『射たそ、誰か、獲物を拾え』 の人々に見せた。 巻振向いた時である。孫策の顔へ、ひゅ「と、一本の箭が立っ 『都に在任していた蒋林が帰りましたが、お会いになされます のた。 , 刀』 月『あっ』 すっかり容体が快いので、侍臣がいうと、孫策はぜひ会っ 顔を抑えると、藪の陰から躍り出した浪人三名が、 て、都の情勢を聞きたいという。 孔 きょ - 一う 『恩人許貢の仇、思い知ったか』と、槍をつけて来た。 蒋林は病牀の下に拝して、何くれとなく報告した。 孫策は、弓をあげて、一名の浪人者を打った。しかし、また すると孫策が、 一方から突いて来た槍に太股をふかく突かれた。五花馬の背か『曹操は近ごろおれの事をどう云っているか』と、訊ねた。蒋 ら転げ落ちながらも、孫策はあいての槍を奪っていた。その槍林は、 で自分を突いた相手を即座に殺したが、同時に、 『獅子の児と喧嘩はできぬと云っているそうです』と、噂のま 『うぬっ』と、うしろから、二名の浪人もまた所きらわず、彼ま話した。 『挈」 , つか。亠めははよ の五体を突いていた。 そんさく ううーー。 - ・むッと、大きなうめきを発して、孫策が仆れたと めずらしく、孫策は声をだして笑った。非常な御機嫌だと思 1 一しようていふ しようりんき しゃべ き、残る二名の浪人もまた、急を見て馳けつけて来た呉将程普 ったので、蒋林は訊かれもしないのに、なお喋舌っていた。 おびただ のために、ずたずたに斬り殺されていた。その附近は、夥し しかし、百万の強兵があろうと、彼はまだ若い。若年の さてつ い血しおで足の踏み場もないほどだった。 成功は得て思い上り易く、図に乗ってかならず蹉跌する。いま 何にしても、国中の大変とはなった。応急の手当を施して、 に何か内争を招き、名もない匹夫の手にかかって非業な終りを 遂げるやも知れん。 すぐ孫策の身は、呉会の本城へ運び、ふかく外部へ秘した。 : などと曹操は、そんな事も云っていた と、朝廷の者から聞きましたが』 『華陀を呼べ。華陀が来ればこんな瘡は癒る』 しつづけていた。さすがに気丈で うわ言のように、当人はい、 見る見るうちに孫策の血色は濁って来た。身を起して北方を あった。それにまだ肉体が若い はったと睨み、やおら病牀を降りかけた。人々が驚いて止める と、 いわれる迄もなく、名医華陀のところへは、早馬がとんでい きず た。すぐ呉会の城へのばった。けれど華陀は眉をひそめた。 『曹操何ものそ。瘡の癒えるのを待ってはいられない。すぐわ やじり 『いかんせん、鏃にも槍にも、毒が塗ってあったようです。毒しの戦袍や盗をこれへ持て、陣触れをせいっ』 か骨髄に沁みとおっていなければよろしいが : すると張昭が来て、 うめ 三日ばかりは、昏々とただ呻いている孫策であった。 『何たることです。それしきの噂に激情をうごかして、千金の けれども二十日も経っと、さすがに名医華陀の手をつくした御身を軽んじ給うなどということがありますか』と、叱るが如 医療の効はあらわれて来た。孫策は時折、うすら笑みすら枕頭く犠めた。 えもの きず し上うりん 72 り
『だまれつ。この孫策をも愚夫あっかいにするか。誰ぞ、この『策、そなたは、ほんとに道士を斬るつもりですか』 よ・つげんよ、つみ、い 巻老爺の首を刎ねて、諸民の妖夢を醒ましてやれ』 『妖人の横行は国のみだれです。妖一『〕妖祭、民を腐らす毒で の だが、誰あって、進んで彼の首に剣を加えようとする者はなす』 明かった。 『道士は国の福神です、病を癒すこと神のごとく、人の禍を予 言して誤ったことはありません』 孔張昭は、孫策をいさめて、何十年来、なに一つ過ちをしてい ないこの道士を斬れば、かならず民望を失うであろうと云 0 た『母上もまた彼の詐術にかかりましたか、いよいよ以って許せ ません』 『なんの、こんな老ばれ一匹、大を斬るも同じことだ。いずれ彼の妻も、母とともに、ロを極めて、于吉仙人の命乞いをし 孫策が成敗する。きようは首枷をかけて獄に下しておけ』と、 たが、果ては、 おんなわらべ ゆるす気色もなかった。 『女童の知るところでない』と、孫策は袖を払って、後閣か ら立ち去ってしまった。 どくが 四 一匹の毒蛾は、数千の卵を生みちらす。数千の卵は、また数 キ一、、つり 孫策の母は、愁い顔をもって、嫁の呉夫人を訪れていた。 十万の蛾として、民家の灯、王城の燭、後閣の鏡裡、ところ、 、つど、つし 『そなたも聞いたでしよう。策が于道士を捕えて獄に下したと嫌わず妖舞して、限りもなく害をなそう。孫策はそう信じて、 し、つことを』 母のことばも妻のいさめも耳に入れなかった。 、つキ、つ 『ええ、ゆうべ知りました』 『典獄。于吉を曳き出せ』 てんごくのかみ 『良人に非行あれば、諫めるのも妻のっとめ。そなたも共に意主君の命令に、典獄頭は、顔色を変えたが、やがて獄中から くびかせ 見してたもれ。この母も云おうが、妻のそなたからも口添えし曳き出した道士を見ると、首枷が懸けてない。 て下され』 『だれが首枷を外したか』 呉夫人も悲しみに沈んでいたところである。母堂を始め、夫孫策の詰問に典獄はふるえ上った。彼もまた信者だったので - 一しもと 人に仕える女官、侍女など、ほとんど皆、于吉仙人の信者だつある。いや、典獄ばかりでなく、牢役人の大半も実は道士に帰 依しているので、いたくその祟りを恐れ、繩尻を持つのも厭う 呉夫人はさっそく良人の孫策を迎えに行った。孫策はすぐ来風であった。 とおこな たが、母の顔を見ると、すぐ用向きを察して先手を打って云っ 『国の刑罰を執り行う役人たるものが、邪宗を奉じて司法の任 にためらうなど言語道断だ』 ようじん 『きようは妖人を獄からひき出して、断乎、斬罪に処するつも孫策は怒って剣を払い、たちどころに典獄の首を刎ねてしま りです。まさか母上までが、あの妖道士に惑わされておいでに った。また于吉仙人を信するもの数十名の刑吏を武士に命じて ざんけい なりはしますまいね』 こととく斬刑に処した。 そんさく かせ あやま え はず
きょこう きつもん 孫策の眼にも漢朝はあったけれど、その朝門にある曹操は眼孫策は怒って、直ちに、許貢の居館へ詰問の兵をさし向け ちゅうさっ 中になかった。 た。そして許貢をはじめ妻子眷族をことごとく誅殺してしまっ 孫策はひそかに大司馬の官位をのそんでいたのである。けれた。 ど、容易にそれを許さないものは、朝廷でなくて、曹操だっ 阿鼻叫喚のなかから、あやうくも逃げのがれた三人の食客が あった。当時、どこの武人の家でも、有為な浪人はこれをやし 甚だおもしろくない。 きにおいて養っておく風があった。その食客三人は、日頃ふか だが、並び立たざる両雄も、あいての実力は知っていた。 く、許貢の恩を感じていたので、 『彼と争うは利でない』 『何とかして、恩人の讐をとらねばならぬ』 曹操は、獅子の児と噛みあう気はなかった。 と、ともに血を啜りあい、山野にかくれて、機を窺ってい かんむり しかし獅子の児に、乳を与え、冠を授けるようなことも、極 力回避していた。 孫策はよく狩鼡にゆく。 ただ手なずけるを上策と考えていた。 で、一族曹仁の娘淮南の袁術に身を寄せていた少年時代から、狩猟は彼の好き そんきよう を、孫策の弟にあたる孫匡へ嫁入らせ、姻戚政策を取ってみた なものの一つだった。 その日も が、この程度のものは、ほんの一時的な偽装平和を彩った迄に たんと すぎない。 日がたっと、いっとはなく、両国のあいだには険悪彼は、大勢の臣をつれて、丹徒という部落の西から深山には な気流がみなぎってくる。乳を与えなくても、獅子の児はを いって、鹿、猪などを、趁っていた 備えて来た。 すると舷に、 呉郡の太守に、許貢という者がある。その家臣が、渡江の途『今だそ、復讐は』 中、孫策の江上監視隊に怪しまれて捕われ、呉の本城へ送られ『加護あれ。神仏』 や て来た。 と、かねて彼を狙っていた例の食客浪人は、箭に毒を塗り、 みが 取調べてみると、果して、密書をたずさえていた。 槍の穂を石で研いて、孫策の通りそうな藪陰にかくれ、一心天 しかも、驚くべき大事を、都へ密告しようとしたものだつを念じていたのであった。 そうもん 人 ( 呉の孫策、度々、奏聞をわずらわし奉り、大司馬の官位を 仙 のそむといえども、御許容なきをうらみ、ついに大逆を兆し、 吉兵船強馬をしきりに準備し、不日都へ攻めのばらんの意あり、 于疾くよろしくそれに備え給え ) こういう内容である。 と きょ - : っ たてまっ いんせきせいさく そうじん 孫策の馬は、稀世の名馬で『五花馬』という名があった。多 くの家臣をすてて、彼方此方、平地を飛ぶように馳駆してい 彼の弓は、一頭の鹿を見事に射とめた。 わいなん お 〃 9
、、わら とこめぐ 昼間とは、眸のひかりがまる于吉のすがたが現れて、彼の寝顔をあざ笑い、彼の牀を繞 策はくわっと眼をみひらいたが、 でちがっていた。 り、彼が剣を抜いて狂うと、忽然、夜明の光とともに掻き消え ・つキ - っ てしま、つらし、 『于吉め ! 妖爺めツ。どこへ失せたか』 目に見えるはど痩せてきた。そして孫策は、昼間も昏々とっ ロ走るのである。明かに、ただならぬ症状であった。 しかし夜が明けると、昏々と眠りに落ち、日が高きころ目をかれて眠り落ちている日が多かった。 母は、枕元へ来て、頼むようにまた云った。 さまして、平常に回って来た。 よくせいかん 彼の母とともに夫人も見舞にきていた。老母は涙をうかべて『策。どうそ、おねがいですから玉清観へお詣りに行ってくだ き」し』 云った。 しんせん 『そなたはきのう神仙を殺したそうじゃが、なんでそんなこと『寺院に用はありません。父の命日でもありますまい』 せんれい ざんげ をしてくれたか。、、 とうぞきようから祭堂に籠って仙霊に懺悔『わたくしから、玉清観の道主におすがりしたのじゃ。天下の しよう し、七日のあいだ善事を修行してくだされ』 道士を請じて香を焚き、行を営んで、鬼神のお怒りをなだめて 『十 6 十キよ 』孫策は哄笑してーー『母上、この孫策は、父孫戴くように』 堅にしたがって、十六七歳から戦場に出で、今日まで名だたる『孫策は幼少からまだ、父が鬼神を祭ったのは、見たこともあ ト - ・つほ・つ おやじ 敵を斬ることその数も知れません。なんで妖法をなす乞食老爺りませんが』 えいこん ひとりを殺したからといって、祭堂に籠って天に詫びることを『そんな理京はもう云わないでおくれ。英魂も怨みをのこして する要がありましよう』 此土に執着すれば鬼神になる。まして罪もなく殺された神仙の たた 『いえいえ、于吉は、凡人ではない。神仙です。神霊の祟りを霊が祟りをなさずにいましようか』 老母はよよと泣く。夫人も泣きすがって諌める。孫策もそれ そなたは恐れぬのか』 どうしいんよくせいかん 『恐れません。わたくしは、呉の国主です』 には負けて、遂に轎の用意を命じ、道士院の玉清観へ赴いた 『よ、つこ」』 『まあ、いくら諫めても、そなたは強情な : : : 』 と、国主の参詣をよろこんで、道主以下、大勢して彼を出迎 『もう仰っしやっ . て下さるな、人には人の天命ありです。 ら妖人が祟ろうと、人命を支配するなどという理はうなずけまえ、修法の堂へ導いた せん』 気のすすまない顔をして、孫策は中央の祭壇に向い、まるで っ やむなく老母と夫人は、愛児の為め、良人のため、自身が代対峙しているように睨みつけていたが道主に促されて、やむな く香炉へ香を焚いた。 立って修法の室に籠り、七日のあいだ潔斎して蒋りを修めてい 『ーー・おのれッ ! 』 けれどその効もなく、毎夜、四更の頃となると、孫策の寝殿何を見たか、とたんに孫策は、帯びたる短剣を、投げつけ物 孫 は侍臣のひとりに突刺さったので、異様な絶叫が、堂に には怪異なる絶叫がながれた かえ くるま
れ、居ながらにして、諸州の動向と成敗を見るに充分である。水を打ったように寂として、極めてかすかな遺言の声も、一様 たの とはいえ、地の利天産に恃むなかれ。 : : : 飽くまで国を保つも にうなだれている群臣のうしろの方にまで聞えてくるはどだっ のは人である。汝等、われ亡きあとは、わが弟を扶け、ゆめ怠た。 るな』 『 : : : ああ不孝の子、この兄は、もう天命も尽きた。慈母の孝 そう云って、細い手を、わずかにあげて、 寺も、まだ若い孫権の身、何事も 養をくれぐれ頼むぞ。また諸月 そんけん 『弟、弟 : : : 孫権はいるか』と見まわした。 和し、そして扶けてくれるように。孫権もまた、功ある諸大将 ちょうしよう 孫権はここにおりまする』 を軽んじてはならんそ。内事は何事も、張昭に諮るがよい。 しゅうゆ : ああ周瑜。周瑜がここに 群臣のあいだから、あわれにもまだ年若い人の低い声がし外事の難局にあわば周瑜に問え。 は、、ゆ・つ いないのは残念だが、彼が巴丘から帰って来たらよう伝えてく れい』 そう云うと、彼は、呉の印綬を解いて、手ずからこれを孫権 に譲った。 それは弟の孫権だった。 孫権は、泣き腫らした眼を俯せながら、兄孫策の枕頭へ寄っ 孫権は、おののく手に、印綬をうけながら、片膝を床につい て、 て、滂沱 : : : ただ滂沱・ : ・ : 涙であった。 『兄上、お気をしつかり持って下さい。し 、まあなたに逝かれた 『夫人。 : : : 夫人 : : : 』 きようし ら、呉の国家は、柱石を失いましよう。そこにいる母君や、多孫策は、なお眸をうごかした。泣き仆れていた妻の喬氏は、 うんびん くの臣下を、どうして抱えてゆけましよう』 みだれた雲鬢を良人の顔へ寄せて、よよと、むせび泣いた。 と、両手で顔をつつんで泣いた。 『そなたの妹は、周瑜に娶合わせてある。よくそなたからも妹 そんけんほさ 孫策は、いまにも絶えなんとする呼吸であったが、強いて徴に云って、周瑜をして、孫権を補佐するよう : : : よいか、内助 をつくせよ。夫婦、人生の中道に別れる、これほどな不幸はな 笑しながら、枕の上の顔を振った。 『気をしつかり持てと。 いが、またぜひもない』 : それはおまえに云い遺すことだ。 しようまい 次に、なお幼少な小妹や弟たちを、みな近く招きよせて、 孫権、そんなことはないよ。おまえには内治の才がある。しか し江東の兵をひきいて、乾坤一擲を賭けるようなことは、おま 『これからはみな、孫権を柱とたのみ、慈母をめぐって、兄弟 あいそむ っ えはわしに遠く及ばん。 : だからそちは、父や兄が呉の国を相背くようなことはしてくれるなよ。汝ら、家の名をはずかし せん 立建てた当初の艱難をわすれずに、よく賢人を用い有能の士をあめ、義にそむくような事があると、孫策のたましいは、九泉の ああ 権げて、領土をまもり、百姓を愛し、堂上にあっては、よく母に下にいても、誓ってゆるさぬそ。 : : : 噫 ! 』 云い終ったかと思うと、忽然、息がたえていた。 孫孝養せよ』 しようはおう 刻々と、彼の眉には、死の色が兆して来た。病殿の内外は、 孫策、実に二十七歳であった。江東の小覇王が、こんなには けんこんてき き、 たす ばうだ いんじゅ 〃 7
かみなり にあたって、霹靂が鳴り、電光がはためき、ばつ、ばつ、と痛 と、戞然、抜き払った一閃の下に、于吉の首を刎ねてしまっ 巻 いような大粒の雨かと思ううち、それも一瞬で、やがて盆をく のつがえすような大雷雨とはなって来た。 日輪は赫々と空にありながら、また沛然と雨が降りだした。 - 一くうん 明未の刻まで降り通した。市街は河となって濁流に馬も人も石怪しんで人々が天を仰ぐと、一朶の黒雲のなかに、于吉の影が ひた ばん - 一 も浮くばかりだった。それ以上降ったら万戸洪水に浸されそう寝ているように見えた。 孔 に見えたが、やがて祭壇の上から誰やらの大喝が一声空をつん孫策はその夕方頃から、どうもすこし容子が変であった。眼 - 一う - 一う ざいたかと臥うと、雨ははたと霽み、ふたたび煌々たる日輪がは赤く血ばしり、発熱気味に見うけられた。 大空にすがたを見せた。 うきっ はんやけ 刑吏が驚いて、半焼の祭壇のうえを見ると、于吉は仰向けに 寝ていた。 『ああ、真に神仙だ』 と、諸大将は駈け寄って、彼を抱き下ろし、われがちに礼拝 讃嘆してやまなかった。 くるま しやめん 孫策は轎に乗って、城門から出て来た。さだめし赦免される であろうとみな思っていたところ彼の不機嫌は前にも増して険 悪であった。武将も役人もことごとく衣服の濡れるもいとわす 『あっ、何だろう ? 』 于吉のまわりに拝跪したざまが、彼の眼には見るに耐えなかっ びつくり 宿直の人々は、吃驚した。真夜半である。燭が白々と、もう 『大雨を降らすも、炎日のつづくも、すべて自然の現象で、人四更に近い頃。 しんでんちょうり 間業で左右されるものではない。汝ら諸民の上に立っ武将たり寝殿の帳裡ふかく、 突然、孫策の声らしく、つづけさまに絶 市尹たりしながら、なんたる醜状か。妖人に組して、国を紊す叫が洩れた。すさまじい物音もする。 、孫策 も、謀叛してわれに弓をひくも、同罪であるそ。斬れツ、その『何事 ? 』と、典医や武士も馳けつけて行った。 おやじ は見えなかった。 老爺を ! 』 諸臣、黙然と首をたれているばかりで、誰も、于吉を怖れて『オオ、ここだ。ここに仆れておいでになる』 しよう うつぶ 進み出る者もなかった。 見れば、孫策は、牀を離れて床のうえに俯伏していた。しか いきどお 孫策はいよいよ憤って、 も、手には剣の鞘を払って。 おく すいちょう 『なにを臆すかッ よしつ、このうえは自ら成敗してくれん。 その前にある錦の垂帳はズタズタに斬り裂かれていた。 見よわが宝剣の威を』 宿直の武士がかかえて牀にうっし、典医が薬を与えると、孫 ひつじ みだ とのい とのい 孫権立っ そんけん だ ノ 2 イ
『ど、どうするんですか』 巻『忘れましたか。そなたの兄孫策が、死に臨んで遺言されたお のことばを』 ちょうしよう 『ーー内事決せずんば是を張昭に問え。外事紛乱するに至ら 赤 しゅうゆ ば是を周瑜に計るべしーーーと仰しやったではなかったか』 『ああ : : : そうでした。思い出せば、今でも兄上の御声がす る』 『それごらんなさい 日頃も父や兄を忘れているからこんな苦 しゅうゆ しみにいたずらな煩悶をするのです。 内務はともかく、外周瑜は、呉の先主、孫策と同じ年であった。 しゅうゆ そんけんしゅう 患外交など、総じて外へ当ることは、周瑜の才でなくては成り また彼の妻は、策の妃の妹であるから、現在の呉主孫権と周 ますまい』 瑜とのあいだは、義兄弟に当るわけである。 ろこう あざなこうきん 『そうでした ! そうでした ! 』 彼は、廬江の生れで、字を公瑾といい、孫策に知られてその 孫権は夢でもさめたように、そう叫んで、急にからりと面を将となるや、わずか二十四歳で中郎将となった程な英俊だっ 見せた。 びしゅうろう 『早速、周瑜を召して、意見を問いましよう。なぜ今日までそ だから当時、呉の人はこの年少紅顔の将軍を、軍中の美周郎 れに気がっかなかったのだろう』 と呼んだり、周郎周郎と持て囃したりしたものだった。 きよう - 一う たちまち彼は一書を認めた。心ききたる一名の大将にそれを彼が、江夏の太守であったとき、喬公という名家の二女を手 み一いルよっ ととくしゅうゆ 持たせ、柴桑から程遠からぬ鄙陽湖へ急がせた。水軍都督周瑜に入れた。姉妹とも絶世の美人で、 キ、しム、つ・」 - フ ーー喬公の二名花 はいまそこにあって、日々水夫軍船の調練にあたっていた。 と、いえば呉で知らない者はなかった。 孫策は、姉を入れて妃とし、周瑜はその妹を迎えて妻とし が間もなく策は世を去ったので、姉は未亡人となって 、 , ー、妹は今も、瑜の又なき愛妻として、国許の家を守って 当時、呉の人々は、 りゆ・つり ( 喬公の二名花は、流離して、つぶさに戦禍を舐めたが、天下 第一の聟ふたりを得たのは、また天下第一の幸福というもの そんさく ゅ 二二ロ み、く ゅ そんさく はや イヒか せんか 306
あかざっえ ところへ、遠く河北の地から、袁紹の書を持って、陳震が使とく、飛雲鶴翔の衣をまとい、手には藜の杖をもって、飄々と 歩むところ自から徴風が流れる。 - っキ、つ 『一卞士口さまじゃ』 『道士様のお通りじゃ』 ほかならぬ袁紹の使と聞いて、孫策は病中の身を押して対面道をひらいて、人々は伏し拝んだ。香を焚いて、土下座する 群衆の中には、百姓町人の男女老幼ばかりでなく、今あわてて 使者の陳震は、袁紹の書を呈してからさらに口上をもって、宴を立って行った大将のすがたも交っていた。 きっこう おやじ 『いま曹操の実力と拮抗し得る国はわが河北か貴国の呉しかあ『なんだ、あのうす汚い老爺は ! 』 ようじゃ りません。その両家がまた相結んで南北から呼応し、彼の腹背孫策は不快ないろを満面にみなぎらして、人をまどわす妖邪 から を攻めれば、曹操がいかに中原に覇を負うとも、破るるは必定の道士、すぐ搦め捕って来いと、甚だしい怒りようで、武士た でありましよう』と、軍事同盟の緊要を力説し、天下を二分しちに下知した。 て、長く両家の繁栄と泰平を計るべき絶好な時機は今であると ところが、その武士たち迄、ロを揃えて彼を諫めた。 云った。 『かの道士は、東国に住んでいますが、時々、この地方に参っ どういん 孫策は大いに歓んだ。彼も打倒曹操の念に燃えていたところては、城外の道院にこもり、夜は暁にいたるまで端坐してうご である。 かず、昼は香を焚いて、道を講じ、符水を施して、諸人の万病 これこそ天の引き会わせであろうと、城楼に大宴をひらいてを救い、その霊によって癒らない者はありません。そのた さかん 陳震を上座に迎え、呉の諸大将も参列して、旺なもてなし振をめ、道士 にたいする信仰はたいへんなもので、生ける神仙とみ あが ごうきゅう 示していた。 な崇めていますから、めったに召捕ったりしたら、諸民は号泣 えん ざわざわ すると、宴も半ばのうちに、諸将は急に席を立って、騒々と して国主をお怨みしないとも限りませぬ』 みな楼台から降りて行った。孫策はあやしんで、何故にみな楼 『ばかを申せつ。貴様たち迄、あんな乞食老爺にたばかられて を降りてゆくかと左右に訊ねると、近侍の一名が、 いるのかつ。否やを申すと、汝らから先に獄へ下すそ』 うきっせんにん だいかっ 『于吉仙人が来給うたので、その御姿を拝さんと、いずれも争孫策の大喝に会って、彼らはやむなく、道士を縛って、楼台 って街頭へ出て行かれたのでしよう』 へ引っ立てて来た。 人 と、答えた。 『狂夫つ、なぜ、わが良民を、邪道にまどわすかっ』 、フきっ 仙 孫策は眉毛をビリとうごかした。歩を移して楼台の欄干に倚孫策が、叱って云うと、于吉は水のごとく冷やかに、 イようとく 吉り城内の街を見下していた。 『わしの得たる神書と、わしの修めたる行徳をもって、世人に 于 街上は人で埋ま 0 ていた。見ればそこの辻を曲「ていま真「幸福を頒ち施すのが、なぜ悪いか、いけないのか、国主はよろ盟 すぐ 直に来る一道人がある。髪も髯も真っ白なのに、面は桃花のご しく、わしにたいして礼をこそ云うべきであろう』 0 ちんしん ひうんかくしよう ほどこ なお ふすい おやじ ほど - 一
れでも毎夜彼の枕頭に立つらしかった。そして彼に会う者はみ かたち な、彼の形容が変って来たのに驚いた。 の 『 : : : そんなに痩せ衰えたろうか』 、つきっ 明縷々とのばる香のけむりの中に于吉のすがたが見えたのであ孫策は或る折、ひとり鏡を取寄せて、自分の容貌をながめて なげう る。 、こ ; 、咢然と、鏡を抛って、 投げた剣は侍臣を仆し、その者は、七穴から血をながして即『妖魔め』と、剣を払い、虚空を斬ること十数遍、ううむ もんぜっ み 死しているのに、孫策の眼には、なお何か見えてくるらしく、 と一声うめいて悶絶してしまった。典医が診ると、せつかく きんそう 祭壇を蹴とばしたり、道士を投げたりして暴れ狂った。 時癒っていた金瘡がやぶれ、全身の古傷から出血していた。 そのあとは又、いつものように疲れきって、昏々と眠るが如もう名医華陀の力も及ばなくなった。孫策も、ひそかに、天 く、大息をついていたが、われに回ると急に、 命をさとったらしく、甚だしい衰弱のなおつづくうちにもその 後はやや狂暴もしずまって、或る日、夫人を招いておとなしく 『帰ろう』と、ばかりに玉清観の山門を出て行った。 ひょうひょう と、路傍に沿って、飄々と一緒について来る老人があ云った。 くるま 『だめだ : : : 残念ながらもうだめだ : : こんな肉体をもって何 る。孫策が轎の内からふと見ると、于吉だった。 ちょうしよう でふたたび国政をみることができよう。張昭をよんでくれ。 『老ばれつ、まだ居るかっ』 くるま れん 叫んだとたんに、彼は、簾を斬り破って轎から落ちていた。 そのほかの者共もみなここへ呼びあつめてくれ。 : 一 = ロ遺した るりがわら いことがある』 城門を入るときにも、狂い出した。瑠璃瓦の楼門の屋根を指 さして、そこに于吉が居る。射止めよ槍を投げよと、まるで陣夫人は、慟哭して、涙に沈んでいるばかりだった。典医や侍 臣たちは、 頭へ出たように、下知してやまないのであった。 暴れ出すと、大勢の武士でも、手がつけられなかった。寝殿『すこし、御容子が ・ : 』と、すぐ城中へ報らせた。 は毎夜、不夜城のごとく灯をともし、昼も夜も、侍臣は眠らな張昭以下、譜代の重臣や大将たちが、ぞくそくと集まった。 しよう かったが一陣の黒風が来ると、呉城全体があやしく揺れ震くば孫策は、牀に起き直ろうとしたが、人々が強いてとめた。わ かりだった。 りあいに彼の面色は平静であったし、眸も澄んでいた。 くちびるかわ 『水をくれい』と求めて、唇の渇きを潤してから、静かに彼 『この城中では眠れない』 遂に孫策もそう云い出した。でーー城外に野陣を張り、三万はいい出した。 『いまわが中国は、大きな変革期にのぞんでいる。後漢の朝は の精兵が帷幕をめぐって警備についた。彼の眠る幕舎の外に ちょうらく おのまさかり は、屈強な力士や武将が芹鉞をもって、夜も昼も、四方を守すでに咲いて凋落におののく花にも似ている。黒風濁流は大陸 っていた。 をうずまき、群雄いまなおその土に処を得ず、天下はいよいよ まなじり : ときに、わが呉は三江の要害にめぐま ところが、于吉のすがたは、眦を裂き、髪をさばいて、そ分れ争うであろう。 るる かえ おのの め、 ど・つ - 一く うるお ノ 26
ようせつ みちているこの時に。 やく夭折しようとは、たれも予測していなかったことである。 どうか前王の御遺言を奉じて、国政 いんじゅっ につとめ、外には諸軍勢を見、四隣にたいしては、前代に劣ら 巻印綬を継いで、呉の主となった孫権は、この時、まだわずか ぬ当主あることをお示し下さい』 の十九歳であった。 ちょうしょ・つ 張昭は、彼を見るたびに、そう云って励ました。 けれど、孫策が臨終にも云ったように、兄の長所には及ばな しゅうゆ 2 」、一ゅよノ いが、兄の持たないものを彼は持っていた。それは内治的な手巴丘の周瑜は、その領地から夜を日についで、呉郡へ馳けっ 孔 腕、保守的な政治の才能は、むしろ孫権のほうが長じていたのけて来た。 である。 孫策の母も、未亡人も、彼のすがたを見ると、涙を新たにし あぎなちゅうばう 孫権、字は仲謀、生れつき口が大きく、頤ひろく、碧眼紫髯て、故人の遺託をこまごま伝えた。 であったというから、孫家の血には、多分に熱帯地の濃い南方周瑜は、故人の霊壇に向って拝伏し、 『誓って、御遺言に添い、知己の御恩に報いまする』と、暫し 人の血液がはいっていたかもしれない 彼の下にも、幼弟がたくさんあった。かって、呉へ使に来た去らなかった。 かんりゅうえん そのあとで、彼は孫権の室に入って、ただ二人ぎりになって 漢の劉瑰は、よく骨相を観るが、その人がこう云ったことがあ る。 もと 『孫家の兄弟は、いずれも才能はあるが、どれも天禄を完うし『何事も、その基は人です。人を得る国は昌になり、人を失う て終ることができまい。ただ弟の孫仲謀だけは異相である。お国は亡びましよう。ですからあなたは、高徳才明な人を側 持っことが第一です』 そらく孫家を保って寿命長久なのはあの児だろう』 周瑜のことばを、孫権は素直にうなずいて聞いていた。 この言は、けだし孫家の将来と三児の運命を、或る程度予一言 このかみ 外 していた。いやすでに孫策にはその言が不幸にも的中していた 『家兄も息をひく時そう云われた。で、内事は張昭に問い、 はか のである。 事は周瑜に諮れと御遺言になった。きっと、それを守ろうと思 四 『張昭はまことに賢人です。師俥の礼を執って、その言を貴ぶ きたく おんよく べきです。けれど、私は生来の駑鈍、いかんせん故人の寄託は 呉は国中喪に服した。空に哀鳥の声を聞くほか、地に音曲の 重すぎます。ねがわくは、あなたの輔佐として、私以上の者を 声はなかった。 そんせい 葬儀委員長は、孫権の叔父孫静があたって、大葬の式は七日一人おすすめ申しあげたい』 『それは誰ですか』 間にわたって執り行われた。 あざなしけい な 孫権は喪にこもって、ふかく兄の死をいたみ、ともすれば哭『魯粛ーーー字を子敬というものですが』 『まだ聞いたこともないが、そんな有能の士が、世にかくれて してばかりした いるものだろうか』 輩が地に 「そんなことでどうしますか。豺狼の野心をいだく ふく あるじ あいちょう み 1 いろス′ そんちゅうばう あご てんろく ともがら へきがんしぜん ろしゆく せいらい どどん と み一かん かたわら