敵 - みる会図書館


検索対象: 三国志(一) (吉川英治)
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1. 三国志(一) (吉川英治)

群星の巻 けん 参一りましょ , っ』 りよ - 一う 呂公は、進んで命をうけた。良は、彼なればよかろうと、 人を払って、呂公に一策を授けた。 て せいもう 『強い馬と、精猛な兵とを、五百余騎そろえて射手をその中に けんざん 交え、敵の囲みを破ったら、まず現山へ上るがよい。必ず敵は - 一のほう 追撃して来よう。此方はむしろそれを誘って、山の要所に、岩 ばんせき 石や大木を積んで置き、下へかかる敵を見たら一度に磐石の雨 、つが を浴びせるのだ。ーー射手は敵の狼狽を窺って、四林から矢を さすれば敵は法み、道は岩石大本に邪げら 注ぎかけろ、 れ、易々と袁紹のところまで行く事が出来よう』 旋風のあった翌日である。 りゅうひょう 襄陽城の内で、良は、劉表のまえに出て、ひそかに進一一一口『成程、名案ですな』 呂公は、勇んで、その夜、密かに鉄騎五百を従えて、城外へ ー ) てい 4 に 『きのうの天変は凡事ではありません。お気づきになりました抜け出した。 しようさっ そりん しの 馬蹄をしのばせて、蕭殺たる疎林の中を、忍びやかに進んで カ』 こずえ 行った。万樹すべて葉を震い落し、はや冬めいた梢は白骨を植 『ムム。あの狂風か』 え並べたように白かった。 『昼の狂風も狂風ですが、夜に入って、常には見ない災星が、 あん お 糸し月が懸かっていた。 と敵の哨兵であろう、疎林の端 西の野に落ちました。按するに将星地に墜つの象、正に、天文 おし まで来ると、 が何事かを訓えているものです』 『誰だ』と、大喝した。 『不吉を申すな』 どっと、先頭の十騎ばかりが、跳びかかって、たちまち五人 『いや。味方に取っては、憂うべきことではありません。むし だんも、つ ろ、壇を設けて祭「てもいい位です。方を度るに、凶兆は敵の歩哨を斬り尽した。 えんしようかた はず 堅の国土にあります。ーーー機を外さず、この際、袁紹が方へ人すぐ、そこは、孫堅の陣営だったから、孫堅は、直ちに、馳 よせて を遣わして、援助を乞われたら、寄手の敵は四散するか、退路け出して、 を断たれて袋の鼠となるか、二つに一つを選ばねばならなくな 『今、馳け通った馬蹄の音は敵か、味方か』と、大声で訊ね るでしょ , っ』 あお ふつかづき 答えはなく、五人の歩哨は、二日月の下に、碧い血にまみれ 劉表は、うなずいて、 ていた。 『誰か、城外の囲みを突破して、袁紹の許へ使する者はない 孫堅は、それを見るなり、 か』と、家臣の列へ云った。 つむじかぜ 力、りト : っ ただごと うれ つかい かたちまみ一 ひる たず 2 〃

2. 三国志(一) (吉川英治)

すると、太守韓馥が、 『味方の中軍は、敵の鉄兵に蹂躙され、為に、四散して、もは 『躁ぎ給うな。われに一人の勇将あり。まだ曾て、百戦に負れ やここの備えも、手薄となりました』 『本陣を、至急、他へ移さぬと危いと思われます。包囲されまを取ったことを知らない潘鳳という者である。彼なれば、たや すく華雄を打取ってくるにちがいありません』 袁紹は、よろこんで、 『あれあれ、あの辺りに、もはや敵の先駆が・ーー』 『どこにおるか、その者は』 告げ来り、告げ去り、もはやここの本陣も、さながら暴風の ふる 『多分、後陣の右翼におりましよう』 中心に立つ一木の如く、枝々みな震い樹葉みな顫えた。 っ 『すぐこれへ呼べ』 に汪、け・』 『はっ 酔、つほ 曹操は、部下に酒を注がせ、なお腰をすえていたが、 キ・・れは」ら′ かえんふ 番鳳は、召に応じて手に大きな火炳斧をひっ提げ、黒馬を躍 どに蒼白となった。 『包囲されては』と、早くも、本陣の退却を、ひそひそ議するらして、本陣の階下へ馳けて来た。 『いかさま、頼もしげなる豪傑だ。すぐ馳け入って、敵の華雄 者さえある。 っちけいろ を打取って来い』 酒どころか、諸将軍の顔の半分以上は、土気色だった。 は・れなら・ うそぶ 袁紹の命に潘鳳はかしこまって、直ちに乱軍の中へはいって 万丈の黄塵は天をおおい、山川草木みな血に嘯く 行ったが、間もなく潘鳳も亦、華雄のために討ち取られ、その 時に、突如、席を立って、 『云いがいなき味方かな。このうえは、それがしが参って、敵首は、敵の凱歌の中に、手玉に抛られて、敵を歓ばしめている という報らせに、満堂ふたたび興をさまし、戦意も失ってしま 勢をけちらし、味方の頽勢を一気にもり返してお目にかけん』 たかに見えた。 と、咆ゆるが如く云って、はや剣を鳴らした者がある。 ゅしよう えんしようしようぐんちょうしよう 袁紹将軍の寵将で、武勇の誉れ高い兪渉という大将であ 五 袁紹は、股を打って嘆声を発した。 『 ~ 打け」 『ああ、惜しいかな。こんな事になるならば、わが臣下の、顔 袁紹は、壮なりとして、彼に杯を与えた。 りようぶんしゅう ゅしよう 良と文醜の二大将をつれて来るのだったのに』 兪渉は、一息に飲んで、 『いでや』とばかり、兵を引いて、敵軍のまっただ中へ駆け入座を立って、地だんだを踏んだり、又席に返って、嗟嘆をつ の またた づけた。 杯ったが、瞬く間に、彼の手兵は敗走して来て、 『その顔良、文醜の両名は、後詰の人勢を催すために、わざ 『兪渉将軍は、乱軍の中に、敵将華雄と出会って、戦うこと、 と、国許へのこして来てしまったが、もしそのうちの一人でも 関六、七合、忽ち彼の刀下に斬って落された』 はだえあわ ) にいたら敵の華雄を打っことは、手のうちにあったもの との事に、満堂の諸侯は、驚いていよいよ肌に粟を覚えた。 つ、 ) 0 じゅよ、つ さわ もと めし はール」ス′ さたん がん

3. 三国志(一) (吉川英治)

と吠えるような声 時に、彼方から誰やらん、おうつ と、指揮に当ると、彼の麾下はまたたくまに、秩序をとりか 巻えし、鼓を鳴らして包囲して来た。 の山間の嶮をこえて深く入り込んだ奇襲の兵は、元より大軍で見れば、左右の手に、重さ八十斤もあろうかと見える戟を提 くら 星ないし、地の理にも晦かった。一度、占領した寨は、かえってげ、敵の真っただ中を斬り開いて馳せつけて来る者がある。馬 曹操等の危地になった。 も人も、朱血を浴びて、焔が飛んで来るようだった。 群 たのみかた 乱軍のうちに、夜は白みかけている。身辺を見ると恃む味方『御主君、御主君つ、馬をお降りあれ。そして地へ這いつくば もあらかた散ったり討死している。曹操は死地にあることを知り、暫く敵の矢をおしのぎあれ』 矢攻めの中に立ち往生している曹操へ向って、彼は近よるな 『しまった』 り大声で注意した。 遽に寨を捨てて逃げ出した。 誰かと思えば、これなん先頃召抱えたばかりの悪来ーーー彼の そして南へ馳けて行くと、南方の野も一面の敵。東へ逃げの典韋であった。 びんとすれば、東方の森林も敵兵で充満している。 『おお、悪来か』 『愈こいかん』 曹操は急いで馬を跳び下り、彼のいう通り地へ這った。 彼の馬首は、行くに迷った。ふたたびゅうべ越えて来た北方悪来も馬を降りた。両手の戟を風車のように揮って矢を払っ た。そして敵軍に向って濶歩しながら、 の山地へ奔るしかなかった。 『そんなヘロへロ矢がこの悪来の身に立って堪るか』 『すわや、曹操があれに落ちて行くぞ』 と、呂布軍は追跡して来た。勿論、呂布もその中にいるだろ と、豪語した。 『小癪なやつ。打殺せ』 まち 五十騎ほどの敵が一かたまりになって馳けて来た。 逃げまわった末、曹操は、城内街の辻を踏み迷って、鞭も 折れんばかり馬腹を打って来た。すると又もや前面にむらがっ 悪来は善く戦い、敵の短剣ばかり十本も奪い取った。彼の戟 ひょうし のこり ていた敵影の中から、カンカンカンカンと槨子の音が高く鳴っ はもう鋸のようになっていたので、それを抛って、十本の短 まと はやて たと思うと、曹操の身一つを的に、八方から疾風のように箭が 剣を身に帯びて、曹操の方を振向いた。 飛んできた。 『ーーー逃げ散りました。今のうちです。さあおいでなさい』 くつわと 『最期だっ。予を助けよ。誰か味方よ、よ、 彼は、徒歩のまま、曹操の轡を把って、又馳け出した。二、 さすがの曹操も、思わず悲鳴をあげながら、身に集まる箭を三の従者もそれにつづいた。 切り払っていた けれど矢の雨は猶、主従を目がけて注いで来た。悪来は、盗 しころ の錣を傾けてその下へ首を突っ込みながら、真っ先に突き進ん でいたが、 又も一団の敵が近づいて来るのを見て、 にわかとりで 四 とりで てんい ふる あくらい かぶと

4. 三国志(一) (吉川英治)

十早カオし』 さしもの典韋もうろたえた。 しかも暑いので、半裸体で寝ていたので、具足を着けるひま もなかった。 がその儘彼は外へ躍り出した。 あくらい 『典韋だ ! 悪来だ ! 』 敵の歩卒は、逃げ出した。 その一人の腰刀を奪い、典韋は滅茶苦茶に斬りこんだ。 四 寨の門の一つは、彼ひとりの手で奪回した。しかし又忽ち、 いくすい 清水の流れは音、。 もし昼間であったら紅に燃えていたろ 長槍を持った騎兵の一群が、歩卒に代って突進して来た。 典韋は、騎士歩卒など、二十余人の敵を斬った。刀が折れるう。 と、槍を奪い、槍がササラのようになると、それも捨てて左右曹操も満身血しお、馬も血みどろであった。しかも馬はすで の手に敵兵二人をひッ提げ、縦横にふり廻して暴れまわった。 に再び起たない こうなると、敵も敢て近づかなかった。遠巻にして、矢を射逃げまどう味方の兵も、ほとんどこの河へ来て討たれた様子 かしやく である。 はじめた。半裸体の典韋に矢は仮借なく注ぎかけた。 キ一いも「れ それでも典韋は、寨門を死守して、仁王のごとく突っ立って 曹操は、身一つで、漸く岸へ這いあがった。 、こ。然し余り動かないので恐々と近づいてみると、五体に毛すると闇の中から、 矢を負って、まるで毛虫のようになった典韋は、天を睨んで立 『父上ではありませんか』と、曹昻の声がした。 イいつの間にか死んでいた 曹昻は、彼の長子である。 かかる間に、曹操は、 一群の武士と共に、彼も九死に一生を得て、逃げ落ちて来た のでった ( ) 『空しくこんな所で死すべからず・ー ! 』 とばかり、馬の背にとび乗って、一散に逃げ出した。 『これへお召しなさい』 よはど機敏に逃げたとみえ、敵も味方も知らなかった。ただ 曹昻は、鞍を降りて、自分の馬を父へすすめた。 そうあんみん し 甥の曹安民ただ一人だけが裸足で後から従いて行った。 『いい所で会った』 百歩とも駈け しかし、曹操逃げたりー とは直ぐ知れ渡って、敵の騎馬隊曹操は欣しさにすぐ跳び乗って馳け出したが、 らんせんあた は、彼を追いまくった。追 、いかけながら、びゅんびゅんと矢をないうちに、曹昻は、敵の乱箭に中って、戦死してしまった。 曹昻は、斃れながら、 情放った。 父上っ。あなたのお命 曹操の乗っている馬には三本の矢が立った。曹操の左の肘に 『わたくしに構わないでお落ち下さい とりで せん も、一箭突き通った。 あんみん 徒歩の安民は、逃げきれす、大勢の敵の手にかかって、なぶ り殺しに討たれてしまう。 曹操は、傷負の馬に鞭うちながら、ざんぶと、清水の河波へ 躍りこんだが、彼方の岸へあがろうとした途端に、又一矢、闇 やしり を切って来た鏃に、馬の眼を射ぬかれて、どうと、地を打って 倒れてしまった。 383

5. 三国志(一) (吉川英治)

『おいつ、士卒』と、後へどなった。 ものばった。 惨憺たる敗戦である。いや曹操の生命が保た 1 ーーおれは、こうしているから、敵のやつが、十歩の前までれたのはむしろ奇蹟と云ってよかった。 近づいたら声をかけろ』 『其方がいなかったら、千に一つもわが生命はなかったろう』 と、命じた。 曹操は、悪来へ云った。 夜に入って大雨となった。越え ゃうな たきっせ そして、矢唸りの流れる中に立って、眠り鵯のように、顔へてゆく山嶮は滝津瀬にも似ていた。 しころかざ てんい S ・ようぐ。んと、 錣を翳していた。 帰ってから悪来の典韋は、この日の功に依って、領軍都尉に 『十歩ですっ』 昇級された。 と、後で彼の従者が教えた。 五 途端に、悪来は、 『来たかっ』 ここ呂布は連戦連勝オ 、、すらい ーくようじし・う と、手に握っていた短剣の一本をひゆっと投げた。 失意の漂泊をつづけていた一介の浪人は、又忽ち濮陽城の主 われこそと躍り寄って来た敵の一騎が、どうっと、鞍からも だった。先に曹操を思うさま痛めつけて、城兵の士気は弥が上 んどり打って転げ落ちた。 にも昻・まっていた でんし 『ーー・十歩ですっ』 『この土地に、田氏という旧家があります。ごぞんじですか』 又、後で聞えた。 謀士の陳宮が、唐突に云い出したことである。呂布も近頃 『お , つつ』 は、彼の智謀を大いに重んじていたので、又何か策があるか と、 と、短剣が宙を切って行く。 敵の騎馬武者が見事に落ちる。 『田氏か。あれは有名な富豪だろう。召使っている僮も数百 『十歩っ』 人に及ぶと聞いているが』 うな 剣はすぐ飛魚の光りを見せて唸ってゆく 『そうです。その田氏をお召出しなさいまし。密に』 そうして十本の短剣が、十騎の敵を突き殺したので、敵は怖『軍用金を命じるのか』 れをなしたか、土煙りの中に馬の尻を見せて逃げ散った。 『そんなつまらないことではありません。領下の富豪から金を 『笑止なやっ等だ』 搾り取るなんていうことは、自分の蓄えを気短かに喰ってしま こまくつわと 来 悪来はふたたび曹操の駒の轡を把って、逃げまどう敵の中へ うようなものです。大事さえ成れば、黄金財宝は、争って先方 往突ッ込んで行った。そして敵の武器に依って敵を薙で斬りにしが御城門へ運んで来ましよう』 活ながら、漸く一方の血路をひらいた。 『では、田氏をよびつけて何をさせるのか』 かこうじゅん 死山の麓まで来ると、旗下の夏侯惇が数十騎をつれて逃げのび『曹操の一命を取るのです』 ひそひそ て来たのに出会った。味方の手負と討死は、全軍の半分以上に 陳宮は、声をひそめて、なにか密々と呂布に説明していた。 ねむがも たくわ ひそか どうーく 263

6. 三国志(一) (吉川英治)

『おい一同。ます俺ひとりが先へ登って行って、綱を下ろすか 太史慈は将軍台から馳け下りながら、部将へ命令した。そし 巻ら、そこへ屈みこんだ儘、敵の歩哨を見張っておれ。 て真っ先に の か、声を出すな、動いて敵に見つかるな』 『城外へ出て、一挙に、孫策と雌雄を決しよう ! 敵は城を囲 むため、三方へ全軍をわけて、幸にも北方は手薄だぞ』と、猛 莽陳武は、そう戒めてから、ただ一人で攀じ登って行った。 磚と磚のあいだに、 短剣をさしこんで、それを足がかりと風を衝いて、城の外へ馳け出した。 しては、一歩一歩、剣の梯子を作りながら踏み登って行くので火には趁われ、太史慈には励まされたので、当然釜中の豆も あった。 溢れ出した。 ところが、手薄と見えた城北の敵は、なんそ知らん、案外に 大勢だっこ。 らん 『ーー火だっ』 『それつ、太史慈が出たそ』と合図しあうと、八方の闢から乱 せん 『火災だっ』 箭が注がれてきた。 『怪し火だ ! 』 太史慈の兵は、敵の姿を見ないうちに、夥しい損害をうけ せんりようぐら 銭糧倉から、又、矢倉下から、書楼の床下から、同時に又、 それにも法まず、 馬糧舎からも、諸門の番人が、いちどに喚き出した。 城将の太史慈は、 『かかれかかれ ! 敵の中核を突破せよ ! 』 さわ はかり一一と 『躁ぐな。敵の計だ。 うろたえすに消せばよい』 と、太史慈はひとり奮戦した ; 、 彼につづく将士は何人もな っ・ 0 と、将軍台から叱咤して、消火の指揮をしていたが、城中は みだれ立った。 その少い将士さえ斃れたか、逃げ散ったか、あたりを見廻せ びゆっッ , ば、いつの間にか、 彼は彼ひとりとなっていた。 びゆるんー 『ーーーやんぬる哉、もうこれまでだ』 太史慈の体を、矢がかすめた。 焔の城をふり向いて、彼は唇を噛んだ。この上は、故郷の黄 うてな けんとうらい 台に立っていられないほど風も強い闇夜である。 県東莱へ潜んで、再び時節を待とう。 そう、いに決めたか。 諸所の火の手は防ぎきれない。一方を消しているまに、又一 や 箇所から火があがる。その火は忽ち燃えひろがった。 なお熄まない疾風と乱箭の闇を馳けて、江岸のはうへ急い のみならす城の三方から、猛風に乗せて、喊の声、戦鼓のひだ うしろ がね びき、急激な攻め鉦の音などがいちどに迫って来たので、城兵すると後から、 ふちゅう は消火どころではなく、釜中の豆の如く沸いて狼狽し出した。 『太史慈を逸すな ! 』 『北門をひらいて突出しろ』 『太史慈、待てつ』 せ わめ お ひる おびただ 350

7. 三国志(一) (吉川英治)

江 『孫策、逸まるな』 夜に入ってからである。さらに、附近の漁船まで狩り出し と、小舟をとばして伝令して来たので、孫策もうしろへ退 、いて、それに無数の小舟を列ね、赤々と、篝火を焚かせて、あた て、父の船陣の内へ加わった。 かも夜襲を強行するように見せた。 孫堅は、充分に備え立て、各船の舳に楯と射手をならべ、弩 江上は真っ暗なので、その火ばかりが物凄く見えた。陸上の 弓の弦を満々と懸けて、 敵は、 どきゅうひや 『すわこそ』と、昼にもまして、弩弓や火箭を射るかぎり射て 『いざ、進め』と、白浪をあげながら江岸へ迫った。 そして、射かける間に、各親船から小舟を降ろし、戟、剣の来た 精鋭を陸へ押しあげて、一気に沿岸の防禦を突破しようという 然しそれには、兵は乗っていなかったのである。舟を操る水 気勢であった。 夫だけであった。孫堅のム哭で、水夫は、敵に徒らな矢数を費 あんたん 然し、敵もさるものである。 い果たさせるため、暗澹たる江上の闇で、ただ、わあわあっと、 てぐすわ 防禦陣の大将黄祖は、かねて手具脛ひいて待っていた所であ声ばかりあげていた。 るから、 夜が明けると、小舟も漁船も、敵に正体を見られぬうちに、 おんてき 『怨敵ござんなれ』と、鳴をしずめたまま、兵船の近づくま四散してしまった。そして、夜になると又、同じ策を繰返し で、一矢も放たなかった。 からぶねかがり あ早、む そして、充分、機を計って、 こうして七日七夜も、毎夜、空船の篝で敵を欺き、敵がっか れ果てた頃、一夜、こんどはほんとに強兵を満載して、大挙、 と、黄祖が、一令を発すると、陸上に組んである多くの櫓陸上へ馳けのばり、黄祖の軍勢をさんざんに追い乱した。 や、又、何町という間、布き列ねてある楯や土塁の蔭から、 ひせん ちどに飛箭の暴風を沿びせかけた。 いかわ 両軍の射交す矢うなりに、陸地と江上のあいだは矢の往来で 船手の水軍は、すべて曠野へ上って、雲の如き陸兵となっ 暗くなった。黄濁な揚子江の水は岸に激して凄愴な飛沫をあた。 とうじよう ・一うそ ちょうこちんせい げ、幾度かそこへ、小舟の精兵が群をなして上陸しようとした 鄧城へ逃げこんだ敵の黄祖は、張虎、陳生の両将を翼とし が、皆ばたばたと射殺されて、死体はたちまち、濁流の果へ、 て、翌日ふたたび猛烈に撃退しにかかって来た。 あくた 芥のように消えて行った。 そして、乱軍となるや、『孫堅を始め、一人も生かして帰す ちまなこ 『退けや、退けや』 な』とばかり、張虎、陳生等は、血眼になって馳けまわり、孫 ののし 孫堅は、戦不利と見て、たちまち船陣の矢のとどかぬ距離ま堅の本陣へ突いて来ると、大音で罵った。 こうとうねずみ おか 『汝等、江東の鼠、わが大国を犯して、なにを求めるかっ』 溯で退いてしまった。 彼は、作戦を変えた。 聞いて、孫堅は、 きゅうつる はや し みよしたて たてどるい て しぶき ひ つるぎ やぐら ど みがりな ) あやっか 209

8. 三国志(一) (吉川英治)

後陣の方へまわしておいた。 の客将、趙雲子童その人であった。 なんの気もなく、 両軍対陣のまま、辰の刻から巳の刻の頃おいまで、ただひた ひたと河波の音を聞くばかりで、戦端はひらかれなかった。 『あれ踏みつぶせ』と、麹義は、手兵をひいて、その陣へ懸っ かえり はちす あたか 公孫環は、味方を顧みて、『果しもない懸引、思うに、敵のたところ、突如、五百の兵は、恰も、蓮花の開くように、颯 ひろ ばんがきよう と、陣形を展げたかと見るまに、掌に物を握るごとく、敵をつ 備えは虚勢とみえる。一息に射潰して、盤河橋をふみ渡れ』 と、号令した。 つんで、八方から射浴びせ突き殺し、あわてて駒を返そうとす ひせん たちまち、飛箭は、敵の陣へ降りそそいだ。 る麹義を見かけるなり、趙子童は、白馬を飛ばして、馬上から 一気に彼を槍で突き殺した。 時分はよしと、東岸の兵は、厳綱を真っ先にして、橋をこ え、敵の先陣、麹義の備えへどっと当って行った。 白馬の毛は、紅梅の落花を浴びたように染まった。きのう公 鳴りをしずめていた麹義は、合図ののろしを打揚げて、顔孫環から、当座の礼としてもらった駿足である。 りようぶんしゅう 良、文醜の両翼と力をあわせ、たちまち、彼を包囲して大将厳子童は、なおも進んで敵の文醜、顔良の二軍へぶつかって行 綱を斬って落し、その『帥』の字の旗を奪って、河中へ投げこ った。にわかに、対岸へ退こうとしても、盤河橋の一筋しか退 んでしまった。 路はないので、河に墜ちて死ぬ兵は数知れなかった。 公孫環は、焦心だって、 五 『退くなっ』 と、自身、白馬を躍らして、防ぎ戦ったが、麹義の猛勢に当 深入りした味方が、趙子竜のために粉砕されたとはまだ知ら えんしよう 袁紹であった。 るべくもなかった。のみならず、顔良、文醜の二将が、『あれない こそ、公孫環』と目をつけて、厳綱と同じように、ふくろづっ盤河橋をこえて、陣を進め、旗下三百余騎に射手百人を左右 でんほう みに巻いて来たので、公孫環は、歯がみをしながら、又も、崩に備え立て、大将田豊と駒をならべて、 れ立っ味方に交って逃ガ退、 『どうだ田豊。 公孫環もロほどのものでもなかったじゃな しーカ』 『戦は、勝ったそ』と、袁紹は、すっかり得意になって、顔 ほんとっ 良、文醜、麹義などの奔突してゆく後から、自身も、盤河橋を『そうですな』 こえて、敵軍の中を荒しまわっていた。 『馬一一千を並べたところは、天下の偉観であったが、ぶッ 散々なのは、公孫環の軍だった。一陣破れ、二陣潰え、中軍つけてみると一堪りもない。旗を河へ捨て、大将の厳綱を打た しりめつれつ 将は四走し、まったく支離滅裂にふみにじられてしまったが、これ、なんたる無能な将軍か。おれは今まで彼を少し買いかぶつ そな 馬こに不思議な一備えが、後詰にあって、林のごとく、動かず騒て居ったよ』 しん 云っている所へ、俄雨のように、彼の身のまわりへ敵の矢が 白がず、森としていた。 その兵は、約五百ばかりで、主将はきのう身を寄せたばかり集まって来た。 たっ がん にわかあめ らっか さっ

9. 三国志(一) (吉川英治)

いる。捨ててはおけまい。援軍を組織して、助けに行け ) 又すぐ城門をひらいて、救助に出ようとすると、公孫環は、 ( それには及ばん。五百の兵を救うため、千の兵を失い、城門 きよっ の虚を衝かれて、敵になだれ込まれたら、大損害をうけよう ) と、許さなかった。 すると、その後。 おしょ 袁紹の軍が、城のそばまで襲せて来たところ、城中の不平分 子は、不意にどやどやと城を出て、千人以上も、一かたまりと なって、敵へ降伏してしまった。 降人に出た兵は敵の取調べに対して、 まんちょう ( 公孫環は、われわれ共を、貨幤か物のようにしか考えぬ。損 もとより満寵は、それらの見聞をあつめに行って帰って来た いのち 得勘定で、五百の生命を見ごろしに敵の中へ捨てた。だから、 者、その語るところはつぶさだし、信もおける。 われわれは彼に、千の損失をかけてやろうと、相談したわけな 彼の言に依れば。 こうそんさん えききようろう きしゅう 北平の公孫環は、近年、冀州の要地に、易京楼と名づける大んで : : : ) と、述べて憚らなかった。 じよ、つかく 敵へ投降した千だけに止まらず、残った諸軍の士気もその後 城郭を興し、エも完く成ったので、一族そこへ移っていた。 こく早、んちょ、つえん はどうも冴えない。そこで、公孫璟は、黒山の張燕に協力をも 易京楼の規模はおそろしく宏大で、一見、彼の勢威いよいよ うち * 、かん 旺なりとも思えるが、事実は左にあらずで、年ごとに領境を隣とめ、袁紹を挾み討する策をたてたが、密計のうらを掻かれ えんしようさんしよく 国の袁紹に蚕食され、旧来の城池では不安をおばえてきた為のて、これ亦惨敗に終ってしまった。 すいちょう それからは、易京楼の守りをたのみとし、警戒して出ないの 大土木であり、そこへ移ったのは、すでに後退を示した衰兆の で、袁紹も攻めあぐねていた。 一歩であった。 ろうまい ( 易京楼を落すには、少くも、城兵が三十万石の粮米を喰い尽 公孫環はそこに粮米三十万石と大兵とを貯え、以後、数度の 戦にも、まず一応強国の面目をたもっていたが、或る折、味方すあいだだけの月日は、完全にかかるだろう ) こういう風評だった。ところが、さすが袁紹の帷幕、よほど の一部隊を、敵のなかに捨てごろしにした事から、彼の信望は すさ 出 鬼謀の軍師がいるとみえ、地の底を掘って、日夜、坑道を掘り うすれ、士気は荒び出して来た。 かくらんさつりく 脱その日城外へ出て、乱軍となったあげく、敗退して、われがすすめ、とうとう城中に達して、放火、攪乱、殺戮の不意討を えキ - キ - ようろ、つ 門ちに引きあげ、易京楼の城門をかたく閉じてから、気づいたのかけると共に、外からも攻めて、一挙に全城を屠ってしまった。 公孫環は逃げるに道なく、自ら妻子を刺して、自身も自害し 兇である。 ( 敵のなかに、まだ味方の兵五百余りが退路を絶たれて残ってて果てた。 おもむ 共に、乱に赴く公孫環の列に加えてもらい、またその陣を借りて 戦いなどいたし、何かとお世話になったお方であります。 あいや、満寵どの、どうかもう少し詳しくお語り下さるまいか』 そう聞いて、曹操も、 『なる程、君と彼とは、君が無名の頃から浅くない仲だった な。これ、満寵満寵。貴賓もあのように求めらるる。公孫環が 滅亡の仔細、なおつまびらかに、それにて語れ』と、云った。 さればその次第は・ーーと、満寵はつぶさに語り出した。

10. 三国志(一) (吉川英治)

『や、や、やっ』 両軍の接戦は、実に、一勝一敗、打ちっ打たれつ、死屍は野 巻 袁紹は、あわてて、 を理め、血は大河を赤くするばかりの激戦で、夜明け方から午 の「何処にいる敵が射て来るのか』と、急に備えを退いて、楯囲過ぐる頃まで、いずれが勝 0 たとも敗れたとも、乱闘混戦を繰 星いの中へかけ込もうとすると、 返して、見定めもっかない程だった。 『袁紹を討って取れ』 群 とばかり、趙雲の手勢五百が、地から湧いたように、前後か 趙雲の働きに依って、味方の旗色は優勢と 公孫環の本陣 ら攻めかかった。 では、ほ「と一息していたところへ、奴」濤のように、袁紹を真 田豊は、防ぐに遑もなく、余りに迅速な敵の迫力にふるい恐 0 先として、田豊、顔良、文醜などが一斉に突入して来たの れて、 で、公孫璟は、馬をとばして、逃げるしか策を知らなかった。 『太守太守、ここにいては、流れ矢に中たるか、生擒られる その時。 ごうぜん 、滅亡をまぬかれません。 あれなる盤河橋の崖の下まで 轟然と、一発の狼煙は、天地をゆすぶった。 へを一′、・つ 退いて、暫くお潜みあるがよいでしよう』 えんしよう 碧空をかすめた一抹の煙を見ると、盤河の畔は、みな袁紹軍 袁紹は、後を見たが、後も敵であ 0 た。しかも、敵の矢道の兵旗に満ち、鼓を鳴らし、鬨をあげて、公孫環の逃げ路を、 は、縦横に飛び交っているので、 八方から塞い 『今は』と、絶体絶命を観念したが、いつになく奮然と、着た 彼は生きたそらもなかった。 よろい る鎧を地に脱ぎ捨て、 二里ーー三里ーーー無我夢中で逃げ走った。 「大丈夫たるもの、戦場で死ぬのは本望だ。物陰にかくれて流袁紹は勢に乗じて急追撃に移 0 たが、五里余りも来たかと思 やまかい びよう れ矢になど中たったらよい物笑い。なんそ、この期に、生きる うと、突如、山峡の間から、一彪の軍馬が打って出て、 りゅうげんとく を望まん』と、叫んだ。 『待ちうけたり袁紹。われは平原の劉玄徳 身軽となって真っ先に、決死の馬を敵中へ突き進ませ、 と、名乗る後から、 『死ねや、者共』 『速に降参せよ』 とばかりカ闘したので、田豊もそれに従い、他の士卒もみな『死を取るや、降伏を選ぶや』 獅子奮迅して戦った。 がんりようぶんしゅう と、関羽、張飛など、平原から夜を日に次いで駟けつけて来 おめ かかる所へ逃げ崩れて来た顔良、文醜の二将が、袁紹と合体 た輩が、一度に喚きかかって来た。 せんど しの ! けす して、ここを先途と鎬を削ったので、さしも乱れた大勢を、ふ 袁紹は、仰天して、 たたび盛り返して、四囲の敵を追い、更に勢に乗「て、公孫環『すわや、例の玄徳か』と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに の本陣まで追って行った。 踏み合「て、後には、折れた旗、刀の鞘、兜、槍など、道に満 この日。 ち散っていた。 ふせ ひそ すみやか のろし まっ 2 り 2