作家 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1985年7月号

・ <-Y—C< ー N<3< ・今年は空前のスギ花粉症が日本全土を襲うということだったのに、今のところ大流行の気配はない。新手の奇病ガ夏に登場か ? 谷甲州という作家は、実に奥深い魅力を備込んだ記憶がある。 結局、本書収録の作品群に共通する雰囲 えた書き手である。それは第三世代と呼ばれそんなわけで、谷甲州はしばらく僕や僕の気、作家谷甲州の目は、「星空のフロンティ る若手作家たちの持っている魅力とは、また周辺の友人たちにとって、「これからの / ーア〕の地の文にあるカトマンドウでの援助金 少し違ったもののように思えるのである。レ作家のあるべき姿」みたいなものをそれとな論争、なぜ宇宙に出てゆくのが″軍なのか トリカルでもなく、アイデアもトリッキーな く教えてくれたヒーローだったのである。 をいう論議。」これはこの中篇のストーリーに ものはない。本当に素朴でたくましい想像力で、作品の内容についてである 1 。当時は作はほとんど関係がない。人によっては蛇足と に彼の魅力は支えられている。 家像の方に気をとられていて、彼の作品の本言うだろう。しかし、これはストーリ「にで 作品を語るのに作者の経歴をもってするの当の良さを見逃していた気がしないでもなはなく、谷甲州という作家に関係があるの は、ことにおいてはあまり意味のあるこ 。本書をアタマから読んでいってもらえば ととは思えないが、谷甲州の場合はその限りわかるが、「星空のフロンティア」は、お話途上国の援助を本腰を入れてやらずに、な ぜ大国は宇宙開発などといテ役に立 房ではないだなろう。「星空のフロンティア」 が今は亡き「奇想天外」誌に載っ 、たぬものに血道をあげるのか、また たときの新鮮な驚きは忘れられな ー . ーな・せ軍が宇宙〈出てゆくのかとい ? ) - 一 。作品そのものの無愛想な硬派 問いは、宇宙の核となる問いの 史ン ぶりもともかく ( そう言えばタイ ひとつだ。これをネパールで谷甲州 宙′庫 トルもびつくりするほどの素朴さ が星を見上げながら問うたことが大 だ ) 、谷甲州の経歴に仰天した記宇 きな問題なのである。 憶がある。なんと青年海外協力隊 な・せ、それほどまでして宇宙へ出 隊員で、一年のほとんどをネパー てゆくのか この問題意識を小松 装都 ルなどの発展途上国ですごしてい 左京以後、ひとりの作家が持ったこ るという。そして日本に帰ってく とに意義がある。谷甲州は決してテ 谷 る度に、書きためた原稿をどさりと編集者に ーマ主導型の作家ではないようだ 渡して、また旅立ってゆくというのだ。六本 が、地球の上を歩きまわりながら星 木、青山で遊び呆けながら「僕、ショーライ作りの巧拙から言えばそううまい方ではなを眺めていた彼に自然に備わった考えなのだ ナチュラル 作家するの」な 一人称の語りの間にまぎれこみ、知らぬろう。彼は自然に、ひと昔前のを追体 どとほざく学生うちに延々展開される地の文の主張が少々単験している。ネ。 ( ールの村で地酒をちびちび の多い昨今、こ調で長すぎるのだ。「仮装巡洋艦・ ( シリスやりながら星空を見上げ、キリマンジャロの れはまたなんとク」や「襲撃艦ヴァルキリー」などはその点登頂ルートで満天の星を仰ぐ。こうして、こ いうカッコ良さうまく刈りこまれ、お話の展開もいわゆる戦の惑星と生物を自分自身のからだで計り、眺 影であろうか。し記もの風になってコツを捉えたものになってめてきた彼だからこそ宇宙へのあこがれを本 近ばらくカルチャ いる、長足の進歩であるーーなどとしたり顔当に素直に表現できるのだろうと僕は思うの 著 ーショックで寝で評論家していてはいかんのだ。 である。 伊沢昭 9 艦甲

2. SFマガジン 1985年7月号

恒久的に使える商品を作って、世界経済を くつがえそうとする。シマック作品に特有 の、都会嫌い、農村びいきもふんだんに見 られる。さまざまな意味できわめて保守的 な作家である彼は、のどかな中西部的価値 観の、 S F 界における優れた代弁者といっ てよいだろう。その作品には暴力描写はほ とんどなく、ひなびたユーモアに満ちてい る。強調されるのは個人主義であり、思い やりの感情がそれをほどよくやわらげる。 、浪き隣人″主義で 手短かにいうなら ある。 50 年代を通して、シマックは水準の 高い短篇を数多く発表しつづける。その大 部分は、つぎのような作品集に収められて いる。 & れ U れ ( 幽 1956 ) 、『大きな前庭』『愚者の聖戦』 ( わ が国では 2 分冊 ) The Ⅳ I CI の & 襯ん ( 1960 ; み I れ $ 工 0 を / k んろ 0 ″英 ) 、み〃 the 7 ' 第 5 0 工 4 れん ( 1962 ) 。中では 1959 年のヒュー ゴー賞を受けた「大きな前庭」 "The Big Front Yard ” ( 1958 ) と「孤独な死」 "A Death the House ” ( 1959 ) がきわだ っている。 1960 年以降、シマックは年にほぼ一冊の 割合で長篇を発表しはじめる。 Time the & 襯が e 立 Thing ( 1961 ) と T ん Ⅳ記ん記 M どれ ( 1962 ) は職人的なェ ンターティンメントだが、『中継ステーシ ョン』ル & ( 1963 ) はなかなか 強烈な印象を残す。これは銀河系の中継駅 を管理する見返りに、不死のいのちを得た 孤独な農夫の物語である ( 彼の家が、星か ら星へとわたる異星人たちの中継駅になる のだ ) 。作品にこもる温かさ、ディテール の豊かさは、あざやかに描かれる田園風景 とともにシマックの最高傑作というにふさ わしく、これは 1964 年のヒューゴー賞に輝 いた。ス〃おんお Grass ( 1965 ) 、『な ぜ天国から呼び戻すのか ? 』Ⅳ Ca 〃 T ん襯おな c た工加〃 2 れ ? ( 1967 ) 、 『人狼原理』 The Ⅳど 30 ゲ ~ 〃じゅ ( 1967 ) は、基本的には二番せんじだが、 楽しめる作品である。『小鬼の居留地』 T み 0 Go 況い / 0 れ ( 1968 ) ではま た新境地を開拓したように見えるが、これ もじっさいには昔ながらのウイスコンシン 風田園ファンタジイに、新しい、ひょうき んな衣をかぶせたものである。読者のなか には、シマックの作家としてのカの衰え を、この長篇以降と見る向きもある。なる ほど 70 年代に入ると、当たりはずれが目立 つようになる。 D 立切 y Do 〃 ( 1971 ) 、 襯にⅣ br ( 1973 ) 、 E れ訪の ed ~ ″ k 襯 4g0 ( 1975 ) などでは、かっての 才能はときおりひらめく程度、あとはずさ んな物語があるにすぎない。大きな例外は C ん 0 / 化研 Go イ 5 ( 1972 ) で、これは人 ロの減った世界、年老いた賢人、ロポット の解放、、、幽霊〃屋敷、星々へのテレポー トなど、シマック得意のテーマがすべてく りかえされる哀調をおびた佳作である。 S ん 0 ん ' 5 れ ( 1976 ) は、異邦の 惑星に着陸した探検者が、シェイクスビア 愛好家の足跡をそこに発見する物語で、楽 しめるできばえになっている。近作 A 丑催″ 4 研 & 5 ( 1977 ) は、彼がこれ まで扱ってきたテーマの要約に近い。テク ノロジーの減びた世界に舞台をとった探索 の物語である。シマックにはたしかに限界 がある。だが好調なときには、彼はきわめ て魅力的な作家である。 〔 D P 〕 その他の既訳作品 『マストドニア』 Ma 立。 d 。 4 ( 1978 ) 、『妖魔の潜む沼』 T ん住五に〃 03 訪ツ舫 T / 地れ ( 1978 ) 、 『宇宙からの訪問者』 The 巧 0 ( 1980 ) 、 『法王計画』乃 - 。元は君。加 ( 1981 ) 、『超 越の儀式』 c / 翫れ化 ( 1982 ) 。 ( 次号につづく ) ( 以上の項目、伊藤典夫訳 ) XVIII 262

3. SFマガジン 1985年7月号

クス作家のウ = ンディ・オールを加えての小隅たいへんでしようが、ご健筆お祈り本で最上の作品をセレクトして英訳してみ 子供向けの教科書、次は・ハ ーンズが加わる申しあげます。さて最後になりますが、日る。それだけではぎごちない英語になるだ ホラー 7 ぶ e ト eg 0 0 、きき、、さらに本のファンに何かメッセージを。 ろうから、びとりアメリカの作家にその英 ディヴィッド・ジェロルドを加えての F ミ・ ニーヴン日本のがもし他の言語にー 語を磨かせ、そのうえで売りこむ。英訳で ー特に英語に翻訳されるようになれば、い はなくとも、似たような形で″共作″もで それらと並行してアンソロジーの企画がま以上に優秀な作品が出てくるだろうね。きるだろうね。 二本進行している。〈ノウンスペ 1 ス〉の京都でもファンと話したんだが、誰かがや それを出版するアメリカの出版社にとっ なかの人間ークジン戦争のことを、いろい らなくちゃいけない。 てもちょっとした冒険だし、日米双方の作 ろな作家に書かせようという企画で、ペイ小隅これまでもそういう試みはあったん家にもリスクはある。だがうまくいけばそ ン・・フックスの編集長ジェイムズ・ペインですが、なかなかうまくいかなくて。 れでみんながいくばくかの収入を得られる と協力して編む。いや、まったく忙しい ニーヴンあきらめずやってみることだ だろうし、また、そういう基盤があってこ よ。それでも契約は結んでしまうんだがねね。まずやらなくては。こういう方法はどそ、マーケットをひろげられるというもの うだろう。きみかあるいはほかの人が、日 ・こ。いままでたのしませてくれた r.n に、 そんな形で恩返しするのも悪くないよ。 それとファンダム全体には がんばっている。ご期待にそえるかどうか お・ほっかないけど、がんばってるよ″とい うところかな。 て に小隅ありがとうございました。これから 第 ( 一・空もすばらしい作品でわたしたちを楽しませ 国てください。 田 成 円 5

4. SFマガジン 1985年7月号

部分といっしょにまとめられて、長篇『見 知らぬ者たちの船』 S んゆ Strangers ( 1968 ー 75 諸雑誌 ; 1978 ) となった。 ショウは、通常の定義による S F の枠の 中に安住している点で、典型的なジャンル 作家である。しかし、彼の作品に見られる 手堅い筆致と、専門的知識と、登場人物へ の理解は、ほかに比肩しうる作家がすくな い。現代 S F の最も野心的な作家ではない にしても、最高のエンターティナーの一人 であることはまちがいない。 〔 D P 〕 その他の既訳作品ーー『眩暈』れ ( 1978 ) 。 シェイ、ロ′ヾート SHEA, ROBERT ( ? ー アメリカの作家、フ。レイボーイ誌の編集 者。 ト・アントン・ウイルスンとの 合作になる手のこんだ長篇〃ん襯切 ! は、 The E. ッ切 the Pyramid ( 1975 ) 、 The Golden み第ゑん ( 1975 ) 、 e ⅵん 4 〃 ( 1975 ) の副題のもとに 3 分冊として刊行 された。 ーこには探偵小説、ファンタジ イ、 SF の要素が渾然一体となって、くイ ルミナチ〉の巨大な陰謀の物語を形作って いる。くイルミナチ〉は、歴史的には、 18 世紀末ドイツの自由思想家の集団だが、 の小説ではもっと拡大されて、さまざまな 化身の集団となり、その中には H ・ P ・ラ ヴクラフトの、、クトウルー神話 / / の神々ま でもが含まれている。くイルミナチ〉は権 力を握るため、世界の実質上の破壊を策す るが、その過程で現代世界のありとあらゆ る重要な事物が登場し、そして、なんらか の形でくイルミナチ〉の恐ろしい遍在を 暗示する。トマス・ビンチョンの The Crying 49 ( 1966 ) の影響を受け たこの小説は、ケン・キャンベルとクリス ランガムの脚色で舞台劇に移しかえら れ、成功をおさめた。パロティと、バラノ ースでヒ イア、ジョーク、ポーカー フェ ステリックな陰謀活動を組み合わせたこの 小説は、非常な人気を博した。共作者のウ イルスンは、この作品を、「左右を問わ ず、さまざまな思想を、その唱道者がそう したがらないところまで、論理的に一歩押 し進めるという手法をとった、あらゆる哺 乳類政治のリダクティオ・アド・アフ・サー ダム」と要約している。 ( 以上の項目、浅倉久志訳 ) シェクリイ、ロバート 〔 J C 〕 SHECKLEY, ROBERT ( 1928 ー アメリカの作家。 ーヨークに生まれ 育ち、小説の中には同地を舞台にとったも のもあるが、外国での暮らしが長く、 1 7 年現在もロンドンに住んでいる。 1946 年か ら 1948 年にかけて朝鮮で兵役をつとめ、帰 国したのち小説を書きだし、 1952 年イマジ ネーション誌に "Final Examination ”で デビューした。以後数年間、さまざまな雑 註に精力的に短篇を書きまくるが、技巧と ウィットに富んだ、軽快でくだけたその作 風が特に似合ったのはギャラクシイ誌で、 じっさい多くは同誌に掲載された。シェク リイは短篇作家としてもっともよく知られ ており、これには初期の 5 年あまりの活動 から来る : 印象が大きくあずかっている。 第 1 短篇集『人間の手がまだ触れない』 U 04 訪に d by 〃 4 襯 4 れ〃〃 ( 1954 ) はきわめて水準の高い出世作で、彼の最良 の作品が何点かおさめられている。たとえ ば「怪物」 "The Monsters ” ( 1953 ) 、表 題作 ( 1952 ) 、「七番目の犠牲」 "Seventh Victim ” ( 1953 、のちに『華麗なる殺人』 4 d “ / 襯 4 つ″襯 4 , 1965 の題名で 映画化、作者自身によるノヴェライゼー ション『標的ナンバー 10 』 T んどん 巧 1966 ) 、そしてずばぬけた「専門 家」 "Specialist" ( 1953 ) などである。最 270

5. SFマガジン 1985年7月号

ようです。しかも、それは良質な読み物と の大会でゲスト・オヴ・オナ 1 同士 ( かたヴォンダ・マッキンタイア、 O ・・チェ リイ、ディヴィッド・ドレイク、ジャネッしてのエンタ 1 ティンメントとは趣きを変 ゃ。フロ、かたやファン ) となったことがあ り、これも参加してくれることになりましト・モリス、ダイアナ・・パクスンら大え、新しい時代のパルプ小説とでもいえる ー・シリースこ ような、ゲーム的なスト 1 リイとキャラク 勢の作家がこのアンソロジ ターの魅力に支えられているようです。 マリオン・ジマー ・・フラッドリーとは、作品をよせています。 ファンのあいだでの人気も高く、大会で最近わが国でも数多くのゲーム・・フッ ロサンジェルスの大会で話したことがあ のコスチュ 1 ム・ショウにこのシリ 1 ズのク、アドヴェンチャー・・フックが出版され 、彼女の同意も得られます。 フィリップ・ホセ・ファ 1 マーとは過去キャラクターが登場したり、新刊がベストるようになりました。文学か科学か、 かファンタジイか、といった論争をしりめ に二度の大会で同席したことがあり : : : とセラー・リストに登場したり、・フック に、このようなゲ 1 ム性の高い作品が高い いった具合に、長年のファン活 人気を誇っていることに、・せひ注目してい 動が実を結ぶことになったので ただきたいと思います。シマックやニーヴ す。 ンやノートンがゲーム小説を書いているの あとはおきまりの、〆切と、 は、ゲームの人気だけが原因ではなく、ゲ 原稿集めの苦労話が語られてい 1 ム的な物の考え方がいまや大きな力をも ます。なんと、いちばんアスプ っていることの証拠とも考えられるからで リンを手こずらせたのは、こと のはじめに企画参加に同意した ともあれ、神話との駄ジャレのタイトル 第一号著名作家ゴードン・ディ がじつに覚えやすい〈ミス〉シリーズは、 クスンでした。けつきよく、彼 最近過剰気味のユ 1 モア・ファンタジイも の作品は第一巻にはまにあわな かったのです。ところが、そのディクスンクラ・フから合本が刊行されたりしていまのの中でもひときわ光る、愉快なヒット作 といえましよう。このような作品が若い読 は自分のつくったキャラクター″赤毛のジす。 にすっかりほれこみ、のちにこ やはり〈ミス〉シリーズのほうも、ロ 1 者をつかんでいるおかげで、アメリカにお のシリーズとは無縁の長篇トミ ~ ・カス誌などに発表される専門書店のペけるファンタジイの人気はなかなか落ちな いということなのでしようね。 ( 一九八四 ) を口 1 ランド・グリーンと共ストセラ 1 ・リストにしばしば顔をだし、 作しているのですから、作家たちのこのシ上位を数か月占めています。作品がコミッ リ 1 ズへの愛着のほどがうかがえるといえクやゲームになっていることからもわかる ましよう。 とおり、アス。フリンの人気の秘密は、その ほかにも、 << ・・ヴァン・ヴォート、 徹底したエンターティンメント志向にある 223

6. SFマガジン 1985年7月号

に 1930 年代にロバート・ E ・ハワードが書 いた《コナン》シリーズや、 1960 年代にジ ョン・ノーマンが書いた《ゴル》シリーズ の中に見出される。ノーマンは、女奴隷の 鞭打ちと、その他、ありきたりの性的フェ ティシズムを専門にしている。ヴィジュア ルの世界でこれらの作家に相当するのは、 S F 表紙画家のフランク・フラゼッタであ る。彼の描く熟れきった豊満な美女は、鱗 の生えた男根形の怪物にたえずおそわれる が、それ以外のときには彼女自身が残酷な アマゾーンとなり、この上もなく筋肉隆々 の男たちをかしずかせている。 SF の主流、特にスペース・オペラにあ っては、女性が極端な残酷さに走ったり、 ひたすらか弱く無力であったりする傾向 は、わりあいすくない。 E ・ E い、ドック″ スミスの《レンズマン》シリーズや《スカ イラーク》シリーズのヒロインは、快活な 隣家の娘タイフ・の素朴な魅力が売り物で、 これがすくなくとも 1940 年代まで、月並み な S F での典型となった。ハリイ ・ノ、リス ンは、『銀河遊撃隊』 & S 襯ん 5 the G 記 0 ュ 4 g s ( 1973 ) で、パルプ S F 、特に、、ドック″スミスの作品での性 的関係をパロディ化している。全米代表的 なキャリア・ガール / おてんば娘のコミッ ク・ストリップ版としては、《スーパーマ ン》のガールフレンド、ロイス・レーンカ : 挙げられる。 異種族混交は、 S F では最もありふれた 性的テーマである。初期には、それがあっ さりと扱われる傾向があった。意識しない ューモアがかもし出されたー場面は、エド ガー・ライス・パローズの『火星のフ。リン セス』 ~ r 化 ( 1919 ) で、 ジョン・カーターが、誇らしげに彼の妻で ある王女のそばに立ち、保育器の中にいる 愛児を見下ろすところだ。夫妻の子供は、 まだこの段階では、大きな卵なのである。 275 異星生物がおおむね恐ろしいものと見な された時代には、異種族混交は、たいてい の場合、レイプを意味した。フ・ラネット・ ストーリーズ誌をはじめとする多くの雑誌 は、好色な表情をたたえて人間の女を追い かけるべム ( 大目玉の怪物 ) を表紙絵の主 役にしていたー一人間の女がタコに性欲を そそられないように、タコが人間の女に性 欲をそそられるとは思えないから、これは 明らかに不合理である。 19 年代初期に は、 2 人の作家、フィリップ・ホセ・ファ ーマーとシオドア・スタージョンが、この テーマをもっと真剣に考察した。それまで の雑誌 S F は、性的行為や感情を控え目に 暗示するだけで、けっしてそれを明示する ことはなかった。アスタウンディング・サ イエンス・フィクション誌 ( のちのアナロ グ誌 ) の編集長ジョン・ W ・キャンベルの 片腕だったケイ・タラントは、その淑女ぶ りで名高く、おおぜいの作家にれ、かがわ しい″場面や、、、下品な言葉″を作品から 削るよう要求した。これは一つには時代の 風潮にしたがうためであり、またーっに は、おそらく読者層の大半を占めるだろう 思春期の少年たちを守るためだった。一部 の作家達にとっては、彼女をいかに出し抜 くかが一つのゲームとなった。真偽の怪し い工ビソードによれば、ある作家は、、、ポ ールペアリングの ( 玉持 ) ネズミとり " とい う言葉を使って , 検閲をくぐり抜け、つぎ のべージで、その装置が雄猫だと種明かし をしたという。 しかし、そうした時代にあって、ファー マーとスタージョンは、明白な形で性をと りあげた。新しい、異なった社会を想像す るのを誇りにしているジャンルが、旧来の 文学以上に性的タブーに縛られているのは 時代錯誤であることを、この 2 人はよく認 識していた。スタージョンは砌″ s ん 5 X ( 1960 ) をはじめとする作品で、三角関

7. SFマガジン 1985年7月号

います。奥さまのマリリンさんももとはフ説にうまくいかした、というところ マにファンが増えている。・ほくの作品に 」 0 アンでいらっしゃいましたね ? は、かれらを惹きつけるものがあるらしい 小隅たとえばいちばんお好きなハート んだ。かれらは、リングワールドがうまくニーヴンそうだ。 い作家は ? 設計されているかどうか、といったような小隅お仲間で″ふわふわ″と呼ばれて ことに関心を示して、じっさいに計算したるんですが、その由来をおきかせくださニーヴンアーサー・ O ・クラ 1 ク、ポ】 ル・アンダースン、ロく りするんだよ。 1 ト・・ハイン 小隅日本にも同じような熱心なファンがニーヴン彼女がマサチ「一ーセッツ工科大ライン、ジョン・ヴァーリイ、それにジャ 学にいたころ、寄宿舎でとてもック・ヴァンスだ。ヴァンスが意外かね ? おかしなスリツ・ ( をはいてたん彼は意想外の仮説をたてるのにたけてい だ。それが有名になってね。ある。ファンタジイも書くし、それはそれで ード TJ を書くいつぼうでフ 真るときよくは知らない男の学生好きだが、 ( アンタジイを書く作家はおおぜいいるよ。 念が、校長先生の前で彼女を、 記″ふわふわビンクのスリツ・ハ ・ほくもそのひとりだ。 手と呼んだ。スリツ・ ( 姿なんて・ヘ小隅ハル・クレメントやロ・、 ッドルームにいっしょにいなけフォワ 1 ドは ? りや見られないだろう。で、変ニーヴンクレメントの作品は好きだが、 1 に思われるのを避けるため″ス ベストというわけではない。良質のサイエ リッパ″をとって、ただの″ふンス・フィクションではあるが、フィクシ わふわビンク″になったんだ。 ンがいささか弱い。文体はいまひとつだ 小隅さてについておうかし、人物造型もうまいとはいえない。フォ ノードコア・ ワードも同じ問題をかかえている。まあ彼 作力いしましよう。、 をどう定義しますか ? は新人だし、上達ぶりには目を見はるばか ニーヴン物理学、薬学、政治 りだ。新作のド e the しミ g ・ 学、歴史学、化学などの科学の。 ( 小社刊行予定 ) など見事なものだ 法則に最小限反することなく、 よ。本当に科学に通じている作家だね。フ そのエッセンスをとり入れ、 ォワードやクレメントの小説にあるのは スタイル

8. SFマガジン 1985年7月号

ワインの杯が重ねられまし■鬘 一夜あけて金曜日。酔いにまかせて二人 睛 の作家に執筆依頼をすませてしまったこと 事 やがて、リン・アビイが提案 に気づいたアスプリンは、やむを得ずほか LL します。自分のアイディアと作 【 ~ の作家にも打診をはじめます。昼食時にジ 品世界を他の作家に示し、代作 ・ホールドマンがその犠牲になりまし 外 してもらえば、というのです。・ た。ヒロイック・ファンタジイなど書いた 、、 ~ こうしてアンソロジーのアイデ ことがないといって断わろうとするホール ィアが生まれました。 ドマンに、ヴェトナム戦争でこのての話に ディクスンはシャンペンを注 、ふさわしい人物に出会ったはすだとアス。フ 右 文して、アス。フリンのこの企画〕。 リンはもちかけました。ホールドマンも寄 ズ を祝福し、有名作家もみんな金 稿することに同意しました。 のためでなく、このアイディア 土曜日。まだかけだしの無名作家である の楽しさにひかれて作品をよせ ことを口実に、プロジェクトへの参加をた てくれるさ、とうけあいます。 工 めらうリン・アビイへの寄稿依頼がすみま アス。フリンは早速その場でデ一、ー ) 、、 イクスンに寄稿を依頼します。 日曜日。 ーティの席で、当時エース・ ン ディクスンは、書きたいのはや ・フックスの編集者だったジム・ペインが、 まやまだが、暇がなくて、とい このアンソロジーへの関心を示します。さ います。 らに、ジム・オドく 1 トが地図をつくるこ 五分後、ディクスンは自分の とを提案し、その依頼もすみました。 話のキャラクターを考えっきます。 トだからです。そこでディクスンは、著名大会がおわるとすぐ、アスプリンはアン 十五分後、それはディクスンの頭の中で作家と編集者が同席している場でその企画 ドル 1 ・オファット ( コナン・タイ。フのフ 完全なストーリイのかたちをとっていましの話をもちだし、両者の反応を見てはどう アンタジイが得意で、アス。フリンとはジン か、と提案したのです。すでに深夜にもかギス汗びいきという共通点があることか ディクスンは出版社を見つける知恵も授かわらず、すっかり夢中になっていたアスら、知りあいだった ) 、ポール・アンダ】 けてくれます。予算規模をどれぐらいに見ゾリンは、この提案を実行します。ディクスン ( ティクスンとともに創造的時代錯誤 積るかという判断がアンソロジストには必スンにつぐ寄稿者第二号は、こうしてジョ協会の主要メン・ ( ーで、そのゲームを通し 要です。執筆の契約を結ぶのも、原稿料をン・・フラナ 1 に決定しました。・フラナ 1 はて知っていた ) などに電話をかけます。 支払うのも、出版社ではなくアンソロジスゾランを聞いて大のり気になったのです。 ロジャー・ゼラズニイとはアーカンソー こ 0 2 2 2

9. SFマガジン 1985年7月号

口に傾いている。 S F は、大部分のジャンル ( 恐怖小説を 除く ) よりも、性を嫌悪感と結びつける傾 向が強いかもしれない。レイ・ブラッドベ リと、シオドア・スタージョンと、ロバー ト・フ・ロックは、性が、暴力、血、反発、 苦痛、奇形、さらには死と不可分に結びつ いた物語を書いている。しかし、この 3 人 とも、 S F のスペクトルの中では上ロロ な一端に位置する作家と、一般に認められ ているのだ。明白に性を扱う SF の中で優 勢を占めるのは、肉体を支配する心という より、心を支配する、、異星人″として見た 肉体のイメージである。 多くの批評家が、、ポルノグラフィー的″ SF の最高傑作として挙げるのは、 J ・ G ・パラードの C 訪 ( 1973 ) である。 の作品では、テクノロジーのイメージと性 のイメージがからみあい、テク / ロジー社 会とその疎外作用に対するあいまいな、か ならずしも否定的とはいえないコメントを 形成している。この本の中心イメージは、 オルガスムと自動車の衝突であり、この 両者はしばしばおたがいに通じあう ( お なじパラードの『残虐行為展覧会』 The み 0 な E ェん″れ 1970 ; 圜 0 e の I 加 : E 。 USA 米を参照のこ 最近の作家たちは、 3 人でするセックス や、同性愛、両性愛、さらには汎性愛さえ もが正常となった文化について、ェクスト ラボレーションを行なっている。サミュエ ル・ R ・ディレイニーの多くの作品、とり わけ、 D ん記なれ ( 1975 ) や、 T 加〃 ( 1976 ) が、それに当たる。トマス・ M ・ ディッシュの『 334 』 33 イ ( 1972 ) も、お なじである。マイクル・ムアコックは、 ー・コーネリアス》物や , その他 《ジェリ の作品で、近親相姦や、両性愛や、強い女 性支配を持ちこんだ。ジョアンナ・ラス 273 は、『フィーメール・マン』 The 襯 4 Man ( 1975 ) で、男性優越思想への痛烈 な反論を展開し、実現可能なさまざまの社 会を提案しているが、そこでは男性は余剰 物なのである。ジョアンナ・ラスは、おそ らく S F で最も著名なフェミニズムの闘士 であり、まだ SF にはびこる男性優越思想 に対する彼女の激しい攻撃は、広く支持さ れている。 旧世代の作家たちの中でも、たとえば アイザック・アジモフー一一彼は The & れ釼 0 の耘 0 Ma れ ( 1971 ) と題 するノン SF 作品まで書いているぐらいだ ト・ハインラインは、 198 年 代の自由の中で羽を伸ばした。 ハインライ ンの近年の大半の作品に見られる中心テー マは、性の解放への強い訴えである。これ は、人気の高い『異星の客』 & れ g 4 Strange d ( 1961 ) 以来、彼が重き を置いている主張で、ある老人が女秘書の 肉体の中で新しい生命を与えられるという 設定の『悪徳なんかこわくない』一Ⅳ襯 “ No E 〃 ( 1970 ) に、とりわけ色濃 く出ている。彼は『愛に時間を』 Time E 加 ug ん工。だん 00g ( 1973 ) でも、ふたた びこのテーマに取り組んだ。トマス・ M ・ ディッシュは、それ以前のハインラインの 作品にも性的テーマが隠れている、と論じ ている。それによると、『宇宙の戦士』 & んゆ Tro 5 ( 1959 ) のタフで男性 的な外見の裏には、ホモセクシュアルのテ ーマがはっきり読みとれるし、それは兵士 たちのつけるイアリングのようなディテー ルひとつにも明らかだ ! ( ヒ。ーター・一 ルズ編『解放された S F 』 & 加 e 砒・ 砒ん“ g 1976 ; 圜 E の第ん ra 0 5 of 〃 ん us に収められたディッシュの「 S F の気恥ずかしさ」 "The Embarrassments of Science Fiction" 参照 ) 。もし、ディ ッシュの論点が全体として正しければ、 S VII

10. SFマガジン 1985年7月号

がこれまた気まぐれに変転する銀河系をか けめぐる羽目になる。初期長篇のなかで唯 一遜色のないできばえを見せ、無駄のない 語り口によって諷刺を成功させているのは 『ロポット文明』 The & 4 s C ″た〃 ( 1960 ) だろう。これは、体制順応がつね に悪を意味する刑務所惑星を舞台に、その 階層社会 ( 多くは混乱の極にある ) を描い たものである。 ひところに比べるとシェクリイの執筆量 はさほど多くはないが、作品の水準に衰え は見られない。しかし、ほとんど不条理小 説といってよいものを書く傾向はますます 強まっており、これが SF の一般市場に合 わないおそれはありそうである。ジュピタ ー賞の短篇部門を 1973 年 "Suppliant ⅲ Space" で受賞してはいるが、事実、近作 は S F 専門誌より、プレイボーイのような スリック雜誌に発表されることが多い。 『人類の罠』 The 。が e TraP ( 1968 ) は、新作・旧作をとりまぜた作品集。だが 『残酷な方程式』 Ca れ You 記み g んれ 1 Do T んな ? ( 幽 1971 ; The Same You D 。 I 記英 ) の収録作の大 部分は新しく、近年の作風の見本となって いる。アメリカ版の題名となった「こうす ると感じるかい ? 」 ( 1969 ) は、セックス に憑かれた家庭用ロポットの悲劇を扱って いるが、集中の最高作は、男らしさを計画 的に養うことに成功した臆病者をえがくノ ン S F 「コードルが玉ネギに、玉ネギが ンジンに」 "Cordle t0 Onion t0 Carrot" ( 1969 ) である。 0 / 。加 ( 1975 ) は、 S F 的装置を一つの妄想体系とも、あるいは パリー・ N ・マルッパーグ風に、主人公ト ・ミシュキンが生きようとしている人生 ム のさまざまなかたちの、彼から見た ( 程度 の差はあれ ) 劇的投影とも考えることがで きる。 SF のテーマを人間の苦悩の暗喩と してとらえるマルッパーグの姿勢に、この XII 分野でいちばん近いところにいるのはシェ クリイであり、一方、語りの巧みさとウィ ットで見るとき、もっともシェクリイらし さを感じさせるのはロン・グーラートであ る。シェクリイは洗練された都会派の作家 である。彼はこのジャンルが取りうる、よ り単純な、より冒険的な形式を血肉とする ことができず、ただ習慣的に愛情をこめて パロディ化するにすぎない。そのため彼よ りカ量の劣った作家たちと比べても、いま ーっ人気が出ないうらみはあるが、ウィッ トが軽薄さのあらわれとして見過ごされが ちなこの分野で、彼がうちたてた名声は評 価されてよい。 〔 J C 〕 メアリ・ウルストンクラフト シェリ SHELLEY, MARY WOLLSTONECRAFT ( 1797 ー 1851 ) イングランドの作家。父は哲学者・作家 ウィリアム・ゴドウイン、母は女性解放論 者・教育家メアリ・ウルストンクラフト で、彼女はメアリを出産後亡くなった。 1816 年、パーシー・ ビッシュ・シェリーと 結婚。これは二人がヨーロッパに駆落ちし てから 2 年後、シェリーの前妻が自殺した 直後のことである。その年、シェリー夫妻 はパイロン卿と親しく交際するが、やがて パイロン ( あるいはおそらく彼の主治医 ) が、たがいの作品に目をとおしたところ で、皆で一つずつ怪談を書いてみないかと 提案した。 パイロンやパーシー・シェリ の机上からは見るべきものは生まれなかっ たが、それを契機にメアリの書きあげたの が『フランケンシュタイン』だれ立例ツ : の・ , The ユん r の夜い ( 1818 ; 國 1831 ) である。イギリスでもっとも有名な 恐怖小説であることに異論はないが、もっ とも広く読まれているかどうかは疑わし い。なぜなら、その伝統的なゴシック小説 の構造、すなわち物語の中にまた物語が組 268