玄徳は、歩み寄って、 関羽も共に、 『童子。孔明先生のお住居はこちらであるか』と、たすねた。 『また他日、使でも立てて、在否を訊かせた上、改めてお越し 童子は不愛想に、 あってはいかがです』 『うん』と、一つ頷いたきり、後に続く関羽、張飛などの姿と、駒を寄せて促した。 なつめ たたず へ、棗のような眼をみはっている。 孔明の帰って来る迄は、そこに佇んででも居たいような玄徳 ろちゅう かんさしよう - 一とづ しようぜん 『大儀ながら、廬中へ取次いでもらいたい。自分は、漢の左将であったが、是非なく、童子に言伝てを頼んで悄然、岡の道を ぐんぎじようていこう りようよしゅう ばくしんやこうしゆくりゅうびあざなげんとく 軍、宜城亭侯、領は予州の牧、新野皇叔劉備、字は玄徳という降りて行った。 しゅうが せいちょう もの。先生にまみえんため . 、みずからこれへ参ったのである秀雅にして高からぬ山、清澄にして深からぬ水、茂盛した松 ・カ』 や竹林には、猿や鶴が遊んでいる。玄徳は、ここの山紫水明に 『待っておくれ』 も、うしろ髪を引かれてならなかった。 さえ しようようずきん 童子は、ふいに遮って云った。 すると、岡のふもとから身に青衣をまとい、頭に逍遙頭巾を 『ー・ーそんな長い名は、覚えきれやしない。 もう一度云ってく いたたいた人影が、杖を曳いて登って来た。 くんらん ゅう・一く びもくせいしゅう にき」い』 近づいてみると、眉目清秀な高士である。どこか幽谷の薫蘭 りゅうび 『なる程。これはわしが悪かった。ただ、新野の劉備が来ましといった感じがする。玄徳は心のうちで、 しよかつりよう と、そう伝えてくれればよい』 ( これなん、諸高亮その人であろう ) 『お生憎さま。先生は今朝早天に出たまま、まだ帰っておりま と、思い、急に馬から降りて、五、六歩あるいた せん』 四 『いずこへ御出でなされたか』 こううんそうせきさだ 『どこへお出かけやら、ちっとも分りません。 行雲踪蹟不ふいに馬を降りて来て、自分へ慇懃に礼をする玄徳を見て まらず うきんせ、 定でーー』 烏巾青衣のその高士は、 『いっ頃、お帰りであろうか』 『なんです ? どなたですか、したし ? 』 『さあ。時によると三五日。あるいは十数日。これも料り難し と、さもうろたえ顔に、杖をとめて、訊ね返した。 ですね』 玄徳は、謹んで、 いおり 『いま先生の廬をお訪ねして、むなしく戻って来たところで 訪 玄は、落胆して、いかにも力を失ったように、惆悵久す。計らずもここでお目にかかり、大幸、この上もありません』 を たたず と、云った。 しゅうして、なお佇んでいたが、そう聞くと、側から張飛が、 明 おどろ 々帰ろうじゃありませんか』と 青衣の高士は、なお愕いて、 孔『居ないものは仕方がない。日・ っこ、寺軍は、何処の御 『何か、人違いではありませんか、しオし当 云った。 しんや はかがた ちゅうちょう いん ! ん 刀 7
る しもん へ魯粛は瞋重に、孫権の諮問にこたえた。 とむら 呉『劉表の喪を弔うという名目をもって、私が荊州へ御使に立ち きー ) よ、つ』 『 : : : そして ? 』 ゅうよ おもむ きいて、疾くこれに游漁す。君も呉軍をひきいて、この『帰途ひそかに江夏へ赴き、玄徳と対面して、よく利害を説 力いゅ、つ・ 快游を共にし給わずや。漁網の魚は、これを採って一盞き、彼に援助を与える密約をむすんで来ます』 よしみ の卓にのばせ、地は割譲て、ながく好誼をむすぶ引出物『玄徳を援助したら、曹操は怒って、いよいよ鋭鋒を呉へ向け としよ、つではないか て来るだろう』 『いや、ちがいます。玄徳の勢が衰退したので、曹操はたちま という意味のものだった。 ただし曹操としても、こんな一片の文書だけで、呉が降参しち呉へ大軍を転じて来たものです。故に、玄徳が強力となれ て来ようなどとは決して期待していない。いかなる外交もそのば、背後の憂がありますから、曹操は決して、思い切った侵攻 を呉へ試みることはできません』 外交辞令の手もとに、 ろしゆく ( これがお嫌なら、またべつな御挨拶を以て ) と云える『実魯粛は、なお説いて、 カ』が要る。彼は呉へ檄を送ると同時に、その実力を水陸から 『私が御使に立てば、それらの大策の決定は後日に譲るまで 南方へ展開した。 も、とにかく荊州から江夏に亙る曹操、玄徳、両方の実状をし けいせん 総勢八十三万の兵を、号して百万と称え、西は荊陜から東はかとこの眼で見てくるつもりです。それも重要な前提ですか えんかれんれん 薪黄にわたる三百里のあいだ、烟火連々と陣線をひいて、呉のら』 と、云った。 境を威圧した。 そんけん み、い、み′ この時、呉主孫権も、隣境の変に万一あるをおそれて、柴桑呉の国のうごきは今、呉自身の浮沈を決する時であると共 じようろざんはようこ に、曹操の大軍にも、江夏の玄徳の運命にも、こうして重大な 城 ( 廬山、都陽湖の東南方 ) まで来ていたが、事態いよいよただ 鍵をもっていた。 ならぬ形勢となったので、 『今こそ、呉の態度を迫られる時が来た。曹操についたが得策江夏の城中にあっても、その事について、度々、評議すると か、玄徳と結んだがよいか。ここの大方針は呉の興亡を決するころがあったが、孔明はいつも、 きたん ものだ。乞う、そちの信じるところを忌憚なく聞かしてくれ『呉は遠く、曹は近く、結局われわれの抱く天下三分の理想 ごくていりつ すなわち三国鼎立の実現を期するには、飽くまで遠い呉を し』 じきじき して近い曹操と争わせなければなりません。両大国を相搏たせ 呉の大賢といわるる魯粛は、孫権から直々にこう問われた。 て、その力を相殺させ、わが内容を拡充する。真の大策を行う のはそれからでしよう』 と、至極、穏当な論を述べていた。 『だが、そううまく、こちらの望みどおりにゆけばよいが ? 』 と、これは、玄徳だけの懐疑ではない。誰しも一応はそう考 える。 ろしゆく と ろしゆく そんけん さん うれい 力い 297
とは夥しい 前の山は ? 』と、左右に訊いた とうようけん 『江陵の城はまだか』 『前なるは、当陽県の水、うしろなる山は景山といいます』 『まだまだ道は半ばにすぎません』 ひとりが答えると、さらばそこ迄いそげと、婦女老幼の群に ちょううん しんがり 襄陽を去ってから、日はもう十幾日ぞ。 こんな状態でい は趙雲を守りにつけ、殿軍には張飛をそなえて、更に落ちのび ったらいっ江陵へ着くだろうと、玄徳も、いばそく思った。 て行った。 『さきに江夏へ援軍をたのみにやった関羽もあれきり沙汰がな 秋の末ーー , 野は撩乱の花と丈長き草に掩われていた。日もす みが 軍師、ひとっ御身が行ってくれないか』 でに暮れかけると、大陸の冷気は星を研き人の骨に沁みてく しゅうしゅう 玄徳のことばに、孔明は、 る。啾々として、夜は肌の毛穴を凍らすばかりの寒さと変 『行ってみましよう。どんな事情があるかわかりませんが、こる。 たの 真夜中のころである。 の際は、それしか恃む兵力はありませんから』と、承知した。 りゅうきくん な 『御辺が参って、援軍を乞えば、劉琦君も決して嫌とは申され ふいに、人の哭きさけぶ声が、曠野の闇をあまねく揺るがし かんせい 御辺の計らいで、継母蔡夫人の難からのがれた事も と思うまに、闇の一角から、減声枯葉を捲き、殺陣は 覚えておられるだろうから : : : 』 地を駆って、 『では、ここでお別れしましよ、つ』 『玄徳を逃がすな』 孔明は兵五百をつれ、途中から道を更えて、江夏へいそい と、耳を打って来た。 あなや ! とばかり玄徳は刎ね起きて、左右の兵を一手にま 孔明と別れてから二日目の昼である。ふと、一陣の狂風に野とめ、生命をすてて敵の包囲を突き破った。 ちかく をふりかえると、塵埃天日を掩い、異様な声が、地殻の底に鳴 『わが君、わが君。ーーはやく東へ』 るような気がされた と、教えながら、防ぎ戦っている者がある。見れば、後陣の そも しるし いななさわ 『はて、にわかに馬の嘶き躁ぐのはーー抑、何の兆だろう』 張飛。 かんよう びほうびじく 玄徳がいぶかると、騎をならべていた糜芳、糜竺、簡雍等『たのむぞ』 あとを任せて、玄徳は逃げのびたが、やがて南の方、ー。・長坂 しら 『これは大凶の兆せです。馬の啼き声も常とはちがう』と呟い坡の畔りにいたると、ここに一陣の伏兵あって、 て、みな怖れ顫えた。 『劉予州、待ちたまえ、すでに御運のつきどころ、潔く御首 をわたされよ』 そして、人々みな、 子 『はやく、百姓共の群を捨て先へお急ぎなさらねば、御身の危と、道を咄めて、名乗り立った一将がある。 けいしゅう ぶんへい 見れば、荊州の旧臣、文聘であ「た。彼は、義を知る大将 母急』 と、ロを揃えてすすめたが、玄徳は耳にも入れず、 と、かねて知っていた玄徳は、 おびただ じんあい か つぶや りようらん けいざん 、さよ ちょうはん
望蜀の巻 『いや、孔明軍師は、あらかじめかかる場合にも、嚢の中から おし 訓えられています。こう遊ばせ』 趙雲がそれを彼の耳へ囁いた。玄徳はいくらか希望を取戻し るいせい て、やがて夫人の車へ近づき、涙声をふるわせて彼女へ告げ 『妻よ、わが妻よ。ここまでは共に来たが、玄徳はついにここ で自害せねばならぬ。御身は無い縁とあきらめて、ここより呉 へもどられよ。九泉の下で後の再会を待つであろう』 おどろ 夫人は、簾をあげて、愕きと涙の面をあらわした。 * - いみ ! っ 『再び呉へ帰るくらいなら、ここ迄も参りません。どうして急 夜も日も馬に鞭打ちつづけた。さる程にようやく柴桑の地へ にそんな事を仰っしやるのですか』 近づいて来る。玄徳はややはっとしたが、夫人呉氏は何といっ 『でも、呉侯の追手は前後に迫って来るし、周瑜もそれを励ま ても女性の身、騎馬の疲れは思いやられた。 みち しよせんとら だが幸い、途中の一豪家で車を求めることができ、夫人は車して、百方路を塞いでいる。所詮、捕われて曳かれるものな ら、生き辱をかかないうちに、潔く自害して果てたが増と思う のうちに移した。そしてなお道を急いで落延びた。 からだ』 『やよ待て、玄徳の一行、呉侯の御命令なるそ。繩をうけろ』 ところへ早くも、徐盛と丁奉は、部下を率いてここへ殺到し 五百の兵がふた手になって追っ 山の一方から大声がした。約 夫人はあわてて玄徳を車のうしろに隠し、簾を払って地上 て来たのだ。 へ跳び降りた。 趙雲は騒ぐことなく、 『それへ来たのは何者です。主君の妹に指でもさして御覧、お 『あとは、それがしが支えます。君には、遮二無二お先へ』 まえたちの首は、わたくしの母君が、半日だってその儘にして と、玄徳と夫人を、なお奔らせた。 この日の難は、一応のがれたかに見えたが、次の日、また次おきはしませんから』 れいおん ふさ と、鈴音を振鳴らすように声を張って云った。 の日と、玄徳の道は、先へ行くほど、塞がれていた。 そんけん力しふ さいそうしゅ・つゆ すなわち柴桑の周瑜と、呈の孫権の廻符はもう八方に行き亙『おお、呉妺君におわすか』 一、いは」 . っ ひざまず あらた 主筋ではあるし、 と、徐盛と丁奉とは、思わず地へ跪いた。 っていた。水路も陸路も、往来には本戸の検めが厳重を極め、 じよせい ていほう しやだん この女性の凡の女性でないことは、呉の臣下はみな知ってい 要所には徐盛、丁奉の部下三千が遮断していた。 しんたいきわ 『ああ、いけよ、。 この先には呉兵が陣している。今は進退谷た。いや知っているだけでなく、その男まさりな凛々たる気性 おそ まったか』 や、母公だの兄孫権だのを動かす勢力には或る懼れすら抱いて 玄徳が痛嘆すると、 によしょ・つ けん りんりん、いよ、フ 凛々細腰の剣 じよせい れん ひ ふくろうち
束して、荊州軍のうごきに警戒の眼を払っているだけだった。 と、満座ことごとく剣に満つるかと思われた かばうかん おどろ かかるうちに国境の葭萌関から飛報が来た 玄徳は愕いて、自分も、剣を抜いて、高く掲げ、 かんちゅうちょうろ ぎえんりゅうほう 『無礼なり、魏延、劉封、ここは鴻門の会ではない。われら宗『漢中の張魯が、ついに大兵をあげて攻めよせて来た ! 』とあ さつばっ 親の会同に、なんたる殺伐を演するか。退がれつ、退がれつ』 わざわい と叱った。 『それみよ、禍はそこだ』 劉璋も、家臣の非礼を叱って、玄徳と自分とは、同宗の骨劉璋はむしろ得意を感じたらしい。早速にこの由を玄徳へ伝 肉、無用な猜疑をなすは、汝らこそ、兄弟の仲を裂くものであえ、協力を乞うと、玄徳はすこしも辞すところなく、直ちに、 ひき ると、たしなめた。 兵を率いて国境へ馳せ向った。 然し、この夜の宴は、失敗に似て、却って成功だった。劉璋蜀の諸将はほっとした。 はいよいよ玄徳に信頼の念を深めた。 『いざ、この間に、蜀は自国の守りを鉄壁になし給え。内外、 万全の御用意を』 と、劉璋へ再三再四、献言した。 劉璋も、余りに諸臣が憂えるので、さらばと彼等の意にした ふすいかん はくすいのととくようか、 がい即ち、蜀の名将白水之都督楊懐、高沛のふたりに浩水関の たちかえ せいと 守備を命じて、自分は成都へ立回った。 蜀境の戦乱は、まもなく、長江千里の南、呉へ聞えて来 『玄徳の野、いは、ついに鋩をあらわした。汝等、何と思う りゅうしよう その後も、蜀の文武官は、劉璋に諫めること度々であっ おだや 孫権は、呉の重臣を一堂に集めて、こう穏かでない顔して云 っ ) 0 『玄徳に二心はないかもしれません。然し玄徳の幕下は皆、こ こしたんたん けいしゅうぐん の蜀に虎視眈々です。何とか口実を設けて今の中に荊州軍を引 顧雍が答えていう。 ひろ き揚げさせる御工夫をなされては如何ですか』 『彼はついに、火中の栗を拾いに出たものです。自ら手を焼く つまび 劉璋は依然、頷かない。 にちがいありません。情報なお審らかでありませんが、荊州の そうぞく 『さのみ疑うことはない。弓 ってのことばは、宗族の間に、強兵力を二分して、その一を以て蜀に入り、長途のつかれを持っ ちょうろ はらん けんそ 珠いて波瀾を起させようとする気か』 兵をして、強いて国境の嶮岨に拠らしめ、今や漢中の張魯と、 そう云われてはもう衆臣も二の句がない。唯ひたすら家臣結血みどろの戦をなしていると聞えまする。思うに、呉の無事な 珠 たま うなず た - : つもん る。 カ』 しよっきょ・つ 第っ・・つ てつべき 5 〃
惑ったかも知れないが、簡雍が二重の計にかけてあるので、深歓んだ。関羽もひそかに関平の才を愛していたし、談はたちど まと 巻く信じこんでおり、疑ってみようともしないのである。 ころに纒まった。 の郭図は、長嘆したが、黙々退出するしかなかった。 『袁紹の討手が向わぬうちに』と、一同は次の朝すぐここを出 明簡雍はすぐ玄徳に追いついていた。うまく行ったな、と相顧発した。 はかど うんびよう りみて一笑した。 急ぎに急いで、旅は日ごとに捗った。やがて雲表に臥牛山の 孔 きしゅ・つ かた ふもとじ 冀州の堺も無事に脱け 肩が見えだす。次の日にはその麓路へさしかかっていた。 孫乾はさきに廻って、ふたりを待ちうけ、道の案内をしてや すると、かねて関羽のさしずで、この附近へ手勢をひきいて はいげんしょ・つ がて関定の家へ着いた。見れば 出迎えに出ているはずの裴元紹の手下が、彼方から猛風に趁わ 関定の家の門前には、主の関定やら関羽以下の面々が立ち並れたように逃げ散って来た。 しゅうそう んで出迎えている。久しやと、相見交わす眼は、彼もこなた 『何故の混乱か』と、関羽は、その中にいた周倉を見つけて質 も、共にはやいつばいな涙であった。 すと、周倉が云うには、 『誰やら為体が分りませぬ。われわれ共が、今日のお迎えのた 四 め、勢揃いして山上から降りてまいると、途中一名の浪人者 が、馬をつないで路上に鼾睡しています。先頭の裴元紹が、退 けと罵ると、山賊の分際で白昼通るは何奴かと、刎ね起きるや くち 瞬間ふたりの唇から洩れたものは、それでしかない。関羽も いな裴元紹を斬り伏せてしまったのでござる。 それっと手 玄齒心も、当 = ロは百一 = 口にまき、る思いたた 下の者共、総がかりとなって、相手の浪人を蔽いつつみました りよりよくぜっりん 関定は二人の子息とともに、門を開いて玄徳を奥に招じた。 が、その者の腎カ絶倫で、当れば当るほど猛気を加え、如何と わび りんかん 住居は佗しい林間の一屋ながら、心からな歓待は、これも善美も手がつけられません。およそ世の中にあんな武力の持主とい な贅にまさるものがある。 うものは見たこともありません』 やや人なき折を見て玄徳と関羽は、はじめて手を取りあって 関羽は、聞き終ると、 泣いた。関羽は、玄徳の沓に頬を寄せ、玄徳はその手を押しい 『さらば、その珍しい人物の韓と、この青童刀とを、久しぶり ただいて額につけた。 交じえてみよう』 かんべい その小やかな歓宴の座で、玄徳は、関定の子息関平のどこや と、一騎でまっ先に立って、山麓の高所へ馳け上って行っ ひととなりめ ら見どころある為人を愛でて、 『関羽にはまだ子もないから、次男の関平を養子に乞いうけて玄徳も鞭をあててすぐその後につづいた。すると、彼方の岩 はど、つか』と、云った。 角に、鷲の如く、駒を立てていた浪人者は、玄徳のすがたを見 ふたりある息子のひとりである。関定は願ってもないこととると、忽ち鞍から降りて、関羽が来てみた時は、もう地上に平 かんてい ほお かど えたい カんすい ただ 〃 6
『ええ、こんな問答はしておられぬ ! 』 と、童子はふり返って、 巻趙雲は、渓に沿って、馳け去った。部下を上流下流に分け、 『将軍将軍。もしゃ貴方は、そのむかし黄巾の賊を平げ、近頃 ほんたん りゆ、つよしゅう寺一ま の声も嗄れよと呼んでみたが、答えるものは奔潭の波だけだっ は荊州に居るという噂の劉予廾本 ー求とちがいますか』と、いきな り訊ねた。 明ナ . いっか日は暮れた。 玄徳は驚きの目をみはって、 孔 わらべ 趙雲はかさねて襄陽の城内へ戻ってみたが、そこにも玄徳の 『はて、かく草深い里の童が、どうして我が名を存じておるの 姿は見えない。 で、彼は悄然と、夜を傷みつつ、新野の道か、いかにも、自分は劉備玄徳であるが : へ帰って行った。 『あっ、矢張りそうでしたか。私の仕えている師父が、 常に客 と話すのを聞いていたので、劉予州とは、どんな人かと、日 頃、胸に描いていましたところ、いま貴方の耳をみると、人並 だいじし あだな み優れて大きいので、さては、大耳子と綽名のある玄徳様では ないかと思い付いたんです』 『して、そちの師父とは、如何なる人か』 あ早一なとくそう 『ーーー司馬徽、守は徳操。また道号を水鏡先生と申されます。 えいせん ・一うきんらん 産れは頴川ですから黄巾の乱なども、よく見聞しておいでにな 『平常、交わる友には、どんな人々があるか』 じよ・つよう なかんずく ほニノン一′、・ : っ 澄み暮れてゆくタ空の無辺は、天地の大と悠久を思わせる。 『襄陽の名士はみな往来しております。就中、襄陽の靡徳公、 み、まよ ほ・つン : っー ) 白い星、淡いタ月ーー玄徳は黙々と広い野をひとり彷徨ってゆ靡統子などは特別親しくして、よくあれなる林の中に訪うて参 ります』 つまで 『ああ、自分も早、四十七歳となるのに、この孤影、い 童子の指さす方へ、玄徳も眼を放ちながら、 ひょうひょう りんちゅう 無為飄々たるのか』 『 : : : では、あれに見える一叢の林中に、そちの仕える師父の いおり ふと、駒を止めた。 庵があるとみえるな』 茫乎として、野末のタ霧を見まわした。そして過去と未来を ほ・つとく - ) う ほ・つとうし つなぐ一すじの道に、果なき迷いと嘆息を抱いた 『靡徳公、靡統子とは、よく知らぬが、どういう人物か』 ほうとくこうあざなさんみん すると、彼方から笛の音が聞えた。やがてタ霧の裡から近づ 『この二人は、叔父甥の間がらで、靡徳公は守を山民といし ほ・つン : っー ) しげん いて来たのは、牛の背に跨った一童子である。玄徳はすれちが師父よりも十歳ほど年下です。また靡統子は士元と称し、この うらや いながら童子の境遇を羨ましく思った。 人も、私の師父よりまだ五歳ほど若く、この間もふたりして、 0 こと 琴を弾く高士 ひ
美人であろうとそれがしの意をとらえるには足りません』 『趙雲すら桂陽城を奪って、すでに一功を立てたのに、先輩た あくび 巻温顔に笑みを含んで聞いていた玄徳は、そのとき側からロをるそれがしに、欠伸をさせて置く法はありますまい』 から の開いてまた、子童に云った。 と、変に孔明へ絡んで、次の武陵城攻略には、ぜひ自分を 『ーー・併し、今はもうこの城も、わが旗の下に、確乎と占領さ 蜀 と暗に望んだ。 れたのだから、その美人を娶って、溺れない程度に、そちの妻『しかし、もし御辺に、不覚があった場合は』 望 なこうど あやぶ としても誰も非難するものはないだろう。玄徳が媒人してとら孔明が、わざと危むが如く、念を押すと、 せよ、つか』 『軍法にかけて、この首を、今後の見せしめに献じよう』 ふんぜん 『いや、お断りします。天下の美人、豈、一人に限りましよう張飛は、憤然、誓紙を書いて示した。 ゃ。それがしは、唯それがしの武名が、髪の毛はどでも、天下『さらば行け』と、玄徳は彼に兵三千をさずけた。張飛は勇躍 ぶりよ、つ に名分が立たないような事があってはならん。ーーと、それのみして、武陵へ馳せ向った。 おそ こうしゆくげんとく を怕れとします。何で妻子が無いからといって、武人たるもの 『大漢の皇叔玄徳の名と仁義は、もうこの辺まで聞えていま ゅうしゅう が、憂愁を抱きましよう』 す。また張飛は、天下の虎将。 その軍に向って抗戦は無意 玄徳も孔明も、黙然とふかく頷いたまま、後は多くも云わな味でしよう』 たいしゆきんせん * - よ、つし かった。趙子竜こそ真に典型的な武人であると、後には人にも こう云って、太守金旋をいさめたのは、城将のひとり鞏志と 語ったことであったが、その時はわざと一片の恩賞を以て賞し いう者だった。 たに止まった。 『裏切者。さては敵に内通の心を抱いているな』 * - ようし きんせん 金旋は怒って、鞏志の首を斬ろうとした。 卩、、こナま助けてやったが、 人々が止めるので、その一命オし。 彼自身 は即座に戦備をととのえて、城外一一十里の外に防禦の陣を布い ぞくしん 張飛の戦法は殆ど暴力一方の進だった。しかも無策な金旋 はそれに蹴ちらされて、さんざんに敗走した。 きょ - っし そして城中へ逃げて来たところ、楼門の上から鞏志が弓に矢 をつがえて、 『城内の民衆は、みな自分の御に同和して、すでに玄徳へ降参 にくたん ちょうひ このところ脾肉の嘆にたえないのは張飛であった。常に錦甲のことに極った』 つるそら を身に飾って、玄徳や孔明の側に立ち、お行儀のよい並び大名 と、呶鳴りながら、びゅうんと弦を反した。 きようし きんせん としているには適しない彼であった。 矢は、金旋の面に中った。鞏志は、首を奪って、城門をひら の こ、っち - ゅ、つ めと きん - : っ あた きんせん 6
そこへ溯る日の近いことは、分りきっている。 『骨肉の別れ、想思の仲の別れ。いずれも悲しいのは当然だ だんちょう : 立思、 巻『ああ、こう観ていると、自分のいる位置は、まさに呉、蜀、 が、男子としては、君臣の別れもまた断腸の一つだ。 けいしゅう の魏の三つに別れた地線の交叉している真ん中にいる。荊州はまきようばかりは、何度思い止まろうかと迷ったか知れぬ』 明さに大陸の中央である : : : が、ここにいま誰が時代の中枢をつ徐庶は、駒を早めていた りゅうひょう じよう かんでいるか。劉表はすでに、次代の人物ではないし、学林今なお、玄徳の因 5 に、情に、うしろ髪を引かれながら 官海、ともに大器と見ゆるひともない。 : 突としてここに宇 、都に囚われている母の身へも、心は惹かれる。矢のよ こっ 宙から降り立っ申人まよ、 ネ。オしか。忽として、地から湧いて立っ英うに急がれる。 傑はな、、 徐庶の、いはにしかっこ。 りト - ・つほ びん やがて、日が暮れると、若い孔明は、梁父の歌を微吟しなが また、そんな中でも、後に案じられるもう一つの事は、別れ わ しよかっこうめー ら、わが家の灯を見ながら山を降りて行く 際に自分から玄徳へ推薦しておいた諸葛孔明のことである。か 歳月のながれよ早、 。し。いっか建安十二年、孔明は二十七歳と ならず主君玄徳は、近日、孔明を訪れるであろうが、果して、 なっていた。 孔明が請いを容れるかどうか ? りゅうびげんとく そうろ 劉備玄徳が、徐庶から彼のうわさを聞いて、その草廬を訪う『彼のことだ、恐らく、容易にはうごくまい』 日を心がけていたのは、実に、この年の秋もはや暮れなんとし徐庶は、責任を感じた。また、玄徳のために、途々、苦念し ている頃であったのである。 『そうだ : : : 隆中へ立寄っても、さして廻り道にはならぬ。 別辞かたがた孔明にもちょっと会って行こう。そして主君 玄徳の懇望があったら、ぜひ召に応じてくれるよう、自分から もよく頼んでおこう』 じよ・つよ・フせい - ) ・つ そう考えつくと、彼は、にわかに道を更えて、襄陽の西郊へ 廻って行った。 がりゅうおか 臥竜の岡は、やがて彼方に見えて来る。童が寝ているような 岡というのでその名がある。 徐庶の馬は、やがてそこの岡をのばって行く。久しく無沙汰 却説。 していたので、そこらの木々も石もみな旧友の如くなっかしく げんとくじよしょ ここで再び、時と場所とは前にもどって、玄徳と徐庶とが、見える。 - 一うよ、つ 別離を告げた道へ還るとする。 折から晩秋なので、満山は紅葉していた。めったに訪う人も ない孔明の家の屋根は、落葉の中に埋まっていた。門前に馬を さかのぼ . り : ゅ・、つ 臥竜の岡 かえ 0 2 / 0
「おう足下は、荊州武人の師表といわれる文聘ではないか。国る。 巻難に当るや直ちに国を売り、兵難に及ぶや忽ちアを逆しまにし 『百姓たちはどうしたか。妻子従者の輩も、一人も見えぬは ばくせきで のて敵将に媚び、その走狗となって、きのうの友に咬みかかると如何にせしぞ。たとい木石の木偶なりと、これが悲しまずにお 壁は何事そ。その武者振の浅ましさよ。それでも足下は、荊州のられようか』 赤文聘なるか』と、罵った。 玄徳はそう云って、涙を流し、果は声をはなって泣いた。 びほうまんしんあけ と、文聘は答えもやらず、面を赤らめながら遠く駆け走 ところへ : : : 糜芳が満身朱にまみれて、追いついて来 きょちょ ってしまった。次に、曹操の直臣許緒が玄徳へ迫って来たが、 た。身に立っている矢も抜かず、玄徳の前に膝まずいて、 ちょううんしりゅう その時はすでに張飛があとから追いついていたので、辛くも許『無念です。趙雲子竜までが心がわりして、曹操の軍門に降り 褶を追って、一方の血路を切りひらき、無二無三、玄徳を先へました』 逃がして、なお彼はあとに残って、奮戦していた。 と、悲涙をたたえて訴えた。 おうむがえ 『なに、趙雲が変心したと ? 』玄徳は、鸚鵡返しに叫んだが、 びほう すぐ語気を更えて、糜芳を叱った。 ちょううん しかし、張飛の力も、無限ではない。結局、一方の敵軍を、 『ばかなことを ! 趙雲とわしとは、艱難を共にして来た仲で 喰い止めているに過ぎない。 ある。彼の志操は清きこと雪の如く、その血は鉄血のような武 くら その間に、猶も、玄徳を目がけて、 人だ。わしは信ずる。なんで彼が富貴に眼を晦まされて、その 『遁さじ』 志操と名を捨てよう ! 』 まっしぐら 『やらじ』 『いえいえ、事実、彼が味方の群れを抜けて、驀地に、曹軍の と、駆け追い、 駆け争って来る敵は、際限もなかった。逃げ方へ行くのを、この眼で見届けました。確かに見ました』 落ちて行く先々を、伏兵には待たれ、矢風は氷雨と道を横ぎ すると、横合いから、 くら まっげ り、玄徳はまったく昏迷に疲れた。睫毛も汗に濡れて、陽も晦『さてこそ。ほかにもそれを、見たという声が多い』 し心地がした。 と、呶鳴って、糜芳のことばを、支持したものがある。 しんがり 『噫。 も、つ息もつけぬ』 殿軍を果して、今ここへ、追いついて来た張飛だった。 まなじりさ われを忘れて、彼は敢て馬から辷り降りた。五体は綿のごと気の立ッている張飛は、眦を裂いて云う。 く知覚もない。 『よしつ。もう一度引っ返して、事実とあれば、趙雲を一鎗に 刺し殺してくれねばならん。君にはどこそへ身をかくして、し 見まわせば、随き従う者共も、百余騎しかいなかった。彼のばしお体をやすめて居て下さい』 びじくびほうちょううんかんよう し′しオ 妻子、老少を始め、糜竺、糜芳、趙雲、簡雍そのほかの将士は『否々。それには及ばぬ、趙雲は決してこの玄徳を捨てるよう ちりぢり はや みな何処で別れてしまったか、悉く散々になっていたのであな者ではない。やよ張飛、逸ま「たこと致すまいそ』 ぶんへい のが っ ひさめ ともがら やり 278