望蜀の巻 迷うようなことはせぬ』 『それこそ、わが魏にとって望むところではありませんか。も 6 にゆ・つしよく かえり し玄徳の援助なく、玄徳は入蜀の事に没頭して、呉を顧みる に暇なければ、ここ絶好な機会です。更に大軍を増派し、一挙 に呉国をお手に入れてしまわれては如何です。玄徳なく、ただ 魏と呉との対戦なら、御勝利は歴々です』 『、ず . こ、も。、け・に 7 も』 曹操は、眉をひらいた。 ち 『余りむずかしくばかり考えこむものじゃないな。わしは些と にちにち このとき丞相府には、荊州方面から重大な情報が入ってい重大と思い過ぎて思案が過まっておったよ。人間日々大小万 事、ここにいつも打開があるな』 がつひじよう 『荊州の玄恵よ、 、よ、よ蜀に攻め入りそうです。目下、彼の 即時、三十万の大軍は、南へうごいた。檄は飛んで、合瀝城 ちょ・つ、つよう 地では活発な準備が公然と行われている』 にある張遼に告げ、 曹操はかく聞いて胸をいためた。もし玄徳が蜀に入ったら、 汝、先鋒となって、呉を突くべし。 ふちりゅうくもえ こうがんうおあおうみ とあった。 淵の竜が雲を獲、江岸の魚が蒼海へ出たようなものである。ふ たたび彼を一僻地へ屈伏せしめることはもう出来ない。魏にと大軍まだそこへ到らぬうち、呉の国界は大きな衝動に打た ちょう って重大な強国が新たに出現することになろう。彼は数日、庁れ、急はすぐさま呉王孫権に報じられる。 を - ゅ・つキ、よ の奥にとじ籠って対策を練っていた。 孫権は、急遽、諸員を評定に召集して、それに応ずべき策を ちしよじぎよしさんぐんじ ちんぐんあざなちょうぶん ここに丞相府の治書侍御史参軍事で陳羣、字を長文というも 諮った。その結果、 のがあった。彼が曹操に向って云うには、 『こういう時こそ、玄徳との好誼を活かし、お使を派して、彼 『玄徳と呉の孫権とは今、心から親睦でないにせよ、形は唇との協力をお求め遊ばすのが然るべきでしよう』と、決った。 けいしゅう 歯のような関係に結ばれています。ですから、玄徳が蜀へ進ん すなわち魯粛の書簡を持って、使は荊州へ急いでゆく。 だら、丞相は大軍を以て、反対に呉をお攻めになるがよいで 玄徳はそれを披見して、ひとまず使者を客館にもてなしてお しよう。なぜならば、呉は忽ち玄徳へ向って、協力を求め、援き、その間に、孔明が帰るのを待っていた。 けを強いるにちがいありません』 南郡地方にいた孔明は、召をうけるや馬を飛ばして帰って来 しりぞ 『ふむ。さすれば玄縛は、進むに進み得ず、退くに退き得ず、 た。そして、玄徳から、仔細を聞き、また魯粛の書簡を見る 両難に陥るというわけか。 いやそうは参るまい。彼にも孔と、 明がついている。軽々しく呉の求めにうごいたり、軍の方向に 『御返辞は』と、玄徳の面を窺った。 し ぐ 不倶戴天 じよ・つしようふ へきち たいてん ろしゆく よしみ うカカ
しる いんぎんていちょう、 『こんどは漢寿亭侯雲長関羽と誌した小旗を負って、戦場へ出気色が直ると、彼はまた、甚だ慇懃鄭重であった。敬んで、 しよう 玄徳を座上に請じ、 巻たそうですから、事実でしよう』 の『玄徳を呼べ。、 しっそやは巧一言をならべおったが、今日はゆる 『こう敗軍をかさねたのも、御辺の義弟たる関羽が敵の中にあ る為。 : : : なんとか、そこに御辺として、思慮はあるまいか』 道さん』 度重なる味方の損害に、気の腐っていた折でもある。袁紹と、諮った。 臣 きつもん ず は、やがて面前に玄徳を見ると、嫌味たツぶり詰問した。 玄徳は、頭を垂れて、 だいじくん 『大耳君、弁解の余地もあるまい。袁紹もなにも云わん。ただ 『そう仰せられると、自分も責任を感ぜずにはおられません』 君の首を要求する』 「ひとつ、御辺のカで、関羽をこっちへ拊くことはできまい 斬れーーーと彼が左右の将に命じたので、玄徳は愕いてさけんか』 『私が、今ここに来ていることを、関羽に知らせてやりさえす 『お待ちなさい。あなたは、好んで曹操の策に、乗る気ですれば、夜を日についでも、これへ参ろうと思いますが』 『なぜ早くそういう良計を、わしに献策してくれなかったの カ』 カ』 『汝の首を斬ることが、なんで曹操の策に乗ることになろう 『義弟とそれがしの間に、まったく消息がなくてさえ、常に、 ひそ 『いや、曹操が関羽を用いて、顔良、文醜を討たせたのは、ひお疑いをうけ勝ちなのに、もし密かに、関羽と書簡を通じたり とえに、あなたの心を怒らせて、この玄徳を殺させるためです。などと云われたら、たちまち禍のたねになりましよう』 この玄徳はいま、将軍の恩養をうけ、し 考えても御覧なさい 『いや、悪かった。もう疑わん。さっそく消息を通じ給え。も かえ かも一軍の長に推され、何を不足にお味方の不利を計りましょ し関羽が味方に来てくれれば、顔良、文醜が生き回って来るに うや。ねがわくば御賢察ください』 も勝る歓びであろう』 きまじめ 玄徳の特長はその生真面目な態度にある。彼の一一 = 〔葉は至極平玄徳は拝諾して、黙々、自分の陣所へ帰った。 とうとう 凡で、滔々の弁でもなく、何等の機智もないが、ただけれんや幕営のそと、星は青い。 じゅんばく 玄徳はその夜、一穂の燈火を垂れ、筆をとって、細々と何か 駈引がない。醇朴と真面目だけである。内心はともかく、人に 書いていた。 はどうしてもそう見える。 もちろん関羽への書簡。 袁紹は形式家だけに、玄徳のそういう態度を見ると、すぐ一 往事今来、さまざまな感慨が 時の怒りを悔いた。 時折、筆をやめて、瞑目した。 / 『いや、そうきけば、自分にも誤解があった。もし一時の怒り胸を往来するのであろう。 ちょうじ 燈火は、陣幕をもる風に、。、チパチと明るい丁子の花を咲か から御辺を殺せば袁紹は賢を忌むものーーと世の嘲笑をうけた せた。 ろう』 けん まさ めいもく おとうと
度、劉予公も加えて、緊密なる大策を議さねばなるまいかと考と、諫めたが、玄徳は、 巻えておる。ーー , 幸いに、玄徳どのが、これまで来会してくれれ『それでは、せつかく孔明が使して実現した同盟の意義と信義 そむ にこちらから反くことになろう。虚心坦懐、ただ信をもって彼 のば、これに越したことはないが』と、云った。 の信を信じて行くのみ』と云って肯かない。 壁糜竺は、畏まって、 ちょううんちょうひ 『何と仰せあるか分りませんが、御意向の趣きは、主君劉予州 趙雲、張飛は、留守を命ぜられ、関羽だけが供をして行っ 赤 にお一ムえしましよ、つ』 と約して帰った。 一船の随員わずか二十余名、程なく呉の中軍地域に着いた。 しゅうゆ 魯粛はそのあとで、 江岸の部隊からすぐこの由が本陣の周瑜に通達された。 『何の為に、玄徳を、この陣中へお招きになるのですか』 来たかー というような顔色で、周瑜は番兵にたずねた。 と、周瑜の意中をいぶかって訊ねた。すると、周瑜は、 『玄徳はどれほどな兵を連れてやって来たか』 『もちろん殺すためだ』と、平然と答えた。 『従者は二十人ぐらいです』 孔明を除き、玄徳を亡き者にしてしまう事が、呉の将来の為『なに、二十人』 周瑜は笑って、 であると、周瑜はかたく信じているらしいのである。その点、 ( わが事すでに成れり ! ) 魯粛の考えとは、非常に背馳しているけれど、まだ曹操との一 と、胸中でつぶやいていた。 戦も開始しないうちに、味方の首脳部で内紛論争を起すのもお もしろくないことだし、先は、大都督の権を以てすることなの程なく、玄徳の一行は、江岸の兵に案内されて、中軍の営門 しよう ひんれい で、魯粛も、 を通って来た。周瑜は出て、賓礼を執り、帳中に請じては玄徳 に上座を譲った。 『さあ、どういうものですかな』 『初めてお目にかかる。わたくしは劉備玄徳。将軍の名はひと と、ロを濁す程度で、敢て、強い反対もしなかった。 一方、夏口にある玄徳は、帰って来た糜竺の口から委細を聞り南方のみではなく、かねがね北地にあっても雷のごとく聞い ていましたが、リ 淑らずも今日、拝姿を得て、こんな愉快なこと はありません』 『では自身、さっそく呉の陣を訪ねて行こう』 玄徳が、まず云うと、 と、船の準備をいいつけた。 まこと りゅう - 一うしゆく 『いやいや、寔に、区々たる不才。劉皇叔の御名こそ、かね 関羽をはじめ諸臣はその軽挙を危ぶんで、 『糜竺が行っても孔明に会わせない点から考えても、周瑜の本てお慕いしていたところです。陣中、何の御歓待もできません 心というものは、多分に疑われます。態よく、返書でもお遣りが』 。しカかです と、型のごとく、酒宴に遷り、重礼厚遇、至らざるなしであ になっておいて、もう少し彼の旗色を見ていてよ、 っ ) 0 うつ 32 イ
かきんあざなしぎよ 『玄徳が 1 ー曹操と結ぶだろうか ? 』 「おります。平の人で華、字を子魚という者。もと曹操に 巻『当然、有り得ることでしよう。有り得ないこととこちらが多愛せられた男ですが、これを用いれば適役でしよう』 の寡を括っていれば猶更、その可能性は濃くなります』 『呼べ。早速』 蜀『それは未然に警戒を要する』 孫権は、その気になった。 『ですからーー・何よりもそれが当面の急です。てまえが思うに 望 おんみつ は、この呉にも、曹操の隠密がかなり入りこんでいますから、 きよと すでにわが君が玄徳と面白からぬ感清にあることは、はや許都 の曹操にも知れて居りましよう。曹操は機を知ること誰よりも 敏ですから、或はもう使を出して玄徳へ水を向けているかもし れません。早くなければなりませんーー・この対策は』 『むむ。一朝、玄徳が魏と同盟するとなると、これは呉にとっ て、重大な脅威になる。 それをどう防ぐかたが、なんそ、 良策があるか』 えんしよう じんぶん あらた 『すぐにも都へ使を上せ、朝廷へ表をささげて、玄徳を荊州の冀北の強国、袁紹が亡びてから今年九年目、人文すべて革ま 太守に封じるのが何よりと思いますが』 オカ、秋去れば冬、冬去れば春、四季の風物だけは変らなか 孫権はおもしろくない顔をした。 そして今し、建安十五年の春。 、と ぎようようじよう どうじゃくだ、 張昭はたたみかけて、若い主君を喩した。 郞陽城 ( 湖北省 ) の銅雀台ば、足かけ八年にわたる大工事の 『すべて外交の計は苦節です隠忍です。玄徳に出世を与える。落成を告げていた。 勿論、お嫌で堪らないでしようが、その効果は大きい。何とな 『祝おう。大いに』 はたん ればそれに依って曹操は、呉と玄徳との間に破綻を見出すこと 曹操は、許都を発した。 ができません。玄徳もまたそれに感じて呉を恨む念を忘れま 同時にーー造営の事も終りぬれば とあって、諸州の大 しやがきん 1 レよ、つ。 : かかる状態に一応現状を訂正しておいてから、呉将、文武の百官も、祝賀の大宴に招かれて、郞陽の春は車駕金 としては、間諜を用いて徐々に曹操と玄徳との抗争を誘い、玄鞍に埋められた。 そもそも しようが どうじゃくだい 徳のそれに疲弊して来た頃を計「て荊州を奪り上げてしまえば抑、この渾河のながれに臨む楼台を『銅雀台』と名づけた よいのです』 のは、九年前、曹操が北征してここを占領した時、青銅の雀を 『敵地へ行って、そういう遠謀を巧みに植えつけるような間諜地下から掘り出したことに由来する。 ぎよくりゅうだい きんまうだい が、さし当って、居るだろうか』 城から望んで左の閣を玉童台といい、右の高楼を金台と のば と さそ あん きようしゅん 文武競春 一よ・つよ・つ 446
孔明の巻 はつけ かたち ること二、三里、一夜に陣を八卦の象に備えていた。 げんめいこら、 夜明と共に、弦鳴鼓雷、両軍は戦端を開始していたが、やが晃 て中軍を割って、曹操自身すがたを現し、 『玄徳に一言云わん』と、告げた。 玄徳も、旗をすすめ、駒を立てて、彼を見た。 曹操は大声叱咤して云った。 だき 『以前の恩義をわすれたか。唾棄すべき亡恩の徒め。どの面さ げて曹操に矢を射るか』 玄徳は、にこと笑い かんじようしよう 途中、しかも久しぶりに都へ遷る凱旋の途中だ「たがーー曹『君は、漢の丞相というが帝の御意でないことは明かだ。故 操はたちどころに方針を決し、 君がみずから恩を与えたというのは不当であろう。記憶せ 『曹洪は、黄河にのこれ。予は、これより直ちに、汝南へむか よ、玄徳は漢室の宗親であることを』 げんとく ちよく って、玄徳の首を、この鞍に結いつけて都へ還ろう』と、云っ 『だまれ、予は、天子の勅をうけて、叛くを討ち、紊すを懲 す。汝もまた、その類でなくて何だ』 はどうかんゅう 一部をとどめたほか、全軍すべて道を更えた。彼の用兵は、 『いつわりを吐き給うな。君ごとき覇道の奸雄に、なんで天子 みことのり かくの如く いつも滞ることがない。 が勅を降そう。まことの詔詞とは、ここにあるものだ』と、か とう - 一つきゅう すでに、汝南を発していた玄徳は、 ねて都にいた時、董国舅へ賜わった密書の写しを取出し、玄徳 『よもや ? 』と、思っていた曹操の大軍が「余りにも迅く、南は馬上のまま声高らかに読みあげた。 ろうろう おんと 下して来たばかりか、逆寄せの勢いで攻めて来たとの報に、 その沈着な容子と、朗々たる音吐に、一瞬敵味方とも耳をす じよう早、ん 『はや、穣山 ( 河北省 ) の地の利を占めん』と、備えるに狼狽ましたが、終ると共に、玄徳の兵が、わあっと正義の軍たる誇 ときのこえ したほどであった。 りを鯨波としてあげた。 りゅうへきキ - よ・つと 劉辟、襲都の兵をあわせ、布陣五十余里、先鋒は三段にわか いつも、朝廷の軍たることを、真向に宣言して臨む曹操の戦 れて備えを立てた。 いが、この日初めて、位置を更えて彼に官軍の名を取られたよ かんう 東南の陣、関羽。 うな形になった。 ちょうひ ふんぬ 西南には張飛。 彼が憤怒したこというまでもない。鞍つばを叩いて、 わきぞな ちょううん - しよう 南の中核に玄徳、脇備えとして趙雲の一隊が旗をひるがえし『偽詔をもって、みだりに朝廷の御名を騙る不届者、あの玄徳 ていた。 めを引んで来いっ』 まなじり 地平線の彼方から、真黒に野を捲いて来た大軍は、穣山を距 眦を裂いて命じた。 たつみ ひつじさる とどこお 魚 ぎよ ゅ せん ~ う じよなん じようギ一んさ しった かた みだ - 一ら
『だめか』 取次ぎできようか』 『一時たりとも、繩目の恥をお与えして、申しわけないが、元『強いて両将を討つなら、関羽から先に対手になってやる。さ より玄徳には、御両所の生命を断たんなどという不逞な考えはあ来い』 『ば、ばかを云え』 ありません。いつでも城外へお立ち出で下さい。それも玄徳が 丞相の軍に対して、恭順を一小し奉る実証のひとっとお分り下さ 張飛は横を向いて、舌打を鳴らした。 れば、有難いしあわせです』 劉岱、王忠のふたりは、重ね重ねの恩を謝し、頭を抱えんば 果して、翌日になると、玄徳はふたりを城外へ送り出したのかりの態で許都へ逃げ返った。 みか、捕虜の部下もすべて劉岱、王忠の手に返した。 その後。 しようは、 『まったく、玄徳に敵意はない。 しかも彼は、兵家の中にはめ徐州は守備に不利なので、玄徳は小沛の城に拠ることとし、 かひ ずらしい温情な人だ』 妻子一族は関羽の手にあずけて、もと呂布のいた下郵の城へ移 そうそう ふたりは感激して、匆々、兵をまとめ、許都へさして引揚げした。 そう て行ったが、途中まで来ると、一叢の林の中から、突として、 張飛の軍隊が襲って来た。 張飛は二将の前に立ち塞がって、眼をいからしながら、 『せつかく生捕にした汝等ふたりを、むざむざ帰してたまるも のか。兄貴の玄徳が放してもおれは放さん。通れるものなら通 じようはちおおほこ ってみろ』と、例の丈八の大矛をつきつけて云った。 劉と王忠も今は戦う気力もなく、ただ馬上で震えあがって いた。すると、後からただ一騎、かかる事もあろうかと玄徳の さしずで追いかけて来た関羽が、 『ゃあ張飛 ! 張飛 ! また要らざる無法をするか。家兄の命 にそむくか ! 』 と、大声で叱りつけた。 人『ゃあ兄貴か、何で止める。今こやっ等を放せば、ふたたび襲 学って来る日があるそ』 舌『重ねて参らば、重ねて手捕にするまでのことだ』 奇『七面倒な ! それよりは』 『成らんと申すに』 ふる このかみ 劉岱、王忠は、やがて許都へたち還ると、すぐ曹操にまみえ ふくとう て、こう伏答した。 『玄徳にはなんの野心もありません。ひたすら朝廷をうやま 、丞相にも服しております。のみならず土地の民望は篤く、 よく将士を用い、敵のわれわれに対してすら徳を垂れることを 忘れません。まことに人傑というべきで、ああいう器を好んで 敵へ追いやるというのも甚だ策を得たものではあるまいと存じ 5 まして』 奇き 舌 人一 うつわ しろ
にわかに道を変更して、汚陽から漢津へ出ようと、夜も昼も逃『ああまだ天は玄徳を見捨て給わぬか』 げつづけていた。 こうなると人間はただ運命にまかせているしかない。一喜一 ただよ 憂、九死一生、まるで怒濤と暴風の荒海を、行くても知れず漂 っているような心地だった。 ととの 『ともあれ、一刻も早く』と、関羽の調えてくれた船に乗っ て、玄徳たちは危い岸を離れた。 その船の中で、関羽は糜 夫人の死を聞いて、大いに嘆きながら、 きょでんみかりかい 『むかし許田の御狩に会し、それがしが曹操を刺し殺そうとし たのを、あの時、あなた様が強ってお止めにならなければ、今 日、こんな難儀にはお会いなさるまいものを』 と、彼らしくもない愚痴をこばすのを、玄徳はなだめて、 玄徳の生涯のうちでも、この時の敗戦行は、大難中の大難で『いや、あの時は、天下のために、乱を醸すまいと思い あったといえるであろう。 曹操の人物を惜しんで止めたのだが もし天が正しきを助け 曹操も初めのうちは、部下の大将に追撃させておいたが、 るものなら、いっか一度は自分の志もつらぬく時節が来るだろ 『今を措いて玄徳を討っ時はなく、ここで玄徳を逸したら野に 虎を放つようなものでしよう』 と、云った。 じゅんいく と、荀彧等にも励まされてか、俄然数万騎を増派して、みず するとその時、江上一面に、喊の声や鼓の音が起って、河波 から下知に当り、 をあげながらそれは徐々に近づいて来る様子だった。 『どこまでも』と、その急追を弛めないのであった。 『さては、敵の水軍』と玄徳も色を失い、関羽もあわてて、船 、ーしょ・つ ために玄徳は、長坂橋 ( 湖北省、当陽、宜昌の東十里 ) 附近でものみよしに立って見た。 わたし さんざんに痛めつけられ、漢江の渡口まで追いつめられて来た見れば彼方から蟻のような船列が順風に帆を張って来る。先 きわ 頃は、進退まったく谷まって、 頭の一艘はわけても巨大である。程なく近々と白波をわけて進 『わが運命もこれまでーー・』と、観念するしかないような状態んで来るのを見ると、その船上には、白い戦袍へ銀の甲を扮 すがすが る に陥っていた。 装った清々しい若武者が立っていて、しきりと此方へ向って手 下 へところが、ここに一陣の援軍があらわれた。さきに命をうけを打ち振っている。 りゅうき 呉て江夏へ行「ていた関羽が、劉琦から一万の兵を借りることに 『叔父、叔父。御無事ですか。さきにお別れしたきり小姪の疎 . えん 一成功して夜を日についで馳けつけ、漢江の近くで漸く玄徳に追遠、その罪まことに軽くありません。ただ今、お目にかかって いついて来たものであった。 お詫び申すつもりです』 一帆呉へ下る めんよう ゆる かんしん た ふじん あり とを - かも ひたたれ しようてっそ よろ、 かわなみ び
うなず 玄徳以下の全軍が対岸へ渡り終ったころ、夜は白みかけてい 頷かせるところがあった。しかし曹操は、 や 『それなら一体誰を、玄徳のところへ使に遣るか』 の孔明は、命を下して、 という事になお考えを残しているふうだった。 壁『船をみな焼き捨てろ』と、云った。 劉嘩は一言のもとに、 はんじよ・つ そして、無事、樊城へ入った。 『それは、徐庶が適任です』と、云った。 赤 えん りゆ・つよ、つ この大敗北は、やがて宛城にいる曹操の耳に達した。曹操 ばかを云えーーーといわぬばかりに曹操は劉嘩の顔をしり目に は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて、 見て、 しよかつひっふ 『諸葛匹夫、何者そ』と、怒變をたてて罵った。 『あれを玄徳の許へやったら、再び帰ってくるものか』 はんじよ・つ すでに彼の大軍は彼の命を奉じて、新野、河、樊城など、 と、唇をむすんで、大きく鼻から息をした。 一挙に屠るべく大行動に移ろうとした時である。帷幕にあった 『いやいや、玄徳と徐庶との交清は、天下周知のことですが、 りゅうようせつ 劉嘩が切にいさめた。 それ故に、もし徐庶が御信頼を裏切って、この使から帰らなか あまね 『丞相の威名と、仁慈は、北支に於てこそ、遍く知られておったりなどしたら、天下の物笑いになります。彼以外に、この りますが、 この地方の民心はただ恐れることだけを知っ使の適任者はありません』 て、その仁愛も、丞相を戴く福利も知りません。ーー故に玄徳 『なるはど、それも一理だな』 は、百姓を手なずけて、北軍を鬼の如く恐れさせ、老幼男女こ彼はすぐ幕下の群将のうちから、徐庶を呼び出して、厳か とごとく民のすべてを引き連れて樊城へ移ってしまいました。 に、軍の大命をさずけた。 この際、お味方の大軍が、新野、樊城などを踏み荒し、そ の武威を示せば示すはど、民心はいよいよ丞相を恐れ、北軍を 敬遠し、その總になっくことはありません。ーー民なければ、 徐庶は、命を奉じて、やがて樊城へ使した。 いかに領土を奪っても、枯野に花を求めるようなものでしょ 『なに、曹操の使として、徐庶が見えたと』 : 如かず、ここはぜひ御堪忍あって、玄徳に使を遣り、 玄徳は、旧情を呼び起した。孔明と共に堂へ迎え、 彼の降伏を促すべきではありますまいか。玄徳が降伏せねば、 『かかる日に、御辺と再会しようとは』と嘆じた。 きゅうかっ 民心のうらみは玄徳にかかりましよう。そして荊州のお手に入 語りあえば、久濶の清は尽きない。レ ナれど今は敵味方であ けいしゅ・つけいりやく るのは目に見えている。すでに荊州の経略が成れば、呉の攻略る。徐庶はあらためて云った。 まった も易々たるもの。天下統一の御覇業は、ここに完きを見られま 『今日、それがしを向けて、あなたに和睦を乞わしめようとす こいたすら あたら えんさ てんか する。ーー・何をか、一玄徳の小悪戯に関わって、可惜、貴重なる曹操の本志は、和議し こあらす、ただ民心の怨嗟を転嫁せん為 かんけ、 兵馬を損じ、民の離反を求める必要がございましようか』 の奸計です。これに乗って、一時の安全をはかろうとすれば、 劉嘩の献言は大局的で、一時いきり立った曹操にも、大いレ 恐らく悔いを百世に残しましよう。不幸、自分はあなたの敵た りはん カカ しんや し はんじよ、つ 270
へ入ったと百姓から聞きましたので、さてはと、驀らにお迎『蔡瑁を呼べっ』 えに来たわけです』 いつにない激色である。そして蔡瑁が階下に拝をなすや否、 主の司馬徽も、そこへ来て、共に歓びながら、こう注意し頭から襄陽の会の不埒をなじって武士たちに、彼を斬れと命じ 『百姓たちの噂にのばっては、ここに長居も危険です。部下の 蔡夫人は、兄の蔡瑁が召し呼ばれたと聞いて、後閣から馳け 方々の迎えに見えられたこそ幸、速かに新野へお立ち帰りあ転ぶようにこれへ来た。そして良人の劉表へ極力、命乞いをし れ』 た。妹の涙で蔡瑁は助けられた。孫乾もまた、 実にもと、玄徳はすぐ暇を告げて、水鏡先生の草庵を去っ 『もし、御夫人の兄たるお方を、お手討になどされたら、主君 た。そして十数里ほど来ると、飛ぶが如く一手の軍勢の来るの玄徳は、却って二度と荊州へ参らないかも知れません』と、側 ゆる に出会った。 からロ添えしたので、劉表も彼を免すに免しよかった。 趙雲と同じように、夜来、玄徳の身を案じて、狂奔していた けれど、劉表は、なお心が済まなかった。孫乾の帰るとき、 りゆ、一ノ、、 張飛と、関羽の一軍であった。 嫡子の劉琦を共に新野へやって、深く今度の事を謝罪した。 かくて、新野へ帰ると、玄徳は城中の将士を一堂に集めて、 玄徳は、却って痛み入るおことばと、劉琦に厚く答礼した。 じようよ、つ 『皆の者に、、い配をかけて済まなかった。実は昨日、襄陽の会その折、劉琦はふと、日頃の煩悶を彼に洩らした。 」ー九けい で、蔡瑁のため、危く謀殺されようとしたが、檀渓を跳んで、 『継母の蔡夫人は、弟の琮を世継に立てたいため、なんとかし 九死に一生を拾って帰ったような始末 : : : 』 て、私を殺そうとしています。一体、どうしたらこの難をのが てんまっ れることができましょ , つか』 と、有りし末をつぶさに物語った。 愁眉をひらいた彼の臣下は、同時に、蔡瑁を憎み憤った。 『ただよく孝養をおっくしなさい。 こ御継母であろうと、 りゅうひょう 『おそらく、劉表は、何も知らない事に違いありません。ああなたの至孝が通じれば、自然禍は去りましよう』 なたを殺す計画に失敗した蔡瑁は、自己の罪を蔽うために、 あくる日、琦が荊州へ帰る折、玄徳は駒をならべて、城外ま ざんそ んどは如何なる讒訴を劉表へするかも知れたものではない。 こで送って行った。琦は、荊州へ帰るのを、いかにも楽しまない ちらからも早く、有りし次第を、明白に訴えておかなければ、 容子であった。それを玄徳が優しく慰めれば慰めるほど、涙ぐ んでばかりした いよいよ彼奴の乗ずるところとなりましよう』 孫乾の説であった。 琦を送って、その帰り途、玄徳が城中へ入ろうとして、町の かしら 浪大いに理由がある。一同も彼の言を支持したので、玄徳は早辻まで来ると布の衣に、一剣を横たえ頭に葛の頭巾をいたたい 嘯速一書をしたため、孫乾にさずけて荊州へ遣わした。 た一人の浪士が白昼、高らかに何か吟じながら歩いて来た。 吟劉表は、玄徳の書簡を見て、襄陽の会が蔡瑁の陰謀に利用さ れ終ったことを知り、以てのはかに立腹した。 しんや まっしぐ めのころも 為 7
逃げまどう玄徳の兵は明かに次の声を耳に知った。 巻『曹操は、ここにある。降る者はゆるすであろう。弱将玄徳ご のときに従いて、大死する愚者は死ね。生きて楽しもうとする者 明 は、剣をすてて、予の軍門に来れ』 勇にも限度がある。 あびきようかん ちょううんしりゅう しんたいきわま 孔火の雨の下、降る石の下に、阿鼻叫喚して、死物狂いに退路趙雲子竜も、やがては、戦いっかれ、玄徳も進退谷って、す をさがしていた兵は、そう聞くと争って剣を捨て、槍を投げ、 でに自刃を覚悟した時だった。 曹操の軍へ投降してしまった。 一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。 しゅうそう 趙雲は、玄徳の側へ寄り添って、血路を開きながら、 養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降って 『怖れることはありませんぞ。趙雲がお側にあるからは』と、来た ちょうしりゅう 励まし励まし逃げのびた。 猛然、張部の勢を、うしろから粉砕し、趙子竜と協力して、 うきんちょ、つりよ、つ 山上からどっと、于禁、張遼の隊が襲せて来て、道を塞とうとう敵将張部を屠ってしまった。 玄徳は測らぬ助けに出会って、歓喜のあまり、この時、天に 趙雲は、槍をもって、遮る敵を叩き伏せ、玄徳も両手に剣を両手をさしのべて、 ふる 揮って、暫し戦っていたが、又復、李典の一隊が、うしろから 『ああ、我また生きたり ! 』と、叫んだという。 迫って来たので、彼はただ一騎、山間へ駈けこみ、ついにその そのうちに、おとといから敵中に苦戦していた張飛も、麓の 馬も捨てて身ひとつを、深山へ隠した。 一端を突破して、山上へ逃げのばって来た。 夜が明けると、峠の道を、一隊の軍馬が、南の方から越えてき 玄徳に出会って、 りゅうへき きようと ゅうてきかこうえん た。驚いて、隠れかけたが、よく見ると、味方の劉辟だった。 『味方の輸送部隊にあった襲都も惜しいかな、雄敵夏侯淵のた そんかんびほう 孫乾、糜芳なども、その中にいた。聞けば、汝南の城も支えめに、討死をとげました』 きれなくなったので、玄徳の夫人や一族を守護して、これまで と、復命しこ。 落ちのびて来たのであるという。 『ぜひもない : ちょうひ 汝南の残兵千余をつれて、まず関羽や、張飛と合流してか玄徳は、山嶮に拠って、最後の防禦にかかった。けれど、俄 ら、再起の計を立てようものと、そこから三、四里ほど山伝 造りの防寨なので、風雨にも耐えられないし、兵糧や水にも困 こ・つらんちょうこう いに行くと、敵の高覧、張部の二隊が、忽然、林の中から紅のりぬいた。 旗を振って突撃して来た。 『曹操自身、大軍を指揮して、麓から総がかりに襲せて来ま りゅうへき ちょううん 劉辟は高覧と戦って、一戟の下に斬り落され、趙雲は高覧へす』 おそふる 飛びかかって、一突きに、高覧を刺し殺した。 物見は頻りと、ここへ急を告げた。 玄總は、怖れ慄え と憂い悩んだ。 しかし、わずか千余の兵では、一たまりもない。玄徳の生命た。夫人や老幼の一族を、如何にせん ? はかり 1 一と さえぎ またまた かんう すいともしび は、暴風の中にゆられる一穂の燈火にも似ていた。 かんべし ちょう - 一う ちょ・つ - : っ よ わイ