せめ もーー実にいつも肝腎なもう一攻という時に限って意地わるく 『彼に地の利あれば、われにも地の利を取らねばなるまい』 巻曹操も亦、一方の山に添うて陣をした。そして、その行動が来るーー都の急変が報じられてきた。 えんしよう の日没から夜にわたっていたのを幸に、夜どおしで、道も無さそ河北の袁紹、都の空虚をうかがし 大動員を発令。 莽うな山に一すじの通りを坑り、全軍の八割まで山陰の盆地へ、 いうのであった。 かくしてしまった。 えんしよう ーー袁紹が ! 』 夜が明けて、朝霧も霽れかけて来ると、小手をかざして彼方『 これにはよはど愕いたとみえて、曹操は何ものも顧みず、許 の陣地から見ていた劉表、張繍の兵は、 都へさして昼夜をわかたす急いだ。 『なんだ、あんな小勢か』と、呟いている様子だった。 張繍、劉表は彼のあわて方を見て、こんどは逆に追おうとし 『あんなものだろう』と、頷く者は云った。 『このあいだは五万から戦死しているし、それに、難行苦行、 敗け軍のひきあげだ。途中、逃亡兵も続出する。病人もすてて『追ったら必ず手痛い目にあいますそ』 賈は譿めたが、二将は追撃した。案の定、途中、屈強な伏 来る。 あれだけでもよく還って来たくらいなものだろう』 軍の幹部たちも、その程度の見解を下したものか、やがて要兵にぶつかって、惨敗の上塗りをしてしまった。 賈は、二将が懲りた顔をしているのを見て、 害を出て、野を真っ黒に襲撃して来た。 あなど 卩ーー何をしているんです ! 今こそ追撃する機会です。きっ 充分、侮らせて。 たいしよう と大捷を博しましよ、つ』 又、近よせておいて。 と励ました。 曹操は、突然山の一角に立ち現れて、 めぐ ふち 二の足ふんだが、賈が余り自信をもって励ますので、再び 『盆地の襲兵ども、今だぞ、淵を出て雲と化れ ! 野を繞って 曹操の軍に追いついて、戦を挑むと、こんどは存分に勝って、 敵を抱きこみ、みなごろしにして、血の雨を見せよ』 凱歌をあげて帰った。 と、号令を下した。 そ - 一もと こま、ど、つしてそのよ、つ 眼に見えていた兵数の八倍もある大兵が、地から湧いて、退『実に妙だな。賈認、いったい共許し。 おお りゅうひょうちょう 、戦いの勝負が、戦わぬ前にわかるのか』 路をふさぎ、側面前面から掩いつつんで来たので、劉表、張 しゅう 後で、二将が訊くと、賈は笑って答えた。 繍の兵はまったく度を失った。 りようらん 曠野の秋草は繚乱と、みな血ぶるいした。所々に、死骸の丘『こんな程度は、兵学では初歩の初歩です。ーー第一回の追撃 ができた。逃げ争って行った兵は、要害に居たたまらず、山向は敵も追撃されるのを予想していますから、策を授け、兵も強 うしろ あんしよう いのを残して、後に備えるのが常識の退却法です。が、 うの安象の町へ逃げこんだ。 『県城も焼きつぶせ』 度目となると、もう追い来る敵もあるまいと、強兵は前に立 きよお ゆる 曹操の兵は、鬱憤ばらしに追撃を加えて行ったが、その時又ち、弱兵は後となって、自然気も弛みますから、その虚を追え やまかげ の じよう イ 08
しゅうゆていふ が、孫軍のうちから周瑜、程普の二将が、いつのまにか後ろへ 孫策は、叔父の説をいれた。その夜、陣所陣所にたくさんな おびただ 巻まわ「て退路をふさぐ形をと「たので、会檮城の兵は全軍にわ篝を焚かせ、夥しい旗を立てつらね、さも今にも会檮城へ攻 のたって乱れ出した。 めかかりそうな擬兵の計をして置いて、その実、査漬へ向っ 莽王朗は、命からがら城へひきあげたが、その損害は相当手痛て、疾風の如く兵を転じていた。 さざえ いものだったので、以来、栄螺のように城門をかたく閉めて、 五 『うかつに出るな』と、専ら防禦に兵力を集中してうごかなか 力がりび つ、 ) 0 擬兵の計を知らず、寄手のさかんな篝火に城兵は、『ぬかる 城内には、東呉から逃げて来た厳白虎もひそんでいた。厳白な ! 襲って来るそ』と、眠らずに、防備の部署についたが、 夜が白んで城下の篝火が消えてみると、城下の敵は一兵も見え 『寄手は、長途の兵、このまま一カ月もたてば兵糧に困って来なかった。 ます。ーー・長期戦こそ、彼等の苦手ですから、守備さえかため 『査濆が襲われている ! 』 ていれば、自然、孫策は窮してくるに極っている』 こう聞いた王朗は、仰天して城を出た。そして査漬へ駆けっ と、一方の守備をうけ持って、いよいよ築上を高くし、あらける途中、又も孫策の伏兵にかか「て、ついに王朗の兵は完膚 せんめつ ゆる防禦を講じていた なきまでに殲滅された。 力いぐ、っせつこうしようなんぐう 果して、孫策のほうは、それには弱っていたし 、くら挑 ( 妝し 王朗は、漸く身をもって死地をのがれ、海隅 ( 浙江省・南隅 ) げんまく - 一 よ - : っせつ - : フしようこうしゅう ても、城兵は出て来ない。 へ逃げ落ちて行ったが、厳虎は余杭 ( 浙江省・杭州 ) へさして げんたい 『まだ、麦は熟さず、運輸には道が遠い。良民の蓄えを奪い上奔ってゆく途中、元代という男に酒を飲まされて、熟睡してい げて、兵糧にあててもたちまち尽きるであろうし、第一われ等るところを、首を斬られてしまった。 の大義が立たなくなる。 如何いたしたものだろう』 元代は、その首を孫策へ献じて、恩賞にあすかった。 『孫策よ。わしに思案があるが』 こうして、会槽の城も、孫策の手に落ち、南方の地方はほと 『おお、叔父上ですか。あなたの御思案と仰「しやるのは ? 』んど彼の統治下になびいたので、叔父、孫静を会稽の城主に 孫策の叔父孫静は、彼の いに答えて、 腹心の君理を、吾郡の太守に任じた。 『会檮の金銀兵糧は、会稽の城にはないことを御身は知ってい すると、その頃、宣城から早馬が来て、彼の家庭に、、 月さな るか』 一騒動があったことを報らせて来た。 『存じませんでした』 「或る夜、近郷の山中に住む山賊と、諸州の敗残兵とが、一つ よ そんけん 『ここから数十里先の査漬にかくしてあるんじゃよ。だから急 になって、ふいに宣城へ襲せてきました。弟様の孫権、大将 おうろう しゅうたい 、査漬を攻めれば、王朗はだまって見ておられまい』 周泰のおふた方で、防ぎに努めましたが、その折、賊のなかへ 『御尤もです』 斬って出られた御舎弟孫権様をたすけるため、周泰どのには、 くんり そんせい 358
も、耳を貸さなかった。 『とにかく、役所へ引ッ立てろ』 兵は鉄桶の如く、曹操を取り囲んで、吟味所へ拉してしまっ どういちんきゅう 関門兵の隊長、道尉陳宮は、部下が引っ立てて来る者を見る 『あっ、曹操だ ! 吟味にも及ばん』と、一見して云い断っ ねぎ そして部下の兵を犒らって彼が云うには、 『自分は先年まで、洛陽に吏事をして居ったから、曹操の顔も 見覚えている。・ーー幸にも生擒ったこの者を都へ差立てれば、 自分は万一尸侯という大身に出世しよう。お前たちにも恩賞を頒 ってくれるそ。前祝しに、今夜は大いに飲め』 かんしゃ そこで、曹操の身は忽ち、かねて備えてある鉄の檻車に抛り そうそうから 曹操を搦めよ。 こまれ、明日にも洛陽へ護送して行くばかりとなし、守備の兵 ふれ 布令は、州郡諸地方へ飛んだ。 や吏事たちは、大いに酒を飲んで祝った。 その迅速を競って。 日暮になると、酒宴もやみ、吏事も兵も関門を閉じて何処へ か散ってしまった。曹操は最早、観念の眼を閉じているものの 洛陽の都をあとに、黄馬に鞭をつづけ、日夜をわかたず、南ように、檻車の中に倚りかかって、真暗な山谷の声や夜空の風 ちゅうばうけん へ南へと風の如く逃げて来た曹操は、早くも中牟県 ( 河南省中を黙然と聴いていた。 ばうかいほうていしゅう 牟・開封ー鄭州の中間 ) の附近までかかっていた。 すると、夜半に近い頃、 『待てつ』 『曹操、曹操』 『馬を降りろ』 言か、檻車に近づいて来て、低声に呼ぶ者があった。 関門へかかるや否、彼は関門の守備兵に引きずり降ろされ 眼をひらいて見ると、昼間、自分を一目で観破った関門兵の 隊長なので、曹操は、 忠『先に中央から、曹操という者を見かけ次第召捕れと、指令が『何用か』 嘯く如く答えると、 偽あった。その方の風采と、容貌とは人相書に甚だ似ておる』 関の吏事は、そう云って曹操が何と云いのがれようとして 『おん身は都に在って、董相国にも愛され、重く用いられて ちゅうろう しん 偽忠狼、い ちゅう と、 てっとう やくにん とうしよう・一く わか ノ 49
さえあれば、何時だって、味方の雪辱はできるんですから、私 その後、張繍の軍勢も、ここへ殺到した。しかし于禁の陣だ 巻などに目をくれずに逃げのびて下さい』と、叫んだ。 け・は一糸みだれず戦ったので、よくそれを防ぎ、遂に撃退して しまった。 の曹操は、自分の拳で自分の頭を打って悔いた。 『こういう長子を持ちながら、おれは何たる煩脳な親だろう。 その後で、于禁は、自身で曹操をたずねた。そして青州の兵 けいえんあだばな 遠征の途にありながら、陣務を怠って、荊園の仇花に、、いが訴え出た件は、まったく事実とあべこべで、彼等が、混乱に を奪われたりなどして、思えば面目ない。 しかもその天罰を父乗じて、掠奪をし始めたので、味方ながらそれを討ち懲したの そう - 一う に代って子がうけるとは。 噫、ゆるせよ曹昻』 を恨みに思い、虚言を構えて、自分を陥さんとしたものである 彼は、わが子の死体を、鞍のかきに抱え乗せて、夜どおし逃と、明瞭に云い開きを立てた。 げ ~ 疋った。 『それならばなぜ、予が向けた兵に、反抗したか』と、曹操が 寺や詰問すると、 二日ほど経っと、漸く、彼の無事を知って、離散した諸 残兵も集まって来た。 されば、身の罪を弁疏するのは、身ひとつを守る私事で 折も折、そこへ又、 す。そんな一身の安危になど気を奪られていたら、敵の張繍に せいしゅう 『于禁が謀叛を起して、青州の軍馬を殺した』といって、青州 対する備えはどうなりますか。仲間の誤解などは後から解けば の兵等が訴えて来た。 よいと思ったからです』 かこうじゅん めいせき 青州は味方の股肱、夏侯惇の所領であり、于禁も味方の一将 と、于禁は明晰に答えた。 である。 五 『わが足もとの混乱を見て、乱を企むとは、憎んでも余りある そうそう 奴』 曹操はその間、じっと于禁の面を正視していたが、于禁の明 と、曹操は激怒して、直ちに于禁陣へ、急兵をさし向けた。 快な申し立を聞き終ると、 于禁も、先頃から張繍攻めの一翼として、陣地を備えていた 『いや、よく分った。予が君に抱いていた疑いは一掃した』 が、曹操が自分へ兵をさし向けたと聞くと、慌てもせず、 と、于禁へ手をさしのべ、力をこめて云った。 『塹壕を掘って、いよいよ備えを固めろ』と、命令した。 『よく君は、公私を分別して、混乱に惑わず、自己一身の誹謗 彼の臣は日頃の于禁にも似あわぬ事と、彼を諫めた。 を度外視して、味方の防塁を守り、しかも敵の急迫を退けてく じようしょ・つざんげん 『これはまったく青州の兵が、丞相に讒言したからです。それた。 , ーー真に、君のごとき者こそ、名将というのだろう』 えきじゅていこう れに対して、抵抗しては、ほんとの叛逆行為になりましよう。 と、ロを極めて賞讃し、特にその功として、益寿亭侯に址 ひとそえ 使を立てて明かに事情を陳弁なされてはいかがですか』 じ、当座の賞としては、黄金の器物一副をさずけた。 「いや、そんな間はない』 又。 うきんそし 于禁は陣を動かさなかった。 于禁を誹って訴えた青州の兵はそれそれ処罰し、その主将た
呂布もついに意を決した。 と、一一 = ロ、独り語を空へ吐いたまま前後不覚に眠っていたの 力いこうたいけん 巻赤兎は、久しぶりに、鎧甲大剣の主人を乗せて、月下の四であ「た。 の十五里を、尾を曳いて発った。 だから幾ら望楼の上だの、彼の牀のある閣などを兵が探しま 莽呂布につづいて、呂布が手飼の兵およそ、八、九百人、馬やわっても、姿が見えないはずだった。 かち ら徒歩やら、押っとる獲物も思い思いに我れおくれじと徐州城そのうちに、 草 へ向って馳けた。 レ一キ、 喊の声に、眼がさめた。 突っ立ち上った。 『開門 ! 開門っ』 呂布は、城門の下に立っと、大声でどなった。 猛然と、彼は、城内の方へ馳け出して行った。 りゅうしくん 『戦場の劉使君より火急の事あって、それがしへ使を馳せ給 が、時すでに遅し う。その議に就いて、張将軍に計ることあり。ここを開けられ城内は、上を下への混乱に陥っている。足につますく死骸を よ』と、打ち叩いた。 見れば、みな城中の兵だった。 りよふ 城門の兵は、楼から覗いたが、なにやら様子がおかしいの 『うぬ、呂布だなっ』 じよう で、 気がついて、駒にとび乗り、丈八の大矛をひッ提げて広場へ 『一応、張大将に伺ってみた上でお開け申す、しばらくそれに出てみると、そこには曹豹に従う裏切者が呂布の軍勢と協力し てお控えあれ』 て、魔風の如く働いていた。 と、答えておいて、五、六人の兵が、奥へ告げに行ったが、 『目にもの見せむ』と、張飛は、血しおをかぶって、薙ぎまわ 張飛の姿が見あたらない。 たがいかんせん、まだ酒が醒めきっていない。大地の兵 とき その間に、城中の一部から、思いもよらぬ喊の声が起った。 が、天空に見えたり、天空の月が、三ツにも四ツにも見えたり 曹豹が、裏切りを始めたのである。 する。 まとま しりめつれつ 城門は内部から開かれた。 況んや、総軍の纏りはつかない。城兵は支離滅裂となった。 『ーー・それつ』と、ばかり呂布の勢は、潮のごとく入って来討たれる者より、討たれぬ前に手をあげて敵へ降服してしまう 者の方が多かった。 張飛は、あれからもだいぶ飲んだとみえて、城郭の西園へ行『逃げ給え』 って酔いつぶれ、折ふし夕方から宵月もすばらしく冴えていた 『ともあれ一時ここを遁れてーー・』と、張飛を取り囲んだ味方 ので、 の部将十八騎が、無理やりに彼を混乱の中から退かせ、東門の ああいい月た , 一カ所をぶち破って、城外へ逃げ走って来た。 ろう えもの のが 剣の音、戟のひびきに、愕然と しよう おおほこ 326
女 て、おれに和睹をすすめに来たな。天子の御都合はよいか知ら賈は、ほくそ笑んだ。そして又、或時、帝に近づいて献策 まわしもの ぬが、おれには都合が悪い。誰かこの諜者をくれてやるから、 り だいしば 『この際、李催の官職を大司馬に昆せ、恩賞の沙汰をお降し下 試し斬に用いたい者はいないか』 きと ト - ら・ほら . すると、騎都尉の楊奉が、 目をおつぶり遊ばして』 * 、しむけ 『それがしにお下げください。内密のお差向とは申せ、将軍が やくさっ 勅使を虐殺したと聞えたら、天下の諸侯は、敵方の郭汜へみな はんもん 李催は、煩悶していた。夜が明けるたび営中の兵が減って行 味方しましよう。将軍は世の同情を失います』 『勝手にしろ』 し 4 よノほス′ 『なにが原因か ? 』 『では』と、楊奉は、皇甫を、外へ連れ出して放してやっ 考えても、分らなかった。 皇甫は、まったく、帝のお頼みをうけて、和睦の勧告に来不機嫌なところへ、反対に、思いがけない恩賞が帝から降っ た。彼は有頂天になって、例のごとく巫女を集め、 たのだったが、失敗に終ったのでそこから西涼へ落ちてしまっ えいしやくたま 『今日、大司馬の栄爵を賜わった。近いうちに、何か、吉事が きとう しるし みちみち たいぎやくむどう だが、途々、『大逆無道の李催は、今に天子をも殺しかねなあると、おまえ達が予言したとおりだった。祈疇の験はまこと あらた い人非人だ。あんな天理に反いた畜生は、必ずよい死に方はしに顕かなもんだ。おまえ達にも、恩賞を頒けてつかわすぞ』 と、それぞれの巫女へ、莫大な褒美を与えて、愈く妖邪の祭 ないだろう』 りを奨励した。 と、云い触らした。 ひそかに、帝に近づいていた賈も、暗に、世間の悪評を裏それにひきかえ将士には、なんの恩賞もなかった。むしろ此 書するようなことを、兵の間にささやいて、李催の兵力を、内頃、脱走者が多いので叱られてばかりいた ト - ス′ほ・つ 『おい楊奉』 部から切り崩していた。 そうか 「やあ、宋果か。どこへゆく』 『謀士賈さえ、ああ云う位だから、見込はない』 。ちょっと、貴公に内密で話したいと思って』 脱走して、他国や郷土へ落ちてゆく兵がばつばっ殖え出し ふさ 『なんだ ? ここなら誰もいないが、君らしくもなく、欝いで そういう兵には、 いるじゃないか』 『おまえたちの忠節は、天子もお知りになっておる。時節を待『楽しまないのは、この宋果ばかりではない。おれの部下も、 これというのも、われわ 営内の兵は皆、あんなに元気がない。 て。そのうちに、触が廻るであろうから』と、云いふくめた。 巫一隊、一隊と、目に見えて、李催の兵は、夜の明けるたび減れの大将が将士を愛する道を知らないからだーー・悪いことはみ って行った。 な兵のせいにし、吉いことがあれば、巫女の霊験と思ってい にんびにん ふれ - 一うほれき 0 ほうび ようじゃ くだ
ている。 五百騎ほど守護の兵をつけて、 けいようじようたいしゅじよえい 追いかけて来たのは、榮陽城太守の徐栄の新手であった。徐 『早く、早く』と促した。 かえり 顧みれば、一万の兵は、打ちひしがれて、三千を出なかっ栄は、逃げる一騎を曹操と見て、 『しめたツ 曳きしばった鉄弓の一矢を、ぶんー 曹操は、麓へ走った。 然し、道々幾たびも、伏兵又伏兵の奇襲に脅やかされた。従矢は、曹操の肩に立った。 う兵も散々に打ち減らされ、彼のまわりにはもう十騎余りの兵 しか見えなかった。 ふかで しまったツ それも、馬は傷き、身は深傷を負い、共に歩けぬ者さえ加え てである。 曹操は叫びながら、駒のたてがみへ俯っ伏した。 じよえい かす 又も、徐栄の放った二の矢が、びゅんと耳のわきを掠めてゆ みじめなる落武者の境遇を、曹操は死線のうちに味わってい 人心地もなく、迷いあるいて、たた麓へ麓へと、うつろに道肩に突っ立った矢を抜いている遑もなかったのである。 ひた かんがらす やきす その矢傷から流れ出る血しおに駒のたてがみも鞍も濡れ浸っ を搜していたが、気がつくと、いっか陽も暮れて、寒鴉の群れ そりん 。駒は血を浴びてなお狂奔をつづけていた 啼く疏林のあたりに、宵月の気はいが仄かにさしかけている。 ひとむら すると、一叢の本蔭に、・ さわざわと人影がうごいた 『ああ、故郷の山に似ている』 『あっ、曹操だっ』と、 いう声がした。 ふと、曹操の胸には父母のすがたが泛んできた。大きな月の それは徐栄の兵だった。徒歩立ちで隠れていたのである。一 さしのばるのを見ながら、 人がいきなり槍をもって、曹操の馬の太腹を突いた 『親不孝ばかりした』 さおだ もろ 等 - ようまんじ 馬は高く嘶いて、竿立ちに狂い、曹操は大地へ刎ね落され 驕慢児の眼にも、真実の涙が光った。脆い一個の人間に返っ かっ た彼は、急に五体のつかれを思い、喉の渇に責められた。 しみず 徒歩兵四、五人が、わっと寄って、 『清水が湧いている : : : 』 馬を降りて、彼は清水へ顔を寄せた。そして、がぶと一口飲『生擒れつ』とばかり折り重なった。 み干したと思うと、又すぐ近くの森林から執念ぶかい敵の鬨の仰向けに仆れたまま、剣を抜き払って、曹操は二人を斬った だけで、カ尽きてしまった。 一声が聞えた。 ひづめあばら 落馬した刹那に、馬の蹄で肋骨をしたたかに踏まれていたか 死『 : : : やっ ? 』 上恟ッとして、駒の背へ飛び移るまに、もう残るわずかな郎党らだ 0 た。 こときれて了っ も矢に斃れたり、逃げる力もなく、草むらに、 ぎよ へ よいづき ほの おび あらて と放った。 787
おちぶ すいりよう 『そうです。呉景どのは今、丹陽の地も失って、落餽れている 『然し、孫策様。てまえが推量いたすに、袁術は、決して兵を そ とか伺いましたが : : : その逆境の叔父御を救うためと称して、貸しませんそ。なんと頼んでも、兵だけは貸しません。 いとま 袁術に暇を乞い、同時に兵をお借りなさい』 の儀はどうなさいますか』 『なる程 ! 』 『心配するな。覚悟さえ決めたからには、この孫策に考えがあ 孫策は、大きな眼をして、タ空を渡る鳥の群を見あげながらる』 凝っと考えこんでいた 弱冠、早くも孫策は、この一語のっちに、未来の大器たるの すると、さっきから木陰に佇んで、二人の話を熱心に立ち聞片鱗を示していた。 きしていたものがある。 二人の声が途切れると、ずかずかとそれへ出て来て、 きりんじ えんじゅっ 『やよ、江東の麒麟児、なにをためらう事があろう。父業を継『どうして袁術から兵をお借りになりますか』 くんり いで起ち給え。不肖ながらまず第一にわが部下の兵百余人をつ 子衡、君理のふたりは、孫策の胸をりかねて、そう質し そ れて、真っ先に力を副え申そう』と、唐突に云った。 た。すると孫策は、 驚いて、二人が、 『袁術が日頃から欲しがっている物を、抵当として渡せば、必 『何者 ? 』 ず兵を借りうけられよう』 と、その人を見れば、これは袁術の配下で、この辺の群吏を と、自一言ありげに徴笑した。 勤めている呂範字を子衡という男であった。 袁術の欲しがっている物 ? ( 子衡は一かどの謀士である ) と家中でもその才能は一部から 二人は小首をかしげたが分らなかった。更に、それはなにか 認められていた。孫策は、この知己を得て、非常な歓びを覚えと訊くと、孫策は自分の肌を抱きしめるようにして、 よくじ でんこく ながら、 『伝国の玉璽 ! 』 『そちも亦、わが心根をひそかに憐れむ者か』と、云った。 と、強く云った。 子衡は、誓言を立てて、 コんっ ? ・ ・ : 玉璽ですって』 たいこう そんさく 『君、大江を渡るなれば』と、孫策を見つめた。 二人は疑わしげな顔をした。 ひとみ よくじ いんしよう 孫策は、火の如き眸に答えながら、 玉璽といえば、天子の印章である。国土を伝え、大統を継ぐ 魚『渡らん、渡らん、大江の水、らん、溯らん、千里の江水。 には無くてはならない朝廷の宝器である。ところがその玉璽は、 もつば の 青春何ぞ、客園の小池に飼われて蛙魚泥見の徒と共に、洛陽の大乱のみぎりに、紛失したという沙汰が専らであった。 江眠をむさばらんや』 『ああでは : 。伝国の玉璽は、今ではあなたのお手に有った のですか』 大と叫ぶと、忽然と起って、片手の拳を天に振った。 子衡は、その意気を抑えて、 子衡は唸るように訊ねた。ーー洛陽大乱の折、孫策の父孫堅 みん じ りよはんあざなしこう あよでいまい と ぐんり たいとうつ ただ 335
すうし 一人の兵が、介抱しながら、親切に体を扶けてくれる。見る 曹操はこよいも、鄒氏と共に酒を酌みかわしていた 巻ときのう手紙を持って使に来た兵である。 ふと、杯を措いて、 の『おや、おまえか』 『なんだ、あの馬蹄の音は』と、怪しんで、すぐ侍臣を見せに やった。 『ずいぶん御機嫌ですな』 『何しろ一斗は飲んだからな。。 とうだ、この腹は。あははは、 侍臣は、帰って来て、 腹中みな酒だよ』 『張繍の隊が、逃亡兵を防ぐため、見廻りしているのでした』 『もっと飲めますか』 と、告げた。 おおおとこ 『もう飲めん。 : おや、おれは随分、大漢のほうだが、貴様 『ああそうか』 も大きいな。背が殆ど同じぐらいだ』 曹操は、疑わなかった。 とっかん 『あぶのうございます。そんなに私の首に捲きつくと、私も歩けれど又、二更の頃、ふいに中軍の外で、吶喊の声がした。 けません』 「見て来い ! 何事だ ? 』 『貴様の顔は、凌いな。髯も髪の毛も、赤いじゃよ、 ふたたび侍臣は馳けて行った。そして帳外からこう復命し 『そう顔を撫でてはいけません』 『なんだ、鬼みたいな面をしながら』 『何事でもありません。兵の粗相から馬糧を積んだ車に火がっ 『もうそこが閣ですよ』 いたので、一同で消し止めている所です』 『可、も , っ山・重・か』 『失火か。 ・ : 何の事だ』 さすがに、曹操の室の近くまで来ると、典韋は、びたとして すると、それから間もなく、窓の隙門 ・ , 日に、よっといい・火 . 平 ~ が しまったが、まだ交代の時刻まで間があったので、自分の部屋映じた。宵から泰然とかまえていた曹操も、恟ッとして、窓を ただごと へはいり込むなり前後不覚に眠ってしまった。 押し開いてみると、陣中いちめん黒煙りである。それに凡事な かんせい 『お風邪をひくといけませんよ。 : ではこれでお暇いたしまらぬ喊声と人影のうごきに、 すよ』 『典韋つ、典韋 ! 』と呼びたてた いびきごえ 送ってきだ兵は、典韋の体をゆり動かしたが、典韋の鼾声は いつになく、典韋も来ない よろいかぶと 高くなるばかりであった。 さては』と、彼はあわてて鎧甲を身に着けた。 『 : ・・ : 左様なら』 一方の典韋は、宵から大鼾で眠っていたが、鼻をつく煙りの 赤毛赤髯の兵卒は、後ずさりに、出て行った。その手には、異臭に、がばと刎ね起きてみると、時すでに遅し、 ! ・ーー寨の四 典韋の戟を、いつのまにか奪りあげて持っていた。 方には火の手が上っている。 かんさっ すさまじい喊殺の声、打鳴らす鼓の響き。張繍の寝返りと はすぐ分った。 あかひげ すご おおいびき ちょうしゅう 382
かんばく 兵たちは、馬に水を飼った。 ある族具の中から、翰墨と筆を取出して、母へ便りを書きはじ めた。 巻玄徳は、黄いろい大河に眼をやると、憶いを深くして、 ゅうきゅう かな せんよう の『ああ、悠久なる哉』 駒に水を飼って、休んでいた兵たちも、玄徳が箋葉に筆をと 園と、つぶやいた。 っているのを見ると、 四、五年前に見た黄河もこの通りだった。怖らく百年、千年『おれも』 の後も、黄河の水は、この通りに在るだろう。 『五ロも』 天地の悠久を思うと、人間の一瞬が儚く感じられた。小功は と、何か書きはじめた。 思わないが、頻りと、生きている間の生甲斐と、意義ある仕事誰にも、故郷がある。姉妹兄弟がある。玄徳は思いやって、 を残さんとする誓願が念じられてくる。 『故郷へ手紙をやりたい者は、わしの手許へ持って来い。親の ほとり 『この畔で、半日も凝と若い空想に耽っていた事がある。 ある者は、親へ無事の消息をしたがよいぞ』と、云った。 あがな もくひ 洛陽船から茶を購おうと思って』 兵たちは、それぞれ紙片や本皮へ、何か書いて持って来た。 のう 茶を思えば、同時に、母が憶われてくる。 玄徳はそれを一嚢に納めて、実直な兵を一人撰抜し、 ふくろ この秋、いかに在わすか。足の冷えや、・持病が出ては来ぬだ 『おまえは、この手紙の嚢を携えて、それぞれの郷里の家へ ろうか。御不自由はどうあろうか。 郵送する役目に当れ』 いやいや母は、そんな事すら忘れて、ひたすら、子が大業を と、路費を与えて、直ぐ立たせた。 こ公心月よ 為す日を待っておられるであろう。それと共こ、、、 ィー - > 、カーをⅡ・日十 / そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄とは、黒いかた としょ・つ 母でも、実際の戦場の事情やら、又実地に当る軍人同志のあい まりになって、浅瀬は徒渉し、深い所は筏に棹して、対岸へ渡 だにも、常の社会と変らない難しい感情やら争いやらあって、 って行った。 なかなか武力と正義の信条一点張りで、世に出られないことな どは、お察しもっくまい。御想像にも及ぶまい むな だから以来、なんのよい便りもなく、月日を空しく送ってい 先頃から河南の地方に、何十万とむらがっている賊の大軍と しゅしゅん る子をお考えになると、 戦っていた大将軍朱雋は、思いのほか賊軍が手ごわいし、味方 ( 阿は、何をしているやら ) の死傷は夥しいので、 ふ と、さだめし腑がいない者と、焦れッたく思ってお居でにな いかがはせん』と、内心煩悶して、苦戦の憂いを顔に刻んで るに相違ない。 ~ 町だっこ。 そこへ、 『そうだ。せめて、体だけは無事な事でも、お便りして置こう 『潁川から広宗へ向った玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から 玄徳は、思いつめて、騎の鞍を下ろし、その鞍に結びつけてリ ーっ返して来て、ただ今、着陣いたしましたが』と、幕僚から おも