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検索対象: 宮本武蔵(一) (吉川英治)
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1. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

水の 方でもよし、ただ野生は、兄が剣によってともかく洛陽の 人士に一波紋を投げたるを、ひそかに慶す。 田じ、つこ。 君は賢明だよ、おそらくは剣も巧者になって出世すべし。 ひるが 封の裏には、なんと 翻えって、今のわれを見れば如何。 本位田又八 愚や、愚や、この鈍児、賢友を仰いでなんそ愧死せざる ゃ。 乱暴な字でぶつけてあるのだ、書体までが酔っぱらっている 姿である。 だが待て、人生の長途、まだ永遠は測るべからすという奴 『や : : : 又八から : : : 』 さ、今は会いたくない、そのうちに会える日もあろうとい 急いで封を切って見る。武蔵は、なっかしむような、悲しむ うもの也。 ような、複雑な気持のうちに読み下した。 健康をいのる。 おってが 二升も飲んだ揚句といえば、字の乱脈はぜひもないが、文言 これが全文かと思うと、追而書きのほうに、まだくどくどと も支離減裂で、ようやく読み判じてみると、 火急らしい用向きが認めてある。その用向きというのは、吉岡 伊吹山下、一別以来、郷土わすれ難し、旧友またわすれ難道場の千人の門下が、先頃の事件をふかく意趣にふくみ、躍起 らすも先頃、吉岡道場にて、兄の名を聞く、万感 になって君のありかを捜しているから、身辺にふかく注意をし - 一も 1 一も 、会わんか、会わざらんか、迷うて今、酒店に大酔をなければいけない。君は今折角剣のほうで頭角を出し始めたと 買う。 ころだ、死んではならぬ、俺も何かで一人前になったら君と会 この辺まではよいが、その先になると、 いよいよわからなく って、大いに過去のことも語りたい気持でいるのだから、俺の 張合いのためにも、体をまもって生きていてくれ 然りわれは、兄と袂を分ってより、女色の檻に飼われ、懶そんな意味なのである。 おうおう 惰の肉を蝕ばまれて生く、怏々として無為の日を送るすで 先は友情のつもりらし、 しが、この忠告のうちにも、多分な又 に五年。 八のひがみが滲んでいた。 洛陽、今、君の剣名ようやく高し。 武蔵は、音然として、 川盞。川盞。 ( なぜーー・ゃあ久し振だなあーーーそんなふうに、彼は呼びかけ 或者はいう。武蔵は弱し逃げ上手の卑法者なりと。また或てくれなかったのか ) と、田 5 った。 者はいう。彼は不可解の剣人なりと。 そんな事、何っ なる。 武蔵は、小首を傾げながら、封の裏を返してみた。 一三ロ おり せつかく 742

2. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

おとめ なぜならば、よく頷いてはいるくせに、彼の眸は、あらぬ方心がみだらな女だったら、それはもうきれいな処女とはいえな いのではありませんか。 : 私は、私はもう名は : ・・ : 名はいえ へ行っているからである。愛しあっている者同士が、ことばを 奏であいながら眼を反らしているといったようなー・ーーああいうませんが或者のために処女ではなくなりました。けれど、、いは 情景とはまるで違ったもので、ひと口にいえば、彼の今持って漬されてないつもりです。ちっとも穢されない心を今も持って いるんですの : : : 』 いる眸は、無色無熱の火であった。そこから一角の焦点へ向っ 『ウム、ウム』 て、かちっと烙きついたまま、眼じろぎもしないのである。 『かあいそうだと田 5 ってくれます ? 真実をささげてい 朱実には今、そういう相手の眼を怪しむ認識すら持てない。 : あなたに 自分だけの感情の中で、独り問い答えながら突きつめては唇へる人へ、秘し事を抱いているのは辛いことです。 会ったらなんといおう。 し、つまいカ、いお , つか、同じことを幾 咽び出すのだった。 『 : : : ああ、私はもう、これであなたにみんないうことをいっ晩も幾晩も考えぬきました。その上で、私が決心したことは、 やはり貴方には、偽りを持たないということでしたの。 てしまった。秘していることはなにもない』 かって下さる。むりもないと思って下さいますか、それとも厭 と欄干へのせている胸を少しずつ寄せて来て、 『ーー・関ヶ原の戦から、もう五年目になるでしよう。その五年わしいやつだと思いますか』 のあいだに、私という者は、今すっかり話したように、境遇『ムム、ああ』 『ね : : : どっちです。考えると、わ、わたしは、く、くやし も、体も変ってしまったんです』 すす し』 : よよと、啜り泣いて、 『けれど しいえーー・私はちっとも変っていない。あなたを欄の上へ顔を伏せて、 思っているこの気持は、みじんも変って来てはおりません。そ『ですから、もう私は、あなたに向って、愛してくださいなど あっかま いえた義 ういいきれます。わかってくれる ? : 武蔵様、その気持をということは、厚顔しゅうていえませんし : 理でもない体ですの。 だけど武蔵様、今いったような心 ・ : 武蔵様』 おとめ 『ムム』 処女ごころーー・白珠のような初恋の心ーー・それだけは失く くらし 笑『わかって下さいね。 : 恥もしのんで私はいいました。朱実しません。この後、どんな生活をしようとも、どんな男の巷を は、あなたと初めて伊吹の下で会った時のように、もう穢れの歩こうとも』 ただ ない野の花ではありません。人間に漬されて凡の女になってし髪の毛の一すじ一すじがみな泣きふるえた。欄を濡らしてい よ・つよう みさお まったつまらない女です。 : ・けれど貞操というものは体のもる涙の下は、元日の明るい陽を燿々と乗せて、無限の希望へか わかみず がやいて行く若水のせせらぎであったが。 のでしようか。心のものでしようか。体の上だけは清女でも、 こせ おか おか おとめ ちまた

3. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

が幼少い時からあった。 茶碗くらい出来るような気がする。兵法家が、今の代表的な人々だとしたら、彼は、実社会という おきな 巻だが、その一人のほうの六十ぢかい翁が、箆と指のあたま ものを疑いたいと思った。 で、今、一個の茶碗になりかけている粘土をいじっているのを の 見ると、武蔵は、自分の不遜な気持ちがたしなめられた。 うつかり、それで思い上ることは出来ないぞということを、 おきな ( これは、たいへんな技だ、あれまで行くには ) 彼は今、見せられていた。わずか二十文か百文の雑器を作る翁 水 このごろの武蔵の、いには、ままこういう感動を抱くことがあにさえ、凝「と見ていると、武蔵は、怖いような三昧境の芸味 わ った。人の技、人の芸、何につけ優れたものに持っ尊敬である。 と技を感じさせられる。 それで生活を見れば食うや食わす ( 自分には、似た物もできない ) の貧しい板屋囲いではないか。社会がどうして甘いものであろ はっきりと今も思う。見れば、細工場の片隅には、戸板をおうはずはない。 かめ、ゞかず、 - いてそれへ皿、瓶、酒盃、水入のような雑器に、安い値をつけ て、清水詣での往来の者に傍ら売っているのである。 これ 武蔵は、だまって、心の裡だけで、粘土まみれの翁に、頭 はどな安焼物を作るにも、これほどな良心と三昧とをも 0 てしを下げてそこの軒を離れた。坂を仰ぐと清水寺の崖道が見え ているのかと思うと、武蔵は自分の志す剣の道が、まだまだ遠る いものの気がした。 実は、ここ二十日あまり、吉岡拳法の門を始め、著名な ごろうにん 道場を歩いてみた結果、案外な感じを抱き、同時に自分の実力『御牢人。ーー御牢人』 ったな が、自分で卑下しているほど拙いものではないという誇りも大三年坂を、武蔵が登りかけた時である。誰か呼ぶので、 、に持っていた折なのである。 『、わー ) か』 からすね 府城の地、将軍の旧府、あらゆる名将と強卒のあつまるとこ振り向いてみると、竹杖一本手に持って、空脛に腰きりの布 ろ、さだめし京都にこそは、兵法の達人上手がいるだろうと思子一枚、髯の中から顔を出しているような男、 って訪れて行って、その床に心から礼儀を施して帰るような道 『旦那は、宮本様で』 場が、一軒でもあったろうか。 『、つ . む』 武蔵は、勝っては、その度に、淋しい気もちを抱いて、そこ 『武蔵とおっしやるんで』 らの兵法家の門を出た。 『む』 ( 俺が強いのか、先が弱いのか ) 『 + め二り・、がと ) , っ』 彼にはまだ、判然としない。 尻を向けると、男は茶わん坂の方へ、降りて行った。 わざ もし今日まで歩いて来たような 728

4. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

城太郎は救いたいし、お杉隠居のそばへ寄るのは怖ろしい のように逃げるのじゃ。以前、三日月茶屋でもそうじゃった 巻し、彼女はうろうろするよりほかなかった。 が、今も、わしを鬼かのように、すぐ逃げなさる その心 得が、そもそも解せぬというもの。この婆の心底がわからぬか の 五 いの。そなたの思い違いじゃ、疑心暗鬼じゃ、ばばは決して、 『ノ、ツて、ノ、挈」、は、は』 そなたなどに害意は持たぬ』 城太郎は、木剣を抜いた そう聞くと、彼方に立っているお通はまだ疑わしげな顔して 本剣は抜いたがさて、自分の首根ッこは、隠居の腋の下へつ したが、隠居の腋の下から城太郎が、 いたず 『はんとかし よく抱え込まれ、これはいくらもがいても離れないのだ。徒ら ほんとかいおばば」 に、地を蹴ってみたり、空を打ってみたり、暴れるほど、敵を 『オオ、あの娘は、この婆の心を、思い違えているらしい 誇らせるに過ぎないのである。 ・こ、、こ布い人間のよ、つに』 わっぱ まね 1 一と 『この童が、なんの芸じゃ、虹の真似事かよ』 『じゃあ、おいらが、お通さんを呼んで来るから、この手を、 隠居は、三つ唇のように見える長い前歯に、勝ち誇った強味離してくれ」 をみせて、なお、ぐいぐいと河原を引き摺って前へ歩いて来た 『おっと、そんなこというて、手を離したら、この婆へ木剣を くれて、逃げる気であろうが』 ( 待てよ ) 『そんな卑怯なまね、するもんか。お互し 、に、思い違いで喧嘩 彼方に立ちどまっているお通の姿を見てから、急に、老婆らしちゃ、つまらないからさ』 - : っ亡ノ しい狡智を思いついて、胸のうちでそう呟いこ。 『では、お通阿女のそばへ行ってこういうて来う・ - ーー - - - ・本位田の 隠居が思うには、これはどうもますい。老婆の脚で追いか け隠居はの、旅先で、河原の権叔父とも死に分れ、白骨を腰に負 たり、力すくで争っているから埒があかないというものであうて、老い先ない身をこうして旅にまかせているが、今では、 る。武蔵のような相手では、騙しも利かなしが、この相手は甘むかしと違うて、気も萎えた。一時は、お通の心も恨みと思う やかせば甘やかせる女子供、舌の先でくるめておいて、後でい たが、今ではさらさらそんな気もない。 ・武蔵には知らぬ しよ、つに料理してしま、つに日くはない 事、お通阿女は今も嫁のように思うているのじゃ。元の縁へ返 でーー隠居は遽に、 ってくれとはいわぬが、せめては、このばばの過ぎ越し方の愚 『お通よ、お通よ』 痴や、この先の相談事でも聞いておくれる気はないか。このば 手をあげて、彼方の姿を、さしまねいた。 ばを、あわれな者とは思っておくれぬかと : 『ー、ーのう、お通阿女よ、なんで汝れは、ばばの姿を見るとそ『おばば、そんなに文句が長いと、覚えきれないよ』 にわか わき

5. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

といい出した。 そこで、その庄田が自分の素性を明かしていうことに、 まだまだそこらの名のある牢人は、それぞれ、隠栖しても一 『わしは小柳生の家中で、庄田喜左衛門と申す者だが、実は、 かどの権式も生活力も持っているが、これが奈良の裏町あたり もはや八十にお近い自分の御主君は、この所お体もお弱くて毎 へゆくと、ほとんど、腰の刀の中身まで売りはたいたような、 ほんとの無職武士がうようよいて、半分は自暴になって風紀を日、無聊に苦しんでおられる。そなたが、笛を吹いて糊ロすぎ 、こ、、こ恵Ⅱ治下の世間をさわがせて一日もをいたしておるというので思いついた事だが、或は、そうした みだし、喧嘩を漁りオオ彳丿、 はやく大坂の方に、火の手があがればよいと祈っている連中ば折故、大殿のよいお慰みになろうか知れぬ。どうだな、来てく れまいか』 かりが、巣を作しているような有様であるから、そんな所へ、 茶売りの老人は、側にあって、それはよい思いっきと喜左衛 あなたのような美しい女子が一人で行くことは、まるで袂へ油 を入れて火の中へ入るようなものだと、茶売りの老人は、お通門と共に頻りにすすめた。 『お女中、ぜひお供して行かっしゃれ。知ってでもあろうが、 を止めてやまないのであった。 むねとしみ一ま 小柳生の大殿とは、柳生宗厳様のこと、今では、御隠居あそば たじまのかみむわのりさま せキ - しゅ・つみ一い 五 して、石舟斎と申しあげているお方じゃ、若殿の但馬守宗矩様 は、関ヶ原の戦からお帰リあそばすとすぐ、江戸表へ召され そう聞かされてみると奈良へ行くのも、甚だ不気味な事にな て、将軍家の御師範役。またとない御名誉なお家がらじゃ、そ うしたお館へ、召されるだけでもまたとない果報、ぜひぜひお お通は考えこんでしまった。 かすか 奈良に、微な手懸りでもあるならば、どんな危険をも厭う事供なされませ』 有名な兵法の名家、柳生家の家臣と聞いて、お通は喜左衛門 ではないが たたびと そういう心当りは、彼女には今の所まるでないのである。たの物腰が、只人とは田 5 えなかったことが、さてこそと、心のう た漠然と・ーー姫路城下の花田橋の袂からあのまま数年の月日をちに、頷かれた。 旅から旅へ、的なく、彷徨って来たに過ぎない。今も、そ『気がすすまぬか』 ん 喜左衛門が、諦めかけると、 の儚い流浪の途中に過ぎない わ え、願うてもないことでごさいますが、れい笛、さよう 会『お通どのと申されたのーー』 な御身分のあるお方の前では』 そ彼女の迷っている顔いろを見て、髯侍の庄田が、 『いやいや、ただの大名衆のように思うては、柳生家では、大 『どうであろう、最前から、申しそびれていたが、これから奈 巡 きにちがう。殊に石舟斎様と仰せられて、今では、簡素な余生 小柳生まで来てくれないか』 良へ行かれるより、わしと共に、 る。 る。 ーカ′ あて もの こやぎゅう やかた 755

6. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

奔 馬 まかどとうげ 少しも欣べないばかりか、親切を示されれば示されるはど、か 馬門峠の途中まで一緒に来て、つぶさに道を教え、 『ここまで来れば、もう安心なものだ。夜は早目に泊って、気えって厭わしくなる人間というものはよくある。 柘植三之丞に対するお通の気もちがそれだった。 をつけて行くがしし』 っ一 ) 0 と、 ( 底のわからない人 ) おおかみ かさねて、礼をのべて、別れようとすると、 という最初の印象が妨げるせいか、わかれに臨んでも、狼 から離れたよ、つに、ほっとはしこ ; 、 オカ心から礼をいう気にもな 『お通さん、別れるのだぜ』 三之丞は、意味ありげに、改めて彼女をじっと見た。そしれない かなり人みしりをしない城太郎さえが、その三之丞とわかれ て、やや怨み顔に、 今に訊いてくれるか、今に訊いてくれるて峠を隔てると、 『ここまで・米る間に、 かと思っていたが、とうと、つ、訊いてくれないな』 『いやな奴たね』 っ一 ) 0 をス し学 / 『なにをですか』 きようの難儀を救われたてまえにも、そういう蔭ロはいえな 『おれの姓名を』 『でも、柑子坂で聞いておりましたもの』 い義理であったけれど、お通もつい 『ほんとにね』 『おばえているか』 と頷いてしまい 『渡辺半蔵様の甥、柘植三之丞さま』 『ありがたい。恩着せがましくいうのじゃないがいつまで 『いったいなんの意味なんでしよう、おれはまだ独り者だとい うことを覚えていてくれなんて : : : 』 も、覚えていてくれるだろうな』 『きっと、お通さんを今に、お嫁にもらいに行くよという謎な 『ええ、御恩は』 んだろ』 『そんなことじゃない、おれがまだ独り者だということをさ。 『オオいやだ』 : 伯父の半蔵がやかまし屋でなければ、邸へ連れて行きたい おうみ ところだが : : まあいし それからの二人の旅は至って無事たった。ただ恨みは、近江 小さな旅籠がある、そこの主人も、 おれのことはよく知っているから、おれの名を告げて泊るとい の湖畔へ出ても、瀬田の唐橋を渡っても、また逢坂の関を越え : じゃあ、おらば』 ても、とうとう武蔵の消息はわからないでしまったことであ る。 十三 年暮の京都にはもう門松が立っていた まつはるまちかぎり 先の好意はわかるし、親切な人とも思いながら、その親切に 待春の町飾を見ると、お通は先に逸した機会をかなしむより 387

7. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

水の巻 『はて ? ・』 と、見まわした。 寺院は幾軒も見て来たが、それらしい山門はない。宝蔵院と いう門札も見えない 冬を越して、春を浴びて、一年中でいちばん黒すんでいる杉 のうえから、今が妙麗の采女のように明るくてやわらかい春日 山の曲線がながれていて、足もとは夕方に近づいていたが、彼 方の山の肩にはまだ陽が明るかった。 其処か、此処かと、寺らしい屋根を仰いでゆくうちに 『お』 およそ今、天下に虻や蜂ほど多い武芸者のうちでも、宝蔵院 武蔵は足を止めた。 という名は実によく響いている。もしその宝蔵院を単なるお寺 わきま だが、よく見ると、その門に書いてあるのは、甚だ宝蔵 の名としか弁えないで話したり聞いたりしている兵法者がある としたら、すぐ、 院と紛らわしい名で「奥蔵院」としてあるのである。頭字が一 もぐ っ違っている。 ( こいっ潜りだな ) それに山門から奥を覗くと日蓮宗の寺らしく見える。宝蔵院 と、扱われてしまうほどにである。 だんりん この奈良の地へ来ては、猶更のことであった。奈良の現状でが日蓮宗の檀林であるということはかって、武蔵も聞かない話 は、正倉院が何だか知らないものはほとんどだが、槍の宝蔵院であるから、これはやはり宝蔵院とは全く別な寺院に違いない とたずねれば、 ばんやり山門に立っていた。すると、外から帰って来た奥蔵 『あ、油坂のか』 なっしょ と、すぐ分る。 院の納所が、うさん臭い者を見るような眼で、武蔵をじろじろ ながめて通りかけた。 そこは興福寺の天狗でも棲んでいそうな大きな杉林の西側に ならちよら しの あと 武蔵は笠を脱って、 あたっていて、寧楽朝の世の盛りを偲ばせる元林院址とか、光 あか せやくいん 『お訊ねいたしますが』 明皇后が浴舎を建てて千人の垢を去りたもうた悲田院施薬院の あと 址などもあるが、それも今は、と雑草の中からわすかに当時『はあ、なんじゃね』 の石が顔を出しているに過ぎない。 『当寺は、奥蔵院と申しますか』 『はあ、そこに書いてある通り』 油坂というのはこの辺りと聞いては来たが武蔵は、 茶 ま うねめ 758

8. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

坂 いたびさし 『武蔵とは、武蔵と書くのでございましような』 の生えた板廂が軒を並べていた。 『そんなことを訊いてどうするのだ。そちの知人か』 くさい塩魚を焼くにおいがどこかでする。午ごろの陽ざしが 『いえ、べつに』 強い、不意に、一軒のあばら屋のうちで、 かかあがき 『用もない所をうろついていると、また、今のような災難にあ『嬶や餓鬼を、乾ばしにしておいて、どの面さげて帰って来た かっ、この呑ンだくれの、阿呆おやじがっ』 しい捨てると、その一人も闇へ駈け去った。又八は、暗い溝癇だかい女の声が聞え、それとともに一枚の皿が往来へ飛ん に沿って、とばとば歩きだした。時々、星を仰いでは立ちどまで来て、真ッ白に砕けたと思うと、つづいて五十ぢかい職人て めあて っている。何処へという目的もないような容子なのである。 しの男が、抛り出されたように転び出した。 めうし 『 : : : やつばり、そうだった。武蔵と名を更えて、武者修業に 裸足で、ちらし髪で、牝牛のような乳ぶさを胸からはだけ放 出ているとみえる。 している女房が、 : 今会ったら、変っているだろうな』 両手を、前帯へ突っこんで、草履の先で石を蹴る。その石の 『この、ばかおやじ、何処へ行くっ』 一つ一つに、彼は、友達の顔を、眼にえがいた。 飛び出して来て、おやじの髷をつかみ、ばかばかと撲る、喰 『 : : : 間がわるいな、・ ・とう考えても、今会うのは面目ない。お みさ れにだって、意地はある。あいつに見蔑げられるのは業腹た。 火のつくように子は泣いている。犬はきゃんきゃんいう、近 : だが吉岡の弟子たちに見つかったら生命はあるまい 所からの仲裁が駈けて出る。 何処にいるのか、知らしてやりたいものだが』 武蔵は振り向いた。 笠の裡で、苦笑して見ていた。彼は、先刻からその軒つづき すえものし の陶器師の細工場の前に立ち、子供のように何事も忘れて、轆 へら みと 轤や箆の仕事に見恍れていたのであった。 ふり向いた眼はまたすぐ細工場のうちへ戻っている。武蔵 は、見とれていた。しかし、そこで仕事をしている二人の陶器 師は、顔も上げなかった。粘土の中にたましいが入っているよ うに、三昧になりきっていた。 路傍にたたずんで見ているうちに、武蔵は、自分もその粘土 石ころの多い坂道に沿い、行儀の悪い歯ならびのように、苔を捏ねてみたくなった。彼には、何かそういう事の好きな性質 坂 たけぞう ひる 〃 7

9. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

『おい、娘や、娘や』 女とみたらすぐ喉を鳴らす野武士がいる、浮浪人がいる、人買 巻こう誰かに呼ばれて、朱実は、たそがれかかる五条に近い寺がいるぜ : : : 』 町を冬の蝶のように、寒々と歩いている自分の影と、辺りの枯『 : の れ柳や塔を見出した。 ふんとも、すんとも、朱実は答えないのに八十馬は独りで喋 『帯かい、紐かい、なんだか解けて引き摺って歩いているじゃ べって尾いて行きながら、 火 あねえか。結んでやろうか』 『まったく』 ひどく下等なことばをつかうが、身なりは痩せても枯れて と、返辞まで自分でして、 も、二本差している牢人で、朱実は初めて見る男にちがいない 『この頃、江戸の方へ盛んに京女がいい値で売られてゆくそう みちのく が、盛り場や冬日の裏町を、何の用もなくよくぶらついているだ。むかし奥州の平泉に藤原三代の都が開かれた頃には、やは やそま 赤壁八十馬と名乗る人間。 り京女がたくさんに奥州へ売られて行ったものだが、今ではそ すり切れたわら草履をばたっかせて、朱実のうしろへ寄ってのはけ口が江戸表になっている。徳川の二代将軍秀忠が、江戸 来た、そして地に曳き摺っていた彼女の帯紐の端をひろって、 だから京女がぞ の開府に、今一生懸命のところだからな。 すみちょう 『まさか娘やは、謡曲狂言によく出てくる狂女じゃあるめえ。 くそく江戸へ売られて、角町だの、伏見町だの、境町だの、住 : 人が笑うわな。 : : : 美い顔をしているのに、髪だって、も吉町だのと、こっちの色街の出店が二百里も先にできてしまっ すこしどうかして歩いたらどうだい』 ねえ 『娘さんなそは、誰にでもすぐ目につくから、そんなほうへ売 うるさいと思うのであろう。朱実は耳がないような顔をしてり飛ばされないように、また変な野武士などに引ツかからねえ 歩いてゆく。それを赤壁八十馬は、単に、若い女のはにかみと ようにずいぶん気をつけないと物騒だぜ』 呑みこんで、 うしろ たもと 『娘やは、都ものらしいが、家出でもしたのか ? それとも、 朱実はふいに、犬でも追うように、袂を肩へ振り上げて、後 主人の家でも飛び出して来たのか』 を睨めつけた。 『ーーー叱つ、叱っ』 きりようよ げらげらと八十馬は笑って、 『気をつけなよ。おめえみたいな容貌美しが、そんな : : : 誰が 『おや、こいつあ、ほんとのキ印だな』 見たって、事情のありそうな、ばんやり顔でうろうろ歩いてい 『 , つ「 0 六、し』 てみな、今の都には、羅生門や大江山はないが、そのかわり、 ねえ わえ ねえ のど しゃ 38 イ

10. 宮本武蔵(一) (吉川英治)

火の巻 すると一人の巫女が、 五 『禰宜さま、お通さまが、あちらで待っておりますよ』 ・つじとみ まなびのや 荒本田氏富は、自分の邸を学之舎と名づけて、学校に当てて と告げた。 いた。そこに集まる生徒は、ここの可愛らしい巫女のみに限ら 『そうそう』 よ、、神領三郡のさまざまな階級の子が四、五十人ほど通って氏富は思いだして、 来る。 『呼びにやっておきながら、すっかり、忘れてした。・ 、 ' とこへ来 氏富は、今の社会ではあまりはやらない学問をここで幼い者ているか』 たちに教えていた。それは文化のたかいという都会地はど軽ん お通は、学問所の外に立って、あの大小をまだ抱えたまま じられている古学であった。 先刻から氏富が子供たちへ熱心にしている話を、そこで聞いて いたのであった。 ここの子女が、その学問を知ることは、この伊勢の森がある 郷土としても、ゆかりがあるし、国総体の上からも、今のよう 『ーーー荒木田様、ここにおります。お通でございますが、何 に、武家の盛大が、国体の盛大かのように見えて、地方のさびか、御用でございましようか』 れ方が、国のさびれとは誰も思わないような世の中に、せめ なえ て、神領の民の中にだけでもこころの苗を植えておけば、いっ かは生々とこの森のように、精神の文化が茂る日もあろうか 『お通さんか、待たせて済まなかったの。まあお上り』 という、これは彼の悲壮な孤業なのであった。 氏富は、自分の居間へ彼女を導いて行ったが、坐らぬ前に、 『なんじゃ ? ・』 むつかしい古事記や、中華の経書なども、氏富は、子どもの 耳になじむように、愛と根気をもって毎日話しこ。 と、彼女の抱えている大小へ目をみはった。 氏富が、そんなふうに、十数年、倦むことなく、教育してい 今朝、子等之館の内塀の蓑掛に、持主の知れないこの大小が るせいか、この伊勢では、豊臣秀吉が関白として天下を掌握し かけてあって、他の品物とちがい、巫女たちが気味悪がるので、 ようが、徳川家康が征夷大将軍となって、威をふるって見せよ自分が届けに持って来たのですと話すと、荒本田氏富も、 うが、世間一般のように、英雄星を太陽とまちがえるような錯『ホ ? 誤は三歳の童児も持っていない。 白い眉を顰め、いぶかしげに眺めていたが、 まなびのや 今、氏富は、その学之舎のひろい床から、すこし汗ばん『参拝人のものでもないのう』 だ顔をして出て来た。 『ただの参拝人が、あんなところへ入って来るわけはありませ 生徒たちは、そこを出ると、蜂の子のように帰って行った。 ん。それに、ゆうべは見えなかったのに、今朝がた椎児たちが ゆか おさな ひそ みのかけ 3 イ 6