しる いんぎんていちょう、 『こんどは漢寿亭侯雲長関羽と誌した小旗を負って、戦場へ出気色が直ると、彼はまた、甚だ慇懃鄭重であった。敬んで、 しよう 玄徳を座上に請じ、 巻たそうですから、事実でしよう』 の『玄徳を呼べ。、 しっそやは巧一言をならべおったが、今日はゆる 『こう敗軍をかさねたのも、御辺の義弟たる関羽が敵の中にあ る為。 : : : なんとか、そこに御辺として、思慮はあるまいか』 道さん』 度重なる味方の損害に、気の腐っていた折でもある。袁紹と、諮った。 臣 きつもん ず は、やがて面前に玄徳を見ると、嫌味たツぶり詰問した。 玄徳は、頭を垂れて、 だいじくん 『大耳君、弁解の余地もあるまい。袁紹もなにも云わん。ただ 『そう仰せられると、自分も責任を感ぜずにはおられません』 君の首を要求する』 「ひとつ、御辺のカで、関羽をこっちへ拊くことはできまい 斬れーーーと彼が左右の将に命じたので、玄徳は愕いてさけんか』 『私が、今ここに来ていることを、関羽に知らせてやりさえす 『お待ちなさい。あなたは、好んで曹操の策に、乗る気ですれば、夜を日についでも、これへ参ろうと思いますが』 『なぜ早くそういう良計を、わしに献策してくれなかったの カ』 カ』 『汝の首を斬ることが、なんで曹操の策に乗ることになろう 『義弟とそれがしの間に、まったく消息がなくてさえ、常に、 ひそ 『いや、曹操が関羽を用いて、顔良、文醜を討たせたのは、ひお疑いをうけ勝ちなのに、もし密かに、関羽と書簡を通じたり とえに、あなたの心を怒らせて、この玄徳を殺させるためです。などと云われたら、たちまち禍のたねになりましよう』 この玄徳はいま、将軍の恩養をうけ、し 考えても御覧なさい 『いや、悪かった。もう疑わん。さっそく消息を通じ給え。も かえ かも一軍の長に推され、何を不足にお味方の不利を計りましょ し関羽が味方に来てくれれば、顔良、文醜が生き回って来るに うや。ねがわくば御賢察ください』 も勝る歓びであろう』 きまじめ 玄徳の特長はその生真面目な態度にある。彼の一一 = 〔葉は至極平玄徳は拝諾して、黙々、自分の陣所へ帰った。 とうとう 凡で、滔々の弁でもなく、何等の機智もないが、ただけれんや幕営のそと、星は青い。 じゅんばく 玄徳はその夜、一穂の燈火を垂れ、筆をとって、細々と何か 駈引がない。醇朴と真面目だけである。内心はともかく、人に 書いていた。 はどうしてもそう見える。 もちろん関羽への書簡。 袁紹は形式家だけに、玄徳のそういう態度を見ると、すぐ一 往事今来、さまざまな感慨が 時の怒りを悔いた。 時折、筆をやめて、瞑目した。 / 『いや、そうきけば、自分にも誤解があった。もし一時の怒り胸を往来するのであろう。 ちょうじ 燈火は、陣幕をもる風に、。、チパチと明るい丁子の花を咲か から御辺を殺せば袁紹は賢を忌むものーーと世の嘲笑をうけた せた。 ろう』 けん まさ めいもく おとうと
顔良である。なんと見るからに、万夫不当な猛将らしいではな知るも知らぬも、暴風の外にはいられなかった。 しカ』 関羽が通るところ、見るまに、累々の死屍が積みあげられて の『そうですな。顔良は、背にを立てて、自分の首を売物に出ゆく。 道している恰好ではありませんか』 その姿を『演義三国志』の原書は、こう書いている。 - 一うぞう なみあ 『はて、きようの御辺は、ちと広言が多過ぎて、いつもの謙譲 香象の海をわたりて、波を開けるがごとく、大軍わかれ 臣 な羽将軍とはちがうようだが』 て、当る者とてなき中を、薙ぎ払ひてそ通りける : 『その筈です。ここは戦場ですから』 顔良は、それを眺めて、 めんよう 洋 , ル 7 、 『それにしても、余りに敵を軽んじ過ぎはしまいか』 『ややや、面妖な奴かな。玄徳が義弟の関羽だと。 りん たいしようばん でんち 『否 : : : 』と、身ぶるいして、関羽は凛と断言した。 颯と、大将幡の下を離れ、電馳して駒を向けた。 ばん 『決して、広言でない証拠をいますぐお見せしましよう』 より早く、関羽も、幡を目あてに近づいていた。それ 『顔良の首を予のまえに引ッさげて来ると云われるか』 と、彼のすがたを見つけていたのである。 ざれごと 『ーーー軍中に戯言なしです』 赤兎馬の尾が高く躍った。 せ * 一とば かぶと せんせきでん 関羽は、士卒を走らせて、赤兎馬をそこへ曳かせ、盗をぬい 一閃の赤電が、物を目がけて、雷撃してゆくような勢いだっ せいりゅうえんげつとう で鞍に結びつけると、青竜の偃月刀を大きく抱えて、忽ち山道た。 なんじ を馳け降りて行った。 『顔良は、汝かっ』 それに対して、 『おつ、われこそは』 時しも春。 と、だけで、次を云いつづける間はなかった。 かなん うすあお えんげつ 河南の草も萌え、河北の山も淡青い。江風は温く、関羽の髪偃月の青竜刀は、ぶうんと、顔良へ落ちて来た。 たてがみ をなぶり、赤兎馬の鬣をそよ吹いてゆく。 その迅さと、異様な圧力の下から、身を躱すこともできなか 久しく戦場に会わない赤兎馬は、きようここに、呂布以来のった。 騎り人を得、尾ぶるいして嘶いた。 顔良は、一刀も酬いず、偃月刀のただ一揮に斬り下げられて かんううんちょう いたのである。 『退けや。関羽雲長の道を阻んで、むだな生命をすてるな』 きん よろいかぶとま やおら、八十二斤という彼の青竜刀は鞍上から左右の敵兵 ジャン ! と凄じい金属的な音がした。鎧も甲も真二つに斬 むくろ ふんけっ を、薙ぎはじめていた。 れて、噴血一丈、宙へ虹を残して、空骸は婆娑と地にたたきっ けられていた。 圧倒的な優勢を誇っていた河北軍は、 関羽はその首を取って悠々駒の鞍に結びつけた。 『何が来たのか ? 』と、にわかに崩れ立っ味方を見て疑った。 『関羽。関羽とは何だ』 そして忽ち、敵味方のなかを馳けてどこかへ行ってしまった の て める りよふ さっ えん ちゅ・フにじ えんげつとう おと・つと るいるい かわ 0
が、どうして、一匹の畜生を獲て、そんなに歓喜するのかね』て、 巻 と、たずねた。 『大丈夫たる者は、およそ事の些末に囚われす、大乗的に身を のすると関羽は、 処さねばなりますまい。いま丞相は朝廷の第一臣、敗亡の故主 道『こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方を恋々とお慕いあるなど愚ではありませんか』 『丞相の高恩は、よく分っているが、それはみな、物を賜うか 臣が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り 祝福しているのです』と、言下に答えた。 たちでしか現わされておらぬ。この関羽と、劉皇叔との誓い は、物ではなく、心と心のちぎりでござった』 四 『いや、それはあなたの曲解。曹丞相にも心情はある。いや士 ゅうゆう 悠々、赤兎馬に跨って家路へ帰ってゆく関羽をーー曹操はあを愛する心は、決して玄徳にも劣るものではない』 と見送って、 『しかし、劉皇叔と此方とは、まだ一兵一槍もない貧窮のうち 『しまった : : 』と、唇を噛みしめていた。 に結ばれ、百難を共にし、生死を誓ったあいだでござる。さり どんな憂いも長く顔にとどめていない彼も、その日は終日ふとて、丞相の恩義を無に思うも武人の心操がゆるさぬ。何が さいでいた、 な、一朝の事でもある場合は身相応の働きをいたして、日ごろ ちょうりよう 張遼は侍側の者から、その日の仔細を聞いて深く責任を感の御恩にこたえ、然る後に、立ち去る考えでおりまする』 : もし玄 ~ 彳か、この世においでなき時は、どう召さ で、曹操にむかい れる気か』 『ひとつ、私が、親友として関羽に会い彼の本心を打診してみ『。ーー地の底までも、お慕い申してゆく所存でござる』 亠ま、しよ、つ』 張遼はもうそれ以上、武人の鉄石心に対して、みだりな追及 と申し出た。 もできなかった。 曹操の内諾を得て張遼は数日ののち関羽を訪ねた。 門を辞して帰るさも、張遼ひとり煩悶した。 しんけい 世間ばなしの末、彼はそろそろ探りを入れてみた。 『丞相は主君、義において父に似る。関羽は心契の友、義にお あざむ いて、兄弟のようなものだ。 『あなたを丞相に薦めたのはかくいう張遼であるが、もう近頃 : 兄弟の情にひかれて父を欺く は都にも落着かれたであろうな』 とせば、不忠不義。ああどうしたものか』 すると関羽は答えて、 しかし彼は、関羽の忠節を鑑としても、自分の主君に偽りは 『君の友情、丞相の芳恩、共にふかく心に銘じてはおるが、心云えなかった。 りゅう - 一うしゆく 上もやま はつねに劉皇叔のにあって、都にはよ、。 ここにいる関羽『ーーー行って参りました。四方山ばなしの末、いろいろ探って うっせみ とど は空蝉のようなものでござる』 みましたが、あくまで留まる容子は見えません。丞相の高恩は : 』と、張遼は、そういう関羽をしげしげ眺めふかく弁えていますが、さりとて、心をひるがえし、二君に仕 またが わきま 、まっ
童 びよう 曹操は一計を按じて、近ごろ微恙であったが、快癒したと表繩でくくられた一名の罪人だった。 がゼん へ触れさせた。そして、招宴の賀箋を知己に配った。 きひす その一夕、相府の宴には、踵をついで来る客の車馬が迎えら 宴楽の堂は、一瞬に、墓場の坑みたいになった。曹操は声高 れた。相府の群臣も陪席し、大堂の欄や歩廊の廂には、華燈のらかに、 きらめ しよきよう 燦きと龕の明りが懸け連ねられた。 『諸卿は、このあわれな人間を御承知であろう。医官たる身で こよいの曹操はひどく機嫌よく、自身、酒間をあるいて賓客ありながら、悪人共とむすんで、不逞な謀をした為、自業自 をもてなしなどしている風なので、客もみな心をゆるし、相府得ともいおうか、予の手に捕われて、このような醜態を、各よ 直属の楽士が奏する勇壮な音楽などに陶酔して、 の御酒興にそなえられる破目となりおったものである。 : : : 天 もう力し力し 『宮中の古楽もよいが、さすがに相府の楽士の譜は新味がある網恢々、なんと小癪な、そして滑槽なる動物ではないか』 ひろ し、哀調がありませんな。なんだか、心が濶くなって、酒をの むにも、大杯でいただきたくなる』 もう誰も拍手もしなかった。 しわぶき いや、咳一つする者さえない 『譜は、相府の楽士の手になったものでしようが、今の詩は丞 相が作られたものだそうです』 ひとり、なお余息を保っている吉平は、毅然として、天地に おもて 『ほう。丞相は詩もお作りになられますか』 恥じざるの面をあげ、曹操をにらんで云った。 うえん . はみ、け 『迂遠なことを仰っしやるものではない。曹丞相の詩は夙に有『情を知らぬは大将の徳であるまい。曹賊。なぜわしを早く殺 名なものですよ。丞相はあれでなかなか詩人なんです』 さぬか。ーーー人は決してわしの死を汝に咎めはしまい。けれど しゅうんぎんこうえん そんな雑話なども賑わって酒雲吟虹、宴の空気も今がたけな人は、汝がかくの如く無情なることを見せれば、無言のうちに わと見えた折ふし、主人曹操はつい立「て、 汝から心が離れてゆくぞ』 『われわれ武骨者の武楽ばかりでも、興がありますまいから、 『笑止な奴。そのような末路を身で一小しながら、誰がそんな口 各位の御一笑までに、ちょっと、変ったものを御覧に入れる。賢いことばに耳を貸そうか。獄の責苦がつらくて早く死にたけ どうか、酒をお醒ましならぬように』 そうだ、各、、、吉 れば、一味徒党の名を白状するがよい 平の白状を聞き給え』 と、断り付きの挨拶をして、傍らの侍臣へ、何か小声でいい つけた。 彼は直ちに、獄吏に命じて、そこで拷問をひらき始めた。 肉をやぶる鞭の音。 四 骨を打っ棒のひびき。 吉平のからだは見るまに塩辛のように赤くくたくたになっ なにか余興でもあるのかと、来賓は曹操のあいさつに拍手を 美送り、いよいよ興じ合って待っていた。 ところが やがてそこへ現れたのは、十名の獄卒と、荒 がん せき ひ、、し たくらみ てん
しんが いっとなく思いあがって、遂には、反逆の心芽を育て、行く行騒然、立ちあがる気配が聞えた。ーー孔融は ( ッと眼をみひ 巻くは、身みすからの荊棘を作るにいたる。 愚しきかな。笑らいたが、とたんに満身の毛穴から汗がながれた。 の、つべき哉』 曹操も立ちあがっていたからである。 が、曹操は、剣を 道 つかんで雪崩れ行こうとする諸大将のまえに両手をひろげて、 『われ禰衡は、天下の名士であるものを、おん身は、礼遇もし こう叫んでいた。 臣 ないばかりか、鼓を打たせて辱しめようとされた。まことに小 『ならん、誰が禰衡を殺せと命じたか。 予を偉大な匹夫と 人の沙汰である。むかし陽貨が孔子をうらんで害を加えんとし云ったのは、当らすといえども遠からずで、そう怒り立っ値打 ぞうそう やから つば ふじゅ たり、臧倉などという輩が孟子に向って唾を吐いたしぐさにも 十 / し しかも、この腐儒などは、鼠のごときもので、太陽、 はどう 似ておる。おん身の内心には、人もなげなる覇道の遂行を思い大地、大勢を知らず、町にいては屋根裏や床下でひとり小理窟 ながら、行う事といったら、かくの如き小心翼々たるものだ。 をこね、誤って殿上に舞いこんでも、奇矯な動作しか知らない きめんひとおど 小、いにして鬼面人を脅すもの、是を、匹夫という。ーー実にも日陰の小動物だ。斬り殺したところでなんの益にもならん、そ 稀代の匹夫が玉殿にあらわれたものだ。時の丞相曹操 ! ああれよりは予が、彼に命じることがある』 偉大だ ! 偉大な匹夫だ ! 』 一同を制した後、曹操は、あらためて彌衡を舞台から呼びよ 手をたたいて慢罵嘲笑する彼の容子は、それこそ、偉大な狂せ、衣服を与えて、 いのち 人か、生命知らずの馬鹿者か、それとも、天が人をして云わし 『荊州の劉表と交りがあるか』と、たすねた。 めるため、ここへ降した大賢かーーーとにかく推し量れないもの があった。 曹操の面は、蒼白になっている。否、殿上はまったく禰衡一 『むむ。劉表とは多年、交りがあるが 』と、禰衡が鼻さき 人のために気をのまれてしまったかたちで、この結果が、どんで答えると、 な事になるかと、人事ながら文武の百官は唾をのみ歯の根を噛『しからば、予のために、すぐ荊州へ下って、使いをせい』と せいそう んで、悽愴な沈黙をまもりあっていた。 いう曹操の命であった。 こうゆ・つ 孔融は心のうちで、今にも曹操が、禰衡を殺害してしまいは いま彼の命令とあれば、宮中でも相府でも、行われないこと せぬかと , ・・・、・ーー眼をふさいで、はらはらしていた。 •H よ、かっこ。、、 禰衡は、首を横に振った。 まなじり その耳には、やがて満座の諸大将が、剣をたたき、眦をあげ 『いやだ』 て、 『なぜ、いやか』 『舌長なくされ学者め。云わしておけば野放図もない悪口雑『おおかた用向は分っておるから、わしの任ではないと思うだ 言。四肢十指をばらばらに斬りさいなんで目にものをみせてく れる』 『予がまだ何もいわぬのに、使命は推察がつくというか』 ひとごと ねい - 一う
当時吉川さんは新聞私は " 三国志 , のころが、吉川さんの一生において、最も油の乗 4 小説として " 宮本武蔵り切った、創作活動の旺盛な、全盛期ではなかったかと思う。″三 ( 朝日 ) 、 " 新書太閤記 , 国志。はまぎれもなく、吉川さんの全盛期を代表する作品の一つで ( 読売 ) を執筆中で、あると私は信じている。 新たに〃三国志〃を加吉川さんは有信館道場の中山博道範士と親交があり、中山さんが えて三本になった。同林崎神社の境内で、毎夜一万一千刀の居合抜きを試みた、若いころ 時に三本の新聞連載をの言語に絶する荒修行について私どもに話してくれ、一芸に秀でる 持っことが、どんなに者の修行が、並たいていでないことを力説された。思うに吉川さん 苦労な仕事であるかは、昼夜をおかぬ執筆の苦業の最中、いつも深夜に刀をふるう中山 は、その方面の消息通さんの姿を思い浮べ、闘志を奮い起しておられたのではあるまい なら、誰でもすぐ推察 がつくことだ。 午前の二時、三時、下の応接間で原稿を待っている私のところ 新聞のほかに雑誌のへ、二階の書斎から折々メモ紙がもたらされる。ある冬の夜のそれ 連載ものがたくさんあは ( 朝までの炭つぐ紙の白さ哉ーーー二階にて ) また ( 何をとて人は り、合間をぬって短篇眠るに炭つぎてものや書くらんこの狂ひ人 ) であった。 も書かれたのだから、 吉川家に田中義一君という、吉川家の主のような有名な書生さん この頃の吉川さんの日がいて、赤坂表町の吉川邸 ( 旧江木翼邸だった ) の玄関から応接間 ばんきム 常というものは、まさに降りていった右側の、二畳はどの小部屋に蟠踞して、よく働きょ に修羅場の連続であく勉強していた。 著者が愛読した帝国文庫「通俗三国志」り、執筆の鬼と化してその田中事務室に " 苦徹成珠。という、中山さん揮毫の額が掲げ いた。くる日もくる日も、寸暇もない原稿との格闘であった。 てあった。苦徹成珠は中山さんの修行のモットー であるが、同時に その昼夜をおかぬ真摯な苦業を、私どもは横から見ていて、驚異吉川さんの執筆度でもあった。朝からタ刻までかかって、どうし や感歎をこえて、凄愴な感じに打たれたものである。あれではお身ても " 宮本武蔵。の一回分が書けないというような、苦しい場面も 体に障りはしないかと、またひそかに憂慮もしたのである。ご健康しばしばあった。そんな時には家中全体がなんとも言えぬ重苦しい を心配しながらも、私どもは朝から晩までやいやい言って、原稿督空気につつまれる。私どもは魚のように敏感にその空気を感じとっ まゆ 促の攻め手の鬼に廻っていたのだから、甚だ矛盾した心情といわねて、眉をひそめたものだ。 ばならぬ。けれども、こちらだって鬼にならなければ、吉川さんの武蔵を書き、太閤記を書き、三国志を書き、つまりその日の新聞 京稿など一枚だってとれはしなかっただろう。 を書き上げてから雑誌に取りかかる、それが普段の順序だった。だ めし
と。 害そうとする考えであるに違いない 『ところで、先生にお教を乞いたい事がありますが』 が彼は、欣然、 『何ですか』 『白馬、官渡の戦いに就いて』 『承知しました』と、ことばをつがえて帰って行った。 ろしゆく えんしよう 『あれは袁紹と曹操の合戦でしよう。私に何が分りましよう』 側にいた魯粛は、周瑜の為にも孔明の為にも惜しんで、後か うんちく 『いや、先生の蘊蓄ある兵法に照して、あの戦いに寡兵を以てらそっと孔明の仮屋を窺ってみた。 だいしようり けんは よく大軍を打破った曹操の大捷利は、何に起因するものなるか帰るとすぐ、孔明は鉄甲を着け、剣を佩き、早くも武装して をーー・それがしのために説き明かしていただきたいので』 夜に入るのを待ちかまえている様子である。魯粛は怺えかね そうしよう 『士気、用兵の敏捷、もとより操と紹との違いもありましようて、姿を見せ、気の毒そうにたずねた。 うそう が、要するに、曹軍の奇兵が、袁紹側の烏巣の兵糧を焼き払っ 『先生、あなたは今宵の御発向に、必勝を期して行かれるので たことが、ますあの大捷を決定的なものにしたといっても過言すか。それとも、やむなき破目と、観念されたのですか』 ではありますまい』 孔明は、笑いを含んで、 しゅうゆ 『広言のようですが、この孔明は、水上の船戦、馬上の騎兵 『ああ、愉快』と、周瑜は膝を打って、 『先生のお考えもそうでしたか、自分もあの戦いの分れ目はそ戦、輸車戦車の合戦、歩卒銃手の平野戦、いずれに於ても、そ の一挙にあったと観ておった。 思うに今、曹操の兵力は八 の妙を極めぬものはありません。ーーー何で、敗北と諦めながら 十三万、わが軍の実数はわずか三万、当年の曹操は将にその位出向きましよう』 置を頑倒して絶対優勢な側にある。これを破るには、われも 『しかし、曹操はどな者が、全軍の生命とする糧倉の地に、油 亦、彼の兵糧運送の道を断つが上策と考えるが、先生以て如何断のあるはずはない。寡兵をもって、それへ近づくなど、死地 となすか ? 』 に入るも同様でしよう』 『彼の糧地はどこか突きとめてありますか』 『それは、貴公の場合とか、また周都督ならそうでしよう。そ 『百方、物見を派して探り得ておる。曹操の兵糧はことごとく う二者が一つになっても、漸くこの孔明の一能にしか成りませ じゅてつ詈ん 聚鉄山にあるという。先生は少年の頃から荊州に住み馴れ、あんからな』 の辺の地理には定めしおくわしいであろう。彼を破るは、共に 『二者にして一能にしか成らんとは、どういうわけですか』 しゅうゆ 主君の御為、ひとっ決死の兵千余騎を貸しますから、夜陰、敵『陸戦にかけては魯粛、水軍にかけては周瑜ありとは、よく呉 客 地に深く入って、彼の糧倉を焼き払って下さらんか。 あなの人から自慢に聞くことばです。けれど失礼ながら、陸の覇者 のたを措いては、この壮挙を見事成し遂げる人はいない』 たるあなたも、船戦にはまったく晦く、江上の名提督たる周閣 かつば 地 下も、陸戦においては、河童も同様で、なんの芸能もありませ まった ん。 思うに、完き名将といわるるには、智勇兼備、水陸両 孔明はすぐ覚った。これは周瑜が、敵の手をかりて、自分を軍に精しく、いずれを不得手、いずれを得手とするが如き、片 びんしよう かへい ゅしゃ ろしゆく くら ふないくさ かた 3 刀
がりゅうせんせい 『お。臥竜先生か』 しよかっきん 巻孫権も彼の名は久しく聞いている。しかも自分の臣諸葛瑾の の弟でもある。さっそく会いたいと思ったが、然し、その日の事 こも 1 一も 一同交くの挨拶がすむと、やがて張昭は、孔明に向って云っ 壁もあるので評議は一応取止め、明日また改めて参集すべし と諸員へ云い渡した。 赤 りゆ - つよしゅう そうろみたび 次の日の早朝、魯粛は、孔明をその客館へ誘いに行った。前 『劉予州が、先生の草廬を三度まで訪ねて、ついに先生の出廬 一い力しもくよく の夜から報らせがあったので、孔明は斎戒沐浴して、はや身支をうながし、魚の水を得たるが如しーーーと歓ばれたという噂 は、近頃の話題として、世上にも伝えられていますが、その 度をととのえていた。 けいしゅ - っ 『きよう呉君にお会いになって、曹操の兵力を問われても、余後、荊州も奪らず、新野も追われ、惨めな敗亡をとげられたの り実際のところをお云いにならない方がよいと思います。何は一体どういうわけですか。われわれの期待は破られ、人みな - 一となか 分、文武の宿老には、事勿れ主義の人物が大半以上ですから』不審がっておりますが』 魯粛は、親切に囁いたが、孔明には、別に確たる自信がある皮肉な質問である。 ものの如く、ただ頷いて見せるだけだった。 孔明はじっと眸をその人に向け直した。 み一いそうじよ・つ 柴桑城の一閣には、その日、かくと聞いて、彼を待ちかまえ張昭は、呉の偉材だ。この人を説服し得ないようでは、呉の ちのう ていた呉の智嚢と英武とが二十余名、峩冠をいただき、衣服を藩論をうごかすことは至難だろう。 そう胸には大事を期し はくぜんこくぜんさいがんきよがんそうくひだい ながら、孔明はにこやかに、 正し、白髯黒髯、細眼巨眼、痩驅肥大、各く異色のある威儀と りゅうよしゅう 『六、れば。 沈黙を守って、 もしわが君劉予州が荊州を奪ろうとなされば、 てのひらかえ たやす ( さて。どんな人物 ? ) と、云わぬばかりに居並んでいた。 それは掌を反すより易いことであったでしよう。けれど君と すがすが しん 孔明は、清々しい顔をして、魯粛に導かれて入って来た。そ故劉表とは同宗の親、その国の不幸に乗って、領地を横奪する して居並ぶ人々へ、いちいち名を問い、ししネ 、ち、ちを施してか がごとき不信は、余人は知らす、わが仁君玄總にはよく為さり ら、 ません』 『いただきます』 『これは異なことを承わる。それでは先生の言行に相違がある と、静かに客位の席へついた というものだ』 しの ひょうびよう その挙止は縹渺、その眸は晃々、雲を凌ぐ山とも見え、山『なぜですか』 かんちゅうがっき にかくされた月とも思われる。 『先生はみずから常に自分を春秋の管仲、楽毅に比していたそ ( さては此の人、呉を説いて、呉を曹操に当らせんためーー・単うですが、古の英雄が志は、天下万民の害を除くにあり、その はぎようとう 身これへ来たものだな ) 為には、小義私情を捨てて大義公徳に拠り、良く覇業統一を成 ちょうしよう しとげたものと存ずるが いま劉予州をたすけて、今日の管 さすが呉国第一の名将といわれる張昭は、じろと瞬間に、 し - : っ - 一う がかん そう観やぶっていた 296
うなず 玄徳以下の全軍が対岸へ渡り終ったころ、夜は白みかけてい 頷かせるところがあった。しかし曹操は、 や 『それなら一体誰を、玄徳のところへ使に遣るか』 の孔明は、命を下して、 という事になお考えを残しているふうだった。 壁『船をみな焼き捨てろ』と、云った。 劉嘩は一言のもとに、 はんじよ・つ そして、無事、樊城へ入った。 『それは、徐庶が適任です』と、云った。 赤 えん りゆ・つよ、つ この大敗北は、やがて宛城にいる曹操の耳に達した。曹操 ばかを云えーーーといわぬばかりに曹操は劉嘩の顔をしり目に は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて、 見て、 しよかつひっふ 『諸葛匹夫、何者そ』と、怒變をたてて罵った。 『あれを玄徳の許へやったら、再び帰ってくるものか』 はんじよ・つ すでに彼の大軍は彼の命を奉じて、新野、河、樊城など、 と、唇をむすんで、大きく鼻から息をした。 一挙に屠るべく大行動に移ろうとした時である。帷幕にあった 『いやいや、玄徳と徐庶との交清は、天下周知のことですが、 りゅうようせつ 劉嘩が切にいさめた。 それ故に、もし徐庶が御信頼を裏切って、この使から帰らなか あまね 『丞相の威名と、仁慈は、北支に於てこそ、遍く知られておったりなどしたら、天下の物笑いになります。彼以外に、この りますが、 この地方の民心はただ恐れることだけを知っ使の適任者はありません』 て、その仁愛も、丞相を戴く福利も知りません。ーー故に玄徳 『なるはど、それも一理だな』 は、百姓を手なずけて、北軍を鬼の如く恐れさせ、老幼男女こ彼はすぐ幕下の群将のうちから、徐庶を呼び出して、厳か とごとく民のすべてを引き連れて樊城へ移ってしまいました。 に、軍の大命をさずけた。 この際、お味方の大軍が、新野、樊城などを踏み荒し、そ の武威を示せば示すはど、民心はいよいよ丞相を恐れ、北軍を 敬遠し、その總になっくことはありません。ーー民なければ、 徐庶は、命を奉じて、やがて樊城へ使した。 いかに領土を奪っても、枯野に花を求めるようなものでしょ 『なに、曹操の使として、徐庶が見えたと』 : 如かず、ここはぜひ御堪忍あって、玄徳に使を遣り、 玄徳は、旧情を呼び起した。孔明と共に堂へ迎え、 彼の降伏を促すべきではありますまいか。玄徳が降伏せねば、 『かかる日に、御辺と再会しようとは』と嘆じた。 きゅうかっ 民心のうらみは玄徳にかかりましよう。そして荊州のお手に入 語りあえば、久濶の清は尽きない。レ ナれど今は敵味方であ けいしゅ・つけいりやく るのは目に見えている。すでに荊州の経略が成れば、呉の攻略る。徐庶はあらためて云った。 まった も易々たるもの。天下統一の御覇業は、ここに完きを見られま 『今日、それがしを向けて、あなたに和睦を乞わしめようとす こいたすら あたら えんさ てんか する。ーー・何をか、一玄徳の小悪戯に関わって、可惜、貴重なる曹操の本志は、和議し こあらす、ただ民心の怨嗟を転嫁せん為 かんけ、 兵馬を損じ、民の離反を求める必要がございましようか』 の奸計です。これに乗って、一時の安全をはかろうとすれば、 劉嘩の献言は大局的で、一時いきり立った曹操にも、大いレ 恐らく悔いを百世に残しましよう。不幸、自分はあなたの敵た りはん カカ しんや し はんじよ、つ 270
二人の息子は、碁を囲んで遊んでいたが、すこしも驚かず、 遺言にひとしい切実な頼みであったが、玄總はどうしても受 、丁よ、つ , ) 。 ーし一十 / ー刀チ′ 巻『ーー巣すでに破れて、卵の破れざるものあらん乎』 のと、なお二手三手さしていた。 孔明は後にその由を聞いて、 壁勿論、たちまち踏みこんで来た捕吏や武士の手にかかって、 『あなたの律義は、却って、荊州の禍を大にしましよう』と、 甬苗ー ) こ。 兄弟とも斬られてしまった。 1 ′日 . 赤 邸は炎とされ、父子一族の首は市に梟けられた。 その後、劉表の病は重るばかりな所へ、許都百万の軍勢はす じゅんいく きこんおののと 彧は、後で知って、 でに都を発したと聞えて来たので、劉表は気魂も顫き飛ばし 『どうも、困ったものです』と、苦々しげに云ったきりで、いって、遺言の書をしたためて後事を玄徳に頼んだ。 御身が承 ちゃくし りゆ、つキ - もの如く、曹操へ諫言はしなかった。諫言も間に合わないし、知してくれないならば、嫡子の劉琦を取立てて荊州の主に立て また無言で居るのも、一つの諫言になるからであろう。 てくれよというのであった。 蔡夫人は、穏やかならぬ胸を抱いた。彼女の兄蔡珊や腹心の 張允も、大不満を含んで、早くも、 ひんびん りゅうそう 曹操みずから、許都の大軍をひきいて南下すると、頻々、急『 いかにして、琦君を排し、劉琮の君を立てるか』を、日夜、 ギ - よう を伝えて来る中を、荊州の劉表は、枕も上らぬ重態をつづけてひそひそ凝議していた。 ーりゆ・つを、 とも知らず、劉表の長男劉琦は、父の危篤を聞いて、遠 『御身と予とは、漢室の同宗、親身の弟とも思うているのに く江夏の任地から急いで荊州へ帰って来た。 そして旅舎にも憩わず、直ちに城へ入って来ると、内門の扉 病室に玄徳を招いて、彼は、喘れぎれな呼吸の下から説いてはかたく彼を拒んで入れなかった。 みとり 『父の看護に就こうものと、はるばる江夏から急いで来た劉琦 『予の亡い後、この国を、御身が譲りうけたとて、誰が怪しも なるぞ。城門の者、番の者、ここを開けい。通してくれよ』 う。奪ったなどといおう。 いや、いわせぬように、予が遺すると、門の内から蔡瑁は声高に答えた。 ふくん おもむ 言状をしたためておく』 『父君の御命をうけて、国境の守りに赴かれながら、無断に江 玄恵は、強って辞した。 夏の要地をすてて、御帰国とは心得ぬお振半。、 多したい誰のゆ 『せつかくの尊命ですが、あなたには御子達がいらっしゃいまるしをうけてこれに来られたか。軍務の任の重きことをお忘れ す。なんで私が御国を継ぐ必要などありましよう』 あったか。たとえ御嫡子たりともここをお通しするわけには参 みなしご 『いや、その孤子の将来も、御身に託せば安心じゃ。どうかあらん。ーーー疾々お帰りあれ、お帰りあれ』 ば・つおじ の至らぬ子等を扶け、荊州の国は御身が受け継いでくれるよう 『その声は、瑁伯父ではないか。せつかく遠路を参ったのに、 門を入れぬとは無情であろう。すぐ江夏へ帰るはどに、せめて ふたてみて か ちょういん りち 262