安房 - みる会図書館


検索対象: 宮本武蔵(三) (吉川英治)
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1. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

足を取る。一喝や二喝ではおどろかない。時々、皮肉な歯を見このばばにも仇と狙われて、諸国を逃げ廻っている悪い素姓の 巻せてせせらわらう。 浮浪人』 『ま、待て、婆』 の無礼者つ。 『いいえいの、まあ、聞いて賜も。そればかりではない。わし 天と、柄の音でも聞かせてやりたくなるが、短気は負けだと思 せがれ いいなずけ が伜の許嫁のお通、それをまあ手なすけたりしての、友だちの うし、又そんな事をしても効果があるかどうかも、このばばに かどわ 女房とも極った女子をば誘拐かして : : : 』 は疑わしく思われた。 『ちょっと、ちょっと』 『ーーー父は留守だが、まあ、それへ腰かけてはどうだな。わし 新蔵は、手で抑えて、 で分る話なら、わしが聞いておこうではないか』 虫を抑えていってみると、これは新蔵が予期していた以上、 『いっこ、、ばばの目的は何じゃ。武蔵の悪口をそうしていし 一くことか』 効き目があって、 『あほらしい。天下のお為を思うてじゃ』 『大川の畔から、牛込まで歩いて来るのも、容易ではないが ざんそ の。実は足もくたびれているところ、おことばに甘えて掛けよ『武蔵を讒訴することが、なんで天下のお為になるか』 『ならいでか』 ばばは開き直って、 すぐ式台の端へ腰をおろして、膝をさすり出したが、舌の根 聞けば、当家の北条安房どのと、沢庵坊の推挙で、どう はくたびれる気色もなく、 今のように、物柔かにいわれると、こあのロ巧い武蔵が取入ったやら、近いうちに、将軍家の御指南 『これ、お息子よ。 のばばも、つい大声した事が、面目のうなるが、それでは用向役のひとりに加えられるという噂じゃが』 を話すほどに、安房どのがお帰りなされたら、よう伝えてたも『誰に聞いたか、まだ御内定のことを』 たしか れよ』 『小野の道場へ行った者から、確に洩れ聞いておる』 『だから、どうだと申すのか』 『承知した。して、父の耳へ入れたいとか、注意したいとかい 『ーー武蔵という人間は、今もいうた通りな札つき者、そのよ うた用件とは』 うな侍を、将軍家のお側へ出すさえ忌わしいのに、御指南役な 『ほかでもない。作州牢人の宮本武蔵が事じゃ』 『ム。武蔵がどうしたか』 どとは、以てのほかとこの婆は申すのじゃ。将軍家の師範とい 『あれは十七歳の折、関ヶ原の戦に出て、徳川家に弓を引いたえば、天下の師。おおまあ、武蔵などとは思うてもけがらわし 。身ぶるいが出ますわいの。 : : : 此の身は、それを安房どの 人間じゃ。しかも郷里には、数々の悪業をのこし、村では一人 として、武蔵をよういう者はない。それに幾多の人を殺して、 へ、お諫めに来たわけじゃ。分ったかの、お息子どの』 おなご た 2 り 6

2. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

( 子沢山な老人らしい。そのせいか、若い者にすぐ親しまれそは、その沢庵坊。おなっかしかろう』 『その後は、実に久しく、お目にかかりませぬ』 うな人である ) 一人の客が、沢庵であることはこれで分った。だが、もう一 武蔵はそう感じながら、彼も亦気軽にすぐ訊ねた。 『御子息から伺えば、私を存じおるお客が御当家に来合せてお名は誰か、思い当りもない。 どなた 安房守は、案内に立って、 られる由。いったい誰方でござりますか ? 』 『御座れ』 と、部屋の外へ導いた。 そして外へ出ると、又、短い階段を上り、鍵の手に曲ってい 『今、お会わせする』 る廊下を、奥深く這入って行った。 安房守は落着いて その辺で、ふと、先にいた安房守の姿が見えなくなった。廻 偶然にも、二人が二人と 『よう其許を知っている人だ。 廊も階段もひどく暗いので、勝手を知らぬ武蔵の・足が、遅れが も、よく知っておる』 ちであったせいもあろうがーーー・それにしても、気の短い老人で 『では、客どのは、お二人とみえますな』 はある。 『どちらも、わしとは親しい友達、実はきよう御城内で出会っ たのじゃ、そしてここへ立寄られて、よも山の話のうちに、新『 : あか たたず する武蔵が足を止めて佇んでいると、燈りの映している彼方の座 蔵が挨拶に出た事から、其許のうわさが始まった。 と、客のひとりの方が、遽かに、久し振りで会いたいという。敷らしい内から、 『此方じゃ』 又一方も、会わせて欲しいという』 なんびと そんな事ばかり述べたてていて、安房守もなかなか客が何人と安房守がいう。 『お』 であるか明かさないのであった。 だが、武蔵は、うすうす解けて来た心地がした。につと、微眼は答えたが、武蔵の足は、一歩もそこから出ていない。 燈りの流れている縁側と、彼の立っている廊下との間を、約 笑みながら試みに、 しゅうほうたくあん 九尺ほどの闇が中断していて、そこの暗い壁の露地に、武蔵は 燈『わかりました。宗彭沢庵どのではございませぬか』 なにか好ましからぬ物の気配を感じたのである。 一としってみると、 武蔵どの、此方じゃよ、早う渡られ 「なぜ御座らぬ ? 賢『ゃあ、中てたわ』 四果して、安房守は、小膝を打って、 安房守は、又呼んだ。 『よ , つ、お小しじゃ。 いかにも、きよう御城内で出会うたの し』 こなた - 一ちら あなた 723

3. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

う。そうすると、その母は、小田原の北条氏康の女である。人 かも知れぬ。かえすがえすも惜しいことを』 品のどこかに、下賤でないものが、仄見えるのは、道理であっ 『ーー・で、実はわたくしが、小幡家の跡を継がねばならぬこと になりました。余五郎どののほかに老先生のお血筋もないのた。 むねのり こ紛れましたが で、すでに絶家となるところ、父安房守から柳生宗矩様へ実情『つい、余談し と、新蔵はそこで辞儀をし直し、 を申しあげ、お骨折で、師の家名だけは、養子の手続きを取っ て、残ることに相成りました。ーー然し、未熟者のわたくしで『こよい、急に、お訪ねいたしたのも、実は、父安房守のいし は、かえ 0 て甲州流軍学の名家の名を、汚すようなものではなっけで、本来、父の方からお礼に伺うところであるが、折から ちょうど珍しいお客様も来あわせて、屋敷にお待ちいたしてお いかと、それのみを惧れておりまする』 、、、つけられて参ったのでご るので、お迎えいたして来いと 五 さりますが』 と、武蔵の顔いろを窺っていった。 北条新蔵がことばの中に、父安房守といったのを、武蔵はふ 『はて ? ・』 と、聞き咎めて、 『北条安房守どのと申せば、甲州流の小幡家と並んで、北条流武蔵は、まだ彼のことばが、よく酌めないらしく、 『珍らしいお客が、其許のおやしきで拙者を待ちうけているか の軍学の宗家ではありませぬか』 『そうです、祖先は遠州に興りました。祖父は小田原の北条氏ら来いーー・という仰せかな ? 』 『そうです。恐縮ながら、てまえが御案内いたします程に』 綱、氏康の二代に仕え、父は、大御所家康公に見出され、ちょ 『これから ~ 旦ぐに ? 』 うど三代、軍学をもって、続いて来ております』 『その、軍学の家に生れた其許がどうして、小幡家の内弟子な どなた したい、その客とは、誰方でござるか。武蔵にはとんと江 どになられていたのか』 『父の安房守にも、門人はあり、将軍家へも、軍学を御進講し戸には知己がないはずでござるが』 ておりますが、子には、何も教えませぬ。他家へ行 0 て、師事『御幼少からよく御存知のお方でござります』 まな ど してこい、世間から苦労を先に習んで米いーーと申すような風『何、幼少から ? 』 愈、解せない。 との父でありますゆえ』 ( 誰だろう ? ) し新蔵の物ごしや、そういう人がらのどこかに、そう聞けば、 幼少からといえば懐しい。本位田又八か、或は、竹山城の侍 露卑しくないところが見える。 彼の父は、北条流のながれを汲む三代目安房守氏勝であろか、父の旧知か。 おそ が まぎ ほの むすめ 〃 9

4. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

安房守は、そう呟いたが、まだ不審ないろをその顔に残し 『いわば、智を基礎とする兵理の学問と、心を神髄とする剣法 巻て、自分の企みを割って話すと共に、武蔵へ向って、次のようの道との、勘の相違でござりましよう。 理からいえば、こ 2 のな質問をした。 う誘う者は、こう米なくてはならぬ筈という軍学 。それ 天 『ーー実は、伜の新蔵からも、沢庵どのからも、お身様の人間を、肉眼にも、肌にも触れぬうちに、察知して、未然に、危地 は、よう承って、その上、お迎え申したことじゃが、失礼なが から身を避ける剣の心機ーーー』 ら、今の御修行がどれほどなものか、それは知るよしもなし、 『、い機ン」は』 又お目にかかって、言葉の上で伺うよりも、まず先に、無言の『禅機』 じん 『 : : : では、沢庵どのでも、そうした事がおわかりになるか うちに拝見いたそうかとーーちょうど居合わせた仁も然るべき お方ゆえ、如何 ? と計ったところ、・畏まったと、すぐ呑みこの』 まこと 『さあ、どうだか』 まれてーーー真は、彼れなる暗い廊下の壁露地に、そのお方が、 刀の鯉口を切って、お待ちしていたものでござる』 『何にしても、恐れ入りました。わけて、世の常の者ならば、 安房守は、今更、人を試すようなことをした所為を、自ら恥何か、殺気を感じたにしても、度を失うか、又は、覚えのある じているように、そこで、謝罪の意を示して 腕のほどを、そこで見しようという気になろうにーーー後へもど - 一ちら 『 : : : それゆえに、実はわざと、てまえが此方から、渡られって、庭口から木履をはいてこれへお見えになった時は、実は わな 、渡られい、と幾度も、罠へ誘なうつもりで、お呼びしたのこの安房も、胸がどきっと致しました』 じゃが。 それを彼の時、お許には、どうして、後へ戻っ て、庭さきから、此室の縁側へと、お廻りになられたのか ? 武蔵自身は、当然なことと、彼の感服にあまり興もない顔つ あるじもくろ それが伺いたいものじゃて』 きだった。むしろ、自分が主の目企みの裏を掻いた為に、いっ と、武蔵の顔を見入っていうのだった。 迄も、この座敷にはいり難くて、壁の外に佇んでいる者が気の 毒になったので、 くち 武蔵は、ただ唇の辺に、にやにやと笑いを湛えるのみで、ど 『どうぞ、但馬守様に、お席へお着きくださるよう、これへ、 うとも、その解説を与えなかった。 お迎えを願いまする』 ンス そこで、沢庵がいうには、 『ええ』 『いや、安房どの。そこが軍学者のお許と、剣の武蔵どのとの 差じゃな』 これには、安房守ばかりか、沢庵もちょっと驚いて、 『はて、その差とは』 『どうして、但馬どのと、お許に分っておるのか』 っ一 ) 0 ひょうり たたず

5. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

沢庵は、何を思い出したか、杯を下に措きながら、武蔵へ、 『武蔵どのには、ちと面映ゆかろうが』 ひとしき 巻『お通はどうしておるの ? ・ : 近頃』 と、沢庵が、かろく戯れながら断って、一頻り今、話の種に のと、ふしに = = だした。 していたのは、お通のことで、彼女の生い立ちゃら、武蔵との 武蔵は、ちょっと顔を紅らめ、 間がらを打ち明けて、 天その唐突な問いに、一 ふたり 『どうして居りますやら、共後はとんと : : : 』 『この男女は、いずれどうにかせねばならぬが、野僧の役には 『とんと、知らんのか』 向かぬ。ひとっ御両所のおカ添えを借りるのじゃな』 。し』 と、それを基礎に、暗に武蔵の身の落着きを、但馬守と安房 『それは不憫。あれも、いつまで知らぬままにはしておけま守へ計るような、沢庵のロうらであった。 。其許としても』 ほかの雑談のうちにも、 むねのり 宗矩がふと、 『もう、武蔵どのも御年輩。一家を構えられてもよかろう』 『お通とは、柳生谷の父の許にも居たことのある彼の女子のこ と、但馬守もいい、安房守も共に、 A 」カ』 『御修行も、これまで積めばもう十分ーーー』 あわ とどま 、つ と、ロを協せて、それとなく武蔵に、長く江戸へ留ることを 『そ、つじゃ』 最前からすすめているのであった。 沢庵が代って答えるとーーそれならば今、甥の兵庫と共に、 但馬守の考えでは、今すぐではなくても、お通を柳生谷から めあ 国許へ行って、石舟斎の看護をしてくれている筈ーーーと宗矩が呼び戻し、武蔵に娶わせて、江戸に一家を持たせたら、柳生、 手口し、 1 一 1 一口 小野の二家に加えて、三派の剣宗が鼎立し、目ざましいこの道 『武蔵どのとは、そんな以前からの、お知り合いか』 の隆盛期を、この新都府に興すであろうと思うのであった。 と、眼をみはる。 沢庵の気もちも、安房守の好意も、ほばそうした考えに近か つ、 ) 0 沢庵は、笑った。 『お知り合いどころではお座らぬよ。はははよ 殊に、安房守としては、子息の新蔵が受けた恩義に酬いるた ・めに・も、 ( ぜひ、武蔵どのを将軍家御師範の列に御推挙したい ) と、いう考えを抱いていて、それは新蔵を使にやって、武蔵 をここへ呼び迎える前に、話し合っていた事なのである。 ( 一応、彼の人間を見て ) 兵学家はいるが、兵学の話はしよい。禅僧はいるが、禅のぜ の字もいわない。剣の但馬守、剣の武蔵もいながら先刻から、 剣道のことなどは、おくびにも話題には上らないのである。 ふびん みとり み、つき おなご おもは ていりつ

6. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

あが に、崇めこむことじゃよ』 武蔵はぞっと、脊すじに恥を覚えながら、 しつか、膳や銚子などが、 ふたりが、話し こ熱しているまこ、、 『悪名ばかり : 運ばれて来ていた。 と、俯向いた。 ひとかた 沢庵は、その体をしげしげ眺め入「て、彼の「たけぞう」時『 : : : おう、そうそう。安房どの、亭主役じゃ。もう一方の客 をお呼びして、武蔵どのへ、紹介わせてもらいたいの』 代の姿を思い出しているらしかった。 と、沢庵が気付いていう。 『いや何、おぬしぐらいな年頃に、早くも、美名の高いのは、 にいるのは、沢 悪名でも関うまい。不忠、不義、逆膳は、四客分くばられてある。そしてここ むしろどうかな ? 庵、安房守、武蔵と三名だけである。 徒ーーーそんな悪名でない限りは』 姿の見えぬもう一名の客とは誰か ? と、沢庵はいって、 武蔵には、もう分っていた。しかし彼は黙って控えていた。 『さて、次には、そちらの修行ーーー又、今の境遇など、訊きた - し、刀』 四 と、問い出した。 沢庵にそう催促されると、安房守は、少しあわてた顔いろ 武蔵は、この数年のあらましを語って、 『今もって、未熟、不覚、いつまで、真の悟入ができたとも思で、 われませぬ。ーー・歩めば歩むほど、道は遠く深く、何やら、果『お呼びするかの ? 』 と、ためらった。 なき山を歩いている心地でございまする』 そして、武蔵の方を見て、 と、述懐しこ。 そ - 一もと 『ちと、こちらの画策が、共許に見事、観やぶられた形でな 『む。そうなくては』 いささか、発案者のわしが、面目のうて』 と、むしろ沢庵は、彼の嘆息を正直な声として、欣びながら、 と、意味ありげに、言訳を先にする。 『まだ三十にならぬ身が、道のみの字でも、分ったなどと高言 沢庵は、笑って、 するようじゃったら、もうその人間の穂は止まりよ。十年先に 燈生れながら、野僧なども、まだまだ、禅などと話しかけられる『敗れたからには、潔う、兜をぬいで、打ち明けてしまった たくら ほんの、座興の企み、北条流の宗家じゃ だがふしぎと、世間がこの煩悩児をつがよろしかろう。 一と、脊すじが寒い。 もと 賢かまえて、法を聴聞したいの、教を乞いたいのという。お許なとて、そう権式を張っておるにも当るまいて』 っ ) 0 とス 四ど、買いかぶられていないだけに、わしよりは、素裸じゃな。 『元より、わしの負けだ』 法門に住んで怖いのは、人を、ややともすると、生仏かのよう うつむ 、み、よ ひきあ かぶと 〃 5

7. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

人里近くなりにけり 『権之助。大儀ながら、使に行ってもらいたいが』 あまりに山の 『牛込の北条どののお邸へでございますか』 奥をたずねて 『そうだ。委細、武蔵のこころは書中にある。沢庵どの、安房 くちず 武蔵がロ誦さむのを、権之助は頭を垂れて聞いたが、そのま どのへ、そちからも宜しゅうお伝え申しあげてくれい』 ま、使の二品を懐中に、 武蔵は、そう告げて、 『そうそう、ついでに伊織より預かりおる品、そちの手から彼『ともあれ、夜にかかりますゆえ急いで参ります』 うまや 『ウム。拝借の駒、お厩へお返し申しておいてくれい。衣服 へ、戻しておいてはしい』 あか 取出して、書面と共に、権之助の前へさし出した物を見るは、武蔵が垢をつけたものゆえ、このまま頂戴いたしおくと と、それはいっか伊織から武蔵へ預けたーーー父の遺物という古な』 い巾着であった。 『本来、辰のロより今日すぐに、安房どののお邸の方へ戻るべ 『先生』 きなれど、此度のこと、お取止めの御諚あるからには、武蔵の 権之助は、不審顔に、膝をすすめ じきし わけ 『いかなる理でございますか。改まって、伊織からお預かりの身に、将軍家御不審あればこそである。将軍家に直仕召さるる ごじっこん 安房どのへ、これ以上の御昵懇は、おためにもならぬことと思 品までを、遽かにお返しあるとは』 : この儀は、書中には認 うてーー、わざと草庵へ帰って来た。 『誰とも離れて、武蔵は又、しばらく山へ分け入りたい』 『山ならば山へ、町ならば町の中へ、何処までも、弟子としめてないから、其方の口上にて、悪しからず伝えおいてくれる ト 6 , っ』 て、伊織も手前もお供いたす所存にござりますが』 : とにかく手前も、今宵のうちに、直 『永くとはいわぬ、両三年が間、伊織の身は、そちの手に頼『承知いたしました。 ぐ戻って参りますから』 む』 もう赤々と野末にタ陽は沈みかけている。権之助は、駒のロ : ではまったく、隠遁の御意思で』 輪を把って、道を急いだ。師のために貸し与えられた他家の鞍 『まさか なので、返しにゆくには、勿論、その駒には乗らない 音武蔵は笑いな、がら、膝を解いて、うしろに手をつかえ、 『乳臭いわしが、今から何でーー。先にいった大望もある。あも見てはいないし、空いている駒たが、曳いて歩くのであっ れやこれ、慾もこれから。迷いもこれから。 , ー。ー誰が歌か、こ 赤城下に行き着いたのは、夜も八刻頃であった。 ういうのがあった』 どうしてまだ帰って来ないのか ? 天 かたみ やつごろ 2 イ 3

8. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

には、この牛込まで、かなりの道であったに違いない。 ぐこの部屋の高い位置に気付いた。庭の崖先から真下に、江戸 巻『ここです』 城の北の濠が見え、城壁をつつむ丘陵の森と対して、昼間はさ の赤城坂の下。 ぞと、ここからの展望も偲ばれるのであった。 天一方は赤城神社のひろい境内であり、坂の道を隔てて、それ『 : ・ 音もなく、火燈ロのふすまが開く。 一一に劣らぬ広い土塀をめぐらした宅地がある。 土豪の門のような、そこの構えを見て、武蔵は鞍を下り、 美しい小間使が、楚々と、彼の前に、菓子、茶、煙草などの 『御大儀』 もてなしを供え、無言のまま退がって行った。 と、新蔵へ手綱を返す。 その艶な帯や裾が、壁から出て壁へ吸われてゆくようにかく 門は開いていた。 れると、後には、ほのかな香いだけが漂って、ふと武蔵 彼が曳き込む駒のひづめが戛々と邸内へひびくと、待ちもう「女」なるものを、忘れていた胸から思い起させた。 あるじ けて居たらしく、紙燭を手にした侍たちが、 しばらくすると、小姓を従れた主がそこへ現れた。新蔵の実 『お帰り』 父安房守氏勝である。武蔵のすがたを見ると、非常に馴々しく と、出迎えて、彼の手から又駒を受けとり、そして客の武蔵 いや自分の息子たちと同年輩なので、やはり子どものよう の先に立って、 に見えるのであろうか、 『御案内いたしまする』 『ゃ。ようお越し』 しつ と、新蔵と共に樹々の間を縫って、大玄関の前まで来る。 と、厳めしい辞儀などを略して、小姓の設らえた敷物へ、武 すでに、そこの式台には、左右に明るい燭台を備え、用人ら将らしくあぐらをくみ、 しい者以下、安房守の召使がずらりと頭を下げていた。 『ーー。・聞けば伜の新蔵が、しかい御恩になったそうな。お越し 『お待ちうけで御座ります。どうそそのまま』 を願うて、礼をいうなどは、逆礼じゃが、ゆるされい』 『ーー御免』 と、扇の先に、手を重ねて、高い頭をちょっと下げた。 武蔵は、箱段を上って、家人の導くままに歩いた。 『恐れ入る』 ここの家造りは変っていた。階段から階段へ、上へばかり登 と、武蔵も、かろい会釈をして、安房守の年輩を見ると、も やぐらぐ って行くのである。赤城坂の崖へ依って、櫓組みに幾部屋も、 う前歯は三本も抜けているが、皮膚の艶は、老人ぎらいな負け 積み上げられてあるのであろう。 ん気をあらわし、少し白いのも交ってはいるが、太い口髯を、 じわ 『しばらく、御休息を』 左右へ生やして、その髯が又、歯のない唇のまわりの梅干皺を 一室へ通して侍たちは退がってゆく。武蔵はそこへ坐るとす巧くかくしているのであった。 かっかっ あで かとうぐち

9. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

てしまったような気がしていた。その後、独りでばつねんとこ 月次郎は、そういったきりだったが、、いの安からぬ顔いろを こに待たされていた時間も長かったので、すぐ帰りたかった カ臆しているように思われてもと、腰をすえて、 西陽を見て、彼が、 『では、おもてなしに甘えようか』 『帰る』 と、杯を取った。 あく と、 しい出したので、明は、姪のお光にい、つけ、 そして小次郎は飽まで、忠明を眼下に見た。心で眼下に見な としより 『お老婆の手をひいて、坂の下までお送りして行け』 がら、ロでは、 自分も今日まで随分、達人にも出会った っ , ) 0 さすがに、一刀流 が、まだ貴公のごとき剣に対した事はない まっすぐ てんたん の小野と音に響いただけのものはあるーーーなどと褒めて、おの恬淡で、真直で、柳生のように、政客との交わりなどもな かた 、粗朴な武士気質の人で通って来た治郎右衛門忠明の姿が、 れの優越感を、その上へもっと高めた。 若い、強い、覇気満々だ。酒を飲んでみても、敵わないこと江戸から見えなくな「たのは、それから間もなくであ 0 た。 ( 将軍家にも、直々、近づける身なのにー を、忠明は体に感じてくる。 いくらでも出世の先があったものを ) ( うまく勤め上げれば、 けれど、大人の忠明から彼を見ると、自分には敵わないとは と、彼の遁世を幟誑しが「た世人は、やがて佐々木小次郎に 思いつつ、いかにも危い強さ、若さであると田 5 った。 ふう みが 彼が負けたという事を誇大に取って、 ( この素質を、よく磨けば、天下の風はこの人に靡こう。 おそ ( 小野治郎右衛門忠明は、発狂したのだそうだ ) だが、悪くすれば、善鬼になる惧れがある ) と、いい伝えた そう惜しんで、忠明は、 ( 弟子ならば ) のど と、その忠言を喉まで出しかけたが、遂に、何もいわなかっ そして小次郎の言葉には、なんでも、謙虚に笑って答えた。 雑談のうちに、武蔵のうわさなども出た。 近頃、忠明が聞いた事として、北条安房守や僧沢庵の推 狂 発薦で、又新たに、宮本武蔵という無名の一剣士が、抜擢されて という話なども、彼が洩ら 師範の席に加わるかも知れない 力な カ′ なび ノ 53

10. 宮本武蔵(三) (吉川英治)

と、語尾を消して、 『いや、あなたの事は、その父の手紙にも、又沢庵どのか・ら わけて、唯今の御要意には感 も、よく聞いておりました。 じ入る。不作法には似たれども、かねがね此の身へ御所望の試 さわ 合も、これで果したと申すもの。お気に障られな』 温厚な風が、武蔵の貧しい姿を和らかにつつむのであった。 うわさに違わず、但馬守は聡明な達人であると、武蔵もすぐ感 五 『おことば、痛み入りまする』 『むむ、御明察』 武蔵は自然、彼の挨拶以上に、身を低くして、そういわざる と、安房守が感嘆して、頷いて見せると、沢庵も、 『その通り、但馬守どのに相違お座らぬ。あいや、物陰のおを得ない。 但馬守は、たとえ一万石でも、諸侯の列に在る人である。そ 人、もう知れておる。これへ御座あってはどうか』 室外へ向っていうと、そこで笑い声がひびいた。やがて這入の家格からいっても、遠く天慶年代から柳生ノ庄の豪族として むわのり しうまでもなく、初対面であっ知られ、しかも将軍家の師ではあり、一介の野人にすぎない武 って来た柳生宗矩と武蔵とは、、 蔵とは、比較にならない権門の出である。 同席して、こう語りあう事すらが、すでに当時の人の観念で その前に、武蔵はすでに、末席に身を退いていた。但馬守の 彼まそこへ坐らずは破格であった。だが、ここには旗本学者の安房守もいるし、 ためには、床の間の席が開けてあったが、ノ。 又、野僧の沢庵も、極めて、そういう隔てにはこだわらすにい 武蔵の前へ来て、対等の挨拶をした。 るので、武蔵も救われた心地で坐っていた。 『身が、又右衛門宗矩でござる、お見知りおき下さい』 やがて、杯を持つ。 武蔵も亦、 かわ 『初めて御意を得ます。作州の牢人、宮本武蔵と申す者、何銚子を酌み交す。 談笑がわく。 分、この後は御指導を』 - 一とづ そこには、階級の差もない、年齢のへだてもない。 オカ折わる 一『先頃、家臣木村助九郎から、お言伝ても承っ , : 、、 武蔵は、思うに、これは自分への待遇ではなく、「道」の徳 賢く、 国許の父が大患での』 であり、「道」の交わりなるが為に、許されているのである。 四『石舟斎様には、その後の御容態、いかがにございまするか』 『そうだ』 『年齢が年齢でござれば、いっとも : と、訊ねた。 武蔵は、但馬守に、上座を譲るべく、席を退がりながら、 『暗うはござりましたが、あの壁の陰にひそと澄んでいた 気、又ここのお顔ぶれといい、但馬様を措いて、余人であろう とは思われませぬ』 と、答えた。 こ 0 やわ ノ 27