思っ - みる会図書館


検索対象: 三国志(一) (吉川英治)
490件見つかりました。

1. 三国志(一) (吉川英治)

「 : : : お分りか。夫人』 そして後には、省然たるひとりの麗人の影だけがそこ かんばせ 夫人は、肩をすくめて貌容を紅の光に染めた。 に取り残されていた。 くち 曹操は、その熱い耳へ、唇をよせて、 『夫人、もっと前へおすすみなさい。予が曹操だ』 ちょうしゅう 『貴方へ恩を売るわけではないが、予の胸一つで張繍一族を 亡ばすも生かすも自由だということは、お分りだろう。 彼女は、ちらと眸をあげた。 らんか しゅうえん なんたる愁艶であろう。蘭花に似た瞼は、ふかい睫毛を俯せすれば、予がなんのために、そんな寛大な処置をとったか。 ・ : 夫人』 ておののきながら曹操の心を疑っている。 うなじ カくりと、人形のような細い頸を折って 幅広い胸のなかに、 : 『怖れることはない。すこしお訊ねしたいことがある』 仰向いた夫人は、曹操の火のような眸に会って、麻酔にカカ 曹操は、恍惚と、見まもりながら云った。 たようにひきつけられた。 傾国の美とは、こういう風情をいうのではあるまいか みだ 「予の熱情を、御身はなんと思う。・ : ・ : 淫らと思うか』 夫人は、俯向いたまま歩を運んだ。 『お名まえは。姓は ? 』 『 , っ . れ - ー ) いと一田心 , つか』 重ねて問うと、初めて、 ふる すうし すうし ちょ・つ一い たたみかけられて、夫人の鄒氏はわなわな顫えた。蝋涙のよ 『亡き張済の妻で : : : 鄒氏といいまする』 くちびる かす 曹操は、唇をかみ、つよい うなものが頬を白く流れる。 徴かに、彼女は答えた。 きっ 眸をその面に屹とすえて、 『予を、御存じか』 じようしょ・つ 『はっきり一ムえっ ! 』 『丞相のお名まえは、かねてから伺っておりますが、お目に もちまえ かかるのは : 難攻の城を攻めるにも急激な彼は、恋愛にも持前の短気をあ らわして武人らしく云い放った。 『胡弓をお弾きになっておられたようだな。胡弓がおすきか』 すこし面倒くさくなったのである。 しいえ、べつに』 『おいつ、返辞をせんかっ』 『では何で』 揺すぶられた花は、露をふりこばして俯向いた。そして唇の 『〈ホりの六、びしき、に』 『おさびしいか。おお、秘園の孤禽は、さびしさびしと啼く うちで、何か徴かに答えた。 ちょうしゅう 人 しかし曹操 嫌とも、はいとも、曹操の耳には聞えていない。 か。ー・・ー時に夫人、予の遠征軍が、この城をも焼かず、張繍 はその実、彼女の返辞などを気にしているのではない。 夫の降参をも聞き届けたのは、如何なる心か知っておられるか』 『何を一く、涙を拭け』 云いながら、彼は室内を大股に濶歩した。 胡曹操は、五歩ばかりすかすかと歩いて、いきなり夫人の肩に 手をかけた。 うつ まぶた そうそう まっげ くれない ろうるい 379

2. 三国志(一) (吉川英治)

「なぜ。どうして』 のです』 巻呂布は、怪しんだ。 『ふウム。それから、其方はなにを云おうとしたのか』 のあまりに陳宮が落着きはらって居るので妙に思われて来たら『花嫁のお輿入は、世間の通例どおりにしては、必ず、不吉が 起る。順調に運ぶとは思われない。だから、自分からも、主君 陳宮は、こう打明けた。 にそうおすすめ申すから、貴国の方でも、即刻お取急ぎ下さる 『ーー実はです。今朝、てまえ一存で、ひそかに韓胤の旅館をように。 : こう申して帰って来たのです』 訪問し、彼とは内談しておきました』 『韓胤は、おれには、何も云わなかった』 『なに。袁術の使者と、おれに黙って会っていたのか』 『それは云わないでしよう。この縁談は、政略結婚ですと、明 『心配でなりませんから』 かに云って来るお使者はありませんからな』 『ーーーで。どういうはなしを致したのか』 陳宮は、こう云ったら、呂布が考え直すかと思って、その顔 『わたしは、韓胤に会うと、単刀直入に、こうロを切って云い いろを見つめていたが、呂布の心は、娘を嫁がせる支度やその ました。 日取にばかりもう、いを奪われていた。 こんどの御縁談は 『では、日取は、早いほどいいわけだな。何だか、ばかに気に つまるところ— しくなったぞ』 貴に於ては 彼は又、後閣へ向って、大股にあるいて行った。 劉備の汽がお目あてでしよう。 妻の厳氏にい、 しふくめて、それから、夜を日についで、輿入 花嫁は花嫁として の準備をいそがせた。 よめいりどうぐ きんらんりよ、フ 後から欲しいお荷物は あらゆる華麗な嫁入妝匣がそろった。おびただしい金襴や綾 劉備の首、それでしよう ! 羅が縫われた。馬車や蓋が美々しくできた。 しののめ じよしゅうじよう いきなり手前が云ったものですから韓胤は驚いて、顔色を失 いよいよ花嫁の立っ朝は来た。東雲の頃から、徐州城のう いましたよ』 ちは、鼓楽の音がきこえていた。ゅうべから夜を明かして、盛 「それはそうだろう。 ・ : そしたら韓胤はなんと答えたか』 大な祝宴は張られていたのである。 『やや暫くてまえの面を見ていましたが、やがて声をひそめ やがて、禽の啼く朝の光と共に、城門はひらかれ、花嫁をの て、 せた白馬金蓋の馬車は、たくさんな侍女侍童や、美装した武士 左様な儀は の列に護られて、まるで紫の雲も棚びくかとばかり、城外へ送 どうか大きなお声では り出されて来た。 印っしやらないよ、つに。 と、あれもなかなか一くせある男だけに、、、返辞をしたも はくばきんがい 370

3. 三国志(一) (吉川英治)

一たん上機嫌に昇ってしまうと、張飛の機嫌は、なか 張飛も、ともども、 なか水をかけても醒めない。関羽の生真面目を、手を打って笑 『それは是非、そうありたい。いやだと云っても、二人して、 あが いながら、 長兄長兄と崇めてしまうからいい』 劉備は強いて拒まなかった。そこで三名は、鼎座して、将来『わはははは、今日かぎり、もう村夫子は廃業したはずじゃな 1 一うほうらいらく てんくうかいかっ , か・ん 2 い いか。お互いに軍人だ。これからは天空海闊に、豪放磊落に の理想をのべ、刎頸の誓いをかため、やがて壇をさがって桃下 つきあ 武人らしく交際おうぜ。なあ長兄』 の卓を囲んだ。 と、劉備へも、すぐ馴々と云って、肩を抱いたりした。 『では、永く』 『そうだ。そうだ』と、劉備玄占心は、にこにこ笑って、張飛の 『変るまいそ』 なすがままになっていた。 『亦久らじ』 くら 張飛は、牛の如く飲み、馬の如く喰ってから、 と、兄弟の杯を交し、そして、三人一体、協力して国家に報 りゆ - つば - : フ じ、下万民の塗炭の苦を救うを以て、大丈夫の生涯とせんと申『そうそう。ここの席に、劉母公がいないという法はない。わ れわれ三人、兄弟の杯をしたからには、俺にとっても、尊敬す し合った。 べきおっ母さんだ。 ひとつおっ母さんをこれへ連れて来 張飛は、すこし酔うて来たとみえて、声を大にし、杯を高く て、乾杯し直そう』 挙げて、 おもや 息に、そんな事をいい出すと、張 ・く飛はふらふら母屋のほうへ 『ああ、こんな吉日はない。実に愉央だ。再び天に云う。われ 馳けて行った。そして軈て、劉母公を、無理に、自分の背中へ らここに在るの三名。同年同月同日に生まるるを希わす、願わ 負って、ひょろひょろ戻って来た。 くば同年同月同日に死なん』 『さあ、おっ母さんを、連れて来たぞ。どうだ、俺は親孝行だ と、呶鳴った。そして、 ろう さあおっ母さん、大いに祝って下さい。われわれ孝行 『飲もう。大いに、きようは飲もうーーーではありませんか』 いやこれは、独りおっ母さ などと、劉備の杯へも、やたらに酒を注いだ。そうかと思う息子が三人も揃いましたからね と、自分の頭を、独りで叩きながら、『愉决だ。実に愉快だ』んにとって祝すべき孝行息子であるのみではない。支那の ちゅうりようむすこ 国家にとってもだ、われわれこう三名は得難い忠良息子ではあ と、子供みたいにさけんだ。 かたむ 余り彼の酒が、上機嫌に発しすぎる傾きが見えたので、関羽るまいかー・ーそうだ、お「母さんの孝行息子万歳、国家の忠良 盟よ、 息子万歳っ』 そしてやがて、こう三人の中では、酒に対しても一番の誠実 『おいおい、張飛。今日の事を、そんなに歓喜してしまって おおいび は、先の歓びは、どうするのだ。今日は、われら三名の義盟が息子たるその張飛が、まっ先に酔いつぶれて、桃花の下に大鼾 義できただけで、大事な成功不成功は、これから後のことじゃな声で寝てしまい、夜露の降るころまで、眼を醒まさなか「た。 いか。少し有頂天になるのが早すぎるそ』と、たしなめた。 わが

4. 三国志(一) (吉川英治)

こと草を薙ぐにひとしいと豪語して憚らない。 そうすう 『嘘だろう』 迎えをうけて、曹操の父親の曹嵩は、夢かとばかり歓んだ。 曹操も信じなかったが、 それと共に、周囲へ向って、 『さらば、お目にかけん』と、典韋は、馬を躍らせて、言葉の 『それみろ』と、曹嵩の息子自慢はたいへんなものだった。 あ とおり実演して見せた。ちょうど又、その折、大風が吹いて、 『彼れの叔父貴も、親類共も、曹操が少年時分には行末が案じ なア 営庭の大旗が仆れかかったので、何十人の兵がかたまって、旗られる不良だなどと、ロを極めて、悪く云いおったが ざおたお 竿を仆すまいと犇めいていたが、強風の力には及ばず、あれよ に、あいつは見所があるよと、大まかに許していたのは、わし てんい あれよと騒いでいるのを見て、典韋は、 ばかりじゃった。やはりわしの眼には狂いがなかったんじゃ』 の 『みな退け』と、走りよって、片手でその旗竿を握り止めてし落魄れても、一家四十何人に、召使も百人からいた。それに えんしゅう まったのみか、いかに烈風が旗を裂くほど吹いても、両掌を用家財道具を、百余輛の車につんで、曹嵩一家は、早速、奄州へ よ、つこ。 向って出発した。 、にしえあくらい おと 『ウーム。古の悪来にも劣らない男だ』 折から秋の半だった。 しろきんらんせんばう ふうりんていしゃ 曹操も舌を巻いて、即座に彼を召抱え、白金襴の戦袍に名馬『楓林停車』という南画の画題そのままな旅行だった。老父は を与えた。 時折、紅葉の下に車を停めさせて、 いんちゅうおう だいりきむそう ひとっ曹操に会ったら見 悪来というのは、昔、殷の紂王の臣下で、大カ無双と名のあ『こんな詩ができたがどうじゃ。 まみ一 てんい った男である。曹操がそれにも勝ると称したので、以来、典韋せてやろう』 あだな の綽名になった。 などと興じていた。 じよしゅう ・ : フ、しト 4 ・フ 卩 ) 製、ーレゅ・フ たいしゆとうけん 途中、徐州 ( 江蘇省・徐州 ) まで来ると、太守陶謙が、わざわ ざ自身、郡境まで出迎えに出ていた。そして、 曹操は、一日ふと、 『ぜひ、こよいは城内で』と、徐州城に迎え、二日に亙って下 『おれも今日迄になるには、随分親に不孝をかさねて来た』 へも措かないはど歓待した。 と、故山の父を思い出した。 『一国の太守が、老ばれのわしを、こんなに待遇するはずはな ろうや 曹操が偉いからだ。思えばわしはよい子を持った』 彼の老父は、その頃もう故郷の陳留にもいなかった。瑯耶と 頃 いう片田舎に隠居していると聞くのみであった。 曹嵩は、城内にいる間も、息子自慢で暮していた。 とうけんかね の山東一帯に地盤もでき、一身の安定もっくと、曹操は老父を事実、ここの太守陶謙は予てから曹操の盛名を慕って、折あ 雨そうしておいては済まないと思い出した。 れば曹操と誼みを結びたいと思っていたが、よい機会もなかっ たのである。 ところへ、曹操の父が一家を挙げて、自分の 秋『わしの厳父を迎えて来い』 たいしゅおうしよう ろうや えんしゅう 領内を通過して奄州へ引移ると聞いたので、『それはよい機会 彼は、泰山の太守応劭を、使として、にわかに瑯耶へ向け たお ひし た ちんりゅう て はた おちぶ お おい そうすう 255

5. 三国志(一) (吉川英治)

廊の廂まで入ることを許してである。 な、劉、玄徳、誰だろう』 やがて玄徳は通った。 頻りに首をひねっていたが、まだ思い出せない容子だった。 かんちょうせいき 戦地と云っても、さすが漢朝の征旗を奉じて来ている軍の本廬植は、一目見て、 営だけに、将軍の室は、大きな寺院の中央を占め、境内から四『おお、やはりお前だったか。変ったのう』と、驚いた目をし 門の外郭一帯にかけて、駐屯している兵馬の勢威は物々しいも かっかく のであった。 『先生にも、その後は、赫々と洛陽に御武名の聞え高く、蔭な 『よっ。 がら欣んでおりました』 確かに、劉備玄徳と仰しやって、将車にお目にか 玄總は、そう云って、廬植の沓の前に退り、昔に変らぬ師礼 かりたいと申して来ました』 外門から取次いで来た一人の兵はそう云って、廬将軍の前を執った。 に、直立の姿勢を取っていた。 そして彼は、自分の素志を述べた上、願わくば、旧師の征軍 に加わって、朝旗の下に報国の働きを尽したいと云った。 二人か』 『よく来てくれた。少年時代の小さい師恩を思い出して、わざ しいえ、五百人も連れてであります』 『五百人』 わざ援軍に来てくれたとは、近頃うれしい事だ。その心もちは 唖然とした顔つきで、 すでに朝臣であり、国を愛する士の持っところのものだ。わが 『じゃあ、その玄徳とやらは、そんなにも自分の手勢を連れて軍に参加して、大いに勲功をたててくれ』 たす 来たのか』 玄徳は、参戦をゆるされて、約二カ月ほど、廬植の軍を援け ていたが、実戦に当ってみると、賊のほうが、三倍も多い大軍 『左様です。関羽、張飛、という二名の部将を従えて、お若い ようですが、立派な人物です』 を擁しているし、兵の強さも、比較にならないほど、賊のほう 『はてなあ ? 』 が優勢だった。 猶史、思い当らない容子であったが、取次の兵が、 その為、官軍のほうが、かえって守勢になり、徒に、滞陣の たくけんろうそうそん 『申し残しました。その仁は、県楼桑村の者で、将軍がそこ月日ばかり長びいていたのだった。 よみかき に隠遁されていた時代に、読書のお教えをうけた事があるとか『軍器は立派だし、服装も剣も華やかだが、洛陽の官兵は、ど 云っておりました』 うも戦意がない。都に残している女房子供の事だの、美味い酒 むしろうり 『ああ ! では蓆売の劉少年かもしれない。い や、そう云えだの、そんなことばかり思い出しているらしい』 ば、あれからもう十年以上も経っておるから、よい若人になっ張飛は、時々、そんな不平を鳴らして、 ている年頃だろう』 『長兄。こんな軍に交っていると、われわれ迄が、だらけてし 廬植は、にわカ 、に、なっかしく思ったとみえ、すぐ通せと命まう。去って、他に大丈夫の戦う意義のある戦場を見つけま 令した。勿論、連れている兵は外門に駐め、二人の部将は、内しよう』 じん ひさし くっ

6. 三国志(一) (吉川英治)

してみた。 『ばかをいえ』 公孫環は、むしろ不賛成で、 巻曹操は、今までの徴笑を一喝に変えて云い放った。 『よしてはどうだ。なにも君は曹操に恨みがあるわけでもな の『父や兄の恨みを雪ぐのが、なんでわが声望の失墜になるか、 星君は元来、逆境の頃の予を見捨てて走った男ではないか、人にし、陶謙に恩もないだろうに』 と、止めた。 向って遊説して歩く資格があると思うのか』 群 すた けれど、玄徳は、義の廃れた今、義を示すのは今だと思っ 陳宮は、顔赤らめて、辞し去ったが、その不成功を、陶謙に たいしゅちょうばう ーとま ばくりようちょううん 復命する勇気もなく、そこから陳留の太守張の所へ走ってし た。強いて暇を乞い、又、幕僚の趙雲を借りて、総勢五千人を ひき 率い、曹操の包囲を突破して、遂に徐州へ入城した。 ほうしゅうせつこん かくて「報讐雪恨』の大旗は、曹操の怒りにまかせて、陶謙太守陶謙は、手をとらんばかり玄徳を迎え、 とばかりの勢いで、徐州 の胆を抉り肉を喰らわねば熄まじ 『今の世にも、貴君のごとき義人があったか』と、涙をたたえ 城下へ向って進発した。 行く行くこの猛軍は人民の墳墓をあばいたり、敵へ内通する かしやく 疑いのある者などを、仮借なく斬って通ったので、民心は極端 に恐れわなないた。 徐州の老太守陶謙は、 『曹操の軍には、とても敵しようもない。彼の恨みをうけたは 皆、自分の不徳である。 自分は縛をうけて、甘んじて、彼 、か・ルレ」・つ の憤刀へこの首を授けようと思う。そして百姓や城兵の命乞い を彼に縋ろう』 諸将を集めてそう告げた。将の大部分は、 よみがえ 『そんなことはできません。太守を見殺しにして、なんで自分城兵の士気は甦った。 こりつむえん りゆ・つげんとく 孤立無援の中に、苦闘していた城兵は、思わぬ劉玄徳の来援 等のみ助けをうけられましようや』 ふる らいしゅう に、幾たびも歓呼をあげて振った。 と、策を議して、北海 ( 山東省・莱州 ) に急使を派し、孔子二 たいぎんと いこうちゅう - 一うゆう たす 老太守の陶謙は、『あの声を聞いて下さい』と、歓びに顫え 十世の孫で泰山の都尉孔宙の子孔融に援けを頼んだ。 たいしゅはいいんと ながら、玄徳を上座に直すと、直ちに太守の佩印を解いて、 折から又、黄巾の残党が集結して、各所で騒ぎだしていた。 こうそんさん 『今日からは、この陶謙に代って、あなたが徐州の太守とし 北平の公孫環も、国境へ征伐に向っていたが、その旗下にあっ じよしゅう りゅうびげんとく た劉備玄徳は、ふと徐州の兵変を聞いて、義のため、仁人の君て、城主の位置について貰いたい』 こうそんさん レ」、つ・ 1 ・れ と、云った。 子といううわさのある陶謙を援けに行きたいと、公孫環にはな ゅうぜい さず ほっない かっ かつおう 死活往来 し ふる 258

7. 三国志(一) (吉川英治)

けびよう かんく と、虚病を触れて、その夜からにわかに行旅の支度にかから 『だまれ。国々の諸侯が、義兵をあげて、この艱苦を共にして しやしよくやす 巻せた。 いるのは、漢の天下を扶けて、社稷を泰んぜんがためだ。玉璽 ひつぶ のところが は、朝廷に返上すべきもので、匹夫の私すべきものではない』 そんけんっ えんしようじん 星その混雑中に、孫堅に従いていた郎党のひとりが、袁紹の陣 『なにを、ばかなっ』 ほうび へ行って、内通した。一部始終を袁紹に告げて、わずかな褒美『ばかなとは、何事だ』 くら えんしよう をもらって姿を晦ましていた。 袁紹も、彼に対して、あわや剣を抜こうとした。 だから袁紹は、あらかじめ玉璽の秘密を知っていた。 四 夜が明けると、孫堅は、何喰わぬ顔して、乞いにやって来 た。孫堅はわざと、憔悴した態を装って、 『や、剣に手をかけたな。・ーー汝、この孫堅を斬ろうという気 『どうも近頃、健康がすぐれないので、陣中の努めも懶くてな らんのです。はなはだ急ですが、暫く本国へ帰って静養したい 孫堅が云えば、 ふうげつ と思います。 当分は風月を友にして』 『おうつ』と、袁紹も熱り立って、 えんしよう ・一う - 一うじ えんしようあざむ 云いかけると、袁紹は、 『貴様の如き黄ロ児になんでこの袁紹が欺かれようぞ。いかに きょカま 『あはははは』と、横を向いて笑った。 嘘を構えても、謀反心はもはや歴然だ。成敗して陣門にさらし 孫堅はむっとして、 てくれる』 そうすい 『何で総帥には、それがしが真面目に別辞を述べているのに、 『なにをつ』 無礼な笑い方をなさるのか』 孫堅は、云うより早く剣を抜いた。袁紹も、大剣を払い、双 と、剣に手をかけて詰問った。 方床を蹴って躍らんとしたっ 袁紹は露骨に、 『すわや ! 』と、満堂は殺気にみちた。 けびよ、つ うらおもて がんりようぶんしゅう 『君は、虚病もうまいが、怒る真似も上手い。いや裏表の多い 袁紹が後には、顔良、文醜などの荒武者どもが控えている。 でんこくよくじ ンも・り 人物だ 君の静養というのは、伝国の玉璽をふところに温 又、孫堅がうしろには程普、黄蓋、韓当などの輩が、 ほうおうひな かえ けんかん ざわ めて、やがて鳳凰の雛でも孵そうという肚だろう』 『主人の大事』と、ばかり各、・、、剣環を鳴らして騒めき立っ 『よ、よこっ ? ・』 あわ ながじんうつき 『慌てんでもよい こら孫堅、身のはどを知れよ。建章殿の井洛陽入りの後はここに戦いもなかった。長陣の鬱気ばらし けんか のうちから、昨夜、拾いあげた物をこれへ出せ』 一と喧嘩、血の雨も降りそうな時分である。 『そんなことは知らん』 驚いたのは、満堂の諸侯で、、総立ちになって、双方を ちかいち 『不届きな ! 汝、天下を奪う気か』 押し隔てた。 日頃、盟の血をすすり、義を天下に特えなが このほうむほんにん 『知らん。なにをもって、此方を謀反人というか』 ら、こんな仲間割れの醜態を、世上へ曝したら、民衆の信望は 、とま′一 けんしようでん ものう カ』 お たす かんとう 794

8. 三国志(一) (吉川英治)

だ』と、自身出迎えて、一行を城内に泊め、精いつばいの歓迎『宵から、兵隊たちが皆、不平顔をしているじゃないか』 かたむ 巻を傾けたのであった。 『仕方がありません。なにしろ日頃の手当は薄いし、こんなっ えんしゅう の『陶謙は好い人らしいな』 まらぬ役を吩咐かって、州まであんな老ばれを護送して行っ 星曹操の老父は、彼の人物にふかく感じた。陶謙が温厚な君子ても、なんの手功にもならない事は知れていますからね』 うそぶ であることは、彼のみでなく、誰も認めていた。 伍長は、嘯いて云った。叱るのかと思うと、張闔は、 群 恩を謝して、老父の一行は、三日目の朝、徐州を出発した。 『いや、尤もだ、無理よよ、 。オし』と、むしろ煽動して、 ちょう力い こうきんぞく 陶謙は特に、部下の張闔に五百の兵隊をつけて、「途中、間違『なにしろ、俺たちは、元々黄巾賊の仲間にいて、自由自在 とうけん しいつけた。 いのないよう、お送り申しあげろ』と、 に、気儘な生活をしていたんだからな。 陶謙に征伐され かひ 華費という山中まで来ると、変りやすい秋空が俄かに掻き曇て、やむなく仕えてみたが、ただの仕官というやつは、薄給で きゅうくっ : どう って、いちめんの暗雲になった。 窮屈で、兵隊共が不平勝ちに思うのも仕方がない。 青白い電光が閃いて来たかと思うと、ばつ、ばっと大粒の雨 いっその事、又以前の黄色い巾を髪につけて、自由の野に が落ちて来た。木の葉は、山風に捲かれ、峰も谷も霧にかくれ暴れ出そうか』 おそまき て、なんとなく物凄い天候になった。 と云っても、今となっちゃあ遅蒔でしよう』 『通り雨だ。どこか、雨宿りするところはないか』 『なあに、金さえあればいいのだ。幸、俺たちの護衛して来た 『寺がある。山寺の門が』 老ばれの一族は、金もだいぶ持っているらしいし、百輛の車 『あれへ逃げこめ』 、家財を積んでいる。こいつを横奪りして山寨へ立て籠るん 馬も車も人も雨に打ち叩かれながら山門の陰へ隠れこんだ。 そのうちに、日が暮れてきたので、 こんな悪謀が囁かれているとは知らず、曹嵩は、肥えた愛妾 『こよいは此寺へ泊るから、本堂を貸してくれと、寺僧へ掛合と共に、寺の一室でよく眠っていた。 って来い』 夜も三更に近い頃 ちょ・つが、 かんせい と、張闍は兵卒へ命じた。 突然、寺のまわりで、喊声がわき揚ったので、老父の隣りの そうそう 彼は日頃、部下にも気うけのよくない男と見え、濡鼠となっ部屋に寝ていた曹操の実弟の曹徳が、 ねまき 『やつ。何事だろう』と、寝衣のまま、廊へ飛び出したところ た兵隊は皆何か不平にみちた顔をしていた。 ちょ・つがい を、物も云わず、張闔が剣をふりかざして斬り殺してしまっ ぎやっツ。 そうすう という悲鳴が、方々で聞えた。曹嵩のお妾は、 『ひツ、ひと殺しつ』 しようじよう 冷たい秋の雨は、蕭条と夜中までつづいていた。 ~ ) し画・つ力し 暗い廊に眠っていた張は、何思ったか、むつくりと起き て、兵の伍長を、人気のない所へ呼び出して囁いた。 ひらめ ぬれねずみ 学 ) 0 よ - 一ど きれ せんどう めかけ - あいしよう 256

9. 三国志(一) (吉川英治)

詩は感じないでも、桃の花をみると二人は楼桑村の桃園を憶『何をためらうか。貴様はたった今、主君の威厳にさわると いおこす。 か、おれをたしなめたではないか。おれには何でも云えるが、 ほお 張飛は、最前から独りでつまらなそうに樹の下に腰かけて頬主君の前へ出ては、何もいえないのか』 『ばかを云え』 杖つきながら、それを眺めていたところだった。 っ 『では行こう、従いて来い。忠義の行いでいちばん難しいこと 『なんだ一体、御主君の行いについて、貴様の不平とは ? 』 ぜんげん は、上に善言して上より死を賜うも恨まずということだそ』 『この頃、玄徳様には邸内の畑へ出て、百姓のまね事ばかりし ているではないか。菜園へ出るもよいが、自分で水を担った り、肥料をやったり、鍬をもって、菜や人参を掘りちらさない でもよかろうじゃないか』 ばくつ、ばくつ、と鍬を打つ。土のにおいが面にせまる。 『その事か』 玄徳は、野良着の肱で、額の汗をこすった。 ていたく 『百姓がしたいなら、楼桑村へ帰りゃあいい。何も都に第宅を『・ 、、しようぐん 、。巴桶をかつぐに、われ 黙然と、鍬を杖に、初夏の陽を仰いでいる。一息して、鍬を 構え左将軍なんていう官職は要るまし すてると、彼は糞土の桶を撕って、いま掘りかえした菜根の土 われ兵隊なども要らんわけだ』 『きき、ま、そ , つい , つな』 へ、こやしを施していた。 『わが君 ! 冗談ではありませんぞ。この時勢に、そんな小人 『だから、おれは、これは天候のせいかも知れないと、憂いて の業を学んでどうするのですつ。馬鹿馬鹿しい』 しるんだ。、、 とう思う、兄貴は』 ちょうひ せい - : つうどく うしろで張飛の大声がした。 『君子のことばに、晴耕雨読ということがある。雨の日にはよ く書物に親しんでおられるから、君子の生活を実践しておられ玄徳はふり向いて、 るものだとおれは思うが』 『おお、何用か』 さしようぐんりゅうび そもそも いんじゃ ことばだけは、左将軍劉備らしい。それだけに、張飛はなお 抑くわれわれは、こ 『困るよ、今から隠者になられては。 ズ 馬鹿気た気がしてならない。が、由来彼は弁舌の士でなかっ 論れから大いに世に出て為すあらんとしている者ではないか』 ちゅうかん 乱暴なロならいくらもたたくが、主君に忠諫などは、得手 雄『もちろん』 でない限りである。 『よしてくれ ! 君子の真似なんか ! 』 テ 『関羽、云ってくれ』 『おれに云っても仕方がない』 っ そっと、突っつくと、 ヲ『きょ , つも畑 . に出ているよ , つか』 『なんだ、貴様がおれの手をひッばって来たくせに』 『やっておられるらしい』 『おれは、後で云うから』 『二人して、意見しに行こうじゃよ、 青 『家兄。ーーーきようはそう呼ぶことをおゆるし下さい』 『六、あ ? ・』 づえ こえおけ ろうそうそんとうえん わざ のら あお

10. 三国志(一) (吉川英治)

すると、又も。 つけて、救援に馳けつけてくれたことである。そのはか、わが 巻高原の彼方に、一朶の雲かと見えたのが、近づくに従「て、 将士のカ戦をふかく感謝する』 びよう いとま の一疑の軍馬と化し、敵か味方かと怪しみ見ている遑もなく、そ と、呂布はその席で、こう演舌して、一斉に、勝鬨をあわ うるしつや 莽の中から馳けあらわれた一人の大将は漆艶のように光る真っ黒せ、又、杯を挙げた。 しゅんめ な駿馬にうち跨がり、手に八十二斤の大青童刀をひっさげ、袁 四 術のまえに立ち塞がって、 よしゅ・フ りゅうげんとくおとうと かんうあざなうんちょう 『これは予州の太守劉玄徳が義弟の関羽字は雲長なり、家兄玄祝賀のあとでは、当然恩賞が行われた 徳の仰せをうけて、義のため、呂布を扶けに馳けつけて参っ 関羽は次の日、手勢をひいて予州へ帰って行った。 それへ渡らせられるは、近ごろ自ら皇帝レ旧称して、 以来、呂布はすっかり陳大夫を信用して、何事も彼に譓って ちゅう 。し / ー刀 天を懼れぬ増長慢の賊、袁術とはおばえたり。いで、関羽が誅 ばっ 罰をうけよ』と名乗りかけた。 『時に、韓暹と楊奉のうち、一名は自分の左右に留めておこう 袁術は、仰天して、逃げ争う大将旗下のなかに包まれたま と思うが、老人の考えはどうか』 ま、馬に鞭打った。 と、今日もたずねた。 さえぎ 関羽は、追 、いかけながら、遮る者をばたばた斬伏せ、袁術の陳珪は、答えて云った。 背へ迫るや、臂を伸ばして、青童刀のただ一揮に 『将軍の座右には、すでに人材が整うています。一羽の馴れな そ・つを - よ、つ けいしゃぐんけい 『その首、貰ッた』 い鶏を入れた為に、鶏舎の群鵁がみな躁狂して傷つく例もあり と、横なぐりに、払ったが、わずかに、馬のたてがみへ、袁ますから、よはど考えものです。むしろ二人を山東へやって、 術が首をちぢめた為、刃はその盗にしか触れなかった。 山東の地盤を強固ならしめたら、一二年の間に大いに効果があ ぞうちょうかんむり しかし、自称皇帝の増長の冠は、為に、彼の頭を離れ、 がるでしょ , っ』 びつになったまま素ッ飛んだ。 『実にも』と、呂布はうなずいた。 きれ、 しんがり ろうや こうして袁術はさんざんな敗北を喫し、紀霊を殿軍にのこし で、韓暹を沂都へ、楊奉を瑯耶へ役付けて、赴任させてしま わいなん て、辛くも、生命をたもって淮南へ帰った。 そうめつ ちんとう それに反して、呂布は、存分に残敵の剿滅を行い、意気揚老人の子息陳登は、そのよしを聞いて、不平に思ったのか、 りよ、フけん 揚、徐州へひきあげて、盛大なる凱旋祝賀会を催した。 或時、ひそかに父の料簡をただした。 『こんどの戦で、かくわれをして幸せしめたものは、第一に陳『生意気を云うようですが、すこし父上のお考えと私の計画と かんせんようほう 理父子の功労である。第二には、韓暹、楊奉の内応の功であはちがっていたようですね。私は、あの二人を留置いて、いざ よしゅう げんとく よしみ る。 それから又、予州の玄徳が、以前の誼をわすれず、曾という時、われわれの牙として、大事に協力させようと思って ての旧怨もすてて、わが急使に対し、速に、愛臣関羽に手勢を い 4 にのに』 カぶと っ一 ) 0 かちどき 39 イ