになった。 このシリーズはおもにファンタジイだった が、ときに S F も混じり、 5 年間もつづい た。 1970 年には、 2 匹目のドジョウを狙っ て、同巧異曲のシリーズ『四次元への招 待』 Night G 記んを製作したが、こち らは 1972 年までしかつづかなかった。 ステリーゾーン』と『四次元への招待』の 多くのェヒ。ソードの執筆を含めた TV の仕 事のほかに、サーリングは何本かの映画脚 本にもたずさわったが、そのうちすくなく とも 2 本は、受賞テレビ・ドラマに基づい たものである一一『大会社の椅子』い ( 1956 ) と 4 辮工 br 4 〃 ( 1962 ) 。彼はまたジョン・フランケンハ 259 〔次号につづく〕 XXI

8. SFマガジン 1985年6月号

現実に追いつかれた S F SF OVERTAKEN BY EVENTS 包括的な S F の定義を持ちださなくても これだけのことは確実にいえるだろう。大 部分の S F は、ある未来の時点での人間生 活に関する架空の記録であり、しかも、そ こに明示または暗示された出来事は、おお むねきわめて大規模なものである。つま り、たとえ主人公たちが平凡人であって も、彼らが住んでいる世界は、われわれ自 身のそれとはちがい、歴史的にさまざまの 重要な変化を経てきている。でなければ、 すくなくともそうした根本的な変化の可能 性に直面している。したがって、ほとんど すべての SF は、予言、もしくは複数の予 言の集塊とみなすことができる。ある作品 の価値を、おもに予言の正確さだけで判断 しようとするのは、素朴な読者だけである にしても、最も高度な読者ですら、ある作 品がとてつもなく見当はずれの予測をして いるときには、笑いをこらえるのに一苦労 するだろう。 いちばん滑稽なのは、惜しいところで的 をはずしたミスである。時間旅行や反重力 がまだ実現していないからといって、この アイデアの創始者である H ・ G ・ウェルズ や、その後の模倣者たちが、ばつの悪い思 いをすることはまったくない。だが、ジュ ール・ヴェルヌが『月世界旅行』 De la T 尾 la 工″ e ( 1865 ) の中で、宇宙船 をフロリダの山頂にある巨大な大砲から発 射しようとするとき、だれが好意的な微苦 笑を抑えられるだろう ? これに似た時代 色ゆたかなまちがいは、エドワード・べラ ーの『かえりみれば』ん。切 g お“ん ( 1888 ) の気送チューフ・式放送システムで ある。 ーは、ヴェルヌと同様に、結 果的には正しい予測をしたーー初期の B B C 放送に似たものを。だが、彼の想像した 手段は、今日の観点からすると、滑稽に見 XIV えるのである。 テクノロジーの未発達そのものが , 最も 歴然たる予言の失敗を生みだすわけではな い。その予言の目的に、一種の真剣さとも のものしさがあることが、まず必須条件で ある。したがって、おふざけ半分の調子 や、諷刺的な調子をとる作者は、予言が失 敗しても平気でいられる。シラノ・ド・ペ ルジュラックが月へ行くのに使った方法を 見て、だれもこころよい優越感に浸ったり はしない。彼の用いた手段がヴェルヌのそ れ以上に不合理だとしても、それはたんな る空想の遊びだからである。 したがって、未来錯誤 ( という造語が許 されるならば ) の最盛期は、未来テクノロ ジーの予言がこのジャンル独自の明確な特 色とみなされていた、ガーンズノくック的 、、サイエンティフィクション″の時代であ った。初期のパルフ。雑誌のページは、文字 どおり未来錯誤的発明の特許庁であり、 うしたことに興味のある読者は、アイザッ ク・アジモフ編の召イ 0 the Gol イ釚 Age ( 図 1974 ) のような作品集でその見本に接 することができる。ただし、この時代の香 りは、多分にさし絵に負っているところが あり、最近ではこちらも何冊かの画集に復 刻された ( イラストレーション ) 。 未来錯誤を別にすると、ガーンズバック 時代は、後代の読者の注目をひくようなも のをほとんど生みださなかった。科学的常 識と文学的常識とを結合させた、ロバート ・ A ・ハインライン、アジモフ、アーサー ・ C ・クラーク、ジェイムズ・プリッシュ などの作家の登場によって、はじめて ( パ ルフ。 ) S F は人類学的興味以外の対象とな りはじめる。こうした作家たちも未来錯誤 に免疫ではなかったが、かりにそうしたも のが存在しても、とんでもないへまという 感じはしない。たとえば、ハインラインの 「道路を止めてはならない」 "The Roads 266

9. SFマガジン 1985年6月号

になる。ロハート ・ノレイス・スティーヴン スンのジキル博士は、明らかに伝統的な鋳 型から作りたされたものであり、アルフレ ッド・ジャリのフォーストロール博士や、 コナン・ドイルのチャレンジャー教授も、 それと大差はない。一種の狂気としての科 学的創造力の過程と、科学者の完全な超俗 性を、めずらしいほど詳しく分析したもの J ・ S ・フレッチャーのユー or だな 0 が s 」 c ん / ( 1900 ) がある。その後に現われ たこのイメージの例には、フィリップ・ワ イリーの 7 ' 方どユん r イで r なん ( 1931 ) や、モーリス・ルナールのにイ 0 は夜な ん夜・れら 50 - イた″ ( 1908 ) に登場するレル ヌ教授や、 E ・チャールズ・ヴィヴィアン の & の - D ″立 ( 1925 ) のヒーローが含ま れる。 しかし、 19 世紀末には、それとはちがっ た科学者のイメージも現われはじめた。ア メリカの大衆はエデイソンを偶像視し、 の大発明家に対する尊敬の念は多くの通俗 小説に反映しただけでなく、中にはこの偉 人の名をそのままいただいたものまであ ギャレット・ P ・サーヴィスの った Edison's CO れ 9 “立竑」イ 4 ( 1898 ; 1947 ) と、トム・エデイソン・ジュニアを主人公 にした一連のダイム・ノベルがそれであ る。これに似た英雄崇拝は、その後、ルイ ・パスツールや、さらにはアインシュタイ ンに対しても捧げられた。もっとも、アイ ンシュタインの天才が狂気と紙一重である ことには、だれも疑いを持たなかった。こ うした英雄崇拝の最も純粋な発露の一つ カ : 、ヒュ ・ガーンズノくックの『ラル フ 124C 41 十』 4 ゅんノ 2 イ C イノ十 ( 1911 ー - 12 ; 1925 ) であり、英雄としての科学 者は、狂気の天才と並んで、バルプ SF の 発祥期からすでに顔を出していた。これに 関連した評論には、ェクストラボレーショ ン誌の 1965 年 12 月号に掲載された、トマス 23 ・ D ・クレアスンの "The Scientist as Hero in American Science-Fiction 1880 ー 1920 " がある。 初期のパルフ。 S F にも、、、 \ 人間味のあるツ 科学者が現われることはあったが、それら は本質的に偽物ーーおきまりのパルフ。小説 、科学の腕をぎごちなく移植 のヒーローに したたけのものだった。 E ・ E ・、、ドック″ スミスのリチャード・シートンが、その絶 好の見本である。パルフ。 SF での科学者ヒ ーローの性格づけで、最も重要な変化は、 理論的な天才の出番をすくなくして、修正 と改良を得意とし、独創よりもむしろ機械 いじりにいそしむ技術者に重きをおいた とだった。こうした種族の元型ともいえる のが、ジョージ・ 0 ・スミスの金星等 辺形″衛星のスタッフで、彼らはいつもジ ョーの酒場のテーフ・ルクロスに方程式や設 計図を走り書きしている。ジョン・ W ・キ ャンベル・ジュニアの A S F は、そうした ヒーローの溜まり場だったが、真の天才の 本質が気まぐれであることは、以前と変わ りなかった。それを裏書きするのは、ヘン ・カットナーがルイス・パシェット名 義で書いた訪 0 な丑 4 て℃ NO T な ( 1943 ー 8 ; 集 1952 ) の連作短篇に登場するギャ ロウェイ・ギャラハーである。この発明家 は、いつも泥酔状態のときにすばらしい機 械を発明するが、しらふにもどると、どう して自分がそれをやってのけたか思いだせ ない。おなじ時期、科学の天才に対する英 雄崇拝は、アイザック・アジモフの《銀河 帝国興亡史》シリーズで、ついにその頂点 ただし、ハリ・セルダンがこ に達した こまで地位を引き上げられた最初の社会科 学者であることは、特筆に値する。この時 期の SF は、アメリカ社会学月報 1958 年 3 月号に掲載された、ウォルター の "lmage of the Scientist in Science Fiction ”で分析されている。 XIX

10. SFマガジン 1985年6月号

科学者の仕事と社会的立場に関するもっ と現実に即した考えが、思弁小説ではじめ て表現されたのは、 S F 雑誌の中ではな く、 E ・ C ・ラージの、 S' ″ g ・切 / んどス耘 ( 1937 ) においてだった。この小説は、天 才の神話をもっと身近なレベルに引きおろ し、科学者の仕事とその目標の性格が、そ れに出資する企業のそれと対立するところ から生じる、新しい種類の社会不適応を綿 密に掘り下げている。チャールズ・ブライ という科学者は夢想家で理想主義者であ り、一方、彼が雇われてその内部で働いて いるシステムは、無分別で、愚かで、非理 性的である。かくして、気ちがい科学者の 神話は裏返しにされた。この傾向はすぐに は普及しなかったが、戦後の 10 年間に雑 誌 S F を席巻した。しばしば原子物理学者 が、世界の破減をもたらそうとする政治・ 軍事複合体の中で、孤立した正気の人間像 として描かれる ( 原子力 ) 。雑誌 S F 作 家たちは、テクノロジーが暴走をはじめた という一般的な判断を受け入れはしたもの の、その原因は機械のメーカーよりも機械 のユーザーのほうにある、としたのだっ た。自分の歪んだェゴを満足させるために 世界をふっとばそうとする気ちがい科学者 は去って、気ちがい将軍や気ちがい政治家 の時代がやってきたのだ。テクノロジーと 密接に関係した SF 界とはちがって、外部 の作家たちはそれほど単純には割り切らな たとえば、ヒ・一ター・ジョー かったが ジのストレンジラフ・博士を見よ この上 もなく高潔な理想と動機をいだいた科学者 を描いた作品を見つけるのには、さほど骨 が折れない。ピエール・フ・一ルの『カナ シマ博士の月の庭園』んど r 市れ Ka 〃のんわ〃 4 ( 1964 ) に登場するドイツの ロケット科学者たちは、月と宇宙飛行のこ としか念頭になく、 V2 号のことが話題に のぼるだけで身ぶるいする。 1950 年代のアメリカの機密保全強化は、 科学者の新しい社会的立場を強調し、軍事 的応用の可能性を持っ研究を進めることの 道徳的可否と、そうした状況で科学的発見 をすることの困難さを扱った SF の洪水を 生みだした。自分の発見が実用に移されて ゆくのを見まもる科学者の良心を扱った、 効果的な小品に、 C ・ M ・コーンフ・ルース の「真夜中の祭壇」 "The Altar at Midnight" ( 1952 ) があり、その他いく つかの例が原子力の項にリストアップされ ている。科学的探究心と軍事機密保全の対 立を最も劇的に描いた作品に、アルジス・ パドリスの『アメリカ鉄仮面』 VVho ? ( 1958 ) がある。社会の要求と対立する科 学者を描いたもっと最近の例としては、シ オドア・スタージョンの「ゆるやかな彫 刻」 "Slow Sculpture" ( 197 の、ポフ・・ ショウの G ″れ d Zero ユ ( 1971 ) 、 D ・ G ・コンプトンの T ん Steel C co イ〃に ( 1970 ; 圜 The EIectric C 加 co 市ん英 ) が挙げられる。ェドワード・ 、イアムズの T んどみん g の・ ( 1950 ) は、良心的な科 学者ヒューゴー・ドッペルが、社会の利益 追及によって滅ぼされてゆく過程を、効果 的に戯画化している 現代 s F では、理的科学者 ( 超俗的な 天才 ) と科学的技術者のあいだにほとんど 完全な分離が見られる。前者は多くの場 合、背景に押しやられた。事実、一般に科 学者が S F の主要人物として登場すること が、以前よりもはるかにすくなくなった。 特筆すべき例外は、科学者を兼ねた作家た ち ( たとえば、フレッド・ホイル、フィリ ッフ。・レイサム ) の作品である。科学の天 才の性格描写において近年の最も記憶に残 る試みは、アーシ、ラ・ K ・ル・グインの 『所有せざる人々』 T 力にのなに記 ( 1974 ) の主人公シエヴェックだろう。し かし、きわめて多数の現代 S F 作家が、 22 XX