『それがしの亡き父こそ、実に今日の戦をーーまた私の働きを空をにらんでいるうちに、一列の雁行が真上にかかるや、関興 かつもく つるおと 巻ば、地下に於いて、刮目して待っているものです。なんで、先は、弦音たかく一矢を放った。 かり の鋒の一陣を、余人に任せてよいものですか。ぜひとも先鋒の役 一羽の雁は、矢うなりと共に、その矢を負って、ひらーと地 は、それがしに命じ賜わりますように : に落ちて来た。余りの見事さに、文武の諸官声をそろえて、 師 ちょうほう すると張苞が、 『射たりや、射たり』 出 かんこうごへん と賞め称え、嘆賞のどよめきが暫し絶えなかった。 『やよ関興。御辺は何の能があって、敢えて自ら先鋒を望む 張苞は、躍起となって、 か』と、横から云いかけた。 関興はにことして、 『ゃい関興。弓ばかりでは戦陣の役に立たんぞ。汝は、承をあ つかう術を知っているか』 『我れいささか箭をたしなむ』 ちょうほう と、呶っこ。 と答えた。張苞もまた、 『武芸なら余人におくれをとる張苞ではない。此の方とて張飛関興も負けてはいず、すぐ馬に跳び乗って、 『たくさんは知らぬが、まずこのくらい』 の子だ』 と、退かない色を示した。 と、剣を払って、張苞の頭上に擬した。 ようす 『なにを、猪ロ才』 玄徳はあいだにあってこの我きには難儀な容子を示していた と、張苞も亦、父の遺愛たる丈八の承を持って、あわや一戦 に及ば、つとした。 『では、二人して、互いの武技を競うてみよ。勝れたる者へ、 いんじゅ 『ひかえろ ! 子ども等』 印綬を降さん』と、云い渡した。 玄徳は上から叱って、 『さらば、見給え』と張苞は気負って、まず三百歩の彼方に、 まと 『そちたちは、父の喪もまだ明けたばかりなのに、何で味方同 旗を植えならべ、共の旗の上に、紅の小さい的を付けて、弓を あや いっせんいっせんこうてき 放つに、 一箭一箭、紅的を砕いて、一つとして過まらなかっ士の喧嘩をするか。そもそもお前達の父と父とは、義を血にす すり、親を魂に結んでいた仲ではないか。もし一方に傷でも負 わせたら、泉下の父は、どのように嘆くことか』 『さすがは、張飛の子よ』 かつ、い と、関興もまた次『はっ』と、ふたりは矛をすて馬をとび降りて、共に、その頭 と、諸人は万雷の如き喝采を送った。 を、階下の地にすりつけた。 に、弓を把って前に進み、 ちょうほうゆんぜい 『これからは亡き関羽と張飛も同様に、汝らも仲よくせよ。そ 『張苞の弓勢ごときは、何も奇とするには足りない。広言に似 おと はんげつ たれど、わが箭のゆく先を見よかし』と云いながら、身を半月して年上のはうを兄と定め、父に劣らぬ交りをしてゆくがよ し』 の如くそらし、引きしばった箭を宙天に向けた。 かり 帝のことばに、二人は再拝して違背なき旨を誓った。関興は 折々、雁の声が、雲をかすめていた。しばらく息をこめて、 のう くだ すぐ しん たた ちょこぎい やっき かん - 一う 220
さきに先陣を争って、喧嘩になりかけた例があるので、帝玄こがれていた。 漸く、その二人は、馬を並べて引き揚げて来た。見れば一人 徳は、 たんゅう おとうとちょうほ・つ の敵将を捕虜として連れている。呉でも有名な譚雄という猛者 『義弟の張苞もつれて行け』と、条件付きでゆるした。 ちょうひ み ~ ・ん・つ 関羽の子、張飛の子、ふたりは勇躍して、手勢をわけ、まるだった。これを追って生け捕るために、関興は味方を遠く離れ くろつむじ てしまい、やっと張苞に会って共に帰って来たのだと、帝へ語 で黒旋風の如く、呉軍のなかへ駈け入った。 ふしゅうちょうなん っ一 ) 0 玄徳はすぐ馮習、張南の二大将を呼び、 わかものばら 『心もとない。いずれもかかる大戦に臨むのは初めての若者輩『どっちも、父の名を辱かしめない者だ』 帝玄徳は二つの手で、二人の肩をたたいて賞めた。そして譚 だ。すぐ強兵をすぐって彼等の後につづけ』と、命じた。 ・一んばく かがい・び 結果は、実に蜀の大勝利とな「た。呉の大将孫桓も若いし机雄の首を刎ね、篝火を焚いて、人馬の魂餽をまつり一同へ酒を じゅうりん かんこうちょうほうかんぶ 陣でもあったので、関興、張苞に完膚なきまで全陣地を蹂躪さ賜わった。 そんかん ちょうほう しやせい たの れた。しかも左右の旗下と恃んでいた謝旌は張苞に討たれてし序戦に大敗を喫したのみか、三人の大将迄討たれ、呉の孫桓 あた は慚愧した。取敢えず陣を一歩退いて、 まうし、李異は矢に中って逃げるところを、うしろから迫った はじそそ 関興のために、その大青童刀で真二つにされてしまうという惨『この辱を雪がずんば』と、備えを立て直し、兵は多く損じて しれつ も、戦意はいやが上にも熾烈だった。 敗を蒙ったのであった。 蜀軍は、徐々と次の戦機を窺いながらも、 ただ、張苞は余り深入りしたので、気がついて引っ返そうと 『あの意気では、ふたたび同じ戦法で行っても、先頃のような 。もしやと、更に敵中へ駈け入っ すると、関興の姿が見えない 決勝はつかめまい』 て、 ふしゅうちょうなんちょうほうかんこう 馮習、張南、張苞、関興、すべて同意見だったので、一計を 『義兄。義兄よ』 と声かぎり探していた。父関羽も父張飛も、ふたりの勇とこめぐらしひそかに手配にかかった 呉の左翼たる陸軍は破れても、近き江岸にある右翼の水軍は の情誼に、霊あらば地下で哭いていただろう。 しようかいたい むきず まだ無傷だった。その江岸の哨戒隊が或る日、蜀の一兵を捕え ととくぶ て、水軍の都督部へ引っぱって来た。 『どうして捕まったか』 曠野に陽も落ちて、あたりが真っ暗になっても、まだ張苞は 『道に迷いましたので』 戦帰らない。関興も帰って来ない。 たいしよう 『何で味方の陣を離れてこんな所へ迷って来たのだ』 『きようの戦は、味方の大捷』 ふしゅう のと、続々引き揚げて来る将士の声をきいても、帝玄徳はさら『主人馮習の密命で、今夜、孫桓の陣へ火を放って、夜討ちを ようす かけるから、昼の間に、附近へ潜んでいろと、五十人ばかり出 此に歓ばない容子で、 『ふたりはどうしたか』と、野辺の陣に立って、ひたすら待ちて来ましたが、後から油を運んで来るあいだに、部隊の者とは じん んき たん
『いや、御下向を待って、親しく御指揮を仰いだ上でと考えちてわが手にあり、汝等も無益な戦いやめて、わが前に盗を投 巻て、まだ一度も戦っておりません』 の「孔明としては、必す即戦即決を希望しているだろうに、敵も孔明は四輪車のうえから呼ばわりつつ、むらがる敵を前後の はかり 1 一と 悠々とあるは、何か大なる計があるものと観ねばならぬ。旗本に討たせながら、郭淮、孫礼の方へそれを押しすすめて来 ろうせい 丈 隴西の諸郡からは、何の情報もないか』 五 『諸所みな守り努めているようです。ただ武都、平の二郡へ 『よし、この眼に孔明を見たからには、討ちもらしてなるもの 遣った連絡の者だけ、今以って帰って来ません』 おめあ 『さてこそ。孔明はその二郡を攻めようとしているのだ。貴公 二将は喚き合って血の中へ挺身して来たが、王平、姜維の二 かんどう 等は、間道からすぐ二郡へ救援に行け。そして守備を固めた軍に咄まれ、且つ手勢を討ち減らされて、 彳示山のうしろへ出よ』 『いまは、ぜひなし』と、無我無性、逃げ出した。 ′、わい そんれい ・し、つ」 . フ 郭淮と孫礼は、即夜、数千の兵をひきいて、隴西の小道を迂『待てつ。尚ここに、蜀の張苞あるを知らないか。張飛の子、 みようが 回した。 張苞に面識をとげて行かぬは、冥加でないそ』 途中ふたりは、馬上で語り合った。 、いかけた者は、名乗るが如き張苞だった。しかし、敵の逃 すぐ めくらめつばう 『貴公は、孔明と仲達と、いずれが優れた英才と思うか』 げるのも盲滅法だったし、彼の急追も余りに無茶だったので、 『さあ ? どちとも云えないが、敵ながら孔明が少しすぐれて松山の近い岩に、その乗「ていた馬が躓いたとたん、馬もろ 居りはせぬかな ? 』 共、張苞は谷の底へころげ落ちてしまった。 『しかし、こんどの作戦などは、孔明より仲達の方が、鋭い所あとに続いていた蜀兵は、それを見ると、 を観ているようだ、祁山のうしろへ出られたら、孔明とて狼狽『やや。張将軍が谷へ落ちた 』と、逃げる敵もさておいて、 するだろう』 みな谷底へ降りて行った。あわれ張苞、岩角に頭を打ちつけた すると夜の明けがた頃。 ため重傷を負い、流れのそばに昏絶していた。 先頭の兵馬が急に騒ぎ出したので、何事かと見ると、一山の かんじようしようしよかつりよう 松林の中に、『漢の丞相諸葛亮』としるした大旗がひるがえ もうもう 、霧か軍馬か濛々たるものが山上からなだれて来る。 郭淮と孫礼が惨たる姿で逃げ帰って来たのを見ると、仲達は 『ゃ。おかしいそ』 慙愧して、却って、ふたりへ詫びた。 ざん 云っているまに、一発の山砲が轟いた。それを合図に、四山『この失敗はまったく貴公の罪ではない。孔明の智謀がわれに きん・一 か ~ ′、・わい 金鼓の声をあげ、郭淮、孫礼の四、五千人は、完全に包囲され超えていたからだ。しかし、この仲達にもなおべつに勝算がな し 4 ・つび た形となった。 いでもない。貴公たちは雍・郡の二城へわかれて堅く守ってお 『夜来の旅人。もはや先へ行くは無用。隴西の二郡はすでに陥れ』 や 力、 そんれい ろうせい ろうせい ん お ざんき かくわい かくわい こんぜっ つまず きようい カぶと 398
ようと大いに努めた。 は何でもない。かねての密計はその後で行える故、懸念なく、 したた 日しいかにも信じきったように、彼の云うことばへいちい城門を開き給え ) と、認めてある。 うなず ち頷いていたが、 夏侯楙に見せると、夏侯楙は手を打って、 お 『ーーでは先に、御辺と共に蜀軍へ来た百余名の降人がおるか『孔明すでにわが逆計に墜ちたり、すぐ二人を殺す用意をして ら、あれを連れて行ったらいいだろう。あれなら元から御辺のおけ』 部下だから、御辺の為には手足となって、命を惜しまず働くに と、屈強の兵数百人に剣槍をしのばせて、油幕の蔭に伏せて かんこうちょ、つほう ちがいなし』 おき、その上で崔諒、ならびに関興、張苞のふたりを待った。 『結構です。が、丞相も屈強な一隊を連れて、共に城中へ紛れ 入られてはいかがですか。一挙に大事を決するには』 『虎穴に入らずんば虎児を獲ず。もちろん孔明たりともそれく 『いざ。お通りあれ』 かん - 一うちょう よ、つ・よう らいな勇気はないではないが、まず、わが軍の大将、関興、張楊陵は中門まで出迎えた。すぐその先に本丸の堂閣があり、 苞ふたりを先に御辺の隊へ加えてやろう。その後、合図をなせ前の広庭に、戦時の油幕が設けてある。 ば、直ちに孔明も城門へ駈け入るとするから』 『御免』 かん - : っちょうほ・フ み、いりト、つ ちょうほ・つ 関興、張苞を連れてゆくのは少し工合が悪いがと、崔諒はた 関興が先に入った。次に、張苞を通そうと思って、崔諒が体 めらったが、それを忌避すれば疑われるにちがいなし女かを避けると、 じよみ、い かわ ず、まず二人を城中で殺してから、次に孔明を誘き入れ、予定『さあ、お先に』と、張苞も如才なく身を交して、彼の背を前 ぬき、っち の目的を遂げるとしよう。ーー・崔諒はそう肚を決めて、 へ押し出した。そして抜打に とつ、 『承知しました。では、城門から合図のあり次第に、丞相もか『崔諒つ。汝の役目は終った』と、叫んで咄嗟に斬り伏せた。 ならず時を移さず、開かれてある門から突入して下さい』と、 と共に関興も先に立ってゆく楊陵へ飛びかかって、不意 かたく念を押した。 に背から剣を突き通した。そして大音に、 うんっき 日暮をはかって、一隊は南安の城下に立った。かねての約束『関羽の子、関興を易々入れたるこそ、この城の運の尽だ。者 ようりよ・つやぐら み、いりよ、フ どおり楊陵は櫓に現われて、何処の勢そ、と呶鳴った。崔諒も共、犬死すな』 S ・よ S ・よく 声に応じて、 と呼ばわりつつ、縦横に血戦を展き、膂力のつづく限り暴れ て『これは、安定より駈けつけて来た味方の勢にて候。仔細は廻った。 し 、いりらノ しよくじんとら ヒ日 矢文にて』と、用意の一矢を射込んだ。 崔諒が安心して連れて入った百余名の旧部下も、蜀陣に囚わ ようりよ - っ を楊陵がそれを解いて見ると、 れているうち、深く孔明の徳になずみ、加うるにこれへ臨む前 かんこうちょうほう ばつばっ に恩賞を約されていたので、この騒動が勃発するや否や、云い 中 ( 。ーー孔明は用心深く、関興、張苞の二将を目付として、この 隊の中につけてよこした。然し、城中で二人を殺してしまうのつけられて来た通り、八方へ駈け分けて、混乱に乗じて火を放 きひ え いず - 一 おび そうろ、つしさい し ま やすやす ひら ゅまく 337
しよく 大暑七月、蜀七十五万の軍は、すでに成都を離れて、蜿蜒と 行軍をつづけていた。 れ 孔明は、帝に侍して、百里の外まで送って来たが、 『ただ太子の身をたのむ。さらばぞ』 しゅうぜん み と玄徳に促されて、心なしか愁然と、成都へ帰った。 の 雁すると、次の日。 野営を張って、途中に陣していると、張飛の部下、呉班と はんきようちょうたっ いていた。范疆、張達の兄弟だった。張飛の寝息を充分にうかう者が、馬も人も汗にぬれて、追いついて来た。 ふところ 『ごらん下さい これを』 がいすまし、懐中の短剣をぎらりと持つや否、 ひょう 息を喘って、ただ一通の表をさし出した。侍側の手から受取 『、つぬー・』 と一声、やにわに寝姿へおどりかかって張飛の寝首を掻いてって、玄徳は一読するや否、 しまった。 『あっ ? 張飛が ! 』 ろう - 一う ぐらぐらと眩いを覚えたらしく、あやうく昏絶しそうになっ 首を提げて、飛鳥の如く、外の闇へ走ったかと思うと、闃江 ひたい のほとりに待たせてあった一船へ跳びこみ、一家一族数十人とた額を抑えて、その後、 ともに、流れを下って、ついに呉の国へ奔ってしまった。 うめ こうかんおし せいじよう 実に惜しむべきは、張飛の死であった。好漢惜むらくは性情と、ただ唸いていた。 粗であり短慮であった。まだまだ彼の勇は蜀のために用うる日手脚はおののき、顔色は真っ蒼に変り、額から冷たい汗をな は多かったのに、桃園の花燃ゆる日から始まって、ここにそのがしていたが、やがて、 『むしの知らせか、昨夜は、二度も夜半に眼がさめて、何とな 人生を終った。年五十五であったという。 こころおどろ 、魂が愕いてならなかったが : と、つぶやき、やがてさんさんと涙して、 『ぜひもない宿命。せめてこよいは祭をせん。壇を設けよ』 と、白い唇からカなく云った。 よくちょう 翌朝。この地を立とうとすると、ひとりの若い大将が、白い ひたたれ しろがねかぶとよろい 戦袍をつけ、白銀の盗甲を着て、一隊の軍馬をひきいて、こ れへ急いで来た。 ちょうほう 『張飛の嫡子、張苞です』 と名乗ったので、直ちに、玄徳の前へ導くと、玄徳は見て、 『オオ、父に似て、勇ましい若者。呉班とともに、朕の先陣に 立つか』 と、悲しみのうちにも一つの歓びと、大いに気をとり直した 様子であった。 ちょうほ、フ 張苞は答えて云う。 せんて 『どうそ先手の端にお加え下さい。そして父に代って、父に勝 いるてがらを立てなければ、父も九泉の下で浮かばれまいと思わ 雁のみだれ ・カ・り・ じ えんえん めま さお よなか だん まみ、 刀 7
冬将軍 っていたが、 帝玄徳は告げる者に笑って、 『さてさて、死神にでもとりつかれたか。というて見殺しにも 『いや黄忠は今朝ここにおった。さだめし老気を励まして呉へ つぶや 出来ずーーー』と、あわてて一軍を追い慕わせた。 討ち入ったものであろう。朕の述懐こそ心なき呟きであった。 はんしよう あやま ふびん あわれや彼も七十の老武者、過ちさせては不愍である。関黄忠はやがて呉の瑶璋の陣中へかかった。わずか十騎で平然 と中軍まで通ってしまったのである。変に思って番兵が味方を 興、張苞、すぐ行って彼を救え』と、云った。 玄徳の推察は過まっていない。実に黄忠はその通りな気もち呼び立てたときは、彼はすでに主将燔璋と戦っていたのであ る。 で、わずか十騎をつれて、敵中に一働きして見せんと、途中、 りよ、つ 『関羽が仇を報ぜんと、単騎ここに来る。かくいうは蜀第一の 味方の夷陵の陣地を通った。 ふしゅうちょうなん 老骨黄忠なり』 馮習、張南が、見かけて、 と、そこの帷幕へ迫って大声に名のりかけたからである。 『老将軍、どこへ行くのか』と、たずねた。 戦線に異変なく、中軍の内から起った戦である。瑶璋の外陣 黄忠は、慨然と、帝の述懐を物語って、 がしゅんせき 『帝は賀春の席で帷みな多くは老い、物の用に立つものが少はみな前をすてて、中心へかたまって来た。 のたも いと宣うた。それがし、年七十にあまれど、なお十斤の肉を啖そこへ張南の一軍が、黄忠を援けに来た。また少しおくれて あば かんこうちょうほう ひじ 、臂に二石の弓をひく、故に、これから呉軍に一泡ふかせ関興、張苞が、数千騎をつれて吹雪のように翔け暴れて来た。 はんしよう て、帝の御心を安んじ奉ろうと思うのでごぎる』と、馬から降乱軍となって、瑶璋は討ちもらしたが、合戦としては十二分の 捷を占めて、いちど蜀は野を隔てた。 りもせず答えた。 『御無事でよかった。さあ老将軍、帰りましよう』 『老人。それは無茶だ』 ひやみず 張南は極力なだめた。それこそ年寄りの冷水といわないばか張苞、関興などが引き揚げをうながすと、 『まかな』 と、老人はうごかない 彼は諫めて云う。 いまや呉の陣は去年とは内容が一変してい けんぎよう そんかん 関羽のかたき奴を討ち果さ る。若い孫桓を後方に下げて、前線は、新たに建業から大軍を『あすも戦うのだ。次の日も。 はんしよう しゅうたい かんとう ひきいて来た韓当、周泰など老練を配し、先手には瑶璋、うしんうちは』 り、、つレ : っ いくみ一じよ・つず ろ備えには凌統、そして呉随一の戦上手といわれる甘寧が全軍そして翌日はまた、この七十余齢の武者は、突撃の先に立っ をにらんで遊軍という位置にある。しかもその数十万という新て、 鋭。そんな所へわずか十騎をつれて何しに参られるか、と教え『燔璋、出でよ』と、四角八面にあばれ廻っていた。 けれど、きようは呉にも、備えがあった。彼は地の利の悪し 且つ大いに笑った。 きち のが そこもと しかし黄忠は耳にもかけず、其許たちは見物して御座れ、と危地へ取り籠められた。血路をひらいて遁れようとすると、四 しゅうたい ふしゅう 一一一旨云い捨てて行ってしまった。張南、馮習はあきれ顔に見送方から石が飛び黒風が捲いて来た。そして右の山から周泰、左 きん かち たす よれい した め 229
『これは油断がならん。味方のうちからいっ暴動が起るかもし に別れを告げて立ち去った。 ばちゅう れない。蜀帝の憎み給うものは、むしろ馬忠にちがいない。い 巻すると麓の方から燔璋の部下の馬忠が上って来た。見ると、 の主人の首を鞍につけた若武者が降りて来る。しかもその手に抱ま、われらして馬忠の首を持ち、蜀帝のまえに赴いて前非を悔 師えているのは、主人燔璋が、関羽を討ったとき功に依って呉王ゆるなら、きっとお許しあるは疑いもないことだ』 えんげつせいりゅうとう と相談して、自分たちの首を取られない前に 一夜彼等は馬 から賜わった、関羽が遺愛の有名なる偃月の青竜刀だ。 出 どはっ み、カ なにやっ 『ゃあ、何奴なれば』と、怒髪を逆だてるなり馬忠は打ってか忠の寝首を掻いた。そしてその首を取るや否、脱走して蜀の陣 へ駈け込んでしまった。 かった。関興はオオッと迎えて、これも父の仇の片割れ、いざ 来いと、力を尽して闘った。 たいまっ びよう ときに一彪の軍馬が炬火を振って登って来た。玄徳の命をう びほうふしじん どりゅう 糜芳と俥士仁のふたりを脚下に見ると、帝玄徳は怒童のごと けて、関興を探しに来た張苞の一軍だった。 げきしよく ののし 『すわ、大敵』と、馬忠は逃げてしまった。張苞、関興のふたき激色をなして罵った。 りは手を携えて味方の本陣へ帰り、帝にまみえて燔璋の首を献『見るも浅ましき人非人ども、なんの面目あってこれへ来た か。ひとたび窮すれば、関羽を呉へ売り、ふたたび窮すれば、 呉を裏切って馬忠の首を咥え来る。その心事の醜悪、行為の卑 会戦このかた、連戦連敗の呉軍は、また瑶璋を亡ってから、 れつ 劣、大畜生と云うもなお足らぬ。もし汝等をゆるさば百世の武 士卒のあいだには、 すた 『とても蜀には敵わぬ』 門を廃らし、世の節義は地に腐えるであろう。更に関羽の霊位 ただよ ーーー関興関 に対しても、断じて生かしておくことはできない。 という空気がどことなく漂って来た。 ・ト、 2 - っ あ・こ もともとこの軍には、さきに関羽を離れて、呉の呂蒙へ降参興、この伽二人は汝に授ける。首を刎ねて、父の霊を祭るがよ けいしゅうへ し』 した荊州兵が多かったので、蜀帝にたいしては戦わないうちか こおど 関興は、雀躍りして、 ら一種の畏怖を抱いていたし、中には二心の者も相当にあっ 『ありがと、つ、こき、いまする』 と両手にふたりの襟がみを掴んで、関羽の霊前まで引摺って それらの兵は、この負け続きの虚に乗って、 『蜀の天子が憎んでいるものは、蜀を裏切って、関将軍を敵に行き、首を斬ってそこに供えた。 しお びほう・ふしじん 本望をとげた彼のよろこびに引き代えて、張苞は、ひとり悄 売った糜芳、傅士仁の二人だ。だからあの二人の首を取って、 蜀帝の陣に献上申せば、きっと重き恩賞を下さるにちがいなれていた。帝はその心事を察して、 『まだ汝の亡父を慰めてやれぬが、やがて呉の国に討入り、建 し』 そそ ちょうほ、フ しりより * 一み、や 業城下に迫る日は、必ず張飛の仇も雪がずには措かぬ。張苞 と、寄々囁いて、不穏な兆候をあらわした。 びほうふしじん よ、悲しむなかれ』と、宥わった。 糜芳、俥士仁は、身の危険を感じ出すと、 かな うしな にんびにん いた す ゅ ひきず ひ 232
それがしがお供いたしますから、一日、下山して、蜀の陣まで捨て、百帖の紙をみな反古にした。 そして、最後の一枚には、一箇の人形が仰向けに臥して、そ 御足労願われますまいか』 ばに一人の人物が土を掘ってその人形を埋めようとしている態 慇懃、礼を尽して云った。 を図に描いた。李意は少し筆をやすめて自分の絵を見ていた 李意は渋っていたが、 みことのり 『勅とあれば、ぜひもない』と、黙々、陳震について、山をが、やがてその図の上に一字『白』と書いて筆を投じ、 おそ 『どうも畏れ多いことで』と、何やら意味のわからない事を呟 降りて行 ? た。 きめ・ いて玄徳を百拝し、霧の如くすうと帰ってしまった。彼の去っ 玄徳は、やがてこの仙翁を前に、忌憚なく述懐して質問し たあとを眺めて、玄徳はよろこばない顔色をしていた。そして かんう ちょうひふん ちんじゃっかん 『すでに存じてあろうが、朕は弱冠のときより関羽、張飛と刎近側の大将たちへ、 じゅうばほんめい まじわ の交りを結び、戎馬奔命の中に生きること三十余年、ようや『つまらぬ者を迎えて、無用な暇をつぶした。おそらくは狂人 ちゅうざんせいおうえい しよく く蜀を定めて後、諸人は、朕が中山靖王の裔であるところからであろう。はやくこの紙屑を焼きすててしまえ』と、 た おし 帝位に推すすめ、ここに基業を創てたが、計らずも、朕の義弟た。 ちょうほう しゅう ときに、張飛の子張苞が、帝座の下に来て、かく告げた。 二人は害せられて、その讐たる者はことごとく呉の国に在る。 故に、朕は意を決し、呉を伐っ為、これまで進発して来た途中『すでに前面へ呉の軍があらわれたようです。どうか、私に先 きたん うらな いかが であるが、前途の吉凶如何あろうか。忌憚なく、仙翁のトう旨陣をお命じください』 を聞かせてもらいたい』 李意は、膠もなく云った。 てんすう ちょうほ・つ 『それは分りません。総て天数ーー・・・すなわち天運ですから』 『オオ、壮んなる哉、その志。張苞、はや行って、功を立て おう 『翁は、その天数にくわしいと承る。ねがわくば易を垂れよ』 さんちゅうせんじん ちょうほうさす 『山中の賤人。何そ、そのような大宇宙の事をよく知り得ま玄徳は、先鋒の印綬を取って、手ずから張苞へ授けようとし しよ、つや』 た。すると、階下の諸将の中からやにわにこう云う者があっ と、つか、一一一 = ロなり 『いやいや、それは翁の謙遜にちがいない。・ と、朕に教えてくれ』 『陛下。しばしお待ち下さい。先鋒の印は、、 カく申す私にこ ま れ そ、曲げてお授け賜わるように』 再三の下問に、李意もとうとう否みかねたか、 もくわん 『では、紙と筆をこれへ』と求め、やがて黙然と、何か描き出誰かと、諸人目をそばだてて声の主を見ると、関羽の次男関 み 興であった。 の 雁見ると、児どもの画のように、兵馬武器の類を描いて、それ関興は進み出て、地に拝伏し、涙をながして、なお帝に向 0 を又、片つばしから破いては捨てた。画いては捨て、画いてはて訴えた。 いんん けんそん いな きたん たぐい えきた おとうと こう ) 0 さか ちょうひ さず いんじゅ かん
はんきようちょうたっ そして、二醜は、 ところがこの頃すでに、その仇なる范疆、張達の両人は、身 を鎖でめられ、檻車に乗せられて、呉の建業から差し立てら『孝子へ与えん』 と、張苞の手にまかせた。 れ、道中駅路駅路で庶民の見世物に曝されていたのであった。 ュなせかとい、つに。 張苞は、額をたたいて、 『これそ、天の与えか』 相継ぐ敗戦の悲報で、呉の建業では、常に保守派と視られる たいとう と、躍りかかって、檻車の鉄扉を開き、ひとりひとり掴み出 一部の重臣側から、急激に和平論が搾頭していた。この一派の とみ、つ して、猛獣を屠殺するごとく斬り殺した。 意見としては、 そして、二つの首を、父の霊に供えて、おいおい声をあげて ( 元々、蜀は呉と結びたがっていたものだ。それが今日のよう ー 4 ・ト - も、つ はんしよう てきがいしん に国を挙げて敵愾心を奮い起して攻めて来たのは呂蒙、燔璋、哭いた。呉の使の穰は、それをながめておぞ毛をふるった。 ていへい ふんど ふしじんびほう 傅士仁、糜芳などに対する憤怒で、今はそれ等の者もみな亡ん玄徳は沈黙している。そこで程秉が、 ごまいくん はんきようちょうたっ 『主君の仰せには、呉妹君をもとの室へお返しして、ふたたび でしまった。残っているのは、范疆、張達の二名に過ぎない。 よしみ しかしあんな人物の為に、呉の夥しい代償を払う理由などは毫長く好誼をむすびたいと、切に御希望しておられる次第です もない。早々召捕って、張飛の首と共に、蜀の陣へ返してやる べきである、 そして荊州の地も玄徳へもどしてやり、呉妹と回答をうながした。 びたい ひょう 玄徳は、明瞭に、その媚態外交を、一蹴した。そして、 夫人も元の室へお送りあるように、表を以て和を求めたなら、 おと 蜀軍はたちまち旗を収め、これ以上、呉が天下に威信を墜すこ『朕のねがいはこれしきの事にとどまらん。呉を討ち、魏を平 なら とはないであろう。現状の推移にまかせていたら、ついにこのげ、天下ひとつの楽土を現じ、光武の中興に倣わんとするもの 建業の城下に蜀の旗を見るような重大事に立ちいたるやも測りである』 と明かに宣した。 知れぬ ) と云うのであって、それには勿論、主戦派の猛烈な論争も火 の如くされたが、結局、一日戦えば一日呉の地が危く見えて 来たので、孫権もそれに同意する結果となってしまったのであ る。 望 で、程秉を使者として、書簡をささげて、狒亭へいたらしめ しゅう はんきようちょうたっ かんしゃうちとら 大た。すなわち彼は、檻車の中に囚えて来た范疆、張達の二醜に はこしおびた じんこ・つめいばく 霊添うるに、なお沈香の銘木で作った匣に塩浸しとした張飛の首 慰を封じ、併せて、蜀帝玄徳の前にさし出した。 玄徳はこれを納めた。 かんしゃ さら み しゅ、つ 233
か 要するに、損害は互角だった。またその戦力も伯仲していた 屍山血河。馬さえ敵の馬を咬んで闘い狂う。 おびただ ものといえよ、つ。 蜀の損害も甚しいが、魏の精兵もこの一刻に於いて夥しく ちょうおうへい けれどこの一戦で魏将の討たれた数は蜀以上のものがあり、 撃たれた。その上、蜀の張嶷、王平の二手がうしろへ廻って出 かいめつ 史上、記すにいとまなきほどであると云われている。 た為、三万の兵ことごとく潰滅し去るかと危ぶまれた。 然し、すぐこの後に於いて、蜀にも一悲報が来た。それはさ ところへ、魏の主力、司馬仲達の主力が着いた。 ちょうほ・つ ちょう 蜀の王平と張嶷とは、初めから進んでその危地に入っていたきに負傷して成都へ還っていた張飛の子張苞の死であった。破 しょ・つふう 傷風を併発してついに歿したという知らせが孔明の手もとに届 ので、彼等は覚悟の前とし、直ちに、 『諸軍、命をすてて戦え』と、この新手へ向き直って奮迅し ああ 『噫。 : : : 張苞も死んだか』 ひた かばね 第一せいきようかん 鼓声叫喚は天地を晦うし、血はこんこん蹄を浸し、屍は積孔明は声を放って哭いたが、とたんに血を吐いて昏絶した。 るいるい その後、十日を経て、漸くすこし元気をとりもどしたが、年来 んで累々山をなしてゆく。 きようい のつかれも出たか、容易に以前のような健康に回らなかった。 時に、蜀の姜維と廖化は、 うれい にしきふくろ 『今こそ、あれを』と、かねて孔明から授けられていた錦の嚢『かなしむな。予の憂を陣上にあらわすな。われ病むことを、 よ・つ れいきっ もし仲達が知ったら、大挙してふたたびこれへ来るだろう』 を解いて見た。令札に一行の命令がしたためてあった。日く。 せいきしゆくしゆく イスイギホンジン 汝等二隊ハココヲ捨テテ司馬懿ガ後ニセル渭水ノ魏本陣孔明はそう戒めて、旌旗粛々、漢中へ帰った。後で、知った 仲達は、機を覚らなかったことを大いに悔い、また顧みて、 ヲ衝ケ。 S ・ようか 至底、人智を以って測りがたいものがある』と、 山伝い、峰伝いに姜維と廖化の二隊は、逆に、潜水方面へ馳『彼の神謀は、リ 以後いよいよ要害を固め、洛陽に還って委細を魏帝に奏した。 しよう りゅうぜん その頃また孔明も久しぶりに成都へもどり、劉禅を拝して、相 司馬懿仲達は、これを知ると、色を失った。 しりぞ ふ あ 府に退き、しばし病を養っていた。 『呀。 。長安の途が危くなる ! 』 魏はにわかに総退却の命をうけた。すなわち仲達の主力以 下、眼前の惨敗を打ちすてて、急遽、渭水の固めに引っ返した のである。 し さしもの大戦も暮れた。 如 夜に入るも月は赤く、草に伏す両軍の屍は、実に、万余の の 数を超えていたといわれる。 血 かち 天『勝った。わが軍の捷だ』 魏はいった。蜀も唱えた。 ッ ナンジラ くろ みち さず しかばね かた せんすいほうめん しる よ かえ イ 03