李儒 - みる会図書館


検索対象: 三国志(一) (吉川英治)
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1. 三国志(一) (吉川英治)

桃園の巻 うらみ わが心中の怨を 衛兵は、聞くと、その詩を覚え書にかいて、 『相国。廃帝の弘農王が、こんな詩を作って歌っていました』 と、密告した。董卓は、それを見ると、 『李儒はいないか』 と呼び立てた。そしてその詩を李儒に示して、 『これを見ろ、幽宮におりながら、こんな悲歌を作っている。 生かしておいては必ずや後の害になろう。何太后も廃帝も、お しいつけた。 まえの処分に任せる。殺して来い』と、 『承知しました』 まだ若い廃帝は、明け暮れ泣いてばかりいる母の何太后と共 ばうじゅ・つ に、永安宮の幽居に深く閉じ籠められたまま、春を空しく、月李儒は元より暴獣の爪のような男だ。情もあらばこそ、すぐ 十人ばかりの屈強な兵を連れて、永安宮へ馳せつけた。 にも花にも、ただ悲しみを誘わるるばかりだった。 『どこに居るか、王は』 董卓は、そこの衛兵に、 彼はずかずか楼上へ登って行った。折ふし弘農王と何太后と 『監視を怠るな』と厳命しておいた。 ひなが あくび みはり 見張の衛兵は、春の日永を、欠伸していたが、ふと幽楼の上は、楼の上で春の憂いに沈んでおられ、突然、李儒のすがたを よ - っす うた から、哀しげな詩の声が聞えて来たので、聞くともなく耳を澄見たので恟っとした容子だった。 李儒は笑って、 ましていると、 『なにもびつくりなさる事はありません。この春日を慰め奉 春は来ぬ 、わか′、み、 れ、と相国から酒をお贈り申しに来たのです。これは延寿酒と けむる嫩草に じようじよう いって、百歳の齢を延ぶる美酒です。さあ一盞おあがりなさ 々たり そうえん し』 双燕は飛ぶ 携えて来た一壺の酒を取り出して杯を強いると、廃帝は、眉 ながむれば都の水 をひそめて、 遠く一すじ青し へきうん 『それは毒酒であろう』と、涙をたたえた。 碧雲深きところ きゅうきゅうでん これ 太后も顔を振って、 是みなわが旧宮殿 ていじようぎじん 『相国がわたし達へ、延寿酒を贈られるわけはない。李儒、こ 堤上、義人はなきや れが毒酒でないなら、そなたがまず先に飲んでお見せなさい』 忠と義とに仗って と、云った。 言か、晴らさむ 春園走獸 そうじゅう ゅうろう しよう - 一く さん 736

2. 三国志(一) (吉川英治)

『ど、つしたか』 きっそう 走董卓は美酒を飲みながら、李儒の吉左右を待っていた 園やがて李儒は、袍を血まみれに汚して戻って来たが、いきな 春り提げていた二つの首を突出して、 『相国、御命令通り致して来ました』と、云った。 李儒は、眼を怒らして、 弘農王の首と、何太后の首であった。 ふたしな かっ 『なに、飲まぬと。 それならば、この二品をお受けなさる 二つとも首は眼をふさいでいたが、その眼が刮と開いて、今 カ』 にも飛びつきそうに、董卓には見えた。 わりぎぬ と、練絹の繩と短刀とを、突きつけた。 さすがに眉をひそめて、 『 : : : おお。我に死ねとか』 『そんな物、見せんでもいい。城外へ埋めてしまえ』 『いずれでも好きな方を選ぶがよい』 それから彼は、日夜、大酒を仰飲って、禁中の宮内官とい 李儒は冷然と毒づいた。 し、後宮の女官といし 、気に入らぬ者は立ち所に殺し、夜は床 弘農王は、涙の中に、 に横たわって春眠を貪った。 てんどう かわ 噫、天道は易れり 或る日。 人の道もあらじ 彼は陽城を出て、四頭立ての驢車に美人を大勢乗せ、酔うた ばんじようくら、 万乗の位をすてて 彼は、馭者の真似をしながら、城外の梅林の花ざかりを逍遙し ていた。 われ何ぞ安からん しんせま 臣に迫られて命はせまる ところが、ちょうど村社の祭日だったので、なにも知らない さんさんなみだ ただ潸々、涙あるのみ 農民の男女が晴れ着を飾って帰って来た。 とうしょ - っ - 一く と、悲歌をうたってそれへ泣きもだえた。 董相国は、それを見かけ、 太后は、はったと李儒を睨めつけて、 『農民のくせに、この晴日を、田へも出ずに、着飾って歩くな 『国賊 ! 匹夫 ! おまえ達の滅亡も、決して長い先ではあり ど、不届きな怠け者だ。天下の百姓の見せしめに召捕えろ』 かしん ませぬぞ。 ああ兄の何進が愚かなため、こんな獣共を都と、驢車の上で、急に怒り出した。 へ呼び入れてしまったのだ』 突然、相国の従兵に追われて、若い男女は悲鳴をあげて逃げ やか ののし らっ 罵り狂うのを、李儒は喧ましいとばかり、その襟がみを掴み散った。そのうち逃げ遅れた者を兵が拉して来ると、 うし早、 寄せて、高楼の欄から投げ落してしまった。 『牛裂きにしろ』 と、相国は威猛高に命じた。 手脚に繩を縛りつけて、二頭の奔牛にしばりつけ、東西へ向 けて鞭打つのである。手脚を裂かれた人間の血は、梅園の大地 を紅に汚した。 『いや、花見よりも、よほど面白かった』 驢車は黄昏に陽城へ向って帰還しかけた。 するとある巷の角から、 けだもの くれない 、よしゃ たそがれ ちまた ろしゃ ほんぎゅう わ 7

3. 三国志(一) (吉川英治)

あく 1 一、つ 『悪業のむくいだ』と罵りざま、ぐざと、その喉を刺し貫い 王允が命じると、 『それがしが参ろう』 りー」ゅ′、 禁廷の内外は、怒濤のような空気につつまれたが、軈て、そ李粛は答えるや否、兵をひいて、丞相府へ馳せ向った。 れと知れ渡ると、 すると、その門へ入らぬうちに、丞相府の内から、一団の武 『万歳っ』 士に囲まれて、悲鳴をあげながら、引きずり出されて来るあわ うまや と、誰からともなく叫び出し、文武百官から厩の雑人や、衛れな男があった。 見ると、李需だっこ。 しいたるまで、皆万歳万歳を唱え合い、その声、その動揺め きは、小半刻ほど鳴りも熄まなかった。 丞相府の下部たちは、 けんせんさ 李粛は、走って、董卓の首を打落し、剣尖に刺して高く掲 『日頃、憎しと思う奴なので、董太師が討たれたりと聞くや げ、呂布はかねて王允から渡されていた詔書をひらいて、高台否、かくの如く、われわれの手で搦め、これから禁門へつき出 しに行くところでした。、、 とうか、われわれには、お咎めなきょ 『聖天子のみことのりに依り、逆臣董卓を討ち終んぬ。 そう、お扱いねがいます』と、訴えた。 - 一と 1 一と の余は罪なし悉くゆるし給う』 李粛は、なんの労もなく、李儒を生擒ったので、すぐ引っ提 と、大音で読んだ。 げて、禁門に献じた。 董卓、ことし五十四歳。 王允は、直ちに、李儒の首を刎ねて、 しる しょへい 千古に記すべきその日その年、将に漢の献帝が代の初平三年『街頭に梟けろ』と、それを刑吏へ下げた。 壬申、四月二十二日の真昼だった。 なお、王允が云うには、 『郡塢の城には、董卓の一族と、日頃養いおいた大軍がいる。 四 誰か進んでそれを掃討してくれる者はいないか』 たいかんちゅう 大奸を誅して、万歳の声は、禁門の内から長安の市街にまで すると、声に応じて、『それがしが参る』と、真っ先に立っ 浴れ伝わったが、なお、 た者がある。 『この儘ではすむまい』 呂布であった。 きようきよう 『どうなる事か』と、戦々兢々たる人心の不安は去りきれな 『呂布ならば』と、誰も皆、、いにゆるしたが、王允は、李粛、 - 一うほすう 皇甫嵩にも、兵をさずけ、約三万余騎の兵が、やがて塢へさ 呂布は、云った。 して下って行った。 ちょう物一 『今日まで、董卓のそばを離れず、常に、董卓の悪行を扶けて 塢には、郭汜、張済、李催などの大将が一万余の兵を擁し て、留守を護っていたが、 人いたのは、あの李儒という秘書だ。あれは生かしておけん』 『そうだ。誰か行って、丞相府から李儒を搦め捕って来い』 『董太師には、禁廷に於て、無残な最期を遂げられた』 せんこ スずのえさる りじゅ やくしんとうたくう まみ一 か ん ん て から のんどさ つらめ カカ わん しもべ から りしゆく 245

4. 三国志(一) (吉川英治)

白面郎『曹操』 予の寵愛につけ上り、予に叛くとは八ッ裂きにしても飽き足ら ん匹夫だ。李儒っ 『よっ えが ふれ 『彼の人相服装を画かせ、諸国へ写しを配布して、厳重に布令 をまわせ』 『承知しました』 、けど ばんここう 『もし、曹操を生擒って来た者あらば、万戸侯に封じ、その首 を丞相府に献じ来る者には、千金の賞を与えるであろうと』 『すぐ手配しましよう』 李儒が退りかけると、 『待て。それから』と早口に、董卓は猶、言葉をつけ加えた。 『この細工は、思うに、白面郎の曹操一人だけの仕事ではなか ろう。きっと他にも、同謀の与類があるに相違ない』 『勿論でしよう』 『猶以て、重大事だ。曹操への手配や追手にばかり気を取られ しらみ ずに一方、都下の与類を虱つぶしに詮議して、引っ捕えたら拷 問にかけろ』 『はつ、その辺も、抜かりなく急速に手を廻しましよう』 ほしゅうちょうやくにん 李儒は大股に去って、捕囚庁の吏令を呼びあつめ、物々しい 活動の指令を発していた。 み、カ 7 イ 5

5. 三国志(一) (吉川英治)

不義者をなぜ捕えん』 『恐れながら、それはよろしくありません。呂布の首を刎ねな 巻と、呶号した。 さるのは、御自身の頸へ御自身で刃を当てるにも等しい事で たす す』と、諫めた。 の李儒は、急いで、彼の身を扶け起しながら、 今、てまえが後園に人声 星『不義者とは、誰のことですか。 四 がするので、何事かと出てみると、呂布が、太師狂乱して、罪 群 もなきそれがしを、お手討になさると追いかけて参る故、何と 『なぜ悪いかつ。なぜ、不義者の成敗をするのが、よろしくな そ、助け賜われとのことに、驚いて、馳けつけて来たわけです し。カ』 カ』 董卓は、そう云い募って、どうしても、呂布を斬れと命じた 『何を、ばかな。 , ーー董卓は狂乱などいたしてはおらん。予のが、李儒は、 ちょうせんたわむ めす 目を倫んで、白昼、貂蝉に戯れている所を、予に見つけられた『不策です。いけません』 ので、狼狽のあまり、そんなことを叫んで逃げ失せたのだろ頑として、彼らしい理性を、変えなかった。 『太師のお怒りは、自己のお怒りに過ぎませんが、てまえがお しやしよく 昔、こういう話がありま 『道理で、いつになく、顔色も失って、ひどく狼狽の態でした諫め申すのは、社稷の為です。 カ』 『すぐ、引っ捕えて来い。呂布の首を刎ねてくれる』 と、李儒は、例をひいて、語り出した。 『ま。そうお怒りにならないで、太師にも少し落着いて下さ それは、楚国の荘王のことであるが、或る折、荘王が楚城の っ寸をねぎらった。 うちに、盛宴をひらいて、武功の諸 えんなかば ともしび 李儒は、彼の沓を拾って、彼の足もとへ揃えた。 すると」ーー宴半にして、にわかに涼風が渡って、満座の燈火 そして、閣の書院へ伴い、座下に降って、再拝しながら、 がみな消えた。 『ただ今は、過ちとはいえ、太師のお体を突き倒し、罪、死に 荘王、 値します』 ( はや、燭をともせ ) と、近習へうながし、座中の諸将は、 えって、 と、詫び入った。 さわ 董卓は猶、怒気の冷めぬ顔を、横に振っ、て、 ( これも凉しい ) と、興ありげに躁いでいた。 しやくはべ 『そんなことはどうでもよい。速かに、呂布を召捕って来て、 と、その中へ、特に、諸将をもてなすために、酌に侍ら ちょうき たわむ 予に、呂布の首を見せい』 せておいた荘王の寵姫へ、誰か、武将のひとりが戯れてその と云った。 唇を盗んだ。 あたかちじ かんむり 李儒は、飽まで冷静であった。董卓が、怒るのを、恰も痴児寵姫は、叫ばうとしたが、凝と怺えて、その武将の冠の たわごこ の囈言のように、苦笑のうちに聞き流して、 纓をいきなり拐り奪って、荘王の側へ逃げて行った。 くちびる おいかけ そこくそ・フおう と つの そじよう

6. 三国志(一) (吉川英治)

『そんなことを宥しておいたら、士気は紊れ、主従のあいだは 『ではなぜ、屏風の内へ這入ろうとしたか。いつまで、そんな ものほ ど , つなるか』 巻所に物欲しそうにまごっいているか』 『でも今、呂布が変心して、他国へ奔ったら、大事はなりませ 、つつむ ぬそ』 し訳に窮して、真っ蒼な顔して俯向いた。 星呂布は、、、 彼は、弁才の士ではない。又、機知なども持ち合わせない人『・ 群 きわ こう責めつけられると、進退窮まった 間である。それだけに、 董卓も、李儒に説かれているうちに、やや激怒もおさまって ちょ、つき さんたん かの如く、惨澹たる唇を噛むばかりだった。 来た。ひとりの寵姫よりは、勿論、天下は大であった。いかに おんちょう な わきま 『不届き者めツ、恩寵を加えれば恩寵に狎れて、身の程も弁え貂蝉の愛に溺れていても、その野望は捨てきれなかった。 ごうぜん ずにどこまでもッケ上り居る ! 向後は予の室へ、一歩でも這 『だが李儒。呂布のやつは、かえって傲然と帰ってしまった が、では、ど , っしたらよいか』 入ると承知せぬぞ。いや、沙汰あるまで自邸で謹慎して居れ。 退らぬかつ。これ、誰かある、呂布を逐い出せ』 『そうお気づきになれば、御心配はありません。呂布は単純な と、董卓の怒りは甚しく、ロを極めて罵った。 男です。明日、お召しあって、金銀を与え、優しくお諭しあれ S ・きしゃ あしおと どやどやと、室外に、武将や護衛の力者たちの跫音が馳け集ば、単純だけに、感激して、向後はかならず慎むでしよう』 まった。 が、呂布は、その手を待たず、 李儒の忠言を容れて、彼はその翌日、呂布を呼びにやった。 もんざい 『もう、来ません ! 』 どんな問罪を受けるかと、覚悟して来て見ると、案に相違し 云い放って、自分から颯っと、室の外へ出て行った。 て、黄金十斤、錦二十匹を賜わった上、董卓の口から、 かんべき ののし 殆ど、入れ交いに、 『きのうは、病のせいか、癇癖を起して、そちを罵ったが、わ りじゅ 『何です ? 何か起ったのですか』と、李儒が入って来た。 しは何人よりも、そちをカにしておるのだ。悪く思わず、以前 まだ怒りの冷めない董卓は、火のような感情のまま、呂布のとおり吾が左右を離れずに、日毎ここへも顔を見せてくれ ちょ・つき げレ J ・つ が、この病室で、自分の寵姫に戯れようとした罪を、外道を憎 し』 むように唾して語った。 と、宥められたので、呂布はかえって心に苦しみを増した。 おんげん 『困りましたなあ』 併し主君の温言のてまえ、拝跪して恩を謝し、黙々とその日は 李儒は冷静である。にが笑いさえ泛べて聞いていたが、 無口に退出した。 『なる程、不届きな呂布です。 けれど太師。天下へ君臨な さる大望のためには、そうした小人の、少しの罪は、笑ってお ゆるしになる寛度もなければなりません』 『、よか、な』 がえん 董卓は、肯じない。 ふとど さっ ま たわむ さお りじゅ ゆる みだ 230

7. 三国志(一) (吉川英治)

との諜報に、色を失って、帝を繞る女子たちの車からは悲し兵の列が見える。 おえっ げな嗚咽さえ洩れた。 やがてそれは雲の裡にかくれ去った。 しようこく さわ 『躁ぐことはありません。相国、ここの天嶮は、伏兵を蔵すに 呂布は、眼を辺りへ移して、 妙です』 『この小城では守るに足らん。李儒、貴公はここで曹操の追手 李儒は、陽城のうしろの山岳を指さした。彼はいつも董卓を防ぐ気か』と、たすねた。 ちえぶくろ の智慧嚢だった。 , 彼のロが開くと、董卓はそれだけでも心が休李儒は、頭を振って、 まるふうに見えた。 『いやこの城は、わざと敵に与えて敵の気を驕らせるためにあ しんがり るのだ。殿軍の大兵は、みな後の山谷に伏兵として潜めてあ る。 足下もここにいては、呂布ありと敵が大事をとって、 帝陵の丘をあばいて発掘した莫大な重宝を、先に長安へ輸送かえって誘うに困難だから、あの山中へひいて潜んでいてく して任を果し終った呂布軍も、一足あとから榮陽の地を通りかれ』と云った。 李儒の謀計を聞いて、 『、い得た』 するといきなり彼の軍へ向って城内から矢石を浴びせかけて 来たので、 呂布も潔く山へかくれた。 しよう - 一く たいしゅじよえい みくるま 『太守徐栄は、相国のため道を開き、帝の御車をお迎えして、 かかる所へ、曹操は一万余の手勢をひいて、ひたむきに殺到 しんがり ここに殿軍なすと聞いたので、安心して参ったが、さては裏切した。 したか。その分なれば、踏み潰して押し通れ』 またたく間に、榮陽城を突破し逃げる敵を追って、山谷へ入 と、呂布は激怒し、合戦の備えにかかった。 『ゃあ、呂布であったか』 不案内な山道へ誘いこまれたのである。しかも猶、曹操は、 城壁の上で声がした。見ると李儒だった。 、刀ー刀 『この分なら、董卓や帝の車駕に追いつくのも、手間段よ、 せま しんがり 『ーー敵の追手が迫ると聞き、曹操の軍と見ちがえたのだ。怒らぬそ、殿軍の木ッ端共を蹴ちらして追えや追えや』と、 あ り給うな、今、城門をあけるから』 いよ意気を昻げていたのであった。 早速、呂布を迎えて仔細を告げて詫びた。 なんそ知らん。 賦 『そうか。では相国には、たった今落ちのびて行かれたか』 鹿を追うことを急にして、彼はどな男も、足許に気づかなか 日 『まだ、この城楼から見えるほどだ。オオ、あれへ行くのがそった。 うだ。見給え』 突如として、 四方の谷間や断崖から、鬨の声が起ったのだ。 洛と、楼台に誘って、彼方の山岳を指さした。 よ、っちょう たど ふせぜい 羊腸たる山谷の道を、蟻のように辿ってゆく車駕や荷駄や大『伏勢 ? 』 けいようじよ・つ あ りじゅ めぐ しせき とうたく っ学 ) 0 、み、よ ン一を、 おご 185

8. 三国志(一) (吉川英治)

曹操は、すかさず、 『御馬を賜わり、これ幸と、風を喰って逃げ去ったのかも知れ かんしよく 巻『鞘はこれです。七宝の篏飾、なんと見事ではありませんか』 ませんぞ』 りじゅ のと、呂布の方へ、鞘をも渡した。 とすれば、捨て置けん曲者だが。李儒を呼べ。とにか く、李儒を ! 』 園呂布は無言のまま、刃を鞘に収めて手に預かった。そして、 かんだか 『馬を見給え』と促すと、曹操は、 と、急に甲高く云って、巨きな躯を牀から降ろした。 『はつ、有難く拝領いたします』 李儒は来て、つぶさに仔細を聞くと、 と、急いで庭上へ出で、呂布が曳いて来た駿馬の鬣を撫で 『それは、しまった事をした。豹を檻から出したも同じです。 ながら、 彼の妻子は都の外にありますから、てッきり相国のお命を狙っ ・おんまえ いちもっ 『あ。これは逸物らしい。願わくば相国の御前で、一当て試していたに違いありません』 のり 乗に乗って見たいものですな』 『憎ッくい奴め。李儒、どうしたものだろう』 という一言葉に、董卓もついに、図に乗せられて、 『一刻も早く、お召と云って、彼の住居へ人を遣ってごらんな 『よかろう。試乗してみい』 き、し 二心なければ参りましようが、怖らくもう其家にも居り と免すと、曹操はハッとばかり鞍へ飛び移り、遽に一鞭あてますまい』 るや否や、丞相府の門外へ馳け出して、それなり帰って来なか 念の為と、直ちに、使番の兵六、七騎をやってみたが、果し つ、 ) 0 て李儒の一一一一口葉どおりであった。 そして猶、使番から生ロげることには - 一うもう 四 『つい今し方、その曹操は、黄毛の駿馬に跨がって、飛ぶが如 『まだ戻らんか』 く東門を乗打して行ったので、番兵が又馬でそれを追いかけ 董卓は、不審を起して、 漸く城外へ出る関門で捉えて詰問したところ、曹操が云うには にわか 『試し乗だと云いながら、 我れは丞相の急命を帯びて遽に使に立つなり。汝等、我れ 曹操のやつは』 を阻めて大事の急用を遅滞さすからには、後に董相国よりいか と、何度も呟いた。 なるお咎めがあらんも知れぬそーーーとの事なので、誰も疑う者 呂布は初めて、ロを開いた。 なく、曹操はそのまま鞭を上げて関門を越え、行方の程も相知 『丞相、彼は怖らく、もう此処に帰りますまい』 れぬ由にござります』 『ど , フして ? ・』 との事であった。 『最前、あなたへ名刀を献じた時の挙動からして、どうも腑に 『さてこそ』と、董卓は、怒気の漲った顔に、朱をそそいで云 っ一 ) 0 落ちない点があります』 そぶり 『ム。あの時の彼奴の素振は、わしも少し変だと思ったが』 『小才の利く奴と、日頃、恩をほどこして、目をかけてやった さや ゆる や ば や いったい何処まで馳けて行ったのだ たてがみな くせもの ひょうおり からだ し ゆ ん ま た 744

9. 三国志(一) (吉川英治)

して、生涯を長く楽しもう。 : : : 嫌か、ウム、嫌ではあるま 『でも、太師は常に、呂布はわが子も同様だと仰っしやってい 巻らっしゃいましよ、つ。 し』 ですから私も、太師の御養子と思っ のて、敬まっていたんです。それを今日は、恐い血相で、戟を持次の日 星「て私を脅し、むりやりに儀亭に連れて行「てあんなことを李儒は改まって、董卓の前に伺候した。ゅうべ、呂布の私邸 を訪い、恩命を伝えたところ、呂布も、深く罪を悔いておりま 羊なさるんですもの : : : 』 と報生ロしてから、 『いや、深く考えてみると、悪いのは、そなたでも呂布でもな おろ 『きようは幸に、吉日ですから、貂蝉を呂布の家にお送りあっ かった。この董卓が愚かだった 貂蝉、わしが、媒ちし てはいかがでしよう。ーー彼は単純な感激家です。きっと、感 て、そなたを呂布の妻にやろう。あれはど忘れ難なく恋してい 涙をながして、太師の為には、死をも誓うにちがいありませ る呂布だ。そなたも彼を愛してやれ』 眼をとじて、董卓がいうと、貂蝉は、身を投げて、その膝にん』 と、云った。 とり縋った。 『なにを仰っしゃいます。太師に捨てられて、あんな乱暴な奴すると董卓は、色を変じて、 像の妻になれというのですか。嫌なことです、死んだって、そ『たわけたことを申せ。ーーー李儒つ、そちは自分の妻を呂布に やるかっ』 んな辱しめは受けません』 いきなり董卓の剣を抜き執って、咽に突き立てようとしたの李儒は、案に相違して、唖然としてしまった。 しやが しゆれんほうだい 董卓は早くも車駕を命じ、珠簾の宝台に貂蝉を抱き乗せ、扈 で、董卓は仰天して、彼女の手から剣を奪りあげた。 ようよう じゅう びう 従の兵馬一万に前後を守らせ、塢の仙境をさして、瑤々と発 貂蠅は、慟哭して、床に伏しまろびながら、 『 : : : わ、わかりました、これはきっと、李儒が呂布に頼まれしてしまった。 て、太師へそんな進言をしたにちがいありません。彼の人と呂 布とは、いつも太師のいらっしやらない時というと、密々話し ていますから。 : そうです。太師はもう、私よりも、李儒や 呂布の方がお可愛いんでしよう。わたしなどはもう : 董卓は、やにわに、彼女を膝に抱きあげて、泣き濡れている その頬やその唇へ自分の顔をすり寄せて云った。 じようだん 『泣くな、泣くな、貂蝉、今のことばは、冗戯じゃよ。なんで しろ 明日、塢の城へ帰 そなたを、呂布になど与えるものか。 ろう。城には、三十年の兵糧と、数百万の兵が蓄えてある、 きひ 事成れば、そなたを貴妃とし、事成らぬ時は、富貴の家の妻と董師、塢へ還る。 うや すが びじよう おど どう - 一く ひそひそ ひざ てん 天 びう びよ、つ と聞えたので、長安の大道は、拝 236

10. 三国志(一) (吉川英治)

く。早々立ち帰って董卓にこの由を申せ』 す。 もし長安へおうつりあれば、丞相の御運勢は、いし 巻使者の李催ともう一名の者は、ほうほうの態で、洛場へ逃げよ展けゆくにちがいありません』 の帰った。 李儒の説を聞くと、董卓は、にわかに前途が展けた気がし 星そして、ことの仔細を、有りのままに丞相へ報告に及んだ。 た。その天文説は、忽ち、政策の大方針となって、朝議にかけ ころうかん られた。 いや独裁的に、百官へ云い渡されたのであった。 群董卓は、虎牢関の大敗以来、このところ意気銷沈していた。 『李儒、どうしたものか』と、例に依って、丞相のふところ がたな 刀と云われる彼に計った。 びよう 李儒は日う。 廟議とはいえ、彼が口を開けば、それは絶対なものだった。 どよ 「遺憾ながら、ここは将来の大策に立って、味方の大転機を計けれどこの時は、さすがに、百官の顔色も動揺めいた。 らねばなりますまい』 第一、帝もびつくりされた。 『 , 入 . 転機とは』 『ひと田 5 いに、洛陽の地を捨てて長安へ都をお遷しになること事の重大に、にわかに、賛同の声も湧かなかった。代りに です』 又、反対する者もなかった。 せんと 「遷都か』 寂たる一瞬がつづいた。 キ、き よ・つひょう 『さればです。 前に虎牢関の戦いで、呂布すら敗れてか すると、司徒の楊彪が、初めて口を切った。 ら、味方の戦意は、さつばり振いません。如かず、一度兵を収『丞相。今はその時ではありますまい。関中の人民は、新帝定 めて、天子を長安にうっし奉り、時を待って、戦うがよいと思まり給うてから、まだ幾日も、安き心もなかった所です。そこ います。 それに近頃、洛内の児童が謡っているのを聞けへ又、歴史ある洛陽を捨てて、長安へ御遷都などと発布された ら、それこそ、百姓たちは、鼎のごとく沸いて、天下の乱を助 セイトクコ 西頭一箇ノ漢 長するばかりでしょ , っ』 トウトウ 東頭一箇ノ漢 太尉黄瑰も、彼についで、発言した。 チョクアン ようひょう 鹿ハ走ッテ長安ニ入ル 『そうです。今、楊彪の申されたとおり、遷都の儀は、然るべ マサコノナンナ 方ニ斯難無力ルペシ からずと存じます。その理由は、明白です。 ここにある百 - 一うそ ふか と有ります。歌の詞を按ずるに、西頭一箇の漢とは高祖をさ 官の諸卿も、胸にその不可は知っても、ただ丞相の意に逆らう ふじよう し、長安十二代の泰平を云って、同時に、長安の富饒においでことを恐れて、黙しておるのみでしよう』 じようしよう きつばう になった事のある丞相の吉方を暗示しているものと考えられ続いて、爽も、反対した。 ・一うぶらくよう しようこ ます。東頭一箇の漢とは、光武洛陽に都してより今にいたるま 『もし今、挙げて、王府をこの地から掃えば、商賈は売るに道 で十二代。それを云ったものでしよう。天の運数かくの如しでを失い、エ匠は職より捨てられ、百姓は流離して、天を怨みま ころうかん ちょうあん し うつ りじゅ せき 、いこうえん - 一うしよう じゅんそう かなえ ひら 780