きゅうせんにほろぶるなかれ 勿レ喪二九泉一 『蜀の四将が、全軍五万を、二手にわけて、一は維城をかた しよく しようにん らくざん 『上人。・ : ・ : 蜀は勝つでしようか』 め、一は維山の連峰をうしろにして、強固な陣地を構築してお じよう′一う 『定業のがれ難し、じゃよ』 ります』 しよう 『われわれ四将の気数運命はどうでしよう』 ( むはすぐ上咽将にっこ。 れいほう レソつけ . ん 『定業の外ではあり得ない』 『敵の先陣は、蜀の名将、冷苞、鄧賢の二将と聞く。これを破 『と一ム , っと ? ・』 るものは、成都に入る第一の功名といえよう。誰かすすんでそ 『それだけだよ』 れを撃破してみせるものはないか』 い、、 ろうしようこうちゅう 『では、玄徳の軍は、蜀に於て成功しますか、それとも失敗し すると、幕将のうちでもいちばん老ばれて見える老将黄忠 ますか』 が、身をゆるがして、 このほう 『一得一失。それに書いてあるのを見ないか。諄い。もう問う 『此方にお命じください』と、云った。 云い終るか終らぬうちに、それとはまるで声からしてちがう 眼をふさぐと、石みたいに、もう何を訊いても、返事をしな若者が、 っ季 ) 0 『あいや、老黄忠のお年では、ちと敵が強過ぎよう。その先陣 劉瑣は、山を降りて、 は、それがしにお命じ賜わりたい』 『慎まねばいかん。どうも蜀にとって良い予言ではないよう と、横からその役を買って出た。 えん 誰かと見れば、魏延である。序戦の勝敗は大局に影響する。 ちょうじん と、三将へ伝えると、張任はひどくおかしがって、 なんぞ老将の手を借らんやと、魏延は気を吐いて、切に自身先 たわごと ねが 『いやはや、劉瑣は迷信家だ。山野の狂人の譫言をそれほどに鋒たらんことを希った。 いめなきごえ おお 尊重するなら、馬の嘶きにも、狗の啼声にも、いちいち進退を「これは異な仰せかな』 ろうこうちゅう 問わねばなるまい 外敵に当るまえに、まず心中の敵を退 と、老黄忠も黙っていない。 ごへんさきがけ 治るのが肝要。いざ、迷わずに』 『御辺が魁の功名をねがわるるは御随意だが、この黄忠を無 と、即日、軍をすすめた。 用のごとくいわるるは聞きずてならん。何故、此方には勤まら ぬといわれるか』 えん 詰め寄ると、魏延、 黄 雛県の山脈と、往来の咽喉を扼している、雛城の要害とは、 『あらためて申す迄もない。老いては血気弱く、あなたばかり と ふじよう ちょうど成都と浩城のあいだに在る。 ではなく、誰にせよ、強敵を破るはまず難かしいというのが常 魏城から玄徳が放しておいた斥候の一隊は、倉皇と立ち帰っ識であろう』 ていそく て来てこう報らせた。 『お黙りなさい。老骨は必ず若い者に敵せぬという定則はな らつけん ものみ らくじよう そうこう ふたて
幕々の諸将と評議していると、そこへ成都から費幃が勅使と 巻して下って来た。 の 原 丈 五 と、むずむずして云った。 「いやいや漢中は去年も豊作だ「たし、今年も麦は熟してい る。兵糧が無いのではなく、ただ運輸の労に困難しているに過 ーカ ぎない。 量るに孔明はみずから動いて、われを動かさん と、誘うものであろう。しばらく物見の報告を待て』 ちゅうたっ 仲達は諸将をなだめた。 情報は、次々に聞え、 とどま ゅ 『ーー孔明の大陣、三十里往いてしばらく駐る』 と、聞えたが、その以後は、約十日ばかり何の変化も伝えて 来ない。 すると、やがて、 せめ 力いて さきに街亭の責を負うて、孔明は丞相の職を朝廷に返して『蜀軍すべて、更に遠く行く』と報らせて来た。 しようしょ 司懿は、諸将に云った。 いた。今度、成都からの詔書は、その儀について、ふたたび旧 うかが 『見よ三十里毎に、計を窺い、変を案じ、ひたすらわれの追撃 の丞相の任に復すべしという、彼への恩命にほかならなかった。 あやう 『国事いまだ成らず、また以後、大した功もないのに、何で丞を誘っている。危し危し。滅多に、孔明の好みに落ちるな』 次の日も、また三十里退いたという報あり、更に二日ほど措 相の職に復することができよう』 孔明は依然固辞したが、 ふる 『蜀軍はまた三十里行軍して停まっています』という物見のこ 『それでは、将士の心が奮いません』 とばだった。 という人々の再三なすすめに従って、ついに朝命を拝して、 幕将たちの観察と、司馬懿の見方とは、だいぶ相違があっ 勅使費幃の都へ還るを送った。それから後、間もなく、 た。幕将たちは躍起となって再び彼に迫った。 『われわれも一まず還ろう』と突然、漢中への総引揚を発令し かんばたいぐんさく しりぞ 『孔明の退く手口を見ると、緩歩退軍の策です。一面退却一面 たいじ 対峙の陣形をとりながら、極めて平凡な代りに、また極めて損 敵の司は、これを聞くや直ちに、 しようたいほうよ 害のないような、正退法に拠っているものでしかありません。 『追わばかならず孔明の計に中ろう。守って動くな』 これを見過して撃たずんば、天下の笑い草になりましょ 却って堅く自戒していた。 ちょうこう 然し、張部などの徒は、 ちょう そう迄云われると、司馬懿もいささか動かされた。わけて張 『敵は兵糧につまったのだ。追撃して完滅を下すのは此の時で ・一う 部は極力、追撃を望んでやまない。で遂に、 はありませんか』 ちよくしひ 天血の如し ち あた じようしよう ひ 1 一と やっき し めんたいきやくめん
なんばんぜい と、令した。 た。南蛮勢は、前後に蜀軍を見て、いよいよ度を失い、谿へ飛 ちょううんえん のば 巻 この令に、趙雲や魏延はすこし不平顔だった。左右両軍は、 びこんで頭を砕く者、木へ攀じ登って焼け死ぬ者、また討たれ の先鋒であり、自分たちは後に置かれたからである。 る者や降る者や、数知れない程だった。 ばんち きほうかいぎん しかし孔明は、 師 夜が明けた。蛮地の奇峰怪山のうえに、なお戦火の余燼が煙 『王平、馬忠は御辺たちよりも、地の理に詳しい。それに年も っている。孔明は快げに、朝の兵糧を喫し、さて夜来の軍功 あやま と、っているから、奇道を行っても過ちが少い』と、ふたりの血を諸将にたずねた。 気を制して、両翼がふかく進んだ後から中軍は出動した。そし 『三洞の蛮兵は敗乱して、今朝すでに一個の影だに見えぬ。ま ゅうゆう うせん て帷幕の諸将に囲まれた四輪車の上に、孔明は悠々と羽扇をう ことに諸公の大勇に依るものであるが、敵の大将は捕え得たで ごかして、異境の鳥や植物の生態などを眺めていた。 あろうか』 きんかんけっ 『それがしが討った首は、敵将のひとり金環結と思われます。 御実検ください』 ちょううん 蛮軍は五渓峰の頂に防塞を築いて、三洞の兵を峰つづきに配『おお、趙雲か。いつもながらのお働き、めでたい。 して、そ し、ひそかに、 のほかの敵将は』 けんしゅん 『中国の弱兵には、この嶮峻さえ登って来られまい』と、驕っ『遺憾ながらみな逃げたようであります』 ていた。 『いや、実はここに生け擒っておる』 たにみち ひ 月明を利してその下の渓道まで寄せて来た王平、馬忠の先手と、背後の帳へ向って、曳いて来いと命じた。 ものみ は、途中で捕えた蛮兵の斥候を道案内として、間道を伝い、道人々は信じられなかったが、やがて帳を排して、数名の武士 なわじり あかいなんとうとめ なき道を攀じ、夜半、不意に敵の幕舎を東西から襲った。 が、阿会喃と董荼奴の繩尻をとって、これへ現われ、 とき 喊の声と共に、各所から花火のような火が噴いた。流星の如 『蛮族。下に居ろ』と、ひきすえた。 たいまっ く炬火が飛ぶ。蛮陣の内は上を下への大混乱を起している。 蛮将の金環結は、手下を叱咤しながら、炎の中から衝いて出驚かぬ者はなかったが、やがて孔明の説明に依って、漸く仔 た。その影を見ると、蜀軍のうちからも、誰やら一将が現われ細は解けた。 ともな て、猛闘血戦の末、遂にその首を取って、槍先につらぬき、 孔明はかねて帷幕のうちに伴っている呂凱に就いてこの辺の てむか 『手抗う者はみなこうだぞ』 地形を詳細に研究していたのである。で、中軍両翼が正攻法を ちょうちょうよく かんどう 蛮軍の兵に振り廻して見ぜた。 とって前進する三日も前に、すでに張嶷、張翼のふたりに間道 どばんむれ せんこうたい 逃げるわ逃げるわ、土蛮の群は、さながら枯葉を巻くように潜行隊をさずけ、これを遠く敵塞の後方に迂回させ、その道路 とうとめあかいなん まいふく 四散してゆく。そして董荼奴や阿会喃の陣へかくれこんだ。 に埋伏させておいたものだという。 筆えんちょううん おめ ーレよ、つ。 延、趙雲などの蜀の中軍は、その頃、ここを攻 『丘 ( の妙 - 、 . 鬼神も測り雄しとい , フのは、一 しった おご - : 一ろよ ど よ よじん 27 イ
しんちょう 一見誰でもわかる。 したことから非常に魏王の信寵をうけて今日に至った人物で めのかぶ けれど車輛の上にはみな青い布が被せてあって、その下にはす』 おうえんしよう あぶらしば 硫黄、焔硝、また油や柴などが秘してあった。これが郭淮の考『そうか : : 』と孔明は謎のとけたように笑って、さて諸将へ えた蜀軍を釣る餌なのである。 云うには、 がいてし 一面。その郭淮は、箕谷と街亭の二要地へ大兵を配して、自『兵糧を運送するに、それほどな上将を附けるわけはない。思 ちょう一 ちょうりよう がくしん おお 身その指揮に臨み、また張遼の子張虎、楽進の子楽紺、この うに車輛の被いの下には、火薬、枯柴などが積んであるだろ ふたりを先鋒として、あらかじめある下知を附しておいた。 う。嗤うべし、わが胃へ火を喰らわせんとは』 ちんそうどう さらに猶、陳倉道の王双軍とも連絡をとって、蜀軍みだるる彼はこれを全く無視したが、然し、ただ無視し去ることはし ときの配置を万全にしておいたことは云う迄もない。 なかった。忽ち帷幕に将星を集め、敵の計を用いて敵を計るの ろうせい きざん 「隴西から祁山の西を越えて、数千輛の車が、陳倉道へ兵糧を機を掴みにかかった。 運んでゆく様子に見えまする』 蜀の物見は、鬼の首でも取ったように、これをすぐ孔明の本 あっ 陣へ達した。 情報が蒐められた。 蜀軍の将は、聞くとみな、 風のごとく物見が出入した。 『なに、兵糧の車輛か』 その帷幕のうちから孔明の迅速な命令は次々に発せられてい と、はやその好餌に目色をかがやかした。 た。馬岱が真先に、三千の軽兵をひきいてどこかへ走った。次 かて ばちゅうちょう 蜀軍の糧は、各方面の間道国道から、極めて微々たる量を、 に、馬忠と張嶷が各こ五千騎を持って出動した。呉班、呉懿等 かんこうちょうほう しかも艱難辛苦してこれへ寄せている状態だったし、その予備の軍も何か任を帯びて出た。そのほか関興、張苞などもことご しよう きざん 量もすでに一カ月分となかったところなので無理はない。 とく兵をひきいて出払い、しかも孔明自身もまた床几を祁山の 孔明は、まったく別な事を左右に訊ねていた。 いただきに移し、頻りと西の方面を望んでいた。 『兵糧隊の敵将は、誰だと云ったな ? 』 魏の車輛隊の行軍は、すこぶる遅々であった。 そんれい とくたっ 『物見の言葉では、孫礼字は徳達だと云いましたが』 二里行っては、物見を放ち、五里行っては物見を放った。 み一ながらしよく 『孫礼の人物を知るものはないか』 宛然、蜀魏の間諜戦でもあったわけだ。 おう 『されば彼は、魏王にも重んぜられている上将軍です』と、む魏の物見は告げた。 かし魏にいて精通していた一将が話した。 『孔明の本陣は動き出しました』 おう だいせきざんかり か 『曾て魏王が大石山に狩猟をなしたとき、一匹の大きな虎が忽 『まぎれもなく、この兵糧輸送を嗅ぎつけて、これを奪えと、 食ち魏王へ向って飛びかかって来たのを、孫礼が、いきなり楯と手分けにかかったように窺われます』 ちょう ばたい なって、大虎に組みつき、剣を以って、ついにその虎を刺し殺 『馬岱、馬忠、張嶷など、続々と蜀陣を出ました』 がくりん たて ら なぞ 389
老いたりと称してお用いにならぬのですか』 『御身たちはみな、この二人の老人を見て軽んじているが、よ 巻『いや、貴殿はすでに七十に近いのです。誰が老いていないとろしくない。張部を破 0 て、漢中を取るのをこの二人の田 0 うに の申せよ、つか』 任せたらよろしかろう』 南頑とした孔明の返事に、黄忠は業をにやし、つかっかと堂を孔明の言を聞いて、言うこともなく、冷笑して退散してしま 下って、長刀を手にとり、これを水車の如く右に左に、上に下った。 図 にいと鮮かに振り廻し、つづいて壁に掛けてあった強弓二張を黄忠、厳顔の二将は、兵を率いて葭萌関に到着した。これを もうたっかくしゅん はずし、一息にこれを折って見せた。 見た孟達、霍峻は年老いた将の救援軍を大いに笑い こうちゅう 黄忠のこの意気を眺め、覇気をみとめて孔明は、 『孔明は人を見る明がない こんな老人は、戦争に出なくとも 『よろしい、では貴殿を救援に差し向けましよう。然し、必ず間もなく死んでしまうものを』 副将を伴れてゆくことを命じます』 と、嘲って関守の印を渡した。 黄忠はいたく喜び、 黄忠、厳顔は、二人の旗を山上に立て、敵にその名を知らし げんがん 『忝なし。厳顔は某と共に、年老いています。共に参って、 めた。そして黄忠がひそかに厳顔に云うには、 必ず敵を破り、万一あやまちあれば、老将二名、いのちに未練『諸所での噂を聞きましたかな、いずこでも、われ等二人の老 はありません、白髪の首を奉りましよう』 年を嘲笑しておりますぞ。ひとっ力を合せて、大なる功をあ と、覚悟のほどを申し述べた。 げ、奴等を驚かせてくれよう』 ちかいカ′ 終始、孔明と黄忠の論をうかがっていた玄徳は、老将の言葉・と、誓も堅く、兵を揃えて出馬した。 - ま にいたく満足して、黄忠の進発を許した。 この状を見て張部も馬を出し、黄忠の陣に向って叫んだ。 『汝、その年まで生をむさばり、なお羞をも知らず、陣前に出 て戦わんとするか、笑止、笑止 ! 』 玄徳の英断を、意外に思ったのは並いる諸将であった。わけ黄忠大いに怒り、 らよ・つ、フん ても趙雲たちは面白からず思って、 『汝、わが年の老いたるを笑うといえども、手の中の刃は、し ちょう・一う ば・つかん りじん - 一ころ 『いま張部は兵を集め、葭萌関を攻めようとしている。誠に危まだ年をとらぬ。わが利刃を試みてから広言を吐け』と罵り返 やり 急の時、何を好んでこんな老人を用いられ、子供の火遊び如きし、馬をすすめて張部にあたった。張部も鎗をひねって、戦う しよくちゅう をなされますか、葭萌関にもしものことがあれば、蜀中に災こと約二十余合、すると突如、張部勢の背後から、厳顔の兵が こえ 等 - し从・つげキ - を起し、又もし幸に張部を破った場合は、彼等は図にのって、 小路を迂回して現れ挾撃したため張部勢は一度に崩れ、喊の声 きっと漢中を攻めとるに違いありません、危険なことです。軍に追われながら、遂に八、九十里退却してしまった。 ただ 師、どうか熟考なさっていただきたい』 曹洪は、この度も亦張部が敗れたと知って、いそぎ罪を糾さ るる と、縷々と述べた。孔明の考えは決っていた。 んと怒ったが、郭淮が、 あざや っ あざけ ′、わい ひき とき
がらと戦況をつぶさに書いて、 まみえ、故国の人々にお会いなされますか』 まんちょう そうじんもう 巻満寵のことばは、曹仁の蒙をひらくに充分であった。彼は正『これを漢中王におとどけせよ』 と、使を命じて、成都へ遣った。 の直に自己の考えちがいを謝し、 『もし足下の教えがなければ、恐らく自分は大事を誤ったろ 南 図 と、それまでの敗戦主義を城中から一掃するため、諸将をあ つめて訓示した。 『正直にいう。自分は一時のまちがった考えにいま恥じてお る。国家の厚恩をうけ、一城の守りを任ぜられ、かかる一期の 時となって、城を捨てて遁れんなどという気持をふとでも起し たのは慚愧に堪えない。御辺たちも亦同様である。もし今日以 後も、城を出て一命を助からんなどと思う者があれば、かくの 如く処罰するから左様心得るがいい』 けん 曹仁は剣を抜いて、日頃自分の乗用していた白馬を両断にし 、て、水中へ斬り捨てた。諸将はみな顔色を失って、 いのち 『かならず、城と運命を共にし、生命のあらんかぎり防ぎ戦っ てごらんに入れる』 と、異ロ同音に誓った。 果してその日頃から、徐々に水は退いて来た。城兵は生気を つくろ とりもどし、壁を繕い石垣を修築し、更に新しい防塁を加え どきゅ・つせきほう て、弩弓石砲をならべ、 『いざ、来れ』 と、大いに士気を昻げた。 二十日足らずののちに、洪水はまったく乾いた。関羽は、于 ほうとくちゅう きん 禁を捕り、靡徳を誅し、魏の急援七軍の大半以上を、悉く魚 べっえ 鼈の餌として、勢い八荒に震い、彼の名は、泣く子も黙るとい ことわ、 う諺のとおり天下にひびいた。 時に、次男の関与が、荊州から来たので、関羽は、諸将のて ざんき かんよ のが よ / 56
生 書 陸遜が新たに総司令官として戦場へ臨むという沙汰が聞える と、呉の前線諸陣地にある諸将は、甚しく不満をあらわして、 口々に、 ・一う - 一うしように 一『あんな黄ロの小児が、大都督護軍将軍に任ぜられるとはい 0 たい何事だ』 『あんな文弱の徒に、軍の指揮ができると思うておられるの ( あの呂蒙が、自分の代りに荊州の境の守りに抜擢したほどの カ』 者とすれば、年は若くても、何か見どころのある人物にちがい むねげ あるまい ) と、考えたからであった。陸遜は、召に依って、急『呉王のお旨が解し難い。これは何か周囲の者の策謀に依るも ごおうえっ 遽、建業へ帰って、呉王に謁した。そして呉王から、この大任のだろう』 をうけて、汝よくそれに応うる自信ありや、と問われると、陸などと、早くも呉の全面的崩壊を口に云う者すらあった。 そこへ陸遜は着任した。 遜は、 じ ていほうじよせい 荊州諸路の軍馬を集め、丁奉、徐盛などの諸将を新たに加え 『国家存亡の時、辞すべきではありませんから、謹んで大命を きし て、堂々と新鋭の旗幟を、総司令部に植えならべた。 拝します』 こうぜん けれど従前から各部署にいる大将連は、昻然として、みな敢 と、言外に自信をほのめかしてから、こう云い足した。 『御口ずから大命を降したもう以上、これで充分ですが、願わえて服さない色を示していた。賀を陳べて来る者すらない。 くば文武の諸大将を悉く召して、厳かな儀式を営まれ、その上陸遜はすこしも気にかけるふうもなく、日を量って、 さず ( 軍議をひらくに依り参集あるべし ) と通告を発し、その日、 で御命の剣を臣にお授けください』 やむなく集って来た諸将を下に、彼は一段高い将台に立って、 孫権は、承知した。 そこで建業城の北庭に、夜を日についで台を築かせ、百官をこう云い渡した。 ほうけんいんじゅ 『自分が建業を発するとき、呉王は親しくこの身に宝剣印綬を 列し、式部、楽人を配して、陸遜を壇に登らせた。 つかさど いんじゅ そして呉王孫権手ずから剣を授け、また白、黄鉞、印綬、授けたまい、閾の内は王これを司らん、閾の外の事は将軍こ みだ れを制せよ。もし配下に紊す者あらば、まず斬って後に報ずべ 兵符などすべてを委して、 だいととくごぐんちんぜいしようぐん 自分は王のこの御信任に感泣して、 『いま足下をじて大都督護軍鎮西将軍とし、拝して婁侯の称しとまで仰せられた。 を贈る。以後、六郡八十一州ならびに荊州諸路の軍馬を総領せ一身を顧みるいとまもなくかくは赴任して来たわけである』 もうせつ と、まず抱懐の一端をのべて味方のうちにある根拠なき妄説 の一つを粉砕し、また、 と、陸遜に大権をゆだねた。 『軍中つねに法あり。王法に親なしとも云う。各部隊は層一 もし肯かずんば、敵を破るまえ 層、軍律を厳に守られたい。 に、内部の賊を斬らん』と、語尾つよく宣言した。 ぶっちょうづらそむ 諸人は黙然としてただ仏頂面を反けていた。するとその不満 しゅうたい 組の一人たる周泰がすこしすすんで将台の上へ呼びかけた。 おいみ 『さきに前線へ来て悪戦苦闘を続けておられたわが呉王の甥君 そんかん いりようしろ たる孫桓は、先頃から夷陵の城に取り籠められ、内に兵糧な りよもう まか ばってき こうえっ るこう ふんさい の 235
尹賞は仰天して、すぐ友の梁緒を訪い 、っそ城を開いて、蜀軍を呼び入れ、孔 巻『大死をするよりは、し の明に随身しようではないか』 原 と、一謗った。 丈 すでに馬遵の命をうけた軍士が、邸を包囲し始めたので、二 五 人は裏門から逃げ出して、城門へ駈け出した。 そして内から門を開き、旗を振って、蜀軍を招いた。待ちか まえていた孔明は一令の下に、精鋭を繰り込ませた。 まじゅん 夏侯楙と遵は、施す策もなく、わずか百余騎をひきいて、 えびす 蜀軍の武威は大いに振った。行くところ敵なきその形容は正 」門から逃げ出し、ついに羌胡の国境まで落ちて行った。 ほうふつ りようけん じよ・つけ、 原書三国志の記述に髣髴たるものが窺われる。 上邦の守将は、梁緒の弟梁虔なので、これはやがて、兄に説に、 テンスイナンアンアンティ コウメイ ショクケンコウネンフュ 蜀ノ建興五年冬、孔明スデニ天水、南安、安定ノ三 伏されて、軍門へ降って来た。 タイグン キザン グンセメト エンキンナビ かんてい 郡ヲ攻取リ、ソノ威、遠近ヲ靡カセ、大軍スデニ祁山ニ ここに三郡の戡定も成ったので、蜀は軍容をあらためて、大 ハヤクマラクョウキュク イスイ 出デ、渭水ノ西ニ陣取リケレ・ハ、諸方ノ早馬洛陽へ急ヲ 挙、長安へ進撃することになったが、それに先だって孔明は諸 ヒヒ いんしようき こうしようりよ、つしょ 告グルコト、霏々雪ノ飛ブガ如シ。 軍をねぎらい、まず降将梁緒を天水の太守に推し、尹賞を冀 S ・よ、つけんじようけ、 じよ・フれし このとき魏はその国の大化元年にあたっていた。 城の令とし、梁虔を上卦の令に任じた。 そ・つしん 国議は、国防総司令の大任を、一族の曹真に命じた。 『なぜ夏侯楙甜馬を追わないのですか』 まっと 『臣は不才、且っ老齢で、到底その職を完うし得るものであり 諸将が問うと、孔明は云った。 『馬の如きは、一羽の雁に過ぎない。姜維を得たのは、鳳凰ません』 ていそうえい かたく辞退したが、魏帝曹叡はゆるさない を得たようなものだ。千兵は得易く、一将は得難し。いま雁を みなしご ひま 『あなたは一族の宗兄、且つは先帝から、孤を託すぞと、親 追っている暇はない』 か - 一うも いしよう しく遺詔をうけて居られる御方ではないか。夏侯楙、すでに敗 れ、魏の国難迫る今、あなたがそんな事を仰せられては、誰が 総大将になって赴くものが居ましようそ』 王朗もともに云った。 しやしよく 『将軍は社稷の重臣。御辞退あるときではありません。もし将 軍が征かれるならば、それがしも不才を顧みず御供して、命を すてる覚悟で共に大敵を破りましよう』 もと りようしよと やしを一 ほ・つ」、つ おうろう 祁き の さん ゅ 340
火 散も、弱体化の因をなしているものであろう と魏軍では観 ていた。 この観測は、いつのまにか、司馬仲達の胸にも、合理化され ようす ていた。仲達がこの頃、甚だ心楽しげでいる容子を見ても、そ れと察せられるのである。 『戦況は有利に展けて来た』 彼は、或る日、捕虜の中に、蜀の一部将がいるのを見て、自 み、ゆ・つ 身調べた結果、心から左右にそう語っていた。 りよしょ・つ その虜将のロ述に依って、孔明のいまいる陣地も明確になっ 魏軍の一部は、次の日も出撃を試みた。その日も若干の戦果 を挙げた。 葫蘆谷の西方十里ばかりの地点にいて、目下、谷の城寨内 以来、機を窺っては、出撃を敢行するたびに、諸将それぞれへ数年間を支えるに足る大量な食糧を運び込ませているわけで てがらえ ころ 功を獲た。その多くは、葫蘆のロへ兵糧を運んでゆく蜀勢を襲あると云う。 りようまいゅしゃ き早一ん 撃したもので、糧米、輸車、その他の鹵獲は、魏の陣門に山積 『量るに、祁山には、孔明以外の諸将が、わすかに守っている じゅす され、捕虜は毎日、数珠つなぎになって送られて来た。 に過ぎまい』 ふるた 『捕虜はみな放して返せ。かかる士卒を殺したところで、戦力彼は遂に戦いの主動性を握って自身奮い起った。祁山総攻撃 じんじ を失う敵ではない。むしろ放ち返して、魏の仁慈を蜀軍のうちの電命は久しく閉じたる帷幕から物々しく発せられたのであ に言い触らしめた方がよい』 る。 おしげ 司馬懿は惜気なく捕虜を解いて放した。ここ久しく合戦もな時に息子の司馬師が父の床几へ向って云った。 、長陣に倦み、功名に渇していた魏の諸将は、われもわれも 『なぜ孔明のいる葫蘆を攻めずに、祁山を攻めるのですか』 と司馬懿のゆるしを仰いで戦場へ飛び出した。そして各功を 『祁山は蜀勢の根本だ』 競い、又かならず勝って帰った。そういう連戦連勝の日が約二 『しかし孔明は蜀全体の生命ともいえましよう』 きざんおそ 十日余りもつづいた。 だから大挙して祁山を襲い、わしは後陣として続くが、 『ーーー出て戦えば、勝たぬ日はない』 実は、不意に転じて、葫蘆谷を急襲し、孔明の陣を蹴ゃぶり、 たくわ 近頃では、それが魏の将士の通念になっていた。実際、往年谷中に蓄えている彼の兵糧を焼き払う考えなのじゃ。兵機は密 のおもかげもないほど蜀兵は弱くなっている。要するに、このなる上にも密を要す。余りに問うな』 ぶみん はかり 1 一とたた 水原因は多くの兵を農産や土木や撫民に用い過ぎた結果、軍その 『さすがはお父上』と、息子達はみな服して、父の計を称 ものの本質が低下したにちがいない。又陣地移動に依る兵力分えた。 水火 うカカ くち ろかく きざん ひら しよう じようみ、、
天血の如し 『然らば、御辺は、もっとも勇猛なる一軍をひきいて追え。たを垂れて無言だった。 おうへい と、王平がっと進んで、 だし、途中、一夜を野営して、兵馬の足を充分に休ませ、然る 後猛然と蜀軍へ突「こめ。ーー儂もまた強兵をすぐ「て第二陣『丞相。それがしが赴きましよう』と思い切 0 た語調で云「た。 孔明は、敢えて歓びもせず、 に続くであろう』と、にわかに考えを一転した。 精兵三万、つづいて仲達の中軍五千騎、弦を離れた如く、急『もし仕損じたらどうするか』と、反問した。 王平は悲壮な面色で、 追を開始した。しかしその速度を、びたと止めると、全軍、そ あす の日のつかれを休め、明日の英気を養 0 て、概すでに敵を呑む「成功するや否やなどは考えておりません一ただ今、丞相のお ことばには、この一戦こそ、蜀の興亡にも関わる大事と仰せら ものがあった。 かえり ふさい ほほえみ かくと殿軍の物見から聞くと、孔明は初めて、うすい微笑をれました故、不才を顧みるいとまなく唯一死を以 0 て国に報ぜ おもて 面に持った。生唾を呑むように、待ちに待っていたものなのでんとするあるのみです』 『王平は平時の良才、戦時の忠将。その一言で可し。しかし魏 ある。 ちょうこう の大軍は、二段にわかれ、前軍張部、後陣司のあいだは、 孔明はその夜、諸将をあつめて、悲壮なる訓示をなした。 まみ、 「この一戦の大事は、いう迄もない。蜀の運命を決するは、正正におのずから死地そのものだ。わが命じるところはその死地 に今日にある。等みな命をすてて戦え。味方一人に敵数十人の間に入 0 て、戦えという無理な兵法なのである。いわゆる捨 身の戦いだ。なお赴くか』 をひきうけて当るほどな覚悟をもて』 孔明は更に云った。この強敵の背後へ迂回して、却って、敵『断じて赴きます』 おびや 『では、もう一軍添えてやろう。たれか王平の副将として赴く のうしろを脅かす良将がここに欲しい。それには誰がよいか みずからこの必死至難な目的に当ってよく為し遂げんと名乗っ者はいないか』 『それがしにお命じ下さい』 と座中を見まわした。 て出る者はいないか 『だれだ。名乗った者は』 ぜんぐんととくちょうよく 『前軍都督張翼です』 ばんぶふとう 誰も答える者もない。われこそと名乗り出て、その至難に赴『せ 0 かくだが、敵の副将張部は、万大不当の勇、張翼では相 手に立てまい』 こ、つとい、つ亠喧がなし ふるた それもその筈。ー、ー孔明は、この大事に赴く者は、智勇胆略聞くと張翼は、残念が「て、奮い立 0 た。 『丞相には何事を仰せある。それがしとて死を以って当れば恐 の兼ね備わっている良将でなければ用い難いー・ーと前提してい るる者を知りません。もし、卑怯があったら、後、この首をお るのである。 刎ね下さい』 孔明のひとみは、魏延の顔を見た。しかしその魏延ですら首「それ程いうならば、望みにまかせてやろう。王平と汝と、お なまつば おもむ つる かえ しなんゅ まイ、 だん たたか ゅ ようこう ひきよう ちょうよく イ 01