: わした。ゆるしておくれ、 の子が求めて来た茶などを、歓んで飲む母とお思いか。 : ゆるしておくれよ』 巻たしは腹が立つ。わたしはそれが悲しい』 『何をなさるんです。わが子へ手をついたりして、勿体ない』 % おちぶ のと、母は慟哭しながら、劉備の襟をつかまえて、嬰児を懲す『いいえ。心まで落魄れ果てたかと、悲しみと怒りの余り、お せつかん ちょうちゃく 前を打擲したりして』 園ように折檻した。 『御恩です。大愛です。今の御打擲は、わたくしに取って、真 ぶつだ の勇気を奮いたたせる神軍の鼓でございました。仏陀の杖でご さいました。 母に打ちすえられた儘、劉備は身うごきもしなかった。 もしきようのお怒りを見せて下さらなけれ ちょうちょう 打々と、母が打ったびに、母の大きな愛が、骨身に沁み、 ば、玄徳は何を胸に考えていても、お母さんが世にあるうちは さんさんと涙がとまらなかった。 と、卑怯な土民を装っていたかも知れません。 しいえそのうち 『すみません』 につい年月を過して、ほんとの土民になって朽ちてしまったか いたわ 母の手を宥るように、劉備はやがて、打つ手を抑えて、自分もしれません』 の額に、押しいただいた。 『ーーーではお前は、何を思っても、この母が心配するのを怖れ おろか 『わたくしの考え違いで御座いました。まったく玄徳の愚がい て、母が生きているうちはただ無事に暮している事ばかり願っ たした落度でございます。仰しやる通り、玄徳もいっか、土民ていたのだね。 : ああ、そう聞けば、猶更わたしの方が済ま の中に貧窮している為、心まで土民になりかけておりました』 ない気がします』 『分りましたか。阿備、そこへ気がっきましたか』 『も , っ私も、肚がきまりました。 でなくても、今度の旅 『御打擲をうけて、幼少の御訓言が、骨身から喚び起されて参で、諸州の乱れやら、黄匪の惨害やら、地上の民の苦しみを、 りました。 大事な剣を失いました事は、御先祖へも、申し眼の痛むほど見て来たのです。おっ母さん、玄徳が今の世に生 わけありませんが : : : 御安心下さいお母さん : : : 玄徳の魂はまれ出たのは、天上の諸帝から、何か使命を享けて世に出たよう だ此身にございます』 な気がされます』 するとそれ迄、老の手が痺れるほど子を打っていた母の彼が、真実の心を吐くと彼の母は、天地に黙蒋をささげて、 力し广 手は、やにわに阿備のからだを犇と抱きしめて、 いっ迄も、両の腕の中に額を埋めていた。 おやこ 『おお ! 阿備やー : ではお前にも、一生土民で朽ち果て然し、この日の朝の事は、どこ迄も、母子ふたりだけの秘か ごとだった。 まいと思う気もちはおありかえ。まだ忘れないで、わたしの言 葉を、魂のなかにお持ちかえ』 劉備の家には、相変らず蓆機を織る音が、何事もなげに、毎 『なんで忘れましよう。わたしが忘れても景帝の玄孫であるこ 日、外へ洩れていた。 の血液が忘れるわけはありません』 土民の手あらの者が、職人として雇われて来て、日毎に中庭 『よう云いなすった。・ : : ・阿備よ。それを聞いて母は安心しまの作業場で、沓を編み、蓆を荷造りして、それが溜ると、城内 ごちょうちゃく ひし あかご むしろばた つづみ っえ ひそ
張飛卒 差出して、 に近づいて来て、 あなた 『大人、失礼ですが、これは御礼として、貴郎に差上げましょ 『いや旅の人。えらい目に遭いましたなあ』 わか う。茶は、故に待っている母の土産なので、頒っことはでき と、何事も無かったような顔して話しかけた。そして直ぐ、 たん はず 腰に帯びていた二剣のうちの一つを外し、又、懐中から見覚えませんが、剣は、貴郎のような義胆の豪傑に持って戴けば、む さす あなた のある茶の小壺を取出して、『これは貴郎の物でしよう。賊にしろ剣そのものも本望でしようから』と、再び、張飛の手へ授 けて云った。 奪り上げられた貴郎の剣と茶壺です。さあ取って置きなさい』 張飛は、眼をみはって、 と、劉の手へ渡した。 『えつ、此品をそれがしに、賜ると仰っしやるのですか』 四 『劉備の寸志です。どうか納めておいて下さい』 『自分は根からの武人ですから、実をいえば、この剣の世に稀 『あ。私のです』 な名刀だということは知っていますから、欲しくてならなかっ 剣と茶壺の二品 劉備は、失くした珠が返って来たように、ー あらわ を、張飛の手から受取ると、幾度も感謝を表して、『すでに生たところです。けれど、同時に貴公とこの剣との来歴も聞いて いましたから、望むに望めないで居りましたが』 命もない所を救って戴いた上に、この大事な二品まで、自分の いのち 手に戻るとは、なんだか、夢のような心地がします。大人のお『いや、生命の恩人へ酬いるには、之を以てしても、まだ足り 名前は、先程聞きました。、いに銘記しておいて、御恩は生涯忘ません。しかも剣の真価を、そこ迄、分って居て下されば、猶 更、差上げても張合いがあり、自分としても満足です』 れません』と、云った。 『そうですか。然らば、他ならぬ品ですから、頂戴しておこ 張飛は、首を振って、 『いやいや徳は孤ならずで、貴公がそれがしの旧主、鴻家の姫う』 とす と、張飛は、自身の剣をすぐ解き捨て、渇望の名を身に佩 を助け出してくれた義心に対して、自分も義を以ってお答え申 うれ したのみです。ちょうど最前、古塔の辺りから白馬に騎って逃いていかにも欣しそうであった。 『じゃあ早速ですが、又賊が押し返して来るにきまっている。 げた者があると、哨兵の知らせに、こよい黄巾賊の将兵が泊っ それがしは鴻家の御息女を立てて、旧主の残兵を集め、事を謀 ていた彼の寺が、すわと一度に、混雑に墜ちた隙をうかがし る考えですがーー貴公も一刻もはやく、郷里へさしてお帰りな 夕刻見ておいた貴公のその二品を、馬元義と李朱氾の眠ってい た内陣の壇からすばやく奪い返し、追手の卒と共にこれ迄馳けさい』 て来たものでござる。貴公の孝心と、誠実を天もよみし賜う張飛のことばに、 『おお、それでは』 て、自然お手に一尿ったものでしはう』 ふよう りゅうび と、劉備は、芙蓉の身を扶けて、張飛に託し、自分は、賊の と、理由をはなした。張飛が武勇に誇らない謙遜なことば 、劉備はいよいよ感じて、盛銘の余り二品のうちの剣の方を捨てた驢をひろって跨った。 第一う・ヘ たす かつぼう
とが、自然、そ、ついうことをさせたのも、けっしてうそではなかっ 三国志演義回顧 美妙香、小翠花、丐富、金少山等、名優は雲のごとく簇り、東 劇は華やかに日夜北京の劇界に、うつくしい絞様を織りなして開演 奥野信太郎 されていた。 ト学校の四、五年のころ、家にあっそういう芝居のなかで、ばくは三国志演義に取材した芝居は、と ばくが三国志を読んだのは、 りわけ好きであった。そのそもそもはといえは、幼い日の、帝国文 一た帝国文庫本を、気なく手にしたのがはじまりであった。 読みはじめたらやめられない。夜を日についで、食事の間も片時庫に養われた夢が、そっくりそのまま成長していったことが、大き も手ばなさなかったことを思いだす くものをいっていることは否めないことであった。 そのころやはり家にあった為永春水の春告鳥を手にしたとき、父「打鼓罵曹」「捉放曹」「群英会」「借東風」「本城計」「定軍山」等、 から子どもがそんなものを読むのはまだはやいといって、きびしく三国志ものの京劇はその数もなかなか多いが、とりわけ印象にのこ 叱られてしまったが、三国についてはなんともいわれなかった。 っているのは、孟小冬所演の「打鼓罵曹」である ~ 帝国文庫本は、あれで何度読みかえしたことであったろう。くり孟小冬は梅蘭芳の前妻で、女優でありながら老生の唱い手であっ かえしくりかえし飽くことなく読んだ。もうたいていは話の段取りた老生といえば、もちろん髯の役であり、その発声は力強く渋い をすっかりおばえてしまっていながら、そのたびごとに新しい興味 を湧きたたせてくれるのが三国志であった。 空珮計 噐曹 関羽も、諸葛孔明も、曹操も、夜る夜るわが枕上を訪れてくれる 親しい善玉悪玉であった。 ばくは縁あって中国文学を一生の業とすることになった。そして そんな関係から、かって帝国文庫で厄介になった三国志を、原文で 読む機会をもった。 北京に留学していたころのことを思いだすと、いまでも心が楽し さでいつばいに膨らんでくる。そのなかでも一番楽しかったこと 京 は、ほとんど毎日のように、芝居をみて歩いたことであった。最晩 年ではあったが、かって西太后の寵をうけた楊少楼の至芸も、何遍 かみることができた。かれが死んだときには、前門から永定門ま で、その長い葬列にしたがってついていった。半分は若気のもの好 きからではあったが、近世の名優を惜しむ気もちが多分にあったこ 3
みより あかりゅうぜっき ひるが せんろう 气ははあ、誰か、身寄の者でもそれへ便乗して来るのか』 数の紅い童舌旗を帆ばしらに翻えし、船楼は五彩に塗ってあっ しいえ、茶を求めたいと思って。 , ーー待っているのです』 『茶を』 し』 役人は眼をみはった。 劉備は手を振った。 彼等はまだ茶の味を知らなかった。茶という物は、瀕死の病しかし船は一個の彼に見向きもしなかった。 おもむ 人に与えるか、よほどな貴人でなければ喫まないからだった。 徐ろに舵を曲げ、スルスルと帆を下ろしながら、黄河の流に きちょう それほど高価でもあり貴重に思われていた。 まかせて、そこからずっと下流の岸へ着い 『誰に喫ませるのだ。重病人でもかかえているのか』 百戸ばかりの水村がある。 びようにん りゅうび 『病人ではございませんが、生来、私の母の大好物は茶でござ 今日、洛陽船を待っていたのは、劉備ひとりではない。岸に たくさん ろ なかがいにん います。貧乏なので、滅多に買ってやることもできませんが、 はがやがやと沢山な人影がかたまっていた。驢を曳いた仲買人 た みやげ チイチャー ておしぐるま 一両年稼いで蓄めた小費もあるので、こんどの旅の土産には、 の群だの、鶏車と呼ぶ手押車に、土地の糸や綿を積んだ百姓だ けもの くだものかご 買って戻ろうと考えたものですから』 の、獣の肉や果物を籠に入れて待つ物売だのーーーすでにそこに むすこ 『ふーむ。 : それは感心なものだな。おれにも息子があるは、洛陽船を迎えて、市が立とうとしていた。 らくよう が、親に茶を喫ませてくれるどころかーーーあの通りだわえ』 なにしろ、黄河の上流、洛陽の都には今、後漢の第十二代の きよじよう 二人の役人は、顔を見合せてそう云うと、もう劉備の疑いも帝王、霊帝の居城があるし、珍しい物産や、文化の格は、ほと ようす 解けた容子で、何か語らいながら立ち去ってしまった。 んどそこで製られ、そこから全支那へ行きわたるのである。 かたむ 陽は西に傾きかけた。 幾月かに一度ずつ、文明の製品を積んだ洛陽船が、この地方 あかね 茜ざしたタ空を、赤い黄河の流れに対した儘、劉備は又、黙へも下江して来た。そして沿岸の小都市、村、部落など、市の 想していた。 立っところに船を寄せて、交易した。 と、軈て、 ここでも。 ふなばた らくようぶね 『おお、船旗が見えた。洛陽船にちがいない』 夕方にかけて、布しく騒がしく又あわただしい取引が始まっ まゆ 彼は初めて草むらを起った。そして眉に手をかざしながら、 やか 上流のほうを眺めた。 劉備は、その喧ましい人声と人影の中に立ち交じって、まご なかがいにん 賊 ついていた。彼は、自分の求めようとしている茶が、仲買人の 手に這入ることを心配していた。一度、商人の手に移ると、莫 巾 うすずひ あがな ゆるやかに、江を下って来る船の影は、舂く陽を負って黒大な値になって、とても自分の貧しい嚢中では購えなくなるか らであった。 黄く、徐々と眼の前に近づいて来た。 きやくせんかせん ふつうの客船や貨船とちがい、洛陽船は一目でわかる。無またたく間に、市の取引は終った。仲買人も百姓も物売たち やが かせ の くだ めった - 一づかい ひんし のうちゅう 第一うが ながれ
『敵兵はあらかた緑林の仲間だな』 - 一じゅう 巻そう気がつくと、郭汜は先頃自分の兵が御車の上や扈従の宮 の人たちの手から、撒き捨てられた財物に気を奪われたことを思 ここまで帝に侍いて来た宮人等も、あらかた舟に乗り遅れて ばっしゅう ふなべり 莽い出して、その折、兵から没収して一輛の車に積んでいた財物殺されたり、又舷に取り縋った者も、情容赦なく突き離され もくず や金銀を戦場へ向って撒きちらした。 て、黄河の藻屑となってしまった。 ばうだ 果して、李楽等の手下は、戦を熄めて、それをあばき合っ 帝は滂沱の御涙を頬にながして、 そびよう 『あな、傷まし。朕、ふたたび祖廟に上る日には、必ず汝等の 為に、折角の官軍も、なんの役にも立たなくなったばかり霊をも祭るであろう』 か、胡才親分は討死してしまい、李楽も御車を追って、生命 と、叫ばれた。 らがら逃げ出した。 余りの酷たらしさに皇后は、顔色もなくお在したが、舟がす 帝の御車は、ひた急ぎに、黄河の岸まで落ちて来られた。 すむにつれ、風浪も烈しく、愈生ける心地もなかった。 李楽は断崖を下りて、ようやく一艘の舟を探し出したが、 漸く、対岸に着いた時は、帝の御もびッしより濡れてい がん・ヘき ふねよ 岸壁は屏風のような嶮しさで、帝は下を覗かれただけで、絶望 皇后は舟に暈われたのか、身うごきも為さらない。伏徳が まど の声を放たれ、皇后には、よよと哭き惑われるばかりだった。 背に負い進らせてとばとば歩き出した。 ろてき 楊奉、楊彪等の侍臣も、『どうしたものか』と、思案に暮れ 秋風は冷々と蘆荻に鳴る。曇天なので、人々の衣は、、とと たが、敵は早くも間近まで追い詰めて来た様子ーーしかも前後乾かず、誰の唇も紫色していた。 はだし に見える味方はもう極めて僅だった。 それに、御車は捨ててもう無いので、帝は裸足のままお歩き ひろい 皇后の兄にあたる伏徳という人が、数十匹の絹を車から下し になるしかなかった。馴れないお徒歩なので、たちまち足の皮 て、天子と皇后の御体をつつんでしまい、絶壁の上から繩で吊膚はやぶれて血を滲ませ、見るだに似をしいお姿である。 しばら り一した。 『もう少しの御辛抱です。 : もう暫く行けば部落があるかと 漸く、小舟に乗ったのは、帝と皇后の他わずか十数人に過ぎ思われますから』 なかった。それ以外の兵や、遅れた宮人たちも、黄河の水に跳楊奉は、お手を扶けながら、頻りと帝を励ましていたが、そ ふな・ヘり びこんで、共に逃げ渡ろうと、水中から舷へ幾人もの手が必のうちに後にいた李楽が、 む - 一し 死にしがみついたカ 『あっ、 いけねえ ! 対う岸の敵の奴等も漁船を引っぱり出し 『駄目だ、駄目だ。そう乗っちゃあ、俺たちが助からねえ』 て乗りこんで来るつ。ぐずぐずしていると追いっかれるそ』 と、李楽は剣を抜いて、その指や手頸をパラバラ斬り離しと、例に依って、野卑なことばで急ぎたてた。 為に、舷を摶っしぶきも赤かった。 楊奉は帝の側を去って、 『あれに一軒、土民の家が見えました。暫く、これにてお待ち なわっ たす しき 300
に応えようがない』 糜竺は云うのである。 えんしよう と、一ム - っと、劉備は、 『呂布の人がらは、御承知のはずです。袁紹ですら、容れなか 『いや私は、将軍の武勇を尊敬するものです。志むなしく、流 ったではありませんか。徐州は今、太守の鎮守せられて以来、 みのうえ 上下一致して、平穏に国力を養っているところです。なにを好亡のお身上と伺って、御同情にたえません』 呂布は、彼の謙譲を前に、たちまち気をよくして、胸を張っ んで、餓狼の将を迎え入れる必要がありましよう』 側にいた関羽も張飛も、 『いや、察して下さい。天下の何人も、どうする事もできなか 『その意見は正しい』と、云わんばかりの顔して頷いた ちょうびようたいかんとうたく った朝廟の大奸董卓を亡ばしてから、再び李催一派の乱に遭 劉玄徳も、頷きはしたけれど、彼はこう云って、肯かなかっ それがしが漢朝に致した忠誠も水泡に帰して、むなしく地 きう 方に脱し、諸州に軍を養わんとして来ましたが、気宇の小さい 『なる程、呂布の人物は、決して好ましいものではない。 えんしゅう 諸侯の容れるところとならず、未だにかくの如く、男児の為す けれど先頃、もし彼が曹操のうしろを衝いて、州を攻めなか ったら、あの時、徐州は完全に曹操のために撃破されていたろある天地をたずね歩いておる始末です』と、自嘲しながら、手 ほど - 一 う。それは呂布が意識して徐州に施した徳ではないが、わしはをさしのべて、玄徳の手を握り、『どうですか。将来、貴下の きゅうちょう てんゅう 今日、呂布が窮鳥となって、予に仁愛お力ともなり、又、それがしの力とも成って戴いて、共々大い 天佑に感謝する。 きゅうちょう を乞うのも、天の配剤かと思える。この窮鳥を拒むことは自にやって行きたい考えですが : と、親しみを示すと、劉備は、それには答えないで、袂の中 分の気持としては出来ない』 じよしゅうはいいん から、かねて先太守陶謙から譲られた『徐州の牌印』を取出 : は。そう仰っしやられれば、それ迄ですが』 し、彼のまえに差しだしこ。 糜竺も口をつぐんだ。 『将軍。これをお譲りしましよう。陶太守の逝去の後、この地 張飛は、関羽を顧みて、 「どうも困ったものだよ。われわれの兄貴は人が好すぎるね。 を管領する人がないため、やむなく私が代理していましたが、 ずるやっ : まして、呂布など閣下がお継ぎ下さればこれに越したことはありません』 狡い奴は、その弱点へつけ込むだろう。 ふしようぶしよう 『えつ、それがしに、その牌印を』 を出迎えに出るなんて』と、不承不承従った。 かなた 呂布は、意外な顔と同時に、無意識に大きな手を出して、次 玄徳は車に乗って、城外三十里の彼方まで、わざわざ呂布を 弟 にはすぐ、 ( 然らば遠慮なく ) と、受取ってしまいそうな容子 迎えに行った。 ていちょう 賢めゅうばうしようし だったが、ふと、玄徳のうしろに立っている人間を見ると、自 流亡の将士に対して、実に鄭重な礼であったから、呂布もさ すがに恐縮して、玄徳が車から出るのを見ると、あわてて駒を分の顔いろを、刮ッと二人して睨みつけているので、 兄 『ははははは』と、さり気なく笑って、その手を横に振った。 『なんでそれがし如きを、かように篤く迎えられるか、御好意『何かと思えば、徐州の地をお譲り下さるなどと、余りに望外 あ一に、、 じち上う たもと りゅう 279
その態を崩しはじめた。 波が万波を喚び、混乱が混乱を招いて、闇夜に入り乱れての乱 力いりよう うちたた 巻劉表、良など、城内の者は、手を打叩いて、 軍だったので、夜が明けてみると、相互の死傷は驚くべき数に ギ、よくじめす の『孫堅、洛陽に玉璽を盗んで、まだ二年とも経たぬ間に、はやのばっていた。 りゆ、つひょ・つ ぐんぜい ごぐんかんすいほうめん しりぞ 劉表の軍勢は、城内にひきあげ、呉軍は漢水方面にひき退 星くも天罰にあたって、大将にあるまじき末期を遂げたか。 すわや、この虚を外すな』 群 黄祖、蔡瑁、測良なんどみな一度に城戸をひらいて、どっと孫堅の長男孫策は漢水に兵をまとめてから、初めて、父の死 寄手のうちへ衝いて行った。 を確めた。 すでに大将を失った江東の兵は戦うも力はなく、打たるる者ゅうべから父の姿が見えないので、案じぬいてはいたがそれ 数知れなかった。 でもまだ、、、 とこからか、ひょっこり現れて、陣地へ帰って来る 漢江の岸に、兵船をそろえていた船手方の黄蓋は、逃げくずような気がしてならなかったが、今はその空しいことを知って れて来た味方に、大将の不慮の死を知って、大いに憤り、 声をあげて号泣した。 とむらいがっせん あっともら かばね 『いでや、主君の弔合戦』 『この上は、せめて父の屍なりとも求めて厚く弔おう』と、そ - 一うそ けんざん み一が とばかり、船から兵をあげて、折から追撃して来た敵の黄祖の遭難の場所、現山の麓を探させたが、すでに孫堅の死骸は、 ぐんあた 軍に当り、入り乱れて戦ったが、怒れる黄蓋は、獅子奮迅し敵の手に収められてしまった後だった。 - 一うそ て、敵将黄祖を、乱軍のなかに生擒って、いささか欝憤をはら孫策は、悲痛な声して、 『この敗軍をひっ提げ、父の屍も敵に奪られたまま、なんでお めおめ生きて故国へ帰られよう』 ど・つ - 一く と、愈 4 、慟哭してやまなかった。 なぐみ - 黄蓋は、慰めて、 『いやゅうべ、それがしの手に、敵の一将黄祖という者を生擒 おおとのかばね ってありますから、生ける黄祖を敵へ返して、大殿の屍を味方 へ乞い請けましよう』と、云った。 よしみ ぐんりかんかい すると、軍吏桓楷という者があって、劉表とは、以前の交誼 があるとのことなので、桓を、その使者に立てた。 一旦楷よ、こ、、こ オ一人、襄陽城に赴いて、劉表に会い 『黄祖と、主君の屍とを、交換してもらいたい』 と、使の旨を生ロげると、劉表はよろこんで、 『孫堅の死体は、城内に移してある。黄祖を送り返すならば、 又。 そんさくたす 程普は、孫堅の子、孫策を扶けて襄陽城外から漢江まで無二 無三逃げて来たが。それを見かけた呂公が、 『よい獲物』とばかり孫策を狙って、追撃して来たので、程普 希たキ、 『讐の片割れ、見捨てては去れぬ』と、引っ返して渡り合い 孫策も亦、槍をすぐって程普を助けたので、呂公はたちまち、 馬より斬って落されて、その首を授けてしまった。 あかっき 両軍の戦うおめき声は、暁になって、ようやくやんだ。 とうよ 何分この夜の激戦は、双方ともなんの作戦も統御もなく、一 えもの はず まっ′一 そんさく と
曹操は、彼が去ったので、 しめたー と、心は躍り逸ったが、董卓とても、武勇はあり大力の持主 である。 ( 仕損じてはーー ) すき と猶、大事を取って、彼の隙を窺っていると、董卓はひどく その翌日である。 肥満しているので、少し長くその体を牀に正していると、すぐ じよ・つしようふ 曹操は、いつものように丞相府へ出仕した。 草臥れてしまうらしい 『相国はどちらにお在でか』 ごろりと、背を向けて、牀の上へ横になった。 と、小役人に訊ねると、 ( 今だ天の与え ) 『ただ今、小閣へ入られて、書院で御休息になっている』 曹操は、、いにさけびながら、七宝剣の柄に手をかけ、さっと しよう との事なので、彼は直ちにそこへ行って、挨拶をした。董相抜くなり刃を背へまわして、牀の下へ近づきかけた。 しよう み″洋リっ・つ 国は、牀の上に身を投げ出して、茶を喫んでいる様子。側 ' すると、名刀の光鋩が、董卓の側なる壁の鏡に、陽炎の如く きっ は、屹と、呂布が侍立していた。 ピカリと映った。 『出仕が遅いじゃよ、 むくりと、起き上って、 曹操の顔を見るや否や、董卓はそう云って咎めた。 『曹操、今の光りは何だ ? 』 かん 実際、陽はすでに三竿、丞相府の各庁でも、みな一仕事すま と、鋭い眼を注いだ ひる して午の休息をしている時分だった。 曹操は、刃を納める遑もなく、胸ッとしたが、さあらぬ顔し 『恐れ入ります。何分、私の持馬は痩せ衰えた老馬で道が遅いて、 ものですから』 『はつ、近頃それがしが、稀代の名刀を手に入れましたので、 『良い馬を持たぬのか』 お気に召したら、献上したいと思って、佩いて参りました。尊 薄給の身ですから、良馬は望んでもなかなか購えませ覧に入れる前に、 ) そっと拭っておりましたので、その光鋩が室 ん』 に盈ちたのでご、いましよ、つ』 操『呂布』と、董卓は振り向いて、 と騒ぐ色もなく、剣を差出した。 : どれ見せい』 艚『わしの厩から、どれか手頃なのを一頭選んで来て、曹操に遣『ふウむ。 良わせ』 手に取っているところへ、呂布が戻って来た。 『まっ 董卓は、気に入ったらしく、 呂布は、閣の外へ出て行った。 ' とうだこの刀は』と、呂布へ見せた。 『なる程、名剣だ。。 そうした人となりの驍騎校尉曹操であった。 王允の家に伝わる七宝の名刀を譲りうけて、董相国を刺すと 誓って帰った曹操は、その夜、剣を抱いて床に横たわり、果し てどんな夢を描いていたろうか。 レ : った′、 とうしよう - 一く あがな くたび はや いとま しよう
園 えて、老母は、静かに云うのだった。 聞える裏のほうへ馳けこんで行った。 ああ むしろ 噫そこに、黙念と、蓆を織っている白髪の人。ーーー玄徳は見『阿備 : : : 』 るなり後から馳け寄って、母の足もとへ、 。し』 『それだけで、そなたは此家へ帰っておいでなのかえ』 『母上っ』 ひ早一ま : ええ』 跪ずいた。 『それだけで』 『ーー・母上。わたくしです。今帰って参りました』 『ーー母上』 もすそ 老母は、驚いた顔して、機の手を休めた。そして、玄徳のす縋り寄る玄徳の手を、老母は、藁ゴミと共に裳から払って、 がたを凝と見て、 たしなめるようにきつく云った。 あかご 『なんです。嬰児のように。 ・ : それで、おまえは憂国の大丈 『 : : : 阿備か』 と、云った。 夫ですか。帰って来たものはぜひもないが、長居はなりません 『長い間、お便りもろくにせず、定めし何かと御不自由でござぞ。こよい一晩休んだら、直ぐ出てゆくがよい』 いましたろう。陣中心にまかせず、転戦から又転戦と、戦に暮 れておりました為に』 さえ 子の言葉を遮るように、 思いのほかな母の不機嫌な気色なのである。それも、自分を 『阿備。 : : : そしておまえよ、つこ、、 。しオしなにしに帰って来たの励まして下さるためと、劉玄徳は、かえって大きな愛の下に泣 きぬれてしまった。 ですか』 。し』 母は、その子を、大地に見ながら、なお叱って云った。 『まだおまえが郷土を出てから、わずか二年か三年ではない 玄徳は地に面を伏せて、 『まだ志も達せず、晴れて母上にお目にかかる時機でもありまか。貧しい武器と、訓練もない郷兵を集めて、このひろい天下 せんが、先頃から官地を去って、野に潜んでおります故、役人の騒乱の中に打って出たおまえが、たった三年やそこらで、功 たちの目をぬすんで、そっと一目、御無事なお顔を見に戻ってを遂げ名を揚げて戻って来ようなどと : : : そんな夢みたいなこ : 世の中というものは とを母は考えて待っておりはしない。 参りました』 あきら 老母の眼は明かに潤んでみえた。髪もわずかのうちに梨の花そんな単純ではありません』 とこへ行っても、自 を盛ったように雪白になっていた。眼元の肉も窶れてみえるし『母上。 : : : 玄徳の過りでございました。。 機にかけている手は藁ゴミで荒れている。 分の正義は通らず、戦っても戦っても、なんの為に戦ったの 故然し、以前にかわらないものは、子に対して凝と向ける眸のか、此頃、ふと失意のあまり疑いを抱いたりして』 しゅんげん 大きな愛と鮻厳な強さであった。こばれ落ちそうな涙をもこら『戦に勝っことは、強い豪傑ならば、誰でもすることです。そ うる やっ すが 7 り 9
乗りつけてきた鹿毛の鞍から跳び降りると、雲長は、兵の中 『弱りましたな』 へ割って入り、そこに囲まれている張飛と劉備を後にして、大 『なに、大した事はない』 み、つり′、 『でも、州郡の兵隊を殺戮したら、とてもこの土地には居られ手を拡げながら云った。 『貴公等は、関門を守備する領主の兵と見うけるが、五十や百 ませんぞ』 おと - 一 この漢 云っている間に、もう百余名の州郡の兵は張飛と劉備を包囲の小人数を以て、一体なにをなさろうとするのか。 を召捕ろうとするならば』と、背後に居る張飛へ、顎を振向け してわいわい騒ぎ出した。 だが、容易に手は下しては来なかった。張飛の武力を二度まて、 で知っているからであろう。けれど二人は一歩もあるく事は出『まず五百か千の人数を揃えて来て、半分以上の屍はつくる よくとく 覚悟がなければ縛め捕ることはできまい。諸君は、この翼徳張 来なかっこ。 ゅうしゅう 飛という人間が、どんな力量の漢か知るまいが、かって、幽州 「邪魘すると、蹴殺すそ』 じやほこふる つか 張飛は、一方へこう呶鳴って歩きかけた。わっと兵は退いたの鴻に仕えていた頃、重さ九十斤、長さ一丈八尺の蛇矛を揮 しざんけつが - 一うきんぞく って、黄巾賊の大軍中へ馳けこみ、屍山血河を作って、半日の が背後から矢や鉄槍が飛んで来た。 合戦に八百八屍の死骸を積み、当時、張飛のことを、八百八屍 『面倒っ』 せんりつ あだな 将軍と綽名して、黄匪を戦慄させたという勇名のある漢だ。 又しても、張飛は持前の短気を出して、直ぐ剣の柄へ手をか から それを、素手にもひとしい小人数で、縛め捕ろうなどは、 おのおの 檻へ入って、虎と組むようなもの、各、、が皆、死にたいという すると、彼方から一頭の逞しい鹿毛を飛ばして、 願いで、この漢へ関うなら知らぬこと、命知らずな真似はやめ 『待てつ、待てえ』 と呼ばわりながら馳けて来る者があった。州郡の兵も、張飛たらどうだ。生命の欲しい者は足下の明るいうちに帰れ。ここ カくいう雲長にまかせて一先ず引揚げろ』 も、何気なく眼をそれへ馳せて振向くと、胸まである黒髯を春は、、 はいかんかっかっ えんげつとう なぶ 風に弄らせ、腰に偃月刀の佩環を戞々とひびかせながら、手に雲長は、実に雄弁だった。一息にここまで演説して、まった ひぶさ げいべん は緋総のついた鯨鞭を持った大丈夫が、その鞭を上げつつ近づく相手の気をのんでしまい、更に語をついで云った。 こう云ったら諸公は、わしを何者そと疑い、又、巧みに いて来るのであった。 張飛を逃がすのではないかと、疑心を抱くであろうが、左に非 ふしよう 四 ず、不肖はかりそめにも、童学草舎を営み子弟の薫陶を任と じゅんしゅ し、常に聖賢の道を本義とし、国主を尊び、法令を遵守すべき 一それは、雲長であった。 うんちょうかんう どうがくそうしやそんぶうし 花童学草舎の村夫子も、武装すれば、こんなにも威風堂々と見ことを、身にも守り、子弟に教えている雲長関羽という者であ る。そして、これに居る翼徳張飛は、何をかくそう自身の義弟 三えるものかと、眼をみはらせるばかりな雲長の風貌であった。 だが、昨夜から今朝にかけて、張 にあたる人間でもある。 『待て諸君』 たくま つか こくぜん おり し からと しかばね あご あら