ひきだぶんごろう そのころ、上泉伊勢守は、甥の疋田文五郎という者と、老弟伊勢守は、永くはと、袂を分っ折に、 の鈴木意伯をつれ、諸国の兵法家を求めて遊歴していたもの 『まだまだ私の兵法などは未完成なものです。あなたは若い とものり で、それがふと伊勢の太の御所といわれる北畠具教の紹介で、 私の未完成を完成してみるがよい』 宝蔵院に見え、宝蔵院の覚禅坊胤栄は、小柳生城に出入りして こういって、一つの公案を授けて行った。その公案ーーー問題 いたので、 とい、つのは、 いカん 『こんな男が来たが』 無刀の太刀如何 ? と、石舟斎・・・・・ーその頃は、まだ柳生宗厳と称っていた彼へ話 という工夫であった。 宗厳は、以来数年間、無刀の理法を考えつめた。寝食をわす それが、機縁だった。 れて、研鑽した。 伊勢守と宗厳は、三日に亙って、試合をした。 後、伊勢守がふたたび彼を訪れた時には、彼の眉は明るかっ 第一日、起ち合うと、 『とりますそ』 し、かが亠めつつ , っ・か』 伊勢守は、打っ所を明言しておいて、言葉のとおり打ちこん と、試合うと、 『む ! 』 第二日も、同じように敗けた。 伊勢守は、一目見て、 宗厳は、自尊を傷つけられた、次の日は工夫を凝らし、精神 『もうあなたと太刀打はむだなことである。あなたは、真理を ひそ を潜めて、体の形も変えた。 つかまれた』 すると伊勢守は、 そういって、印可、絵目録四巻を残して去った。 『それは悪い、それでは、こう取る』 柳生流は、ここから誕生し、また、石舟斎宗厳の晩年の韜晦 といって、忽ち、前の二日と同じように、指摘した所へ太刀も、この兵法が生んだところの一流の処世術であったのである。 を与えた。 者 宗厳は、我執の太刀をすてて、 使 『初めて、兵法を観た』 今、彼の住んでいる山荘は、もちろん小柳生城の中ではある の とりでづく がんド ) よう AJ 、つ , ) 。 、砦作りの頑丈な建築は、石舟斎の老後の心境にはびったり た 芍それから半歳の間、強って、伊勢守を小柳生城にひきとめしないので、べつに、簡素な一草庵を建て、入口もべつにし て、一、いに教わった。 て、まったく一箇の山中人の生活に余生を楽しんでいる。 まみ けんさん レ : っ力し
は、一族や血縁にすら、弓も引こう血も見よう、という位な武 巻士道以外なつよさも持たなければ不可能なのである。 『わしには、それが出来ん』 の 彼の「世を治むるの兵法」は、また彼の「身を修むるの兵 と、石舟斎がいうのは、ほんとであろう。 そこで、彼が居間には、 法」でもあった。 水 世をわたる業のなきゅえ 石舟斎はそれを、 兵法を隠れ家とのみ 『これ皆、師の御恩』 たのむ身なれや と常にいって、ひたすら上泉伊勢守信綱の徳を忘れなかっ と自詠の一首が、懐紙に書かれて、壁の茶掛となっている。 だが、この老子的な達人も、家康が礼を厚うして招くに至る 『伊勢殿こそ柳生家の護り神ぞや』 ロぐせに、彼のいうとおり、彼の居間の棚には、常に、伊勢 ( 懇招、黙し難しーー ) 守から受けた新陰流の印可と、四巻の古目録とが奉じてあり、 まっ と呟いて、何十年間の道境三昧の廬を出て、京都紫竹村の鷹忌日には、膳を供えて祠ることも忘れなかった。 えもくろく えっ ケ峰の陣屋で、初めて、大御所に謁したのであった。 その四巻の古目録というのは、一名絵目録ともいって、上泉 むわのり その時、つれて行ったのが、五男又右衛門宗矩、その年二十伊勢守が自筆で、新陰流の秘し太刀を、絵と文章で書いたもの としとし であった。 四歳、孫の新次郎利厳が、また十六歳の前髪。 しの こう二人の鳳雛の手をつれて、家康に謁した。そして、旧領時折、石舟斎は、老後になっても、それを繰りひろげて、偲 三千石安堵の墨付と共に、 ぶのであった。 『以後、徳川家の兵法所へ仕えるように』 『絵も妙手でおわした』 ンス宀豕康、がい、つス いつもふしぎに衝たれるのが、その絵であった。天文時代の 『何とぞ、せがれ宗矩を』 風俗をすがたに持った人物と人物とが、颯爽と、あらゆる太刀 と、子を推挙して、自分は又、柳生谷の山荘へ退き籠ってしの形を取って、白刃の斬合をしている図ーーそれをながめてい しんいんひょうび上う まった。そして子の又右衛門宗矩が、将軍家指南番として、江ると、神韻縹渺として、山荘の軒に、霧の迫ってくる心地が 戸表へ出ることになった折に、この老竜が授けたものは、いわするのである。 ゆる技やカの剣術ではなく、 伊勢守が、この小柳生城へ訪ねて来たのは、石舟斎がまだ兵 ( 世を治むるの兵法 ) 馬の野心勃々としていた三十七、八歳のころだった。 と、 もだ ひな わざ であった。 798
火の巻 の素性もすぐ知れよう。それについて、又八も伏見から大坂へ 下って来る道々、茶店、飯屋、旅籠と折のあるごとに、 『鐘巻自斎という剣術のすぐれた人がいるかね』 訊ねてみたが、 『聞いたこともないお人ですなあ』 レ」、・誰、もい、つ。 『富田勢源の流儀をひいている中条流の大家だが』 いってみても、 『はてね ? 』 金が気になる。費ってならない金だと田 5 うにつけて気に まったく知る者がないのである。 なるのだ。たんとは悪いが、少しぐらいは、この中から借りて すると、路傍で会った或る侍が、多少、兵法にも心得が 費ったところで罪悪にはなるまいと遂には思う。 ある様子で、 かたみ 『死者の頼みで、その遺物を、郷里へ届けてやるにしても、路『その鐘巻自斎とかいう仁は、生きていても、もう非常な老齢 銀というものが要る。当然、その費用は、この内から費ったとのはずだ。たしか、関東に出て、晩年は上州のどこか山里にか て関うまし』 くれたきり、世間へ出なかったように聞いておる。 その人 もんどのしよう 又八はそう考えてから、幾分気が軽くなった。 気が軽くの消息を知りたければ、大坂城へ参って、富田主水正という人 なった時には、もう幾分ずつ、小出しにそれを費い始めていた 物をたずねてみるとよい』 時なのである。 と、教えてくれた だが、金のほかに死者から預っている「中条流印可目録」の 富田主水正とは何かと訊くと、秀頼公の兵法師範役のうちの ・つ、・ - かのしよう 巻物のうちにある佐々木小次郎とは、一体どこが生国だろう一人で、たしか、越前宇坂之庄の浄教寺村から出た富田入道勢 源の一族の者だったと思うがという話。 多分ーー。・あの死んだ武者修行がその佐々木小次郎にちがいな すこし、あいまいな気もしたが、とにかく 大坂へ出るつもり しゅもち いとは思うが、牢人か、主持か、またどういう経歴の者であるだし、又八は、市街へ入るとすぐ、目抜の町の旅籠へ泊って、 かは、さつばり分らないし、分ろうとする手がかりもない。 そんな侍が御城内にいるか否かを訊いてみると、 唯一の頼りは、佐々木小次郎に対して、印可目録を授けてい 『はい、富田勢源様のお孫とかで、秀頼公のお師範ではありま る鐘巻自斎という剣術の師匠だ。その自斎がわかれば、小次郎せんが、御城内の衆に兵法を教えていたお方はございました め / 、、らまーし じん 27 ク
ここから京都まで、四十里とはあるまい、すこし踵を飛ばせ 声を出して、神林をさけびながら歩き出した。 巻ば、三日を費やさずに行き着くことが出来るーーーだが、心の備五十鈴川の上流へ向って えは、幾日かかったら出来るというものではない。 磊々と重なっている岩のあいだを、彼は、原始人のように、 ため の すでに名古屋から吉岡方へ、決戦状は出してあるが、その後這いすすんで行くのだった。芹を入れた例しのない太古の溌谷 つらら で、武蔵は、 林には、音のしない滝がかかっていた。滝水も皆、氷柱になっ て凍っているのである。 ( 肚はできているか。きっと勝ちきることができるか ) と、自分で自分に向って糺してみると、遺憾ながら、心の隅 もろ 四 に一脈の脆い層を認めないわけに行かなかった。 それはなにかというと、やはり自身の未熟を自身知っている どこへ、何を目的にして、武蔵はそんな努力を賭 して行くのか 事だった。彼は、自分がまだ決して達人の域にも名人の境地に も到っていない、未完成の人間であることをよく知っている。 裸で、神泉に浴した罰があたって、ほんとに気でも狂ったの 奥蔵院の日観にあい、柳生石舟斎を思い、又、沢庵坊主の出ではなかろうか。 来ていることを考えても いかに自分の価値を高く置こうと『何を。何を』 しても、 鬼のような血相なのである。岩に攀じ、藤づるにつかまっ ( 未熟だ ) て、巨岩大石を、足の下に征服してゆく一歩一歩の努力という と、自分の粗質をばらばらに解して、その弱点や虚を多分にものは、到底、生やさしい意志でやれる仕事でない。それに大 見出さずにいられない。 なる目的がかかっていなければ、正気の沙汰ということはでき そういう未熟なーー・まだ出来上っていない自分を押しすすめない。 あゆ て行って、必殺の士を占めている多数の敵の中へ入ってゆくの 五十鈴川の一之瀬から、約十五、六町の渓谷は、鮎すらも上 だ。しかも勝とうというのだ。ーーー兵法者たるものの根本的なれないといわれている岩石と奔湍である。それから先は、猿か 本義として、いかによく戦っても、戦っただけではよい兵法者天狗のほかは、行けそうもない断崖だった。 とはいわれない、飽まで勝っ ! 飽まで天寿を全うするまで勝『ウム、あれだな鷲嶺は』 ち抜いて、この世に見事に生命の太い線を描いて見せなけれ彼の精神状態のまえには、不可能という壁は見えないらし ば、兵法者として一人前に生きた者とはいわれないのである。 武蔵は、身ぶるいして、 大小や持物を、子等之館に置いて来たのはこの辺の用意であ 『おれは勝っ ! 』 ったとみえる。武蔵は断崖の藤づるヘ取ッついた。一尺一尺と カカと こらのたち おの 338
が幼少い時からあった。 茶碗くらい出来るような気がする。兵法家が、今の代表的な人々だとしたら、彼は、実社会という おきな 巻だが、その一人のほうの六十ぢかい翁が、箆と指のあたま ものを疑いたいと思った。 で、今、一個の茶碗になりかけている粘土をいじっているのを の 見ると、武蔵は、自分の不遜な気持ちがたしなめられた。 うつかり、それで思い上ることは出来ないぞということを、 おきな ( これは、たいへんな技だ、あれまで行くには ) 彼は今、見せられていた。わずか二十文か百文の雑器を作る翁 水 このごろの武蔵の、いには、ままこういう感動を抱くことがあにさえ、凝「と見ていると、武蔵は、怖いような三昧境の芸味 わ った。人の技、人の芸、何につけ優れたものに持っ尊敬である。 と技を感じさせられる。 それで生活を見れば食うや食わす ( 自分には、似た物もできない ) の貧しい板屋囲いではないか。社会がどうして甘いものであろ はっきりと今も思う。見れば、細工場の片隅には、戸板をおうはずはない。 かめ、ゞかず、 - いてそれへ皿、瓶、酒盃、水入のような雑器に、安い値をつけ て、清水詣での往来の者に傍ら売っているのである。 これ 武蔵は、だまって、心の裡だけで、粘土まみれの翁に、頭 はどな安焼物を作るにも、これほどな良心と三昧とをも 0 てしを下げてそこの軒を離れた。坂を仰ぐと清水寺の崖道が見え ているのかと思うと、武蔵は自分の志す剣の道が、まだまだ遠る いものの気がした。 実は、ここ二十日あまり、吉岡拳法の門を始め、著名な ごろうにん 道場を歩いてみた結果、案外な感じを抱き、同時に自分の実力『御牢人。ーー御牢人』 ったな が、自分で卑下しているほど拙いものではないという誇りも大三年坂を、武蔵が登りかけた時である。誰か呼ぶので、 、に持っていた折なのである。 『、わー ) か』 からすね 府城の地、将軍の旧府、あらゆる名将と強卒のあつまるとこ振り向いてみると、竹杖一本手に持って、空脛に腰きりの布 ろ、さだめし京都にこそは、兵法の達人上手がいるだろうと思子一枚、髯の中から顔を出しているような男、 って訪れて行って、その床に心から礼儀を施して帰るような道 『旦那は、宮本様で』 場が、一軒でもあったろうか。 『、つ . む』 武蔵は、勝っては、その度に、淋しい気もちを抱いて、そこ 『武蔵とおっしやるんで』 らの兵法家の門を出た。 『む』 ( 俺が強いのか、先が弱いのか ) 『 + め二り・、がと ) , っ』 彼にはまだ、判然としない。 尻を向けると、男は茶わん坂の方へ、降りて行った。 わざ もし今日まで歩いて来たような 728
つもり る、いではないかと狼狽だしたように、すぐ後から駈け上ってゆるが如き人通りとなっていて、陽もうらうらと柳や梅の上に高 そのわずかな間に、 二人は、話し合った。 『武蔵、はてな』 『ネ、城太さん、こんなわけになって、私はあのおばば様と、 『ーーー武蔵などという兵法者がいるかしらて』 『聞いたこともないが』 旅舎へ行きますけれど、暇を見て、ちょいちょい烏丸様の方へ やかた も帰りますから、お館の人たちにそういって、お前は当分、あ『、こ、 : たが吉岡を相手に、この通り、晴がましい試合をする程だ そこの御厄介になって、私の用事の片づくのを待っていて下さ から、相当な兵法者には違いない し』 高札の前は、明け方にまさる人だかりだった。 『アア、 お通は、ぎくとして、立ち竦んだ。 いつまでも、待っているよ』 お杉隠居も、城太郎もそれをながめていた。魚の渦のよう 『そして : : : その間に、私も心がけるけれど、武蔵様のいらっ 、群衆は武蔵武蔵という囁きをのこしながら、去っては来、 : お願いだから」 しやる所を、さがしてくれません ? 『いやだぜ、さがし当てるとまた、牛車の蔭へかくれて出て来来ては流れ去ってゆく み一つキ - ないんじゃないか。 : だから先却、いわないこッちゃないん 『わたしは、お馬鹿ね』 お杉隠居は、すぐ後から来て、二人の間へ入ってしまった。 し」ー ) しり 隠居のことばを信じぬいているにしても、お通は、この老婆の 側では、武蔵のうわさは、おくびに出しても悪いような気がし て、自然に口をつぐんでしまう。 和やかに肩をならべて歩いても、お杉隠居の針のように細、 しゅうとめ 眼は、絶えずお通へ油断のない光を配っていた。今では、姑 とよぶ人でないまでも、お通は、窮屈な感じに身を締められ レ」ーレト ` り しかし、それ以上の複雑な老婆の狡智と、自分の前に 横たわりかけている危ない運命を観ぬくことは出来ないらし 魚し 以前の五条大橋の畔まで戻ってくると、ここはもう元日の織 あわて 433
水の巻 ず、 - よ・つ 自然の理だよ その間、日観は、法衣の袖をあわせて誦経していたが、 『さあ、それでよろしい 万物が革まるために ではお前さん達も先へ出立する 生々とその下から春が来る がよい。わしも奈良へ戻るとしよう』 ひょうせん あなた 落葉を焚き 飄然と猫背の後姿を向け、もう風のように彼方へ歩み去って 野を焼くんだ 行く いとま 時々、大雪が欲しいように 礼をいう遑もないし、再会の約東もいい出せなかった。何と 時々、大掃除もあっていいよ いう淡々とした姿だろう。 武蔵は、そのうしろ姿を、じっ まっ なア鴉 と見つめていたが、何思ったかいきなり驀しぐらに追い駈けて おまえ達にも饗宴だ 行って、 人間の眼玉のお吸物 『老師つ、お忘れ物っ』 あか 紅いどろどろのお酒 と、刀の柄をたたいた。 喰べすぎて酔ッばらうな 日観は、足を止め、 『おい子供っ』 『忘れ物とは ? 』 日観が呼ぶと、彼は、 『会い難いこの世の御縁に、せつかくこうしてお目にかかった 『はいっ』 のです。どうか一手の御指南を』 乱舞を止めて、振向いた。 すると、歯のない彼の口から、からからと枯れた人間の笑い 『そんな気狂いじみた真似をしておらんで石を拾え、ここへ石声がひびいた。 を拾って来い』 『ーーーまだ分らんのか。お前さんに教えることといえば、強過 『こんな石でいいんですか』 ぎるということしかないよ。だが、その強さを自負してゆく いのち 「もっと沢山ーー』 と、お前さんは三十歳までは生きられまい。すでに、今日生命 がなかったところだ。そんなことで、自分という人間を、どう 城太郎が拾い集めて来ると、日観は、その小石の一つ一つへ持ってゆくんじゃ』 南無妙法蓮華経の題目を書いて、 『さあ、これを死骸へ、撒いておやり』 『きようの働きなども、まるで成っておらぬ。若いからまアま アせんないが、強いが兵法などと考えたら大間違い。わしな 城太郎は石を取って野の四方へ投げた。 ど、そういう点で、まだ兵法を談じる資格はないのじゃよ。 - 一ろも
『おや、どうした ? 』 匪格は、だんだん芽を伸ばしていた。 巻「旦那はん、あの子が、あたいをこんなに撲ったの』 武蔵は、そこも好きだった。 『嘘だい ! 』 膳につく の と、向うの隅から城太郎が異議をいって膨れる。 まだ膨れている。 『なぜ女などを打っ』 盆を持って給仕している小茶も口もきかない。睨めつこなの 水 武蔵が叱ると、 『だって、そのおたんこ茄子が、おじさんのことを、弱いって 武蔵も、この数日は、思うことがあって、とかく心がそれに したから六、』 囚われている。彼の胸にある宿題は、一介の放浪者としては少 『嘘、嘘』 し大望であり過ぎた。しかし、不可能でないと彼は信じるの 『、つこじゃよ、 十 / し・刀』 た。そのためにこうして一つ旅籠に逗留をかさねているのでも 『日一那はんのことを弱いって、誰もいいはしないよ。おまえあった。 はんにやの が、おらのお師匠様は日本一の兵法家で般若野で何十人も牢人望みというのは、 を斬ったなんて、あんまり自慢して威張るから、日本一の剣術 ( 柳生家の大祖、石舟斎宗厳と会ってみたい ) と、 し、つことである。 の先生は、ここの御領主様のほかにないよといったら、何をつ て、あたいの頬を撲ったんじゃないか』 なお烈しくいえばーー・彼の若い野望の燃ゆるままを言葉に移 してい , つならば 武蔵は、笑って、 『そうか、悪い奴だ。後で叱っておくから、小茶ちゃん、勘弁 ( どうせ打つかるなら大敵に当れである。大柳生の名を仆す してやれ』 か、自分の剣名に黒点をつけられるか、死を賭してもよい、杣 城太郎は、不服らし、 生宗厳に面接して、一太刀打ち込まねば、刀を把る道に志した 『 4 い』 かいもない ) もし第三者があって、彼のこういう志望を聞いたら、無謀と 『湯に入ってこい』 いって笑うだろう。武蔵自身も、その程度の常識はないことは 『お湯はきらいだ』 決してない。 『おれと似ているな。だが、汁くさくていかん』 小さくても、先は一城の主である。その子息は、江戸幕府の あした 『明日、河へ行って泳ぐ』 兵法師範であり、一族はみな典型的な武人であるのみでなく、 うしお 日が経って馴れるにつれ、この少年の生れつきにある強情などことなく新しい時代の潮にのり出している旺なる家運が、柳 とら あるじ 796
として、眼で見るのではなく、心で観つめているので、ふた 五 りの眸は、今、火花を出しているといっても過言でない。 年齢は、武蔵が一つ二つ下か、小次郎のほうが下か、どっち『見事な大太刀を背に負って、これ見よがしの伊達な装い、よ にしても大差のない、お互いが、生意気ざかりで、兵法でも、 ほど兵法自慢の者らしいが : : : 一体朱実さんとあの男とは、ど ういう仲の知りあいなのか』 社会の事でも、政治でも、すべてが分ったつもりでいる自負心 『べつに : の満々としている青年なのだ。 : なにも深い知りあいじゃないんですけれど』 獣が猛獣を見ると、すぐ唸るように、小次郎も武蔵も、な『知っていることはいる人なのだな』 『ええ』 んとなく、髪の毛のそそけ立つような印象を、この初対面にう けたのである。 武蔵に誤解されることを惧れるように、朱実は、判っきりい そのうちに、ふと、小次郎が先に眸を横へ反らした。 あみだどう めルりい ( ふふん : : : ) 『いっぞや、小松谷の阿弥陀堂で、どこかの猟大に腕を咬まれ た時、あまり血が出て止まらないので、あの方の泊っている宿 そういったような白い蔑みを、武蔵は彼の横顔に見た へ行って医者を呼び、それからつい三、四日、お世話になって のうちでは、自分の眼ーー・意力がーー彼を遂に圧伏したと思っ いるんですの』 て、かるく愉快だった。 『 : : : 朱実さん』 『では、ひとっ家に住んでいる者だったか』 『住んでいるといっても : : : べつに、なんでもないんですけ 欄へ面を当てて泣いている彼女の背へ、武蔵は手を加えて、 ど』 訊ねた。 『誰だ ? おまえの知人だろう。あれにいる若衆すがたの武者朱実は言葉を強めていう。 修一打は。 : え、誰だ、いったい ? 』 武蔵はべつに、なんでもあるような意味に訊いているわけで はない。それを朱実は、ひとりでべつな意味に穿きちがえてい 小次郎の姿を、その時初めて気づいた彼女は、泣き腫らしたるのだった。 なるはど、では詳しいことは知るまいが、あの者の姓名 顔に、明らかな狼狽えを走らせて、 ぐらいは聞いておろうが』 『ア : : : 彼の人が』 『あれは誰だ』 『ええ : : : 岸柳とも呼び、本名は佐々木小次郎とかいし 徴『あの : : : あの : : : 』 と朱実はロ籠った。 『 ~ 序柳』 おもて うろた しりび - と っ , ) 0 おそ 上そお イ 23
『貴様は、吉岡先生の門下でありながら、吉岡拳法流をくさすと思うんだ : : : ついに廃ると : と、おいおい泣き出している。 巻のか』 おんな つづみちょうし 『くさしはせぬが、今は、室町御師範とか、兵法所出仕といえ妓たちは、逃げてしまうし、鼓や酒瓶は、蹴とばされてい の ば、天下一に聞え、人もそう考えていた先師の時代とちがつる。 やから ひた それを怒って、 て、この道に志す輩は雲のごとく起り、京はおろか、江戸、常 水 陸、越前、近畿、中国、九州の果てにまで、名人上手の少くな『妓ども ! 、はか妓ー・』 い時勢となっている。それを、吉岡拳法先生が有名だったか 罵って、はかの部屋を、歩いているのがあると思うと、縁が ら、今の若先生やその弟子も、天下一だと己惚れていたら間違わに、両手をついて、蒼ざめたのが、友人に背なかを叩いても らっている。 いたと俺はいったんだ。いけないか』 清十郎は、酔えなかった。 『いかん、兵法者のくせに、他を怖れる、卑屈な奴だ』 『おそれるのではないが、いい気になっていてはならんと、俺その様子に、藤次が、 『若先生、面白くないでしよう』 は誡めたいのだ』 とス・囁ノ、 A 」、 『誡める ? : 貴さまに他人を誡める力がどこにあるか』 どんと、胸いたを突く。 『これで、彼奴らは、愉央なのであろうか』 あっと一方は、杯や皿のうえに手をついて、 『これが、面白いのでしような』 『やったな』 『あきれた酒だ』 『やったとも』 『てまえが、お供をいたしますから、若先生には、どこか他の おん 静かな家へ、おかわりになっては如何で』 先輩の祇園と植田の二人は、あわてて、 『こら野暮をするな』 すると清十郎は、救われたように、藤次の誘いに乗って、 ゅうべ 『わしは、昨夜の家へ、参りたいが』 双方を、もぎはなして、 『まアいし まアしし』 『蓬の寮ですか』 『わかったよ、貴さまの気持はわかっておる』 『 , っび』 刀 . と、仲裁して、また飲ませると、一方はなおさかんに怒号す『あそこは、すんと茶屋の格がようございますからな。 めから、若先生も、蓬の寮へお気が向いていることは分ってい るし、一方は、植田老の首にからみついて、 うぞう 『おれは、真実、吉岡一門のためを思うから、直言するんだ。 たのでござるが、何せい、この有象無象がくッついて来たので あんな、おべツか野郎ばかりいては、先師拳法先生の名も廃るは滅茶ですから、わざと、この安茶屋へ寄ったので』 ひと おんな ののし よも きやっ 108