父上も病気になられてからはひどく心弱くなってい る。あんなご気性ではなかったのだが」 兄の信元はそういったが、忠近には反対に思える。心が 弱くなっているどころか、いっそう強くかたくなになっ ている。織田方へ加担せねば意地の立たぬ筋があったら、 自分を斬って立てよという。これほど強い言葉があろう しかもその言葉をそのまま信元に取次いだら、信元はあ「殿 ! 殿 ! 岡崎の姫から使いが参りましたぞ殿 ! 」 るいは父を斬るというかも知れぬ。 それは寢ている忠政を遠くから起しておこうとする肚ら 「ーー・・・一族のため、郎党のため、年寄一人の我儘は許せぬし、 ゆえ、この場は私情を殺さねば 「岡崎へ男子ご誕生 ! 殿 ! 男でござりまするぞ。男の 末子の忠近には、その想像はたまらなかった。いったい 和子でござりまするそ」 この上、何といったら父の心を動かせるか ? 忠近が立ち 忠政の眼がキラリと光った。 去りかねて坐っていると、 「忠近、起こせ ! 」 「忠近 : : : まだいたのか」 「よッ 忠政は薄く眼をひらいた。 忠近が、あわてて父を抱き起すのと、さらりと襖を開い 「誰か廊下をわたって来るな。あわただしい足音だ」 ておいて、 「殿 ! 」敷居のそとへべたりと坐って、 言われて忠近も耳をすますと、なるほど床をふみならす「フッフッフッフ」 暴い足音がわたって来る。 ふしぎな相好で土方縫殿助が笑いだすのとがい 「あの足音は : あった。 と忠政は遠くを見る眼で、 「お縫、男か ! 」 、 0 「土方縫殿助じゃな。何であろう ? あわてて居るが」 そう言ったとき、 「大殿 ! 殿 ! 」 中庭をへだてた向うから大声に呼びたてながら忠政の寵 臣縫殿助の声が聞えた。 っしょで 124
ないのかと於大はちょっといぶかった ここはついこの間佐渡守に任ぜられた阿古瞽の久松彌九 やかた 郎俊勝の館。 於大が再縁して来てからもう八月あまりの時が流れて、 季節は秋に入っている。 この館は重々しい城塞作りではなくて、熊屋敷などより もいくぶん手軽な平地に建てた陣屋であった。 良人は昨日那古野に出向いてまだ帰らない。 そっと手紙の封を切ってみると、それは良人、佐渡守こ と、彌九郎俊勝に於大からロ添えして家臣一人を召使って はくれまいかという推挙状であった。 名前は波太郎の一族で竹之内久六という。たぶん俊勝は ふるわたり 那古野か古渡の城に出向いて留守と思われるゆえ、奥方に あててお願い申上げると書いてあった。 「奥方様にお眼どおりしたいと、見なれぬ旅のお方がお見「どのような風体のものか、ここへ通してみるがよい」 えでご、いまするが」 以前ならば幾重にも濠をめぐらした城の奥の人であった 足軽の与助が、手に一通の書状をもって庭先から入ってが、今は大名とは名ばかりの、気軽な一郷主の女房てあっ つ」 0 おだい 於大はそっと縫う手をとめてその書状をうけとった。 於大が縫物を片づけて待っていると、うまやのわきの柿 表にはなるほど自分の名が認められ、裏をかえすと、熊の木の下から、足軽は一人の長身な男をともなって現われ 村、竹之内波太郎とあった。 熊屋嗷から添書をもって : : : なぜ良人の俊勝にあてて来その男をなにげなく見やって、 獅子の座の巻 至遠の望 264
そ、フいう者があるかと思うと、もったいらしく首を振っ て、 かた 「いやいや織田信秀に通謀して、お春の方に刺させようと したのだが、お春の方の乱心で、それが果せす、とうとう 自分で手を下したのだ」 そんなうわささえ広間で生れた。 とにかく、たれも広忠を病床に見舞うことは許されす、 岡崎の城内へは急にあわただしい人の出人りがはじまっ それが話に尾ひれをつけた。 中には、老臣たちがいうのだから病気は病気にちがいな 「ご主君、にわかのご病気にて、ご重体にわたらせられる いと言い張るもの、その病気の原因が実は八彌の負わせた 2 傷にあると言い出す者 : : だが、たれも広忠が落命し、そ 3 「いや、それがご病気ではないそうな」 のみはら 「流言はつつしまっしゃれ。岩松八彌が刺したというのでの遺骸がすでに大林寺からさらに能見原の月光庵へ移され て密葬されていることを知る者はなかった。 あろ、つ」 やくさっ をしきなり・さっ 月光庵の墓地は一年前の同じ三日、お春が八彌に扼殺さ 「さよ、フ、殿が昼寝をなされているときこ、、 れて、ひそかに葬られているところたったが とってカカ . り : : : 」 指図は阿部大蔵と酒井雅楽助と石川安芸の三人、植村新 「いや、昼寝の時ではない。拙者が耳にしたところでは、 小姓どもに爪を切らせているとき、うしろから刺されたと六郎が加わって、他の老臣たちにはその処置が報告された に過ぎなかった。 聞いている」 広忠の居間に隣った休息の間では、まだ布団がそのまま 続々と大広間に詰めかける一族郎党のうわさははじめか らまちまちだった。 嗷かれてある。寝かされているのは人ではなくて広忠の衣 「八彌めは西広瀬の佐久間右京亮がまわし者であったそう類をまきつけた夜具であった。 がき , んる。 備えなき城
、、、にいわれても、それを知らぬ竹千代にはのみ込 「それで別れに参ったのじゃ。体をいとえや」 : はい。わかりましてござりまする。わかりましてめぬ。のみ込めぬかぎり、それがたとえたれの命であって も、この童はうべなわぬ。 「父上、帰ろう」 広忠には、それが二重に悲しかった。 一方ではその性格を頼もしいと感じながら、これではど 広忠はその竹千代をにらむように見つめていたが、急に 大きくくちびるがゆがむとクッククグと、のどの奥で泣き こへいっても愛されまいと気にかかる。 たした。いや、それは泣くというより、泣くことを恐れて わけても今川義元は尊大たった。儀礼ごのみで事大主義 者だった。 いる、不自然な人間の怒りの声にさえとれた。 「雅楽助を呼んでくりやれ。予はまだ田原に話がある」 この不澄な小童はどこかできっと義元の虫にさわるに違 し学 / し 端近に控えている楓にいって、 - 一おり といって、その義元に質を渡して、わが家の安泰をはか 4 「道筋は、西の郡から大津へ船、それから先は陸路ときま 3 った。何彼と道中田原で一族の世話になろう。その話、兄るより他に道のない広忠たった。 広忠は最近めつきり気弱くなった。 上から聞かれたか ? 」 今日ここへわざわざ竹千代を伴って来たことなどもその 顔をそらして涙をかくそうとする広忠を、竹千代だけは 現われで、嫁いで来た日の田原御前を、本丸へ入れなかっ けげんそうに下からじっと見上げていた。 た時とは比較にならぬ弱さであった。 五 「田原 : : : 」 二人だけになると広忠は、上眼でじっと庭の槇を見つめ 雅楽助がやって来て、竹千代を連れて帰った。こんどは ながら、 竹千代は、抱かれることをきらって、きちんと父にあいさ 「宣光どのはお許に、何といわれた ? まさか田原の城ま っして歩いていった。 ; 、 カ田原御前には依然として母の礼 で、お許に竹千代を送るようにとはいわれなんだであろう はとらなかった。
、フよし」 「予とても思うままに振舞いたいは山々じゃ。、、 : こんどはわきから酒井雅楽助がおしとどめた。 「殿にもお疲れであろう。われ等も退って、ご休息の邪魔うままに振舞うたら、一族郎党はなんとなる」 はす・寺 ( い」 「殿、お声が : 高いと言おうとしたとき、広忠の太刀は三度振られた その夜の五つ ( 午後八時 ) ごろであった。於大の結いこ められている四ッ目垣の前へ広忠が立ったのは。 四ッ目垣はそこだけ四角に道をひらいて、足元の草におり 「太刀を持て」 た露が灯りにきらめいた 広忠は小姓の手から佩刀をうけとると、 「予にはこの垣根など我慢ならぬ。思うままにせよという 「予は通るそ ! 」 故斬りはらったのだ ! 」 わめくように言い放って、その垣へ抜打ちをくれてい 於大は思わず眼を伏せた。狂ったような広忠の昻ぶり 何処から来るかを於大はもう知っている。 ( お痛わしい殿 : : : ) いつも自分の弱気と闘い、家臣と闘う。しかもその闘い 竹垣に一太刀あびせた広忠の顔はまっ蒼であった。手もを続けるにはあまりに細い広忠の神経だった。 思うては悔い、海いては怒り、怒ってはまた反省して、 膝もプルプル震えている。また太刀をふりかぶった。 いつも重荷の波にゆられる。恐らくここに垣を結わせたの も今川家の使者をはばかってのこの広忠の指図であったろ ハサッと乾いた音がしてこんどは結び目の十字が斜めに う。そしてその弱さにいま自分で腹を立てて太刀を振って 斬りはなされた。 いる。於大はそのあとで又悔いるのではなかろうかと思う 物音におどろいて離れの障子がうちから開いた。びつく と、こうした時世に松平党の大将に生れ合せた広忠の悲劇 りした於大の顔がほの暗い灯りにういて、その眸だけがき らさらと活きている。 に胸が痛んだ。 広忠は太刀を小姓に渡した。また手も膝もわなわなと震 「新八めが、隸うままに振舞えよと申した。小賢しい ! 」 」 0 予 が 785
「恐れ人ってござりまする」 く申渡すでござりましよう。これ、清左衛門の妻女」 「軽薄に笑いよろこぶ癖もつけてくれるなと申されたぞ。 をし」 「ただいま若君が申されるにはわが側に軽薄なる者どもが早くよろこぶものは早くしおれる。簡単な喜怒哀楽は愚痴 にすぎぬと申された」 いるゆえこの新八郎に叱って帰れと申されるが、心当りが 「くれぐれも用心いたしまする」 おぬしにあるか」 「さて、取次はこれだけであとは私用じゃ。それにしても お貞はびつくりして、また亀女と顔を見合せた。隅では めでたいなあ。ワッハッハッ 小笹がわきを向いて笑いをこらえている。 「ご幼少の折に乳を差上ぐるというは並々ならぬ用心のい 十 るものじゃ」 新八郎の苦情が終ったと知ってお貞も亀女もホッとし 1 その儀ならば : た。松平の家中では大久保党がいちばん気骨奇行にとんで 「心得ているとすぐさま才女顔で申す : : : それがいかんと いる。一族三十余人、宗家は新十郎、新八郎、甚四郎と三 仰せられるぞ」 人そろった兄弟で、弟の甚四郎忠員も竹千代誕生と聞く 「何としても乳母の気性はうけつぐものじゃ。おぬしは家と、すぐに自分の子供を傍小姓にあげたいと申出て広忠を 中でも賢女のほまれある女子。他人の顔をみて武勇の聞え面喰わしたということであった。 甚四郎の子供はまだ生れていなかった。腹の中にあるう 高きなどと軽薄な追従はよも申すまい」 お貞はははあ、あの事かと、これも新八郎に負けぬ生真ちでは男女の別がわからぬゆえ、生れてからにいたせと言 われて甚四郎は心外な面持たったという。 面目さで一礼しこ。 「ーー殿はこの甚四郎を信じられませぬか。この際この 「心して仕えますればお許しのほど」 「左様なことはいちばん嫌いじゃと若君が申された。よい時、女子など産ませるほど奉公不熱心な男と思召されます 力」 か、追従をよろこぶような腑抜けに育ててくれるなと申さ 詰めよられて広忠は辟易し、 れた 14 り
「たわけめ ! 田原のような小城の主に、どちらもご免だ 五郎は急に肩をおとして考え込んだ。 などとうそぶいている自由があると思うか。そのようなこ 十一 とを申してみよ。今川勢はすぐにふみつぶして通ってゆく わ」 宣光に言われてみるとたしかにそうだった。 五郎はウームと低くうめいてくちびるをかみしめた。 竹千代を途中で奪いとって織田信秀に渡してやり、松平 「これが反対であっても同じ結果になってゆく。広忠どの家への私憤を果したうえで、一族の戸田金七郎をほろばし た今川家とは訣別する。 が織田方へわが子を見殺しにしても今川家への節を守ると 申してもな、やはり今川勢は、松平党を見殺しにするなと竹千代をさらうことによって広忠の鼻をあかし、新しく いって田原をふみつぶしてゆくに違いない。五郎、そなた随身する織田信秀によき手土産をもたらそうーー・・・そう考え だんじよう と父上のこの計略はそうした危険をうしろにはらんだ計略た父、弾正少輔康光や五郎は、たしかに事を手軽に考えす ぎている。 じゃぞ」 「ではこれで戸田家は今川家の激怒を買うといわれるの ( なるほど、この人質奪取は戦になるわ : : : ) 力」 戦になるとすれば、姉はどこにいても同じことになるか 「怒るか怒らぬいそれはわからぬ。が、まみつぶす口実だも知れぬ。五郎がむつつりと考えこむと、兄の宣光はまた けはのがすまい」 他人ごとのようにつぶやいた。 「では : : : では : : どうすればよいというのだ兄上 ? 」 「戸田家は滅亡するやも知れぬ。これが原因でな」 「真喜は岡崎にいても死、田原へ来ても死。いや第一線「なにツ、滅亡すると」 になるゆえ田原の方が一層その時機が早いといっているの 「さよう。竹千代が尾張へ着くと織田家から褒美の金はく じゃ。それゆえ改めて田原へ呼ぶまでもあるまいといってるであろう。が、褒美の金ではわが家は救えぬ」 いるのじゃ : : : わかるか五郎 : 「何があれば救われるのだ兄上」 そういうと、宣光の眼のふちはいっか血をふくんだよう「軍勢 : : : それも織田信秀の主力がなあ」 赤くなっていた。 「ウーム」とまた五郎はうなった。 ひと 322
これもはっきりとは答えられない。 宣光はまたきびしい残暑を扇ではらいながら、坐ると同 老臣どものとりなしで、お眷の方は、とにかくいずれか へしりそけられた。そして殿と自分の間にはじめて夫婦の 「おしあわせか ? 」 契りはあったが、それが御前の待ち設けていたほど大きな と微笑した。 没我の交わりだったとは信じられない。 田原御前は答えようがなかった。 広忠はいつも沈みがちであったし、事実事も多すぎた。 過ぎ去った二カ年半、幸福だったとも言えず、不幸だっ 「兄の身となると、お許のことも気にかかる。女子の仕合 たとも言いきれなかった。 せは田刀どもにはわからぬらしい」 嫁いで来て一年は身の細る孤閨にもだえ、そのあとでは 田原御前はそれには答えす、 お春の方との争いだった。 「竹千代さまお旅の道すじは決りましたか」 だんじようしようゆう 田原御前に竹千代のことをたすねられると、宣光の眉は そしてその争いはついに田原の父弾正少輔にも聞え、 急に曇った。 宣光の弟五郎が激怒して広忠のもとへ刺客をしのばせよう : しかがであろうな。わしはお許を、この際ひ とするほどの騒ぎになった。 「お真喜 : ・ そのあとで一族の戸田金七郎が拠る吉田城を今川氏が攻とまず田原の城へ伴いたいと思うのだが : 撃し、その戦には岡崎勢も加勢を命じられるという、事の 窓から庭先を用心ぶかく見やりながら、 多い二年半であった。 「こんどの戦では、ここが攻略の的になろう。今ならば竹 : と しかしそうした争いの裏で、いつも御前をかばい通して千代どのを伴って、久しぶりに母上へ対面のためと : くれたのが兄の宣光なのである。 にかく名分は立つのだが」 宣光だけは御前の心がどのように広忠をこがれているか と、兄はたすねた。 をよく知っている。 すでに織田方進攻のうわさは火の粉のように城下をつつ 「広忠どのとのお仲は、近ごろ睦じかろう」 み、眉をこがすほどの事態であった。 そうなっては今川義元としても手をこまぬいてはいられ ちぎ おなご 309
おけの炭火が白い灰になってフワフワとうごいている。 去られた感じであった。 雅楽助はそのまま奥へつづく廊下を渡った。 「於大ー・ー」とつぶやくと、いつも胸元があっくなり眼頭 わざと大きくせき払いをしながら、奥女中取締りの老に露がにじんだ。 女、須賀の部屋の前に立っと、 家の子どもはそれを女々しいと非難する。が、非難され 「これこれ、正家が『屠蘇』に酔うてな、ふろが頂きたいるとよけいに幻影は濃くなった。 と申して参った。殿に取次げ」 ( 人情のわからぬ奴め : : : ) わめくような声でいった。 人間は何人女子を近づけても、結局「妻ーー」は一人な のではあるまいか。その一人と出会って自分はそれを追っ てしまった : お湯殿間答 お部屋はべつに一人ある。一族の松平乗正の娘お久。そ してそこには、竹千代の庶兄勘六と、竹千代とおなじ日に 生れ、竹千代の運をやぶらぬようにとむつきのまま出家さ 2 せられた慧新の二人があったが、於大がいなくなると、お 広忠は、自分の部屋にうわさの女を呼び入れて腰をもま久の許へ足ぶみする気にはなれなかった。 なぜか於大にすまない気がする。 していた。奥へもどると一緒に ぐっとあおった酒の酔い この孤独をかみしめているのは自分一人ではない。どこ がようやく咳をしずめてくれ、ばかばかと胸から腰をぬく めてゆく。 かで於大もじっと : : : そう思うと、於大以上に深い孤独に 浸入し、それによってこの悲嘆を乗り越えなければと思っ 薄目を閉じてうつらうつらとしていると、膚をはう指の た。それでなければ救われぬ。 しなりがまたしても於大の方を連想させた。 わずかな歳月だったが、於大はすでに広忠の肉体の一部 ( 忘却を希うのはひきようなのだ : : : ) になりきっていた。 離別してみてはっきりとそれがわかっ 人間の厚みは何事ともつねにまともに対決し、身をかわ た。片手をもがれたのではなくて「臓腑」のどこかを抜きさないところから生れて来る。家の子たちにはそれが分ら
( 名将はいわれなくは世に現われているのではない : 信元はまた大きくうなずいたが、中務が何を言おうとし 織田信秀が枝葉の家に生れながら一族の上に厳然と勢威ているのかは分らなかった。 「そこへ参ると女子はよい。わざわざ歩きまわらずと、子 を張っている裏には、このような名臣の智謀の助けがあっ たればこそと、改めて平手中務を見直した。 という足跡が残ってゆくで羨ましい」 この男が、選ばれて信秀の子の吉法師を育てている。信 どうやら中務は於大のことをいっているらしい。あるい 元の怖れは二重になり三重になった。 ) ーイーはなキガ 、、、、人、、大を憐れんでいると思いこんで慰めているの と、田 5 ったとき、 信秀の剛、中務の智、それに人を人とも思わぬ吉法師の かも知れない 性格が加わって、びしびしと信元を圧迫する。 「岡崎の奥方にしても、すでに和子を残された上に、棉の 於大が離縁される。 種をひろく百姓に分けられて、りつばに足跡を残された。 老臣どもが別れを惜しんで送って来る。その老臣をまと頑な老臣どもが心を許して慕うほどの足跡を」そう言って めて斬って、それから岡崎を攻略する : 平手中務は、急に語調を変えて手を振った。 信元がもう一度手順を肚で繰返しているうちに、平手中「これは失礼いたしました。つい親しさに狎れて下野さま 務はもはやその事を忘れた顔で、 に指図がましい。いや、これはどこまでも平手個人のさし 出口でござる」 「人間の足跡と申すはふしぎなもので : : : 」 と、思いがけない方向へ話題をそらした。 信元はまた気負ったかたさで頭を下げながら、はじめて 「わが意志で生れもせいで、生きていると気づいたときに ドキリと言葉の意味に気がついた。 は、あれもしたい、これもしたいと餓鬼道を歩いてござ それは信元を慰めているのではなくて、於大はすでにそ の役割を果した。憐むなときびしく命じているのであっ 」 0 「いかにも」 「その癖、死ぬときはまたわが意志ではどうにもならぬ。 「相分った。かたじけない」 この世に残るはその生から死までのわずかな時間の足跡だ こうして信元が織田信秀の底深い秘命を受取っているこ ろに、岡崎城へは病身の広忠見舞の口実で、駿府の今川家 けでご、さるで」 」 75