すんごう せぬが、藩政に御関与なさるる長岡様、岩間様には、寸毫で 四 も、左様な疑いを領民に抱かせては成りませぬ』 の拒みかねて、つい武蔵も、ともども歩き出したが、 『いやあ、なるほどの ! 』 『いや。やはりお断りいたしましよう。御好意を無にいたすよ老人達は、大きく答えて、 明 、フで、ごギ、るが』 『それで、御身には、御家老のお邸へ、わらじを解くことを、 円 立ち淀んで、辞退すると、人々はロを揃えて、 憚って参られたのか』 『なぜじゃ。折角、われら同郷の者が、御身を迎えて、大事の 『いや、それは理窟で』 卩口を、祝お、つというのに』 武蔵は、微笑に打消し、 『佐渡様の思し召もそうじゃ。佐度様にも悪しかろうに』 『実のところは、生来の野人、気ままに居りたいのでござる』 『それとも、何そ御不服か』 『お心もち、よく相分った。深く思えば、満史、火のない煙で すこし感情を害したらしく、わけて無二斎とは生前莫逆の友はないかも知れぬ。われらには覚えなくとも』 だったという内海孫兵衛丞などは、 武蔵の深慮に人々は感じた。然し、このまま立ち別れるのも 『そんな法やある』 残念と、一同は額をよせて何やら話しあっていたが、やがて木 なみ といわんばかりな眼である。 南加賀四郎が、一同に代って、次のような希望を述べた。 『決して左様な心底ではございませぬが』 『ーー実は毎年、きようの四月十一日には、吾々どもの寄りあ 慇懃に詫びたが、慇懃だけでは済まさす、理由はと、たたみう会合がござって、十年来、欠かした事もないのでござる。そ かけられて、武蔵は是非なく、 れには、同郷六名と、人数も限り、人を招かぬ会でござるが、 『。ーー巷のうわさ、取るに足らぬ事ですが、この度の試合を以貴殿なれば、同じ国者、わけてお父上無二斎殿の御親友もここ て、細川家の一一家老、長岡佐渡様と岩間角兵衛様とを対立して には居るので、よかろうではないかと、ただ今、評議したので たいじ 見、そうふたつの勢力に拠って、一藩の御家中も対峙しておござるが、御迷惑は察し入るが、その方の席へでも、お越し下 る。そして一方は巌流を擁して、いよいよ君寵のお覚えを恃さるまいか そこなれば、御家老のお邸とは事ちがい、世 み、長岡様にも亦彼を排し、御自身の派閥を重からしめんとし 間の眼もなし、うわさの的になる筈もござらぬが』 なお ておるなどと、あらぬ事を、道中などにても聞き及びました』 猶、つけ加えて。 あなた 最前は又、もし貴方が、すでに長岡家へ見えられて居たら、 『おそらくは、巷の風説。俗衆の臆測でございましよう。 自分等のその会合は先へ延ばすつもりで、念のため同家へ寄っ さわ 然し、衆ロは怖しい。一介の牢人の身には、障る所もござりまて訊ねてみたのであるが、いずれにしても長岡家へお泊りを避 いんん ちまた たの まと イ 72
円明の巻 て、他にべつだんの用も御座らねば』 『でも、せつかくのお越しを。 : 後にて主人がいかばかり残 り惜しゅうどわれるかもしれませぬ』 と、取次の家士は、自分の一存だけでも、帰したくないよう に引き止めて、 『では、しばらく御待ちください。佐渡様には御不在ですが、 一応奥へ』 AJP しし残して、急いで奥へ告げに行った。 すると、廊下を。 すでに巌流のやしきへは、早耳に伝わっていた通りに。 ばたばたっと駈けて来る跫音がした。 レ」田 5 、つム山面に、 武蔵の姿は、同日の夕方には、もう同じ土地に見出すことが『先生っ』 できた。 式台から飛び降りて、武蔵の胸へ抱きついた少年がある。 武蔵は、海路の旅を経て、それより数日前に、赤間ヶ関へ着『オオ、せ籤、 ィー↓、刀』 いていたらしいが、誰あって彼を彼と知る者はなく、又、彼自『先生 : : : 』 身も、何処かへ引籠ったまま、身を休めていたらしい。 『勉強しているか』 むこおか その日、十一日には、向う陸の門司ヶ関へ渡り、やがて小倉『ええ』 の城下に入り、藩老長岡佐渡のやしきを訪れ、到着の挨拶を述『大きくなったなあ』 べ、又、当日の場所、時刻、承知の旨を一応答えて、すぐ玄関『先生』 で帰るつもりであった。 『なんだ』 取次に出た、長岡家の家士は、彼のことばを受けながらも、 『先生は、わたくしが、ここに居ることを知っていたのです この人がさては武蔵であるのかと、額ごしに、まじまじ見てい 『長岡様の手紙で知った。そして又、廻船問屋の小林太郎左衛 『まことに、行届いた御挨拶。主人はまだお城よりお退りはご 門の宅でも聞いた』 ざいませぬが、はや、間もなくと存じます。 どうそお上り 『だから、驚かなかったんですね』 くだされて、御休息でも』 『むむ。 : 当家の御世話になっておれば、そちの為には、こ 『忝けのうござるが、ただ今の御伝言さえ願えれば、それに の上もなく安心だからの』 馬 の 8
にあやかりますよ、つに』 と思い、長岡家では、彼の宿所を、手分けして探していた 『滅相もない。われ等ごときにあやかったら、馬の沓を作らね 『なぜ引き留めて置かなかった』 ばならぬぞ』 と、用人も取次も、後では主人の長岡佐渡に、かなり叱られ どて たこと間違いな、。 小石まじりの土が、堤の上から少しばかり、草間を辷ってく - 一うもり ゅうべ ずれて来た。人々が振り仰ぐと、ちらと、蝙蝠のような人影が昨夜、到津の河原へ武蔵を迎えて飲んだという六名の仲間 かくれた。 も、佐渡にいわれて探し歩いていた 『誰だっ』 が、分らなかった。 木南加賀四郎は、おどり上って行った。押っとり刀で又一人杳として、武蔵の姿は、十一日の夜から行先が知れないので あった。 つづいた。 堤の上に出て夜霞の遠くを見ていたが、やがて大きく笑いな 『こまった車・ ! 』 明日を前にして、佐渡は白い眉毛に焦躁をたたえていた がら、下の武蔵や友達へ向って告げた。 『巌流の門人らし、 し。こんな所へ武蔵どのを招いて、われ等が巌流は、その日。 首を集めているので、助太刀の策でも密議していると、変に取久しぶりに登鹹して、藩公から懇篤なことばと、お杯をいた だいて、意気揚々、騎馬でやしきへ退がっていた ったのじゃあるまいか。あわてて、駈け去って行き申したが』 『あははは。その疑い、先方にしてみれば無理もない』 城ドには、夕刻頃、武蔵について種々な浮説が伝えられてい らいらく ここの人々は、あくまで磊落であったが、こよいあたり、城 下の空気がどう動いているか、武蔵には、ふと考えられた。 ュ臆して、逃げたのだろう』 『逃亡したに違いない』 長座は無用。同郷の縁故があるだけに、猶さら、いしなけ ればならない。かかる武士たちへ、よしなき累を及ばしては済『どう探しても、皆目、姿が見つからないそうだ』 いうのである まぬ。武蔵はそう考えついて、十分に人々の好意を謝し、一足と、 むしろ ひょうぜん さきに、楽しい河原の莚を辞して飄然と去った 0 飄然 しかにもそういったふうな武蔵の去来だったのである。 の 翌日。 馬すでに十二日である。 当然、武蔵はどこか、小倉鹹下に泊って、待機しているもの 477
ンス いって坐った。 『何か知らないが、先頃からお住居の方に、お若いお武家が一 その挨拶にも、縫殿介は、カぬけを感じたが、すぐ長岡佐渡 巻人、泊っていることは居るようです』 、つ のと、 しい足した。 の書面をさし出し、又、口上でも、 『それはそれは』 月『ああ、やはり此家に』 めいのすけ 武蔵は、手紙へ頭を下げて、封を切った。伊織は、その姿 縫殿介と伊織とは、顔見合せてにことした。住居はすぐ店の 円 はまなや を、穴のあくほど見つめていた。 浜納屋つづきである。主の太郎左衛門に会って、 『 : : : 佐渡様の田 5 し召、ありがたい事に存じますが』 莱には当家に御逗留でごさいましようか』 『武蔵本 武蔵は、読み了えた手紙を巻きながら、ちらと、伊織の顔を 『はい、お在でになります』 『それを聞いて、安心いたしました。昨夜来、御家老にも、ど見た。伊織はあわてて俯向いた。眼から涙があふれかけたの れほど、御心配なされていたか分りませぬ。早速、お取次を願で しと、つ、こ六、るカ』 太郎左衛門は、奥へはいって行ったが、すぐ戻って来て、 武蔵は、返事をしたためて、 『武蔵様は、まだお部屋で、お寝みになっておりますが : 『委細、書中にいたしましたれば、佐渡様へは、よろしゅうお 『えっ ? ・』 伝えを』 思わず、呆れ顔して、 との事だった。 『起して下さい。それどころでは御座らぬ。いつもこう、朝は そして、船島へは、自身、頃を計って出向くゆえ、お気遣い 遅いお方でござるか』 レ ) ・も - いっこ。 『いえ。昨夜は、てまえとさし対いで、深更まで、世間ばなし 帰るま やむなく、二人は、返書を持ってすぐ辞した。 に興じておりましたので』 召使を呼んで、縫殿介と伊織を、客間へ通しておき、太郎左で、伊織は遂に何もいえないでいた。武蔵も一言もことばをか けてやらないのである。然し、無言の中に、師弟の情と、言葉 一町」よ、武蔵を起しに一何った。 間もなく、武蔵は、二人の待っている客間へ姿を見せた。十以上のものは尽きていた 二人の戻りを、待ちかねていた長岡佐渡は、武蔵の返書を手 分、熟睡をとった彼のひとみは、嬰児の眼のようにきれいだっ にして、ますほっと眉をひらいた 文面には、 その眼元に、微笑を寄せながら武蔵は、 つかわ べきむね きけられ 『ゃあ、お早く。 何事でござりますか』 私事、お許様御舟にて、船島へ遣さる可旨、仰せ被聞、 あるじ あかご うつむ
『今朝お立ちになる昨日まで、武蔵殿は、てまえの門内の長屋 にお住居でした。その居所が小倉へ聞えたので、小倉からも度 度、書面の通ううち、お連れの伊織殿も今では長岡家に居ると 港を出たばかりの船は、彼方に見えているのに、わずかな遅やらで』 : では伊織は、無事におりまするか』 刻で、それに間に合わなかった若者は、返す返す地だんだを踏『えつ。 権之助は、今日の今、初めてそれを知ったらしく、そしてむ んで、 『ああ、遅かった。こんな事なら眠らずにでも来るのだったのしろ、茫然たる面持だった。 『ともあれ、ここでは』 、ゝ」月り . と光悦に誘われて、近くの磯茶屋の床几を借り、交 及ばぬ船の影を見送っている眼には、ただ乗遅れただけでは あってみると、権之助が意外としたのもむりはない。 、もっと切実な恨みがみえた。 ゆきむら げつそう 月叟伝心ーー = ・九度山の幸村は、あの時、権之助を一見する 『もしや、権之助どのではありませぬかな』 イ、す霍な 同じように、船が出ても、なお佇んでいた人々の中から、光と、遉にすぐ、権之助の人となりを知ってくれた。 で、彼の繩目は、 悦がその姿を見かけて、近づきながら声をかけた。 じよ - っ ( 部下の過失 ) 夢想権之助は、その手についていた杖を、小脇へすくって、 と、即座に、幸村の謝罪と共に解かれ、禍はかえって、ひと 『お。あなたは』 りの知己を得る幸いになった。 『いっか河内の金剛寺でお目にかかった : それから、紀伊越の山の割れ目に墜ちた伊織の身を、幸村の 『そう。忘れてはいませぬ。本阿弥光悦どの』 『御無事でお在でられたとは、さてさてめでたい。実は、仄か配下の者も、力を協せて探してくれたが、杳として、きようま で、生死も知れなかった。 に、おうわさを聞き、生死のほども案じておりましたが』 断層の谷間に、死骸は見あたらないので、 『誰に聞きましたか』 ( 生きている ) 『武蔵どのから』 : はて、どうしてであろう』 とは、確信していたものの、それだけでは、やがて、師の武 路『え。先生のお口から ? 潮『あなたが、九度山衆に捕まって、どうやら隠密の疑いで、害蔵にあわせる顔もない 以米、権之助は、近畿をたすね歩いていた。 のされたかも知れぬという消息は、小倉の方から聞えて来たので 稀、ズ巷間には、近く武蔵と細川家の巌流とが、一戦の約を 細川家の御家老、長岡佐渡様のお手紙などから』 果すとか、もつばら噂もあって、武蔵が京あたりにいるらしい 『それにしても、先生が御存じの仔細は』 と、船出の後へ、駈けつけて来た旅の者があった。 かなた ほの たまたま あわ
も、各藩の剣人たちのうちにも持たれていたのが、意外なくら 巻『今日は、お前の先生の武蔵とやらはどうしたな。 : この頃いであった。 のは、あの先生の側には居ないのか』 郷土的な関係もあろう。武蔵の生地も自分の生れた土地も共 問われると、伊織は突然、シュグと鼻をすすって、鼻と拳の に中国だし、又、武蔵の名声も自分の名も、江戸にあって考え るのとは想像以上に、郷土や西国一帯には話題となっていたの 円間から、ばろばろと涙をこばした。 である。 なお必然、細川家の本藩支藩を通じても、伝え聞く武蔵を高 佐渡が、伊織を知っていたのは、巌流にも、意外であった。 く評価する者と、新任の巌流佐々木小次郎を偉なりとする者と けれどその長岡佐渡は、自分が細川家へ仕官する前から、自が、何とはなく対立していた。 あっせん 分の今の位置へ、宮本武蔵を推挙していた者であり、猶その後 その一方に、巌流を細川家へ斡旋した同じ藩老の岩間角兵衛 も、君公とつがえた約を果さねばならぬとかいってー。ー折あるがある。だからこの空気は、大きくは天下の剣人達の興味から いどころ 毎に、武蔵の居所を心がけているとも聞いているので、 起ってもいるが、その真因は、藩老の岩間派と、藩老の長岡派 ( 何かの時、伊織を通じて武蔵と知ったか、武蔵をさがす為との対立が醸したものだと観るものもあった。 で。いすれにせよ に、伊織を知ったか。とにかく、そんな縁故だろう ) と巌流は、察した。 巌流が佐渡に或る感じを持ち、佐渡が巌流に好意をもってい けれど巌流は、 ないことも明白なのだ。 ( この少年を、どうして御存じか ? ) 『お支度ができました。胴の間のお席の方も、どうぞいつで いとぐち とは、強いて訊いてみる気がしなかった。そんな緒口から、 も、船へお越しくださいまし』 佐渡とのあいだに、武蔵の名が話し こ・出ることは、好ましくな その時。 か・一がしら 巌流にとっては、折もよく、巽丸の水夫頭が迎えに来たの だが、好むと好まないとに関らす、いっか一度は、武蔵と相で、 会う日がきっと来るに違いないことは、巌流もひそかに予期し『御老台、ひと足お先へ』 ていた。 それは又、自分と武蔵との従来の経歴が、何とな と、佐渡へいい、他の家中の者をも誘って、あわただしげ くそうして来たばかりでなく、君公の忠利も予期し、藩老の長 、船の方へそろそろ立去った。 岡佐渡も予期しているところである。いや、彼が豊前小倉へ着佐渡は、後に残って、 たそがれ 任してみると、そういう期待は、果然、中国、九州の民間に 『船出は、黄昏だの』 たつみ 322
『太郎左衛門殿つ、太郎左衛門殿っ』 ざりまする』 声は、家の外だった。 と、答えた。 庭先の下の干潟へ、細川藩の早舟が一艘、漕ぎ寄せていた。 武蔵は、うなずいて、 その早舟の上に突っ立っている侍が呼んだのだ。 『左様か』 がせん めいのすけ 『おう、縫殿介様で』 と、つぶやいたきり、又、白い画箋に向って、もくねんとし てした 縫殿介は、舟から上らなかった。縁に太郎左衛門の姿が見え ふすま たのを幸いに、そこから仰向いて、 太郎左衛門は、そうっと、襖をしめて、元の座敷へ退って行 った。ーーー他人事でなく、気にはかかるが、どうしようもなか『武蔵どのには、もはや、お出ましなされたか』 っこ 0 と、訊ねた。 太郎左衛門が、まだ と答えると、縫殿介は早口に、 元の位置に、自分も落ちつくつもりで、しばらく坐ってみた 『では、少しも早く、御用意をととのえて、お出向き下さるよ が、時刻が、時刻が、と思うと、坐ってもいられなくなる。 すでに相手方の佐々木巌流どのにも、 つい立って、浜座敷の縁へなど出てみた。海門の潮は今、奔う、お伝え下さい 流のように動いていた。浜座敷の下の干潟へも、見ているうち藩公のお舟にて、島へ向われたし、主人長岡佐渡様にも、今し 方、小倉を離れましたれば』 に、ひたひたと潮は上げて来る。 『お父さま』 『かしこまりました』 「くれぐれも、卑怯の名をおとりなさらぬよう、老婆心までに : 何をしているのじゃ』 『お鶴か。 『もうお出ましも間もないかと、武蔵様のお草鞋を、庭ロのほ一言をーー』 かえ うへ廻して参りました』 しい終ると、先を急くように、早舟はすぐ櫓を回して、漕ぎ 去った。 『まだだよ』 『どうなされましたか』 が。太郎左衛門もお鶴も、奥の静かな一間を振り向いた : よいのかなあ、 のみで、そのまま、わずかな時間を長い気持で、縁の端になら 『まだ、画を描いていらっしやるのだよ。 1 一ゆる 人 んで待っていた。 あんなに御悠りしていて』 の 。日一 : っレ」 7 もーし けれど、いつまでも、武蔵のいる部屋の襖ま、目 こ『でも、お父さまは、お止めしに行ったのじゃないのですか』 人『ーーー行ったのだが、あの部屋へ行くと、妙に、止めるのもおなかった。物音らしい気配も洩れて来なかった。 二度目の早舟が又、裏の干潟に着いて、一人の藩士が駈けあ 彼悪い気がしてなあ』 がって来た。こんどの使は、長岡家の召使ではなく、船島から すると、何処かで、 ひがた わらじ ふすま
『あれは、吉野やないか』 条車町の細川邸の侍たち二、三名。 『柳町の ? 』 又、烏丸光広卿の名代として供連れの公卿侍の一行。 『そうじゃ、扇屋の吉野太夫』 それから、半年はどの京都滞在中に、何かと知り合いになっ と、袖ひきおうて囁いた。 た者や、彼が拒んでも拒んでも、彼の人間と剣を慕って、彼を 武蔵は、紹益から、 師とよぶ者たちが、それは無慮二、三十名以上もあろうか ( わたくしの妻で : : : ) 何しろ武蔵にとってはやや迷惑すぎるほどな同勢をもって、見 とは引き会わされたけれど、前の吉野太夫であるとは紹介さ送りに加わっている一団もあった。 れなかった。 で 又、顔にも、覚えがない。扇屋の吉野太夫ならば雪の夜、牝送らるる武蔵は、語りたい者とは却って語りあう間なく独 丹を焚いてもてなされた事がある。彼女の琵琶にも耳澄ました り船に移ってしまったのであった。 覚えがある 行先は、豊前の小倉。 が、武蔵の知っているその人は初代吉野であって、紹益の妻そして彼の使命は、細川家の長岡佐渡の斡旋で、佐々木小次 なる女性は二代吉野なのであった。 郎と、積年の宿題たる試合の約を、果すにあった。 寺一レ一 花散り花開く 廓の年月はいとど流れが早い。 もちろん、このはなしが、具体的に極るまでには、藩老長岡 あの夜の雪も、あの牡丹の薪の炎も、今は夢かのようであ佐渡の奔走や文書の交渉がかなりあって、武蔵が、昨秋以来、 る。その時の初代吉野のすがたも、今はどこに、人妻になって京の本阿弥光悦の長屋にいるということが分ってからでも、約 半年もかかって、ようやく、まとまった事なのであった。 いるやら、孤独やら、うわさもないし、知る人も絶えてない。 『はやいものですね。初めてお目にかかった頃から思うと、も う七、八年は経っている』 光悦も、船まで歩きながら、ふと呟いた事だった。 路武蔵も、転、歳月の思いにたえなかった。 今日の船出 潮が、何となく、人生の一期劃のように思われもして。 の さて又。 世その日、彼をここに見送った人々の中には、以上ふたりの旧 知を始め、妙心寺の愚堂門下にすっといる本位田又八。京都三 たん 巌流佐々木小次郎と、いっかは一度、一期の面接は避け難い であろうとは、武蔵も疾く期していた事だった。 遂に、その日が米た。 武蔵は、こんな晴がましい人気を負ってその場へ臨もうなど とは露だにも予期していなかった。 おおよう きようの出立にしても然りである。こういう大仰な見送りな 379
やがて又。 『大助どの、誰か呼んでおりますそ』 と教えつつもそれへ眼を注ぐ。 巻お互いに馬上長槍の姿を、その時ふと描いて胸につぶやき合 あんず のったであろう。だが、塀ごしの杏の花は、しとどに散って、送ぜひなく、彼は、 りんしよう ! う あるじ ゆくはるふ 『おお、林鐘坊どの。何処へ』 明る主と、去る客の蓑を、惜しむ行春の斑にしらじらと彩った。 さりげなくいい寄ると、山伏は、 大助は、送って行きながら、その途々、 円 これから山のお屋敷へ直ぐ参ろう 『さしたる降りはありませぬ。晩春の空癖で、山には一日一度紀見峠からいっさんに はやてぐも と思って』 ずつ、きっとこんな疾風雲が通るのです』 っこ 0 ンス と、声高に立話をし始め、 だが雲脚に追われて、おのずと足も急いで来ると、やがて学『先頃、知らせを受けていた怪しげな関東者を、奈良で見つ むろ 、けど 文路の宿の入口あたりで、彼方から駈けて来る一駄の馬と、白け、やっと紀見の上で、擒ったのでござる。人なみ優れて、 げつそう 面だましいの剛気なやっ、月叟様の前にひきすえて、泥を吐 衣の山伏に行きあたった。 かせたなら、関東方の反間の機密などが、或はこの者の口か 九 あら′一も 黙っていれば、問わぬ事まで、立板に水のような調子で誇り 荷駄の背には荒菰を蔽いかけてある。そしてがんじがらみに した男の体を鞍の上にくくしつけ、両側から柴の薪束を抱き合顔に喋舌り出すので、大助も遂に、 せてある。 『これこれ、林鐘御坊、何をいうのか。わしにはいっこう分ら 山伏は、先に駈け、旅商人ていの男が二人、ひとりが手綱をぬが』 その馬の背に引ッ縛ってある奴 持ち、ひとりは細竹を持って、馬の尻を打ちたたきながら、急『ご覧じませ。馬の背を。 こそ、関東者の隠密で』 ぎに急いで来たのだった。 『ええ。ばかな』 と。その出合いがしら。 大助のほうは、はっと眼を反らし、わざと連れの長岡佐渡堪らなくなって、もう眼や顔つきでは、間に合わなくなった ように、大助は一喝した。 へ、何か話しかけたが、その眼に気づかず、山伏のほうは、 『往来ばたでーー・しかも、わしのお供いたしておるお客を誰そ 『おうつ、大助様っ』 はず と田 5 、つ。 ーー豊前小倉の細川家の御老臣、長岡佐渡様。滅多な と、弾み声で、呼びかけた。 いや戯れも、ほどこ、 ししたしたがよい』 にも関わらず、大助はなお、聞えぬふりをしていたが、佐渡ことを : ぬいのすけ 『えっ ? 』 と縫殿介とは、異な顔をして、すぐ足を止め、 しゃ・ヘ はんかん すぐ 306
『、つまくつけましたな』 するーー下界のにおいや、その身自身の人間くさい心の垢も、 、いにいっか戻っていた 『迷いも実。悟りも真。わしはそう思う。嘘と観たら、この世 『あっ。あなた様は ? 』 いや御主君に一命をさし上げている侍奉公 はないからな。 とある山道の曲りかど。 の身によ、、 カりそめにも虚無観があってはなるまい。わしの禅 しやば といって美少 は、故に、活禅だ。娑婆禅だ、地獄禅だ。無常におののき、世出あいがしらに、体つきの大きな色の白い 年では決してないがーー卑しくない若侍が眼をみはって立ちど を厭う心があって、侍の奉公が成ろうか』 まった。 といって、老武士は、 『わしは此っ方へ渡るーー。・さあ、元の世間へ急ごうそ』 足を早めて先に立つ。 かぶとしころ、、 や、あなた様は ? 年のわりに足が慥かである。襟くびに兜の錣すれらしい痕も みえる。山上の名所や堂塔の美もすでに一巡し、奥の院の参詣 と声をかけられて、老武士と若党の縫殿介も、はっと足をと げざんぐち もすまし終ったものとみえ、その足どりはもう真直に下山口へめ、 かカる 『どなたで御座るか』 訊ねると、 『よう、出ておるな』 下山口の大門まで来ると、老武士は遠くからつぶやいて、ふ『九度山の父から申しつかって、使に参りました者にござりま せいがんじ ば・つレ : っ と迷惑そうな眉をひそめた。そこには、本山青巌寺の房頭からすが』 と、その若侍は、、 しんぎんに礼儀をした後、 学寮の若僧たちが二十名以上も、列を左右に割って、待ちうけ ていた 『もし、間違いましたら、おゆるし下さいまし。道の辺で失礼 老武士の見送りにである。老武士はそんな手数を煩わすこと にございますが、尊台はもしや、豊前小倉よりお越しの、細川 こん′一うぶじ ただとし を避けるために、すでに今朝立っ時、金剛峰寺で一同にわかれ忠利公の老臣長岡佐渡様ではござりますまいか』 の辞を尽くして出たのであるから、重ねて又、ここで大勢の見『え。わしを佐渡とーー・』 しのび おどろ ぶ 老武士は、さも愕いたらしく、 送りをうけた事は、好意には感謝しても、かえって微行の身に そ - 一もと 帯 わし は、有難迷惑と思ったにちがいなかった。 『かような所で、御存じの其許は、い ったい誰じゃ。 を 雨 が、そこの儀礼ゃあいさつの取り遣りも済まして、九十はその長岡佐渡にちがいないが』 『ではやはり、佐渡様でございましたか。申しおくれました 春九谷という谷間谷間を眼の下に、降り道を急いで米ると、や「 げつそう と、気もらくになり又、彼のいわゆる娑婆禅や地獄禅を必要とが、わたくしは、この麓の九度山に住居しておる隠士月叟の一 たし ぬいのすけ あか