李典 - みる会図書館


検索対象: 三国志(二) (吉川英治)
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1. 三国志(二) (吉川英治)

『必勝の信なくしては戦に勝てぬ。御辺は戦わぬうちから臆病 『この弱小な兵力をもって、新野を守るのすら疑われるのに、 ーに吹かれておるな』 どうして樊城など攻め取れようか』 きようき 5 ようてい 『敵を知る者は勝つ。怖るべき敵を怖るるは決して怯気ではな『戦略の妙諦、用兵のおもしろさ、勝ち難きを勝ち、成らざる そうじようしよう 。よろしく、都へ人を上せて、曹丞相より精猛の大軍を乞を成す、総てこういう場合にあります。人間生涯の貧苦、逆 、充分戦法を練って攻めかかるべきであろう』 境、不時の難に当っても、道理は同じものでしよう。かならず にわ一り 『鶏を割くに牛刀を用いんや。そんな使を出したら、汝等は克服し、かならす勝っと、まず信念なさい。暴策を用いて自滅 わら 藁人形かと、丞相からお嗤いをうけるだろう』 を急ぐのとは、その信念はちがうものです』 『強って、進撃あるなら、貴殿は貴殿の考えで進まれるがよ 悠々たる単福の態度である。その後で彼は何やら玄徳に一策 李典にはそんな盲戦はできぬ。城に残って、留守をかためをささやいた。玄徳の眉は明るくなった。 しんや そうじんりてん て居よう』 新野を距るわずか十里の地点まで、曹仁、李典の兵は押して かたち 『さては、二心を抱いたな』 来た。これ、わが待っところの象ーーと、単福は初めて味方を 『なに、それがしに二、いあると ? 』 操り、進め、城を出て対陣した。 李典は、勃然と云ったが、曹仁にそう疑われてみると、あと 先鋒の李典と、先鋒の趙雲のあいだにまず戦いのロ火は切ら に残っているわけにも行かなかった。 れた。両軍の戦死傷はたちまち数百、戦いはまず互角と見られ やむなく、彼も参加して、総勢二万五千ーー先の呂曠、呂翔たがそのうち趙雲自身深く敵中へはいって李典を見つけ、これ かいらん の勢より五倍する兵力をもって、樊城を発した。 を追って、散々に馳け立てた為、李典の陣形は潰乱を来し、曹 まず白河に兵船をそろえ、糧食軍馬を夥しく積みこんだ。 仁の中軍まで皆なだれこんで来た。 しよ、つとう はんきりんりつ 檣頭船尾には幡旗林立して、千櫓一斉に河流を切りながら、堂曹仁は、赫怒して、 堂、新野へ向って下江して来た。 『李典には戦意がないのだ。首を刎ねて陣門に梟け、士気を革 戦勝の祝杯をあげているいとまもなく、危急を告げる早馬はめねばならん』 ひんびん 頻々新野の陣門をたたいた。 と、左右へ罵ったが、諸人に宥められて漸くゆるした。 さわ 軍師単福は立ち躁ぐ人々を制して、静かに玄徳に会って云っ 『これはむしろ、待っていたものが自ら来たようなもので、慌曹仁は次の日、根本的に陣形を改めてしまった。自身は中軍 のてるには及びません。曹仁自身、二万五千余騎をひきいて、寄にあって、旗列を八荒に布き、李典の軍勢は、これを後陣にお ひつじよう 師するとあれば、必定、樊城はがら空きでしよう。たとえ白河を 軍距てた地勢に不利はあろうとも、それを取るのは、掌の裡にあ『いざ、来い』と、いわぬばかり気負い立って見えた。 ぐんしべん ります』 新野軍の単福は、その日、玄徳を丘の上に導き、軍師鞭をも た 、ゆうとう あらた ノ 97

2. 三国志(二) (吉川英治)

、こるのか』 りはためいた。旗を見れば玄徳の一陣である。夏侯厚は大し 笑って、 『いや、恟々はせぬが、兵法の初学にもーーー難道行くに従って せま さんせんあいせま 『これがすなわち、敵の伏勢というものだろう。小ざかしき虫狭く、山川相迫って草木の茂れるは、敵に火計ありとして備う ふと、それを今、ここで思い出したのだ』 けら共、いで一破りに』 『むむ。そう云われてみると、この辺の地勢は : : : それに当っ と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。 ている』 気負いぬいた彼の麾下は、その夜のうちにも新野へ迫って、 すく と、于禁も急に足を竦めた。 一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。 彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典に云った。 玄徳は一軍を率いて、力闘に努めたが、固より孔明から授け 『御辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えて居給え。 られた計のあること、防ぎかねた態をして、忽ち趙雲とひとっ : どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重 になって潰走し出した。 するよう報じて来る』 うきん 五 于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯厚に追いついた。 かす じよううん ばっ いっか陽は没して、霧のような蒸雲のうえに、月の光が幽かそして李典のことばをその儘伝えると、彼もにわかに覚ったも 、、こっこ 0 のか、 『 4 わ、つ , ー 『しまったつ。少し深入りしたかたちがある。なぜもっと早く いつ、于禁。おういっーーー暫く待て』 云わなかったのだ』 うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁 そのときーー一陣の殺気というか、兵気というものか、多 かこうじゅん そうみ 年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、そくと総身の 『李典か。何事だ』と、大汗を拭いながら振向いた。 あえ 毛あなのよだつようなものに襲われた。 李典も、喘ぎあえぎ、追いついて来て、 1 ーーそれつ、引っ返せ』 『夏侯都督には、如何なされたか』 かんば 馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹陰樹陰 『気早の御大将、何かは猶予のあるべき。悍馬にまかせて真っ に、チラチラと火の粉が光った。 先に進まれ、もうわれ等は二里の余もうしろに捨てられて こずえ すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の梢に這 る』 し渓の水は銅のように沸き立った。 「危ういそ。図に乗っては』 『伏兵だっ』 『ど、つして』 第 『火攻め ! 』 『余りに盲進しすぎる』 と、道にうろたえ出した人馬が、互いに踏み合い転げあっ 臨『蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路の捗どるのは、味方の強い とき あびきようかん ばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、恟々すて、阿鼻叫喚をあげていたときは、すでに天地は喊の声に塞が かいそう びくびく あかがね ふさ

3. 三国志(二) (吉川英治)

はんじ上う 翔の三将を添えて、樊城へ進出を試み、 そこを拠点とし じようよ - つけいしゅ・つ 巻て、襄陽、荊州地方へ、ばつばっ越境行為を敢てやらせてい のた 『いま、新野に玄徳がいて、だいぶ兵馬を練っています。後 明 日、強大にならない限りもないし、荊州へ攻め入るには、、 孔 れにしても足手まとい まず先に、新野を叩き潰しておくのは 無駄ではありますまい』 りよしよう 呂曠、呂翔が献策した。 曹仁は二人の希望にまかせて、兵五千を貸し与えた。呂軍は はんじよ、つ たちまち境を侵して、新野の領へ殺到した。 樊城へ逃げ帰った残兵は、口々に敗戦の始末を訴えた。しか りよこ、つ りよしょ・つ 『単福、何とすべきか ? 』 も呂曠、呂翔の二大寺よ、 当しいくら待っても城へ帰って来なかっ 玄徳は、軍師たる彼こ *- っこ。リ , レロオ至底、まだ他と戦って勝てるた すると程経てから、 ほどな軍備は出来ていなかった。 『お案じ召さるな。弱小とはいえお味方をのこらず寄せれば、 『二大将は、残りの敗軍をひきいて帰る途中、山間の狭道に待 えんじんちょうひ 二千人はあります。敵は五千と聞きますから、手頃な演習になち伏せていた燕人張飛と名乗る者や、雲長関羽と呼ばわる敵に . り・きーレよ , っ』 捕捉されて、各く、斬って捨てられ、その他の者もみなごろし 実戦に立って、単福が軍配を采ったのは、この合戦が初めて になりました』との実相が漸く聞えて来た。 - 一しやく ン一も″・つ であった。 曹仁は、大いに怒って、小癪なる玄徳が輩、ただちに新野へ そそ 関羽、張飛、趙雲なども、よくカ戦奮闘したが、単福の指揮押し寄せて、部下の怨みを雪ぎ、眼にもの見せてくれんといき はか こそ、まことにやかなものだった。 り立ったが、その出兵に当って、李典に諮ると、李典は断じて 敵を誘い、敵を分離させ、また個々に敵団を剿滅して、はじ反対を称えた。 はんじよ・つ あなど め五千といわれた越境軍も、やがて樊城へ逃げ帰ったのは僅々『新野は小城であるし彼の軍隊は少数なので、つい敵を侮った 二千にも足らなかったという。何しても、単福の用兵には、確為、呂曠、呂翔も惨敗をうけたものです。ーー何で又、貴殿ま 乎たる学問から成る『法』があった。決して偶然な天佑や奇勝で同じ轍を踏もうとなさるか』 でないことは、誰にも認められたところであった。 『李典。御辺はそれがしも亦、彼等に敗北するものと思ってお るのか』 よのつね 『玄徳は尋常の人物ではない。軽々しく見ては間違いでござ る』 りよ - 一、つ と そうめつ 軍師の鞭 むち 790

4. 三国志(二) (吉川英治)

のか』 と、張遼は一本槍に、その巨物を目がけて行った。すると、 巻『さればです』と、魯粛が云った。 馬蹄に土を飛ばして、 - 一と′一と おさ の『わが君が、一日も早く、九州の尽くを統べ治めて、呉の帝『下司つ、ひかえろ』 よ、つ あんしやほりん たちふさ たいしじ 蜀業を万代にし給い、そのとき安車蒲輪をもって、それがしをお と、一大喝しながら立塞がった者がある。呉の大将太史慈で あった。 望迎え下されたら、魯粛の本望も初めて成れりというものでしょ 『そ、つかいかにもー・』 ′一そそん 二人は手を打って、快笑した。 呉の太史慈といえばその名はかくれないものだった。呉祖孫 ろしゆく けれど魯粛はその後で、せつかく上機嫌な呉侯に、ちといや堅以来仕えて来た譜代の大将であり、しかも武勇はまだ少しも な報告もしなければならなかった。 老いを見せていない。 しゅうゆきんそう たお けいしゅうじようよ・フなん それは、周瑜が金創の重態で仆れたことと、荊州、襄陽、南魏の張遼とはけだし好敵手と云ってよかろう。双方、長鎗 ぐん 郡の三要地を、玄徳に取られた事の二つだった。 を交えて烈戦八十余合に及んだが、勝負は容易につかなかっ 『ふうむ : : : 周瑜の容態は、再起もおばっかない程か』 『いや、豪気な都督のことですから、間もなく、以前のお元気 この間隙に、楽進、李典のふたりは、大音をあげて、 で恢復されることとは思いますが : 『あれあれ、あれに黄金の盗をいただいたる者こそ、呉侯孫権 がつひ にまぎれもない。 話しているところへ、今、合瀝の城中から一書が来ましたと、 もしあの首一つ取れば、赤壁で討たれた味方 うやうや 一人の大将が、恭しく、呉侯の前に書簡をおいて行った。披八十三万人の仇を報ずるにも足るそ。励めや、者共』 ちょうりよう いてみると、張遼からの決戦状であった。 と下知して、自分たちもまっしぐらに喚きかかった。 はえが やり 呉の大軍は蠅か蛾か。いったいこの城を取巻いて、何を求孫権の身は、今や危かった。電光一撃、李典の鎗が迫った時 めているのであるか。 である。 文辞は無礼を極め、甚しく呉侯を辱しめたものだった。孫権『さはさせじ ! 』と、敢然横合いからぶつかって行った者があ そうけん は、赫怒して、 る。これなん呉の宗謙。 しんめんばく 『よしつ、その分ならば、わが真面目を見せてくれよう』 それと見て、楽進が こ、つがいさんらん と、翌早朝に陣門をひらいて、甲鎧燦爛と、自身先に立って『邪魔なっ』 てつきゅう 旭の下を打って出た。 と、間近から、鉄弓を射た。矢は宗謙の胸板を射抜く。どう 城からも、張遼をまん中に、李典、楽進など主なる武者は、 っと、宗謙が落ちる。とたんに、砂煙りを後に、孫権は逃げ走 総出となって押しよせて来た。 っていた。 ちょうりちうたいしじ 『呉侯、見参っ』 張遼と太史慈とは、まだ火をちらして戦っていたが、この あさひ はずか す ひら けん だいかっ - 一がねカぶと おおもの おめ こうそんけん 422

5. 三国志(二) (吉川英治)

な『見苦しかりける有様なり』と嗤った。 たか 三戦三勝の意気昻く、やがて玄徳以下、樊城へ入った。県令 りゅうひっ の劉泌は出迎えた。 りゅうひつやしき 玄徳はまず民を安んじ、一日城内外を巡視して劉泌の邸へ入 彼の揶揄に、李典は一一一一口、 はんじよう おそ 『自分が惧れるのは、敵が背後へ廻って、樊城の留守を衝くこ ちょう、、 りゅうせい とだ。ただ、それだけだ』 県令の劉泌は、もと長沙の人で玄徳とは、同じ劉姓であっ そうしんどうそう かん 漢室の宗親、同宗の誼みという気もちから特に休息に立ち と、あとはロを緘して、何も云わなかった。 寄ったものである。 曹仁は、その晩、夜襲を敢行した。けれど、李典の予察にた 『こんな光栄はございません』 がわず、敵には備えがあった。 敵の陣営深く、討ち入ったかと思うと、帰途は断たれ、四面と、劉家の家族は、総出でもてなした。 かさつわな ほのおかき 酒宴の席に、劉泌はひとりの美少年を伴れていた。玄徳がふ は炎の墻になっていた。まんまと、自らすすんで火殺の罠に陥 よのつね ちたのである。 と見ると、人品尋常でなく、才華玉の如きものがある。で、劉 泌にそっと訊ねてみた。 さんざんに討ち破られて、耙河の岸まで逃げて来ると忽然、 かとう 『お宅の御子息ですか』 河濤は岸を搏ち、蘆狄はみな蕭々と死声を呼び、曹仁の前後、 『いえ、甥ですよ 見るまに屍山血河と化した。 と、劉泌はいささか自慢そうに語った。 『燕人張飛、ここに待ちうけたり。ひとりも河を渡すな』と、 『もと寇氏の子で、寇封といいます。幼少から父母を喪ったの 伏勢の中で声がする。 曹仁は立往生して、すでに死にかかったが、李典に救われで、わが子同様に養って来たものです』 よほど寇封を見込んだものとみえて、玄徳はその席で、 て、辛くも向う岸に這い上った。 はんじよう 『どうだろう、わしの養子にくれないか』と、云い出した。 そして樊城まで、一散に逃げて来ると、城の門扉を八文字に 劉泌は、非常な歓びかたで、 しあわ うんちょうかんう はいしようそうじん イいざ入り給え。劉皇叔が弟臣、雲長関羽がお迎え『願うてもない倖せです。どうかお連れ帰り下さい』 『敗将曹二、 よろ - 一 と、当人にも話した。寇封の歓びはいう迄もない。その場 申さん』 りゅう りゆ・・つほ . っ . きんこ と、金鼓を打ち鳴らして、五百余騎の敵が、さっと駈け出しで、姓を劉に改め、すなわち劉封と改め、以後、玄徳を父とし て拝すことになった。 のて来た。 のち 関羽と張飛は、ひそかに眼を見あわせていたが、後玄徳へ直 師『あっ ? 』 軍仰天した曹仁は、疲れた馬に鞭打ち、山・にかくれ、河を泳言して、 じじん ぎ、赤裸同様な姿で都へ逃げ上ったという。その醜態を時人み『家兄には、実子の嫡男もおありなのに、なんで螟蛉を養い どうだ』と、痛烈に皮肉った。 し早一ん ろてき もんび このかみ さいかたま わら めいれい 793

6. 三国志(二) (吉川英治)

同時に、玄徳の本軍も遠くから潮のような諸声や鉦鼓の音を って指しながら、 力いたあげていた。 巻『御覧あれ、あの物々しさを。わが君には、今日、敵 ; 布 全陣の真只中を趙雲の五百騎に突破されて、曹仁の備えは、 の陣形を、何の備えというか、御存じですか』 たちまち混乱を来した。崩れ立っ足なみは中軍にまで波及し、 『いや知らぬ』 もんきんさ じん 趙雲は、鉄騎を なかなか手際よく布陣してあります曹仁自身、陣地を移すほどな慌て方だったが、 『八門金鎖の陣です。 しゅじ 孔 引いて、その側を摺れ摺れに馳け抜けながら敢て大将曹仁を追 惜しむらくは、中軍の主持に欠けているところがある』 わなかった。 きようかし きゅうせい 『名づけて休、生、傷、杜、、死、驚、開の八部を云い、生西の景門まで、驀走をつづけ、遮る敵を蹴ちらすと、又す しようきゅうきよう 2 いも・ル 、景門、開門から入るときは吉なれど、傷、休、驚の三門をぐ、 ほしいまま たつみ ともんしもん 『元の東南へ向って返れ』と、蹂躙また蹂躙を恣にしなが かならす傷害をこうむり、杜門、死門 知らずして入るときは、 いま諸ら、元の方向へ逆突破を敢行した。 を侵すときは、 かならす滅亡すと云われています。 もんきんさ 八門金鎖の陣もほとんど何の役にも立たなかった。為に、総 部の陣相を観るに、各、ゝよく兵路を綾なし、殆んど完備してい ますが、ただ中軍に重鎮の気なく、曹仁ひとり在って李典は後崩れとなって陣形も何も失った時、 かたち 『今です』と、単福は玄徳に向って、総がかりの令を促した。 陣にひかえている象ーーーこここそ乗ずべき虚であります』 待ちかまえていた新野軍は、小勢ながら機をんだ。よく善戦 が、その中軍の陣を乱すには』 かちいくさ けいもん 『生門より突入して、西の景門へ出るときは全陣糸を抜かれて敵の大兵を胖り、存分に勝軍の快を満喫した。 醜態なのは、曹仁である。莫大な損傷をうけて、李典にすこ 綻ぶごとく乱れるに相違ありません』 理論を明かし、実際を示し、単福が用兵の妙を説くこと、実しも合わせる顔もない立場たったが、猶、痩意地を張って、 つまびら 『よし、今度は夜討をかけて、度々の恥辱を雪いでみせる』 に審かであった。 と、豪語をやめなかった。 『御身の一言は、百万騎の加勢に値する』 ゆが け李典は、苦笑を歪めて、 と玄徳は非常な信念を与えられて直ちに趙雲をまねき、授 『無用無用。八門金鎖の陣さえ、見事それと看破して、破る法 るに手兵五百騎を以して、 たつみ かならず有能の士が を知っている敵ですそ。玄徳の帷幕には、 『東南の一角から突撃して、西へ西へと敵を馳けちらし、又、 たつみ いて、軍配を采っているにちがいない。何でそんな常套手段に 東南へ返せ』 一米りましょ , つや』 と命じた。 かんせい ていうん 蹄雲一陣、金鼓、喊声をつつんで、たちまち敵の八陣の一部忠一 = 〔すると、曹仁はいよいよ意地になって、 ものお 生門へ喚きかかった。いうまでもなく趙雲子竜を先頭とする五『御辺のように、そういちいち物法じしたり疑いに囚われる位 なら、初めからはしないに限る。御辺も武将の職を辞めたら 百騎であった。 おめ しようと し と く、 まくそう じゅうりん しよう - 一 792

7. 三国志(二) (吉川英治)

り、四面金鼓のひびきに満ちていた 巻『夏侯惇は、いずれにあるか。昼の大言は、置き忘れて来た 『敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵 のか』 は、半分もないだろう』 ちょううんしりゅう 『まず、全減に近い』 壁趙雲子童の声がする。 たにがわ さしもの夏侯惇も、渓川に墜ちて死ぬものやら、馬に踏まれ『幸先よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのばろう。か 赤 おびただ て落命するなど、夥しい味方の死傷を見ては、ひっ返して、 かる大捷を博したのも、日頃の鍛錬があればこそ・・ーーやはり平 趙雲に出会う勇気もなかったらしい 常が大事だな』 『それもあるが : 『馬に頼るな、馬を捨てて、水に従って逃げ落ちよ』 : 』と、関羽はロを濁しながら、駒を並べて と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れ いる張飛の顔を見て云った。 出すのが漸くであった。 『この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功 ・市・こいた李典は、 は否みがたい』 はかり 1 一と 『」てこそ』 『むむ。 ・ *—は、図に中った。彼奴も、ちょっぴり、味を やりおる』 と、前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、 かんう しりぞ 前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊張飛はなお幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、 きかちょうひ を守ろうとすれば、そこにはすでに、玄徳の麾下張飛が迫っ孔明の智謀を認めないわけにはゆかなかった。 て、輜重をことごとく焼き払ったあげく、 やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、 りよう ぞくよ・つ 『火の網の中にある敵、一匹ものがすな』と、後方から挾撃し彼方から一輛の車を推し、簇擁として、騎馬軍旗など、五百余 て来た。 の兵が近づいて来る。 『 - 誰か ? ・』 討たるる者、焼け死ぬ者、数知れなかった。夏侯惇、于禁、 李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、 と見れば、車のうえには悠然として軍師孔明。ーー・前駆の二 びじくびほう 『、も、つ、 いかん』と、峰越しに逃げのびたが、夏侯蘭は張飛に大将は糜竺、糜芳のふたりだった。 - 一ぐんかん - : っ・ 出会って、その首を掻かれ、護軍韓浩は、炎の林に追いこまれ『オオ、これは』 おおやけど て、全身、大火傷を負ってしまった。 『軍師か』 威光というものは争えない。関羽と張飛はそれを見ると、理 窟なしに馬を降りてしまった。そして車の前に拝伏し、夜来の や たいしよう 大捷を孔明に報告した。 戦は暁になって熄んだ。 たにみずしし 山は焼け、渓水は死屍で理もれ、瘻愴な余燼のなかに、関『わが君の御徳と、各くの忠誠なる武勇に依るところ。同慶の 、張飛は軍を収めて、意気揚々、ゆうべの戦果を見まわって至りである』 あみ を一ん・一 きやっ 258

8. 三国志(二) (吉川英治)

くちやか 後日の禍を強いてお求めになるのですか。 : どうも貴方に などと都雀はロ喧ましい 巻も似合わないことだ』と諫めた。 ましてや丞相の激怒はどんなであろうと、人々はひそかに語艸 のけれど父子の誓約は固めてしまったことだし、玄徳が劉封をらっていたが、やがて曹仁、李典のふたりが、相府の地に拝伏 して、数度の合戦に打ち負けた報告をつぶさに耳達する当日と 明可愛がることも非常なので、その儘に過ぎているうちに、 そうそ・つ 『樊城は守るに適さない』 なると、曹操は聞き終ってから、一笑の下にこう云った。 孔 よろしい』 という単福の説もあって、そこは趙雲の手勢にあすけ、玄徳『勝敗は兵家の常だ。 かえ はふたたび新野へ回った。 それきり敗戦の責任に就いては、なにも問わないし、咎めも しなかった。 ただ一つ、彼の腑に落ちなかったことは、曹仁という戦巧者 な大将の画策をことごとく撃砕して、かにその裏を掻いた敵 の手並のいつにも似ない戦略振りにあった。 『こんどの戦には、始終玄徳を扶けて来た従来の帷幕のほか はかり 1 一と 、何者か、新たに彼を助けて、計を授けていたような形跡 キ玉よ、つこ、 彼の尸 いに曹仁が答えて、 たんふく 『されば、御名察のとおり、単福と申すものが、新野の軍師と りようと・フりようせ 河北の広大を併せ、邃東や遼西らも貢せられ、王城の府許して、参加していたとやら聞き及びました』 まち いんしん 都の街は、年々の殷賑に拍車をかけて、名実ともに今や中央の 『なに、単福 ? 』 かたむ 府たる偉観と規模の大を具備して来た。 曹操は小首を傾けて、 せきら いわゆる華の都である。人目高いその都門へ、赤裸同様な態『天下に智者は多いが、予はまだ、単福などという人間を聞い そうじん 、またわずかな残兵と共に たことがない。汝等のうちで誰かそれを知る者はいるか』 たらくで逃げ帰って来た曹仁といい りてん - 一じゅう 遁れ帰った李典といし 不面目なことは夥しい 扈従の群星を見まわして訊ねると、程昱がひとり呵々と笑い . りよしよう りよ・一う 出した。 『呂曠、呂翔の二将軍は帰らぬ』 曹操は視線を彼に向けて、 『みな討死したそうだ』 『三万の兵馬が、しオし 、つこ、何騎帰って来たか』 『程昱。そちは知っておるのか』 『よく知っています』 『余りな惨敗ではないか』 『いかなる縁故で』 『丞相の御威光を汚すもの』 力いもん物、ら えいじようあんきしようえいしゅう 『よろしくふたりの敗将を馘って街門に曝すべしだ』 『すなわち頴上 ( 安徽省・頴州 ) の産ですから』 のが わざわい 徐 ! し と の 母 はなみやこ あわ みつ おびただ きょ みやこすずめ たす もと じたっ かか 、くみ、 - 一うしゃ

9. 三国志(二) (吉川英治)

れん。およそ将たるものは、一勝一敗にいちいち喜憂したりすかねてその二人と諜し合わせのあった寄手一軍と、その首将 ものの たいしじ 巻るものではない こよいは殊に夜廻りをきびしくし、総て、物太史慈は、 『しめた。火の手は上った ! 』とばかり、城門へ殺到した。 の具を解かず、昼夜四交代の制をその儘、かりそめにも防備の気 咄嗟に、この事あるを覚った張遼は、城兵を用いて、わざ 蜀を弛ませぬように励まれよ』 すると果してその夜の深更に至って、妙に城中がざわめき出と、 望 したと田 5 , っと、 『謀叛人があるぞ』 むほんにん 『謀叛人があるそっ』 『裏切者だそ』と、諸方で連呼させながら、西の一門を、故意 いう声が聞え出した。 『裏切者だ、裏切者だ』と、 に内から開かせた。 張遼には、狼狽はなかった。すぐ寝所から出て城中を見廻『ーー - ・すわや』と、太史慈はよろこび勇んで、手勢の先頭に立 おめ した。濛々と何か煙っている。諸所にばうと赤い火光も見え って壕橋を駈け渡り、西門の中へどっと喚き込んだ。とたん 1 一うぜん る。 一発の鉄砲が、轟然と四壁や石垣をゆるがしたと思うと、 かげつる - ぺい 『おう、将軍ですか』 城の矢倉の陰や剣塀の上から、まるで滝のように矢が降り注い がくしん 楽進がそこへ駈けつけて来た。眼色を変えて、次に云った。 で来た。 しまった』 『城中に謀叛人が起ったようです。軽々しく外へお出にならん『あっー 方がよろしい』 太史慈は、急に引返したが、 一瞬のまに射立てられた矢は全 『楽進か。何をあわてているのだ大丈夫、あわてるな』 身に刺さってまるで針鼠のようになっていた。 かんせい りてんがくしんともがら 『でも、あの喊声、あの火の手、由々しき騒動です』 李典、楽進の輩は、この図にのって城中から大反撃に出 『いやいや、わしは最初から眼を醒ましていたからよく聞いてた。 為に、呉軍は大損害をこうむり、逆に、攻囲の陣を払っ なんじよじゅんしゅうあんきし上うそうこ いた。裏切者と呶鳴る声も、出火だ、謀叛人だと告げ廻ってい て、南徐の潤州 ( 安徴省・巣湖 ) あたりまで敗退するの已むな きに至ってしまった。 る声も、ふた色ぐらいな声でしかない。恐らく、一両人の者が かくらん 城中を攪乱する為にやった仕事だろう。それに乗せられて混乱しかも又、譜代の大将太史慈をも遂にこの陣で失ってしまっ する味方自身のほうが遙に危険だ。 足下はすぐ城兵を取鎮 。死に臨んで太史慈はこう叫んで逝ったという。 ちゅうどうたお めに行け。みだりに騒ぐ者は斬るぞと触れまわれ』 『大丈夫たるもの、三尺の剣を帯びて、この中道に仆る。残 楽進が去ると間もなく、李典が二人の男を縛って連れて来念、云うばかりもない。 しかし四十一年の生涯、呉祖以来三代 じようないかくらんもくろ かてい ああ た。城内攪乱を目論んで忽ち看破されてしまった張本人の戈定の君に会うて、また会心な事がないでもなかった。噫、然しな うまか、 と馬飼の小者だった。 かなか心残りは多い』 『こやっか。斬れつ』 二つの首は、無造作に斬って捨てられた。 ゆる りてん を、ゆ・フ とも知らず、 しめ み一と イ 24

10. 三国志(二) (吉川英治)

人ばかり、山越えで逃げて来たものだった。 見えるうちに、 じようざんしりゅうちょううん 『ゃあ、許赭も無事か。李典もおったか』 『常山の子竜趙雲これに待てりつ。曹操つ、待て』 という声が聞えたので、曹操は驚きの余り、危く馬から転げ焼跡から焼けのこった宝玉を拾うように、曹操は歓ぶのだっ 陽は高くなっ た。やがて共々、馬を揃えて、道をいそぐ。 落ちそうになった。 て、夜来の大雨もれ、皮肉にも東南風すらだんだんに凪ぎて いた。ふと、駒をとめて、曹操は、眼の前にかかった二つの岐 敗走、また敗走、ここでも曹操の残軍は、さんざんに痛めつれ道を、後へたずねた。 じよこう ちょ・つりよ・フ 『さればです』と、幕将のひとりが云う。 けられ、ただ張遼、徐晃などの善戦に依って、彼は辛くも、 なんいりよう 『一方は、南夷陵の大道。一方は北夷陵の山路です』 虎口をまぬがれた きよと 『いずれへ出た方が、許都へ向うに近いのか』 『おう ! 降って来た』 『南夷陵です。途中、葫蘆谷をこえてゆくと、非常に距離がみ 無情な天ではある。雨までが、敗軍の将士を苛んで降りかか しやじく じかくなります』 る。それも、車軸を流すばかりな大雨だった。 『さらば、南夷陵へ』と、すぐその道をとって急いだ 雨は、甲や具足をとおして、肌に沁み入る。時しも十一月の ひる 寒さではあるし、道はぬかり、夜はまだ明けず、曹操を始め幕午すぎた頃、すでに同勢は葫蘆谷へかかった。肉体を酷使し ひろうこんばい ていた。馬も兵も飢えっかれて如何とも動けなくなって来た。 下の者の疲労困憊は、その極に達した。 しんしんこんとん 曹操自身も心身渾沌たるものを覚える。 『ーーー部落があるぞ』 たど 漸く、夜が白みかけた頃。一同は貧しげな山村に辿りついて『やすめつ。ーー休もう』 下知をくだすや否、彼は馬を降りた。そして、先に部落から たきび 掠奪して来た食糧を一カ所に集め、柴を積んで焚火とし、士卒 浅ましや、丞相曹操からして、ここへ来るとすぐ云った。 カぶとはちどら たちは、盗の鉢や銅鑼を鍋に利用して穀類を炊いだり鵁を焼い 『火はないか。何ぞ、食物はないか』 彼の部下は、そこらの農家へ争って入り込んで行った。おそたりし始めた。 とり つけものがめ りやくだっ 『ああ、やっとこれで、すこし人心地がついた』と、将士はゆ らく掠奪を始めたのだろう。やがて漬物甕や、飯櫃や、鶏や、 ひたたれ しようえんつば うべからの濡れ鼠な肌着や戦袍を火に乾している。曹操もまた 干菜や漿塩壺など思い思いに抱えて来た。 けれど、火を焚いて、それらの食物を胃ぶくろへ入れる間も暖を取って後、林の下へ行って坐っていた ぶぜん 憮然たる面持で、彼は、天を凝視していたが、何を感じた 笑なかった。なぜなら部落のうしろの山から火の手が揚り、 またまた 谷『すわ。敵だっ』と、又復、逃げるに急となったからである。 『はま・は。亠めはは + 6 『敵ではないつ。敵ではないっ』と、その敵はやがて追いかけ 山 りてんきょちょ と、独りで笑い出した。 て来た。何そ知らん、味方の大将の李典、許赭そのほか将士百 よろい しよくもっ めしびつ たつみ わか 389