きにされるわい。それはいかん ! 」 「五郎 ! 」 「なんだ ! 」 宣光はきらりと鋭く五郎を一暼して、 「この宣光は父とそなたのこの計らいには同意したが、考 「いかんとゆうて、どうするのじゃな」 「ど、フする : : : とは、こちらから兄上にききたいところえるところはそなたといささか違うのだ」 一族の戸田金七郎を今川家へ忠義顔して滅ばした恨み「なに、わしと違う ? では姉上への侮りなど問題ではな いといわれるのか」 もあるが、それよりも父上が広忠を許せず、是が非でもこ 宣光はゆっくりとうなずいた。そしてうなすくと同時に んどの旅の途中で竹千代を引っさらおうと決心した原因は 立上って、用心ぶかく庭先からあたりの暗をすかし見た。 姉上への侮辱にあるのだ」 まだ月の出には間があって、塗り込められたような暗が 宣光は軽く腕を組み、眼を閉じていた。 あか 「正妻を本丸〈通さぬさえ無礼千万なのに、垢かきのはしあたりをつつんでいる。そこここでしきりに松虫が鳴いて た女にうつつを抜かして、わが妻に手をふれぬ : : : そのよ : 」と宣光はまた座にかえって、 うな侮りをこのまま済ましてなるものか。わしは : ・・ : 姉上「五郎 : はらわた 「一族の宗家に生れて、そなたは少し思慮が足りぬと思わ のご無念を思うだけでも腸が煮えくりかえるわ」 ぬか」 「なぜ黙っていられるのだ兄上は ? まさかわしゃ父上の静かな声で話しかけた。 冫しまさら水を差されるのではあるまい」 この計らいこ、、 九 たたみかけられて、宣光はそっとあたりを見まわした。 「声が高いそ衂郎 : : : 今更水を差したとてどうなるもので 「なにツ、田 5 慮が足りぬと : ・・ : 」 もない。すでに父上は織田家へ竹千代を引渡そうと約定さ 五郎は身をふるわして言下に答えた。 「思うものか。一族の東ねをする家柄なればこそ武士の恥 れている」 「それゆえ、引っさらって織田家へ渡した後の姉上はどう辱はぬぐわねばならぬのだ」 「待て待て」と、宣光はまた軽く眼を閉じた。 なるといっているのだ」 3 」 9
信元はまたゾーツとした。何も彼も見透されている寒さ きたが、まだ一族一体の団結までには到っていない。 が、岡崎はその逆であった。広忠自身は弱少なのに、松であった。 「すぐに一戦と怒られず、ご貴殿もまたその義理ゆえのご 平家の落潮を迎えて決して離れぬ粒よりの老臣どもが、し つかり広忠を支えている。自分と広忠では比較にならぬ離別を心の底から悲しみなされてはいかがでござろう。広 忠さまと共に泣かれる : : : そのお気持、これは相手にひび が、家臣と家臣ではこれは刈谷に軍配はあげかねる。 あわてて、うしろに織田殿の支えがあるゆえと言い添えきまするぞ」 信元はわれを忘れて上半身を乗り出した。 たい気がしたが、さすがにこの場でそれは言い得なかっ 「あきも、あかれもせぬ、美しい夫婦のお別れ。老臣ども はことごとく奥方に、い服してござるゆえ、別れを惜しんで 「下野さま」 恐らく刈谷の領内まで見送られる。その時に老臣すべてを 信元はひやりとした。また厳しく眉を怒らせた。 「なんでござる」 そこまで言うとキラリと凄く中務の眼は光り、それから 「その自信をうかがって、拙者も使者に立った甲斐がござ ホホホと女のような笑いになった。 った」 「自信はごギ、る。何の広忠、こときに」 「頼母しい」 中務はいよいよ砕けた顔になり、 信元はいぜん肩をいからせた姿勢であったが、内心の畏 「これで使者の役目は終りましたゆえ、あとは平手個人のれと驚きは眼のうちに隠せなかった。 ひぐらし 助言でござる。もしお役に立ちましたら」 どこかで蜩が鳴いている。米蔵の補修をしている槌音 「助言と言われると」 と、巽矢倉の松にあたる風の音とを確めたのは、 「一戦に先立って、岡崎の老臣どもを斬られてはいかがで ( 落蕭けよ ! ) ござろう。岡崎の強みは老臣たち : : : と拙者は思うて居り 自分自身の存在を改めてその中に思いかえしたい気持か らであった。 ますが」 」 0 たつみ 174
出生乱離の巻 つ、 0 人し、ヘンリ ー八世はアイルランドの王位を得て、スコッ トランド王ジェームスを除かんと虎視眈々爪を矯めると いう西暦一五四一年。 西も東も、おなじ戦国の風雲につつまれた十六世紀中葉 の、わが三州岡崎城の奥であった。 季節は冬。といってもすでに年は越して正月だったが、 今年の気候はいつもより温く、伊勢の東条持広から贈られ た庭の柑橘の実は金色にいろづいて、甘い芳香をあたりい つばいに撒きちらしていた。 その香をしたって来るのだろうか。今年は庭に小鳥が多 十六歳になった若い城主松平次郎三郎広忠はその小鳥 に射かけるような視線を投げて、もう半刻も黙っている。 去年の桃の季節に生れた長子の勘六が、時々陽だまりか ら膝のほとりに這いよって、この若い父親の苦悩をきよと 武田信玄は二十一歳。 んと見上げてゆく 上杉謙信は十二歳。 広忠より二つ年上のお久の方はそのたびに、胸の中を冷 織田信長は八歳。 たい風に吹きぬかれた こうめん 後の平民太閤、豊臣秀吉はしなびた垢面の六歳の小童だ 「まだ、ご決心はっきませぬか」 そばめ 十五歳で十三歳の広忠の側女にあげられたお久の方は、 この年、天文十年 同じ一族の松平左近乗正の娘であった。それがすでに子供 一衣帯水の海の彼方は明の時代、ヨーロッパではチャー を産んで十八歳になっている。どこか淋しい白椿の風姿で ルス五世が、フランシス一世に開戦を宣してフランスに侵あったが、それでもめつきり艶冶さを加え、侍女をしりそ 暁以前
「於大、実はの : ・・ : 」 を忘れて動く宿命じみた一線ももっている。 俊勝は掌の茶碗の温かみに眼を細めながら、 「のう於大」 「よ、 「岡崎どのは、とうとう、わが子を見殺しと決めてその旨 し」 返答に及んだ山じゃ。むごい人そ」 「わしはな、おの心を想うとたまらぬものがある。が いいながらそっと於大を、つかがった これは聞かせすにおいてよいことではない。竹千代は、父 に見捨てられ : : : 斬られてさらされることになったわ」 於大はべつに顔いろも変えなかった。黙って良人の前 「やつばい : ・ に、近ごろ覚えた手作りのまんじゅうを差出すのだった。 「例の熊の若宮、竹之内波太郎どのが裏からお許の兄御水「そうじゃ」と俊勝は眼を赤くして、 「わしは出来ぬ。わしならば、子のために節を屈する。於 野信元どのヘ働きかけ、水野どのがひどくお骨を折られた 大、わしはその首を、後でわしに下さるように、平手政秀 が、とんと利き目はなかったよ、つじゃ」 どのに頼んで来たわ。お許の手で弔うてやってくりやれ」 於大は静かに良人を見上げたまま無言であった。 5 於大はそっと畳に両手をついた。さすがに泣くまいとし 3 「表向きの使者としては、山口惣十郎が岡崎へ出向いてい しずく った。惣十郎をそちは知るまい。これは熱田の祠官が子供ても涙は雫になってゆく。しかし声はみだれてしなかっ っ ) 0 でな、人を説くには少を得た男じゃ。その惣十郎が、条理 「皿 5 れながら、その儀は田むいとどまって頂きと、つ、こざりま を尽してすすめてみたが、広忠どのの返事は一つであった そ、つな」 する」 「よに、田 5 いとど寺 ( 、れと ? ・」 「と仰せられると、どのような ? 」 「はい。万一織田信秀さまの疑いをうけては、久松一族の 「われはまことの武人なり。節は変えず。竹千代は思いの 一大事、思いとどまって頂きと、つござりまする」 ままになすべしと。お許はそれを立派だと思うかな ? 」 於大はうなずきもしなかったが、否定もしなかった。広 五 忠の性格ではそうであろうとすでに前から思っていた。 間はつねに利害に追いまわされているくせに、いつもそれ久松俊勝はわが耳を疑った。そのことならば彼も考えな
あろう。そこで試してみたまでじゃ」 「合わぬというか」 「あの湯くみ女を」 「殿 ! そのように疑いをふくんでは、近づく者まで敵に 「されば、予が予の手で拾った最初の女子。予にいちばんする : : : とは思いませぬか」 似つかわしい」 「よいよい、もうあとはいうな。予はな、湯くみ女にうつ そこまでいうと急に広忠は眼をかがやかして、 つをぬかすと見せかけて、逆心あるものどもを見事洗って みせてやるわ」 「正家。近う」と、声をおとした。 「そちの眼には予が″痴呆〃に映ってゆくか」 そこへ須賀を先頭にして女中たちが酒を運んで人って来 た。少女もついて来ている。 「映って見ゆればそれでよい。予はな、ちと一族の心を探「お春、来やれ」 ってみているのじゃ」 と、広忠はその中から例の女を手招いた。 雅楽助はぐっと呼吸をひいたまま、まじまじと広忠を見 五 守った。事実のようにもとれたし、せつば詰った戯れとも 見える。 雅楽助は酒席が定まって杯台が回って来ても、まだ広忠 から眼をはなさなかった。 「一族の、どなたが殿には疑われまする」 「叔父の蔵人」 竹千代を本丸へ連れもどすことも、戸田弾正との縁組も 「 : : : 信旧亠手さまが」 べつに反対されてはいない。それでいて何かしきりに気に かかる 「それに曾祖父の隠居もな」 於大の方がいたころには見せなかったふしぎな依怙地さ が近ごろめつきり眼立って来た。 「竹千代の祖母の尼も、そちの本家将監も心は許せぬ」 雅楽助はまた強くくちびるをかんだ。 お春という女にしても、考えあって近づけたとは受取れ 「どうじゃ。そなたの考えと合うか合わぬか」 ない。於大の方を忘れかねての寂しさに違いないのに、思 「恐れながら : : : 合う : : とばか - では、こざ . り - ませぬ」 いがけないことをいいだす。 223
平気でその位の嘲笑はあびせかけてくる信秀だった。 もともと信秀は織田一族の嫡流ではなかった。尾張の守 護職だった斯波氏の老臣、織田大和守は清須に住み、織田 伊勢守は岩倉に住んで尾張上下四郡ずつを分けて治めてい たのだが、信秀の家は、その清須の一家老にすぎなかっ 信がかしこまって引下ろ、フとすると、 なごや それが信秀に至って那古野に要害を、更に古渡、末盛な「待てッ ! 」何を思ったのか信秀はニャリと宙を見て笑っ どに城を構えて、勢力はいっか宗家をしのぎ、隆々と四隣た。その眼のすごみは悪戯を企てている時の嫡子吉法師そ を畏怖せしめている。 のままだったが、信定は堅くなって平伏した。彼にとって それは偏に那古野の鬼とあだ名される信秀の剽悍な軍略信秀の気まぐれほど怖ろしいものはなかった。 によるものであった。彼は広忠の父の清康を守山の陣中に「桜井の : : : 」と、彼は言った。桜井は松平信定の居城な 刺さしめた。それも、松平家の重臣、阿部大蔵のおろかなのである。 しそう 息子を使嗾して : 「そう言えば、おぬしの掴ませられて来た替玉もここに居 たのう」 そして去年は、いま彼の前に平伏している広忠の大叔 「よッ 父、松平信定に、 「そもそもさようなものをませられるほど、おぬしはど 「ーー・・・岡崎をおとせ。落したら岡崎はおぬしに進じてこの こか抜けている」 信一秀がだ後見しよ、つ」 「恐れ入りまして : ・・ : 」 巧みな煽動で宗家へ弓を引かせながら、てんで人物は認 「尤もすぐほんものを捕えて来るようなら、おぬしはとう めていなかった。 に岡崎城へ入って松平一族を押えているわ」 「してわしへの用は ? 」 貫の若宮の当主波太郎、先だって於大の代りに引「汗顔の至りでござりまする」 き捕えました女子ども三人を召しつれて、処置のお指図を「よいよい。刈谷と岡崎では、この信秀をうまうまと出し 】 0 仰ぎたいと罷り越してござりまする」 「なに熊の若宮が女子をつれて : : : 面白い : : : 通せ通せ」 信秀はまた大書院のゆらぐような声で笑った。
一族老臣、言いあわしたようにハッハッハッと声 . を合し の動きの根本にならなければならぬ」 て笑いだした。そのかみの男女の間は、身をつくして恋い 「いかにも。いったい誰であろうか ? 」 「武田の伜青信は、しきりに駿府の今川家をうしろから衝わたる哀しく透明な営みだったのに、いまでは恋も女子も こうとしているそうな。と言って、今川も強大だし、織田生残る一族一家の用具に価値を変えている。女を贈り女を 信秀は日の出の勢いでのびている。足利のご家人たちも迎えて今日の争いを弱め、明日はわが子孫を敵の中にふや まだまだ見捨てたものではない。要するにこの大勢力にはそうという。 さまれた小国の相争うのだけは絶対にやめねばならぬ。近それは限りなく高い情感の世界から、あまりにみじめな 隣親しく相結んで、互いに事情を知らせあい、いかなる手理性への転落だった。 若い広忠にはその計算が不潔なものに思えてたまらなか を打とうと生き残らねば相成らぬ」 つ」 0 「さよう。そうした時機に、先方からの縁談なのだから、 「もう分った。笑うな」 これはまさに、御家の万歳、渡りに舟といわねばならぬ 広忠は顔をしかめてみんなを叱り、もう一度こころの底 みんなの話をニコニコと聞いていた華陽院はこの時はじでわが怒りをたしかめた。 めて手を振った。 ( 久にいいつけて、毒害してやるとは気がつくまい。誰が 「もうそのようなご心配は不要になりました」 水野ずれの思うとおりに : それから声を柔げて、 「と仰せられるととのには ? 」 「そう決ったら早いがよい。万事母上に相談してよきに計 「私からすすめました。眼をつむって迎えてくれますそう ら , ん」 な。のう、広忠どの」 「・よ十ッ 広忠が苦りきってプイツと脇をむいたが、 「それはそれは。いや、これはめでたい」 みんな再び顔を見合った。 「おめでと、フござりまする」 誰からともなくやつばり笑いだしている。それほど彼等 にとって、これは大きな意味の政略の成功だった。 「おめでとうございます」 3
中がひどく心もとない くれぐれも頼み人ると書いてくれ竹千代の岡崎城を出るのは明日の卯の刻 ( 午前六時 ) 。 あつみごおり ぬか」 西の郡までは駕籠でいって、そこから船路で渥美郡大津 し」 の浜へ向うのだが、いまその同じ道を宣光は通ってゆく。 田原御前が、素直に扇をたたんで机の前へいったとき、 西の郡までは松平党の警護でゆけた。しかしその先まで彼 らの手は及ばない。 大玄関でまた片目八彌のわめく声が聞えて来た。 広忠が案じ、老臣たちがくどいまでに頼んでいるのは海 「殿 ! お迎えに参りました。田原の若殿がお立ちでござ りまする」 上から先を戸田一族に託するよりほかなかったからだ。 宣光が城を出ようとするところで十二騎の従者が警護の ために追いすがった。従者はいすれも戦支度で、近ごろ なんばんどう 戸田宣光は、大手多門の両側にならんだ老臣たちから、 はやりだした南蛮胴の具足をつけ手槍を持っている。城下 口々に、 を出はずれると、その中の一騎が宣光とくつわを並べて来 て、 「よろしゅうお頼み申しまする」 「兄上、広忠めにさとられはせなんだであろうな ? 」 鄭重にあいさっされて、 なじ 「ご安心なされ。引受けました」 と、詰るようにいった。宣光の弟の五郎であった。 そのたびに、軽い会釈をかえしながら門の外の馬に近づ 宣光はうなすく代りに、馬をはやめて他の従者との距離 を作った。 鳥居忠吉と酒井雅楽助とはわざわさ門の外まで走り出「こんどこそあの高慢なわがまま者に思い知らせてやれる て、馬の手綱を取った宣光にまたいった。 わい」 五郎はペッと馬上から唾を吐き、 「あなた様には義理の甥御、われら一統にとって竹千代さ かけがえのない明日の光りでござりまする。何とそ「わが実力も思わずに、事毎に戸田一族を侮りくさる。わ しは姉上を本丸に入れず、二の丸へ入れた時から今に見ろ と田、っていた」 宣光はうなすいて馬に乗った。 う ゃなど 317
うたのすけ おおくら 阿部大蔵が銀髪に憂いをこめた眼ざしで、酒井雅楽助をも暗澹たるものを含んでいる。 せめて吉例の年賀の日。このひと歳をどのように泳ごう 見返ると雅楽助は広忠の前へにじり出て、 かと、、いに不安を蔵している一族に、 「では、ご風邪にくれぐれもお気をつけられて」 今年こそはやろうぞ」 と、弟にでもいうロ調であいさっした。 と、力強い一語が聞かせてほしかった。 「戸田弾正さまご息女真喜姫さまのこと、とくとご勘考な ところが、広忠は歳末に見たときよりもやつれていた。 されませ」 鳥居忠吉や大久保兄弟などが再縁の話の出ている田原の城 広忠はウムとうなすいて、また二つ三つせきいった。 何かばんやりと考えている。ようやく二十の新春を迎え主戸田弾正の娘のことを話しだしても、言葉をにごして決 断を示さなかった。 たばかりで、すでに人生に疲れた色をにじませている。 二人は広間を出ると顔見合わせてどちらからともなくた 、 ' 酒井雅楽助にはそれがひどく 阿部大蔵は黙ってしたが、 め息した。 8 歯がゆかった。 かた 「無理もないわ。お屋嗷さまとのむつみが並のものではな 2 今川義元をはばかって、去年の秋離別した於大の方を、 まだ忘れかねて悩んでいる。一族の東ねをする武将の身かったからの」 で、一度決断したことにいつまでも恋々とした女々しい姿阿部大蔵がつぶやくと、 「それが歯がゆい」と、雅楽助は舌打した。 を見せつけられるとたまらなかった。 「聞けば歳末から奥へこもって一人で酒を食べていたとい 四囲の事情はいよいよ険悪さを贈している。眼と鼻の安 うではないか」 祥城では織田信秀がわが子信広を城主とし着々武備をかた 「わしはそれより胸の病いではあるまいかとそれが気にな めているし、於大の方の兄水野信元も、於大の方の離別に よっていまはハッキリと敵意を抱いて岡崎城をねらってい る。 「どちらにしても今年はことが多かろう。ご老人も風邪な 駿府の今川義元が上京の志をひるがえすはずはなく、両どひかぬように願いたい」 とおざむらい 二人は連れ立って遠侍から玄関を出てゆくと、 勢力の強大さにはさまれた松平家の運命は今日の雪空より
を知らず、その間に懐疑する暇さえないというのが実状で は、単純に人生を割切って、一心に武を練るのが、戦場で 相手の声に酒気を感じて亀女の方が、あたふたと入口に生き残る秘訣であった。 その中でも大久保一族は硬骨をもって鳴っている。単純 手をつかえ、 「どうぞお通りを」というと新八郎はあたり中にひびき渡な下僕で生きることが、いちばん安全であり、大手をふつ る声で、 て個性を通す道であるのを悟っている。 「默 ~ らっしや、 し ! 」と、きめつけた。 その大久保一族の中でもとりわけ無法者の新八郎が酒気 「竹千代さまご幼少とあなどって、ご都合も伺わず一存にをおびての挨拶たけに、二人の乳人が顔を見合せて竦むの も無理はなかった。 計ろうとは不届至極。その方の名は何と申す」 「これ、早くせぬか」 「はい。亀女と申しまする」 と、また新八郎が呶鳴った。 「亀女と申すか、めでたい名じゃ。名に免じて今日の不届 「若君にはご機嫌よくわたらせられようが」 は聞き流す。早々に若君のご都合を伺って来らっしゃい」 亀女は困って、そっとお貞に耳打する。お貞はうなずい 亀女はびつくりして奥へ引っかえし、まだ眼も見えぬ嬰て、嬰児の裾のあたりに両手をついた。 「若君に申上げまする。上和田の大久保党にその人ありと 児とお貞に救いを求めるようなまなざしを向けた。 由来三河の年寄 ( 重臣 ) 共は硬骨と気概を単純に示すの聞えた武勇のお方、新八郎忠俊さま、年賀言上のためまか 、取・ ' 、ら、学 ( しよ、フ、や」 をもって誇としている。面倒な理窟はぬきで、君に忠の一り出ましてござりまする、いカカ言し 外で聞いていて、新八郎はニャリと笑った。 筋を追いかける。文武の二兎を追うものは結局一兎も得な いというきびしい語人が家風であった。 「清左衛門の嬶め、味をやるわい。それにしても、聞えた むろんそれは、いつの時代にも当てはまることではなか武勇は追従がすぎる、懲らしめてやらねばなるまい」 った。が、明けても戦、暮れても戦の乱世では、文武に志 やがてその新八郎の前に生真面目な表情で出て来たのは を分けていては結局どちらも未熟に終る。今日生きて明日お貞であった。 138