ひとみ 眸は、張飛を射すくめた。奮然張飛は反抗しかけたが、玄徳を配して、われに向わんとは、大羊をケシかけて豹と闘わせ 巻になだめられて、不承不承、出て行った。嘲笑いながら、出陣ようとするようなものーー・』 のした。 と、なお笑い止まず、自分が曹操の前で、玄徳と孔明を生捕 って見せると大言したことも、これを見れば、もう掌に在る 壁 四 も同様だと云い足した。 赤 表面、命令に従って、それそれ前線へ向っては行ったが、内すでに敵を呑んだ夏侯惇は、先手の兵にむかって、一気に衝 心、孔明の指揮をあやぶんでいたのは関羽、張飛だけではなかき崩せと号令をかけ、自身も一陣に馳け出した。 時に、趙雲もまた彼方から馬を飛ばして、夏侯惇の方へ向っ て来た。夏侯惇は、大音をあげて云う。 関羽なども、張飛をなだめてはいたが、 そしようげんとく めすしゅうるい はかり′一とあた 『鼠将玄徳の粟を喰って、共に国を賊む醜類、いずこへ行く 孔明の計が中るか否か、試みに、こんどだけ 夏侯厚これにあり、首をおいてゆけ』 は、下知に従っていようではないか』 『何をつ』 と、云った程度であった。 やり かこうじゅん 趙雲は、まっしぐらに、鎗を舞わしてかかって来る。丁々十 時、建安十三年の秋七月という。夏侯惇は十万の大軍を率い いつわ 数戟、詐って、忽ち逃げ出すと、 て、博望坡まで迫って来た。 『待てつ、法夫っ』と、夏侯厚は、勝ち誇って、飽くまで追い 土地の案内者を喚んで、所の名をたずねると、 らこうせん 『うしろは羅ロ川、左右は予山、安林。前はすなわち博望坡でかけて行った。 ごぐんかんこう 護軍韓浩は、それを見て、夏侯惇に追いっき、諫めて云っ す』と、答えた。 うきんりてん ひょうろ、つしちょう 兵糧輜重などを主とした後陣の守りには、于禁、李典の二将 ごぐんかんこう をおき、自身は副将の夏侯蘭、護軍の韓浩の二人を具して、更『深入りは危険です。趙雲の逃げ振りを見ると、取って返して 誘い、誘っては又逃げ出す様子、伏兵があるにちがいありませ にすすんだ。 べん そしてます、軽騎の将数十をつれて、敵の陣容を一眄すべん』 『何を、ばかな』 く、高地へ馳けのばって行ったが、 夏侯厚は一笑に付して、 『ははあ。あれか。わははは』と夏侯惇は、馬上で大いに笑っ 『伏勢があれば伏勢を蹴ちらすまでだ、これしきの敵、たとえ おか 十面埋伏の中を行くとも、なんの恐るるに足るものか。 『何がそんなに可笑しいので』と、諸将がたずねると、 じよしょ じようしよう 『さきに徐庶が、丞相の御前で、孔明の才を称え、まるで神だ追い詰め追い詰め討ちくずせ』 はくばうつつみ かくて、いっか彼は博望の坡を踏んでいた。 通力でもあるような事を云ったが、今、彼の布陣を、この眼に とどろき こんな貧弱な兵力と愚陣すると果して、鉄砲の轟と共に、金鼓の声、矢風の音が鳴 見て、その愚劣を知ったからだ。 よ よざん あ ! わら た す・つば、 、 0 きようふ けんよ、フ よ たなごころ っ 256
れ、次々と三度までの告文を発せられました』 ところへ、後方から、 大声で云ったが、夏侯惇は耳もかさない。関羽も強いて彼の 巻『待たれよ ! 双方戦いは止めたまえ』 諒解を乞おうとはしない。 のと、声をからして叫びながらかけて来る一騎の人があった。 馬もっかれ、さすがに、人もっかれかけた頃である。又一 明曹操の急使だったのである。 騎、ここへ来るやいな、 来るやいな、馬上のまま、丞相直筆の告文を出して、 孔 しいかげんにしろ、丞相の御命令にそむく 『羽将軍の忠義をあわれみ、関所渡ロすべてつつがなく通して『夏侯惇 ! 強情も、 おじきしょ やれとのおことばでござる。御直書かくの如し』と、早口に云気か』 と、叱咤した人がある。 って制したが、夏侯厚はそれを見ようともせず、 それも許都からいそぎ下って来た早馬の一名、張遼であっ 「丞相は、関羽が六将を殺し、五関を破った狼藉を知ってのこ とか』 きつもん と、却って詰問した。 夏侯惇は、初めて、駒を退き、満面に大汗を、ばとばとこば 告文はそれより前に、相府から下げられたものであると、使しながら、 『ゃあ、君まで来たのか』 者が答えると、 『丞相には一方ならぬ御心配だ : : : 貴公のごとき強情者もおる 『それ見ろ。御存じならば、告文など発せられるわけはない。 いでこの上は、彼奴を擒って都へさし立て、そのうえで丞相から』 のお沙汰をうけよう』 『なにが心配 ? 』 - 一うしゅう 豪気無双な大将だけに、飽くまで関羽をこのまま見遁そうと『東嶺関の孔秀が関羽を阯めて斬られた由を聞かれ、さて、わ よ , し、一はかっ 4 に。 が失念の罪、もし行く行く同様な事件が起きたら、諸所の太守 にわかに告文を発しられ、二度 なお、人交ぜもせず、両雄は闘っていた。すると二度目の早をあだに死なすであろうと 馬が馳けて来て、 まで早打を立てられたが、なお御心配の余り、それがしを派遣 『両将軍、武器をおひきなされ、丞相のお旨でござるそ』 された次第である』 ごびんじよう と、さけんだ。 『どうして左様に御愍情をかけられるのやら』 夏侯厚は、すこしも鎗の手を休めずに、 『君も、関羽のごとく、忠節を励みたまえ』 『やわか、彼ごときに、劣るものか』 『待てとは、生擒れという仰せだろう。分ってる分ってる』 つば と、どなった。 と、負けず嫌いに、唾をはきちらして、なお憤々と云いやま よ、つこ。 十 / 、カュ / 近づき難いので、早馬の使者は遠くを繞りながら、 えんびしようぐんさいようおい わりふ 『さにあらず、道中の関々にて、割符を持たねば、通さぬは必『関羽に殺された秦琪は、猿臂将軍蔡陽の甥で、特に蔡陽が、 定、かならず所々にて、難儀やしつらんと、後にて思い出さおれを見込んで、頼むといってあずけられた部下だ。その部下 、けど めぐ きよと しんき ふんぶん ちょうりよう
り、四面金鼓のひびきに満ちていた 巻『夏侯惇は、いずれにあるか。昼の大言は、置き忘れて来た 『敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵 のか』 は、半分もないだろう』 ちょううんしりゅう 『まず、全減に近い』 壁趙雲子童の声がする。 たにがわ さしもの夏侯惇も、渓川に墜ちて死ぬものやら、馬に踏まれ『幸先よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのばろう。か 赤 おびただ て落命するなど、夥しい味方の死傷を見ては、ひっ返して、 かる大捷を博したのも、日頃の鍛錬があればこそ・・ーーやはり平 趙雲に出会う勇気もなかったらしい 常が大事だな』 『それもあるが : 『馬に頼るな、馬を捨てて、水に従って逃げ落ちよ』 : 』と、関羽はロを濁しながら、駒を並べて と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れ いる張飛の顔を見て云った。 出すのが漸くであった。 『この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功 ・市・こいた李典は、 は否みがたい』 はかり 1 一と 『」てこそ』 『むむ。 ・ *—は、図に中った。彼奴も、ちょっぴり、味を やりおる』 と、前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、 かんう しりぞ 前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊張飛はなお幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、 きかちょうひ を守ろうとすれば、そこにはすでに、玄徳の麾下張飛が迫っ孔明の智謀を認めないわけにはゆかなかった。 て、輜重をことごとく焼き払ったあげく、 やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、 りよう ぞくよ・つ 『火の網の中にある敵、一匹ものがすな』と、後方から挾撃し彼方から一輛の車を推し、簇擁として、騎馬軍旗など、五百余 て来た。 の兵が近づいて来る。 『 - 誰か ? ・』 討たるる者、焼け死ぬ者、数知れなかった。夏侯惇、于禁、 李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、 と見れば、車のうえには悠然として軍師孔明。ーー・前駆の二 びじくびほう 『、も、つ、 いかん』と、峰越しに逃げのびたが、夏侯蘭は張飛に大将は糜竺、糜芳のふたりだった。 - 一ぐんかん - : っ・ 出会って、その首を掻かれ、護軍韓浩は、炎の林に追いこまれ『オオ、これは』 おおやけど て、全身、大火傷を負ってしまった。 『軍師か』 威光というものは争えない。関羽と張飛はそれを見ると、理 窟なしに馬を降りてしまった。そして車の前に拝伏し、夜来の や たいしよう 大捷を孔明に報告した。 戦は暁になって熄んだ。 たにみずしし 山は焼け、渓水は死屍で理もれ、瘻愴な余燼のなかに、関『わが君の御徳と、各くの忠誠なる武勇に依るところ。同慶の 、張飛は軍を収めて、意気揚々、ゆうべの戦果を見まわって至りである』 あみ を一ん・一 きやっ 258
『それがしなどは、較べものになりません。それがしを螢とす 諸大将のうちには、異論を抱くらしい顔色も見えたが、曹操れば、孔明は月のようなものでしよう』 がすぐ、 「それほどか』 よろ 『その議、宜しかろう』と云ったので、即座に、玄徳討伐の事『いかで彼に及びましよう』 は、決定を見てしまった。 すると、夏侯厚は、徐庶のことばを叱って、更に、大言した。 ととく うきんりてん すなわち、夏侯惇を総軍の都督とし、于禁、李典を副将とし『孔明も人間は人間であろう。そう大きな違いがあって堪る ものではない。総じて、凡人と非凡人との差も、紙一重という た十万の軍団は編成され、吉日をえらんで発向することとなっ くらいなものだ。この夏侯惇の眼から見れば若輩孔明のごとき こう - 一うじ あくた その間に、彧は、二度ばかり曹操の前で、異論を立てた。 は、芥にひとしい。第一、あの黄ロ児はまだ実戦の体験すら持 きくならく たないではないか。もしこの一陣で、彼を生捕って来なかった 『ーー・聞説、孔明というものは、尋常一様な軍師ではないよう じようしよう かたがた です。旁く、いま軽々しく、玄徳に当ることは、勝っても、利ら、夏侯惇はこの首を自ら丞相の台下に献じる』 は少く、敗れれば、中央の威厳を陥し、失うところが大きいで 曹操は、彼のことばを壮なりとして、欣然、出陣の日は、自 しよう。よくよくここはお考えあっては如何ですか』 身、府門に馬を立てて、十万の将士を見送った。 夏侯厚は、側で笑った。 『玄徳、孔明など、いずれも定まった領地もない野鼠の輩で しかない。そのお説は余りに取越し苦労すぎる』 一方。新野の内部には、孔明がそこに迎えられて来てから、 かも あなど ちょっと、おもしろくない空気が醸されていた。 『いやいや、将軍、決して玄徳は侮れませんそ』 じゅんいく ふだい ふいに、横あいから、彧に加勢して云った者がある。見る 『若輩の孔明を、譜代の臣の上席にすえ、それに師礼を執らる じよしょ と、先頃まで新野にいて親しく玄徳の近況を知っている徐庶でるのみか、主君には、彼と起居を共にし、寝ては牀を同じゅう 1 一ちょう むつ あった。 して睦み、起きては卓を一つにして箸を取っておるなど、御寵 じよしょ 『おお、徐庶かーー』と、曹操は彼の存在を見出して急にたず用も度が過ぎる』という一般の嫉視であった。 ちょうひ ねた。 関羽、張飛の二人も、心のうちで喜ばないふうが、顔にも見 あら 『新たに、玄徳の軍師となった孔明とは、抑、どんな人物か』 えていたし、或る時は、玄徳へ向って、不遠慮にその不平を鳴 しよかつりようあなこうめし がりゅう かみてんもん 『諸高亮、字は孔明、また道号を臥童先生と称して、上は天文らしたこともある。 りやく に通じ、下は地理民情をよくさとり、六韜をそらんじ、三略を 『いったいあの孔明に、どれはどな才があるのですか。家兄に しんみ、んきばう 第 胸にたたみ、神算鬼謀、実に、世のつねの学徒や兵家ではあり は少し人に惚れ込み過ぎる癖がありはしませんか』 戦 『否、否』 臨ません』 『其方と較べれば : 玄徳は、ふつくらと笑いをふくんで、 じゅんいく ともがら かんう しよう ほたる このかみ 253
『下郵へ向ってきた兵力は、敵全軍の五分の一にも過ぎませ しかし彼の獅子奮迅ぶりに、味方もつづき限れなかった。 巻ん』 関羽は気がついて、 えいしさっそう のと、あるので、遂に城門をひらかせて、英姿颯爽と、一軍を『ちと、深入』 急に引っ返しかけたが、それと共に、左に敵の徐晃、右には 道ひきいて、蒼空青野の戦場へ出て行った。 きょちょ た 許褶の伏軍がいちどに起って、彼の退路をふさいだ 臣 いなご いしゆみつる 蝗の飛ぶような唸りは百張の弩が弦を切って放ったのであ 手をかざして望むと夏侯惇、夏侯淵の二軍は、鳥雲の陣をし さすがの関羽も、その矢道は通りきれない。道を史えんと駒 いて旌旗しずかに野に沈んでいた " こう′一う つむじ せきがん と見るうち、甲盍さんらんたる隻眼の大将が、馬をすすを返すとそこからもわっと伏兵の旋風が立つ。 こうして彼は次第に、気の長い猛獣狩の土蛮が豹を柵へ追い めて関羽のまえに躍りかけ、 ひげながそんふうし こむように追いつめられて、ついに曹操の大軍のうちに完封さ 『ゃあ、髯長の村夫子、なんじ何とて柄にもなき威容を作り、 武門のちまたに横行なすか。すでに不逞の頭目玄徳も無頼漢のれた。 日もはや暮れて野は暗い。彼が逃げあがったのはひくい小山 張飛もわが丞相の威風に気をうしない、風をくらって退散した かひ の上だった。夜に入ると、下郵のほうに、焔々たる猛火が空を のに、なんじまだ便々と下郵にたて籠って何んするものぞ。 ひげ 早々故郷へ立ち帰って、村童の鼻汁をふいておるか、髯のこがし始めた。 しらみ さきに城内へまぎれこんだ反間の埋兵が内から火を放って夏 虱でも取っておれ』と、舌をふるって悪罵した。 侯惇の人数を入れ、苦もなく、さしもの難攻不落、下郵の城を 関羽は、沈勇そのものの眉に口を緘し、爛たる眼を向けてい 曹操の手へ渡してしまったものであった。 『計られたり、計られたり。このうえは、なんの面目あって主 『おのれ、そう云う者は曹操の部下夏侯惇であるな』 君にまみえようぞ。そうだ : ・・ : 夜明けと共に』 やはり彼にも感情はあった。、いでは烈火のごとく怒っていた ものとみえる。 そのすがたにぶんと風を生じたかと思う彼は、討死を決心した。 えんげつせいりゅうとう うるしつやくろかげ そして、明日をさいごの働きに、せめては少し身を休めてお と、漆艶の黒鹿毛と、陽にきらめく偃月の青竜刀は、 こう。馬にも草を喰わせておこうーーーそう心しずかに用意し 『、つ。こくなー・山月眼』 かか て、あわてもせず、夜の白むのを待っていた。 と、ひと声吼えておどり蒐って来た。 しののめくれない 朝露がしっとりと降りる。東雲は紅をみなぎらして来 もとよりる気の夏侯厚、善戦はしながらも、逃げては奔 た。手をかざして小山のふもとを見れば、長蛇が山を巻いたよ り、返しては罵りちらした。 うに、無数の陣地陣地をつないで霞も黒いばかりな大軍。 関羽は大いに怒って部下三千を叱咤し、自分も二十里ばかり 『ものものしゃ : : : 』 ふるさと かん がら らん っ一 ) 0 えんえん か
かくて、仕掛けた奇襲は、反対に受身の不意討と化した。隊 ふんれつ 巻伍は紛裂し、士気はととのわず、思い思いの敵と駈けあわすう ちょうりよう き上ちょ のち、敵の東の方からは張遼の一陣、西のほうからは許楮、南玄徳は道を変えて、夜の明けるまで馳けつづけた。すでに小 ・つを : ん じよこう りてん たつみ 道からは于禁、北からは李典。また東南よりは徐晃の騎馬隊。西沛の城は敵手に陥されてしまったので、 ・つしとら •r' る がくしんどきゅうたい かこうじゅん 南よりは楽進の弩弓隊、東北よりは夏侯惇の舞刀隊、西北より 『このうえは徐州へ』と急いだのである。 臣 かこうえん めんてっとう かたち は夏侯淵の飛槍隊など、八面鉄桶の象をなしてその勢無慮十数ところがその徐州城へ近づいてみると、暁天に翻っている 万ーーその何十分の一にも足らない張飛、玄徳の小勢をまった楼頭の旗はすべて曹操軍の旗だったので、 く包囲して、 これは ? 』と、玄徳はしばし行く道も失ったように、茫 二匹も余すな』と、ばかり押しつめて来た。 然自失していた。 あぶみ さしもの張飛も鐙に無念を踏んで、 陽ののばるにつれて、四顧に入る山河を見まわすと、濛々 『南無三』 と、どこも彼処も煙がたちこめていた。そしてそこには必ず曹 はび - 一 右に突き、左をはらい、一生の勇をここにふるったが」 到底無操の人馬が蟠っていた。 あやま 理な戦、だっこ。 『ああ過った。 智者でさえ智に誇れば智に溺れるというも 味方は討たれ、或いは敵へ降参をさけんで、武器を捨て、彼のを、図にのった張飛ごときものの才策をうかと用いて』 自身も数箇所の手傷に、満身朱にまみれてしまった。 玄徳は臍を噛んだ 痛烈にいま悔を眉に滲ませている 徐晃に追われ、楽進に斬ってかかられ、炎のような息をつい が彼はすぐその非を知った。 あやま て漸く一・方に血路をひらき、つづく味方をかえりみると、何た 『わしは将だ。彼は部下。将器たるわしの不才が招いた過ち る情なさ、わずかに二十騎ほどもいなかった。 『者共 ! もう止せ、馬鹿げた戦だ。死んでたまるか、こんな さしずめ玄徳は、落ちてゆく道を求めなければならない。 所で、 さあ、おれについて来い』 いかにしてこの危地を脱するか ? またどこへさして落 ばうとうざん 遂に、帰路をも遮断されてしまい、むなしく彼は罐蕩山方面ちて行くか ? へ落ちのびて行った。 当面の問題に、彼はすぐ頭を向け更えた。 を、しゅ・つ 玄徳もまた、云うまでもない運命に陥ちていた。 『そうだ、ひとまず冀州へ行って、袁紹に計ろう』 か - : つじゅんか - 一うえんきようげき そんかんことづ 大軍にうしろを巻かれ、夏侯惇、夏侯淵に挾撃され、支離滅 いっそや使した孫乾に言伝けしてーー・もし曹操に敗れたら冀 しようは、 裂に討ち減らされて、わずか三、四十騎と共に、、 へ来給え、悪いようにはせぬから 沛の城へさ と云っていたという袁 して逃げて来ると、もう河を隔てた彼方に、火の手がまッ赤に紹の好意をふといま玄徳は思い出していた。 がくしんかこうじゅん 空を焦がしていた。 根城のそこも、すでに曹操に占領され途中、ゆうべから狙けまわしている楽進や夏侯厚の軍勢に ていたのである。 さんざん追いまわされて、彼も馬も、土にのめるばかりな苦し じよ - 一う あけ ひつじ っ ひるがえ
、こるのか』 りはためいた。旗を見れば玄徳の一陣である。夏侯厚は大し 笑って、 『いや、恟々はせぬが、兵法の初学にもーーー難道行くに従って せま さんせんあいせま 『これがすなわち、敵の伏勢というものだろう。小ざかしき虫狭く、山川相迫って草木の茂れるは、敵に火計ありとして備う ふと、それを今、ここで思い出したのだ』 けら共、いで一破りに』 『むむ。そう云われてみると、この辺の地勢は : : : それに当っ と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。 ている』 気負いぬいた彼の麾下は、その夜のうちにも新野へ迫って、 すく と、于禁も急に足を竦めた。 一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。 彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典に云った。 玄徳は一軍を率いて、力闘に努めたが、固より孔明から授け 『御辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えて居給え。 られた計のあること、防ぎかねた態をして、忽ち趙雲とひとっ : どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重 になって潰走し出した。 するよう報じて来る』 うきん 五 于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯厚に追いついた。 かす じよううん ばっ いっか陽は没して、霧のような蒸雲のうえに、月の光が幽かそして李典のことばをその儘伝えると、彼もにわかに覚ったも 、、こっこ 0 のか、 『 4 わ、つ , ー 『しまったつ。少し深入りしたかたちがある。なぜもっと早く いつ、于禁。おういっーーー暫く待て』 云わなかったのだ』 うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁 そのときーー一陣の殺気というか、兵気というものか、多 かこうじゅん そうみ 年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、そくと総身の 『李典か。何事だ』と、大汗を拭いながら振向いた。 あえ 毛あなのよだつようなものに襲われた。 李典も、喘ぎあえぎ、追いついて来て、 1 ーーそれつ、引っ返せ』 『夏侯都督には、如何なされたか』 かんば 馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹陰樹陰 『気早の御大将、何かは猶予のあるべき。悍馬にまかせて真っ に、チラチラと火の粉が光った。 先に進まれ、もうわれ等は二里の余もうしろに捨てられて こずえ すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の梢に這 る』 し渓の水は銅のように沸き立った。 「危ういそ。図に乗っては』 『伏兵だっ』 『ど、つして』 第 『火攻め ! 』 『余りに盲進しすぎる』 と、道にうろたえ出した人馬が、互いに踏み合い転げあっ 臨『蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路の捗どるのは、味方の強い とき あびきようかん ばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、恟々すて、阿鼻叫喚をあげていたときは、すでに天地は喊の声に塞が かいそう びくびく あかがね ふさ
ほと s ・ 逃げ、遂に黄河の畔まで敵を誘い、敵の五寨の備えを或る程度など固よりなかった。 巻まで変形させることに成功した。 袁紹は、三人の子息と共に、夢中で逃げ出していた。 の『うしろは黄河だ。背水の敵は死物狂いになろう。深入りす うしろに続く旗下の将士も、途中敵の徐晃や于禁の兵に挾ま れて、散々討死を遂げてしまった。 明・オ』 おやこ いや、彼等父子の身も、 いくたびか包まれて、雑兵の熊手に と袁紹父子が、その本陣から前線の将士へ、伝騎を飛ばした 孔 時は、すでに彼等の司令本部も、五寨の中核からだいぶ位置をかかるところだった。 移して、前後の聯絡はかなり変貌していたのであった。 馬を乗り捨て、また拾い乗ること四度、辛くも倉亭まで逃げ 突如として、方二十里にわたる野や丘や水辺から、予て曹操走って来て、味方の残存部隊に合し、ほっとする間もなく、こ そう・一う ときのこえ かこうじゅん でんらい の配置しておいた十隊の兵が、鯨波をあげて起った。 こへも曹洪、夏侯惇の疾風隊が、電雷のごとく突撃して来た。 えんき ふかで こうかん 『大丈夫だ』 次男の袁熙は、ここで深傷を負い、甥の高幹も、重傷を負っ さわ 『なんの、躁ぐことはない』 袁紹父子は、最後に至る迄総司令部と敵とのあいだに、 分厚夜もすがら、逃げに逃げて、百余里を走りつづけ 翌る な味方があり、距離があることを信じていた。 日、友軍をかぞえてみると、何と一万にも足らなかった。 何そ知らん。彼の信じていた五寨の備えは、すでに間隙 五 だらけであったのである。 かんせい はいそうこうよるひる またたく間に、味方ならぬ敵の残声はここに近づいていた。 逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行の夜昼ほど、 しかも、十方の闇からである。 苦しいものはないだろう。 ふかで かこうじゅん しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷や浅傷を負い 『右翼の第一隊、夏侯惇』 続々、落伍してしまう。 『二隊の大将、張遼』 『あっ ? ・ 父上、どうなされたのですか』 『第三を承るもの李典』 遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天し 『第四隊、楽進なり』 ながら駒を寄せた。 『第五にあるは、夏侯淵』 ひだりぞな 『兄さん ! 大変だっ、待ってくれい』 『ーー左備え。第一隊曹洪』 ちょ・つこう じよ - 一う ・つキ : ん こうらん 『二隊、張部。三、徐晃。四、于禁。五、高覧』 ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめ うしお と、 いうような声々が潮のように耳近く聞かれた えんたんえんき 『すわ。急変』と、総司令部はあわて出した。 袁譚、袁熙の二子も、何事かとすぐ父のそばへ引返して来 ) 0 どうしてこう敵が急迫して来たのか。三十万の味方が、いっ 全軍も、混乱のまま、潰走を止めた。 たいどこで戦っているのか。皆目、知れないし、考えている遑老齢な袁紹は、日夜、数百里を逃げつづけて来たため、心身 がくしん ちょうりよう りてん かこうえん そうこう いとま もと そうてい あさで わ 0
かこうじゅん れた』 る。さてこそ、曹操の第一の大将夏侯惇よなと、関羽も満身を せいりゅうとう 『して、その後の御安否は』 総毛だてて青童刀を構え直していた。 『まだ知れぬが、 一方、貴殿とのお約束もあり、二夫人の 『ゃあ、居るは関羽か』 お身の上も心がかりなので、取あえず、てまえはこの道をいそ夏侯惇から呼ばわると、 いで来た次第です。 将軍もお車も、このまま何も知らずに 『見るが如し』 うそぶ 河北へ行かれたら、みずから檻の中へ這入ってゆくようなも と、関羽は嘯いた。 の。危険は目前にあります。すぐ道を更えて、汝南へ向けてお虎をみれば童は怒り、竜を見れば虎はただちに吠える。双方 いそぎ下さい』 とも間髪を容れない殺気と殺気であった。 『よくぞ知らせてくれた。しからば劉皇叔だにおつつがなく遁『汝みだりに、五関を破り、六将を殺し、しかもわが部下の秦 こうべ れ遊ばせば、汝南において、御対面がかなうわけだな』 琪まで斬ったと聞く。つつしんで首をわたすか、然らずんば、 『そうです。玄徳様にも、どれはどお待ちかわかりません。何おれの与える縛をうけよ』 しろ、河北の陣中におられるうちには、たえず周囲の白眼視を 聞くと、関羽は大笑して、それに答えた。 うけ、袁紹には、二度まで斬られようとした事さえおありだっ 『その以前、座談のなかではあったが、われ帰らんとする日、 かんく わた た由ですから』と、なお玄徳のきよう迄の隠忍艱苦のかずかずもし遮るものあれば、一々殺戮して、屍山血河を渉っても帰る れんうち を物語ると、簾の裡で聞いていた二夫人もすすり泣き、関羽もであろうとーー曹丞相と語ってゆるされたことがある 思わず落涙した。 そを履行してあるくのみ。貴公もまた、関羽のために、血の はなむけ 『そうだ。、いせねばならん。汝南はもう近いが、何事も、もう餞別にやって来たか』 ゆる * 、また 一歩という手まえで、心も弛み、思わぬ邪げも起るものだ。 そんかん 孫乾、道の案内に先へ立ち給え』 おし つらにく 関羽は、自分を戒めるとともに、扈従の人々へも、訓えたの 『あな、面憎ゃ。天下、人もなげなる大言を、吐ざきおる奴』 である。 夏侯厚は、片眼をむいて、すばらしく怒った。 よこっそう ちょうぜん 「、い得申した』 はやくも彼のくり伸ばした魚骨鎗は、ひらりと関羽の長髯を かすめた。 急に、道を更えて、汝南の空をのそんで急ぐ。 かっせん 子 すると、行くことまだ遠くもないうちであった。うしろの方戞然ーー。関羽の偃月の柄と交叉して、いずれかが折れたか 息から馬煙りあげて追っかけて来る三百騎ほどな軍隊があった。 と思われた。逸駿赤兎馬は、主人とともに戦うように、くわっ らたちまち追いっかれたので、関羽は、孫乾に車を守らせ、一騎と、ロをあいて悍気をふるい立てる。 やり の引っ返して待ちかまえた。 十合、二十合、彼の鎗と、彼の薙刀とは閃々烈々、火のにお明 まっ先に躍って来る馬上の大将を見ると、片眼がつぶれてい いかするばかり戦った。 こじゅう えんげつ しん
わわい が、継母の禍をのがれたいと思し召すなら、父君に乞うて、 巻そこの守りへ望んで行くべきです。重耳が国を出て身の難をの のがれたのと同じ結果を得られましよう』 壁『先生。ありがとう存じます。琦は、にわかになお、生きてゆ かれる気がして来ました』 赤 彼は、幾度も拝謝して、手を鳴らして家臣を呼び、降り口に 梯子をかけさせて、孔明を送り出した。 孔明は立ち帰って、この事を、有の儘に、玄徳に告げると、 っ偲も、 『それは良計であった』と、共に歓んでいた。 この当時である。曹操は大いに職制改革をやっていた。つね 間もなく又、荊州から迎えの使が来た。玄徳が登城してみる に内政の清新を図り、有能な人物はどしどし登用して、閣僚の と、劉表はこう相談を向けた。 化につとめ、 ちゃくなんき りんせんたいせい 『嫡男の琦が、なにを思い出したか、急に、江夏の守りに遣っ ( 事あれば、いつでも ) という、いわゆる臨戦態勢をととのえ てくれと申すのじゃ、どういうものであろうか』 ていた。 もう力い さいえんせいそうのえん 『至極、結構ではありませんか、お膝下を離れて、遠くへ行く 毛畍が東曹掾に任じられ、崔珱が西曹掾に挙げられたのも此 しゅばしばろう 事は、よい御修行にもなりましようし、また、江夏は呉との境の頃である。わけて出色な人事と評されたのは、主簿司馬朗の かだいうん ちゅうたっ ぶんがくのえん でもあり、重要な地ですから、どなたか御近親をひとり置かれ弟で、河内温の人、司懿、字を仲達というものが、文学掾と ることは、荊州全体の士気にもよい事と思われます』 して、登用されたことだった。 しばちゅうたっ 『そうかなあ』 その司馬仲達は、もつばら文教方面や選挙の吏務にあったの きみおんちゃくし 『総じて、東南の防ぎは、公と御嫡子とで、お計りください。 で文官の中には、異色を認められていたが、軍政方面には、ま ふしようりゅうび 不肖劉備は、西北の防ぎに当りますから』 だ才略の聞えもなかった。 そうそう げんぶち かこうじゅんそうじんそう 『・三 : むむ。聞けば近ごろ、曹操も玄武池に兵船を造って、舟やはり軍部に重きをなしているのは依然、夏侯惇、曹仁、曹 手の教練に怠りないという噂じゃ。いずれ南征の野心であろ洪などであった。 う。切に御辺の精励を恃むそ』 一日、南方の形勢について、軍議のあった時、その夏侯惇 けん筆 『ど、つか、御安心下さい』 は、進んでこう献議した。 しんや - 一うめし 玄徳は新野へ帰った。 『いま劉玄徳は、新野にあって、孔明を師となし、しきりに兵 馬を調練しておるとか、捨ておいては後日の大患。まず、この じゃまいしとりのぞ 邪魔石を取除いて、然る後、次の大計に臨むのが順序でしょ て たの よろ - 一 ひ早、もと ふな こう とうそうのえん 臨戦第一課 252