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検索対象: 三国志(二) (吉川英治)
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1. 三国志(二) (吉川英治)

けいどうじ ある。その実現こそ、彼の老いた血にも一脈の熱と若さを覚え慶童子とよぶ小さい奴保だった。 巻させて来る待望のものだった。天地の陽気は将に大きくうごき 『この小輩め。不、不埒者めが ! 』 のつつあることを彼は特に感じる。 董承は逃げる慶童の襟がみをつかんで、さらに大声で彼方へ そばい 道こよいも彼は食後ひとり後苑へ出て疎梅のうえの宵月を見出どなった。 していた。薫々たる徴風が梅樹の林をしのんでくる。ーー彼の 『誰そ、杖を持って来い、杖と繩を』 臣 歩みはふと止まった。 その声に、家臣たちが、馳けつけてくると、董承は、身をふ 一篇の詩となるような点景に出会ったからである。 るわして杖で打てといいつけた。 男と女だった。 秘妾は百打たれ、慶童は百以上叩かれた。 ふたりは恋を語っている。 それでもなお飽きたらないように、董承は、慶童子を本の幹 あんこうそえい 暗香疎影ーーふたつの影もその中のものだし、董承の影と明に縛らせた。そして秘妾の身も後閣の一室に監禁させた。 たたず 暗の裡に佇立んでいるのでーーー彼等はすこしも気がっかないら『疲れたから今夜は眠る』と、ふたりの処分を明日にして自分 の室へかくれてしまった。 ・一幅の絵だ』 ところが、その夜中、慶童は繩を噛み切って逃げてしまっ 董承はロのうちで呟きながら、恍惚と遠くから見まもってい 高い石塀を躍りこえると、どこか的でもあるように深夜の闇 ふたり 水々しい春月が、男女の影に薄絹をかけていた。男はうしろを跳ぶがごとく馳けていた。 向きにーーー羞恥んでいるのか、うっ向いて爪を噛んでいる。 『見ていやがれ、老ばれめ』 やしき 背中あわせに、女はそこらの梅を見ていた。そのうちに、女美童に似あわない不敵な眼を主人の邸へふり向けて云った。 どれい から振向いて、何か、男に云いかけたが、男はいよいよ肩をす元より幼少の時、金で買われて来た奴隷にすぎないから、主従 ばめ、かすかに顔を横に振った。 の義もうすいに違いないが、生れつき容姿端麗な美童だったか 『お嫌 ? 』 ら、董承も身近くおいて可愛がり、家人もみな目をかけていた 女は、思いきったように、羽ーーーと寄って覗きこんだ。 亠名だっこ。 その刹那、老人の体のなかにもあった若い血は、とたんに赫 にも関わらず、慶童は、怨むことだけを怨んだ。その奴 たくら 怒となって、 隷根性の一念から怖るべき仕返しをこころに企んで、彼はやが 『不義者めッ』と、突如な大声が、董承のロを割って出た。 て盲目的に曹操のところへ密訴に馳け込んでいた。 ふたり 男女はびつくりして跳びはなれた。もちろん董承のあたまに はもうそれを詩と見ていることなど許されない。 女性は後 閣に住んでいる彼の秘妾であり、男はかれの病室に仕えていた くんくん ひしよう まみ、 とうじよ - っ 時ならぬ深夜、相府の門をたたいて、 ひしょ・つ あて

2. 三国志(二) (吉川英治)

しよくぎ 蜀、魏、呉の三大陸の境界と、その中枢に位置しているため、 カオ』 時代の流は自らここに人材を寄せ、その人材は、過去と未来の 『迷惑とは ? 』 『孔明にとってじゃよ。また、わし等の道友にとっても、彼があいだに静観して、静かに学ぶもあり、大いに期するもあり、 各現在に処しているというのが実相に近いところであろう』 仲間から抜けてはさびしい』 しいかなる方々ですか』 『なるほど、おことばに依って、自分の居る所も、明かになっ 『お仲間の道友とよ、 まくりよ・つさいしゅ・つへいえいしゅ・つせきこ、つげんじよなんも・つ・ : つ、 た気がします』 『陵の崔州平、頴州の石広元、汝南の孟公威、徐庶その他、 『ーー・そうじゃ、自分のいる所・ーーそれを明かに知ることが、 十指に足らん』 『各く知名の士ですが、かって孔明の名だけは、聞いておりま次へ踏み出す何より先の要意でなければならぬ。御身をこの地 せん』 へ運んで来たものは、御身自体が意志したものでもなく、また ただよ きら 『あれほど、名を出すのを厭う男はない。名を惜しむこと、貧他人が努めたものでもない。大きな自然のカーー時の流れに漂 ひょうはくしゃ じやたま わされて来た一漂泊者に過ぎん。けれどお身の止った所には、 者が珠が持ったようじゃ』 きそ 『道友がたのお仲間で、孔明の学識は、高いほうですか、中く天意か、偶然か、陽に会って開花を競わんとする陽春の気が鬱 ばっ 勃としておる。ここの土壌に潜むそういうものの生命力を、御 らいですか』 辺は目に見ぬか、鼻に嗅がぬか、血に感じられぬか』 『彼の学問は、高いも低いもない。ただ大略を得ておる。 わた 『ー。ー・感じます。それを感じると、脈々、自分の五体は、もの 総てに亙って、彼はよく大略を掴み、よく通ぜざるはない』 うず と、云いながら、杖を立てて、『どれ : : : 帰ろうか』と、つぶに疼いて、居ても立ってもいられなくなります』 よしよし 『好々』 ゃいた。 司馬徽は、呵々と笑って、 み一と 『それさえ覚っておいであれば、あとは余事のみ ! ーやれ、長 居いたした』 玄徳はなお引きとめて、何かと話題を切らさなかった。 、いー ) ゅ・つド ) ト、つト、・つ 『先生、もう暫時、お説き下さい。実は近いうちに隆中の孔明 『この荊州襄陽を中、いとして、どうしてこの地方には、多く きくならく 聞説、彼はみすから、自分を を訪れたいと思っていますが の名士や賢人が集ったものでしようか』 かんちゅうがっき 司馬徽は、杖を上げて、起ちかけたが、つい彼の向ける話題管仲楽毅に擬して、甚だ自重していると聞きますが、やや過分 な矜持ではないでしようか。実際、彼にそれほどな素質があり につり込まれて、 訪 「それは偶然ではありますまい。むかし殷馗というて、よく天ましようか』 ぶんや を 文に通じていた者が、群星の分野をドして、この地かならず賢『否々。あの孔明が何でみだりに自己を過分に評価しよう。わ 明 じんえんそう しから云わせれば、周の世八百年を興した太公望、或は、漢の 孔人の淵叢たらんーーーと予言したことは、今も土地の故老がよく 亡ノト - ・つーレ洋」・つ 創業四百年の基礎をたてた張子房に較べても決して劣るもので 覚えていることだが、要するに、ここは大江の中流に位し、 ぐんせい いんき ひん 2 わ

3. 三国志(二) (吉川英治)

音 とが 『ー、、、すぐ取囲んで、何者そと、取糺しましたところ、頭目ら咎を生涯負い、人の上に立つなどは思いよらぬことと教えてく かんねい しき真っ先の男が云うにはーー自分事は、黄祖の手下で、甘寧れました。 : ではどうしたらいいかを、更に蘇飛に訊くと、 がくけんり あざなこうは はぐんりんこうそだ 字を興覇とよぶ者であるが、もと巴郡の臨江に育ち、若年から近いうちに、鄂県の吏に移すから、その時に、逃げ去れよとの ことに、三拝して、その日を待ち、任地へ赴く舟と偽って、幾 腕だてを好み、世間のあぶれ者を集めては、その餓鬼大将とな ′一うきゅうまみ一かり - よろい って、喧嘩を誇り、伊達を競い、常に強弓、鉞を抱え、鎧を夜となく江を下り、漸く、呉の領土まで参った者でござる。な 重ね、腰には大剣と鈴をつけて、江湖を横行すること多年、人にとぞ、呉将軍の閣下に、よろしく披露したまえとーー以上、 かんねい きんばん きんばんらい 人、鈴の音を聞けば : : : 錦帆の賊が来たそ ! 錦帆来 ! と逃甘寧はつぶさに身上を物語って、それがしに取次ぎを乞うので げるのを面白がって、ついには同類八百余人をかぞうるに至ございました』 おもむ ぜんび 『うむ。・ : : ・成程』 り、いよいよ悪行を働いていたなれど、時勢の赴くを見、前非 けいしゅう りゅうひょう を悔いあらため一時、荊州に行って劉表に仕えていたけれ孫権を始め、諸将みな、重々しくうなずいた。 ーっト朝当、つ ど、劉表の人となりも頼もしからす、同じ仕えるなら、呉へ参呂蒙は、なおこう云い足して、報告を結んだ。 って、粉骨砕身、志を立てんものと、同類を語らい、荊州を脱『甘寧といえば、黄祖の藩にその人ありと、隣国まで聞えてい して、江夏まで来たところが、江夏の黄祖が、どうしても通しる勇士、さるにても、憐なることよと、それがしも仔細を聞い ません。やむなく、暫く止まって、黄祖に従っておりましたて、その心事を思いやり : : : わが君がお用いあるや否やは保証 : のみならずです、 が、元より重く用いられるわけもない。 の限りではないが、有能な士とあれば、篤く養い、賢人とあれ 或る年の戦いに、黄祖敵中にかこまれて、すんでに一命も危いば礼を重うしてお迎えある明君なれば、ともあれ御前にお取次 ぎ申すであろうと、矢を折って、誓を示したところ、甘寧はさ ところを、自分がただ一人で、救い出してきた事などもあった げやく が、曾って、その恩賞すらなく、飽くまで、下役の端に飼われらに江上の船から数百人の手下を陸へ呼びあげてーー否やお沙 防ゅうしゅう ているに過ぎないという有様でした。ーーー然るに又、ここに黄汰の下るまで慎んで待ち居りますとーー唯今、竜湫の岸辺に 祖の臣で蘇飛という人がある。この人、それがしの心事にふか屯して、さし控えておりまする』 かんねい く同情して、或る時、黄祖に向い、それとなく、甘寧をもっと 登用されては如何にとーー推挙してくれたことがあったので かんねい す。すると黄祖の云うには、ーー・甘寧はもと江上の水賊である。 『時なるかな ! 』と、孫権は手を打ってよろこんだ。 なんで強盗を幗幕に用うべき。飼い置いて猛獣の代りに使って『いま、黄祖を討つ計を議するところへ、甘寧が数百人を率い おけば一番よろしい そう申したので、蘇飛はいよいよそて、わが領土へ亡命して来たのは、これ潮潮ちて江岸の草の戦 ぐにも似たりーーー・というべきか。天の時が来たのだ。黄祖を亡 れがしを憐れみ、一夜配宴の折、右の事情を打明けてーーー・人生 鈴いくばくぞや . 、早く他国へ去って、如かじ、良主を他に求め給ばす前兆だ。すぐ、甘寧を呼び寄せい』 え。ここにいては、足下よ 。いかに忠勤をぬきん出ても、前科の こう孫権の命をうけ、呂蒙も大いに面目をほどこして、直ち とりただ たむろ みのうえ あつやしな しおみ 243

4. 三国志(二) (吉川英治)

、こるのか』 りはためいた。旗を見れば玄徳の一陣である。夏侯厚は大し 笑って、 『いや、恟々はせぬが、兵法の初学にもーーー難道行くに従って せま さんせんあいせま 『これがすなわち、敵の伏勢というものだろう。小ざかしき虫狭く、山川相迫って草木の茂れるは、敵に火計ありとして備う ふと、それを今、ここで思い出したのだ』 けら共、いで一破りに』 『むむ。そう云われてみると、この辺の地勢は : : : それに当っ と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。 ている』 気負いぬいた彼の麾下は、その夜のうちにも新野へ迫って、 すく と、于禁も急に足を竦めた。 一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。 彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典に云った。 玄徳は一軍を率いて、力闘に努めたが、固より孔明から授け 『御辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えて居給え。 られた計のあること、防ぎかねた態をして、忽ち趙雲とひとっ : どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重 になって潰走し出した。 するよう報じて来る』 うきん 五 于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯厚に追いついた。 かす じよううん ばっ いっか陽は没して、霧のような蒸雲のうえに、月の光が幽かそして李典のことばをその儘伝えると、彼もにわかに覚ったも 、、こっこ 0 のか、 『 4 わ、つ , ー 『しまったつ。少し深入りしたかたちがある。なぜもっと早く いつ、于禁。おういっーーー暫く待て』 云わなかったのだ』 うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁 そのときーー一陣の殺気というか、兵気というものか、多 かこうじゅん そうみ 年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、そくと総身の 『李典か。何事だ』と、大汗を拭いながら振向いた。 あえ 毛あなのよだつようなものに襲われた。 李典も、喘ぎあえぎ、追いついて来て、 1 ーーそれつ、引っ返せ』 『夏侯都督には、如何なされたか』 かんば 馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹陰樹陰 『気早の御大将、何かは猶予のあるべき。悍馬にまかせて真っ に、チラチラと火の粉が光った。 先に進まれ、もうわれ等は二里の余もうしろに捨てられて こずえ すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の梢に這 る』 し渓の水は銅のように沸き立った。 「危ういそ。図に乗っては』 『伏兵だっ』 『ど、つして』 第 『火攻め ! 』 『余りに盲進しすぎる』 と、道にうろたえ出した人馬が、互いに踏み合い転げあっ 臨『蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路の捗どるのは、味方の強い とき あびきようかん ばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、恟々すて、阿鼻叫喚をあげていたときは、すでに天地は喊の声に塞が かいそう びくびく あかがね ふさ

5. 三国志(二) (吉川英治)

るるか。いざ、功を述べて、勲功帳に記録を仰ぎたまえ』 四 『いや、 : べつに何も・ : ・ : 』 じようようがつひ ナいしゅ - っ この莉州の南郡から襄陽、合瀝の二城をつらねた地方は、曹関羽は益、うな垂れているのみで、そのことばさえ、女の よ , つに低かった。 操にとって、今は、重要なる国防の外郭線とはなった。 で、曹操は、都に帰るに際して、ふたたび曹仁へこう云い残孔明は、眉をひそめながら、 『どうなされたのか。べつに何も : : : とは ? 』 はかり′ ) と : それがしのこれに来たのは、功を述べるためでは 『この一巻のうちに、細々と、計策を書いておいたから、もし『実は。 この城の守りがいよいよ危急に迫った時は、これを開いて、わなく、罪を請うためでござる。よろしく軍法に照らして罰せら れたい』 が言となし、すべて巻中の策に従って籠城いたすがよい』 かよう とど じようようじよ・フ かこうじゅん : では、曹操はついに華容の道へは逃げ落ちて来な また、襄陽城の守備としては、夏侯厚をあとに留め、合瀝『はて。 ちょうりよう かったと云わるるか』 地方は、殊に、重要な地とあって、それへは、張遼を守りに かようどう がくしんりてん 『軍師の御先見にたがわす、華容道へかかっては来ましたが、 入れた。更に楽進、李典の二名を副将としてそれに添えた。 こう万全な手配りをすまして、曹操はやがてここを去ったそれがしの無能なる為、討ち洩らしてござる』 はいざんこんばい せきへき 『なに、討ち損じたと : : : あの赤壁から潰走した敗残困憊の兵 が、左右の大将も士卒もあらかた後の防ぎに残して行ったの で、その時、曹操に従って都へ回った数は、わずか七百騎ほどでありながら、なお羽将軍の強馬精兵をも近づけぬほど、曹操 はよく ( ったと申さるるか』 に過ぎなかったという : つい、取り逃がしました』 『 : : : でも、御座らぬが、 その頃ーーー せんしよう力しカ 『然らば、曹操は討たずとも、その手下の大将や士卒は、どれ 夏ロ城の城楼には、戦捷の凱歌が沸いていた。 ちょうひちょううん 張飛、趙雲、そのほかの士卒は、みな戦場から立帰って、敵ほど討ち取られたか』 いさおし ろかくひん 『ひとりも生捕りません』 の首級や鹵獲品を展じて、軍功帳に登録され、その勲功を競っ 『挙げたる首級は』 ていた。 『一箇も無しーーーでござる』 閣の庁上では、玄徳を中心に、孔明も立って、戦勝の賀をう : 」、つか』 けていたが、折ふしここへ、関羽もその手勢と共に戻って来『ウーム。 しようぜん 羽 孔明は、ロをつぐんで、あとはただその澄んだ眸をもって、 て、然と拝礼した。 関 『おお、羽将軍か。君にも待ちかねてお在したそ。曹操の首を彼をながめているだけだった。 『関羽どの』 よ引っさげて来たものは怖らくあなたであろう』 功 . うつむ 『さては御辺には、むかし曹操よりうけた恩を思うて、故意 『将軍。どうして、そのように不興気な顔をして俯向いておら 0 わ いけど 395

6. 三国志(二) (吉川英治)

日、また次の日と、車のわだちは一路、官道を急ぎぬいて行 強って、通さぬとあれば、身をもって、踏みやぶるしかな いが、それは却って足下の災となろう。决く通したまえ』 らくよう 『ならんというに、いっこいやつだ。もっとも、共方の連れて洛陽ーー洛陽の城門ははや遠く見えて来た。 かんふく - 一じゅう そこも勿論、曹操の勢力圏内であり、彼の諸侯のひとり韓福 いる車のものや、扈従のもの総てを、人質としてここに留めて が守備していた。 おくならば、汝一人だけ、通ることをゆるしてやろう』 『左様なことは、此方としてゆるされん』 『然らば、立ち帰れ』 市外の函門は、ゆうべから物々しく固められていた。 『何としても ? ・』 常備の番兵に、屈強な兵が、千騎も増されて附近の高地や低 『くどいー・』 云い放して、孔秀は、関門を閉じろと、左右の兵に下知した。地にも、伏勢がひそんでいた。 関羽が、東嶺関を破って、孔秀を斬り、これへかかって来る 関羽は憤然と眉をあげて、 もうふ という飛報が、はやくも伝えられていたからである。 『盲夫つ、これが見えぬか』 とも知らず、やがて関羽は尋常に、その前に立って呼ば と、青竜刀を伸ばして、彼の胸板へ擬した。 孔秀は、その柄を握った。余りにも相手を知らず、おのれをわった。 『それがしは漢の寿亭侯関羽である。北地へ参るもの、門をひ 知らないものだった。 ちょこざい 『猪ロ才な』と、罵りながら、部下の関兵へ大呼して、狼藉者らいて通されい』 聞くやいなや、 を召捕れとわめいた。 「すわ、来たそ』と、鉄扉と鉄甲は犇めいた。 『これまで』と、関羽は青竜刀を引いた うかと、柄を握っていた孔秀は、あっと鞍から身を浮かし洛陽の太守韓福は、見るからにものものしい扮装ちで諸卒の さっ はいけん て、佩剣へ片手をかけたが、とたんに、関羽が一吼すると、彼あいだから颯と馬をすすめ、 『告文を見せよ』とのつけから挑戦的に云った。 の体躯は真二つになって、血しぶきと共に斬り落されていた。 関羽が、持たないというと、告文がなければ、私に都を逃げ あとの番卒などは、ものの数ではない。 から な て来たものにちがいない。立ち去らねば搦め捕るのみとーーー豪 関羽は、縦横に薙ぎちらして、そのまに二夫人の車を通し、 破 語した。 さて、大音に云って去った。 はりようきようじよう 突『覇陵橋上、曹丞相と、暇をつげて、白日ここを通るもので彼の態度は、関羽を怒らせるに充分だった。関羽は、さきに 関ある。なんで汝らの科となろう。あとにて、関羽今日、東嶺関孔秀を斬って来たことを公言した。 浹も首を粃旧しまざる人間か』と、一ズった。 五をこえたりと、都へ沙汰をいたせばよい』 そのことばも終らぬまに、四面に銅鑼が鳴った。山地低地に その日、車の蓋には、ばらばらと白い霰が降った。ーーー次の た くるまおお、 はくじっ とうれいかん かんもん とうれいかん じゅていこうかんう てつび どら ひし いでた ひそか

7. 三国志(二) (吉川英治)

りゅうていぼうだ そして流涕滂沱、再拝して後云った。 『ここな人非人めが』と、慶童の襟がみをつかんで引仆し、手 『ーーー臣、不幸にしてここに終る。実に、極まりもございませずから成敗しようとした。 んが、天運なんぞ悪逆に敗れん。鬼となっても禁門を守護して『国舅に繩を与えい ! 』 おりますれば、時いたる日を御心ひろくお待ちあそばすよう曹操の部下は、その峻命にこたえて、一斉におどりかかり、 らんかい 忽ち、董承に縛をかけて、欄階にくくりつけてしまった。 曹操は雷火のように立ち上って、 そして客堂をはじめ、書院、主人の居室、家族の後房、祖 『斬れッ ! 』 堂、宝庫、傭人たちの住む邸内の各舎まで、千余の兵で悉く家 と、どなったが、兵の跳びかかる剣風も遅しとばかり吉平は探しをさせ、遂に、血詔の御衣玉帯と共に、一味の名を書つら き早、はし われと吾が頭を、階の角にたたきつけて死んでしまった。 ねた血判の義状をも発見して、ひとまず相府へひきあげた。 もちろん董一家の男女は一名もあまさす捕われ、府内の獄に 押しこめられたので、哀号悲泣の声は憐れというもおろかであ 凄愴の気はあたりをつつむ。 じゅんい その凄気を圧して、 時に、彧は、府門を通って、思わす耳を掩い進んで曹操の 「次に、慶童を曳き出せつ』と、曹操の叱咤はいよいよ烈し座側へのばると、さっそく彼に向って質した。 えんおう 一片の情、一滴の涙も知らぬような面は、閻王を偲ばしめ『遂に、激発なされましたな。これからの処置をどうなさるお るものがあった。 つもりですか』 とうじよう か。いくら予が堪忍づよくても、之に対して平気ではお 呼び出した慶童を突きあわせて、董承の吟味にかかる段とな『荀彧 じゅんいく ると、彼の姿は、火か人か、猛一言辛辣、彼の部下すら、正視し られん』と、帝の血詔と、義盟の連判とを、葡彧の眼のまえに まなじり ていられないはどだった。 示し、なお冷めやらぬ朱の眦を吊って云った。 董承も初めのうちは、 『ーーー見よこれを、献帝の今日あるは、ひとえにこの曹操が功 へいあんじんめつ 『知らぬ、存ぜぬ。いっこう覚えもないことじゃ。何とてわしではないか。平安燼滅のあと、新都の建業、王威の恢復など、 、まとなって を、左様に嫌疑したもうか』と、飽くまで彼の厳問を拒否してどれほど粉骨砕身してきたかしれん。しかるに、し いたが、なにしろ召使の慶童が、傍からいろいろな事実をあげ この曹操をのぞかんとするは何事であるか、暴に対しては暴を にわか て、曹操の調べにうごかぬ証拠を提供するので、遽に しいぬもって酬うが予の性格である。逆子乱臣と呼ばば呼べ、予は決 人けることばを失って、がばと床に俯っ伏してしまった。 意した。い まの天子をのぞいて、他の徳のある天子を立てよ 『恐れ入ったかっ』 、フと』 『お待ちなさい』 火勝ちほこるが如く曹操が雷声を浴びせると、とたんに董承は 身を走らせて、 葡彧はあわてて、彼の激語をさえぎりながら、 ただ これ

8. 三国志(二) (吉川英治)

間違いをなされている』 巻『石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられ のても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民 明の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、 いんそう 早くも山林に隠操をお求めになるなどとはーー・ー失礼ながら、忠 孔 孝の道に背きましよう。玄徳は惜しまずにいられません』 『それは、どういうわけですか』 『国みだれ、民安からぬ日は、孔子でさえも民衆の中に立ち交 じり、諸国を教化して歩いたではありませんか。今日は、孔子 ろ の時代よりも、もっと痛切な国患の秋です。ひとり廬に籠っ なるほど、 て、一身の安きを計っていていいでしようか。 こんな時代に、世の中へ出てゆけば、忽ち、俗衆と同視せら きよほうへん くちは れ、毀誉褒貶のロの端にかかって、身も名も汚されることは知 れきっていますがーーーそれをしも、忍んでするのが、真に国事 に尽すということではありませんか。忠義も孝道も、山林幽谷 のものではありますまい 先生、どうか胸をひらいて、御 本心を語ってください』 再拝、慇懃、態度は礼を極めているが、玄徳の眼には、相手 へつめ寄るような情熱と、吐いて怯まない信念の語気とを持っ ていた。 孔明は、細くふさいでいた睫毛を、こころもち開いて、静か な眸で、その人の容子を、ながめていた。 いんん まっげ こくかんとき ひる 230

9. 三国志(二) (吉川英治)

一、いほス′ 見れば、味方の丁奉である。 師に何を働かんといたすか』 みよし 丁奉は、馬にのって、陸地を江岸づたいに急ぎ、やはり孔明 すると、徐盛も舳に立ち上って、 おか しよかつりよ・つ力い 『いやいや、何も諸葛亮を害さん為ではない。周都督のお旨をの舟を追って来たのであるが、いまの様子を陸から見ていたも のと見え、 うけ、いささか亮先生に告ぐる儀あり。しばらく待ち給えとい 『到底、孔明の神機は、おれ達の及ぶところでない。おまけ うに、なぜ待てぬか』 じようざん ちょううん に、あの迎えの舟には、趙雲が乗っているではないか。常山の 『笑止笑止。その物々しい武者共を乗せて、害意なしなどとは ちょうしりゆ・つ 子どもだましの虚言である。汝らこれが見えぬか』と、趙子童趙子童といえば、万夫不当の勇将だ。長坂坡以来、彼の勇名は 音に聞えている。この少い追手の人数をもって、追いついたと は、手にたずさえていた強弓に矢をつがえて示しながら、 『この一矢を以て、汝を射殺するはいと易いが、わが夏ロの勢ころで、大死するだけのこと。いかに都督の命令でも、大死し と呉とは、決して、対曹操のごときものではない。故に、両国ては何もならん。帰ろう、帰ろう、引っ返そう』 の記幻傷けんことを怖れて、敢て、最前から放たずにいるの手合図して、駒をめぐらし、とことこと岸をあと〈帰 0 て行 だ。この上、要らざる舌の根をうごかし、みだりに追いかけてく。 徐盛もぜひなく、船を回した。そして事の仔細を、周瑜へ報 来ぬがよいそ』 告すると、 と、大音を収めたかと思うと、途端に、弓をぎりぎりとひき じよせい 『また孔明に出し抜かれたか』と、彼は急に、臍を噛むように 絞って、徐盛の方へ、びゆっと放った。 ののし あ 『ーーー呀っ』と、徐盛も首をすくめたが、元々その首を狙って罵った。 彼は決し 放った矢ではない。矢は、彼のうえを通り越して、うしろに張『これだから自分は、彼に油断をしなかったのだ。 , ああ おやづな 噫、やは て、呉のために呉の陣地へ来ていたのではない。 ってある帆の親綱をぶつんと射断った。 り何としてでも殺しておけばよかった。彼の生きているうち 帆は大きく、横になって、水中に浸った。そのため、船はぐ てんぶく ると江上に廻り、立ち騒ぐ兵をのせたまま危く頑覆しそうに見は、夜も安らかに寝られん』 えた。 一度は、深く孔明に心服した彼も、その心服の度がこえる ちょううん っその事、玄徳を先に討 と、忽ち、将来の恐怖に変った。い 趙雲は、からからと笑って、弓を捨て、何事もなかったよう むか ち、孔明を殺してから、曹操と戦わん乎。ーーー・などと云い出し な顔して、ふたたび孔明と対い合って話していた。 水びたしの帆を張って、徐盛がふたたび追いかけようとした とら 時は、もう遠い煙波の彼方に、孔明の舟は、一鳥のように霞ん『小事に囚われて、大事を棄つる理がありましようか。 ろしゆく 眼前に、あらゆる計画はもう出来ているのに』と、魯粛に諫め 風でいた られて、迂愚ではない彼なので、忽ち、 南『徐盛。むだだ、やめろやめろ』 『それは大きにそうだ ! 』 江岸から大声して、彼をなだめる者があった。 かえ ちょうはんは ほぞか しゅうゆ 373

10. 三国志(二) (吉川英治)

蔡陽は、赤面して、列後に沈黙した。 来るも明白、去ることも明白な関羽のきれいな行動にたいし ていいく 巻すると程昱は、彼に代って、 て、そんな小人の怒りは抱こうとしても抱けなかったのである。 じようしよう の『関羽には三つの罪があります。丞相の御寛大は、却って味『 : いカん 明方の諸将に不平をいだかせましよう』 けれど彼の淋しげな眸は、北の空を見まもったまま、如何と まっげ もなし難かった。涙々、頬に白いすじを描いた。睫毛は、胸中 孔と面を冒して云った。 『程昱。なぜ、関羽の罪とは何をさすか』 の苦悶をしばだたいた。 ばうおん むだんたいきょ 『一、忘恩の罪。二、無断退去の罪。三、河北の使と密かに密諸臣みな、彼の面を仰ぎ得なかった。しかし程瑟、蔡陽の輩 かわ 書を交せる罪ーーー』 『いやいや、関羽は初めから予に、三カ条の約束を求めてお『いま関羽を無事に国外へ出しては、後日、かならず悔い悩む る。それを約しながら強いて履行を避けたのは、かくいう曹操ことが起るに相違ない。殺すのは今のうちだ。今の一刻を逸し ては : であって、彼ではない』 『でも今ーーーみすみす彼が河北へ走るのを見のがしては、後日 と、ひそかに腕を扼し、足ずりして、曹操の寛大をもどかし がっていた。 の大患、虎を野へ放つも同様ではありませぬか』 『さりとて、追討ちかけて、彼を殺せば、天下の人みな曹操の 曹操はやがて立ち上った。 あたり 不信を鳴らすであろう。 如かず ! 如かず ! 人各 ~ その そして、四辺の諸大将に云った。 主ありだ。このうえは彼の心の赴くまま故主の許へ帰らせてや『関羽の出奔は、飽くまで義にそむいてはいない。彼は七度も ろう。 : 追うな、追うな。追討ちかけてはならんそ』 暇を乞いに府門を訪れているが、予が避客牌をかけて門を閉じ 最後のことばは、曹操が曹操自身へ戒めているように聞えていた為、ついに書を遺して立ち去ったのだ。大方の非礼は却 じっ た。彼のひとみは、そういうあいだも、北面したまま凝と北の って曹操にある。生涯、彼の心底に、曹操は気心の小さいもの わら 空を見つめていた。 よと嗤われているのは心苦しい : まだ、途も遠くへは距た るまい。追いついて、彼にも我にも、後々までの思い出のよい ちょうりよう 信義の別れを告げよう。 張遼供をせい ! 』 ついに関羽は去ったー やにわに彼は閣を降り、駒をよび寄せて、府門から馳け出し 自分をすてて玄徳の許へ帰ったー っナられて路用の金銀と、一襲 張遼は、曹操から早ロこ、、 辛いかな大丈夫の愛。ーー恋ならぬ男と男との義恋。 『 : : : ああ、生涯もう二度と、ああいう真の義士と語れないかの袍衣とを、あわただしく持って、すぐ後から鞭を打った。 『 : : : わからん。 : : : 実にあの御方の心理はわからん』 もしれない』 閣上にとり残された諸臣はみな呆っ気にとられていたが、程 憎悪。そんなものは今、曹操の胸には、みじんもなかった。 み、いよう ひそ ひたたれ ひかくはい * 一いよ - っ ななたび へだ かさね