から、その神罰に「戦い 」を課している。といって、 て近侍の姿がすでに書院へ入りかけている。 そのような哲理をいまここで下野守に説いてみたとて無益 下野守はあわてて権六郎のそばを離れると、 であろう。 「お召しで′」ギ、りよしよ、フか」 「この波太郎が知行するは織田どのも年貢ご免の土地 : 襖ぎわに手をついた側小姓に そうした意味にすぎませぬ。 : 親しさに狎れて戯れ「呼んだゆえ来たのであろう」 すぎました。では」 罵声を投げて、大きく室内を輪に歩いた。取乱した姿な 波太郎は叮嚀に一礼して起ち上った。 ど決して家臣に見せてはならぬーーーそう思っていながらす 下野守は喰いつく眼ざしで、じっとそれを見送ったが、 ぐには褥に着けぬ下野守だった。 波太郎の姿が大廊下に消えると、はじめてキリキリッと歯 ( どうして呉れようあの波太郎と : : : そして岡崎のお となどもを : : : ? をかみ鳴らして、手をたたいた。 「ご用、仰せ聞け下さいませ」 そして近侍が現われて来る前に自分もすっと座を起っ て、せかせかと縁へ出た。 側小姓がまた言った。 「権六郎は居らぬか。権六郎、履物を持て」 そして庭番の芥川権六郎が小者の姿で縁に近づくと、 「熊の若宮、無事に帰すなツ」 と、短 / 、一一「ロい、 「そちは地獄耳、二人の話は聞いたであろう」 芥川流のこの忍者はけろりとした顔でうなずいた。 「殿、まずかった。これは他人に話すことではござりませ ぬ」 はげしい感情を浴せかけようとした時に、手の音を聞い 下野守はしばらく室内を歩きまわって、ようやく胸の怒 りをしずめた。波太郎が以前のとおり、自分の命令に易々 として従うと思ったのは誤りらしい。 ( あの時には波太郎めに野心があった ) 於国をこの城の奥に入れて、一族としての栄達をのぞん でいたのが、於国の死で霧のように消え去った℃ しかもその波太郎め、いまはふしぎな力で織田家に取人 っている。神に仕え、神の名を口にする奸物ゆえ、殊によ 195
何時のころこの土地に土著したのか、村落の名を熊村と波太郎が於大の奪略を承知すると信元は雄弁になった。 呼ぶところを見れば、あるいはその名の出所とゆかりがあ「親父どのには今川家のもっ衰相がわからぬ。今日は手堅 るのかも知れない。 く踏まえても明日が見えぬ。これだけ紊れきった天下に しようじ とにかく先代は南朝以来の紀州の海賊 ( 海軍 ) 八庄司のは、百姓、町人、みなふり仰ぐ大義名分の旗をかかげるほ どの策がのうては叶わぬもの。今川家にはそれがない。す 後裔と繋がりを持っていた。そして先代も今の波太郎も、 誰からの被官も拒んで、神仕えに専念すると称している土でに時代に取残された公方どもの根のないみやびの真似を 豪であった。 して、何で天下に号令出来よう。それに引きかえ織田方で 波太郎が信元に語るところに依れば、この熊の若宮一家は : こそ南朝の正統がふたたび世に出る時のため、得難い古文そこまで言って、信元は、波太郎の眼元にうかぶ快心の すくね 微笑に気づき、 書の数々と秘宝を預る竹之内宿の後裔なのだという。 「ーーわれ等一統には代々生命にかえて守らねばならぬも 「いやこれにはお身も同じ意見であったのう。アッハッハ のがござるゆえ」 ハ」と入いとばしこ。 同じ意見というよりも信元の言葉はそのまま、実は波太 応仁の大乱以来、世の紊れに面をそむけ、祭壇を設けて しきりに何か祀っている。が、彼等が各所の野武士、乱破郎の意見の復習にすぎなかった。 から船頭漁師の脈をおさえ、海と陸とに隠然たる一勢力を波太郎は冷たかった。何時も言葉が少くて、じっと遠く なしているのは事実であった。 を見つめている。が、時おり洩す言葉の中には信元の魂を 引きちぎるような魅力があった。 信元は早くからその波太郎に眼をつけた。いや波太郎と いうよりも、その妹の於国の容色にこころを曳かれて、そ「ーーわしならば、乱世を招いて民の怨みの凝りついた将 の兄と親しんでいるといってもよい。 軍や三管四職の真似はせぬ。それより天下には戴くべき名 彡があるものを」 「お身の家には絶えす織田方の出人がある。したがって天 下の事情もよくわかろうが、いやはや親父どのの頭の古さ 彼はいつも笑って、その名分に気づいたものは天下を取 る。他は語るに足らぬと軽く言った。そして、誰がそれに こはほとほと参った」 らつば 2
は、あの御手洗石のかげにかくれて、いきなり藤九郎さま たとえ生きていようと、死んでいようと、肉親の兄をと むらう心だったら、下野守の怒りにふれることはあるまに切ってかかり : : : 」 波太郎は言葉をきってふと、また微笑した。 「この波太郎が、改めて姫にかようなことを申上げる、そ ( 寄っていこう : ・・ : ) と、決心すると、自分を見かけて逃げたさっきの男の後の意味はおわかりであろうか」 姿がいよいよ気にかかった 「すべては織田か、今川かの争いがもとでござった」 波太郎はしかし、そのことについては何もいわない。 彼は先に立って於大を祭壇の間に導き、礼拝をすませて「といわれると、若宮どのには、兄弟争いの原因までご存 知か」 から、書院造りの客間へ案内した。 祭壇のしつらえられたあたりは神殿作りで、そこから左「いかにも」と、波太郎はうなずいて、 「わしがこの世で見せられた、もっとも大きな修羅の場 : 右に居館がのびている。 : おかげでわしも妹をうしないました」 いわば小さな神社を中心にして、四方に濠をめぐらした いかにも古風な城郭構えで、客間の窓から庭をへだてて土「妹御とは於国さま」 「さよ、つ」 塁ややぐらがのぞまれた。 波太郎は客間に於大を通すと、自分から立って窓をひら波太郎はまだ微笑を消さず、 「下野守どのはおそろしい」 於大は黙っていたが、胸の中は刺されるように痛んでい 「あの枯萩のあるあたり : と庭先を指さしながら座についた。 「あのあたりで藤九郎さまご落命なされたと思召された ( うわさはやつばり事実だった : : : ) 於国に想いをよせてこの家へ通いつめていたのは藤九郎 信近ではなくて、長兄の下野守信元だったらしい 於大はうなずきながらひる近い光の中へ視線を投げた。 おび 「その夜は萩が真盛りで、月が殊に見事でござ 0 た。刺客それが織田か今川かで意見を異にし、信近をここまで誘 つ、 0 236
ている。 の野武士なのだ。 人々の顔いろはさすがに変った。これだけの用意をしな その波太郎のひそんでいる苫小屋に、鍬をかついだ百姓 ければならぬ輿人れに、はじめてドキリと胸をつかれる想が鼻唄をうたいながら近づいた。 いであった。 「信元さまのお知らせでござりまする」 百姓は苫小屋の前の田舟を、まっ白な穂尖の光る猫柳の 枝から解きながら、青い空をうっした水面にむかってひと ちりゅう 熊屋敷の竹之内波太郎は、リ メ谷の北一里半、池鯉鮒の里り言のようにいう。 「にせ行列が二つお城を出ましたそうな。都合三つ。その に近い逢妻川原の苫小屋にひそんで、信元からの知らせを 二つめがほんものの山でござりまする」 まっていた。 このあたりよ長脈、、、 ーノ力いくつにもわかれて、その各 ~ に蜘「二つ目か : 蛛の巣型に橋がかかっている。俗にいう八ッ橋、今は昔を 「相わかった、行けツ」 しのぶよすがもなかったが、伊勢物語の中に、かきつばた 百姓はそのまま何事もなかったように、田舟をあやつつ の名所としてその名をとどめている水郷だった。 その橋から枯萱、枯萱から堤のかげへかけて凡そ百人あて対岸へこいでゆく。波太郎は小屋の中で焚火していた一 まりの人数を伏せてある。いやこの川原だけではなかつ人の老爺に眼くばせする。するとその老爺は汚れた小布れ た。手前の一ッ木の民家から向う岸の今村、牛田のあたりを取って頬かむりをして小屋を出ていった。これは陸への まで、こまかい手配りがついている。 伝令なのである。 いうよりも、その民家に棲む百姓たち、川 筋に舟を 小屋の中には波太郎が一人残った。彼の手許には小鮒の びく うかべる漁夫、田畑に働く者までがすでに波太郎の配下な五六尾入った魚籠と野竹のつり竿がおかれてある。「そう のだといっていい。 か」ポツンと呟いて波太郎は小屋を出ると、その小屋のわ 彼等は波太郎の指図があると、時には水軍にもなれば剽 きの堤に立っている榛の木の小枝に、まっ白な小布れをか 盗ともなり、落武者も探せば、死人の鎧も剥ぎとる片手間 けて戻って来た。渺茫とした平地ではこの小布れが白く光 2
難波の村を出外れると、南に小高い聚落が陽を浴びてい る。ついて来い」 ひわだ 「門跡に会わせるのか。それとも連れ出して斬るつもりか」る。檜皮の屋根に窓の多い家作りで、他地方には見られぬ 気軽な明るさ。このあたりは御堂の威光で、住民に安堵が こんどは波太郎が微かに笑った。 およんでいる故であろう。 、こよすでに会うたわ」 「リ跡冫。 近づくと三面を川にかこまれたこの里は、思ったよりも 「なに、会ったと ? 」 「門跡もおぬしと同じ心。このわしが確めてあるわ。それ家並は大きく、土民も裕福そうであった。 におぬしは斬られてもいる」 昔、玉造部のいたという、玉造の聚落である。 「誰に ? ・」 この聚落に入っても波太郎はうしろを振向かない。依然 「むろん。このわしにじゃ。ついて来い」 として列は、波太郎、随風、於俊、信近の順で、思い思い に相手の影を追っている。南へ川がひらけた。このまま歩 随風はふしぎな眼をして波太郎を見上げていたが、やが いたら川へーー・と、思ったとき、波太郎は左手の門へすっ てこくんとうなずくと素直にその場から立上った。 と曲った。この里には珍しい頑丈な船板で塀を設けた、松 1 波太郎はもう後も見ない。例の落ちつき払った静かさ の多い屋敷であった。 で、ゆっくりと草履をはいて外へ出る。そのあとへ随風、 玄関の軒の端に、見慣れぬ鉄の六角燈籠が釣ってあるの 於俊、信近の順でつづいた。 は、南蛮風とでも言うのだろうか、柱は案外細い丸太で、 カ森のあちこちでひぐらしの声が 陽はまだ高かった。 : 、 壁はくすんだ茶であった。 塵土の人の肺腑にかなしく沁みとおった。 右手はだらだらと石段をおりて川になっている。船は自 由に著けられるが、さりとて荷蔵の構えもない。 信近は誰かの出屋嗷であろうと思った。 」しに列を於俊が小走りに駆けぬけた。 「お帰り その声で玄関の内に人のうごく気配がし、左右の戸が内
信近は片足おろしたままで、そっと月を見上げていってか」 「それで下野さまは、わが事なれりと思召すでございま しよ、フ」 「、つ》び」 於国は部屋の隅に身をひそめたまま動こうともしなかっ 「信近どのを殺し、於国には不義の名をとらせ : : いや、 殊によると、この熊屋嗷に通うた者は、信元ではなくては 月はだんだん冴えて来た。濡れ縁に片足かけて、肉親のじめから信近であったと : 兄に計られ、刺すか刺されるかの憎悪の剣を突きつけられ「噂させる所存であろうか ? 」 : と、波太郎には受取れまする」 た信近の姿は、絵のように銀光をはじいている。 そこで波太郎は声をおとして、 ここ数秒のうちに、彼はその生涯のゆく手を決定しなけ ればならなかった。 「もし信近どの、このまま土に還られるとならば、この波 「しのびの者をしとめた腕の冴えはお見事でござった」波太郎も於国をともに眠らせましよう」 「なに於国どのを : : : 」 太郎の言葉はまた静かになった。 し」 「あの腕ならば兄上もしとめられましよう。が、この波太 郎は認めませぬ。討つものはやがて討たれる。人の我執波太郎はそう答えて、こんどはさらりと語調をかえ、歌 、つよ、つに一一一口いロルした 0 は、われのみあると執念する小さな小さな泡でござる」 ひのかわ 信近はまだ黙って月を見つめている。ともすれば、自分「出雲の国に知己がござる。簸川郡杵築にまします大社の 自身がその面に吸い込まれそうなふしぎな淋しさがしきりおやしろ鍛冶、身分は低い地下者でござるが知己がござ る、姓は小村、名はたしか三郎左 : : : 」 に胸を去来する。 信近は黙ってそれを聞いていた。於国を落してやる先ら いかがでござろう。相手の想いどおり、藤九郎信近どの しい。もし行先がなかったら信近も一時そこをたよられて の屍をここから土に還らせては」 はーーーそういっている謎レ ことれたが、信近は答えなか 「と言われると、あの忍者の屍体を、このわしと見せかけ ) 0 9
し , かに、「も」 「これは心ないことを申した 0 於国ことは互いに苦し 「それは異なこと 6 お波 ! 予は用事をみなまで言わぬ い。が、今日の話、実はそれに満更関わりないことでもな そ」 いのだ」 「と仰せられると ? 」 「仰せなくとも相分る」 「なぜわかるのだ ! 」 「おぬしも同胞は愛おしかろう。予も愛しい。実は岡崎へ 「神のお告げ 嫁した於大のことじゃが : 「フーム」と、下野は唸った。もともと短気な下野守だっ 下野守はまた一段と声をおとして、 た。あれこれ言葉に心をくばり、みなまで言わないうちに 「どうやら岡崎を離縁と決ったようじゃ」 波太郎はまたびたりと視線を下野のそれに吸いつけた。 拒絶されてはそのまま納まる筈はなかった。 「理由は予が申さずともわかるであろう。予と織田どのと 「そうか神のお告げ : : と、あればやむを得まい。おぬし の交りがことごとく岡崎の気に入らぬのじゃ。そこでおぬは神に仕える身じゃ」 いかに 7 も」 しに頼みがある」 「よかろう。退れ ! が、お波、おぬしそれで予の領内に 「この離縁話に加担した岡崎の老臣ども、表面は自分たち住める気か」 のせいではないと見せかけて、必ずわが領内まで送って来「もともと住んでは居りませぬ」 「 3 な : : なんという ? 予の領内には住んで居らぬ るに、迎いないが : 下野守がそこまでいうと、 「お断り申す ! 」 波太郎は急に大きく声をあげて笑い出した。於国の顔が 波太郎の面にサッと一刷毛紅がさした。 チラチラし、胸の忿懣がいちどに爆発したのだが、考えて みれば大人げなかった。 五 神々は人類のために国土は産み給うても、個人のために 「なに断ると ! 」 は産んではいない。それを誰かれが私しようとしだした時 はらから ) 94
の萩の間に、つい先ごろ狂ったままで子供を産んだと知ら なことは使者にとってもあり得ないことに隸えた。 「これは又思いがけないことを承る。わが君が特にと仰せせのあった妹於国の姿が見えて来る。と急に自分が厭わし くなった。このような皮肉で於国の怨みを述べてみる自分 られて、わざわざ拙者を遣わされた。それを断られては礼 があまりに狭く小さく田きんる を失する。先約などお断りなされお断りなされ」 波太郎は蒼白になっている使者をかえりみて、はじめて 波太郎は冷やかにうなすいた。 笑った。 「先約は断っても礼にもとらぬと仰せられるか」 「織田どの親子との先約を、下野どのの命で破棄したとあ 「人によりけりでござる。当方はご領主でござるぞ」 「では先約のご仁に、ご領主の命ゆえ悪しからずと申し送っては下野どのが困られるかも知れぬ。下野どのは何かわ しに用があっての招きであろう。宜しい。本日このまま城 ろ、つ」 波太郎はそこで手を鳴らして巫女を呼び使者に軽く会釈へお伴仕ろう」 し、 それから巫女をかえりみて、 「十五日の祭祀は、ご領主の命で取りやめると、すぐに使「よいよい。用はなくなった」と軽く言った。 を出す用意をなされたい」 と、静かに言った。 「使者を遣わす先は、古渡の織田弾正信秀どの。それに安 下野守の使者は、波太郎よりも一足先にあたふたと城へ 祥の城に在わす三郎五郎信広どののご父子じゃ」 帰っていった。 コん ? 」 波太郎は馬を曳かせて熊屋嗷を出ると、久しぶりであた 使者の顔いろはサッと変った。 りの秋色に眼をうっした。 「あいや、待たれよ」 富士がよく見えた。少しばかりの雲の肌が紺碧の中に美 退っていこうとする巫女を止めて、 しく透いて、足許へは野菊がいつばい三つた。 ( これでもう百年も戦いがつづいている : : : ) 「ご先約とは弾正さまご親子か ! 」 よミ、火色の中に点在する百 波太郎は相手の視線を避けて庭の萩を見やっていた。そ何か嘘のような気がするのオカ不 191
「お父上ご尊霊のおひき合せでござろう。お立寄りなさ 「信乃、小者を呼んでたもれ。墓参の道に遠くなります」 はい」と信乃は駆け出した。が、二、三十歩もしないうれ」 於大は答えなかった。この邸にまつわる兄下野守と信近 ちに、行手の角から濠沿いに曲って来る小者の姿が見えて との争いが、突嗟に決断をはばんでいる。 と、その逡巡を見てとって、波太郎は心おきなく笑って しかも小者は一人ではない。つややかな前髪立ちに紫元 結、華美な綾地の留小そでをまと 0 た若衆一人と連れ立 0 みせた。 「この小者が、どなたかに似たお方を見かけたそうな。そ ている の者がわが家へ入ったと申される。がそのことは存じもよ 信乃は引返して、 らぬが、しかし、お引合せいたしたい方は確かにおいで 「熊の若宮さまご一緒に」と於大に告げた。 於大はうなずいて、かつぎのうちから若衆姿の波太郎をじゃ。さ、ご案内申そう。お立ち寄りなされ」 その後から小者はふしぎそうに首をかしげて、 見まもった。 「さ 0 きの牢人、たしかに熊屋敷〈消えたと存じましたが 2 この熊村の土豪竹之内家の当主波太郎とは父の生前に二 度あ 0 たことがある。何か尊い祭神にいっきする一族ゅ 於大の顔いろをうかがいながらつぶやいた。 え、粗略に扱うてはすまぬと、南北朝時代からの伝説めい 於大はまだ黙って濠を見ている。よどんだ水面に、烏の た舌をよく聞かされていた その波太郎の妹於国に兄の信近はうつつをぬかして刺客影が描いたようにく 0 きりと映 0 て消えた。 の手にたおれたのだ。それに波太郎のこのふしぎな若さは 七 何であろうか。 年は於大よりも三つ四つ上のはずなのに、未だに前髪も於大が熊屋敷〈寄 0 てみる気にな 0 たのはやはり、そこ が兄藤九郎信近の生命をおとした場所と聞かされているせ おろさず、ひとみもくちびるも昔ながらの若さであ 0 た。 いであった。 こ墓参の途中だそうな」 「ては、お言葉に甘えて」 近づくと波太郎は證んた微笑を眼もとに見せて、
よーーー、と申されるがと」 五 ハ。よくみられた。その通りじゃ」 信秀はいかにも央そうに腹をゆすった。 波太郎に礼を言われると、 「ではお身に申そう。昨日の学問にうつつをぬかす物知り 「まだ早い。その礼は、まだ早いそ」 輩の考え及ばぬことをな」 信秀は膝をたたいた。 「承りまする」 「わしはまだあの娘たちを助けようとは思ってはおらぬ。 「世のつねの考えでは巫女は社の内陣ふかくひそんで、神 お身の頭は歩きすぎる」 神に奉仕するものと決めているわ」 波太郎は蒼白く笑って、 「仰せのとおり」 取に比べ寺したら蝸生・ほどに 7 も」 「その世のつねの考え方 , ーーーこれをそのまま生かしてゆ 「というとお身にわしの肚が見えるか。見えるとしたらこ く。よいかな。つねには人々の眼にふれぬ内陣にいて神遊 れは思案が浅すぎる」 おとめ 探る眼で顔を見られて波太郎はふっと黙った。信秀のめびに仕える未通女たち。これを神殿社殿の勧進などに事よ まぐるしいまでに働く頭脳を波太郎はおそれている。これせて神代ながらの晴れ技を諸人の前に公開して廻ると触れ させたらいかがであろう」 はつねに衆愚をずっと引きはなして、明日より先を走りつ 「と、申されますると御内陣の秘事を ! 」 づける放ち駒であった。 信秀はそこでじっと波太郎を見つめて、 「お身に読めるのは、わしがあの娘たちを斬りはせぬ : 「神々に怖れありとでも言いたげなお身の眼ざし。それで と、それだけか」 はい。その上にもう一つ、あの娘たちをこの波太郎におこそわしの考えは生かされる。ハッハッハッ、。はじめか 預け下さること」 ら掛小屋での興行にも及ぶまい。舞い手も古代の神楽その 「うむ、そこまで分ったら、何のために預けるか、お身のままでは相成らぬ。能狂言のさす手ひく手をこれに加え 胸にそれも読めている筈じゃ。読んだままを申してみよ」て、若い娘のあでやかさを思いきり生かしてゆく」 し巫女にせよ、熊の若宮に祀祭する神々に仕えさせ「 : 2 6