都督 - みる会図書館


検索対象: 三国志(三) (吉川英治)
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1. 三国志(三) (吉川英治)

仰ぐ』 由を副都督の郭淮に語ると、 と、暗に魏帝の出馬なり、司檠の援助を求めてきた。けれ「それは朝廷の御意見でも何でもない。すなわち司懿仲達の弸 のど仲達は、何か思うところあるらしく容易に起たない。そして見ですよ』 魏帝にむかっては、 と、穿って笑った。 そうへいととく 丈 『このときこそ、総兵都督の頑張るべきときです。御使を以っ 『誰の見でもよいが、この見解の可否はどうだ』 五 じゅう て、丁寧にいましめられ、孔明の虚実にかかるな、深入して重『悪くはありません。よく孔明の兵を観ています』 ち 地に陥るなと、呉々も、持久をおとらせなさるように』 『が、もし、蜀の勢が、こちらの思うように退かなかった場合 と、献一言ばかりしていた。 しやで そうした仲達の態度には、自分が総都督たるならば大いに格『王双に計をさずけ、小道小道の往来を封じさせれば、、 別、さもなくては働けないとしているような腹蔵があるのではも蜀軍の兵糧は途絶えて、退かざるを得なくなるに極っていま ないかと考えられるふしもある。何しても孔明の正面に立ったす』 曹真の苦戦は思いやられるものがある。 『そうゆけばしめたものだが』 かール、 朝廷では、韓曁を使として、曹真にそれらの方針を伝えさせ『なお、それがしに、」 に妙策がひとつあります』 かんを - かくわし ることになった。すると司馬仲達はその韓曁をわざわざ洛外の郭淮は、洛陽の使がもたらした司懿の方針には、充分感心 城下端れまで見送りに行って、その別れに臨み、 していたが、さりとてその通りに行っているのも、この総司令 そうしんそうへいととく - : つねが 『云い忘れたが、これは曹真総兵都督の功を希う為に、ぜひ注部に人なきようで嫌だった。 , 彼の囁いた彼自身の一策は、これ しりぞ 意して上げておいてくれ。それは蜀勢が退くとき、決して、性また曹真を動かすに足りた。曹真も何かで連戦連敗の汚名から きようそう 質の短慮な者や狂躁な人物に追わせてはいけない。 軽々しく追まぬかれたいのである。 で、その計画は徐々に実行され出 おちい えば必ず彼の計に陥る。 していた。 この事を、朝廷の命として、付け しよく けつかん 加えておいてもらいたい』 事実、蜀軍の大なる欠陥は、大兵を養う『食』にあることは - 一ン一づ ちょうはっ いかにも真情らしく言伝てを頼んだ。そのくせ、それほ万目一致していた。いまや日を経るに従って彼が『食』の徴発 めぐ どの魏軍の苦境を知りながら、彼は車を回らして、悠々、洛陽に奔命しつつあるは必定であるから、敵の求めるそれを好餌に わな へもどるのであった。 用いて、罠にかけようというのが郭淮の着想だった。 それから約一カ月ほど後。 ひしみうりよう すなわち魏の孫礼は、兵糧を満載したように見せかけた車 だ - いじようきようかんき きざん 大常卿韓曁は、やがて総兵都督本部に着き、曹真に、魏廷輛を何千となく連れて、祁山の西にあたる山岳地帯を蜿蜒と行 の方針をもたらした。 軍していた。 曹真は謹んで昭詞を奉じ、韓曁の帰るを送ったが、後、この ( 陳倉の城と、王双の陣へ、後方から運輸してゆくもの ) とは おちい う そんれい み えんえん

2. 三国志(三) (吉川英治)

しやだん く、外は蜀兵に遮断されておる。いま大都督の幸いにこれに臨るまい』 そんかん 巻まれた上は、一日もはやく妙計をめぐらして、まず孫桓を救い 韓当、周泰などを先にして、各、ゝ、ロを極めて反対すると、 の出し、以て呉王のお旨を安め奉り、あわせてわれ等の士気を昻陸遜は手に剣をとって、 しやくもん 借問す、大都督には、かかる大計をお持ちな 『自分は一介の書生にすぎぬが呉王に代って諸君に令を下すも 師揚されたい。 りや』 のである。これ以上、異論をさしはさむに於いては、何者たる 出 りくそん 陸遜は殆ど問題にしなかった。 を問わず、斬って軍律を明かにするそ』 ーりよう 『夷陵の一城などは、枝葉にすぎない。それに孫桓はよく部下と声を励まして叱咤した。 あわ を用いる人だから必ず力を協せてよく守るだろう。急に救わな くても落城する気づかいはない。むしろ自分が破ろうとするの は蜀軍の中核にある。敵の中核が崩れれば、夷陵の如きはひと 諸将は黙った。恐れを抱いてみな帰ってしまった。しかし誰 りくそん ふんまん りでに囲みが解けて了うのである』 ひとり陸遜に服しはしない。むしろ来た時よりも、憤懣を内に あざわら ふくんで、 聞くと諸将はみな、どっと嘲笑って、 『果せるかな、この人、無策』と侮蔑のささやきを交しながら 『青書生めが、急に権力をもっと、ああしてやたらに威張って 退散した。 みたくなるのだろう』 韓当、周泰のふたりなどは、 などと帰路で各、、ロぎたなく嘲笑を交わしていた。 せんこう 『かかる大都督を上にいただいていては滅ぶしかない』と、面 こういう間に、士気いよいよ高い蜀の大軍は、犹亭から川口 1 一うるい きず 色を変えた程だった。 にいたる広大な地域に、四十余力所の陣屋と壕塁を築き、昼は 社一い、′、、も - が かがりパ ) すると次の日、大都督の名をもって、各部署へ、 旌旗雲と紛い、夜は篝火に天を焦がしていた。 なか ( 攻口をかたく守り、敢えて進まんとする勿れ。一人出でて戦『呉軍の総司令は、こんど陸遜とかいう者に代ったそうだが、 うもこれを禁ず ) 聞いたことのない人物である。たれか彼を知っておらぬか』 とい、つ早ムが迫った。 敵の組織に改革が行われたと伝えられて来た日、蜀帝はすぐ 『ばかな。もう黙っては居られない』 左右に問うた。 ふんまん なんきっ りよう 諸将は、憤懣、不平の眦をそろえて、大都督部へ難詰に押答えたのは、良である。 ー刀レ / 『敵は思いきった人物を登用したものです。陸遜は江東の一書 りよもう 「われわれは戦に来ているものだ。すでに命を捨ててここに来生でまだ若年ですが、呉の呂蒙すら、先生と敬って、決して書 こまね ている。然るに、これ以上、手を拱いて、自滅を待つような命生扱いにはしなかったと聞いています。深才遠計、ちょっと底 を発せられるとは、如何なるお考えであるか。よも、わが呉王が知れない男です』 としても、そんな消極的なお旨で貴公を任じられたわけではあ『それほどな才略を、なぜ今日まで呉は用いずに来たのであろ かんとう まなじり ぶべっ しった うやま 236

3. 三国志(三) (吉川英治)

出師の巻 合せる心理を多分に持っていた。 この際、他を恃むことの、いかに危険でまた愚なことかを、幻 孫権はすぐ覚った。魏は依然兵を出さない。 で孫権はいよいよ一国対一国の大勝負を決意し、群臣に はか これを諮ったが、閣議は粛然と無言の緊張を持つのみで、たれ ひとり自らこの一戦に当らんと意気を昻げる者もなかった。 すると、一隅から起って、慨然とさけんだ者がある。 『君が千日兵を養い給うのは、ただ一日の用に備えんためで ある。僕はまだまだ黄ロの若年ですが、こんな時こそ、日頃の あふ その後、蜀の大軍は、白帝城も溢るるばかり駐屯していた机上の兵学を、この敵愾心と誠忠の心を以って、君に酬わんと が、敢えて発せす、おもむろに英気を練って、ひたすら南方と思う者であります。どうか小生をまっ先に派遣してください』 ぶえいと そんかん ねん 江北の動静をうかがっていた。 誰かと見れば、孫権の甥にあたる武衛都尉の孫桓だった。年 ちょうほ、つ し ときに諜報があって、 歯わずか二十五歳の青年である。 『呉は魏へ急遽援軍を求めたらしいが、魏はただ呉王の位を孫『おお、わが甥か』 権へ贈ったのみで、曹丕の態度は依然、中立を固持していま孫権はざしを注いで、いかにも欣ばしげに、彼の願いを許 す』と、伝えて来た。 容した。 あや 『朕の予測に過またす、曹丕は漁夫の利を獲んとするのであろ『そちの家には、李と謝旌という万夫不当な勇将も二人養っ 、つ。よし、、らば立て』 ているそうだ。大いによかろう、征って来い。なお副将には、 こいしようぐんしゅぜん 帝玄徳は、断乎として、ここに初めて、帷幕から令を降し老練な虎威将軍朱然をつけてやる』 ぎと かくて呉軍五万は、宜都 ( 湖北省 ) までいそいだ。朱然は右 なんばんしやまか そんかん ところへ、南蛮の沙摩柯が、蛮土の猛兵数万をしたがえて参都督、孫桓は左都督として、各、、二万五千を両翼に分って、蜀 とろ ゾについ りゅうねい 加するし、洞渓の大将杜路、劉寧のふたりも手勢を挙げて加わに対峙した。 ふこう ったので、全軍の戦気すでに呉を呑み、水路の軍船は巫ロ ( 四 白帝城を出、柿帰を経、この宜都までのあいだ、蜀軍は進む 川省・巫山 ) へ、陸路の軍は柿帰 ( 湖北省・帰州 ) あたりまで進出ところを席巻して、地方地方の帰降兵を収容し、ほとんど、颱 風の前に草木もないような勢だった。 ひんびん そんかん せいび 逆まく長江の波、頻々、伝わる上流の戦雲に対し、呉は、 『聞くならく呉の孫桓もまだ青眉の若武者だそうです。この第 ーー・国難来る。 一陣には、それがしを出して、彼と戦わせて下さい』 かんこう と、異常な緊迫感に襲われつつも、一方、魏のうごきと睨み帝玄徳が敵をながめている日、関興はこう願い出た。 さか ふざん 此の一戦 そうひ え ふう つわもの たの こう - : っ しやせい あ

4. 三国志(三) (吉川英治)

かん - 一うちょうほう 然し、待ちに待っていた時は今眼前に来ている。もし姜 倉を脱し、岱、関興、張苞などの大軍をつれて遠く山また山 きざん はかり 1 一と や - 一く びしんあわ 維の微心を憐れみ、この衷情を信じ賜わるならば、別紙の計 巻の間道を斜谷を越え、祁山へ出て行ったのである。 だいととくそうしん ひるがえ しよかつりよう の 一面。ーー・魏の長安大本営では、大都督曹真が、王双からのを用いて、蜀軍を討ちたまえ。自分は身を翻して、諸葛亮を 、しようほう 捷報を聞いて、 擒人となし、これを貴陣へ献じておみせする。ただ願わくは、 つまず 丈 『孔明もその第一歩から躓くようでは、もう往年のような勢威その功を以って、どうか再び魏に仕えることができるように、 五 よろ - 一 おとりなしを仰ぎたい。 もないとみゆる。戦の先は見えたそ』と、歓ぶこと限りなく、 るる の 縷々と、陳べてあるほかに、内応の密計が、べつの一葉 営中勝ち色に満ちていた。 ひょう ところへ、先鋒の中護軍費耀から、祁山の谷あいで、一名の に、仔細に記してあったのである。 ひつじよう うろついている蜀兵を生け捕って来た。曹真は、必定、敵の間 曹真はうごかされた。たとえ孔明までは捕えられない迄も、 を一ムニノ、 諜であろうと、面前に引かせ、自身これを調べた。すると、そ いま蜀軍を破って、あの姜維を味方に取り戻せば、一石二鳥の の蜀兵は、 戦果である。 しのび 『よろしい 日を約して 『自分は決して、細作のものではありません。 : : : 実は』 よく伝えよ』と、その使をねぎらい、 ひょう おずおず と恟々、左右の人々を見まわして、 帰した。そのあとで彼は費耀を呼んで、姜維の計を示した。 二大事をお告げしたいのですが、人の居るところでは申し兼『つまり魏から兵を進めて、蜀軍を攻め、詐り負けて逃げろ と、彼は云うのだ。 そのとき姜維が蜀陣の中から火の手を ねまする。どうか、御推量くださいまし』と、平伏して云っ あげる故、それを合図に、攻め返し、挾み撃とうという策略。 何と、又なき兵機ではないか』 しカカ 『さあ。如何なものでしよう』 よろ - 一 乞いを容れて、曹真は左右の者をしりそけた。蜀兵は、初め『なぜそちは欣ばんか』 て、 『でも、孔明は智者です。姜維も隅におけない人物です。恐ら キ一レ 4 ・つ・ さじゅっ じゅうしゃ くは宀叮何でしよ、つ』 『私は、姜維の従者です』 ふところ 『そう疑ったら限りがない』 と、打ち明けて、懐中から一書を取り出した。 おろ ひら 曹真が披いてみると、まぎれなき姜維の文字だ。読み下す『ともあれ、都督御自身、おうごきあることは、賛成できませ に、誤って、孔明の詭計に陥ち、世々魏の禄を喰みながら、 ん。まず、それがしが一軍を以って試みましよう。もし功ある ま蜀人のうちに在るも、その高恩と、天水郡にある郷里の老母時は、その功は都督に帰し、咎ある時は、私が責を負います』 ひょう やこく とは、忘れんとしても忘るることができない と一一一一口々句々、 費耀は、五万の兵をうけて、斜谷の道へ進発した。 しようへい 峡谷で、蜀の哨兵に出会った。その逃げるを追って、なお進 涙を以って綴ってある。 むと、やや有力な蜀勢が寄せ返して来た。一進一退。数日は小 そして、終りには。 そう ーたい そうしん 等、し、つ、 きざん ろく とり - 一 キ - よう 384

5. 三国志(三) (吉川英治)

ぞう こんお 浅慮にもふ 『すわ、又も不覚。孔明はまだ死んでいない。 『あたり前な事を問うな。魂落ちて、五臓みな損じた人間は、 はかり ) 一と たたび彼の + こ 言。かかった。それつ、還れ還れつ』 どんな事があっても、再び生きてわが前に立っことはない。孔 うしろ 明の居ない蜀軍は、これを踏み潰すも、これを生け捕るも、こ仲達は度を失「て、馬に鞭打ち、俄に後を見せて逃げ出した。 れを斬るも、自由自在だ。こんな痛快なことはない』 うしろ 四 夏侯覇がまた後で言った。 『司馬懿、何とて逃げるか。反賊仲達、その首をさずけよ』 『都督都督。余りに軽々しくお進みあるな。先鋒の大将がもっ しよくきようし 蜀の姜維は、やにわに槍をすぐって、孔明の車の側から征矢 と前方に出るまで暫く御手綱をゆるやかになし給え』 の如く追って来た。 『兵法を知らぬ奴。多言を放つな』 ととくちゅうたっ 司好懿は振り向いて叱りつけた。そして少しも奔馬の脚を弛突然、主将たる都督仲達が、駒をめぐらして逃げ出したのみ か、先駆の諸将も口々に、 めようとしなかった。 - 一そう 孔明は生きているー すでにして五丈原の蜀陣に近づいたので、魏の大軍は鼓躁し 孔明なお在りー て一時になだれ入ったが、この時もう蜀軍は一兵も居なかっ きよ、つカくろうばい と、驚愕狼狽して、我先に馬を返したので、魏の大軍は、そ た。さてこそあれと司馬懿はいよいよ心を急にして、師、侯の どとう すさま の凄じい怒濤のすがたを、急激に押し戻されて、馬と馬はぶつ 二子に向い あびきようかん 『汝等は後陣の軍をまとめて後よりつづけ。敵はまださして遠かり合い、兵は兵を踏み潰し、阿鼻叫喚の大混乱を現出した。 みすか 蜀の諸将と、その兵は、田 5 うさま是に鉄槌を加えた。わけて くには退いておるまい。われ自ら捕捉して退路を断たん。後よ 姜維は潰乱する敵軍深く分け入って、 り・ - 来い』 『司懿、司馬懿。どこまで逃げる気か。折角、めずらしくも と、息もっかす追いかけて行った。 はつらっ きん・一 出て来ながら、一槍も交えず逃げる法はあるまい』 すすると忽ち一方の山間から闘志漫剌たる金鼓が鳴り響い くらあぶみおど と、鞍鐙も躍るばかり、馬上の身を浮かして、追、 走蜀軍あり、と叫ぶものがあ「たので、司馬懿が駒を止めてみる しよっこう びよ、つ を かけ呼ばわっていた。 と、正しく一彪の軍馬が、蜀紅の旗と、丞相旗を振りかか 仲達はうしろも見なかった。押し合い踏み合う味方の混乱も げ、又、一輛の四輪車を真 0 先に押して馳け向「て来る。 ひづめ る 蹄にかけて、ただ右手なる鞭を絶え間なく、馬の尻に加えてい け『や、や ? 』 てんめい たてがみうちふ 生 た。身を鬣へ打俯せ、眼は空を見す、心に天冥の加護を念 司馬懿は、仰天した。 びやくうせん 死せりとばかり思っていた孔明は白羽扇を持ってその上に端じ、殆ど、生ける心地もなく走った。 まも だが、行けども行けども、誰か後から追って来る気がする。 る坐している。車を護り繞っている者は、姜維以下、手に手に鉄 死槍を持 0 た十数人の大将であり、士気、籏色、どこにも陰々たそのうちおよそ五十里も駈け続けると、さしも平常名馬といわ れている駿足もよろよろに脚がみだれて来た。口に白い泡ばか る喪の影は見えなかった。 おんたろな そん ゆる はんぞくちゅうたっ あ々一はみル 469

6. 三国志(三) (吉川英治)

ぐれてしまったのです』 蜀は仮借なくこれを追い込み、崔禹の首を刎ねて、いよいよ しゅぜん 巻この調べを、都督の朱然が聞いて、手を打 0 てよろこんだ。威を示した。そして序戦二回の大敗報は、やがて呉の建業城中 あ そん の『兵を陸へ揚げて、蜀軍が夜討ちに進む退路を断ち、逆に、孫を暗憺とさせた。 かん 桓としめし合せて挾み撃にしてやろう』 『王、さまで御心をいためることはありません。呉建国以来の 師 すぐ書簡をしたためて、使を孫桓の陣へ遣った。 名将はすでに世を辞して幾人もありませんが、なお用うべき良 出 かんわい ところが、その使は、途中で待ち伏せしていた蜀の兵に斬ら将は十余人ありましよう。まず甘寧をお招きなさい』 ちょうしよう ふしゅう れてしまった。これはまったく馮習や張南のめぐらした計略な宿老張昭は励ました。 ので、未然に、使の通るのを察していたためである。 とも知らず、その夕方、朱然は大軍を船から上げて、すでに たいしようみ、いう 進もうとした。然し大将崔禹は、 『どうも、少しおかしい。一士卒のことばを盲信して、これだけ の行動を起すのは、ちと軽率です。都督にはやはり水軍を守っ てここに居てください。それがしが行きますから』と注意した。 朱然も、げにもと思い直し、自身は水軍にひかえて、崔禹に た 計をまかせ、一万足らずの兵をあずけた。 案の如く、二更の頃、孫桓の陣に、猛烈な火の手が揚った。 冬が来た。 火攻めのあることは、昼のうちに朱然から通じてあるものとし いり 4 ら′ ていたが、其の使が、共の途中で斬られている事までは崔禹も連戦連勝の蜀軍は、巫峡、建平、夷陵に亙る七十余里の戦線 を堅持して、章武二年の正月を迎えた。 思い到らなかった。 たす 賀春の酒を、近臣に賜うの日、帝玄徳も徴酔して、 「それ援けに行け』と、瀘かに急ぐと、途中の森林や低地から びんばっ 『雪か、わが鬢髪か。思えば朕も老いたが、また帷幕の諸大将 待っていたとばかり伏兵が起った。張苞、関興ふた手の軍勢だ こた かん も、多くは年老い、冬の陣も耐うるに徹えて来た。しかし関 ・一うちょうほう 崔禹は生け捕られ、部下は大打撃をうけて、なだれ帰って来興、張苞の若いふたりが役立って来たので、朕も大いに気づよ しゅぜんしゅうしよう く思、つぞ』 た。朱然は周章して、その晩のうちに船手の総勢を、五、六 などと亠赴懐しこ。 十里ほど下へ退げてしまった。 ひる 一度ならず二度まで敗北した孫桓は、陣営ことごとく敵に焼するとその日の午過ぎ、 こうちゅう 、りよ、つ 『黄忠がわすか十騎ばかり連れて呉へ投降してしまった』とい かれて、無念のまなじりを昻げながらやむなく夷陵の城 ( 湖北 う風聞が伝わった。 省・宜都・宜昌の東北 ) へ退却した。 うち ・しよ、つ ふゅ けんべい た ぐん

7. 三国志(三) (吉川英治)

仲達はおっとり答えた。 ひ 『ーーー自然に、蜀軍をして、退くのほか無からしめればよいの ですから』 『そんな最上な方法があるだろうか』 『ございます。臣が量るに、孔明の軍勢は、およそ一カ月ぐら いな兵糧しか持たないに違いござりませぬ。なぜならば、季節 さんけん は雪多く、道は山嶮です。故に、彼の望むところは即戦即決に ありましよう。我れのとる策は長期持久です。朝廷から使を派 しよしょ して、総兵都督へその由を仰ぜっけられ、諸所の攻口を固くと らくよう 呉の境から退いて、司懿が洛陽に留っているのを、時の魏って、滅多に曹真が戦わないようにお命じあることが肝要で かんぬす 人は、この時勢に閑を倫むものなりと非難していたが、ここ数す』 『いかにも。さっそく左様な方針をとらせよ』 日に亙って又、 かて ( 孔明がふたたび祁山に出て来た。為に、魏の先鋒の大将は幾『山嶮の雪解ける頃ともなれば、蜀兵の糧も尺、きて、いやでも 総退却を開始しましよう。虚はそのときにあります。追撃を加 人も戦死した ) たいしよう せんぶう という情報が、旋風のように聞えてくると、仲達への非難はえて大捷を獲ることまちがいございませぬ』 『それほど卿に先見があるならば、なぜ卿みずから陣頭に出て びったり熄んでしまった。やはり司馬懿仲達は凡眼でないと、 計策をなさないのか』 謂わず語らず、その先見にみな服したかたちであった。 ひばう どんな時にも、何かに対して、誹謗ゃあげつらいの目標を持『仲達はまだ洛陽に老を養うほどな者でもありませんが、さり とて又、生命を惜しんでいるわけでも御座りませぬ。要は、呉 たなければ淋しいような一種の知識人や門外政客が洛陽にもた のうごきがまだ見とおしをつきかねるからです』 くさんいる。それらの内からは今度は向きを更えて、 『いったい総兵都督はいるのか、いないのか。曹真は何をして『呉はなお変を計ろうか』 い。なぜならば、呉は呉 『もちろん、油断もすきもなりますま いつつカ』 に依ってうごくものに非ず、一に蜀の動静をにらみ合わせてい という非難が囂々と起ってきた。 曹真は魏の帝族である。それだけに叡帝は心を悩ました。帝るものです』 - 一と 1 一と 以後、数日のあいだにも、曹真の軍から来る報告は、悉く は、司馬懿を召して、対策を下問した。 『怖るべきは蜀と呼ばんよりむしろ孔明そのものの存在であ魏に利のない事のみであった。そして漸く曹真は、その自信ま で失って来たものの如く、 食る。どうしたらよいであろう』 まま ごしんねん 『到底、現状の儘では、守りにたえません。ひとえに、聖慮を 『さほど御宸念には及ばないでしよう』 さかい しよく ごう 1 一う きん と そうしん 387

8. 三国志(三) (吉川英治)

ぞうはしようぐんかくしよう 三手にわかれて北上した。 の道に築き、雑覇将軍鄰昭に守備を命じた。 りくそんの しゆかん たいげん ちゅうしんりんりん 鄰昭は太原の人、忠心凛々たる武人の典型である。その士卒途中、朱桓が、思うところを、陸遜に陳べた。 きんしよくよう そうきゅうちょうてい いんじゅ 『曹休は魏朝廷の一門で、いわば金枝玉葉のひとりであるため もみな強く、赴くに先だって、鎮西将軍の印綬を拝し、 ちょうあんらくよう ちんそう 『不肖、陳倉を守りおる以上は、長安も洛陽も高きに在って洪楊州に鎮守していましたが、門地と天質とは別もので、必ずし 聞く所によればすでに彼 水を御覧ぜられる如く、お心のどかにおわしませ』と、闕下にも彼は智勇兼備ではありません。 しゅ、つほう はわが周魴の反間に計られて、もうその進退を制せられている 誓って出発した。 : さすれば彼が逃げ道はおよそ二条しかありませ 蜀境の国防方針が一まず定まったと思うと、呉に面している形勢とか。 けんあい ナいしやみち きようせきどう じようひょう ようしゅ、つしばだいととく - 一うきゅう ん。一は夾石道、二は車の路です。而もその二路とも嶮隘で 楊州の司馬大都督高休から上表があって、 はんようたいしゅしゅうほう ( 呉の翻陽の太守周魴は、かねてから魏の臣に列したい望みを奇計を伏せて打つには絶好なところですから、もしお許しを得 とり - 一 ぜんそう もらしてしたが、 、 , 、今、密使をもって、七カ条の利害を挙げ、呉るならばそれがしと全琮とで協力して、曹休を擒人にしてお目 じゅしゅんじよう にかけます。 それさえ成就すれば、寿春城を取ること をやぶる計を自分の手許まで送って来た。右、御一閲を仰ぐ ) も、手に唾して一気に遂げることが出来ましよう』 と、奏達して来た。 陸遜はよく聞いていた。 これは朝議に付せられて、 しゅうほう けれど、答えたことばは、 『果して、周魴の言が、真実かどうか』が、入念に検討され 『まあ待て、ほかに思案がない事でもないからな』 た。司は、意見を求められると、 しゅうほう であった。 『周魴は呉でも智ある良将だから詐りの内通ではないかとも思 しよかっきん われる。しかし又これが真実だったら、この時節もまた捨て難そして彼は、諸葛瑾の一軍を以って、べつに江陵地方へ向わ 故に、大軍を以って三道にわかち、たとい彼に詐りがせ、その方向へ下って来た司馬懿仲達の兵を防がせた。 しゅ・つほう しようび あるとも決して敗れぬ態勢を以って臨むならば、兵を派しても序戦ーー焦眉の危急は先ず呉の周魴にあざむかれている。魏 さしつかえはないし、事実に当った上で、更に、如何ような策の都督曹休の位置にあるものと観られた。 も取れましよう』と、云った。 かんじようとうかん - 一うりよう 皖城、東関、江陵の三道へ向って、洛陽の軍隊が続々と南下 しゅうほう うかっ 曹休とてそう迂濶に敵の謀略にかかるわけはない。周魴は長 して行ったのは、それから約一カ月後だった。 い間に亙って、根気よく彼を信じさせたのであった。 この動きは、すぐ呉に漏れていた。呉ではむしろ期して待っ しゅ、つほうはん ! う で、周魴の反課に応じて、魏の大軍が南下することも中央で 捧ていたような観すらある。 しゅうほ講 / かんじよ - っ をすなわち呉の建業もまた活漫なる軍事的のうごきを示し、決定を見たので、彼もまた大軍をひきい、皖城へ来て、周魴と りくそん しゆかんせんとう こくだいしようぐんへいほくとげんすい 髪国大将軍平北都元帥にぜられた陸遜は、呉郡の朱桓、銭塘の会見した。 ぜんそう 全琮を左右の都督となし、江南八十一州の精兵を擁して、三道そのとき彼は、なおわずかな疑いも一掃しておきたい気持か ゅ えっ けつか ととく つば ふたみち 373

9. 三国志(三) (吉川英治)

来るのを破砕し去ることが肝要だ』 分け目の境として、正にその第一期戦はここに展開されようと 巻『そして、都督の御行動は』 している。 の 『秘中の秘だが』と声をひそめ、 この地形、この広大な天地は、正に孔明の方から選んで取っ がいてし れつりゅう 原しんれい 『秦嶺の西に街亭という一高地がある。かたわらの一城を列柳た戦場である。この大会戦に先んじて、蜀軍がまず地理的優位 じよう 丈 城という。この一山一城こそ正に漢中の咽喉にあたるものを占めていたことはいう迄もない 五 けいがん まつひちょう 。さはいえ孔明は曹真がさして烱眼ならざるを察して、お新城陥落の一報は、孔明の、いに、 一抹の悲調を投げかけた。 ちょうこう そらくまだそこまで兵をまわしておるまい : のう張部。御彼はその報をうけた時、左右の者へ云った。 辺とわしとは、一方急に進んで、そこを衝くのじゃよ。なんと『孟達の死ははや惜しむに足らなしレ 、。ナれど、司馬懿がかく早 愉快ではないか』 く大軍をそろえて来たからには、街亭の一路が案じられる。彼 『ああ。神謀です。たしかにそれは一刃敵の肺腑を抉るものでは、直ちに街亭へ眼をつけるであろう。街亭は我が咽喉に等し ゅ、つよ 一日の猶予もならん。誰かをして、早速これを守らせねば がいて、 しりぞ ならぬ : : : 』 『街亭をとれば、孔明も漢中へ退くしかない。兵糧運送の途は ここに絶えるでな』 ろうせい 『隴西の諸都も、食を断たれては、崩壊退却のほかありますま 実に都督の好計、たれかよく思い及びましよう』 誰をか向けんーーーと孔明の眼は諸将を見まわして物色してい ーかり′ 1 と いやいや、計だけを聞いて、そう遽によろこぶ勿れるもののようだった。 しよかっこうめい たぐ、 ましよく おもてあお かたわ じゃ。あいては諸葛孔明であるそ。孟達などの類どは大いに違と、その面を仰いで、参軍の謖が、傍らから身をすすめ、 じようしよう う。ゅめ、軽々しくすな』 『丞相。それがしをお差し向け下さい』と、懇願した。 『かしこ士り亠ました』 ましよく 『一里進まば、十里の先に物見を出し、十里進まば、敵の伏兵孔明は謖を顧みたが、初めは殆ど意中に置かないような たんだいずみつ や を勘考し、胆大頭密に、よくよく臍をすえてゆけよ』 容子であった。しかし馬謖はなお熱心に希望して熄まない。 ちょう - 一う 『仰せまでも御座いません』 たとえ敵の司馬懿や張部がいかほど世に並びなき名将であ じゃっかんいき 『さらば、支度をなせ』と、彼を先鋒へ返してから、仲達は祐ろうと、自分も多年兵法を学び、わけて年も弱冠の域をこえ、 ひっ そうしん 筆に命じて、檄をしたためさせ、これを曹真の本陣へ告げて、 なお何等の功を持たないでは世に対しても恥しいと云い かたがた はる がいてい 作戦方針を示し、旁 4 『量るに、街亭一つ守り得ないくらいなら、将来、武門に伍し っ 『孔明の誘いに吊られて、めったに動き給うな』とかたく戒めて、何の用に足りましよう。、、 とうか自分を派遣して下さい』 と、多少日頃の親しみにも甘え、殆ど縋らんばかり熱望をく 祁山 ( 廿粛省・鞏昌附近 ) 一帯の山岳曠野を魏、蜀天下のりかえした。 きざんかんしゆくしよう さそ を、ト - う・しト - ら・ じんてき にわか えぐ みち ゅう ひと 358

10. 三国志(三) (吉川英治)

しゅうほう ら、周魴にこう念を押した。 進出の打ち合わせなどして、自陣へもどった。 けんいしようぐんかき 巻『貴公から呈出した七カ条の計は、中央でも容れることにな「 すると、友軍の建威将軍賈逵が訪ねて来て云った。 の て、わが魏の大軍が三路から南下することになったが、よもや『どうもおかしい。髪を断って異心なきを一小すなんていうの まゆっぱ 君の献言に間違いはあるまいな』 は、ちと眉唾な心地がする。都督、うかつに出ないことです ひとじち 丈 『もしお疑いならば、人質でもなんでもお求め下さい』 五 『いや、疑うわけじゃよ、 オしが、なにせよ問題は大きいからな。 『出るなとは ? 』 あた これがうまく図に中って、呉を打破ることができたら君の功労『彼が、先導となって、東関へ進もうという御予定でしよう』 は一躍、魏で重きをなすだろう。同時に、かくいう曹休も名誉『もちろんである』 にあずかるわけだから』 『この辺にとどまって、もうすこし情勢をながめておいでにな 『都督には、なおまだ些のお疑いを抱かれておられるとみえ っては如何ですか』 る』 曹休は皮肉な皺を小鼻の片一方によせて、嘲う如く、揶揄す わがはい 『それは察し給え。もし君の言に少しの嘘でもあったら、吾輩る如く、こう云った。 の立場はどうなると思う ? 』 『ふム。 : ・その間に足下が東関へ出て功を挙げるか。それも 『御もっともです』 よかろ , っ』 しようけん 云ったかと思うと、周魴はやにわに、、ー 剣を抜いて、自分の 次の日、曹休は、断乎、 もレ」ゾ」り そうきゅう おえつの 髻をぶつりと切り落し、曹休の前にさし置いた儘、嗚咽を嚥『東関へ進むのだ』 うつむ けんせき んで俯回いた。 と、諸将へ令して、続々、軍馬を押し出した。賈逵は、譴責 曹休は仰天して、 をうけて、あとに残されてしまった。 しゅうほう せめぐち 『あっ、飛んでもない事をしたではないか。なんだ ? 髪など 周魴も、家中の兵をひきいて途上に出迎え、先に立って攻ロ の案内を勤めた。 『いや、てまえの気持では、みずから首を刎ね離し、一死を以 馬上で、曹休が訊ねた。 って示したい程であります。この忠胆、この誠心、天も照覧あ『彼方に見え出して来た嶮しそうな山はどこかね ? 』 れ。・ : ・ : 髪を捧げてお誓い奉りまする』 『石亭であります』 周魴は、肩をふるわせて哭いた。曹休もつい眼を熱くしてし『東関は』 そくぼう 『あれを越えると、測茫の果に、微かに指さすことができま げん 『申し訳ない。つい つまらん戯言をなして、なんとも済ます。お味方の大軍をあれに分配すれば、東関は手に唾して取る ん。 : どうか心を取り直してくれ』 とができましよ、つ』 彼はすっかり疑いをはらして、ともに酒宴にのそみ、東関へ曹休は満足な態を見せた。そして石亭の山上から要所に兵を とうかん せきてい レ」・つか・れ しわ かんそっか だんこ はて かす わら かき つば 37 イ