陳応の馬が、竿立ちにな「た。趙雲は猿臂をのばして、その模の小さい地方の一城市だが、それでもこの日は、郡中の百姓 みな香を焚いて辻に出迎え、商戸や邸門はすべて道を掃いてい 襟がみを引っ掴み、陣中へ持ち帰って訓戒を与えた。 城に入ると、趙雲はすぐ、 。汝等の恃むた。 『およそ喧嘩をするにも、相手を見てするがいし 『四門に札を揚げい』と命じた。 兵力と、劉皇叔の精鋭とは、ちょうど今日のおれと貴様との闘 四民に対して、政令を示すことたった。これは、一城市を占 いみたいなものだ。今日のところは、放してやるから、城中へ ちょうはん 。何も求めて滅亡する領すると、例外なく行われることである。 戻って、よく太守趙範にも告げるがいし 終ると、趙範は、自ら迎えて、彼を招宴の席に導いた にはあたるまい』 そこで降参の城将が、この後の従順を誓う。 と陳応は野鼠のように城へ逃げ帰った。 趙子竜は大いに酔った。 太守の趙範は、 あらた 『それ見たことか』と、初めに強がった陳応を却って憎み、城『席を更えましよう。興も革まりますから』 カ - 一うほ - つみ一ん 外へ追出してしま「た後、あらためて趙雲子童へ、降参を申入後堂へ請じて、また佳肴芳盞をならべた。後堂の客は、家庭 の客である。下へも措かないもてなしとはこの事だった。 れた。 じようひん だいぶ酩酊して、 趙雲は満足して、この従順な降将へ、上賓の礼を与え、更に 『もう帰る』と、趙子童が云い出した頃である。まあまあと引 酒など出してもてなした。 くん 止めているところへ、ぶーんと薫が流れて来た。 趙範は、途方もなく喜悦して、 そけんまと ちょうし 『おや ? 』と、趙子童が振向いてみると、雪のような素絹を纒 『将軍とてまえとは、同じ趙氏ですな。同姓であるからには、 った美人が楚々と入って来て、 とうか長く一族の 先祖はきっと一家の者だったにちがいない。、、 よしみ 『お呼び遊ばしましたか』と、趙範へ云った。 好誼をむすんで下さい』 趙範はうなずいて、 と、兄弟の盃を乞い、なお生れ年をたずねたりした。 ちょううん 生れた年月を繰「てみると、趙雲のほうが四カ月ほど早く生『ああ。こちらは、子竜将軍でいらっしやる。しかもわが家と ちかづき ちょうはんひたい 同じ趙姓だ。お昵懇をねがって、何かとおもてなしするがい れている。趙範は額を叩いて、 い』と、席へ倚らせた。 『じゃあ、貴方が兄だ』と、もう独り極に決めて、嬉しいずく 趙子竜は改まって、 めに包まれたような顔して帰った。 『こちらは誰方ですか』 扇次の日。書簡が来た。 と、その美貌に、眼を醒ましたように、趙範を顧みて訊ね 実に美辞麗句で埋っている。 羽 そんな物をよこさなくても、趙雲は堂々入城する予定であっ 白たから、部下五十余騎を引率して、城内へ向った。 キ - よと じようよう′一し 許都、襄陽、呉市などから較べれば、比較にならないはど規 め えんび たの イ 73
んだ。 く嫁いで、母の危篤と聞いては、やはり弱い女に過ぎなかっ ここぞと、周釜ロは、 つばみ一 『翼ある御身なれば、すぐにも御対面はかないましようが、い 黄昏れ頃。 かにせん長江の水速しといえども、船旅では幾日もかかりま ことし五歳の阿斗をふところに、夫人は、車にかくれて、城 す。すぐ御用意あって、それへ御召遊ばさねば、ついに御臨終中から忍び出た。 しようけん には間にあいますまい』 呉以来、側近く侍いている三十余人の侍女は、みな小剣を腰 おっとげんとくしよく たずさ : というて、いまは良人玄徳は蜀へ入って、この城におい に佩き、弓を携えて夜道をいそいだ。 さとうちんふとう ひ で遊ばさず』 沙頭鎮の埠頭に、車はつく。船の燈は暗く波間にゆれてい 『それは御兄上の孫将軍から後にお詫をして貰えばよいでしょ う。親への大孝。よもお叱りはありますまい』 ざわめく蘆荻のあいだから船は早くも離れかけた。帆車が軋 『でも、孔明が何というかしれない。留守の出入は孔明がきびる。怪鳥のつばさのように帆は風をむ。 しく守っているのですから』 『待てつ。その船待てつ』 けんそう 『あの人に告げたら、断じて、呉へ下る事など、許すはすはあ 岸の暗がりに、馬の嘶きやら剣槍のひびきが聞えた。 しゅうぜんとも りません。自身の責任のみ大事に思いましようから』 周善は艫に立って、 『飛んでも行きたい思いがする。 : 周善よい智恵をかして賜『いそげ、振り向くな』 と、水夫たちを叱咤した。 ・一うとう ちょうしよう 『されば、いずれ此の事は尋常ではかなわじと考え、張昭の 江頭の人影は、刻々、多くなって、騒ぎ立っている。中にひ ちょうしりゅう こうへんしゅび さしすにより帆足速き一艘を江岸へ着けて置きました。御決意とり目立っているのは、常山の趙子童、即ち江辺守備の大将で あった。 だにあらば、すぐ御案内いたしましよう』 なにものも要らない気になった。ついに彼女は身支度した。 周善は諸方のロを見張りながら、その間に早口に告げた。 『そうそう、和子様もお連れ遊ばせよ。御母公には、日頃から 『おういつ。待て』 りゅう - 一うしゅ ( ちょううん 劉皇叔の家には、愛らしい一子ありとお聞きになって、一目 船の影を追いながら、趙雲は岸に沿って馬を飛ばした。部下 くちぐせ 見たいと口癖に仰しやっておられました。和子様は懐にでもおの兵も口々に、 抱きになってー・ーようございますか和子様も』 『のがすな。あの船を』と、十里も駆けた。 彼女の心はもう呉の空へ飛んでいる。なにをいわれても唯々 一漁村へかかった。 せんけん ちょううんこま 珠として云われる儘にうごいていた。嬋娟にして男まさりな呉妹趙雲は駒をすてて、漁夫の一舟へ飛び乗り、 よ・つちょう 君といわれ、その窈窕たる武技も有名な夫人であったが国外遠『あの船へ漕ぎ寄せろ』と、先に廻っていた。 ほあしはや わ - 一み、ま そ わび たそが とっ けちょう ろてき かしず 573
後に、語り草として、世の人はみなこう云った。 『曹洪、曹洪。あれは誰だ。まるで無人の境を行くように、わ ちょう - 一う 巻 ( ーー其の折、坑のうちから紅の光が発し、張部の眼が晦んが陣地を駆け破 0 て通る不敵者は ? 』 ちょううん のだ刹那に趙雲は彼を仆した。これみな趙雲のふところに幼主阿と、早口に訊ねた。 と しよく 壁斗の抱かれていた為である。やがて後に蜀の天子となるべき洪曹洪を始め、その他群将もみな手を眉に翳して、誰か彼か あしもと 福と天性の瑞兆であったことは、趙雲の翔ける馬の脚下から紫と、口々に云い囃していたが、曹操は焦れッたがって、 赤 の霧が流れたということを見てもわかる ) 『早く見届けて来い』と、ふたたび云った。 然し、事実は、紫の霧も、紅の光も、青釭の剣があげた噴曹洪は馬をとばして、山を降ると、道の先へ駆けまわって、 血であったにちがいない。 。ナれど又、彼の超人的な武勇と精神彼の近づくのを見るや、 力のすばらしさは、それに蹴ちらされた諸兵の眼から見ると、 『ゃあ、敵方の戦将。ねがわくば、尊名を聞かせ給え』と、呼 ばわった。 やはり人間業とは思えなかったのも事実であろう。紅の光ー それ 声に応じて、 それは忠烈の光輝だといってもいい。紫の霧 ! ちょうしりゅう は武神の剣が修羅の中に曳いて見せた愛の虹だと考えてもい 『それがしは、常山の趙子竜。ーー見事、わが行く道を、立ち 塞がんとせられるか』 ともあれ、青釭の剣のよく斬れることには、趙雲も驚いた と、青釭の剣を持ち直しながら趙雲は答えた。 この天佑と、この名剣に、阿斗はよく護られて、ふたたび千軍曹洪は、急いで後へ引っ返した。そして曹操へその由を復命 万馬の中を、星の飛ぶように、父玄徳のいる方へ、またたくうすると、曹操は膝を打って、 ちょうしりゅう ちに翔け去った。 『さては、かねて聞く趙子竜であったか。敵ながら目ざましい 者だ。まさに一世の虎将といえる。もし彼を獲て予の陣に置く ことができたら、たとえ天下を掌に握らないでも、愁いとする ちょううん には足らん。 早々、馬をとばして、陣々に触れ、趙雲が通 キ、ト、つ せきど るとも、矢を放つな、石弩を射るな、ただ一騎の敵、狩猟する 長坂橋 ど ように追い包み、生け擒ってこれへ連れて来いと伝えろ ! 』 鶴の一声である。諸大将は、はっと答えて、部下を呼び立て 忽ち見る、十数騎の伝令は、山の中腹から逆落しに駆 け降ると、すぐ八方の野へ散って馬けむりをあげて行く。 真の勇士、真の良将を見れば、敵たることも忘れて、それを 幕下に加えようとするのは、由来、曹操の病どいっていいほど な持前である。 けいん この日、曹操は景山の上から、軍の情勢をながめていたが、 ふいに化細六、して、 ↓つよ、つ しるし くれない くれない く、 くら あ そう - 一う て まゆかざ じ やま、 え 284
ほうてき 自ら彼等の足もとへ放擲なさろうとしますか』 『さらば、鬮をひけ』と責任をのがれた。 ちょううんしりゅう 『でも、これへ向って来ると聞く趙雲子竜は、かって当陽の長 巻趙雲が『先』という字の鬮に当「た。張飛の引いたのは『後』 はんは 坂坡で、曹軍百万の中を駈け破った勇者ではないか』 のである。 ちんおう 『その趙雲と、この陳応と、いずれが真の勇者であるか、篤と 蜀『冥加、冥加』 と趙雲はよろこび勇んだが、張飛は甚だよろこばない。なお見届けてから降参しても遅くはありますまい』 望 非常な自信である。 まだぐずぐず云っていたが、 たいしゅちょうはん 太守趙範も、やむなく抗戦と極めた。陳応は四千騎をひっさ 『未練というものだぞ』と、玄徳に叱られて、漸く陣列へすが げて、城外に陣を展き、 たを退いた。 『破れるものなら破ってみよ』と、強烈な抗戦意志を示した。 趙雲は、手勢三千を申し受けた。孔明から、 寄手は近づいた。 『それで足りるか』 両軍接戦となるや、趙雲子竜は馬躍らせて、敵将陳応に呼び と念を押されて、 『もし敗戦したら軍罰を蒙りましよう』と、豪語した。 りゅうひょう けいようだっしゅ 『劉皇叔。さきに世を去り給いし劉表の公子琦君をたすけ このことばを誓紙として、趙雲子童は、一挙に桂陽城奪取に て、ここに安民の兵馬をすすめ給う。矛を投げ、城門をひらい 馳せ向った。 ほうりゅう 桂陽城には、世に聞えた二人の勇将がいた。ひとりは鮑竜とて迎えよ』と云った。 ちんおう てどり よく虎を手擒にするといわれ、もう一名は陳応と称し陳応はあざ笑って、 ちからやま 『われわれが主と仰ぐは、曹丞相よりほかはない。汝等はなぜ て、いわゆるカ山を抜くの猛者だった。 きよと ぼうるい 『いま、玄徳の軍を見てからでは、もう防塁を築くことも、強許都へ行って、丞相の御履でも揃えないか』と、からかった。 しかず、早く降参して、せめて旧 馬精兵を作る日の遑もない。 すが 五 領の安泰を縋ろうではないか』 ちんおう ひしゃ ちょうはん この陳応という者は、飛叉と称する武器を良く使う。二股の 太守の趙範は、すこぶる弱気だった。それを叱咤して、 おおかまやり すごうちもの のたも 『かいなきことを宣うな。藩中に人なきものならいざ知らず大鎌槍とでも云うような凄い打物である。 ちょううん だが、趙雲に向っては、その大道具も児戯に見えた。 ほうりゆりちんおう と、強硬に突っ張っていたのは前に掲げた鮑童、陳応の二将馬と馬を駈け合わせて戦うこと十数合。もう陳応は逃げ出し であった。 ていた。 りゅうげんとく こうしゆく 、しかけると、陳応は、何をつと 『敵の劉玄徳は、天子の皇叔なりなどと僣称していますが、事『ロほどでもないやっ』と、追、 たちくつうり おめ 実は辺土の小民、その生い立は履売の子に過ぎません。ーー・関喚いて、飛叉を投げつけた。趙雲は、それを片手に受けて、 『返すそ』と、咄嗟に投げ返した。 羽、張飛、また不逞の暴勇のみ、何を恐れて、桂城の誇りを、 ひ ちょううん ひしゃ ひら じぎ きくん また ちょう 472
逃げまどう玄徳の兵は明かに次の声を耳に知った。 巻『曹操は、ここにある。降る者はゆるすであろう。弱将玄徳ご のときに従いて、大死する愚者は死ね。生きて楽しもうとする者 明 は、剣をすてて、予の軍門に来れ』 勇にも限度がある。 あびきようかん ちょううんしりゅう しんたいきわま 孔火の雨の下、降る石の下に、阿鼻叫喚して、死物狂いに退路趙雲子竜も、やがては、戦いっかれ、玄徳も進退谷って、す をさがしていた兵は、そう聞くと争って剣を捨て、槍を投げ、 でに自刃を覚悟した時だった。 曹操の軍へ投降してしまった。 一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。 しゅうそう 趙雲は、玄徳の側へ寄り添って、血路を開きながら、 養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降って 『怖れることはありませんぞ。趙雲がお側にあるからは』と、来た ちょうしりゅう 励まし励まし逃げのびた。 猛然、張部の勢を、うしろから粉砕し、趙子竜と協力して、 うきんちょ、つりよ、つ 山上からどっと、于禁、張遼の隊が襲せて来て、道を塞とうとう敵将張部を屠ってしまった。 玄徳は測らぬ助けに出会って、歓喜のあまり、この時、天に 趙雲は、槍をもって、遮る敵を叩き伏せ、玄徳も両手に剣を両手をさしのべて、 ふる 揮って、暫し戦っていたが、又復、李典の一隊が、うしろから 『ああ、我また生きたり ! 』と、叫んだという。 迫って来たので、彼はただ一騎、山間へ駈けこみ、ついにその そのうちに、おとといから敵中に苦戦していた張飛も、麓の 馬も捨てて身ひとつを、深山へ隠した。 一端を突破して、山上へ逃げのばって来た。 夜が明けると、峠の道を、一隊の軍馬が、南の方から越えてき 玄徳に出会って、 りゅうへき きようと ゅうてきかこうえん た。驚いて、隠れかけたが、よく見ると、味方の劉辟だった。 『味方の輸送部隊にあった襲都も惜しいかな、雄敵夏侯淵のた そんかんびほう 孫乾、糜芳なども、その中にいた。聞けば、汝南の城も支えめに、討死をとげました』 きれなくなったので、玄徳の夫人や一族を守護して、これまで と、復命しこ。 落ちのびて来たのであるという。 『ぜひもない : ちょうひ 汝南の残兵千余をつれて、まず関羽や、張飛と合流してか玄徳は、山嶮に拠って、最後の防禦にかかった。けれど、俄 ら、再起の計を立てようものと、そこから三、四里ほど山伝 造りの防寨なので、風雨にも耐えられないし、兵糧や水にも困 こ・つらんちょうこう いに行くと、敵の高覧、張部の二隊が、忽然、林の中から紅のりぬいた。 旗を振って突撃して来た。 『曹操自身、大軍を指揮して、麓から総がかりに襲せて来ま りゅうへき ちょううん 劉辟は高覧と戦って、一戟の下に斬り落され、趙雲は高覧へす』 おそふる 飛びかかって、一突きに、高覧を刺し殺した。 物見は頻りと、ここへ急を告げた。 玄總は、怖れ慄え と憂い悩んだ。 しかし、わずか千余の兵では、一たまりもない。玄徳の生命た。夫人や老幼の一族を、如何にせん ? はかり 1 一と さえぎ またまた かんう すいともしび は、暴風の中にゆられる一穂の燈火にも似ていた。 かんべし ちょう - 一う ちょ・つ - : っ よ わイ
んか』 聞くと、趙雲は、眼をいからして、いきなり拳をふりあげ、 ふらちもの の『私の嫂です』 『不埒者っ』 ぐわんと、趙範の横顔を、撲りつけた。 蜀と、趙範はにやにや紹介した。 かたち ちょうしりゅう 趙範は、顔をかかえて、わっと、転がりながら、 すると、趙子竜は、容をあらためて、ことばも丁寧に 望 『それは知らなかった。召使と思うて、つい』と、失礼を詫び『何をするのだ。無態な』と、喚い 趙雲は起ち上って、 『無態もくそもあるか。汝のような者を蛆虫というのだ』 趙範は、傍らからその美人へ向って、お酌をせいとか、そこ の隣りへ坐れとか、しきりに世話を焼き出したが、趙子竜が、 と、もう一つ蹴とばしこ。 うじむし えきびようがみ 『無用、無用』と、疫病神でも払うように手を振ってばかりい 『蛆虫とな。け、怪しからんことを。 慇懃に、かくの如 るので、折角の美人もつまらなそうに、立去ってしまった。 く、礼を厚、つしているそれがしに、蛆虫とは』 じんりん 趙雲は、その後で、趙範に咎めた。 『人倫の道を知らぬやつは蛆虫にちがいなかろう。嫂を以て、 『何だって嫂ともあるお方を、侍婢かなんそのように、軽々し客席へ僘らすさえ、一一一日語道断だ。それを猶、此方の妻にすすめ ぜげん せばね 、客席へ出されるのか』 るとは女衒にも劣る畜生根性。ーー貴様の脊骨はよほど曲って わけ 『いや、ー・ー実はこうです。その理というのは、彼女はまだ若 いるな』と、更に、趙範をぎゅうぎゅう踏みつけて、ぶいと、 おっと いのですが、てまえの兄にあたる良人に死別れ、寡となってかそこを出てしまった。 ほうりゆ、フ ら三年になります。もうしかるべき聟をとったらどうだと、そ趙範は起上って、うろうろしていたが、やがて陳応、鮑竜を れがしはすすめていますが、嫂には、三つの希望があるので呼んで、 こうめし 『忌々しい趙子童めが、何処へ行ったか』と、肩で息して見せ す。一つは、世に高名を取り、二つには先夫と氏姓の同じな ぜいたく 者、三つには文武の才ある人という贅沢なのそみなので』 『、つ、ーゝむ』 二人はロを揃えて、 趙雲は、失笑をもらした。 『ここを出るや、馬に飛び乗って城外へ馳けて行きました』 けれど趙範は熱、いに、 と、告げた。そして又、『こうなったら徹底的に勝敗で事を決 めるしかありますまい。われわれ両名は、詐って、これから子 しかがでしよう。将軍』 『よ ) 。、ヾこ 竜の陣へ行き、彼をなだめておりますから、太守には夜陰を待 『嫂の日頃の希望は、さながら将軍の世にあるを予知して、こ って、急に襲撃して下さい。さすれば、われわれ両名が、陣の れへ見えられる日を待っていたように、将軍の御人格とびった中から呼応して彼奴の首を掻き取ってみせます』 り合っています。ねがわくは妻として将軍の室に入れて下さら諜し合わせて、二人は城下へ出て行った。 あによめ やもめ 学 ) 0 しめ ちょうはん なぐ わめ うじむし いんん - 一ぶし あによめ
「いやいや、よく考えてごらんあれ。年齢の少い者にも老人が 玄徳は、細やかな鎧の上に、錦の袍を着、馬も鞍も華やか あるし、年は老っても壮者をしのぐ若さの人もある。劉皇叔に飾って、甘露寺へ赴いた。 ちょううん は、当代の英雄、その気宇はまだ青春です。凡人並に、年の数趙雲は、五百の兵をつれて、それに随行した。甘露寺では、 で彼を律することは当りません』と、説いたので、やや心をう国主の花聟として、一山の僧衆が数十人の大将と迎えに立ち、 ごかし、それでは明日、その玄徳を一目見て、もし自分の心に 呉侯孫権を初め、母公、喬国老など、本堂から方丈に満ち満ち て待ちうけていた。 かなったら、むすめの婿としてもいしカ と云い出した。 孫権はもとより孝心の篤い人なので、心の裡では煩悶した が、老母の意志には少しも逆らうことが出来ない。その間に、 玄徳の態度は実に堂々としていた。温和にして諂わず、威に 母公と喬国老とは、明日の対面の場所や時刻まで極めてしまっ ひょうぞく して猛からず、儀表俗を出て、清風の流るるごとく、甘露寺の ほうじよう じようせいめいさつかんろじ 場所は城西の名刹甘露寺。ーー。・喬国老はいそいそ邸へ帰る方丈へ通った。 や 『さすがは』と、一見して、呉侯孫権も、畏敬の念を、禁じ得 と、すぐ使を出して、玄徳の客館へ旨を伝えに遣った。 議 / ・刀 / 事、志とちがって来たので、孫権は一夜煩悶したが、ひそか にこれを呂範へ相談すると、呂範は事もなげに片づけて云っ 争えないものは、人間と人間との接触に依る相互の感情であ る。ひと目見て、孫権以上、彼に傾倒したのは母公であった。 『なにも、それならそれで、よろしいではありませんか。そっ その喜悦のいろを窺うと、喬国老は、母公へささやいた。 と、大将賈華へお命じなさい。甘露寺の廻廊の陰に、屈強なカ『どうです。人物でしよう。こんな佳い婿が求めたってありま ともがらよ 者や剣客の輩を選りすぐって、三百人も隠しておけば大丈夫しようか』 しお 母公はただもうほくほく慶びぬいている。孫権はわれとわが です。 そしてよい機に』 『む。む。絶好な場所だ。そうしよう。 ・ : だが呂範、もし母心を圧しつぶして、玄徳に対して起る尊敬や畏れを強いて戒め 上と玄徳と対面中に、母上が、彼の人物を見て心にそまぬようていた。 や くつろ 『さあ、寛ぎましよう。婿君よ、威儀厳めしいものの、内輪ば だったら、すぐ殺ってくれ』 かりじゃ、心おきなく杯をあげられい。喬老、そなたも、佳賓 『もし、母公のお、いにかなったような御容子のときは』 陣 におすすめ申しあげて賜も』 『そんな事はないと思うが : : もしそう見えたら・ : ・ : そうだ きのうの彼女と、人がちがう 母公の御機嫌は一通りでない。 な、時を措いて、母上のお気持が彼に対して変るまで待とう』 ごかいござんちんみ ようだった。やがて大宴となる。呉海呉山の珍味は玉碗銀盤に 次の日ーー早朝。 めのうしゅ まうじゅんこうしゅ なないろっ ) なこうどやく 鴛呂範は、媒人役として、当然、玄徳の客館へ、その日の迎え盛られ、南国の芳醇は紅酒、青酒、瑪瑙酒など七つの杯に七種 に出向いた。 注がれた。 しゃ りよはん あ かっかん う力が よろこ にしきひたたれ
望蜀の巻 帛を施した。 ちょうしよう 張昭に相談すると、張昭は、書簡の内容を検討してから、 『さすがに都督の遠謀、感心しました。 元来、劉玄徳は、 ひんせん 少年早くより貧賤にそだち、その青年期には、各地を流浪し、 えいよう まだ人間の富貴栄耀の味は知りません。 ・ : ですから周瑜都督 ほしいまま たいかよくろう が示された計の如く、彼に、恣なる贅沢を与え、大厦玉楼に きんしゅう 無数の美女をあつめ、金繍の美衣、山海の滋味と佳酒、甘やか な音楽、みだらな香料など、あらゆる悪魔の歓びそうな物をも って、彼の英気を弱め鈍らせ、荊州へ帰ることを忘れさせれ - 一うめし かんう ちょうひ ば、彼の国許にある孔明、関羽、張飛等も、あいそを尽、かし、 怨みをふくんで、自然、離反四散してしまうにちがいありませ わた 七日に亙る婚儀の盛典やら祝賀の催しに、呉宮の内外から国ん』 つくえ 中まで、 と、案を打って賛同した。 『めでたい。めでたい』 孫権はよろこんで、 ぜいたくみつづけ と、千載万歳を謳歌している中で、独りひそかに、 『では、玄徳の骨も腐るまで、贅沢の蜜漬にしてくれよう』 はかり 1 一とそ 1 一 『何たることだ』と、予想の逆転と、計の齟齬に、欝憤のや と、密かにその方針へかかり始めた。 ろうきゅう りばもなく、仮病を称えて、一室のなかに耳をふさぎ眼を閉じ すなわち呉の東府に一楽園を造築した。楼宮の結構は言語に こうそんけん ろうしよう ていたのは呉侯孫権だった。 絶し園には花木を植え、池畔には宴遊船をつなぎ、廊廂には数 しゅうゆ しゆらん ほろう すると、柴桑の周瑜から、忽ち早馬を以て、一書を送って来百の玻璃燈を懸けつらね、朱欄には金銀をちりばめ、歩廊はこ くじゃく とごとく大理石や孔雀石を以て張った。 うわさを聞いて、周瑜も仰天したらしい 『兄君もやはり心では妹が可愛いんですね。わたくしたち二人 金瘡の病患がまだ癒えぬため、参るにも参られず、ただ歯の為に、こんなに迄して下さるなんて』 がみをしておるばかりですが、かくてやはあると、自ら心 呉妺ーー・今では玄徳の妻たる新夫人は、そう云って感謝し を励まし病中筆を執って書中に一策を献ず。ねがわくは賢た。 きんしゅちんばう 慮を垂れ給え この若い新妻を擁して、玄徳はここに住んだ。金珠珍宝、無 るる したた きらきんしゅう という書き出しに始まって、縷々と今後の方策が認めてあっ いものはない。綺羅錦繍、乏しいものはない。 わいかかん 食えば飽満の美味、飲めば強烈な薫酒、酔えば耳に猥歌甘 せんけん 『周瑜からこういう謀を施せと云って来たが、この計はどうだ楽、醒むれば花鳥また嬋娟の美女、ーー玄徳はかくて過ぎてゆ かんく く月日をわすれた。 ろう。また失敗に終ったら何もならぬが』 いや世の中の貧乏とか、艱苦とか、精 ほど - 一 朝の月 うつぶん ぜいたく 436
春は残く、残んの雪に、まだ風は冷こ、つ ' : : 関羽は、長嘆して、 たい - 一うばう こころよはかど 『あなたが賢人を慕うことは、ちょうど太公望のところへ通っ下、道は央く捗った。 ぶんおう やがて、臥竜の岡につく た文王のようです。御熱意にはほとほと感じ入るほかありませ ん』 駒を降りて、玄徳は、歩行してすすむこと百歩、 いんんこうもん 『臥童先生は御在宅か』と、慇懃、叩門して、内へ云った。 すると張飛は、横口をさし入れて、こう大言した。 ひょう たいこうばう 『いやいや、文王が何だ、太公望が何者だ。われら三人が、武飄として、ひとりの書生が、奥から馳けてきて、門をひらい を論ぜんに、誰か天下に肩をならべる者やある。それを、たっ た一人の農夫に対して、三顧の礼を尽すなど、実に、愚の至り しよかっきん あさなわ 相見れば、それはいっぞやの若者・ーー・諸葛均であった。 というべきだ。孔明を招くには、一条の麻繩があれば足りる。 このかみ それがしにお命じあれば、立ちどころに縛しあげて来て、家兄『ようこそ、お越しなされました』 『きよ、つは、お兄上には ? ・』 の御覧に入れるものを ! 』 きようそうびよう 『はい。昨日の暮方、家に帰って参りました』 『張飛は、近頃また、持前の狂躁病が起っておるらしいな』 おお 『噫。おいでですか ! 』 と、玄總は、叱って、 しゅうぶんおう たいこうばう 『どうか、お通りあって、御随意にお会いくださいまし』 『むかし、周の文王が、潸水に行って、太公望をたずねたと ちょうゆう き、太公望は釣を垂れていて、顧みもしなかった。文王はその均は、そう云うと、ただ長揖して、立ち去ってしまった。 さまた うしろに佇ったまま、釣を邪げず、日の暮れるまで待っていた張飛は見送って、 たす 『案内にも立たず、勝手に会えとは、何たる非礼。ト / 面の憎い という。ーーー太公望もその志に感じ、ついに文王を佐ける気に しゅ、つ 青二才め』 なって、その功はやがて、周代八百年の基を開いたのである。 うやま 古人の賢人を敬うことは、みなこのようであった。思い見と、何かにつけて、腹ばかり立てていた。 もし先方へ参って、今のよう よ、汝自身の天性と学問を。 な無礼を放言したら、玄徳の礼も、空しきものとなる。関羽一 名を供にして行くから、汝は留守をしておるがいし』 云い捨てて、玄徳は早、城中から馬をすすめていた。 ひどく叱られて、張飛は、一時ふくれていたが、関羽も供に 大従いてゆくのを見ると、 春『一日たりとも、家兄の側を離れているのは、一日の不幸だ。 立おれも行く』 と、後から追いかけて、供のうちに加わった。 ぶんおう このかみ すい 柴門を入って、園を少しすすむと、又、傍らに風雅な内門が 見える。 いつもは開いているそこの本戸が、今日のみは閉まって、 カき ひんぶん こほとほと訪れて叩くと、墻の梅が繽紛とこばれ落ちてく る。 『どなたですか』 内から開けて、顔を出したのは、いつも取次に出る童子だっ み、いもん 0 オカオカ清朗の空の かたわ 227
さんせんふうこう 相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びに取らしてもよい考えでいたのである。 どうじゃくだ 巻おいでください。おそらくふたたび銅雀台にお還りの日はない 『よしつ。この報復には、きっと彼に後悔をさせてみせるそ。 のでしよ、つ』 自分も、国を出るとき、諸人の前で大言を放って来たてまえ、 どっちが威圧されているのか分らない。ずいぶん他国の使臣空しくこんな辱を土産にしては帰れない』 蜀 には会ったが、曹操のまえでこれほど思いきったことを云った 彼は、腫れ上った顔に、療治を加えると、すぐ翌る日、相府 きよと 望 男は曾て一人もない。 にも断らず、従者を連れて許都を去ってしまった。 かくど ようしゅう 当然、曹操は赫怒した。楊修に向って、 『蜀の小男が、よけい小さくなって、蜀へ帰って行った』 しれもの しおおけ 『言語道断な曲者。その首を、塩桶に詰めて、蜀へ送り返せ』 都の者は、笑っていたが、なんそ知らん、彼は途中から道を ののし けいしゅう えいしゅう と、身をふるわせて罵った。 更えて、荊州の方へ急いでいたのだった。そして、郢州の近く ふそんげんは 楊修は極力弁護した。不遜な言は吐くが、張松の奇才は実にまで来ると、彼方から一隊の軍馬が、整然と来て、 べつがちょうしよう 測り知れない。どうか寛大な御処置を垂れてください。私の身『それへ参られたは、蜀の別駕張松どのではなきや』 に代えてもと嘆願した。 と、先なるひとりの大将がいう。張松が、然り、と答える 『いかん。断じて成らん』 と、その武将はひらりと馬を降りて、礼を施し、 じゅんいく ちょううんしりゅう げ・んとく 曹操はきかない。然し、彧まで出て、かかる奇能の才を殺 『それがしは、荊州の臣、趙雲子竜。主人玄徳の命をうけ、こ そ すことは、やがて天下に聞えると、必ず丞相の不徳を鳴らす素れまでお出迎えに参りました。遠路、難所を越えられ、さだめ しお疲れでしよう、いざあれにて御休息を』 因の一つに数えられましよう。殺すことだけはお止めになった もう よろ と。もどもい、 - ちゃ せんよく ほうが宜しい。そう云って共々諫めた。 導いた一亭には、酒を備え、茶を煮、洗浴の設けまでしてあ たた 『然らば、百棒を加えて、場外へ叩き出せ』 こんどは、兵に命じた。 張松は忽ち大勢の兵に囲まれて遮二無二、練兵場の外に引き てつけん 魏に使して、使を果さず、失意と辱を抱いて落ちて来た客 ずり出された。そして鉄拳を浴び、・足蹴をうけ、半死半生にさ ちょうしよう れて突き出された。 が、かくばかり鄭重な出迎えをうけようとは、張松も、意外 であったらしい 『無念』 りゅう - 一うしゆく 『どうして、劉皇叔には、このように張松を篤くお迎え下さ 張松はすぐに本国へ帰ろうと思った。然し、つらつら思う あんぐりゅうしよう に、自分が魏に来た心の底には、蜀は到底、いまの暗愚な劉璋るのか』 ちょううん では治まらない、い ずれ漢中に侵略される運命にある。で、こ訊くと、趙雲は、 『いや、御辺のみに、こう成されるのではありません。総じ んどの使命を幸に、もし曹操の人物さえよかったら、魏の国に 蜀を合併させるか、属国となすか、いずれにせよ、蜀は曹操にて、わが主君は客を愛す御方ですから』と、答えた。 いん あっ あしげ きのう か っこ 0