ははっちょう から、惨敗を喫しても、悄れないかといえばそうでもない。 ふくみ、黒い八哥鳥がしきりと飛び交っていた せいそうまゆ しょぐん 1 一うこく さすがの曹操も、大敗して帰る途中は、凄愴な眉と、惨たる 諸軍号哭の声やまず。 キ - しよう ものを顔色に沈めてゆく。 と、原書は支那流に描写している。初夏、麦を踏んで意気衝 ばいさんさんみ 梅酸も酸味 天の征途につき、涼秋八月、滅身創痍の大敗に恥を噛んで国へ はいせんまたさん 敗戦も亦酸 帰る将士の気持としては、あながち誇張のない表現かもしれな おなじからすいえどに 不同と雖も似たり あま しんぜっ りよけん うきん 心舌を超えて甘し 顧みれば、呂虔とか于禁などの幕将まで負傷している。無数 あん しちょう ああ 馬上、揺られながら、彼はいっか詩など按じていた。逆境のの輜重は敵地へ捨てて来た。 意。仰げば、暮山すでに晦く 中にも、なお人生を楽しもうとする不屈な気力はある。決し陽は陰ろうとしている。 て、さし迫ることはない。 『あっ、何者か来る』 じようじよう 襄城をすぎて、清水の畔にかかった。 『味方の早打だ』 ふと、彼は馬を止めて、 士卒が口々に云った時、彼方から早馬一騎、鞭をあててこれ ああ 一、い議し : 噫』と、低徊しながら、頬に一涙さえながした。 へ来た じゅんい 怪しんで、諸将がたずねた。 許都に残っている味方の彧から来た使である。もちろん書 じようしょ・つ 『丞相、何でそのように悲しまれるのですか』 簡を携えている。 いくすい 『ここは清水ではないか』 さっそく曹操がひらいて見ると、 けいしゅうりゅうひょう 『そうです』 荊州の劉表、奇兵を発し あんしようふきん 『去年、やはりこの地に張繍を攻めて、自分の汕断から、典 御帰途を安象附近に待って ちょうしゅう あわ 韋を討死させてしまった。 : : : 典韋の死を傷んで、ついその折 張繍と力を協す。 の事どもを思い出したのだ』 御警戒あるように。 ゃな という報だった。 彼は、馬を降りて、水辺の楊柳につなぎ、一基の石を河原の ・一んよく 小高い土にすえて、牛を斬り、馬を屠った。そして典韋の魂 五 をまねくの祀をいとなみ、その前に礼拝して、ついには声を放 って哭いた 『それくらいな事はあろうと、かねての用意はある』 さわ じゅんいく 曹操は躁がなかった。 ~ 旬彧の使にも、 夏多くの将士もみな、曹操の情の厚い半面に心を打たれ、 『案じるな』と、云って返した。 そ、つ - 一う ちょうしゅう 酸 りゅうひょう けいしゅ、つ そうあんみん 梅次に、曹操の嫡子曹昻の霊をまつり、又甥の曹安民の供養を安象の堺まで来ると、果せるかな劉表の荊州兵と張繍の蝣 もなした。 ー楊柳の枝は長く垂れて、水はすでに秋冷の気を 聯合勢とが難所を塞いでいた。 まつり しお ちょうしゅう てん てん ふさ はっ
ゆるした。 袁紹は、第二の命として、 めわら・ヘ 『わが弟の袁椅よ、 一 - 彳。いささか経理の才がある。袁術をもって、 艶めかしい美姫と愛くるしい女童が、董卓に侍いて、玉盤に ひょうろう 今日より兵糧の奉行とし、諸将の陣に、兵站の輸送と潤沢を計洗顔の温水をたたえて捧げていたが、秘書の李儒がはいって来 らしめる』 たのを見ると、目礼して、遠い化粧部屋へ退って行った。 それにも、人々は、支持の声を送った。 『なんだな、早朝から』 『ー 1 ・次いで、直ちに我軍は、北上の途にのばるであろう。誰董卓は、脂肪ぶとりの肥大な体を、相かわらず重そうに揺る しすいかん か先陣を承って、汜水関の関門を攻めやぶる者はないか』 がして、榻へ倚った。 すると、声に応じて、 『大事が勃発しました』 『われ赴かん』 『又、宮中にか ? 』 み一しもの たいしゅそんけん えん′一く と、旗指物を上げて名乗った者がある。長沙の太守孫堅であ『いや、こんどは遠国ですが』 そうぞくらん 『草賊の乱か』 『ちがいます。ーー曾てなかった叛軍の大がかりな旗挙げが起り ( した』 ちんりゅう 『陳留を中心として』 そうそう・えんしよう 『では、主謀者は曹操か袁紹のやつだろう』 『左様です。たちまちのうちに、十八カ国の諸国をたぶらか みつしよう し、われ密詔を受けたりと偽称して、幕営二百余里にわたる大 軍を編制しました』 『そいつは捨ておけん』 あかっき 0 この暁 『元よりのことです』 らくよう じよ・つしようふ 洛陽の丞相府は、なんとなく、色めき立っていた。 『でーーまだ詳報は来ないか』 ぶえいもんようりゅう ひんびん 次々と着いて来る早馬は、武衛門の楊柳に、何頭となく繋が 『昨夜、夜半から今暁にかけて、頻々たるその早馬です。 えんしよう そうそう れて、、いありげに、嘶きぬいていた すでに、敵は袁紹を総大将と仰ぎ、曹操を参謀とし、その第一 じようしよう そんけん しすいかん の『丞相、お目をさまして下さい』 手の先鋒を呉の孫堅がひきうけて、汜水関 ( 河北省・汜水 ) 近く レ」ス′た′、 東李儒は、顔色をかえて、董卓の寝殿の境をたたいていた。 まで攻め上って来た由にございます』 とのい ちょうみ一 江宿直の番士が、 『孫堅。ーーああ、長沙の太守だな。あれは戦は上手かな ? 』 そんし 『お目ざめになりました。いざ』と、帳を開いて、彼の入室を『上手な筈です。なにしろ、兵法で有名な孫子の末孫ですか つ、 ) 0 ゅ 江東の虎 へいたん ちょうみ一 じゅんたく つな そんけん なま びき よ かしず ぎよくばん
位を昇せ、恩賞を贈って、玄徳と和睦せよと仰っしやってごら んなさい』 ちょうあん この許昌へ遷都となる以前、長安に威を振っていた旧の董相『そうか』 ちょうみ一い 曹操は、膝を打った。 国の一門で張済という敗亡の将がある。 まうしやと おうそく すぐ奉車都の王則を正式の使者として、徐州へ下し、その 先頃から董一族の残党をかりあつめて、 お・つじよ・つふつ - 一 山を伝えると、呂布は思わぬ恩賞の沙汰に感激して、一も二も 王城復古 だとうそうばっ なく曹操の旨に従ってしまった。 打倒曹閥 の旗幟をひるがえし、許都へ攻めのばろうと企てていた一軍そこで曹操は、 かこうじゅん 『今は、後顧の憂いもない』と、大軍を催して、夏侯惇を先鋒 は、その張済の甥にあたる張繍という人物を中心としてい えんじよう ) 0 として、宛城へ進発した。 なんよう ちょうしゅう 潸水 ( 河南省・南陽附近 ) のあたり一帯に、十五万の大兵は、霞 張繍は諸州の敗残兵を一手に寄せて、追々と勢威を加え、 りゅうひょう けいしゅ・つ 時、すでに春更けて建安二年の五 又、課士賈翩を参謀とし、荊州の太守劉表と軍事同盟をむすのように陣を布いた りゅうと・つみどりじようじよう める えんじよう 月、柳塘の緑は嫋々と垂れ、清水の流れは温やかに、桃の花 んで、宛城を根拠としていた。 びらがい つばい浮いていた。 『捨ておけまい』 ちょうしゅう 張繍は、音に聞く曹操が自らこの大軍をひきいて来たの 曹操は、進んで討とうと肚をきめた。 で、色を失って、参謀の賈に相談した。 けれど彼の気がかりは、徐州の呂布であった。 『どうだろう、勝目はあるか』 『もし自分が張繍を攻めて、戦が長びけば、呂布は必ず、その 『だめです。曹操が全力をあげて、攻勢に出て来ては』 隙に乗じて、玄徳を襲うであろう。玄徳を亡ばした勢いを駆っ 『では、ど、つしたらいしカ』 て、更に許都の留守を襲撃されたら堪らない 『降服あるのみです』 その憂いがあるので、曹操がなお出陣をためらっていると、 ちょうしゅう じゅんいく さすがに賈は目先がきいている。張繍にすすめて、一戦 葡彧は、 『その儀なれば、何も思案には及びますまい』と、至極、簡単にも及ばぬうち降旗を立てて自身、使となって、曹操の陣へ赴 に云った。 人『そうかなあ。余人は恐るるに足らんが、呂布だけは目の離せ降服に来た使者だが、賈の態度は甚だ立派であ「た。のみ くせもの ならず弁舌すずやかに、張繍のために、歩のよいように談判に 夫ない曲者と予は思うが』 じんびん くみやす 努めたので、曹操は、賈の人品に一方ならず惚れこんでしま 弓『ですから、与し易いということもできましよう』 くら つ、 ) 0 胡『利を喰わすか』 『どうだな、君は、張繍の所を去って、予に仕える気はない 『そうです。欲望には目のくらむ漢ですから、この際、彼の官 ちょ・つみ、い ちょうしゅう おと - 一 もととうしよう はるた 377
く。早々立ち帰って董卓にこの由を申せ』 す。 もし長安へおうつりあれば、丞相の御運勢は、いし 巻使者の李催ともう一名の者は、ほうほうの態で、洛場へ逃げよ展けゆくにちがいありません』 の帰った。 李儒の説を聞くと、董卓は、にわかに前途が展けた気がし 星そして、ことの仔細を、有りのままに丞相へ報告に及んだ。 た。その天文説は、忽ち、政策の大方針となって、朝議にかけ ころうかん られた。 いや独裁的に、百官へ云い渡されたのであった。 群董卓は、虎牢関の大敗以来、このところ意気銷沈していた。 『李儒、どうしたものか』と、例に依って、丞相のふところ がたな 刀と云われる彼に計った。 びよう 李儒は日う。 廟議とはいえ、彼が口を開けば、それは絶対なものだった。 どよ 「遺憾ながら、ここは将来の大策に立って、味方の大転機を計けれどこの時は、さすがに、百官の顔色も動揺めいた。 らねばなりますまい』 第一、帝もびつくりされた。 『 , 入 . 転機とは』 『ひと田 5 いに、洛陽の地を捨てて長安へ都をお遷しになること事の重大に、にわかに、賛同の声も湧かなかった。代りに です』 又、反対する者もなかった。 せんと 「遷都か』 寂たる一瞬がつづいた。 キ、き よ・つひょう 『さればです。 前に虎牢関の戦いで、呂布すら敗れてか すると、司徒の楊彪が、初めて口を切った。 ら、味方の戦意は、さつばり振いません。如かず、一度兵を収『丞相。今はその時ではありますまい。関中の人民は、新帝定 めて、天子を長安にうっし奉り、時を待って、戦うがよいと思まり給うてから、まだ幾日も、安き心もなかった所です。そこ います。 それに近頃、洛内の児童が謡っているのを聞けへ又、歴史ある洛陽を捨てて、長安へ御遷都などと発布された ら、それこそ、百姓たちは、鼎のごとく沸いて、天下の乱を助 セイトクコ 西頭一箇ノ漢 長するばかりでしょ , っ』 トウトウ 東頭一箇ノ漢 太尉黄瑰も、彼についで、発言した。 チョクアン ようひょう 鹿ハ走ッテ長安ニ入ル 『そうです。今、楊彪の申されたとおり、遷都の儀は、然るべ マサコノナンナ 方ニ斯難無力ルペシ からずと存じます。その理由は、明白です。 ここにある百 - 一うそ ふか と有ります。歌の詞を按ずるに、西頭一箇の漢とは高祖をさ 官の諸卿も、胸にその不可は知っても、ただ丞相の意に逆らう ふじよう し、長安十二代の泰平を云って、同時に、長安の富饒においでことを恐れて、黙しておるのみでしよう』 じようしよう きつばう になった事のある丞相の吉方を暗示しているものと考えられ続いて、爽も、反対した。 ・一うぶらくよう しようこ ます。東頭一箇の漢とは、光武洛陽に都してより今にいたるま 『もし今、挙げて、王府をこの地から掃えば、商賈は売るに道 で十二代。それを云ったものでしよう。天の運数かくの如しでを失い、エ匠は職より捨てられ、百姓は流離して、天を怨みま ころうかん ちょうあん し うつ りじゅ せき 、いこうえん - 一うしよう じゅんそう かなえ ひら 780
「相違ないか』 号で、その位階をも現していた。黄巾賊の仲間では、部将をさ して、みなそう呼ぶのであった。 けれど、総大将の張角のことは、そう称ばない。張角と、そ『ーー・で、何処まで行くのだ。この真夜中に』 『泝県まで帰ります』 の二人の弟に向ってだけは、特に、 ー一いけんりようしちょうかく 『じゃあまだ道は遠いな。俺たちも夜が明けたら、北の方の町 大賢良師、張角 てめえ てん - 一うしようぐんちょうりよう まで行くが、汝のために眼をさましてしまった。もう一一度寝も 天公将軍、張梁 ちこうしようぐんちょうほう できまい。ちょうど荷物があって困っていた所だから、俺の荷 地公将軍、張宝 かん - : っ かっ を担いで、供をして来いーーーおい、甘洪』 というように尊称していた。 『へい』 その下に、大方、中方などとよぶ部将を以て組織しているの はんげつそう かっ であったーーで今、劉備の前に腰かけている男は、張角の配下『荷物はこいつに担がせて、汝は俺の半月槍を持て』 ! げんを 『もう出かけるんですか』 の元義という黄巾賊の一頭目であった。 『おい、甘洪』と、馬元義は手下の甘洪が、まだ危ぶんでいる『峠を降りると夜が明けるだろう。その間に奴等も、今夜の仕 事をすまして、後から追いついて来るにちげえねえ』 様子に、顎で大きく云った。 『では、歩き歩き、通った印を残して行きましよう』と、甘洪 『そいつを、もっと前へ引きすって来いーーそうだ俺の前へ』 みちばた りゅうび 劉備は、襟がみを特たれた儘、馬元義の足もとへ引据えられは、廟の壁に何か書き残したが、半里も歩くと又、道傍の木の きれ 枝に、黄色の巾を結びつけて行く 」いほ・つ ばげん 大方の馬元義は、悠々と、驢に乗って先へ進んで行くのであ 『ゃい、姓』 丐は睨めつけて、 『汝は今、孔子廟へ向って、大それた誓願を立てていたが、 体うぬは、正気か狂人か』 『はいでは済まねえ。黄魔鬼畜を討ってどうとか吐かしていた が、黄魔とは、誰のことだ、鬼畜とは、何をさして云ったの 童 『べつに意味はありません』 る 『意味のない事を独りで云うたわけがあるか』 おそろ 流『余り山道が淋しいので、怖しさをまぎらすために出たらめ に、声を放って歩いて来たものですから』 かん - : っ あご さび ちょうかく かんこう ひきす っ・ ) 0 ろ 驢は、北へ向いて歩いた。 はや 流行る童歌 われ
た。力士や武術者も来た。それらの人々は皆、張角の幗に参 ( ーー蒼天スデニ死ス。黄夫マサニ立ッペシ ) そばちかじ ちゅうばう と唄った後では、張角の名を囃して、今にも、天上の楽園が 巻じたり、厨房で働いたり、彼の側近く侍したり、又多くの弟子 地上に実現するような感を民衆に抱かせた。 のの中に交って、弟子となった事を誇ったりした。 らくど けれど、黄巾党が跋扈すればする程、楽土はおろか、一日の 園たちまち、諸州にわたって、彼の勢力は拡まった。 あんのん 張角は、その弟子たちを、三十六の方に立たせ、階級を作安穏も土民の中にはなかった。 ぐんすい り、大小に分ち、頭立つ者には軍帥の称を許し、又方帥の称呼張角は自己の勢力に服従して来る愚民共へは、 ( 太平を楽しめ ) と、逸楽を許し、 を授けた。 あんりやくだっ 又ガを行う者、一万余人。小方を行う者六、七千人。その部 ( わが世を謳歌せよ ) と、暗に掠奪を奨励した。 かしやく ちょうりよう さか ちょうかく ほうへ の内に、部将あり方兵あり、そして張角の兄弟、張梁、張宝その代りに、逆らう者は、仮借なく罰し、人間を殺し、財宝 かすと てんこうしようぐんちこうしようぐん のふたりを、天公将軍、地公将軍とよばせて、最大の権威を握を掠め奪る事が、党の日課だった。 らくよう 地頭や地方の官吏も、防ぎようはなく、中央の洛陽の王城 らせ、自身はその上に君臨して、大賢良師張角と、称えていた。 かんてい これがそもそもの、黄巾党の起りだとある。初め張角が、常へ、急を告げることも頻々であったが、現下、漢帝の宮中は、 に、結髪を黄色い巾でつつんでいたので、その風が全軍にひろ頽廃と内争で乱脈を極めていて、地方へ兵を遣るどころではな 、刀学 / まって、いっか党員の徽章となったものである。 天下一統の大業を完成して、後漢の代を興した光武帝から、 ふらんほうかい 五 今は二百余年を経、宮府の内外には又、ようやく腐爛と崩壊の ちょう 又、黄巾軍の徒党は、全軍の旗もすべて黄色を用い、その大兆があらわれて来た。 かんてい 十一代の帝、桓帝が逝いて、十二代の帝位に即いた霊帝は、 旆には、 あざむ そうてんすでにしす まだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐の重臣は、幼帝を偽き合 蒼天已死 ・一うふ まさにたつべし い、朝綱を猥りにし、佞智の者が勢いを得て、真実のある人材 黄夫立レ当 ありて は、みな野に追われてしまうという状態であった。 歳在 = 甲子一 きち てんか 心ある者は、密かに、 天下大吉 がくようぶ という宣文を書き、党の楽謡部は、その宣文に、童歌風のや ( どうなり行く世か ? ) と、憂えている所へ、地方に蜂起した さしい作曲をつけて、党兵に唄わせ、部落や村々の地方から黄巾賊の口々から そうてんすでにしす はや ーー蒼天已死 郡、県、市、都へと熱病のように唄い流行らせた。 だいけんりようしちょうかく の童歌が流行って来て、後漢の末世を暗示する声は、洛陽の 大賢良師張角ー だいけんりようしちょうかく 城下にまで、満ちていた。 大賢良師張角 ! そうした折に又、こんな事もひどく人心を不安にさせた。 今は、三歳の児童も、その名を知らぬはなく、 さず きれ きしよう ほうすし おお たいはい つ、 ) 0 ちょうこうみだ ソクテン コクア はや っ
きよと の旧交を捨てて故なき害意をさし挾もうや。願わくは、御賢慮者に、許都の留守をあずけ、予は劉備を援けて、共にこの際、 ゅうび あれ。 将軍とこの劉備とが戦って、相互の兵力を多大に消呂布の息の根をとめて来ようと思う。汝らは、如何に思うか』 はか 並ー生我こ次ロっこ。 耗し尺、すを、陰でよろこび、陰で利益する者は、何者なるか を、深く御賢察あれや』 呂布は、それを聞くと、暫く馬上に黙然としていたが、突 じゅんしゅう 然、 堂中の諸大将を代表して、荀攸が起立して答えた。 りゅうひょう 『包囲は解くな』 『出師の御発議、われらに於ても然るべく存じます。劉表、 ちょうしゅう と、味方へいいつけて、ひらりと、陣後へ馬を回してしまっ 張繍とても、先頃手痛く攻撃された後のこと、軽々しく兵を おこして参ろうとは思われません。 それを憚って、もしこ しすい 弱点といおうか、人間性に富むといおうか、呂布は実に迷い の際、呂布のなす儘に委せておいたら、袁術と合流して、泗水 おとこ わいなん の多い漢ではあった。ここまで駒を寄せながら、玄徳が理を尽淮南に縦横し、遂には将来の大患となりましよう。彼の勢のま して説くと、又、 だ小なるうちに、よろしく禍の根を断っこそ急務と思われま ( そうかな ? ) という気迷いに囚われて、自身は徐州の城へ帰ってしまっ 曹操は左の手を胸に当て、右手を高く伸ばして、 『いしくも申したり。ーーー満座、異議はない、 従って寄手の包囲陣も、その儘、むなしく日を送っているま と云った。 に、それより前に小沛を脱出していた劉玄徳の急使は、早くも異ロ同音に、 許都に着いて、 『ありません』 『委細は、主人劉備の書中にございますが、かくかくの次第、 諸大将、総て起立して、賛意を表した。 ゅ かこうじゅん 一刻もはやく御救援を乞いまする』 『さらば征いて、小沛の危急を救え』とばかり、まず夏侯惇、 りよけんりてん と、告げた。 呂虔、李典の三名を先鋒に、五万の精兵をさずけ、徐州の境へ 曹操は、直ちに相府へ諸大将をあつめて、小沛の急変を伝馳せ向かわした。 え、同時に、 呂布の麾下、高順の陣は、突破をうけて潰乱した。 りゅうび 『劉備を見ごろしにしては、予の信義に反く。今、袁紹は北平『なに。曹操の先手が、はや着いたとか』 ちょうしゅう ろうば、 下 の討伐に向い、それこ憂、まよ、 し・し。オしが、なお予の背後には張繍 呂布は狼狽した。もう曹操との正面衝突は、避け難い勢に立 一入 . りゅうひょう 到ったものと観念した。 啖劉表の勢力が、常に都の虚をうかが「ている。 んル′、ほ、つ : っ身一し 健え、呂布を放置して措かんか、これ又、いよいよ勢を強大に 『侯成、はや参れ。萌、曹性も馳け向かえ。 そして高順 し し、将来の患となるのは目に見えておる。 如かず、一部のを助けて、遠路につかれた敵兵を一挙に平げてしまえ』 っ ) 0 しようふ かえ ごけんりよ わぎわい たす
りゅうひょう 出ない副将が一一人い の劉表を、暗に威嚇しておるように』 巻『卑怯者っ』 と、申入れた。 の曹操は叱咤するや否や、その二人を斬ってしまった。 又、呂布と玄徳には、 よしみ じよしゅ - っしようはい 莽『まず、味方の卑怯者から先に成敗するそ』 『以前の誼を温めて、徐州と小沛を守り合い、唇歯の交りを以 自身、馬を降りて土を運び、草を投げこみ、一歩一歩、城壁 、新たに義を結びたまえ』 草 へ肉薄した。 と、二人に誓いの杯を交させた。そして劉玄徳へは、特に、 軍威は一時に奮い立った。 『もうこれで呂布にも異存はあるまいから、御辺も予州を去 一隊の兵は、城によじ登り、早くも躍りこんで、内部から城り、元の小沛の城へ帰られるがよい』 かんせい と、ヘ叩じこ。 門の鎖を断ちきった。どッと、喊声をあげて、そこから突っこ む。 玄徳は、好意を謝し、別れようとすると、曹操は、呂布の居 堤の一角はやぶれた。洪水のように寄手の軍馬はながれ入ないのを見すまして、 み、つり′、 しようはい とらがり ちんたいふ る、あとは殺戮あるのみである。守将の李豐以下ほとんど斬殺 『 : : : 君を、小沛に置くのは、虎狩の用意なのだ。陳大夫と陳 、けど きんもんしゅ とうふし おとあな されるか生擒られてしまい、自称皇帝の建てた偽宮ー・ー禁門朱登父子が、ばつばっ陥し穽をほりかけている。あの父子と計ら ろうでんしゃへきかく 楼、殿舎碧閣、ことごとく火を放けられて、寿春城中、いちめって、ぬからぬように準備し給え』 だいぐれん んの大紅蓮と化し終った。 と、囁いた いかだ わいが かくて曹操は、後図の憂いにも万全を期し、やがて、総軍を 『息もっくな。すぐ船、筏をととのえて、淮河をわたり、袁術 だいわい 1 一しゅう を追って、最後のとどめを与えるのだ』 ひいて許都へ帰ってくると、段燬、伍習という二名の雑軍の野 りカくカくし 将領たちを督励して、更に、追撃の準備をしている数日の間 将が、私兵をもって、長安の李催と郭汜を討ち殺したといっ て、その首を朝廷へ献上しに来た けいしゅうりゅうひょう ちょうしゅう カくカくし 『荊州の劉表が、さきの張繍と結託して、不穏な気勢をあ李催、郭汜は、長安大乱以来の朝敵である。公卿百官は、思 だんわー ′一しゅう げているーー・・』 わぬ吉事と慶びあって、帝に奏上し、段燬と伍習には、恩賞と きよと と、許都からの急報である。 して、官職を与え、そのまま長安の守りを命じた。 曹操は、眉をひそめ、 『太平の機運が近づいた』と、なして、朝野は賀宴を催して祝 ちょうしゅう りゅうひょう 『張繍はともかく、劉表がうごいては、由々しい大事とな った。町には、二箇の逆賊の首が七日間曝されていた。折も折、 ろうかも知れぬ』 征途から帰還した、曹操の兵三十万も、この祝日に出会ったの と、征途を半にして、すぐ都へ引揚げた。 で、飲むわ、喰うわ、躍るわ、許都は一時、満腹した人間の顔 許都へ帰るにあたって、彼は、呉の孫策へ早馬をとばし、 と、祝賀の一色に塗りつぶされた。 じよ - つりゅうけいしゅう 『君は、兵船を以て、長江を跨ぐがごとく布陣し、上流荊州 そんさく きよと * 一ら しんし ちん イり 2
さかずきかわあ 手を握らせ、杯を交し合って、都へ帰った。 子竜は、沈んだ顔して、 えんしようきか 袁紹も、公孫環も、同日に兵馬をまとめて、各、、帰国した『実は、それがしは、御存じの如く、袁紹の旗下にいた者です が、その後、公孫環は、長安へ感謝の表を上せて、そのついでが、袁紹が洛陽以来の仕事を見るに、不徳な行為が多いので、 へいげんしようま・つ こうそんさん 、劉備玄徳を、平原の相に址じられたいという願いを上奏し翻「て、公孫環こそは、民を安める英君ならんと、身を寄せ ちょうあんとうたく た次第です。 ところが、その公孫璟も、長安の董卓から仲 朝廷のゆるしは間もなく届いた。公孫環は、それを以て、 裁の使をうけると、たちまち、袁紹と和解して、小功に甘んじ うつわ 、 ) 0 『貴下に示す自分の微志である』と、玄徳に酬し るようでは、その器もほどの知れたもので、到底、天下の窮民 玄徳は、恩を謝して、平原へ立っことになったが、その送別を救う英雄とも思われません。まずまず、袁紹とちょうどよい の宴が開かれて、散会した後、ひそかに、彼の宿舎を訪れて来相手といってよいでしよう』 ちょう - つんしりゆ・つ た者がある。趙雲子竜であった。 こう嘆いてから、彼は、玄徳に向って、自分の本心を訴え 子童は、玄徳の顔を見ると、 ともな 『もう、今宵かぎり、お別れですなあ』 『劉大兄。お願いです。それがしを平原へお伴い下さい。貴郎 ンス いかにも名残り惜しげに、眼に涙すらたたえて云った。 こそ、将来、為す有る大器なりと、見込んでのお願いです。 そして、いっ迄も、話しこんで帰ろうともしなかったが、や : どうぞ、それがしを家臣として行末までも』 ゆか がて思いきったように、子竜は云い出した。 子竜は、床にひざまずいて、真実を面に、哀願した。 りゆ・つ 1 い、 めい、も′、 『劉兄。ーー明日御出発のみぎりに、それがしも共に平原へ連玄徳は、瞑目して、考えこんでいたが、 れて行ってくれませんか。こう申しては押しつけがましい 『いや、私はそんな大才ではありません。けれど、将来に於 あなた よしみ 私は、貴郎とお別れするに忍びない。 それはど心中に深くて、又再会の御縁があったら、親しく今日の誼を又温めましょ お慕い申しているわけです』 今は時機ではありません。私の去った後は、猶のこ こうそんさん と鬼をあざむく英傑が、処女の如く、さし俯向いて云うのでと、どうか公孫環を助けて上げて下さい。時来るまで、公孫環 あった。 の側にいて下さい。それが、玄徳からお願い申すところです』 み一レ一 諭されて、子竜もぜひなく、 『では、時を得ましよう』と、涙ながら後に留まった。 玄徳も予てから、趙子童の人物には、傾倒していたので、彼翌日。 げんとく ひき に今、別離の情を訴えられると、 玄徳は、張飛、関羽などの率いる一軍の先に立って、平原へ 『せつかく陣中でよい友を得たと思ったのに、たちまち、平原帰った。 即ち、その時から彼は平原の相として、漸く、一 いんじゅお 溯へ帰ることになり、なにやら自分もお別れしとうない心地がす地方の相たる印綬を帯びたもの・だった。 る』と、云った。 江 かわ うつむ ひるがえ 0 ちょうひかんう 205
信頼されておるようですが』 玄は、手にしていた箸を投げ、両耳をふさいで、席へ俯っ 巻『いうに足るまい。奇略、一時の功を奏しても、元々、父の盛伏してしま 0 た。 - 一う - 一う の名という遺産をうけて立った黄ロの小児』 それは天地も裂けるような震動だったにちがいないが、余り えきしゅうりゅうしよう おのの 道『では、益州の劉璋は』 な彼の顫きに、席にいあわせた美姫たちまで、 『あんな者は、門を守る大だ』 『ホ、ホ、ホ、ホ』と、入いこけた。 臣 ちょうしゅうちょうろかんすい 『ーー然らば、張繍、張魯、韓遂などの人々よ、 : 、。 。しカカてす曹操は、疑った。しばし顔も上げないでいる玄徳を、きびし か。彼等もみな英雄とはいえませんか』 い眼で見ていた。しかし美姫たちまで嘲り笑ったので、思わず ゆが 『あははは、無いものだな、まったく』 苦笑のロもとを歪め、 手を拍って、曹操はあざ笑った。 『どう召された。もう空は霽れているのに』と、云った。 『それ等はみな碌々たる小人のみで論ずるにも足らん。せめて玄徳は酒も醒め果てたように、 かみなり もう少し、人間らしい恰好をしたのは居らんかね』 『ああ驚きました。生来、雷鳴が大嫌いなものですから』 『もうその余には、わたくしの聞き及びはありません』 『雷鳴は天地の声、どうしてそんなに怖いのか』 みようぞう 『情ないこと哉。それ英雄とは、大志を抱き、万計の妙を蔵し、 『わかりません。虫のせいでしよう。幼少から雷鳴というと、 ひる うちゅう 行って怯まず、時潮におくれず、宇宙の気宇、天地の理を体得身をかくす所にいつもまごっきます』 して、万民の指揮に臨むものでなければならん』 『 : : : ふうむ』 『今の世に、誰かよく、そんな資質を備えた人物がおりましょ 曹操はとうとう自分の都合のよいように歓んだ。玄徳の人物 う。無理なお求めです』 もこの程度なら先ず世に無用な人と観てしまったのである。 『いや、ある ! 』 : 彼の遠謀とも知らずに。 曹操はいきなり指をもって、玄徳の顔を指さし、又その指を 四 返して、自分の鼻をさした。 「君と、予とだ』 ちょうどその頃。 そっか なんえん かみなり 『今、天下の英雄たり得るものは大言ではないが、予と足下の南苑の門のあたりでも、さながら雷鳴のような人声が轟いて 二人しかあるまい』 そのことばも終らないうちであった。 『開けろっ、開けろつ。開門せねば、ぶち壊して踏み通るそッ』 いなびか びかっ と青白い雷光りが、ふたりの膝へ閃いた、と思う苑内の番卒はおどろいて、 はいぜん と、沛然たる大雨と共に、雷鳴がとどろいて、どこかの大木に 『壊してはいかん。何者だ。何者だ』 るりがわら かみなりが落ちたようであった。 問い返すまにも、巨きな門が揺々と震れている。璃瑠瓦の二 三片が、門屋根からぐわらぐわら落ちて砕け散った。 じちょう ろくろく まんけい ゆらゆらゆ あざけ イ 78