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検索対象: 三国志(一) (吉川英治)
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1. 三国志(一) (吉川英治)

『 , わは。ははよ 彼は、闇夜を駈けつづけ、ようやく村をはなれた山道までか 『 ~ めははよ の『も、つよかろ、つ』 大声で笑った者がある。 ふり 園汗をぬぐって振かえると、焼きはらわれた水村は、曠野の果びつくりして、劉備が起ちかけると、廟の扉を蹴って、突然、 の焚火よりも小さい火にしか見えなかった。 豹のように躍り出してきた男があって、 はっ - 一う 空を仰いで、白虹のような星雲を架けた宇宙と見くらべる 『こら、待て』 りゅうびえりくび と、この世の山岳の大も、黄河の長さも、支那大陸の常なる広劉備の襟首を抑えた。 さも、むしろ愍れむべき小さい存在でしかない。 同時に、もう一人の大男は、廟の内から劉備の眼の前へと、 まして人間の小ささーーー一個の自己の如きは と劉備は、孔子の木像を蹴とばして、 我というものの無力を嘆いたが 『ばか野郎、こんな物が貴様有難いのか。どこが偉大だ』と、 ののし 『否 ! 否 ! 人間あっての宇宙だ。人間が無い宇宙はただの罵った。 うつろ ころ 空虚ではないか。人間は宇宙より偉大だ』と、われを忘れて、 孔子の木像は首が折れて、わかれわかれに転がった。 天へ向って呶鳴った。すると後の方で、 然なり。然なり。 おそ と、誰か云ったような気がしたが、振かえって見たが、人影劉備は怖れた。これは悪い者に出合ったと思った。 おおおとこ どう なども見あたらなかった。 二人の巨男を見るに、結髪を黄色の巾で包んでいるし、胴に - 一うしびよう てつこうよろ じゅうひ 、樹木の蔭に、一宇の古い孔子廟があった。 は鉄甲を鎧い、 脚には獣皮の靴をはき、腰には大剣を横たえて びようめかず 劉備は、近づいて、廟に額きながら、 かしらぶん 『そうだ、孔子、今から七百年前に、魯の国 ( 山東省 ) に生れて、 問うまでもなく、黄巾賊の仲間である。しかも、その頭分の つらがま 世の乱れを正し、今に至るまで、こうして人の心に生き、人の者であることは、面構えや服装でもすぐ分った。 しよう - 一 魂を救っている。人間の偉大を証拠立てたお方だ。その孔子は 『大方。こいつを、どうするんですか』 えり 文を以て、世に立ったが、わしは武を以て、民を救おう 劉備の襟がみをつかんだのが、もう一人のはうに向って訊く ・ようりト - う あんこく 今のように黄魔鬼畜の跳梁にまかせている暗黒な世には、文と、孔子の木像を蹴とばした男は、 し た たた を布く前に、武を以て、地上に平和を創てるしかない』 『離してもいい。逃げれば直ぐ叩っ斬ってしまうまでのこと 多感な劉備青年は、あたりに人がいないとのみ思っていたのだ。おれが睨んでいる前からなんで逃げられるものか』と、云 っ学 ) 0 で、孔子廟へ向って、誓いを立てるように、思わず情熱的な声 びよう たまいし ゅうぜん を放って云った。 そして廟の前の玉石に腰を悠然とおろした。 だいほうちゅうほうしようほう じゅっしやきとうし と、廟の中で、 大方、中方、小方などというのは、ガ師 ( 術者・祈蒋師 ) の称 たきび し やみよ びよう あわ ろ すいそん さんどう こうや 0 はて ひょ・つ あし びよう まうし きれ びようと

2. 三国志(一) (吉川英治)

すると、一つの席から、 『誰が居るか、こんな所に』 『否 ! 否 ! 』と、叫んだ者がある。 袁紹は、身を慄わせながら、席を蹴って飛び出した。 - : ついえんしよう きしゅう 中軍の校尉袁紹であった。 その夜のうち、彼は、官へ辞表を出して、遠く冀州の地へ奔 ってしまった。 袁紹は、敢然、反対のロ火を切って云った。 『借問する ! 董将軍。ーーあなたは何が為に、好んで平地に 五 波瀾を招くか。 一度ならず二度までも、現皇帝を廃して、陳留 王をして御位に代らしめんなどと、陰謀めいたことを提議され席を蹴って、袁紹が出て行ってしまうと、董卓は、やにわ るのか』 、客席の一方を強く指して、 たいふえんかい 董卓は、剣に、手をかけて、 『太傅袁隗 ! 袁隗をこれへ引っ張って来い』 『だまれつ。陰謀とは何か』 と、左右の武士に命じた。 『廃帝の議を密かに計るのが陰謀でなくてなんだ』 袁隗はまッ蒼な顔をして、董卓の前へ引きずられて来た。彼 袁紹も負けずに呶鳴った。 は、袁紹の伯父にあたる者だった。 董卓はまッ青になって、 『こら、汝の甥が、予を恥しめた上、無礼を極めて出ていった 『いっ密議したか。朝廷の百官を前において自分は信ずる所を態は、その眼で慥と見ていたであろうが。 ここで汝の首を 云っておるのだ』 斬る事を予は知っているが、その前に、 一言訊いてつかわす。 『この宴は私席である。朝議を議するならば、なぜ帝の玉座の此の世と冥途の辻に立ったと心得て、肚をすえて返答をせい』 『よっ . 前で、猶多くの重臣や、太后の御出座をも仰いでせんか』 : はいっ』 やかま 『えいつ、喧しいつ。私席で嫌なら、汝より先ず去れ』 『汝は、この董卓が宣言した帝位廃立をどう思う ? 賛同する か、それとも、甥の奴と同じ考えか』 『去らん。おれは、陰謀の宴に頑張って、誰が賛成するか、監 視してやる』 『尊命の如し。ーーであります』 『云ったな。貴様はこの董卓の剣は切れないと思っておるの『尊命の如しとは ? 』 カ』 『あなたの御宣言が正しいと存じます』 『暴言だっ。 諸君つ、今の声を、なんと聞くか』 『よしつ。然らばその首をつなぎ止めてやろう。他の者はどう やから 馬 『天下の権は、予の自由だ。予の説に不満な輩は、袁紹と共 だ。我すでに大事を宣せり。背く者は、軍法を以て問わん』 に、席を出て行けっ』 剣を挙げて、雷の如く云った。 てんじつま しようふく 『ああ。妖雷声をなす、天日も真っ晦だ』 並居る百官も、慴伏して、もう誰ひとり反対をさけぶ者もな 赤『世まい言を申しておると、一刀両断だぞ。去れつ、去れつ、 異端者め』 董卓は、かくて、威圧的に百官に宣誓させて、又、 くら つ ) 0 733

3. 三国志(一) (吉川英治)

元 れよりは、臣等が有る限りの兵をひっさげて、賊を防いでみまから後から通って行くのであった。 『アレ。なにけ ? もんかくじようへき 『なんじやろ ? 』 『お一一 = ロ葉は勇ましいが、門郭城壁の構えもなく、兵も少いの に、どうして防ぎきれようか』 無智な飢民の眼には、悲しむべきこの実相も、なんの異変と あなど も映らぬもののようだった。 『侮り給うな、われ等も武人だ』 かんば いなな 『いや、万一、敗れてからでは、間に合わぬ。天子を何処へお較の光りを見ても、悍馬の嘶きを聞いても、その眼や耳は、 移し申すか。暴賊の手に委すような破滅となったら、それこそ愕きを失っていた。恐怖する知覚さえ喪失している飢民の群れ ヾこっこ 0 各、ゝの武勇も : と、争っている所へ、室の外で、誰か二、三の人々が呶鳴っ が、軈て。 李催、郭汜の大軍が、帝の御車を追って、後方から真っ黒に ごせんぎ 『何を長々しい御詮議だて、そんな場合ではありませんそ、も地を蔽って来ると、どこへ潜ってしまったものか、もう飢民の はや敵の先鋒が、あれあの通り、馬煙をあげ、鼓を鳴らして、 影も、鳥一羽も、野には見えなかった。 近づいて来るではありませんかっ』 きようカく 四 帝は、驚愕して、座を起たれ、皇后の御手を取って、皇居の 裏から御車にかくれた。侍衛の人々、文武の諸官、追うもあ 砂塵と悲鳴につつまれながら、帝の御車は辛くも十数里を奔 って来られたが、ふと行く手の曠野に横たわる丘の一端から、 り、残るもあり、一時に混雑に陥ちてしまった。 御車は、南へ向って、あわただしく落ちて行かれた。 忽ち、漠々たる馬煙りが立昇って来るのが見えたので、 たお 街道の道の辺には、飢民が幾人も仆れていた。 『や、や ? 』 飢えた百姓の子や老爺は、枯れ草の根を掘りちらしていた。 『あの大軍は ? 』 餓鬼のごとく、冬の虫を見つけて、むしやむしゃ喰っている。 『敵ではないか ? 』 はらぶく 腹膨れの幼児があるかと思うと、土を舐めながら、どんよりし『早 : : : 前にも敵か ? 』 さわた がくぜんまゆ こじゅう た眼で、 と、扈従の宮人たちは、みな躁ぎ立て、帝にも、愕然と眉を なぜ生れたのか。 ひそめられた。 わめ きわ と云いたげに、此の世の空をばんやり見ている女がある。 進退ここに谷まるかと、御車に従う者たちが度を失って喚く 奔馬や、帝の御車や、裸足のままの公卿たちゃ、戟をかかえので、皇后も泣き声を洩らさせ給い、帝も、御簾の裡から幾度 た兵や将や、激流のような一陣の砂けむりが、うろたえた喚きとなく、 ごえ 『道を変えよ』と叫ばれた。 改声をつつんで、その前を通って行った。 土を舐め、草の根を喰っている、無数の飢えたる眼の前を後然し、今さら道を変えて奔ってもどうなろう。後も敵軍、前 ) 0 まか お わめ おお きみん やが す 3 り 7

4. 三国志(一) (吉川英治)

ースでゴルフをやる慣例が出来た。はじめは十人内外の小規模なもの先祖の精神を究明しようとする困難で壮大な作品にとり組んでい のだったが、 しだいにふくれ上って、怪井沢滞在の文筆家や画家った。その行き方が吉川さんの衰弱を早めたことは確かだと思う。一 だが、 ( 私は生きた、そして精いつばいの仕事をした ) ーー・・そう 達・ジャーナリスト達など五、六十人も集るようになった。ゴルフ をやらない女流の作家達も出席したが、ああいう所は吉川さんのおいう反省に裏づけられて、吉川さん自身は、自分の人生に悔いをも たなかった幸福な人だったとも考えられる。 ( 一九六六・六 ) ( 作家 ) おらかな人徳のいたす所だったと思う。 ある年の前夜祭で、私はをぬけて、階下に電話室を探しに行っ た。それらしい板戸をあけると、うす暗い室に、前を祭の仕度を手 伝ったらしい男衆が十人ばかり坐っていつばい飲んでいた。これあこ いかんと、母家の方に出て、応接間をのぞくと、子供さん達の男女 の友達が十四五人ばかり集って、ウグレレやギターで、若い者だけ のパーテーをやっているのだ。つまり、その晩、吉川山荘には七八 十人ばかりの人間が集って、三つに分れてそれぞれに前夜祭を楽し んでいたことになる。 私はたまげてしまった。 たが、いまから思うと、その頃から「宮本武蔵」「新・平家物語」 「私本太平記」など、休息の間もなく。巨大な長篇の仕第がつづき、 それに伴う社会的名声とが相まって、吉川さんの身、いに、ヨロイ・ カプトのような負担を、ジワジワと重たくのしかからせていったよ うな気がする。吉川さん自身も疲労を自覚していたのか、さまざま な和漢の療法などを試みて身体には気をつかっていたようである ; 、しかし国民的作家というのつびきならない・ヘルトコンべアの座 にすわらせられた吉川さんは ( 仕事をやめて休息する ) ーー・・そうい う単純な環に自分を置くことを許されなかった。今から考えると 痛ましいことだったという気がする もしも吉川さんが初期のころの「鳴門秘帖」のような肩のこらな 一い大衆小説を書きつづけていったとすれば、重いョロイ・カプトを着 せられるようなことにはならなかったろうし、日本人に乏しい空想 力の豊かな作品も、それはそれで、いわゆる国民文学とは別種の有 ム . ′イ 吉川さんの誕生祝いの会風景 ( 昭和 34 年 ) 左より丹羽夫妻、柴田、生沢、川端氏らの顔も見える ( 中央和服姿吉川さん )

5. 三国志(一) (吉川英治)

りゆ・つ′け、 『そうか、それで安、いした。然し劉兄、いいおっ母さんだな。 劉備さえ、、いのうちで、 ゅうべから側で見ていても、羨しくてならない』 『これは一体、どうした事だろう』と、母の算段を心配してい 『そうです。自分で自分の母を褒めるのも変ですが、子に優した。 かりん かっ く世に強い母です』 そのうちに又、村長の家から、花梨の立派な卓と椅子が担が 『気ロがある、どこか』 れて来た。 だいきようえん 『大饗宴だな』 『失礼だが、劉兄には、まだ夫人はないようだな』 『ありません』 張飛は、子どものように、歓喜した。 『はやくひとり娶らないと、母上がなんでもやって居る様子だ 準備ができると、手伝いの者は皆、母屋へ退がってしまっ が、あのお年で、お気の毒ではないか』 三名は、 - 一うふ 劉備は、そんな事を訊かれたので、又ふと、忘れていた鴻芙『では』 よう かれい 蓉の佳麗なすがたを思い出してしまった。 と、眼を見合せて、祭壇の前の蓆へ坐った。そして天地の神 で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、 ひひ 『われらの大望を成就させ給え』 白桃の花びらが、霏々と情有るもののように散って来た。 きねん と、祈念しかけると、関羽が、 『劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか』 厨に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後に来て告げ『御両所。少し待ってくれ』 と、なにか改まって云った。 ちゅうばう 三名が、いつでもと答えると、母は又、、 しそいそと厨房の方 へ去った。 近隣の人手を借りて来たのであろう。きのう張飛の姿を見『ここの祭壇の前に坐ると同時に、自分はふと、こんな考えを たまげ て、きやっと魂消て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家の息子呼び起されたが、両公の所存はどんなものだろうか』 も、ほかの家族も、大勢して手伝いに来た。 関羽は、そう云い出して、劉備と張飛へ、こう相談した。 もと むしろ さけがめ やがて、先す一人では持てないような酒瓶が祭壇の莚へ運ば すべて物事は、体を基とする。体形を整えていない事に成功 れて来た。 はあり得ない。 それから豚の仔を丸ごと油で煮たのや、山羊の吸物の鍋や、 偶然、自分たち三人は、その精神に於て、合致を見、きよう かんイ、、 干菜を牛酪で煮つけた物だの、年数のかかった漬物だのーーー運を出発として大事を為そうとするものであるが、三つの者が寄 義ばれて米る毎に、三名は、その豪華な珍味の鉢や大皿に眼を奪り合っただけでは、体を為していない。 われた。 今は、小なる三人ではあるが、理想は遠大である。三体一、 盟 くりや ゅうらく めと おくさん

6. 三国志(一) (吉川英治)

「相違ないか』 号で、その位階をも現していた。黄巾賊の仲間では、部将をさ して、みなそう呼ぶのであった。 けれど、総大将の張角のことは、そう称ばない。張角と、そ『ーー・で、何処まで行くのだ。この真夜中に』 『泝県まで帰ります』 の二人の弟に向ってだけは、特に、 ー一いけんりようしちょうかく 『じゃあまだ道は遠いな。俺たちも夜が明けたら、北の方の町 大賢良師、張角 てめえ てん - 一うしようぐんちょうりよう まで行くが、汝のために眼をさましてしまった。もう一一度寝も 天公将軍、張梁 ちこうしようぐんちょうほう できまい。ちょうど荷物があって困っていた所だから、俺の荷 地公将軍、張宝 かん - : っ かっ を担いで、供をして来いーーーおい、甘洪』 というように尊称していた。 『へい』 その下に、大方、中方などとよぶ部将を以て組織しているの はんげつそう かっ であったーーで今、劉備の前に腰かけている男は、張角の配下『荷物はこいつに担がせて、汝は俺の半月槍を持て』 ! げんを 『もう出かけるんですか』 の元義という黄巾賊の一頭目であった。 『おい、甘洪』と、馬元義は手下の甘洪が、まだ危ぶんでいる『峠を降りると夜が明けるだろう。その間に奴等も、今夜の仕 事をすまして、後から追いついて来るにちげえねえ』 様子に、顎で大きく云った。 『では、歩き歩き、通った印を残して行きましよう』と、甘洪 『そいつを、もっと前へ引きすって来いーーそうだ俺の前へ』 みちばた りゅうび 劉備は、襟がみを特たれた儘、馬元義の足もとへ引据えられは、廟の壁に何か書き残したが、半里も歩くと又、道傍の木の きれ 枝に、黄色の巾を結びつけて行く 」いほ・つ ばげん 大方の馬元義は、悠々と、驢に乗って先へ進んで行くのであ 『ゃい、姓』 丐は睨めつけて、 『汝は今、孔子廟へ向って、大それた誓願を立てていたが、 体うぬは、正気か狂人か』 『はいでは済まねえ。黄魔鬼畜を討ってどうとか吐かしていた が、黄魔とは、誰のことだ、鬼畜とは、何をさして云ったの 童 『べつに意味はありません』 る 『意味のない事を独りで云うたわけがあるか』 おそろ 流『余り山道が淋しいので、怖しさをまぎらすために出たらめ に、声を放って歩いて来たものですから』 かん - : っ あご さび ちょうかく かんこう ひきす っ・ ) 0 ろ 驢は、北へ向いて歩いた。 はや 流行る童歌 われ

7. 三国志(一) (吉川英治)

よ、つこ。 向いてしまった。 ・且・カーしいのか』 巻『ウーム、結構だっこ 『たいへんな恥み性です。なにしろめったに人に接しません の董卓は、うめいていたが、一曲終ると、 から』 『もう一曲』と、望んだ。 星 こえ 貂蝉が再び起っと、教坊の楽手は、更に粋を競って弾じ、彼『美い声だの。すがたも、舞もよいが。 : : : 主、もう一度、歌 あいあい 群 わせてくれないか』 女は、舞いながら哀々と歌い出した。 セワ コウガサイハク 『貂蝉。あのように、今夜の大賓が、求めていらっしやる。な 紅牙催拍シテ燕ノ飛プコトにシ コウウンガドク なんぞもう一曲 : : : お聴きしていただくがよい』 一片ノ行雲画堂ニ到ル ビタイモョオ 眉黛促シテ成ス遊子ノ恨 だんばん ハラファタ 貂蠅は、素直にうなずいて、檀板を手に 瞼容初メテ故人ノ腸ヲ断ッ ュセンカ い調子でーー・客のすぐ前にあって歌った。 楡銭買ワズ千金ノ笑 オウトクコウンンヒラ ョソオイ ー・ユウタイ 一点ノ桜桃絳唇ヲ啓ク 柳帯ナンゾ用イン百宝ノ粧 リョクコウサイキョ 7 ョウンユン 両行ノ砕玉陽春ヲ噴グ 顰罷ミ簾ヲ隔テテ目送スレ・ハ チョウコクンタ ンユンコウケン ジョウ . オウ 丁香ノ舌ハ前鋼ノ剣ヲ吐キ 知ラズ誰カコレ楚ノ襄王 カンジャランゴク 姦邪乱国ノ臣ヲ斬ラント要ス 眼を貂蝉のすがたにすえ、歌詞に耳をすましていた董卓は、 『いや、おもしろい』 彼女の歌舞が終るなり、感極まった容子で、王允へ云った。 むすめ あるじ 董卓は、手をたたいた。 ししたい誰の女か。どうも、ただの教坊の 『主。あの女生よ、 おんな 前に歌った歌詞は自分を讃美していたので、今の歌が自分を 妓でもなさそうだが』 かんじゃらんごく ちょうせん さして暗に姦邪乱国の臣としているのも、気づかなかった。 『お気に召しましたか。当家の楽女、貂蝉というものですが』 『神仙の仙女とは、実に、この貂蝉のようなのを云うのだろう 『そうか。呼べ』と、斜ならぬ機嫌である。 かれい オいま、塢城にもあまた佳麗はいるが、貂蝉のようなのは 『貂蝉、おいで』 ちょうあんふんたい まね 。もし貂蝉が一笑したら、長安の粉黛はみな色を消すだ 王・九は、六、し召、 , ) 。 貂蝉は、それへ来て、ただ恥っていた。董卓は、杯を与えろう』 『太師には、そんなにまで、貂蝉がお気に入りましたか』 『む : ・ : 。予は、真の美人というものを、今夜初めて見たここ 『幾歳か』と、八、こ。 ちがする』 『献じましよう。貂蝉も、太師に愛していただければ、無上の 答えない。 しあわ 貂蝉は、小指を、唇のそばの響子に当てて、王允の陰に、俯幸せでありましようから』 て、 うつ びうじよう しよう あるじ こんどはやや低 224

8. 三国志(一) (吉川英治)

文醜はすぐ眼の前へ来た 止まって、微力を尽してみましよう』と、約し 巻『やられた ! 』 の観念の眼をふさぎながら、剣を抜いて起き直ろうとした時、 公孫環は、それに気を得て、次の日、ふたたび盤河の畔に立 星何者か、上の崖から飛下りた一個の壮漢が、文醜の前へ立ち塞ち、北国産の白馬二千頭を並べて、大いに陣勢を張「た。 がるなり、物を云わず七、八十合も槍を合わせて猛戦し始めた 公孫環が、白い馬をたくさん持っていることは、先年、蒙古 群 えびす ので、『天の扶け』とばかり公孫環は、その間に、山の方へ這との戦に、白馬一色の騎兵隊を編制して、北の胡族を打破った はくばじん い上って、辛くも危い一命を拾った。 ので、それ以後、彼の『白馬陣』といえば、天下に有名になっ 文醜もついに断念して、引っ返したとのことに、公孫環は、 ていた。 兵を集め、さて、 四 『きよう不思議にも、自分の危い所を助けてくれた者は、一体 どこの何人か』 『ゃあ、なかなか偉観だな』 と、部将に問うて、各 4 の隊を調べさせた。 対岸にある袁紹は、河ごしに、ト手をかざして、敵陣をなが やがて、その人物は、公孫環の前にあらわれた。然し、味方めながら云った。 ただ がんりようぶんしゅう の隊にいた者ではなく、まったく凡の旅人だということが知れ『顔良、文醜』 气はっ 『御辺は、どこへ帰ろうとする旅人か』 『ふたりは、左右ふた手にわかれて、両翼の備えをなせ。又、 くつきよう しやじんし 公孫環の問に、 屈強の射手千余騎に、麹義を大将として、射陣を布け』 じようざんしんてい 『それがしは、常山真定 ( 河北省・正定の附近 ) の生れ故、そこ 「心得ました』 ちょううんあざなしりゅう どきゅうしゅ へ帰ろうとする者です。趙雲、字は子竜と云います』 命じておいて、袁紹は旗下一千余騎、弩弓手五百、槍韓の歩 はんりゅうきたいはい 眉濃く、眼光は大に、見るからに堂々たる偉丈夫だった。 兵八百余に、幡、流旗、大旆などまんまるになって中軍を固め ちょうしりゅう えんしよう 趙子童は、つい先頃まで、袁紹の幕下に居たが、だんだんと 袁紹のすることを見ているうちに、将来長く仕える主君でない 大河をはさんで、戦機は漸く熟して来る。東岸の公孫環は、 と考えられて来たので、いっそ故郷へ帰ろうと思いここ迄来た敵のうごきを見て、部下の大将厳綱を先手とし、帥の字を金線 所だとも云い足した。 で繍った紅の旗をたて、 こうそんさん ちじんけんび 『そうか。この公孫環とても、智仁兼備の人間ではないが、御『いでや』と、ばかり河畔へひたひたと寄りつめた。 あわ とたん ちょううんしりゅう 辺に仕える気があるなら、力を協せて、共に民の塗炭の苦しみ 公孫環は、きのう自分の一命を救ってくれた趙雲子童を非凡 を救おうではないか』 な人傑とは思っていたが、まだその心根を充分に信用しきれな げんこう 公孫環のことばに、趙子童は、 いので、厳綱を先手とし、子童にはわずか兵五百をあずけて、 せいてい ふさ げん - 一う ばんが きんせん もら′ - 一 2 り 0

9. 三国志(一) (吉川英治)

こんたん きっと八フに、 ( 天、我に兵馬を養わしむ ) と、みな非常に元気づいた。そこう魂胆に密議は一決を見たようであります。 宮中から帝の名を以て、将軍に参内せよと、使がやってくるに料 巻で玄徳以下、張飛や関羽たちも、ようやく舷に酬いられて、前 しゅんめえんばく の進一歩の地を占め、大いに武を練り兵を講じ、駿馬に燕麦を飼ちがいありません』 何進は聞いて、 園って、平原の一角から時雲の去来をにらんでいた。 けだもの 果せるかな。 『獣め等、よしつ、それならそれで俺にも考えがある』 るりでん ふんど 一雲去れば一風生じ、征野に賊を掃い去れば、宮中の瑠璃殿憤怒して、会議の壇に戻り、潘隠の密報を諸大臣や、並居る かんたい 裡に冠帯の魘魅や金釵の百鬼は跳梁して、内外いよいよ多事の文武に公然とぶちまけて発表した。 折から、一夜の黒風に霊帝は崩ぜられてしまった。 ところへ案の定、宮中からお召という使者が来邸して、 あやう 『天子、今御気息も危し。枕頭に公を召して、漢室の後事を託 紛乱はいよいよ紛乱を見るであろう。漢室四百年の末期相は うやうや のたま ようやくここに瓦崩のひびきをたてたのである。 如何になせんと宣わる。いそぎ参内あるべし』と、恭しくいった。 りゆく世の末やらん、と霊帝崩御の由を知るとともに、人々み『狸め』 きゅうじん ばうぜん な色を失って、呆然、足もとの大地が九仞の底へめりこむよう何進は、潘隠へ向って、 わら 『こいつを血祭にしろ』と命じるや否や、再び、会衆の前に立 な顔をしたのも、あながち、平常の心がけ無き者とばかり嗤え もしないことであった。 『もう俺の堪忍はやぶれた。断乎として俺は欲することをやる せき しわぶき 会議の席も、寂としてしまい、咳声をする者すらなかったぞ ! 』と呶鳴った。 こういそうそう あわただ が、そこへ又、慌しく、 すると、先に忠言して何進に一喝された典軍の校尉曹操が、 ふたたび沈黙を破って、 『将車。お耳を』と、室外にちらと影を見せた者があった。 『将軍将軍。今日遂に断を下して計を為さんとするならば、先 何進に通じている禁門の武官潘隠であった。 『オ、麕隠か。なんだ』 ず、天子の位を正して然る後に賊を討っことを為し給え』と叫 何進はすぐ会議の席を外し、外廊で何かひそひそ潘隠の囁きんだ。 を聞いていた。 何進も、今度は前のように、だまれとはいわなかった。大き く頷いて、 きゅうけつぼうぞく 四 『誰か我が為に、新帝を正して、宮闕の謀賊どもを討ち尺、さん 者やある』 燔隠が告げていうには、 らん 『十常侍の輩は例に依って、帝の崩御と同時に、謀議をこら爛たる眼をして、衆席を見まわすと、時に、彼の声に応じ あなた し、帝の死を隠しておいて、先ず貴方を宮中に召し、後の禍をて、 しれいこういえんしよう 『司隸校尉袁紹ありつ』と名乗って起った者がある。 除いてから喪を発し、協皇子を立てて御位を継がしめようとい かしん まみ ともがら やしな はんいん まっきそう うなず

10. 三国志(一) (吉川英治)

『公等の軍功を奏上して、公等はそれそれ莫大な封禄の恩典に 『天下は泰平です。みな帝威に伏して、何事もありません』 あずかりたるに、それを奏した十常侍に、なんの沙汰もせぬの十常侍の輩は、ロをあわせて、いつもそんなふうにしか、奏 上していなかった。 は、非礼ではないか』 などと賄賂のなそをかけたりした。 まいない - 一うほすう 恐れて、すぐ賂を送った者もあるが、皇甫嵩と、朱雋の一一長沙の乱へは、孫堅を向わせて、平定に努めていた。 しせんよよう りゅうぐゅうしゅう りゅうえんえきしゅうばく 又劉焉を益州の牧に封じ、劉虞を幽州に封じて、四川や漁陽 将軍などは、 方面の賊を討伐させていた。 『何をばかな』 - 一も′一も ざん その頃。 と一蹴したので、十常侍たちは交 4 に、天子に讒したので、 だいしゅうりゅうか、 帝は忽ち、朱雋、皇甫嵩のふたりの官職を剥いで、それに代る故郷の深県から再び戻って、代州の劉恢の邸に身を寄せてい あるじ ちょうちゅう た玄徳は、主劉恢から ( 時節は来た。これを携えて、幽州の 趙忠を車騎将軍に任命した。 しこうちょううん りゅうぐ ちょうじよう 又、張譲その他の内官十三人を列侯に封じ、司空張温を太劉虞を訪ねてゆき給え。虞は自分の親友だから、君の人物を見 尉に昇せたりしたので、そういう機運に乗った者は、十常侍にればきっと重用するだろう ) と云われて、一通の紹介状をもらった。 媚びおもねって、更に彼等の勢力を増長させた。 たまたまちゅうかん 稀、ズ忠諫をすすめ、真実をいう良臣は、みな獄に下され玄徳は恩を謝して、直に、関羽張飛などの一族をつれ、劉虞 の所へ行った。劉虞はちょうど、中央の命令で、漁陽に起った て、斬られたり毒殺されたりした。 ちゅうばっ あざむ みだ 乱賊を誅伐にゆく出陣の折であったから、大いに欣んで、 従って宮廷の紊れは、偽かず、民間に反映して、地方にふた ( よし。君等の一身をひきうけた ) と、自分の軍隊に編入し たび黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人が蜂起して、洛陽城下に て、戦場へつれて行った。 天下の危機が聞えて来た。 四川、漁陽の乱も、漸く一時の平定を見たので、その後、劉 この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪に弄ばれる如く転 たてまっ み、いわい 変を極めたが、稀、、、幸したのは、前年来、不遇の地に趁わ虞は朝廷へ表を上って、玄徳の勲功ある事を大いにえた。 こうそんさん りゅうかいなさけ りゅうびげんとく 同時に、廟堂の公孫墳も、 れて、代州の劉恢の情に漸く身をかくしていた劉備玄徳であっ ( 玄徳なる者は、前々黄賊の大乱の折にも抜群の功労があった みことのり ものです ) と、上聞に達したので、朝廷でも捨ておかれず、詔 へいげんけん を下して、彼を平原県 ( 山東省平原 ) の令に封じた。 黄匪の乱が熄んでから又間もなく、近年各地に蜂起した賊で で、玄徳は、即時、一族を率いて任地の平原へさし下った。 よよう ちょうきょちょうじゅんむほんちょうさ ほうじようせんろうたくわ 乱は、漁陽 ( 河北省 ) を騒がした張挙、張純の謀叛。長沙、江夏行ってみると、ここは地味豊饒で銭粮の蓄えも官倉に満ちてい がくしゅう ( 湖南省・岳州の南 ) あたりの兵匪の乱などが最も大きなものだるので、 ) 0 や しゅしゅん っ一 ) 0 ぐ 〃 3