ちょう もある方がむしろ賢いことだし、それも一挺や二挺ではないも 五 のと見なければなるまい きゅうはん だが、彼の位置からは、下り松の梢だけにしか発見できなかっ のめるような急坂だった。豪雨の日でもあればそのまま滝と もろ た。飛道具の者が皆、樹の上に潜んでいるものという見解を持 なるような道に、洗い出された石ころが脆い土にすがっている。 か力と 武蔵が、一気に駈け下りてゆくと、石ころや土が、彼の踵をつのも早計であり危険である。半弓ならば岩のかげや低地にも しじま 珀いかけて静寂を破った。 かくれていようし、鉄砲ならば、この山腹から撃っても中たる。 然し、たった一つ武蔵にとって有利だったのは、樹の上の男 なにものかが目に触れたのであろう、武蔵は突然、体を鞠にも、樹の下の一かたまりも、みなこっちに背を向けていること して、草の中へ転がった。 だった。追分から三方へ道がわかれているだけに、彼らは背後 草はまだ朝露を一滴もこばしていない。膝も胸も水びたしにの山を忘れていた。 なってしまう。かがみ込んだ野兎のように、武蔵の眼は下り松 這うように武蔵は徐々と身をすすめた。刀のこじりの高さよ こずえ の梢を凝視する。 りも頭の方を低くして出て行った。そして遽に小走りになり、 あしかず きよしよう はか 足数にしても、そこまではもう何十歩と眼でも測ることがでツ、ツ、ツ、ツ、ツ と巨松の幹へ近づきかけると、二十間 きよう。そして下り松の辻の位置はこの坂下より更に幾分か低ほどてまえで、 地になっているため、その梢も比較的低く見られる。 武蔵は見た。 稍の男が、ふと、その影を発見して、 樹の上に潜んでいる人影を。 『武蔵だっ ! 』 しかもその男は飛道具を持っているらしい。それも半弓では と、叫んだ。 ない、鉄砲らしいのだ。 天空からその声が響いたにも関わらず、武蔵はまだ、同じ姿 ( 卑怯な ! ) 勢のまま十間は確かに駈けた。 いきどお と、憤ってまた、 彼は、その秒間だけは、決して弾が来ないということを、胸 うち また 路 ( 一人の敵に ) の裡で計っていた。なぜならば、稍の上の人間は、枝に跨がっ あわ つつぐら 一と、愍れみもしたが、さりとて予期していないことではなかて、三道の方へ銃口を向けながら見張っていたからである。樹 死った。これ位な用意は当然あるものと心構えには入れていたこの上なので、身の位置も直さなければならない、 また小枝に邪 生とである。吉岡方でもまた、まさか自分がただ一名でここへ臨げられて、銃身もすぐには向けられまい むものとは考えていないに違いない。そうすると飛道具の備え こう計って、その秒間だけは安全と思っていた。 まり ひそ たま にわか 223
風の巻 けんない めた圏内から無視されてしまったのだ。相互がハッと呼吸を改 刎ねてー、、びゅんーーとばかり源左老人の下りかけた肱と顔めたせつなには、武蔵は自分の背を下り松の幹へひた ' と貼り つけていた。ふた抱えもある松の幹は絶好な背の守りかに見え とを摺り上げた。 こうちゃく る。しかし武蔵はそこに長く膠着していることはかえって不利 『ウウふつ』 としているらしい。眼ざしは、けわしく刀のみねから七つの敵 誰の唸きとも分らない なぜならば武蔵の後から槍を突き出した者が、同時に前へよの顔をひきつけながら次の地の利を案じていた。 あけ ろめき出し、源左老人と折重なって朱となったし、なお眼を移梢の声ーー雲の声ーーー藪の声、ーー・草の声ーーあらゆるものが そよおのの いとま す遑もなく、武蔵の正面にはすでにまた次にとびかかった四人戦ぎ戦いている風の中に、その時、 ( 下り松へ行けっ ! ) 目の者が これはちょうど彼の重心点へ踏み出したとみえ、 はるか あばら 肋骨まで断ち割られて、首も手もだらんと下げた儘、二、三歩何者かが、遙から、声をからして教えていた。 近くの小高い丘の上だ。手頃なところを選んで、そこの岩に ほど生命のない胴を支えて足だけで歩いていたし 腰をかけていた佐々木小次郎が、いつのまにか岩の上に突っ起 『出会えッ』 ち、三道の藪や木蔭に沈んでいる吉岡勢へ向って、 『此処だっ』 おおういつ。 ( わうい 下り松だっ、下り松へ出会え 後の六、七名は時々、絶叫をふり絞って味方へ急を告げた。 だが如何せん三道へわかれている味方は皆、本陣とは相当な距っ ! ) 離をおいて潜伏しているので、まだ極めて秒間に過ぎないここ の異変を少しも知らず、また彼らの必死なさけびも、松風や大 鉄砲の音だった、その時、人々は強い音波に耳を蓋された。 竹藪の戦ぎにまぎれて、むなしく宙へ消えてしまう。 かたがた おちゅうど 保元、平治の昔から、平家の落人たちが近江越えにさまよう旁小次郎の声も、大勢のうちの誰かには聞えたはずであ しんらん えいざん た昔から、また親鸞や、叡山の大衆が都へ往来した昔から ーーー素破っ。 何百年という間をこの辻に根を張って来た下り松は今、思いが しゅうしゅう かんこ けない人間の生血を土中に吸って喊呼して歓ぶのか、啾々と動揺めいた大竹藪や、木蔭や岩蔭や、あらゆる物蔭から蚊の 憂いて樹心が哭くのか、その巨幹を梢の先まで戦慄させ、煙り湧くように躍り出した三道の伏勢が、 『ヤ、ヤ ? 』 のような霧風を呼ぶたびに、傘下の剣と人影へ、冷たい雫をば らばらと降らせた。 『既につ』 『追分、追分』 一個の死者と三名の傷負は、息一つする間にこの緊りつ ておい しずく ひじ る。 ゃぶ ふた か
無意識だから、なおいけないのだ ! ) と、われを叱る。 巻それが今、計らずも、平常の鍛錬を、ここぞと思う間際に当叱っても叱「ても、叱りきれない慚愧なのである。自分がロ刀 立日夜に光りでも見つけた 惜しいのだ。こんな浅い修行をして来たきようまでの日々であ って、一穂の明りを仰ぐと、なにか、日 わにぐち の ように、欣しげに、いは揺れ、手はわれを忘れて、この鰐ロの鈴ったかと思うと、 ( 愚鈍め ) を振り鳴らそうとしている。 風 あわれ 憐むべき自分の素質を考えるはかなかった。 さむらいの味方は他力ではない。死こそ常々の味方である。 、み、一よ たしな く・つしん すでに空身。なにを恃みなにを願うことがあろう。戦わぬ前 いつでもすずやかに、きれいに潔く、はっと死ねるという嗜 に心の一端から敗れを生じかけたのだ。そんなことで、なにが みは、どんなに習っても、習いぬいても、容易に習いきれる修 行でないことは勿論だが、ゆうべの月から今朝まで歩いて来たさむらいらしい一生涯の完成か。 武蔵はまた卒然と、 己れの身こそ、それを体得し切ったものと、心ひそかに、自分 『有難いっ』とも思った。 を誇ってさえいたのに と、武蔵は石の如く神前に突っ立っ ぎんき 真実、神を感じた。まだ幸にも、戦いには入っていない たまま、凝と慚愧の首を垂れて、口惜し涙が頬を下ってくるの 一歩前だ。悔いは同時に改め得ることだった。それを知らしめ も覚えぬもののように、 あやま てくれたものこそ神だとおもう。 ( 過った ! ) 彼は、神を信じる。しかし、「さむらいの道」には、たのむ と、悔いを心に噛み、 れいろう 神などというものは無い。神をも超えた絶対の道だと思う。さ ( ーーー自分では、羚瓏な身になり切っていたつもりでも、まだ たの 五体のどこカレ。 、こよ、生きたいとする血もうずいていたに違いなむらいのいただく神とは、神を恃むことではなく、また人間を ふるさと 、。申ま無いともいえないが、恃むべきもので お通のことやら、故郷の姉のことやらがーーーそして藁をも誇ることでもなしネし し月さいあわれ つかみたいとする恃みがーーああ、無念な ! われを忘れて鰐はなく、さりとて自己という人間も、 この期になって神の力なものーー、と観するもののあわれのほかではない。 ロの綱へ手を差し伸べさせたのだ。 を恃もうとしていた ) しかし、その手 お通には泣かなかった涙を、武蔵は滂沱と頬にながして、わ武蔵は、一歩退って、両手をあわせた。 は鰐ロの綱へかけた手とは違ったものであった。 が身に、わが、いに、わが修行に、万限の無念を持つのであっ そしてすく 。、八大神社の境内から、細い急坂を駈け下りて行 ( ーーー無意識であったのだ、恃もうとする気持も、祈ろうとすった。坂を降りきった山裾の傾斜に下り松の辻はあった。 る言葉も考えずに、ふと鰐ロの綱を振ろうとした。 たの ばうだ たの やますそ
は、みじんも卑怯は致しておらぬ。なんで残余の遺弟たちに、 小次郎はくるりと振向いた。さっきから、自分の背を射るよ 巻うに見ている武蔵のひとみを正面に睨め返しながら、彼は、自かく名乗りかけられて、卑怯な背を見せようか』 『ウム、堂々たるものだ。その広一一一一口を、きっと聞き取っておこ 分を押し出すように、ずっと胸を寄せて行った。 ひどり の う。ーー然らば武蔵、望みの日取は』 『日も場所も、相手方の希望にまかせておく』 して、今日以後、おぬしはどこに居所を 『それも潔 決めておるか』 『さだまる住居はない』 ロのうごく前に双方の烈しい眼であった。猛獣が猛獸を見た ちょうじようつかわ 『住居がわからなくては、果し合の牒状が遣せぬ』 時のような沈黙であった。 このふたりは、先天的に合わない性格の持主とみえる。お互『ここで、お決め下さらば、違約なくその時刻に、お出会い申 いが認めているものを、お互いに怖れ合っていた。若い自負心す』 『ウム』 と自負心とが、触れるとすぐ摩擦を起そうとするのであった。 小次郎は頷いて後へ退がった。そして御池十郎左衛門や門下 でー。ーそれは、五条大橋の時もまた今も同じ心理が竦み合い かわ になりかけた。言葉を交すまえに、眸と眸とが、もう小次郎のの者と、暫く話し合っていたが、やがてまた一人離れて来て、 感情と、同時に武蔵の感情とを、完全にいい尽し、余すところ武蔵へ、 『相手方は、明後日の朝ー丨・寅の下刻というが』 なく無言の意思が闘っているのである。 『心得申した』 でも、一言はあった。 ゃぶのごうさがまっ えいざんみち 『場所は、叡山道、一乗寺山のふもと、藪之郷下り松。 やがて小次郎の方からである。 の下り松を出会の場所とする』 『武蔵、どうだ』 『一乗寺村の下り松とな、よろしい、わかった』 : つだ ) と一は』 『吉岡方、名目人は、清十郎、伝七郎の二人の叔父にあたる壬 『今、吉岡側のほうへ、わしが談合したような条件で』 生源左衛門の一子、源次郎を立てる。源次郎は吉岡家の跡目相 『承知した』 としは 続人でもあれば、その者を立てるが、まだ年端もゆかぬ少年ゅ かいそえ え、門弟何名かが、介添として立合につくということ : : : それ 『ただし、其許の条件には、異存がある』 も念のため申しておくそ』 『この小次郎に、身を預けるということの不満か』 『清十郎どの、ならびに伝七郎どのと、二度の試合にも、武蔵相互の約束を取り決めると、小次郎はそこの木挽小屋の戸を いみ、よ すまい とら こびき′一や あ
魂 あたり て、薬師堂の辺からそこへ行き着くという道も選べる そのいずれから行くも、下り松の追分は、ちょうど谷川の合黙々と、武蔵は、山ふところのへ向って登ってゆく。 流点のような場所に当 0 ているので、距離にしても、そう大差今、通 0 て来た右側の樹立の奥に見えた築地と屋根が、東山 でん 殿の銀閣寺であったらしい。ふと、振顧ると、そこの泉が棗形 だがこれをーーー将にこれから、そこに雲集している大軍にぶの鏡のように眼の下に見えたのである。 更に、もう一息、山道を登ってゆくと、東山殿の泉は、余り つかって行こうとする寡兵にも似ている武蔵の身にとると に近すぎて足元の木蔭にかくれ、加茂川の白い史りがすっと眼 兵法からみるとーー大差がある。生涯のこと、ここの一歩か の下へ寄っている。 ら、分れ目を持っことになる。 下京から上京まで、両手をひろげて抱えきれるような展望だ 道は三つ。 た。ここからは、遙カ冫 ど , っ ~ 打こ、つか あたり 当然、武蔵はそこで慎重に考えそうなものであったが、ひら ( 一乗寺下り松はあの辺ーーー ) りとやがて身軽に動き出した彼の影には、そんな重苦しげな迷と、指さして、ほば遠く察することもできる。 っ 大文字山、志賀山、瓜生山、一乗寺山「。ーと三十六峰の中腹 いの影は従いていない 翻ーー翻ーー翻と本の間や小川や崖や畑を跳ぶように越を横に這って叡山の方へすすめば、ここからそう時を費やさず まうしろ に、目的の一乗寺下り松のちょうど真後へ、山の上から望むこ えて、月の下を見えっ隠れつ足早に、行きたい方へ歩いてい ともできるのだった。 る。 武蔵の考えは、その戦法はーーーもう疾くから胸に決まってい では、三道のうち、いずれを選んだかというと、彼の足は、 おけは早 - ま たものらしい。彼は桶狭間の信長に思い合わせ、鵯越えの故 一乗寺方面とは反対な方角へ向いていた。三つの道のいずれも 智に 0 て、あの当然に選ばなければならないはずの三道のい 選ばなかったのである。その辺はまだ里ではあったが、狭い 道を通ったり畑を横切ったりして、一体、どこを目ざして歩いずれをも捨てて、まるで方角ちがいな、歩くにも難儀なこの山 道の中腹まで登って来たに違いない て行くのかちょっと気が知れない おか かぐら 『 : : : やっ、お武家』 なんのためか、わざわざ神楽ケ岡のすそを越え、後一条帝の みささ こんな所で人声は思いがけなかった。不意に、道の上から人 御陵の裏へ出るーーーこの辺、ふかい竹藪だった。竹の密林を抜 かりめ の跫音がしたと思うと、彼の前に、狩衣の裾をくくり上げて、 けるともう山気のある川が月光を裂いて里へ走っている。 たいまっ 木大文字山の北の肩が、もう彼の上〈、のしかか 0 て来るように手に松明を持 0 た公卿屋敷の奉公人らしい男が立 0 て武蔵の顔 を燻すように、松明の火を突き出した。 、刀ュ / ひら み一ん一 まみ一 ひょどりご 799
『待てツ。武蔵』 人が騒ぎ出すと、里の鶏や馬までが騒ぎ立てた。 ひとむれ 巻『醜し ! 』 八大神社の上にも一群かたまって見ていた。絶えず流れていお 『背を見せる法やあるつ』 る霧は、山とともに、その見物人の影を、白く塗りつぶしてし ひら の 思い思いに、大勢は竹と竹のあいだを駈けた。武蔵はもう藪まったかと思うと、またすぐ視野を展いて見せた。 はす の外れの小川を跳びこえている。そして一丈ほどな崖を跳び上 その一瞬の間に武蔵のすがたは見る影もなく変ってい 風 びん り、二つ三つそこで呼吸をやすめている様子。 た。鬢止めに締めている額の布は、汗と血で、桃色に滲んでい 崖の上はゆるい傾斜を持っている山裾の原だった。彼は一望 た。髪は崩れてその血と汗に貼りついて見える。ために、彼の くま に夜明けを見た。下り松の辻はすぐ下であり、その辻には、吉形相は、たださえ恐しくなっているところへ、魔王の隈を描い 小高いとこ 岡方のぐれた人数が四、五十名もいて、彼が今、 たように、世にもあるまじき物凄さに見えるのだった。 ろに立った姿を見つけると、一斉にわッとここへ寄せて来た。 今の人数の三倍に殖えたものが、真っ黒にこの山裾の原に集さすがに、呼吸も全身でつき始めてきた。黒革胴のような肋 まった。吉岡方の全勢力である。一人一人手を繋げば、大きな骨が大きな波を打つ。はやぶれ、膝の関節を一太刀斬られて ざくろ たね 剣の環をもって、この原を包んでしまうこともできるほどな人 いた。その傷口から柘榴の胚子みたいな白いものが見えて 数なのである。一剣、燦々と、針のように小さく、凝と青眼に る。破れた肉の下から骨が出ているのである。 すえたまま、武蔵は遠く立って待っていた。 小手にも一箇所かすり傷を負っていた。さしたる傷ではない おびまえ らしいが、滴る血しおが胸から小刀の帯前まで朱に染めている 五 ので、さながら満身が纐纈染になってしまい、墓場の下から起 いなな どこかで駄馬が嘶いた。里にも山にも、もう往来はあるはすち上った人間でもあるかの如く、見る者の眼を掩わしめた。 しよしょ の時刻。 いや、それよりも酸鼻なのは、彼の刀に中たって、処々 えいざん ことにこの辺は、朝の早い法師たちが、叡山から下りて来る に唸いたり、這ったりしている傷負や死人だ。その山裾の原へ し、叡山へ上って行くし、夜さえ明ければ、木履をいて、肩彼が駈け上り、七十名もの人間が、どっと彼へ襲撃して行った をいからして歩く僧侶の姿を見ない日はない と思う途端にもう四、五名が斃れていた。 ておい そういう僧侶らしい者だの、木樵だの、百姓だのが、 吉岡方の傷負が斃れている位置は、決して一所にまとまって あっち へだ 『斬合だっ』 いなかった。彼方に一名、此方に一名、距たっている。それを 『どこで』 見ても武蔵の位置が絶えす動いて、この広い原をいつばいに足 いとま 『どこで』 場を取り、大勢の敵をして、その力を集結させる遑のないよう きたな きらきら じっ したた しばりぞめ ひたいめの おお あ あば
『ちまきは後にしよう。お通さんに先に欣ばしてやることがあ て行った。ここの家は、銀閣寺の別当某の閑宅であったが、 巻ちょうど空いているというので、過ぐる夜のーー武蔵と瓜生山るから』 『なあに ? 』 で別れたあの翌日から、烏丸家のロ添えで、お通のために暫ら の 『武蔵様ネ』 く借りうけたものだった。 『ええ』 でーーーお通は、あれ以来、すっとここに病を養っていた。 勿論のこと、下り松における決戦の結果は逐一、ここにも伝『叡山にいるとさ』 『ア : : : 叡山へ』 わっている。 ! ほろぐみ 黄母衣組のお使番のように、あの日、城太郎は下り松の戦場『きのうも、おとといも、その前も、毎日のように、おいら方々 するとね、きよう聞いたのさ。 と、こことの間を、何十遍となく往復して、手にとる如く、お聞いて歩いていたんだよ。 武蔵様は、東塔の無動寺に泊っているって』 通の枕元へそれを報告していたからである。 : ではほんとに御無事でいらっしやるのだわ』 城太郎はまた、彼女の今の体にとっては、薬餌よりも、なに またどこかへ行っちま , っ よりも、武蔵の無事なことを伝えてやるのが、最善な良法であ『そう分ったら、一刻も早くがいし といけないからね。おいらも今、ちまきを食べたら支度するか ると一一「ロじていた。 亠阯ぐ ~ 打こ、つ、これから その証拠には、お通は日増に血色を革め、今では机に倚ってら、お通さんもすぐ支度をおしよ。 一度はどうなる訪ねて行こう。無動寺へ』 坐っていられるくらいにまでなっている。 かと、城太郎すら心配したほどであった。おそらく、武蔵が下 り松で死んでいれば気持だけでも、彼女もあのまま逝ってしま いおりひさし じっと、お通のひとみは、あらぬ方へ向いている。庵の廂ご ったに違いなかった。 なかへ しに見える空へ心を遠くしているのである。 お通さん、なにしていたんだい』 『ああ、お腹が減った。 城太郎は、ちまきを食べ、持つ物を身に持っと、再び、 お通は、彼の元気な顔を、眼に迎えて、 『六、。 ~ 打こ、つよ』 「わたしは朝からただ、こうして坐っていた限り』 と、ロ儿し ' ) 。 『よく飽きないなあ』 いつまでも、坐っているので、 だが、お通が起っ気色もなく、 『体は動かさないでも、、いはさまざまに、遊ばせていますから。 それより城太さんこそ、朝早くから、どこへ行ったんです『どうしたんだい ? 』 じゅうばこ やや不満と不平をあらわして問い詰めた。 かそこのお重筥の中に、きのう戴いたちまきが入っているか 『城太さん、無動寺へ行くのは、止しましよう』 らお食べなさい』 なにがし あらた 262
とう - 一ん しくらその時 けれど源次郎少年のことだけは、、 武蔵は、脚と腕の刀痕よりも、その言葉に、ずきんと胸てていた。 巻の傷むような顔をした。まして、そう問うこのお小僧の年頃もの信念をよび返して心に持ってみても、ほろ苦く、うら悲し 3 く、心が傷んでたまらなかった。剣というものの絶対性が 十三、四。 の : 、こ入ろうとするや否、真っ先に斬り捨また修行の道というものの荊棘には、かかることも踏み越えて 下り松の根元てし冫 てたあの源次郎少年とーーーちょうど年ばえも体の大きさも似てゆかねばならないのかと思うと、余りにも自分の行く手は蕭条 としている。非人道的である。 見える。 つる ( いっそ、剣を折ろうか ) あの日。 とさえ思った。 幾人の傷負と、幾人の死者を作ったろうか。 かりようびんが のり 殊に、この法の山に分け入って幾日、迦陵頻伽の音にも似た どう斬った 武蔵は、今も、思い出すことができない かえ か、どうあの死地を脱したのか、それもきれぎれにしか、記憶中に心耳を澄まし、血しおの酔いから醒め、われとわが身に回っ てみると、彼の胸には、提を生じないではいられなかった。 ー刀ナー」し 手脚の傷の癒える日を待つつれづれに、ふと、観音像を彫り ただあれから後、眠りについても、ちらついてくるのは かけてみたのは、源次郎少年の供養のためというよりは、彼自 下り松の下で、敵方の名目人である源次郎少年が、 早、んき ばだいよう 身が自身のたましいに対する慚愧の菩提行であった。 と、一声さけんだのと、松の皮といっしょに斬られて大地へ なきがら ころがった、あのいたいけな可憐な空骸だ。 かしやく 『ーーーお小僧』 ( 仮借はいらぬ、斬れ ! ) 武蔵はやっと、答える言葉を見つけ出していった。 という信念があったればこそ、武蔵は断じて真っ先に斬った げんしんそうず のであるがー・ー・斬 0 てそしてこうして生きている後の彼自身『じゃあ、源信僧都の作だとか、弘法大師の彫だとか、この御 ひじり 山にも聖の彫った仏像がたくさんあるが、あれはどういうもの 」っつ、つ』 ( なぜ、斬ったか ) 『そうですね』 と、そそろに悔い 稚児僧は首をかしげて、 ( あれまでにしないでも ) 『そういえば、お坊さんでも、絵をかいたり、彫刻をしたりす と、自分の苛烈な仕方が、自分でさえ憎まれてならない。 るんですね』 われ事において、後悔せず と、得心したくない顔つきをしながら、頷いてしまう。 旅日誌の端に、彼は曾って、自分でこう書いて心の誓いに立
くだ ば、下りのお客が荷物を積んで、いっか大津の問屋小屋へ帰え そういう男の気持・、ー , ・安んじて女性にゆるしている気持 巻って来ることになっているんだから』 それは同じように、お通も、男匪に対する信頼として、あれか 7 『では、江一尸表まで、いかほど払ったらよいのか』 ら後、胸のふかくに抱いていた。 の 『じゃあ、通り道だ、問屋場へ寄って、お名前を書いて行って武蔵はもう、何もかも、彼女にゆるしきっていた。今日会っ おくんなさい』 たら、どんな事でも、彼女の願いなら容れてやろう。 なにかの支度にも好都合、武蔵はいわるる盡にそこへ立ち寄剣を、歪めない限りの事は。修業の道から堕落しない限りの る。 事は。 つる わたしば 問屋場は打出ケ浜の渡ロ場に近かった。船着から上る者、乗今までは、それが恐かった。女の黒髪には、剣も鈍り、道も たむろ おそ る者、ここは旅人の屯なので、草鞋をひさぐ店もあるし、旅の喪ってしまうものと、それを惧れていたのである。しかし、お あか 垢を落したり髪を整える備えもある。武蔵はゆっくり朝飯をす通のような覚悟のいい、聞きわけのよい、理性と情熱の処理を まし、まだ、早過ぎるとは思ったが、間もなく、牛の背の人と 誤らない女性ならば、決して、男性の道に情痴な茨を横たえは まと なって、その問屋場から再び先へ立って行く。 ただ溺るるこ しない。なんの足手纒いになるわけはない。 瀬田はもう程近い とを誡めて、自分さえ、乱れなければ。 湖畔のうららかな風光を、牛の足にまかせて行っても、大丈 ( そうだ、江戸表まで一緒に行って、お通には、もっと女性と 夫、午までにはそこへ着く。 して学ぶべき修養の道に就かせ、自分は城太郎を連れて、史に ( まだ、来ていまい ) 高い修行の道にのばろう。そして、或時節が来たら・ー・ー ) 武蔵はそう思い、そして、今度お通に会うことには、なに、 そんな空想に耽ってゆく武蔵の顔に、湖水の波紋の光が、幸 ゆらゆらは しら、いに安んじるものを抱いていた。 福の笑みを投げかけるように、揺々と映えていた。 それは、彼女に対する彼の、安心であった。下り松の死地を 乗り越える前までは、武蔵は、女性というものに、堅い構えを 持っていた。お通に対しても同様な危惧を抱いていた 二十三間の小橋と、九十六間の大橋をつないでいる中之島に けれど、あの時の、お通の澄みきった態度、聡明な意思の処は、古い柳の本があった。 理を見てから、武蔵の彼女に対する気持は、ただの愛以上、深 瀬田の唐橋を、青柳橋とも呼ぶのは、その柳がよく旅人の目 いものに改まっていた。 u-l にされるからであろう。 一般の女性を危惧するような眼で、お通をも危惧して来た自 『あっ、来たよ』 分の小心さが、彼女に対して済まなかったように今では思う と、その中之島の茶店から駈け出して、小橋の欄干につかま ひる わらじ
そ - 一もと 『では寒いのか、唇の色が紫いろしているではないか。共はも彼とともに歩いていた。山の端にかくれたのか朝の月影はも う見えなかった。 しかし、三十六峰の懐に重たく眠り臥 吉岡方の名目人で、つまりきようの果し合の総大将だからの、 しつかい・ 確乎していなければいかんそ。もうすこしの辛抱、も少し経っしている白雲の群れが、遽に、漠々と活動を起して天に上昇し と、面白いものが見られるからな。 : どれ、わしもどこか地はじめたのを見ても、天地は寂とした暁闇のうちにすでに「偉 の利のよいところで』 大なる日課」へかかっていることが分る。 その偉大なる日課のまっ先に、もう幾つか呼吸する間に、自 と、いい捨ててそこを立ち去った。 分の死が、一片の雲よりも淡く、その気象の中から消されてゆ くのか と武蔵は雲を仰いで思う。 雲の抱く巨きな万象の上から見れば、一匹の蝶の死も一個の 一方、思い合せると、ちょうどその時刻。 志賀山と瓜生山の間ノ沢あたりで、お通から別れ去った宮本人間の死も、なんらの変りもないほどなものでしかない。 けれど人類の持っ天地から観れば、一個の死は、人類全体の生 かかわ に関ってゆくのだ。人類の永遠な生に対して、よい暗示か、悪 ( ちと遅くなった と、その遅刻した差を取り戻そうとするかのように、急に脚い暗示かを、地上へ描いてゆくことになる。 ( よく死のう ) を早め出していた。 下り松での出会は、寅の下刻と約してある。この頃の日の出 と、武蔵はここまで来た。 はおよそ卯の刻過きであるからまだ暗いうちなのだ。場所が叡 ( いかによく死ぬか ? ) ざんみち に彼の最大の最後の目的はあるのだった。 山道で三道の辻に当っているし、夜が白めば、当然往来人もあ ふと水音が耳につく。 るからその点なども時間に考慮されていることはいうまでもな かわ ここまで脚を早めて来たので、彼は渇きを思い出し た。岩の根へ屈んで水をすすった。水のうまさが舌に滲みる。 ( お、北山御房の屋根だな ) 武蔵は、脚を止めた。そして自分の今踏んでいる山道のすぐ彼は自分で、 ( おれの精神は紊れてない ) 真下に見える伽藍をのぞいて、 ということをそれでも知った。そして直前の死そのものヘ対 して、少しも卑屈を感じない自己をすすやかに思った。今こ 死と感じた。 たんかかと 亠そこから下り松の辻まではもう七、八町しかない。北野の裏そ、自分の胆は踵にこも「ているという感。 だが、足を止めて、一息つくとすぐ、なにかしら後で自 町から歩き出した距離も遂にここまでちぢまった。この間に月 さわ おお ふと - 一ろ 2 ノ 9